好きな人ができたからと婚約を破棄された令嬢は元婚約者に助けを求められるから一度だけ助けてあげながらも爪を研ぐ〜優柔不断普段なあなたにはうんざりなので勝手に自滅しておいてくださいな〜
こうなると予測してなかったのが悪いのだろうか。
「婚約破棄?ありえない!」
夕焼け空の下。エメラルド色の瞳を大きく見開いて、ミュアリスは叫んだ。
目の前に立つのは、婚約者であるはずの、第二王子オーリー。金色の髪とどこか冷たい紫の瞳が今はミュアリスを射抜いている。
「ミュアリス嬢。申し訳ないが、君との婚約は解消させてもらう」
オーリーの言葉は氷のように冷たい。自分が今、乙女ゲームの悪役令嬢みたいな状況に陥っていることに気づいた。前世の記憶が蘇ったのだ。
確かこのゲーム、主人公の平民の女の子が、王子様と結ばれるんじゃなかったっけ?
ってことは、邪魔者ってこと?
「ちょ、ちょっと待ってよ!理由くらい教えてくれるよね?」
ミュアリスは必死に食い下がる。だって、いきなり婚約破棄なんて納得できるわけがない。貴族令嬢としてそれなりに努力してきたつもりだし。
「理由は簡単だ。私には心惹かれる女性がいる」
オーリーは遠くを見つめるような瞳で言った。ああ、やっぱりあの主人公の子か。名前は確か、ポーシャ……だったかな。可憐で優しくて、誰からも好かれるような女の子。ミュアリスとは正反対。
「ふーん、そっか。まあ、あんたみたいな優柔不断な男、こっちから願い下げだけど」
強がって言ってみたものの本当は胸がチクリと痛んだ。だって、オーリーのことは嫌いじゃなかったから。少しは好意を抱いていたと言ってもいい。
「ミュアリス嬢……」
オーリーは何か言いたそうだったけれど、ミュアリスは聞く耳を持たなかった。くるりと背を向けて大股で歩き出す。涙なんて絶対に見せてやらない。
(くそー!こんなのってないよ!せっかく異世界に転生してきたのに、いきなりこんな仕打ちを受けるなんて)
トラックに轢かれて死んだと思ったら、なぜかこの魔法のある異世界の由緒ある侯爵家の娘に転生していた。
最初は戸惑ったけれど魔法が使えたり、フワフワの可愛いドレスを着たりできる毎日はなかなか楽しい。それなりに努力してこの世界の常識やマナーも身につけた。
オーリーとの婚約だって、両親が決めたこととはいえいつかは素敵な夫婦になれたらいいな、なんて思っていたのに。
(まあ、いっか!こんな男こっちからポイ捨て!この世界には、もっと面白いこといっぱいあるはず!)
ミュアリスはぐっと拳を握りしめた。知識を活かせばこの世界でだって、きっと自由に生きられる。美味しいものを開発したり、見たことのない魔法を研究したり。やりたいことは山ほどある。
「よし!今日から私は、自分の好きなように生きる!」
夕焼け空に向かってミュアリスは高らかに宣言した。
婚約破棄から数日後。ミュアリスは侯爵家の広大な庭園の一角にある、少し古びた研究小屋にこもっていた。使用人も近寄らないそこは秘密基地のような場所。
記憶を頼りに色々な実験道具を自作したり魔法に関する書物を読み込んだりしている。
「ふむふむ、魔法薬の調合には、やっぱりこの植物の成分が必要不可欠か」
ミュアリスは古びた羊皮紙に書かれた魔法薬のレシピを熱心に読んでいた。魔法世界には様々な魔法薬が存在する。体力を回復させるもの、毒を中和するもの。
中には空を飛ぶためのものまであるらしい。現代の薬学の知識を持つミュアリスにとって、魔法薬の調合はとても興味深い研究テーマだった。
「でも、この材料なかなか手に入らないんだよね」
レシピに書かれた珍しい植物の名前を見て、ミュアリスはため息をついた。市場にも出回っていない希少な植物らしい。
「そうだ」
何かを思いついたようにパチンと指を鳴らした。
「自分で育てればいいのか!」
家庭菜園をやっていた経験が脳裏をよぎった。土壌や気候についてもっと詳しく調べれば、不可能じゃないかもしれない。
魔法の力を使えば成長を促進することもできるかもしれない。早速、庭師の元へ駆け寄り庭の土壌について色々と質問してみた。
庭師は突然熱心に土について尋ねるミュアリスを不思議そうに見ていたけれど、丁寧に答えてくれた。
