名前を知らない君たちと、何度目かの日常
名前が呼ばれた。先生は俺を見た。
返事をした。
先生はただ頷いて、次の名簿の名前を呼んだ。
名前なんて覚えちゃいない。
どうせ明日になれば全員違うやつだ。
周りのやつはどうやって一致させてんだ?
分かるわけねぇだろ。
顔や髪型、服装、声、体格、全部違う。
なのに自然と会話は成り立っている。
そう見える。
「昨日のあれ見た?」
「xxちゃんあれ好きすぎでしょ」
「ちょー好き!xxの推しも出てたよね」
「どっちも微妙。私はxxだし」
「xxは渋すぎー」
「お前ら宿題やった?」
「xxは宿題忘れるの何回目だよ。」
「お前には頼んでねぇ。xx頼む」
「xxやめとけ。図に乗ってるぞこいつ」
「そうだね。教えるから今のうちにやろってxxが言ってるよ」
「xx」
俺の前に誰かが立つ。
顔を上げる。
「なに?」
「今日の当番、私とxxだよ」
「悪い。忘れてたわ」
分かるわけねぇだろ。
自分の名前だって分かりゃしない。
あぁ、今日の名前はxxだったな。
目の前にいる委員長風の女は、俺を見た。
少し苦笑気味に見えた。
「xxはいつもそうだよね。たまには先に動こうと思わないの?」
「俺が動かなくても大抵、何とかなる」
「それはそうかもしれないけどさ」
俺はこいつのことを知らない。
俺は初めて会った奴らと、いつもの日常をすごしている。
――――
俺の見た目は変わらない。
黒髪黒目、背は平均より少し高い。
痩せ気味だし、見た目は悪くないはず。
だが、まぁ信用出来なかった。
鏡に映る自分は5割増で格好よく映るらしい。
だがそうじゃない。
俺が見えてる世界を、俺は信用していなかった。
親の見た目だって毎日違う。
今日は2人とも太ってた。
「早く朝ごはん食べちゃって」
「俺のネクタイどこ閉まった?」
「さっき出して机の上に置いたわよ」
無言で机に座って朝ごはんを食べる。
昨日は用意されてなかった。
朝食を食べない親だったんだろう。
飯を食い終わって、いつも通りに家を出た。
後ろから走ってくる音が聞こえ、隣で止まった。
「xx。先に行くなんて酷いじゃない」
「悪いな。お前が遅かったんだろ」
「待っててくれたっていいのに」
「はいはい」
少しギャルっぽい女だった。正直少し好み。
だが意味は無い。
どうせ明日は別人だ。
「なんで俺と一緒に登校したいわけ?」
「えっ……そんな、いきなり言われても」
「俺のこと好きなの?」
「は!?いや!?ぇ!?」
ギャル風の女は混乱したように顔を白黒させた。
これは少し楽しい。
たまにやる。
「俺は好きだよ。お前のこと」
名前も知らねぇけどな。
「それって……うん。私も、好き」
ギャル風の女の手を取り、学校とは別の道へと手を引く。
女は少しだけ震えるように戸惑ったが、自然と繋ぎ返してきた。
これくらいやらなきゃ、やってられねぇ。
どこかの店のガラス越しに移った俺らは、青春映画の抜き出しのように見えた。
――――――
通学路の途中に死体があった。
赤い血がとめどなく溢れていた。
噎せ返るような、鉄の濃い、血の匂い。
周りは誰も気にとめずに歩き去る。
血が靴に染み込むのを誰も気にしない。
臭いに鼻を押えたりもしない。
点々とした赤が道に続いていくのを、俺はただ呆然と眺めた。
死体を見たのは初めてだった。
「どうしたんだ?道の真ん中でぼーっとして」
「……」
どうせこいつらには見えない。
「……少し考え事してただけ」
気にせず歩き出す。
靴には赤い液体が侵食した。
「そうか?」
陸上部みたいな見た目の男はそう言って俺の隣に並んだ。
死体は踏みつけられた。
とっくに致死量を超えた量の血を出してるだろう死体からは、また赤い血が吹き出した。
隣の男は、赤く染まった。
目を見開く。
自然と足が止まった。
「どうした?急に怪物でも見たような顔して」
「いや、流石にこれ、は……」
赤い。顔なんてもう判別出来なかった。
「ん?俺の顔に何かついてるか?」
陸上部風の男はそう言って顔を拭う。
そもそも袖も手も赤いから、何も変わらなかった。
「……葉っぱがでっかい虫に見えただけ」
誤魔化し方なら、豊富に持ってる。
「あるあるだな。お前虫苦手だったのか」
「お前だって苦手だ……ろ?」
こいつは虫が苦手。
見た目のまんま陸上部。
俺とはそこまで仲がいいわけじゃなかった。
そこまでならいい。
俺の訳が分からない世界に、記憶が戻ってきただけだ。
そうじゃない。
こいつは。
……死んだはずだ。
俺の目の前で。
xxは俺を覗き込むように俺の前に立つ。
「……大丈夫か?具合悪い?」
息を飲む。平気だ。
俺がおかしいのはいつもの事だ。
「……平気。悪いな、心配かけた」
「大丈夫なら良いけどよ」
赤い陸上部のxxは、俺の隣で何気ない世間話をダラダラと続けた。
「そういや体育館倉庫の隣、めっちゃ大きい蜘蛛いるよな」
「……そういや居たな」
「xxが気づいてなかったらしくてさ、隣通る時ビビって横に飛んだんだぜ?」
「そりゃ、災難だったな」
「まじで素早かった。あの速さでなら世界取れるな」
そう言って赤が笑った。
俺も釣られて笑った。
xxは分からないけど、きっと面白いやつなんだろう。
少しだけ振り返る。
死体は遠くに見えた。
xxからは血の臭いがする。
自分の靴も赤く湿っていた。
……これもそのうち気にならなくなる。
だから俺は平気だ。
翌日には、死体も赤い陸上部も、赤い靴も赤い道も、全てなかった。
そんなことだろうと思ったよ。
――――――
今日の親はヤケに美男美女だった。
ほんとにそうなら、俺は俳優を目指せる確信がある。
まぁ、鏡の俺はいつも通り、70点の俺だった。
――いや、お前カッコイイよ。モデルいけんじゃね。
鏡の中の俺が囁く。
――どうせ何も変わらないんだ。やるだけやってみればいいだろ。
「嫌だよ。俳優になったところで何すんだよ」
――見た目を褒められれば嬉しいだろ?
「その分あいつらは貶されるんだぜ?」
――まぁな。
鏡の中の誰かは皮肉げに笑った。
俺は笑ってなどいない。
「お前、誰?」
――俺はお前だよ。
「んな訳あるかよ」
――そんなこと言ったって事実だ。
鏡の中の俺は呆れたように手をふる。
俺は微動だにしていない。
不意に疑問が口から出た。
「そっちは快適?」
――お前は快適じゃないのか?
鏡の中の俺は訝しげに俺を見る。
「……今日は、どうだろうな」
――カッコイイんだから、きっと最高の日だよ。
そう笑ったのを最後に、鏡の中の俺は微動だにしなくなった。
70点の俺だった。
いつも通りに見た目を整え、外に出た。
今日はヤケに見た目が整ったやつが多かった。
俺は話しかけられなかった。
誰とも目が合わない。目の前の道は自然と開く。
まぁ、そういう事なんだろう。
親はイケてても子供はダメってか。
ガラスの反射で、自分の顔が目に入る。
いつも通りの顔。
そうじゃないんだろうな。
俺の目も頭もイカれてる。
見た目が悪いやつはどこに行ったんだろうな。
存在しないってことはねぇだろ。
……休みのやつが多かった。
家から出なければ、いないも同然か。
俺も休めばよかった。
いや、俺は来なけりゃわかんねぇんだけどさ。
ため息をつく。
「あいつなんで今日は来てんの?」
「あの見た目で来れるとか」
「そんなこと言うの可愛そうだよ」
「xxは可愛いから周りを気にしなくていいもんね」
「xxは盛ってるもんね」
「うるさい。可愛ければいいのよ」
五月蝿い。姦しい。
今日の世界は居心地悪い。
……まぁ、そういう時もある。
サボるか。
俺が立ち上がると、一瞬声が止んだ。
だがまたすぐに、ざわつきを取り戻す。
「あいつなにしに来たんだ?」
「さぁ」
「あの見た目で外で過ごせるとでも思ったのか」
「引きこもってると、普通が分からねぇんだろ」
「無理なことくらい分かるだろ」
俺は気にせずに教室を出た。
右も左も美男美女。
今日は顔が良くなけりゃ外に出ちゃいけないのか。
そして俺はおそらく、見るに堪えないんだろう。
知らんけど。
通行人とすら目が合わない。
無視じゃない。避けるようにそらされる。
向こうから歩いてきた黒い帽子を被った若い女と視線が合った。
少しだけ目で礼をされた。
無視され続けた心に染みるな。
こういうのに惚れるんだろう。
俺は惚れないけど。
どうせ明日には元通りだ。
――――
外に出る。
太陽がやけに照りつけていた。
皮膚が焼けるように暑かった。
今は夏だったか?
そもそも季節なんて概念は、久しぶりな気がした。
真横を子供たちが駆け抜けていく。
「だからxxだって」
「xxの家行こうよxx」
「xx行くよー」
「だからxxは!?」
子供はいいな。
俺だって子供時代は……。
忘れたな。
きっと子供の時からこうだった。
人の名前も覚えてないし、見た目だって毎日バラバラ。
それでも何となく遊べた。
分からなくたって混ざれた。
あの時は皆そうなんだと思ってた。
違った。
おかしいのは俺だけだった。
俺はいつも通り、学校への道を歩く。
誰かに話しかけられるのを待つ。
俺はそうして生きてきた。
これからも。
熱い。
汗が滴り落ちてきた気がした。
……今日は学校あるのか?
もしかして夏休みとかだったら、俺が歩いている意味は?
周りに人はいなかった。
でもまぁ、ここまで来たし。
図書室くらいなら開いてるだろ。
俺は熱で締め付けられるような暑さの中、ただ足を前へと起き続けた。
何も考えちゃいない。
学校へ行くのが正しい。
だから行く。
正しいかどうかなんてどうでもいい。
俺は学校に行かなきゃならない。
――――
俺の席の横で会話が始まる。
「明日部活ねぇし、遊ばね?」
「俺パス。彼女と約束してるから」
「xxちゃん?へぇ。家?」
「言うかよバーカ」
「xxは暇だろ?xxも」
短髪の男は、俺ともう1人を見る。
あぁ、俺含めた会話だったんだな。
「まぁ、暇だけど」
「何をするんだ?」
隣の真面目そうな男は少し楽しみと、前のめりに聞いた。
「xxの尾行でもするか?」
「止めろ」
短髪の男が彼女持ちの男に羽交い締めにされる。
「ギブギブ。冗談だって」
「お前のは冗談になってない。実際にされたの俺は忘れてねぇぞ」
「あれは前の奢りでチャラだろ!」
「それとこれとは話が別」
わちゃわちゃしてるのを俺と真面目そうな男は見ていた。
目が合う。そいつはふわっと笑った。
俺も、苦笑し返す。
「結局明日、何すんのかね」
「xxはしたい事ない?」
「俺?」
……考えたこと無かったな。
真面目そうな男は少しワクワクした顔で続ける
「ゲーセンとかカラオケとか?」
「あーそれでいいんじゃね?」
「採用!明日の放課後行くぞ」
短髪の男は羽交い締めから抜け出して、真面目そうな男の肩を組んだ。
彼女持ちの男は呆れたように顔に手を当てる。
「はぁ。こっちに来なきゃなんでもいい」
「彼女持ちはこれだから」
「羨ましい」
「お前らも作ればよくね?」
「それが言えるのはモテるやつだけなんだよ」
短髪がまた怒り出す。
真面目がそのノリのままオロオロしてるのが、若干可哀想だ。
と見てたら矛先がこっちへと向く。
「xxはなんで彼女作んねぇの?」
「……」
覚えられねぇからだよ。
なんて言えるわけもなく。
たまに俺に惚れてるやつと遊ぶくらいでちょうどいい。
なんて、今日の俺の立ち位置を危うくする言葉も言えない。
「俺はお前らがいればそれでいいよ」
口から出たのはその言葉だった。
短髪は嬉しそうに俺の肩を組んできたし、彼女持ちも真面目も、妙にぬるい視線を向けてきた。
まぁ、こういう日も悪くない。
俺の明日に、こいつらは居ないけどな。
――――――
帰りの通学路に猫がいた。
虹色の猫。
塀の上に姿勢よく座っていた。
当然のように、周りに反応するやつはいない。
俺がみているのに気づいたのか、虹色の猫は俺を凝視してきた。
眼圧が強くて怖いんだけど。
引っかかれたりするのか?
