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 最近、僕はアパートを借りた。月野との約束を果たすため、半端願掛けのような気持ちで契約した家だ。僕が二人で暮らすためのアパートを借りたと言えば、月野にも元気が出るかもしれない。


 そんな部屋で一人、僕は寂しく暮らしている。夜、ベッドの上でユートピア・ワンダーワールドのことを空想するようになった。


 誰もが幸せな理想的な世界で、月野が楽しそうに過ごしている。サンタクロースを見上げて、人魚姫を見つけて、声を上げてはしゃいでいる。


 その世界では、月野は健康体そのもので病気に苦しめられてなんかいない。僕はそんな彼女の姿を遠くから眺めている。


 そんな光景を、僕は思い描くようになっていた。どうにかして、月野を救いたい。薬と病気のせいで、もがき苦しむ月野をこれ以上見ていたくない。


 僕に何かできないかと、色んなことを手当たり次第に調べていた。中でも一番馬鹿馬鹿しかったのが、八尾比丘尼伝説について本気で調べていた時だった。


 人魚を食って数百年生きたという尼の話だ。

 僕は月野を救うため、本気で人魚を探していた。仕事が終わって、月野の面会に行く。その後、海に行って人魚をひたすら探す。


 十月の海はかなり寒かった。凍えるほど寒いと言ってもいいかもしれない。


 僕はその海の中に私服のまま飛び込んで、人魚を探した。どこまでも潜っていくつもりだった。風邪をひくかもしれない。でも、どうでもいい。僕の体なんていくらでも蝕んでくれて構わなかった。


 人間、本当に追い詰められるとこんな伝説も信じるのかと笑った。僕は馬鹿だった。でも、縋り付くしかなかった。というより、本当は人魚がいるとかいないとか、そういうのは究極的にはどうでも良かったのかもしれない。ただ、何か行動を起こしていなければ気が済まなかっただけだ。


 結局、人魚はどこにもいなかった。いくら探しても、現れてくれなかった。びちょびちょになって海から上がった時、警察官に職務質問された。海辺を散歩していた人が通報したのかもしれない。


「何をしてたんですか?」


「人魚を探してただけです」


 大真面目に答えると、警察官は困ったような顔をしていた。結局ラリってる奴だと思われたらしく、薬物検査を受けた。結果はもちろん陰性で、僕はすぐに解放された。


 僕は正常だった。正常でいて、狂人でもあった。一番終わっているタイプの人間かもしれない。


 もうお手上げだった。月野を助ける手立ては何も無かった。星の骸に頼ろうにも、あいつはあれ以降僕の前に現れてくれない。僕が願いを叶えるべき時ってのはいつなんだよ。今じゃないなら、一体いつ僕は願いを叶えるっていうんだ。


 次の日、僕は月野から病気が別の臓器に転移したという報告を受けた。


「余命、短くなっちゃいました」 


 月野は、努めて明るく振る舞っているように見えた。元気なふりをしてばかりだな、と思う。


「あと、どれくらいなの?」


「一年だそうです」


「そっか……」


 僕は月野に近づいて行って、椅子に腰かけた。後一年で、月野の顔が見れなくなる。もう二度と、彼女と喋ることができなくなる。


 彼女が消えてしまった後の人生に、意味なんてあるんだろうか? そんなのなんの価値もないと思った。


 もう、待っている暇なんてない。無理やりにでも星の骸を見つけ出して、月野の病気を治してもらうしか方法はなかった。


「でも、大丈夫だよ。絶対、治るからさ」


 そう言うと、月野は僕に背を向けた。僕の無責任な発言に嫌気がさしたのかもしれない。


「ねえ、サンタさん」


「なに?」


「私、本当はまだまだやりたいことが沢山あるんです」


 彼女は例のノートを抱き締めながら、そう言った。


「夜の窓ガラスだって、本当は壊したいんです。この前は川で花火をしたから、今度は海で花火をしたいです。お酒を飲める年齢になったら、サンタさんと一緒にお酒を飲みたいです。あの、ベンチで会った日の夜みたいに、深夜に一緒にお酒を飲みたい思ってるんです。健康な体を手に入れて、へとへとになるまで散歩したりもしたいですね。隕石の跡地に行って、父親に恨みを晴らすこともやりたいです。家の前に立って、美味い美味いって酒を飲んでるところを見せつけてやりたいです。まだあそこに、彼の魂はあると思いますから。後は、水族館に行きたいですかね。今の私って、水槽の中の魚みたいじゃないですか。ずっと病室の中に閉じ込められて、外に出られない。今なら、魚の気持ちも分かる気がします」


 きっと、それらの望みがノートには書かれているのだろう。


 僕は彼女を見ていた。月野の瞳は、ふるふると震えている。体も小刻みに震えていて、今にも崩れて無くなってしまいそうに見えた。


「あと、本当は遊園地に行ってヴァイキングにも乗りたいんです」


 彼女は右目の義眼に手をやって、ぎゅっと押さえ込んだ。 


「小っちゃい頃のことだから、あまり詳しく覚えていないんです。でも、確かヴァイキングに乗る動画を撮った時に、私は右目を抉り取られたような覚えがあるんです」


 父親はその動画の出来が気に食わなかったのだろう。怒りに身を任せて、彼女の目にナイフを突き立てた。


「それ以来、ヴァイキングが怖くなっちゃったんです。あんなにも楽しそうなアトラクションなのに、どうしても怖いんです。サンタさんとなら、克服できたかもしれません」


 貴方が、嫌な記憶を上書きしようと言ってくれたからです。と、月野は言った。


「でも、もう、全部叶わないんですよね。私は一生、この病室に閉じ込められたままで、ただ死ぬのを待ってる。そんなのって、あんまりじゃないですか」


 月野は、泣いていた。鼻を啜って、涙を拭って、声を押し殺して泣いている。


 なんとかして、彼女の夢を叶えたいと思った。彼女のために、何ができるのだろう。


「サンタさんが、私を連れ出してくれれば良いのに」


 月野がそう言った時には、もう、答えが出ていた。僕はペンを取り出して、月野からノートを貸してもらった。そのノートには彼女のやりたいことが書かれている。


 その一番最後に[ヴァイキングに乗りたい]と記入されていた。


 僕は消しゴムを使ってその一文を消す。


「何をするんですか」


 月野が涙声で抗議したが、僕は止まらなかった。そこに新しく[月野と一緒にヴァイキングに乗りたい]と書いた。


「僕もさ、ヴァイキングに乗りたくて仕方ないんだよ。だから、行こう。一日だけだけど、ここから逃げよう」


 僕がそう言うと「いいんですか?」と彼女は笑った。


「怒られるかもしれませんよ?」


「そんなのどうだっていいよ。一緒に、遊園地に行こう。夢、叶えようよ」


 良くないことだって分かってる。容体を悪化させる可能性があることも十分理解してる。でも、月野の思い出を上書きすると言ったのは僕だ。その約束だけは、果たしてやりたい。


「それ、最高じゃないですか」


 月野が、泣きながら笑っていた。


「じゃあ、一緒に脱走しましょうね」

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