「なるほど、この辺りの土は水はけが良い代わりに少し栄養が偏っているのか」
庭師の話を聞きながら、ミュアリスはノートに土壌の性質や適した肥料などを書き込んでいく。世界の情報を組み合わせればきっと上手くいくはず。
午後、ミュアリスは研究小屋の裏にある使われていない小さな畑を耕し始めた。シャベルを握るのは久しぶりだったけれど、土を掘り起こす感触はどこか懐かしい。汗を拭いながら心の中で呟いた。
(見てなさいオーリー。あんたに捨てられたからって落ち込んでると思わないでよ?私は今、自分の好きなことを見つけてめちゃくちゃ楽しいんだから!)
土を耕し終えたミュアリスは持ってきた種を丁寧に植えていった。魔法薬の材料になるだけでなく、食用にもなるという不思議な植物の種。
「さあ、大きくなあれ!」
ミュアリスは小さな種に向かって、そっと魔法をかけた。微かな光が種を包み込む。この世界の魔法はまだ解明されていないことが多いけれど植物の成長を促す力があることは分かっている。
数日後。訪れると小さな芽が顔を出していた。小さな緑色の芽を見て、思わず笑みがこぼれた。
「やった!ちゃんと育ってる!」
婚約破棄の寂しさなんて、もうどこかに吹き飛んでしまった。自分の手で何かを生み出す達成感、新しい知識を学ぶ楽しさ。生活はまだまだ始まったばかりだ。
これからも色々なことに挑戦していくつもり。魔法薬の研究はもちろん、異なる世界にない新しい食べ物や道具を開発することだって夢見ている。
(いつか、オーリーを見返してやる。彼がいなくてもこんなに楽しく生きているってことを)
ミュアリスの瞳は希望に満ちてキラキラと輝いていた。婚約破棄は不幸な出来事ではなかったのかもしれない。自分の本当にやりたいことを見つけるための大切なきっかけだったのだから。
畑の世話をする傍ら、ミュアリスは図書館に通い詰めていた。侯爵家の図書館は想像以上に蔵書が豊富。魔法の歴史や古代文明、珍しい動植物に関する本など興味深い書物がたくさんあった。
「へえ、空を飛ぶ魔法生物がいるんだ……実際に見てみたいなあ」
分厚い図鑑を広げ、翼を持つ美しい生物の絵に見入る。現代では考えられないような生き物がたくさん存在しているのだ。図書館の一角で古い魔導書を見つけた。表紙には見慣れない古代文字が書かれている。
「これ、なんて書いてあるんだろう?」
司書に尋ねてみたものの「さあ……古い時代のもののようですね」という返事しか得られなかった。魔導書に強く惹かれるものを感じ、借りて研究してみることに。
研究小屋に戻ったが魔導書を前に首を傾げた。文字は全く読めないけれど、ところどころに描かれた図や記号には見覚えがあるような気が。
前世で読んだファンタジー小説に出てくる魔法陣に少し似ているような。
「この文字、解読できるかもしれない」
前世の記憶を辿りながら、図や記号とアルファベットを照らし合わせてみた。すると、いくつかの文字がなんとか対応させることができたのだ。
「すごい。ちょっとずつだけど、読めるようになってきた!」
数日後、ミュアリスはついに魔導書の一部分を解読することに成功した。書かれていたのは失われた古代魔法に関する記述だ。
「こんな魔法が、本当にあったなんて……!」
興奮を隠せない。今の魔法理論では考えられないような、強力な魔法。不思議な効果を持つ魔法が記されていたのだ。
「解明できたら、すごい発見になるかも」
研究意欲にますます火がついた。畑の世話の合間や夜遅くまで魔導書の解読に没頭する日々が続く。ある夜、研究小屋に望まぬ客が訪れた。来なくていいのに。お茶も出す気は起きない。
「ミュアリス嬢、こんな時間に一体何を?」
声の主は婚約を破棄したはずのオーリー。何かを探しているような剣呑な表情をしている。勝手に来て、何を問える関係性ではなくなったのに。
「あなたこそ、こんな時間にどうしたの?」
ミュアリスは警戒しながらオーリーに問い返した。今更、何の用があるのだろうか。
「実は……少し、君に聞きたいことがあって来たんだ」
オーリーは少し躊躇いながら言った。はぁ?と言いたくなる。質問する間柄を破棄したくせに?