俺は少しの興味から、その虹色の猫に近づく。
猫も目をそらさない。
手を近づける。
俺の手は空をきった。
「あー……そういうパターン」
虹色の猫は俺から目を逸らして毛繕いを始める。
「なんで虹色」
――虹色の方が強そうじゃない。
「猫に強さいる?」
――いる。強い方が強い。
「頭弱そうな意見」
――怒ったわ。あなたは私をバカにした。
虹色の猫は毛を逆立てるように俺を威嚇する。
あぁ、こいつの声だったのか。
「悪かった。虹色カッコイイよ」
――分かればいいわ。撫でてもいいのよ?
「撫でれないんだよなぁ」
――変なやつ。人間は猫を撫でるものでしょう?
「えっ、俺人間じゃなかった?」
虹色の猫はそれっきり話さなくなった。
俺は人間じゃないのかもしれない。
まぁ、確かにそうかもな。
そう言われたところで、別に痛くもなかった。
――――
目が覚めてからしばらく経っても、俺はまだベッドの上だった。
何も、したくなかった。
脳内で、彼女を何度も思い返す。
片羽を抉りとった後の噴き出す赤色の羽。
歪んでいるのに恍惚とした、彼女の表情。
落ちてグチャっとしていた羽。
全てに未練があった。
あの赤い海がもう一度見たかった。
学校へ行ったって彼女はいないんだろう。
彼女も結局、前と同じじゃなかった。
いつも知らない人、なのに当然の日常。
この日常が続くことを、俺は否定しない。
これが俺の日常。
そう思うのが、1番いいと知っている。
だから他の選択肢なんてなかった。
彼女を思い出す。
鉄の錆びた臭いにつられて、他の死体の記憶も思い出した。
通学路にある赤い道。
教室の真ん中から落ちた赤黒い湖。
彼女の背中に溢れた赤色の羽。
切断された手足に、
物理的に丸く空いた胸の赤色。
剥ぎ取った皮膚から染み出し続ける赤色と、
首の噛み跡から噴き出す綺麗な赤色。
……見た事ない記憶が混じった気がした。
そんなこともあるだろ。
喉の奥に、血の濃い味がこびりついている気がした。
歯で肉をちぎっていく感触が。舌に流れる血の味が。
気のせいだ。
血なんか口に入れたことは無い。
――――
朧と呼ばれたあれは、羽族に産まれながら羽がなかった。
早々に地上に下ろされ、羽族ではなく地上で人に育てられた。
朧は自分が羽族であることを知らない。
知らせないことが優しさだった。
白い髪に、白い目。
人懐っこい性格で、よく笑っていた。
この国では羽族も人も同じ学校に通った。
朧は人とも羽族ともよく話した。
周りも快く受け入れた。
だが、暗黙のうちにできた決まりがあった。
2人きりになってはいけない。
話す時は常に誰かの視界に入ること。
触るな。触れられるな。
この国に住む人は優しさを強制される。
自身が思う優しさだ。
朧の優しさは、ズレていた。
――――
刺さっている刃物を抜いて、懐にしまう。
持ってないと落ち着かない。
俺だって優しくしなきゃ。
目の前の動かなくなった赤い身体からは、赤い液体がドクドクと流れ出る。
鉄錆の匂いが充満していて、少し鼻についた。
赤い液体が染み込んだ靴で、地面を踏み締めて立ち上がったところで、後ろから声がした。
「朧、またやったのか?」
「瑠!」
俺は朧の元へ駆け寄る。
赤い液体が跳ねる。
「やったって何を?」
「……いや、いい。ほらみんなの所に行くぞ」
瑠は俺の前を歩き出す。
俺は瑠の首へと赤に塗れたままの手を伸ばした。
「やめろ」
瑠は避けるかのように身をかがめた。
「なんで?」
「なんででも」
俺は触りたかった。
瑠の首は、骨ばっていて、動脈まで辿るには力が必要そうだった。
喉仏を押し込めば早いかな。どうかな?
瑠は歩き続ける。
置いていかれないように俺は続いた。
濡れてるのが良くなかったかな?
俺は手を拭こうとしたが、服も全部赤くて意味がなかった。
クラスにつく。
赤い俺を見て何人かは可哀想な人を見る顔をした。
「誰だった?」
「レイア」
「そっか……」
「先生には?」
「俺言ってくる」
羽を羽ばたかせて1人がクラスから出ていく。
俺がそれを眺めていると、瑠が俺に向き直る。
「朧」
「何?」
「2人になるなって言っただろ?」
「そうだったっけ?」
「言った。お前には分からないかもしれないが、お前の優しさは俺らには重い」
「……よくわからない」
「だろうな」
俺はただ止めただけ。
だってレイアは笑っていた。
暖かくて気持ち悪かった。
そこで止まるのが一番いいと思った。
赤い液体は熱い。
止まれば冷たく固まる。
自分の手を見つめる。
端の方は少し乾いて、黒ずんでいた。
赤い湖に倒れたレイアは綺麗だったのに。
「……洗ってこい」
「うん」
歩き出そうとすると、手を掴まれた。
「いややっぱり俺も行く。誰かついてきてくれ」
「私行くよ」
「ありがとう」
――――
俺は朧にホースで水をかける。
ランは羽を揺らしながら、朧の髪を洗う。
「俺自分で洗えるけど」
「洗いたいの。ダメかな?」
「ううん。したいならいいと思う」
「ありがとう」
「無駄に甘やかすな」
「いいじゃない。気持ちいい?」
「別に」
「朧を普通に扱うな。痛い目を見るぞ」
「瑠はいつもそう言うけど、私は一緒がいいと思う」
ランは、白く戻った朧の髪を梳く。
俺は仕方なくホースの水を朧の髪に向けた。
「皆一緒。朧は少し変わってるだけ」
「その少しが問題だろ」
「そう言いつつ、1番気にしてるのは瑠よね」
「うん。瑠は俺を気にしすぎ」
「気にせざる負えないだけだ」
分かっている。
俺は朧の事情を他の奴らより知っている。
だからといって踏み込む必要なんてない。
俺も結局優しさを強制されているんだろう。
これが俺の優しさか。
放置できるならしたかったさ。
白い髪、白い目。
羽族なのに無い羽。
狂った優しさ。
イラッときて、ホースの水を朧の顔へ向けた。
「うわっ、何するんだよ!」
「手が滑った」
「嘘だろ!ラン、やり返そうよ」
「ははっ。私は見てるよ」
「諦めろ。洗い終わったなら戻るぞ」
ホースの水を止める。
朧は拗ねるようにこちらを見てくる。
俺は近寄って朧の頭に手を伸ばす。
「悪かったな」
「分かればいいんだよ」
朧は素直に撫でられたし、ランは微笑ましげにそれを見ていた。
――――
ランの前には輪っかが作られたロープが吊り下がっていた。
「みんな一緒なの」
「羽族も人も」
「優しくたって、優しくなくたって」
「それが正しくても、正しくなくても」
「みんな一緒」
「そう思った方が、優しくいられたの」
そう言って、ランは首に輪を通して、
飛び降りた。
ロープが張った瞬間に首がガクンと落ちた。
俺の前で揺れるラン。
白い羽もランの背中で合わせて揺れた。
――――
「そんなこと言うな」
「分かってる。
俺のやってる事は、朧にとって意味の無い、……無駄な事なんだろう」
「でも、俺は続けたい」
「 」
「あぁ。君らしいな。
俺がやりたいからやるんだ」
「ただ、朧がそのうち、理解までできなくてもいい、そう言うこともあるんだと、そう思えるように」
「強制はしてない」
「いいんだ。君は君のままで」
――――
一緒になりたかった。
溶けるように、同化したかった。
首に噛み付いた。硬い骨にあたってほとんど抉れなかった。
喉にも噛み付く。血管がちぎれたのか、勢いよく赤色が溢れ出した。
ドロっとした液体が喉奥を流れる。
口の中いっぱいに広がる、エグみの残る味。
鏡には赤い俺。
倒れている赤い瑠。
これは優しさ?
違うかもしれない。俺がしたかった。
瑠はなんて言うかな。
――もういい。好きにしろ。
――どうせ、言っても分からない。
うん。瑠はそう言うよね。
じゃあ、俺もそう思うことにする。
一緒がいいからね。
赤色は首から溢れ続ける。
まだ生きてるのかもしれない。
まぁ、どっちでもいいか。
鉄錆の臭いが喉奥から上がる。
俺は自分の手を舐めた。
同じ味がした。
明日はどんな一日になるだろうか。
目の端に、鏡が映りこむ。
鏡の中の瑠は、俺を見てから呆れたように目を閉じた。
そう見えた。
――――
誰かに手を引かれて階段を登る。
羽があるのに飛ばないんだなとボヤっと考えた。
階段の先にとても幸せな何かがあるらしい。
「 」
何を言っているのかが聞き取れない。
でも、嬉しそうだった。
俺も嬉しい。
「 」
何を話しているのかは分からない。
階段の先はもうすぐだ。
羽が揺れる。
握られている手は温かくて、湿っていて、
液体で溢れて、赤が侵食して、赤が溢れて。
羽はいつの間にか白色ではなかった。
赤色の羽。
羽を揃えたそいつは俺を連れて飛び立つ。
階段のその向こうへと。
すぐ着くはずのその先へは、一向に届かない。
ゆめ……か?
違う。
いやだ。
目覚めるな。
俺はこのままでいい。
そう喚くけど、声は出なかった。
「 」
声は聞こえない。
この先に俺は行きたい。
一緒に。
いや、この先につかなくったっていい。
俺はxxと一緒にいたかっただけなんだ。
いつの間にか手の繋がりは消えていた。
白い羽も赤色の羽も見当たらない。
俺は落ちる。
落ちた先は赤い海だった。
――――
ドアを叩く音。
「おーい。寝てんのか?」
そう言って俺の部屋に、背の高い男が入ってきた。
俺は少しだけベッドから体を起こす。
親?じゃないな。若い。
友人か。
彼は勝手知ったるように部屋に入ってきて、近くにある椅子へと座った。
「起きてるじゃねぇか。学校行かねぇの?
親御さん困ってたぜ?」
「……行きたくない」
「そんなこと言うなよ。学校別に嫌いじゃなかっただろ」
彼は不思議そうに俺を見た後、ニヤッと笑う。
「……女に振られたとか?」
「ない」
「即答は怪しすぎるだろ。そういうことな。
へぇ、誰?」
「だから、違うって……」
彼は決めつけたように、興味深々に俺を見る。
……振られてなんかない。
羽を貰って、
その羽をなくした。
それだけだ。
「……」
「これは重症だな」
「そんな事ない。俺はいつもどおりだ」
「なら学校来いよ」
「……分かったって。行くから」
「おう。行こうぜ」
俺は立ち上がり、支度を始める。
彼は椅子に座ったまま、俺の動きを眺めるように顔だけ動かした。
「早くー。俺まで遅刻しちまうよー」
「うるさい。なら先に行けよ」
「xxの親に頼まれたんだよ」
「見張られなくたって行くから」
「信用ならねーの」
……はぁ。こいつ押しが強いな。
親も、彼だから頼んだんだろう。
部屋を出る。
顔を洗って、鏡を見る。
いつもの俺の顔。
話しかけては来なかった。
「準備できたか?」
彼がいつの間にか後ろから顔を出したのが、鏡越しに見えた。
……こいつこんな顔だったか?
そう思って振り向く。
「ん?」
彼は俺を見る。
何かが違う。見た目、顔、表情?
「そんなにジロジロ見るところあるか?」
彼は鏡で自分を確認するように鏡を覗く。
鏡の中の俺は、鏡の中の彼と仲良さそうに話していた。
笑った俺の顔。
目尻が下がって、口が笑ってる。
「xxワックスつけるとか格好つけすぎだろ」
「髪のセットは必須だぜー?」
「それ寝癖じゃなかったのかよ」
「そんなふうに見えてたのか!?」
「いや冗談」
「心臓に悪い。xxもつけるか?やってやるぞ?」
「やらない。xxに任せてろくな事にならない」
鏡の中の俺は、彼の名前を知っていた。
「……xx?」
「ん?どうした」
心臓が嫌な鳴り方をした。
俺は名前を覚えない。
だって意味が無いから。
翌日には全ての人の、名前も見た目も声も性格も、全部変わるから。
「xx」
「だからなんだって」
「お前の名前か?」
「そうだけど。熱でもあるのか?」
「ない」
「xx。無理すんなよ?」
「してない。学校行くぞ」
鏡はただの鏡に戻っていた。
時間は遅刻ギリギリだったけど、俺らは急がずに歩いていた。
「xxを迎えに行ったっていう、仕方ない理由があるから、俺は許される」
「それ理由にならねぇだろ」
「先生はそこまで気にしねぇよ」
「そうか?」
「俺、遅刻理由に猫がいたからって書いたことあるぜ」
「マジかよ……」
「言ったことなかったか?」
「驚きすぎて忘れてたよ」
背の高い彼は、俺と仲がいいようだった。
でも学校に行く時間はバラバラ。
遅刻常習犯らしい。
猫、ね。
虹色の猫を思い出す。
まぁ、あれではないだろ。
学校へ着いた。
遅刻理由は、夢見が悪かったから。
――――
「はよーっす」
「おはー」
「xx久しぶりじゃん。xx連れてきたんだ」
「俺は今日も休みたかった」
「そろそろ授業についていけ無くなるぜ?」
「元々そんなに聞いてない」
「それは俺もだわ」
自然とクラスの輪に入る。
見慣れたやつはいない、いつもの風景。
「ノート見るか?」
「あっ俺も見たい」
「xxは自分の見ろよ」
「俺のよりxxのが見やすい」
「お前らなぁ」
チャイムがなり、それぞれの席へ戻る。
変わったことはなかった。
予想通り、羽の生えたやつはいなかった。
彼女はいなかった。
外を見る。
空は青いし、グラウンドは乾いていた。
「xx」
次々と名前を呼ばれる。
「xx」
先生が俺の方を向く。
俺は返事をする。
頷いて、先生は次の名前を呼んだ。
――――
「xx。屋上で飯食わねー?」
「屋上?入れたっけ」
「あぁ。入れる」
xxは何聞いてるんだとでも言うように、目を瞬かせ、購買のパンをいくつか持ったまま歩き出した。
「xxの分もあるぞ。お前の親から俺の分もって多めに貰ったんだよ」
「そんな事してたのか」
「そそ。昼飯代浮いてラッキー」
階段を上ると、屋上のドアは空いていた。
フェンスが屋上全体を囲って、他にも数人散らばって駄べってたり飯を食ってるヤツらがいた。
……俺はここに来るのは初めてだった。
「何そんなキョロキョロしてるんだ?」
「別にしてない」
「あ。振られた彼女探してんだろ」
xxはニヤッと笑って、パンを食べだす。
「結局聞けてなかったな。どういうやつなんだよ」
「言う必要ある?」
「えー。俺に言わないとか、信用ねーのな?」
「……」
俺はxxのことを信用し始めていた。
どうせ明日には居なくなる。分かってる。
鏡の中の俺とxxを思い出す。
俺が気を許せていた。
俺が名前を知っていた。
「……xxのこと。信用してるよ」
「お?嬉しいこと言ってくれるじゃん」
xxは嬉しそうに俺を見る。
俺は今、どんな表情をしてる?
自然とxxにつられて笑っているのか?
引きつっているのか?
「お前は良い奴だよ」
「最初からそうだった」
「俺はずっと仲良くなりたかったから」
xxはそう笑う。
何故か頭によぎった光景があった。
「……お前って陸上部だったっけ?」
「ん?そうだけど、何お前も入る?」
「いや。入らない」
記憶にある陸上部のやつとは仲がそこまで良くなかった。
俺はxxと仲がいい。
記憶にある陸上部のやつは、死んでいたはず。
でも生きていた。
顔や見た目は毎日変わる。
性格は……似てる気がした。
「体育館倉庫の隣に、でかい蜘蛛いるよな」
「あぁ、あれな。そういえばxxがめっちゃビビってた」
「横に飛んだんだろ」
「そうそう。あれ?あの時お前一緒にいたか?」
「いたんだよ」
違う。お前から聞いたんだ。
xx。
お前は俺の目の前で死んだ。
俺とお前は別に仲良くなかった。
「蜘蛛、よく見たらキモイけど、でっかいのはなんかカッコよくね?」
「どっちも嫌だ」
「足とか蜘蛛の巣とか、細くて機能的な感じ」
「でかいと怖いだろ」
「そこがいいんだろー」
食べてる時にする話じゃねぇな。
「食欲失せたわ……」
「じゃあ俺貰うー」
「やらねぇよ」
「食欲あるじゃねぇの」
「お前にやるのが癪なだけだ」
無理やり口に詰め込んで、飲み込む。
そうだ。全部飲み下せ。
考えたって何も変わらない。
俺は狂ってる。
周りも狂ってる。
考えれば考えるほど、沼にハマるだけだった。
俺は学校に来ればいい。
俺に話しかけてくるやつと適当に話して、
適当に過ごして、
1日が過ぎるのを、ただ繰り返す。
それが1番、楽だ。
「元気になったか?」
「おかげさまで」
「良かった」
「礼は言わねぇぞ」
「良いんだよ。俺がやりたいからやっただけ」
そう言ってxxはニカッと笑った。
見た目が変わっても、こいつはまた居るんだろうか。
見た目は違うだろう。
俺と仲がいいかは分からない。
でも、明日もxxが居ると思ったら、少し息がしやすくなった気がした。
確認方法なんてない。
俺がそう思い込めば良かったんだ。
俺の目の前で死んだxx。
そうだ、首を絞めたんだ。
誰が?
俺が。
なんで?
知るかよ。今はxxは生きてる。
だからどうだっていいだろ。
「xxは彼女作らねぇの?」
「俺はしばらくはいいかな。部活と、お前がいればそれでいいや」
何かが満たされた気がした。
胸の奥が熱くなったけど、素直に言葉にするのは躊躇われた。
「……あ、そう」
「なんか冷たくね?xxも俺がいればいいだろー?」
「うっさい。そういうの、真正面から言えるお前がおかしいんだよ!」
「照れ屋か?そういうのは恥ずかしがったら負けなんだよ」
「勝ちとか負けとかじゃねぇだろ!」
「ははっ。俺の勝ちー」
楽しそうに笑うxx。
どうせ明日は別人。
でも今はそれで良かった。
――本当に?
――お前は、それで満足か?
あぁ。満足だよ。
俺は、これでいい。
だから明日も繰り返す。
――――
また死体。
通学路じゃない。
教室のど真ん中に首吊り死体だ。
ドアを開けて、まさかとは思った。
2度見、いや3度目でガン見した。
天井の電灯に紐が括り付けられている。
クラスの奴らは気づかない。
気づかない奴らがぶつかった衝撃に、死体はゆらゆらと揺れる。
首が、伸びていた。
少しずつ伸びている気もした。
「xxくん?どうかしたの?」
眼鏡をかけた大人しそうな女子だった。
「……上の電灯って割れたら落ちてくる?」
眼鏡の女子は不思議そうに電灯を見る。
「そうだと思うけど……」
死体は何度もぶつかられ、その度に電灯がギシギシと音を立てる。
……割れるだろあれ。
それとも何?割れたって気づかないやつか?
「地震とか?窓は割れるから近づくなって言うよね」
「まぁ、そうだな」
「電灯が割れるってあんまり聞いたことないから、大丈夫だよ」
眼鏡の女子はそう言って少し笑った。
「悪い。俺の考えすぎだな」
「ううん。xxくん面白いね」
「変わってるな」
「よく言われる」
少し照れたように俯く眼鏡の女子。
視界の端には首吊り死体。
死体にまた誰かがぶつかった。
揺れる死体。
首がまた伸びた。
ギシギシと音を立てていた電灯は、一瞬無音になり、
割れた。
ガラスが折れるような音と、少し重いものがドサッと落ちる音。
折れた電灯の破片が真下にいたクラスメイトと、死体に突き刺さる。
吹き出す赤と、床に染み出す黒い赤。
錆びた鉄のような、新鮮な臭いが鼻につく。
チャイムがなる。
「あっ、授業始まっちゃう。xxくん、またね」
「……あぁ」
眼鏡の女子は小さく手を振って自分の席へと戻った。
赤い席。
隣の席には溢れ出す赤。
足元には黒い赤の湖。
彼女は気にせずに座る。
彼女は赤に侵食された。
席に着く。
俺の席にも、赤が少し飛んでいた。
……まぁ、目の前をずっと首吊り死体がぶらついてるよりはマシか、と思った俺は、狂ってる。
知ってた。
眼鏡の女子が俺の方を振り向いた。
目が合うとはにかむように少しだけ笑った。
……あんな笑い方するやつだったか?
顔なんてそもそも今日初めて見るわけで。
いや、見たことがある。
どこでだ?
……死体だ。
彼女の死体を見たことがある。
通学路で倒れていた。
血が道中を満たし、陸上部のやつに踏み付けられた、あの死体。
……なんで俺顔なんて覚えてるんだ?