「最近、王宮で奇妙な魔法反応が観測されていて……君が何か知っているのではないかと」
「私が?」
目を丸くした。王宮の魔法反応と自分に何の関係があるというのだろう。意味がわからない。こんな人だったのか。ため息を我慢する。
「ああ。他の令嬢とは少し違う知識を持っていると聞いた。古代魔法について何か……」
オーリーの言葉にハッとした。自分が解読している魔導書のことを何か嗅ぎつけたのだろうか。蔑んだ目を向ける。
「別に、何も知らない」
素っ気なく答えた。こんな人に自分の研究のことを知られたくない。言う義務も無いし。だが、しつこいオーリーは諦めなかった。
「頼む、ミュアリス嬢。もし何か知っているなら、教えてほしい。王国の平和に関わることかもしれないんだ」
オーリーの真剣な表情に少し心が揺れた。婚約者としての情はまだ少し残っているのかもしれない。自分はバカだなと笑った。
「……少しだけなら」
ミュアリスは自分が魔導書を解読していること、古代魔法について書かれていることを静かに話し始めた。オーリーはミュアリスの話を真剣な表情で聞いている。
解読した古代魔法の一部について尋ねてきた。自分が解読した範囲でオーリーに教えると表情が、さらに剣呑なものに変わった。
「やはり……その魔法は危険なものかもしれない」
オーリーは低い声で呟いた。
「もしよければ、魔導書を少し見せてもらえるだろうか?」
少し迷ったけれど真剣な眼差しに頷くしかなかった。協力するのは論外で解けないからと返却される。引き続き解読したら教えてほしいと請われたものの、拒否。
なぜ、赤の他人に自分の功績を教えねばならないんだと要請を蹴る。こちらの解読は諦めることにした。
ほんの少しだけ、解読するだけで変なことが起こるのならやめておいた方が賢明。そう考え、違うものを解読することにした。
数日後にまた来られて、続きを解読するように頼まれたが、資料を無くして無理になったと嘘をついた。
彼はやむなく、それを持ち帰り自力でなんとかしたらしいがそのせいで強力な魔法にかかってしまったと人伝に聞く。人伝というか、父に。
「どうする?」
「どうするってなにが?もう何の関係もないので何もしません」
婚約をなかったことにしてきた相手に、なにをせよと?馬鹿馬鹿しくて鼻で笑う。人にあれこれ、あの時人に言った彼にあとからあんなふうに国を思うのなら、一粒でもこちらを気にしてくれればよかったのにと呆れた。
そもそも、婚約をなくした理由が好きな人ができたからだ、とかいうふざけた内容。
どれだけ国を思おうが税金を無駄にしたことに変わりはない。あの人、感情論ばかりだ。王子の父親の国王も魔法にかかった息子を諦め出していると、噂になるにはさほど時間はかからない。
実は持ち帰られた文献を全て解読していたのだが。どれくらいしたら恩をデカく売れるのかと計算して、入れ立ての紅茶を楽しんだ。
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