真っ赤に染まって見えてなかった。
でも、そうだとしか思えなかった。
彼女の見た目は、あの死体と同じだと、俺の脳が告げている。
……ホントかどうかなんて、信用ないけどな。
噎せ返るような血の匂いは、通学路の時と同じだった。
死体の血の色だけが違った。
首吊り死体の血の色は、薄汚れていて、綺麗じゃなかった。
「……そのためこの部分は代入され、ここがxとなります」
授業は数学だった。
視界が赤く染まる中、授業は淡々と進む。
ポニーテールをはした、若めの先生は少し可愛い。
眼鏡の彼女を見る。
好みじゃなかった。
……死んでた彼女はもう少し可愛かった気がした。
――――
「なぁxx。相談があるんだけどいい?」
チャラそうな男は、俺に向けて話しかけていた。
声のトーンは軽い。
「いいけど、なんで俺?」
「お前にしか話せないって言うか」
よく分かんね。
まぁ、どうなろうか別にいいか。
「……今日?」
「ダメか?」
「いや、いいけど」
チャラそうな男は少しホッとしたように息を吐く。
「聞かれたくない話ならウチくる?」
「え、いい?やっぱりxxに頼んでよかった」
「無意味に持ち上げんな」
「そーいうとこ真面目だな」
「はいはい。行くぞ」
今日の親は都合がいいのか悪いのか、家に居ない系の親だった。
「お邪魔しまーす」
「どーぞ。そこら辺適当に座れ」
「うぃっす」
チャラ男は鞄をそこら辺に置き、ダイニングの椅子に座った。
俺は適当に飲み物だけ入れてテーブルに置き、近くの椅子に座る。
「で?」
「うん?」
チャラ男は、ほんとに忘れてたかのように目を瞬かせる。
おいおい……。
「相談事だろ?」
「あー。うん」
チャラ男は少し迷うように口を開け、話し出す。
「音が……聞こえるんだ。
ずっとじゃない。ふとした時に、音が鳴ってる。
オルゴールの音のような、ノイズのような、レコード?みたいな音」
「へぇ……」
確かに気になるかもな。
まぁ、俺の異常に比べちゃ些細だが。
「xxも聞こえてるとか」
「そんな音は聞いた覚えがないな」
「そうか」
チャラ男は少し俯く。
声の抑揚は無かった。削ぎ落とされていた。
手をゆっくりと下ろすのが、やけに目に付いた。
「実は俺、相談なんかどうでもよかったんだよ」
「は?じゃあ何しに来たわけ」
チャラ男は俯いたまま、ゆっくりと顔を上げる。
「誰かと2人になれって、その音が言うんだ。鳴るんだ」
チャラ男は立ち上がり、フラフラと少しずつ近づいてくる。
俺は咄嗟に立ち上がり、目を向けたまま後ずさる。
「お前なら消えたっていいだろ?
俺は消えたくないんだよ」
「音が鳴るんだ。オルゴールのような、レコードのようなノイズが、2人になれ、そいつに触れろ、その場面をみられるな」
「そうすれば、生き続けられる」
その言葉を皮切りに、俺はドアに向かって、走る。
チャラ男は、無表情なのに声だけは笑みを感じさせる。
「何も困っちゃいない。だってお前は、逃げられない」
ドアは開かなかった。
なんで。このドアに鍵なんてない。
「xxは優しいな。仲良くない俺を家に招いた」
「消すなら誰にするか。何となくお前が浮かんだんだよ」
窓、叩き割るか。
どうせ明日には無かったことになる。
椅子を持ち上げて、ふりかぶる。
「はは。笑える。俺何してるんだろうな。男を追っかけてる。でも、悪くない気分だ」
「xxもきっとそうなる」
椅子は窓に跳ね返された。割れなかった。
チャラ男はフラフラと俺に手を伸ばす。
チャラ男の手が俺に触れた。
その瞬間から音が聞こえた。
オルゴールのような音。乾いたノイズ。レコードの継ぎ接ぎ音のような。
鳴り響く。
2人になれ。そいつに触れろ。その場面を見られるな。
鳴り響く。
消えたくないだろう?
増やせ。増殖しろ。我らは生命体。
頭の中が五月蝿い。
これは翌日も続くのか?
一瞬嫌気が刺したが、すぐに思考に飲み込まれた。
まぁ、翌日はいつも通りだった。
あの音、意外と悪くなかったな。
声がないならたまに聞いてもいいと思った。
――――――
雨が降っていた。
ザーザーと降る音が耳に馴染むように住み着く。
俺は教室の窓から、外を眺めていた。
雨は音をたてながらグラウンドの地面へと染み込んでいく。
授業は自習だった。
「雨やばくない」
「電車止まらないかな」
「どうせ止まるなら明日の朝にして」
「学校来れないじゃん」
「えっxxはそんなに学校来たいの!?」
「xxと会えないじゃん」
「xxがデレた。私も来る。電車止まっても来る」
「止まったら来ないで。危ないから」
今日も今日とて、知らない奴と知らない奴が会話をしているのを、耳で拾う。
「死ねばいいのに」
は?
俺の横にツリ目の女が立っていた。
制服じゃない。
……先生か?
先生がそんなこと言うか?
「全員死ねばいいのに。
雨で全て呑み込まれろ。
電車にはねとばされて、赤い血に沈めばいい」
ツリ目の女は、嘆くように、恨めしげに、
静かにとつとつと、呪詛を込めるように言葉を落とす。
「雨は嫌い。
全てが洗い流されるなんてバカげてる。
綺麗なものは流されて、醜いものはこびりつく。
どうせ流すなら皮膚ごと剥いで、全て赤に染めろ」
「赤い雨が降るといい。
赤い傘をさして、
赤い長靴を履いて、
赤いレインコートで踊ってやりたい」
ツリ目の女は明らかに俺に向いて話していた。
他のクラスメイトは気にしてない。
こんな会話、耳に入れば反応があるだろうに。
「……雨、止むといいっすね」
「うん。そう願ってる」
女はそう言うと、窓を開けて飛び降りた。
俺は咄嗟に下を覗き込んだが、落ちた音も赤黒いシミも、何も無かった。
雨が室内にには入り込む。
「xx。窓閉めろよ」
「なんで開けたんだ?」
「あ……。止まねぇかなって」
「止みそうにないよな」
「だな」
オレは窓を閉めた。
――――
羽が生えたクラスメイトがいた。
……ファンタジーだな。
いや、もう驚かないけどさ。
普通に馴染んでいた。
制服の背中には羽用に穴が空いていた。
へぇ……そうなんのか。
「なになに?xxはxxちゃんのことが気になるの?」
「気になるも何も……」
羽は時おりバサバサと動いたが、誰も気に停めない。
あぁ、羽は俺にしか見えてねぇのか。
「xxはxxちゃんみたいのが好みかぁ」
井戸端会議してそうな女子は俺の視線を追って、そう決めつけた。
「違うって言っても、もう意味なさそうだな」
「違うならそれ相応のネタが必要」
井戸端女はそう言ってニヤリと笑う。
「……羽が生えてるんだよ」
「へ?羽?誰に?xx?」
「そう」
「あぁ、xxちゃんが天使に見えると。ベタ惚れじゃん」
「違うんだけど、まぁそれでいいや」
どうせ今日だけだし。
実際羽が気になって、他はどうでもよかった。
彼女が笑うと羽も震えた。
彼女が落ち込むと羽も少ししんなりとした。
正直顔は並だったけど、行動についてくる羽だけで可愛い。
「ボールペンの芯がさ、出なくってさ」
「xxちゃん、さっき授業中分解してたよね」
「うわぁ、見られてた?恥ずかし」
「うん。バネが顔に当たったところもバッチリ」
「あれは!なんでそんなとこまで見てるの!」
彼女の羽がバサバサと動く。
周りの人らの髪が風で舞う。
誰も気にしない。
「おーい。xx聞こえてる?」
「聞こえてるよ」
「もう見てるの隠さなくなったね。告白しないの?」
「しない」
「なんで?」
俺は居なくなるから。
「……俺は」
羽の彼女がふとこっちを振り向いた。
白い翼。
柔らかそうな髪。
並の顔なのに、どこか惹き付けられる表情。
一緒に動く羽。
彼女は空を飛べるんだろうか。
彼女が俺に近づく。
「xxくん」
「……なに?」
井戸端女を見る。
ニヤニヤとこちらを伺うように、数歩後ろに下がっていた。
「さっきから見られてるなって」
指先をくるくると回し、視線をうろうろさせる。
合わせるように羽もゆらゆらと揺れた。
「……悪かったな」
「ううん!?別に悪いとかじゃなくて、その」
羽が舞う。
あぁ、照れてんのか。
今日の俺は、見た目の調子がいいんだろうか。
少し微笑んで彼女を見る。
あわよくば羽に触れてみたかった。
「良かったら、一緒に帰らない?」
「えっ、う、うん。帰る!」
「じゃあ放課後」
「分かった。待ってるね」
羽はパタパタと緩く揺れた。
触れてみたい。
柔らかいんだろうか。
井戸端女が近寄ってくる。
「私に感謝の言葉は?」
「……ジュース奢ってやるよ」
「まいどありー」
羽は触れられなかった。
まぁ、可愛かったからそれでも良かった。
明日は可愛い子いるかな。
――――
鏡を見る。
相変わらずの俺だ。
――お前は何がしたいんだ?
「何って何?」
――お前の中は取り留めがない。
「そんなものじゃない?」
――お前は狂ってる。
「知ってる」
――イカれてる。
「分かってる」
――何がしたいんだ?
「何も。したいことがあって生きてるわけじゃない」
――無意味だな。
「意味とか考えて、意味ある?」
俺は皮肉を言ったつもりだった。
鏡にも口の端だけ釣りあげた、歪な顔が映る。
――意味はある。
――お前にはなくても俺には。
「お前は俺じゃないの?」
――お前でもあるけど、お前じゃない。
「じゃあ何?」
――さぁな。
鏡の中の俺は、少し楽しそうに笑った。
俺は少しイラついた。
「消えろ。早く。どこかにいっちまえ」
――そんなので消えるような俺じゃねぇよ。
「何したら消えるんだ?俺はまだ朝の支度が終わってない」
この状態だと鏡が使えない。
――見た目気にする必要あんのか?
「……ある」
無いのかもしれない。
俺から見える見た目と、周りが見る俺の見た目は違っているから。
――無駄な努力だな。
――まぁ、足掻いてるのを見るのは楽しいからもっとやってくれ。
鏡を割りたくなった。
衝動的に、鏡を拳で軽く殴る。
鏡の中は、いつもの俺に戻っていた。
黒髪黒目、70点。
点数は上がりも下がりもしない。
そういえば寝癖がついていたことすらない気がした。
――――
「跪け」
膝を折る。
「頭を下げて」
地面へと向く。
「頭が高い。もっと。頭を地面に擦りつけて」
頭を踏み付けられ、顔が地面とぶつかる。
「みっともなく這いつくばって」
グリグリと上から踏みにじられる。
「そう、xxにはそれがお似合い」
俺を踏みつけながら、長髪の女は俺を嘲笑った。
今日の学校は、そういう学校なのか?
ヒエラルキーが成立しているとか。
俺は下の方。
「もうあの頃は戻らない。私がトップ」
「xxに負けたのなんて何かの間違い」
「これが正しい」
長髪の女は、どこかの三下のようなセリフを吐き続けている。
周りは俺と長髪の女から少し距離を取り、遠巻きに見ていた。
なんで俺はこんな奴に頭をふみつけられなきゃいけないのか。
頭の上の圧迫感は減らず、長髪の女の熱の入り具合に合わせて、頭が床に擦り付けられた。
あぁ、痛い。
イラつく。
長髪の女の靴が引っかかり、髪がブチッと数本抜けた感触がした。
でもそれとは別に、女に従うことで幸福感が注がれているような気分だった。
乾いた砂が水を吸収するように、満ちることは無い。
……女が俺を踏み付けるのを喜んでいるうちは、このままでいいかと、そう思えた。
長髪の女の言葉の遠くで、ヒソヒソとした会話が耳に聞こえる。
「xxさんずっと言ってたもんね」
「私の方がふさわしいだっけ」
「xx可哀想」
「じゃあ助ければ」
「それはちょっと」
「xxなんで反抗しないんだろうな」
「さぁ」
……反抗しても良かったのか。
でもまぁ、別にいい。
「ねぇxx。今どんな気持ち?」
「xxはしてくれなかった」
「命令がどんなに心地いいか分かる?」
「私は与えられなかった」
「答えて」
頭が一段と強く床に押し付けられる。
「……悪かった。お前は欲しかったんだな。これが」
「そう。勝者は敗者に与えるべき」
「これは、実際にされないとわかんねぇよ」
「口答えしないで。今は私が上なの」
「はいはい」
床に這いつくばったまま、頭を踏み付けられたままの会話。
なのに俺は、もっと酷くして欲しかった。
クラスメイトは遠巻きに見たまま。
女は、踏みつける場所を背中に変えた。
まぁ、いいけどさ。
「謝って」
「xxは私の事好きでしょ?」
「縋って」
「私がいないとダメになって」
女の靴が背骨を圧迫する。
肺が詰まるように息がし辛い。
なのにどこか恍惚とした気分になった。
「悪かった」
「好きだ」
「お前がいないとダメなんだ」
「もっと踏み躙ってくれ」
女は嬉しそうに笑った気配がした。
女の顔が見たくなった。
チャイムがなる。
そういう所は普通の学校だ。
女は俺から足を下ろした。
物足りなくなった感覚を感じて、俺は少しゾッとした。
これちゃんと明日には戻るんだろうな。
少しホコリを払ってから、席に着く。
女の顔を少しだけ目で追う。
相変わらず知らない人だった。
整った顔ではあった。美人系。
目が合った。
少しだけ水が注がれた気分だった。
もっと欲しかった。
――――
命令されるのは心地よかった。
「可愛いって言って」
「可愛い。そういうこと命令してくるのすごい可愛いと思う」
「一緒に帰ろ」
「あぁ。命令しないのか?」
「手繋いで」
「了解。可愛いな」
「他の女を見たでしょ。許さない」
「悪かった。どうすればいい?」
「目を潰そうか」
「……あぁ、分かった」
俺は自分で、自分の目に向かって、
指を沈める。
目に激痛が走る。
血が涙のようにこぼれ落ちる。
赤い血が地面に血溜まりを作った。
俺は目を押さえてうずくまる。
女が隣でしゃがみこむ気配がした。
「もう片方は?」
そうだな。潰さなきゃいけない。
俺の手がもう片方の目に伸びる。
それを女がとめた。
「私の事見えなくなるのは嫌だから、もう片方は許してあげる」
「でも、次は無いからね」
「あぁ。他の女は見ない。見えない」
「俺にはお前だけ」
「他の誰も目になんか入らない」
目の痛みしか感じられない程だった。
でも、それでも。
俺は女の命令を成し遂げたかった。
女は俺を見て満足そうに微笑む。
「やっぱり私がこっちの方がいいじゃない」
「そうだな」
「xxも幸せそう」
「あぁ。幸せだよ」
「……痛い?」
「とても。でも、気持ちいいんだ」
「それは、少し羨ましいかも」
今日はもう少しで終わる。
この感じたことの無い、快楽のような幸せはなんなんだろうか。
明日以降には、無いんだろうけど。
できるだけ覚えておきたかった。
痛みと、赤い血溜まりと、彼女の酔っているような、挑発的な笑い声。
翌日にはちゃんと両目あったし、俺は昨日の俺にドン引きした。
精神汚染、とか……?
昨日の俺はあの長髪女が好きだった。
その記憶が消えた訳じゃないけど、もし今日居たとしたら俺は逃げるぞ。
まぁ、居ないけどな。
いつも通り、全員別人だ。
――――
音楽室で、オルゴールがなっていた。
聞いたことのあるような、ないような、そんな音。
他には誰もいなかった。
箱型のオルゴールはなり続けている。
「なんでこんな所に?」
俺は引き寄せられるように近づく。
オルゴールは古いからか、たまにノイズのような音が混ざった。
それだけじゃない。
レコードのような……。
聞いたことあるなこれ。
以前脳内で響き続けていた、異様な音だ。
2人になれ、そいつに触れろ、その場面をみられるな。
だったか?
間近でオルゴールを見る。
脳内で響く音なんてない。
ただの少し変わった音が、オルゴールから鳴っているだけだった。
俺はオルゴールへと手を伸ばした時だった。
「勝手に触らないでよね!」
オルゴールはなり続ける。
でもその声は、オルゴールからしたように聞こえた。
「違うわ。私よ」
オルゴールから手のひらサイズの、妖精?
半透明の妖精が、オルゴールの周りを威嚇するように、飛んでいた。
「近づかないでよ。あなたは美味しくない」
「美味しい?」
「あなたはとても不味そう」
「食うのかよ」
「感情を食べるのよ。この音は増幅器」
オルゴールのような、レコードのような、ノイズの混じった音は、耳障りが良かった。
もっと聞いていたかった。
「違うのよ。もっと、こう。
美味しくなって欲しいの」
「どうすればいいの?」
「知らない。でも死にかけの人間がいちばん美味しそうだわ」
「このオルゴールは人を殺すってこと?」
「?これはただの私のベッド」
そう言って妖精は箱型のオルゴールの上に座った。
「美味しい人がたまに寄ってくるから、つまみ食いするの」
「ちなみに食べるってどうやって?」
「頭の中を直接食べるのよ」
「ぐろ……」
妖精が何かしたのか、オルゴールは徐々に透明になっていき、そのうち妖精もオルゴールも見えなくなった。
「移動くらいには使えるかしら」
脳内で響く声。
オルゴールのような、レコードのようなノイズ音が頭に響く。
あぁ、そういえばこんなだった。
「誰かと2人きりになって、触れればいいのか?」
「あら、知ってるの?美味しそうな人にしてね」
「死にそうなやつ?そんなのいねぇよ」
ふと、脳内に言葉が、映像のようなものが流れ込む。
ダメだ、今日も失敗した。
生きてる意味ってあるのかな。
なんで俺はうまくできないんだ。
私が悪いの。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
許されない。許さない。
あなたに価値なんてない。
変わりなんて掃いて捨てるほどいる。
お前なんかいらない。
俺には無理だ。
逃げたい。帰りたい。
このまま消えてなくなりたい。
それはひとつの情報じゃない。
雑多な感情の塊、煮こごりのようなものだった。
言葉や感情が脳内に永遠と流れ込み続ける。
顔が自然と歪む。
「止めろよ」
「こういうのよ。こういうのを作って」
「はぁ?嫌だよ」
「じゃあ、あなたを食べるわ」
「不味いんじゃなかったのか」
「……」
脳内の言葉や映像の流れが止まる。
オルゴールのような音がまた流れ始める。
「美味しい人がいい」
「あなたに任せるわ」
それっきり声は聞こえなくなった。
オルゴールのような、レコードのような音。
たまに混じるノイズ音。
俺には心地よかった。
――――
教室へともどる。
クラスはいつも通りざわざわと話し声が聞こえる。
俺にとっての知り合いは1人も居ない。
この中から死にそうなやつを探せって言われても。
人選ミスだろ。
脳内でオルゴールの音が鳴り響く。
他の奴らには聞こえていないようだった。
「次の授業なんだっけ」
「数学」
「xx次当たるんじゃなかった?」
「やべ、忘れてた。見せて」
「合ってるか知らねぇぞ?」
「サンキュ」
「xxちゃん、体調崩して保健室行ったんだって」
「私保健室行ったことないや」
「先生がちょっとカッコイイ」
「xx、あの系統好みなの?」
「優しそうでいいじゃん」
「なんか怖くない?何考えてるかわかんないじゃん」
「分かりやすいキャラ好きだよね。xxは」
保健室、ね。
2人にはなりやすいか。
「xxちゃん大丈夫かな?」
「どうせいつもの仮病でしょ」
「あれ仮病なの?」
「だってだいたい授業で当たりそうな時じゃない?」
「そう言われれば確かに?」
「見せてくれる友達居ないから、逃げてるんでしょ」
「言えてる」
俺は席を立つ。
周りを見渡すと、1人の男子と目が合った。
「俺、ダルいから保健室行くって、先生に言っといてくれない?」
「マジか。xx珍しいな」
「今xxもいるんじゃね?」
「風邪でも流行ってんのか」
「知らね。頼んだ」
「おー」
オルゴールのような、レコードのような音が鳴り響く。
歩くのに合わせて、音にはノイズが混じった。
保健室につく。
来たことは無かった。
ノックは必要なのか?
少し躊躇ったあと、小さくノックをする。
「はーい。どうぞー」
優しそうな男の声だった。
「クラスと名前、ここに書いてくれるかな」
……今日の俺の名前、なんだった?
ボールペンを持ったまま、動きを止めた俺を見て、保険医の先生は何を思ったのか、少し微笑んだ。
俺の手からボールペンを静かに抜き取る。
「今1人寝てる子がいるから、向こうの部屋で話そうか」
そう言って、保健室から繋がる隣の部屋へと、俺を促した。
ソファーとテーブルだけの小さな部屋だった。
俺と、優しいそうな男の保険医の先生、2人きり。
もう、こいつでいいんじゃねぇの?
オルゴールのような音はなり続ける。
妖精の声は聞こえなかった。
触れなきゃダメか。
保険医の先生は、俺を長ソファーに座るように促し、自分はその横にある小さめのソファーに座った。
テーブルにはお茶のグラスが置いてあった。
いつの間に。
「体調は大丈夫かい?
サボりに来たわけじゃなさそうだったから」
「大丈夫です」
「よかった」
保険医の男は自分のグラスのお茶を飲む。
グラスが傾き、お茶が男の喉へと流れ込み、喉仏が動く。
湿った唇を拭うように、上下の唇を少し内側に緩く収めた。
「そんなに見られると、照れるな」
「すみません」
「いいんだよ。なにか気になることでもあったかい?」
保険医の男は優しげな顔をして、俺を見る。
俺は、目線をずらす。
手のひらを机の上に置いた。
「手、触れてもらっていいですか?」
「手?いいよ」
保険医の男は、少しだけ驚くが、すぐに自分の手を合わせてきた。
脳内のオルゴールのような、レコードのような音は止まらなかった。
ダメってことか?
「いいえ。とっても美味しかった」
脳内で声が響く。
同時に保険医の男はゆっくりと床に倒れた。
「いつもならちゃんと残すんだけど、思わず全部食べちゃった」
「だって美味しかったもの。仕方ないわ」
「あなたやるわね。褒めてあげるわ」
保険医の先生は目を開いたまま、床に倒れ落ちていた。
俺は恐る恐る近づき、心臓辺りに手を置いた。
動いていた。生きてる。
「驚かすなよ。死んだかと思っただろ」
「どっちでも良くないかしら」
「良くねぇよ」
妖精は俺から出て、保険医の周りを飛ぶ。
「あぁ、美味しい人。もっとほしい」
「俺から出て、そいつにつけばよくね?」
「私が食べきっちゃったから、出来ないの」
保険医の中から、半透明の何かがゆっくりと姿を現す。
妖精じゃない。
もっと大きい何かだった。
「xx様」
「xx。良い貢物でした。これは貰っていくわね」
「是非!皆様でどうぞ!」
「ありがとう」
半透明の何かが、保険医を覆うように体積を増やす。
瞬きの間に、保険医ごと、姿を消した。
脳内ではオルゴールのような音が鳴り響き続ける。
「みんな喜んでくれるだろうな」
「保険医は死んだのか?」
「死んだらもう食べられないじゃない」
「……どこに行ったんだ?」
「私たちの国」
あっそ。
考えてもわからないやつだなこれ。
「結局お前は出ていかないのな」
「ちょうどいいのにしなかった、あなたが悪いわ」
「はいはい」
今なら寝ているやつに触れられるか。
俺は保健室に戻り、寝ていた女。
おそらく自分のクラスメートの女に触れた。
オルゴールのような、レコードのような、ノイズ混じりの音は消えた。
別にあの音は嫌いじゃなかったんだが、頼まれたしな。
はぁ。
今日はもう帰るか。
――――
俺はこの奇妙なできごとに対して、特に不満は無かった。
自分の名前が分からなくても、親の見た目が毎日変わっても、友人やクラスメイトとの距離感がいつも探り探りでも。
だって困らなかった。
死体が見えたって、虹色の猫がいたって、羽の生えたクラスメイトがいたって、誰にも見えてなきゃ、そんなものだ。
まぁ、嫌われたり、乗っ取られたり、鏡が使えないのはたまに困る。
それくらいだった。
……これはちょっと違うんじゃないですかね。
いつもの家とどこか違った。
だから少し身構えてはいた。
親はいつも通りの知らない人。
……あえて言うなら、今までの中でいちばん優しかった。
「おはよう。ご飯できてますよ」
「xx少し顔色悪くないか?」
「あら大変。大丈夫?具合悪い?」
「大丈夫。なんともない」
「そう?無理はいけませんよ」
「ご飯軽いものに変えたらどうだ?それは俺が食べるから」
「そうですね。お父さんもそう言ってますし」
「いや、食べるから。それでいいから」
「xxは優しい子ですね。そんな子に育ってくれて私嬉しい」
「お前に似たんだろ」
「あなたにもですよ」
ふわふわとした空気が漂っていた。
俺はこの空気に少し酔っていた。
……学校に行かなければならない。
ご飯を腹に入れて、外へ出る。
いつもの街並みじゃないのはすぐに分かった。
全部じゃない。少しづつ違う。
いつもの道に、違う店。
変わった信号機。なんだこれ。
上にもついてるのか?
空には、島が浮いていた。
羽の生えた人が、何人も空を飛んでいた。
羽。
前にもいたな。
同じようなことが続くのは珍しかった。
少し眺めていると、
1人、空から羽を持った女子が降りてきた。
「おはようxxくん」
俺の前に立って、嬉しそうに微笑んだ。
知り合いか。
相変わらず見た目に見覚えはない。
だけど、羽が生えたクラスメイトは、1人知っていた。
……まさか、ね。
「……前、俺と一緒に帰ったりした?」
どうせ違う。勘違いだったと笑えばいい。
「……?うん。xx君誘ってくれたよね。また今度一緒に学校行こうって、言ってくれたから」
照れたように彼女は羽をパタパタと揺らした。
……仕草があの彼女と同じだった。
いや、まだだ。
これくらいなら、たまに一致するだろ。
何か。
「……ボールペン、直ったか?」
「えっ、あの話聞いてたの?恥ずかし……
中のバネが飛んでっちゃって、そのまま行方不明なの。だから壊れたまま」
羽が少しバサバサと風を起こして、髪が風で巻きあがった。
少し呆然として、彼女を眺める。
見た目は違う。顔も体格も声も。
正直今日の方が可愛い。
……仕草が可愛いのは、一緒だった。
同じなんてこと、今まで無かった。
止めてくれ、何がしたいんだ。
希望を見せるな。
元に戻れなくなるだろ。
目を逸らした俺に、彼女は首を傾げる。
「……大丈夫?具合悪いの?
そういえば、少し顔色わるくないかな」
そう言って、少し戸惑ってから彼女は、俺の額へと手を伸ばす。
自分の額の温度と比べるように、でもよく分からなかったのか、悩むように首をまた傾げた。
「うーん?熱は無いかな」
白い羽が彼女の背中でゆらゆらと揺れている。
俺はおもむろに手を羽へと伸ばした。
――触れた。
柔らかい。ふわっとした、見た目通りの感触だった。
「ひゃっ。いきなりどうしたの?」
羽がビクッと揺れ、バサッと縮こまる。
彼女の顔が赤かった。
羽に触ると照れるのか。知らなかった。
「悪い。ダメだったか?」
「ううん。xx君ならいいよ」
そういって、彼女はおずおずと羽を伸ばした。
俺は手を伸ばす。
あの日、ずっと触りたかったんだ。
ふわふわとした羽を、優しく触れるように撫でる。
俺は、明日どうなるんだろうか。
彼女はうっとりとした顔で目を閉じた。
またよく分からない日々に逆戻りか?
羽の骨格をつつっと撫でる。
……俺が知らないやつばかりの世界。
彼女は少し顔を赤くして俯いた。
俺はこいつを知っている。
羽の根元、背中ごと抱き寄せる。
俺はこの反応を知っている。
彼女は俺にもたれかかるように体重を預ける。
俺は、少しだけすがるように、彼女の肩に額を乗せた。
次の日が嫌だ。
初めてそう思った。
彼女は俺の背中に手を回し、ゆっくりと撫でた。
「大丈夫。私はここにいるよ」
「……俺のこと知らないくせに」
「うん。だからもっと教えて欲しいな」
「明日になったら消えるくせに」
「消えないよ。大丈夫。私が繋いであげる」
甘い蜜が目の前にゆっくりと流れていくような気分だった。
大丈夫。まだ朝だ。
今回だけ、楽しめばいい。
いい思い出にして、また、戻れる。
彼女を抱きしめる力が自然と強まる。
「……好きだ」
「うん。私も好き」
「離れないでくれ」
「わかったよ。今日は一緒にいようか」
彼女の羽がゆっくりと俺の背中にも回る。
彼女の手と羽、どちらにも包まれる。
少しだけ安心するように息ができた。
……学校は、行かなくてもいいか。
「学校サボっちゃおう。浮島にでも行く?xx君行きたがってたよね?」
「俺そんなこと言った?」
「うん。飛びたいって言ってたから。
どうせなら私の家おいでよ」
彼女はそう言って微笑んだ。
飛びたい、確かにそう思った。
前は口に出さなかった。
俺の知ってる彼女とは少し違うのかもしれない。
それでも良かった。
「行く。つれてって」
「うん。そのまま、私に手を回しておいてね」
羽が強く羽ばたく。
ぶわっとした浮遊感と共に、上へと浮き上がる。
高度がどんどん上がり、地面が遠のいた。
「怖くない?」
「あぁ」
怖くなかった。
手を離せば落ちるかもしれない。
そんなことより、今の体験を、心に焼き付けたかった。
彼女の羽が羽ばたくたびに、風と一体化するような心地だった。
俺はきっと、空を飛びたかったんだ。
夢が叶ったような心地だった。
浮いている島へと近づく。
「良かった。xx君入れそうだね」
「入れる?」
「この島は、優しい人じゃないと入れないの。
大丈夫だとは思ってたよ」
「優しい人だけ」
「そう。だって優しい人しか、いらないから」
彼女は微笑む。
ゆっくりと浮いている島へと降り立った。
地面に足が着いて、彼女の手も名残惜しげに離れた。
俺も少しづつ手放す。
浮島は羽が生えている人が住む前提の作りをしていた。
乗り物が通る道路は全くない。
家と家が点在していて、間の道はそもそも繋がって居なさそうだった。
「ここ、私の家なの」
彼女は、降り立った場所のすぐ横の家へと歩く。
迷わずドアを開けた。
「おかあさーん。xx君入れてもいーい?」
「xx学校はどうしたの?」
「ちょっとxxくん体調悪そうだったから、休んで欲しかったの」
「そうなの。xx君大丈夫?ゆっくりしていってね」
「はい……。ありがとう、ございます」
彼女の母親は少し顔を見せた後、ゆっくりと羽を揺らすように、部屋に戻っていった。
「俺のこと、母親知ってたのか」
「うん。学校のこと色々話すから」
「俺の事はなんて言ったの?」
「……私に優しい人」
羽が少し縮こまる。照れてるのか。
「優しい人ってさっきも言ってたな」
「優しいのはいい事だよ」
「そんなに言うほどか?」
「言うほどだよ!」
羽がバサッと音を立てる。
「……俺、優しいか?」
「うん。羽が感じるの。xx君は優しい」
「羽が?」
白い、ふわふわした羽。
「この国にいる人はみんな優しいの」
違和感。
彼女は微笑むだけ。
「優しくないやつだっているだろ」
「いらないの」
「xx君は、優しいよね?」
「私はわかるの」
「羽が生えてる人はみんなわかる」
「この国には優しい人しかいない」
「ね?」
彼女は微笑む。
やっぱり今日も結局おかしいんじゃねぇか。
いや、その方がいい。
俺は羽に手を伸ばす。
「優しくなくなったらどうなるんだ?」
「……」
彼女は無表情に俺を見つめる。
羽に触れる。
骨格を撫でる。
柔らかい羽と、少し硬い羽を支える骨。
……力を加えれば、折れそうだった。
「あなたは、だあれ?」
「……」
俺は動きを止めた。
やっぱり違うんじゃねぇか。
記憶が繋がってたと思ったのだって錯覚だ。
似たようなことがたまたま重なっただけだ。
手を緩く離す。
分かった。ならもういい。
それでも名残惜しげに指先がゆっくりと離れる。
「……家に、返してくれ。学校に行く」
彼女は微笑む。
「うん。xx君、学校好きだもんね」
好きなわけじゃない。
あそこだけが、俺の変わらない場所だからだ。
たとえ羽が生えたやつがいようと、
死体がぶらさがっていようと、
知らない奴しか居なくても。
俺はあの場所に居ていいんだ。
ここは多分、許されない。
彼女は立ち上がって、ドアへと歩いた。
俺も着いていく。
外を見る。
浮いている島の下、地上を見下ろす。
……一面の赤色だった。
「綺麗だね」
彼女はうっとりと、そう声に出した。
これが?
まるで、海が赤色に変わったようだった。
建物の見る影もない。
ただただ血の色が、鉄の臭いが微かにただよう。
地上まで相当離れているのに。
「なにを、したんだ?」
「何もしてないよ?」
「そんなわけないだろ!」
俺は声をはりあげた。
家も、学校もなかった。
赤に呑み込まれた。
俺の帰る場所が無くなった。
「要らないんだよ」
「そう判断されたの」
「赤色って綺麗だね。優しい色」
そう言って、彼女の白い羽はゆらりと羽ばたいた。
「……」
そうだ。
脳裏によぎった。
一面の赤色を見て、最初に思ったこと。
思い出したこと。
生きてるやつより、死んでるやつの方が綺麗だ。
赤色は装飾だ。
噴き出す血は明らかに体内の量より多い。
地上にいたやつが全員死んだら、海にも匹敵するんだろう。
彼女は赤色の海を見たままだった。
俺は彼女が好きだった。
どれだけおかしくても、変でも。
彼女は赤色が好きなんだろ。
俺の手には何故か、
鋭利なナイフが握られていた。
好きな色になりたいよな。
これは優しさだ。
「xx君は優しいね」
彼女は微笑んだ。
あぁ。俺は優しい。
彼女に近づく。
ナイフを持っていない方の手で、右の羽に触れる。
彼女は照れたように顔を俯かせた。
羽はむしろ俺に寄り添った。
骨格に触れる。
少しづつ力を込める。
彼女は何故か、興奮したかのように、息を弾ませた。
折れる。
右の羽がガクッと根元から垂れた。
俺はそのまま近づき、羽の根元にナイフをあてた。
羽はじわじわと赤色に染る。
直に赤色は噴き出す。
赤色に染った羽を、俺は切り落とした。
彼女の背中から赤が溢れる。
左の白い羽と対の、赤色の羽のようにも見えた。
彼女は崩れ落ちた。
「俺は優しいのか?」
「優しいよ。私も赤色になれたんだから」
「狂ってる」
「ううん。優しいだけ」
彼女は痛みに耐えるように顔を歪ませる。
血は溢れ続ける。
このまま死ぬんだろうか。
俺は落ちた赤色の羽を拾う。
血で塗れた羽はぐちゃりとして、重かった。
「xx君にあげる。大切にしてね?」
「大切にって言ったって」
帰る場所は、もうない。
「あるよ」
彼女はそう言って、唐突に俺を突き飛ばした。
その先に地面はなかった。
赤色の羽を抱きしめるようにして、
俺は赤に沈んだ。
翌日目覚めた時には、当然のように、抱きしめていたはずの赤色の羽はなかったし、街並みは赤に沈んでもいない。
いつもの家、いつもの街だった。
――――
通学路を歩いていると、後ろから駆け寄る音。
少しして背中に人が軽くぶつかる衝撃。
「一緒に行こ!」
そう言って金髪……いや上の方は伸びてきていて黒いからプリン頭だ。
プリン頭の女子は俺に笑った。
校則とかないのか?
よく見ればピアスも空いてそうだった。
「別にいいけど」
そういう前から、プリン頭の女子は隣に並んで歩き出していた。
「聞く必要あったか?」
「様式美ってやつ!」
「それ意味わかって言ってる?」
「いつも同じなのがいい的な?」
「いや、俺も知らねぇけど」
プリン頭の女はクスクスと笑う。
距離は近い。
手は、歩く度に少しだけ掠るように触れた。
繋ぐか?
でも最近、女周りでろくな事ないんだよな。
死んだり死んでたり、
突き落としてきたり、目を抉らせてきたり。
そう思ってるうちに、プリン頭の方から少しだけ指を絡ませてきた。
されたならするだろ。
俺も指を絡ませる。
プリン頭の女は、俺を見て嬉しそうに笑った。
可愛い。
もうどうにでもなれ。
どうせ俺に選択肢は無い。
「xxは今日、部活?」
「どうだったかな」
「サボろうよ。駅前の店行きたいんだ」
「まぁ、行くよ」
「やった!約束だからね!」
繋いでいた手を自然と小指だけをからませた形にして、約束の手順を取る。
「指は切らないけどね」
そう言ってまた他の指も絡ませ、繋ぎ直す。
「あの歌グロいよな」
「遊女の話だよね。なんで指なんだろう」
「さぁ。針飲むのも相当だけどな」
「xxが約束破ったら、私何しよっかなー」
「えっ、怖いんだけど」
「ふふん。内緒にしておこ。約束破っちゃダメだよ?」
そう言ってプリン頭は俺の手ごと、腕を機嫌よく揺らした。
多分俺はプリン頭と付き合ってるんだろうな。
俺は手を伸ばし、プリン頭の黒い部分を押した。
「何するのー」
「いや、伸びてるなって」
「染めるのめんどくさーい」
「いいんじゃね?」
俺はそのままプリン頭を撫でる。
このまま今日1日終わんねぇかな。
放課後は約束通り、駅前の店で甘ったるいケーキを食べた。
そうだよ。こういう1日でいいんだよ。
最近はおかしかった。
「xxどうしたの?」
「いや、なんでもない」
「変なxx」
俺はこのプリン頭の女子の名前が最後まで分からなかった。
まぁ、今日だけだし。
「なぁ、この後はどうする?」
「どうしようか?」
俺は手を引いて歩き出す。
さぁ、どうやって殺そうか。
家のドアを閉めて鍵をかける。
繋いだ手を引いて、彼女を抱き寄せた。
赤らめた顔をした彼女の指を、強く握る。
顔を近づける。
彼女の顔が少し苦痛に歪む。
「ちょっと痛い、かも」
指を外そうとする彼女に、俺は笑う。
「大丈夫だって。切り落とすわけじゃない」
そのまま彼女を抑え込む。
指が折れる感触と、彼女の悲鳴を呑み込む。
大丈夫。これくらいは楽しまなきゃな。
どうせ明日には無かったことになる。
――――
猫が鳴いた。
目を向けると、塀の上にいつぞやの虹色の猫。
……同じやつか?
――撫でさせてあげるわ。
虹色の猫は俺をじっと見つめる。
俺は手を伸ばす。
どうせ触れないんだろ?
触れた。
――そこじゃない!
虹色の猫は怒ったように俺に爪を向けた。
手からは真っ直ぐ伸びた赤色の線。
遅れてヒリついた痛みが思考を乱す。
「お前が触れって言ったんだろ」
――違うものは違うのよ。
――もっと優しく撫でるのよ。私は偉いのよ。
「分かんねぇよ」
――あなたはいらないわ。
――さっさとどこかに行きなさい。
虹色の猫は毛を逆立てて、俺を威嚇する。
「……お前がしろって言ったのに」
手からは血が滴り落ちた。
自分から出たのは久しぶりに見た気がした。
俺も赤いんだ。
そのことに何故か安心した。
――そうだといいな。
虹色の猫を咄嗟に見る。
もう居なかった。
――お前は誰かと一緒にはなれない。
――分かってるだろ。
自分の手を見つめる。
血の色がじわじわと変わっていく。
赤色が、紫色、青色、緑と変わって、地面に落ちていく。
血溜まりは白色。
――そんなもんだよ。
俺は傷を洗い流すために、家へと走った。
――――
「微睡みの中に居続けるのは、幸せかい?」
言っていることがよく分からなかった。
椅子に座った戯は、俺のことをただじっと見つめた。
「朧。君は見たいものだけを見て、知りたいことだけを知って生きている」
「それの何が悪いの?」
「悪くなんてない。それが出来る朧が、僕は羨ましいよ」
戯はそう言って、俺に柔らかく微笑む。
背中には羽。
戯の白かった羽は、今はもう黒く堕ちていた。
「その羽って飛べるの?」
「羽?あぁ、飛べるよ。変なこと気にするんだね」
「俺は飛べないの?」
「朧には羽がないからね」
戯は黒い羽を少しだけ広げて見せた。
「ごめんね。羽をあげられなくて」
「どうして戯が謝るの?」
「あげられる可能性があるとしたら僕だけだからかな」
「どういうこと?」
俺も飛べる?
期待した俺の顔に、戯は可哀想な目を向ける。
「飛べるといいね。君がそう思えばきっと、なんでも叶うよ」
「飛べないんだ」
「朧はなんでそんなに飛びたいんだい?」
なんでだろう。
空は別に好きじゃない。
青色より赤色が好きだった。
みんな飛んでるから?
羽が生えてない人らはみんな飛んでない。
俺は羽がない。
「わかんない」
「それでいいよ」
戯は優しく微笑みかける。
戯には、優しさ以外の感情が無かった。
食べられてしまったのだと、そう言っていた。
「戯は怒らないの?」
「急にどうしたの。怒らせるようなことでもしたのかい?」
「怒って欲しい」
「うーん。難しいことを言うね」
「難しいの?」
「俺の感情は、彼女に捧げたんだよ」
戯はそう言っていつもとは少し違う顔で笑った。
悲嘆にも見えたし、妖艶にも見えた。
「好きだったの?」
「今でも好きだよ。俺の全て」
「だから、朧には幸せに過ごして欲しいんだ」
そう言って戯は、ゆっくりと足を組みかえる。
「朧に現実は似合わない」
「好きなところで、好きに暮らすといい」
「この国を離れなさい」
「この国は、朧には優しすぎるから」
「想いを反芻するといい」
「その先に何も無くても、それが君の幸せだ」
戯が真面目な顔をしていたのを覚えている。
俺は良く分からなかった。
「……優しくしちゃいけないの?」
「したいことをすればいい」
「瑠はしちゃダメだって」
「瑠はもう居ないだろう?」
「……うん」
俺は一緒になった。
瑠の考えは俺の考え。
優しくはもうしない。
でも、求められたことならしてもいいよね。
「俺、どこに行けばいいの?」
「うん。僕が全部整えてあげるから、朧はそのままでいいよ」
「俺のままでいい」
「そう。朧は朧のまま」
「見たいものだけを見て、知りたいことだけを知って、いらないものは捨てて、欲しいものは手に入れればいい」
「簡単だろ?」
「ううん。難しい」
戯は楽しそうに笑った。
黒い羽が戯の体に合わせて揺れる。
羽が数枚抜け落ちて、地面に落ちて、溶けるように消えた。
「朧は、俺の言う通りに生きればいいんだよ」
「微睡みを享受しなさい」
「それは命令?」
「そうだね。そう取ってもいいよ」
俺は向かう場所が少しだけ楽しみになった。
俺は、やりたいことをやってもいいのかもしれない。
戯は微笑ましげに、俺を見つめた。
優しくはしない。
求められたらしてもいい。
優しくないことなら、してもいい。
あってるよね?瑠。
――合ってるよ。
――お前はお前らしく生きればいい。
そう、声が聞こえた気がした。
――――
転校してきたそいつは、見た目だけは整っていた。
白髪に白目。
常に薄く微笑んでいる表情。
「よろしくお願いします」
「席はxxの隣だから、色々教えてやってくれ」
俺は先生の言葉に目線だけを返す。
俺が教えなくたって、他に教えたいやつが教えるだろ。
白髪に白目のそいつは歩いてきて、俺に向けて少し笑った。
「俺、君のこと嫌いじゃないよ」
俺にしか聞こえないくらいの小声だった。
俺は睨むように見返す。
そいつは楽しそうに微笑んでるだけだった。
ぜってぇ、面倒なんて見ない。
教科書なくても、一人で狼狽えてろ。
見た目がいい転校生。
「どこから来たの?」
「さぁ、覚えてない」
「記憶喪失とか?」
「そうかもね」
「えっ、何も覚えてないってやつ?」
「……そうだね」
そいつは何一つ、自分のことは話さなかった。
「趣味は?」
「うーん。分からない」
「好きな食べ物とかはわかる?」
「気にしたことないや」
「いつも何してるの?」
「……」
そいつは困ったように、俺を見た。
はぁ?なんで俺。
周りの奴らも、そいつの視線を追って俺を見る。
知らねぇよ。
なんで俺が何か言う感じになってんだよ。
「どうでもいいだろ。適当に言えよ。俺に聞くな」
「適当に?」
「お前と話したいだけだろ。正直に答えんな」
「xx君つめたーい」
「私たちそんなつもりじゃないのに」
「うるせぇ。こいつの見た目が下の下だったら話しかけないだろうが」
「それは……」
一瞬の沈黙の後、つぶやきが聞こえる。
「みんなのこと教えて欲しいな」
そいつはそう言って微笑んだ。
そこからは今までのような違和感はほとんど無くなった。
相変わらず自分のことは話していなかったが、時折質問を挟んだ。
「数学の先生は並び順に当てていくから、しばらくは大丈夫」
「英語の先生当ててきそうじゃない?」
「確かに」
「どんな人?」
「新しいもの好き。転校生とか絶対食いつく」
「転校生、英語話せんの?」
「どうだろう?みんなは得意?」
「私ダメダメだわ」
「私も微妙……そういえばxx、1位取ってなかった?」
俺に振るな。
席を立つ。
そいつは俺を見て、また微笑んだ。
なんなんだよ。
無性にイライラした。
机を蹴り上げたくなるのを押し止めて教室を出る。
「xxご機嫌ななめ?」
「あいつたまに機嫌悪いよな」
「あれで成績いいのまじ理解不能」
「家では猛勉強してるとか?」
「ウケる」
ドアを閉める前に少しだけ振り返る。
白髪に白目のそいつは、まだ俺のことを見ていた。
ドアを閉めた。
次の日もそいつはいた。
いや、確証は無い。
「お前、俺を覚えてるのか?」
「さぁ」
「適当言うなよ」
「難しいな。適当言えって言ったり言うなって言ったり」
「覚えてないなら覚えてないって言え」
「どっちでもない」
「は?」
「今日知っている人は誰もいない。でも全部覚えてる」
「意味わかんねぇな」
「ごめんね。そういうものだから」
白髪白目のそいつは微笑む。
やってられるか。
それでも俺は、明日もこいつに話しかける気がした。
俺が初めて、認識出来る人だった。
――――
教室の自分の席に座って、頬杖をつく。
今日は誰にも話しかけられなかった。
「嫌い嫌い嫌い嫌い」
「消えて消えて消えて消えて」
「全て落ちろ。地に落ちろ」
「壊せ、崩せ、醜く腐りはてろ」
そういや、ずっと居たなこいつ。
隣では、ずっと呪詛のような言葉を呟いている人影があった。
なんなんだろうなこいつ。
顔は見えない。
俺が見ていても見ていなくても、ただただ言葉を吐き出しているだけだ。
「嫌だ嫌だ嫌嫌嫌」
「去れ。消えろ。居なくなれ。全ての前から」
「なんでお前がそこにいる」
「そこは私の場所だ」
……少し変わってきた。
言葉に近くなった。
横目で見ると、人影から輪郭が出来、少し人に近づいた気もした。
「何にイラついてるの?」
「あなたは私だけのもの」
「理想は私だけのもの」
「私だけのものなら私以外には見えない」
「私だけのものにするなら私のモノ」
「私だけのものにはならない」
「嫉妬?誰か好きな人でもいるの?」
「好きな人」
「好きじゃない」
「そんな言葉でまとめないで」
人影は完全に人になった。
腰まで伸びた黒い髪。
整った顔。
泣きそうな表情で俯いて、唇を噛み締めていた。
「じゃあなんなの?」
「私の全て」
「でも嫌いなの?」
「そう。私のものにならないから」
「そんなものじゃない?」
「消えろ」
そう言って俺に手が伸びた。
俺は咄嗟に席を立つ。
さっきまで人影だった女も、ふらりと立ち上がった。
「消えろ消えろ消えろ消えろ」
「あの人以外はいらない」
「壊れろ。壊れてしまえ。なんでお前が」
「嫌だ嫌だ嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌」
「考えるな、壊せ。理想以外はいらない」
女は呟きながら、俺へと詰め寄る。
クラスの奴らは気にもとめない。
俺は逃げるように教室から駆け出る。
後ろは見ずに、ただ走る。
自然と足が向かっていた。
保健室。
ノックもせずにドアを開ける。
保険医の先生は、ゆっくりと俺に振り向いた。
「やぁ、待ってたよ」
俺に微笑む。
後ろには女。
俺は溶けるように、地面へと崩れていく。
「ダメじゃないか。xxに手を出すなって言っただろ」
「だってxxが特別扱いしてるから」
「相変わらず可愛いね」
「私だけを見て」
「あぁ。見てるよ。君は僕の全てだ」
「そう。ならいいの」
人影だった女は、保険医の先生の傍らで柔らかく笑った。
保険医の先生は俺を見る。
可哀想なものを見る目だった。
俺は溶けて消える。
今日はここで終わりか。
――――
通学路。
ふらふらと妖精が飛んでいた。
興味が湧いて、手を伸ばして半透明の羽根を掴んだ。
「うわ。何するんだ。離せ!」
触れるんだ。
バタバタともがく妖精を見て、指を離してやる。
「今日はオルゴール持ってないの?」
「オルゴール?xxか」
「名前は知らないけど」
「ツンケンしたやつだよ」
「ふぅん。そもそも妖精に区別あるんだ」
「あるに決まってるだろ。お前バカだろ」
目の前の妖精は、俺をバカにしたように鼻で笑ったあと、ふらっと近寄る。
「腹空いてんだよ。お前でいいか」
そう言って、俺の中にスっと消えた。
と思ったら直ぐに出てきた。
「お前ハーフかよ……先に言えよ」
くたっと疲れたように飛ぶ妖精に、俺は思わず手を差し出すと、妖精は手に降り立った。
「ハーフ?」
「同族は不味いんだよ。あーくそ不味い……」
妖精は舌打ちした後、もがくように半透明の体をじたばたさせた。
「俺ハーフなんだ?」
「はぁー?知らねぇとか有り得る?」
「知らないものは知らない」
「真綿にでも包まれて育ったか?妖精が混じってまともなわけねぇだろ」
妖精は苦しそうな表情のまま、嘲るように笑う。
「真綿じゃないけど、羽はみんな生えてたよ」
「お前羽族とのハーフか。へぇ……」
妖精は俺を興味深げにジロジロと見る。
羽根をちぎりたくなった。
――優しくしてはいけない。
これは優しさじゃないからいいよね。
手を伸ばす。
「ダメだよ、朧」
黒い羽。
「戯。なんでここに?」
「俺が朧を1人にするわけないだろう」
「そっか」
手のひらの妖精はいつの間にか消えていた。
「俺って妖精とのハーフなの?」
戯はその言葉に。嬉しそうに微笑んだ。
黒い羽が揺れる。
肯定も否定もしなかった。
「帰ろうか」
「どこに?」
「どこへでも。朧が帰りたい場所に」
「あの妖精にまた、会えるかな」
戯は立ち止まる。
「会いたいかい?」
「ううん。別に」
「そうか」
戯は微笑む。
黒い羽が風に揺れた。
「忘れなさい」
「なんで?」
「その方が朧は過ごしやすいだろう」
「その方が戯は嬉しいの?」
「あぁ。朧が幸せなら嬉しいさ」
「じゃあ忘れる」
戯は先導するように歩き出す。
俺もそれについて行くように歩き出す。
俺は口を開く。
「忘れた方が、また楽しめるね?」
戯は、可哀想な子を見るような目で、俺を見た。
「あぁ、そうだね」
「分かった」
俺は少しスッキリした。
色々考える必要が無くなった。
みんなが優しくする意味も、
優しくしちゃいけない理由も、しなきゃ行けない理由も、俺がみんなと違う理由も、一緒にならなきゃ行けない理由も、忘れちゃえ。
俺は足取りを軽くして歩く。
戯は俺の速度に揃えるように歩いた。
「知りたくないことは知らなくていい」
「覚えたくないことは忘れなさい」
「でも」
「でも?」
「その時の感情は大事にしなさい」
「感情?」
「あぁ」
「瑠やランが死んだ時、なにか感じただろう?」
「……」
俺は考える。瑠、ラン。
誰だっけ?
「……覚えてない」
「そういう所は俺に似たかな」
戯は少しだけ機嫌良さそうに笑った。
黒い羽が揺れる。
「戯は?」
「僕はそれをどこかで見てるよ」
「楽しいの?」
「あぁ、とても」
戯の黒い羽が少し開いた。
そのまま黒い羽は広がり、羽は閉じるように戯を覆い尽くした。
黒い羽は広がり、ハラハラと地に落ちて、溶けるように消えた。
黒い羽はとても綺麗だった。
――――
「おい。xxどうした?ぼーっとして」
「xxはいつもじゃね?」
「そうか?いつもはもっとこう」
「大丈夫?」
目の前で3人が話しかけてきていた。
あぁ、今から遊びに行くんだったか。
「なんでもねぇよ」
「ほら。xxは気にしすぎだっての」
「えーなんか違う気がしたんだけどなぁ」
「気になるものでもあったとか?」
気になるもの。
鏡があった。
店のショーウィンドウが反射していて、それも鏡のように見えた。
黒髪黒目の70点の俺が映っていた。
それだけ。
「xx見た目綺麗だよな。最初俺は天使だと思ったぜ」
「うわっ。男に向かって天使とか」
「えっ思わなかったか?」
「全く」
俺は何故か心臓が痛むように鳴り出すのを感じた。
「黒髪黒目の天使なんて居ないだろ」
「それもそうだな」
――お前は白髪白目だろ?
鏡の中のxxはそう反論した。
目の前のxxは不思議そうに、前を向いて歩き出した。
「黒い天使なら堕天使?」
「そもそも羽も輪っかもないだろ」
「輪っか……光輪だったっけ?」
「知らね」
「そんなに厨二じゃなくてさぁ、ほんとにふわっとしたやつだよ」
俺らは歩き続ける。
鏡は過ぎ去り、見えなくなった。
「俺は人だよ」
「xx拗ねちゃった」
「悪い悪い。変な意味じゃないんだって」
「黒い翼を持つ堕天使。かっけぇ」
「コスプレでもしてみる?」
「やらねぇよ」
――見たいものだけ見ろ。
――知りたくないものは忘れなさい。
「そういえば今日何すんだっけ?」
「まず宿題片付けようぜ」
「えー後からでいいじゃん」
「xxそれだと写すじゃん」
「xxは何したい?」
「俺は」
3人が俺を見る。
――感情は大切にしなさい。
――忘れてももう一度。何度でも。
「俺は、お前らがいるなら、なんでもいいよ」
「xxそういうことサラッと言うよな」
「まぁ、この4人でいると楽しいよね」
「xxのウザ絡み込か?」
「あぁ?俺がウザイって?」
「そこまで言ってない」
――微睡み。
俺はこれ以上を望まない。
だから。
明日も明後日も。
俺は毎日違う名前で、毎日違う人にしか見えない人達と、いつもの日常をすごし続ける。
目の端に移った姿見。
向こうでは、赤い海に、白髪白目の俺が佇んでいた。
楽しそうに、笑っていた。
――楽しいことだけすればいいよね。
白髪白目の腕には、赤い羽根が大事そうに抱え込まれていた。
俺がはぎ取った、赤い羽。
無くしたと思ってた。
お前が持ってるならいいか。
――うん。俺のだからね。
「お前のじゃねぇよ」
「xx?」
「何か言ったか?」
「気のせいだろ。何も言ってねぇよ」
「やっぱり、今日おかしくね?」
俺は止まりかけたxxの、背中を押して、歩き出す。
どうせ、明日には全てなくなってる。
今だけ楽しけりゃそれでいい。
そうだろ?
――うん。楽しいね?
そうだな。
――きっとxxも喜んでる。
そうだといいな。xxなんて知らねぇけど。
目の前を歩くxxの首が目に入った。
俺はその首へと手を伸ばす。
まぁ、どうせ明日にはいつも通りだ。




