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 夜、眠れない時がある。そんな日には意味もなく夜道を歩く。


 その日も、僕は冷蔵庫から持ち出した酒を片手に散歩をしていた。深夜一時を過ぎた夜の街は、まるで世界が終わった後のように見える。


 当てもなく歩き続けた。別に目的があるわけじゃない。ただ、歩いている間だけは何も考えずにいられるからだ。夜、目を瞑っていると漠然とした不安に襲われることがある。僕の人生、このままでいいのだろうかと。だから、その不安から逃れるために歩いた。歩き続けた。


 四月下旬の夜は、ぬるかった。人の姿はどこにもなく、鈴虫の鳴き声だけが響いている。誘蛾灯に群がる虫たちが、何度も光に近づいていっては火花を散らしていた。悪魔の兵器だな。


 気付けばかなりの時間が過ぎていた。多分、二駅くらい歩いた。足が疲れていて、膝が笑っている。


 商店街を抜けると、噴水広場があった。どこか休憩できる場所はないだろうかと探して、噴水の前にベンチがあった。


 そこのベンチで少し休憩しようと噴水に近づいていって、気が付いた。そこに先客がいる。そいつを見て、僕は驚いてしまった。


 そこに座っていたのが、月野ユキだったからだ。


 彼女はベンチに背中を預けて、夜空を見上げながら目を瞑っていた。彼女の頬には涙が伝っている。


 僕は無言で、その光景を眺めていた。彼女の涙は月明かりに照らされて、美しく輝いている。そんな彼女を見ていると、なんだか凄く心が締め付けられた。


 彼女の隣に座って、煙草に火を付けた。そこで、月野は初めて僕の存在に気が付いたらしかった。


「なんのようですか?」


 彼女は眉間に皺を寄せて、僕を睨んでいる。


「JKがこんな時間に何やってんだよ」


 彼女の質問を無視して言った。スマホで時間を確認すると、真夜中の二時過ぎだった。


「なんでもないですよ。ただ、歩きたかっただけです」


「嘘つけよ。だったら何で泣いてるんだ」


 それからしばらくの間、沈黙が続いた。聞こえてくるのは虫の鳴く音と、噴水の水の音だけだ。虫の歌声と水のハーモニーは心地よく僕達の鼓膜を震わせて、夜の素晴らしさを物語っている。


 少し経って「幻滅しましたか?」と、月野が切り出した。


「何に?」


「だから、三田さんが凄いと思っていたYouTuberの正体にです」


 彼女は右目を押さえながら続ける。


「貴方が見ていた画面の中の女の子は、こんなにも弱くて、脆いんです」


 ああ、そういうことかと思った。


「あーね。大丈夫だよ。この前のあれは嘘だから」


 僕がそう言うと、月野は「へ?」と間の抜けた声を出した。


 僕は彼女にこの前の嘘を説明した。その方が良いと判断したからだ。こうやって打ちのめされている人間には、下手な嘘をついて同情する方がよくない。


 僕が話し終えると「なんですかそれ」と月野は笑っていた。


「同じ匂いがしたって、変態じゃないですか」


 彼女の笑顔を見て、確信した。多分、僕は仲間が欲しかったのだ。自分と同じように人生に絶望している友人が、僕には必要だったのだ。


「だから僕は、君のことを仲間だと思っちゃってるってわけだよ」


 僕がそう言うと、月野は「迷惑な話ですね」と微笑む。


「ああ、僕は迷惑な奴なんだよ。だから、迷惑ついでに聞かせて欲しいんだ」


 僕のその言葉に、月野は口をつぐんだ。そして、何を聞きたがっているのか分かっているくせに「なにをですか?」と聞いてきた。


「君がどうしてこの場所で泣いていたのかを、聞かせて欲しい」


 僕には彼女の気持ちを理解できる気がした。彼女の理解者になれると思っていた。彼女はしばらく悩んでから「分かりました」と口を開けた。


 きっと、本当は誰かに打ち明けたくて仕方なかったのだろう。一度言葉を発した月野は、壊れたダムが水を吐き出し続けるように、ずっと話していた。


 彼女が話した内容は、僕なんかの人生よりも、ずっと壮絶なものだった。理解者になれるなんて軽はずみにも思ってしまった自分が恥ずかしいくらい、月野の人生は悲惨だった。


 月野は幼少の頃から父親に強要されてYouTubeに出ていたらしい。出演を拒否すると殴る蹴るなどの暴行は当たり前で、彼女の青い瞳も父親に眼球を抉り取られたからだという。それ以外にも、生き物の死体を食べさせられたりなど、おおよそ信じられないような体験を、彼女は語ってくれた。


 その話を聞いた時、僕は体の芯から震えてしまった。あの仮面のような笑顔の裏側には、月野の壮絶な経験が隠されていたのだ。


「動画に痣が映っちゃって、一回炎上したんです。それが原因で、私はYouTubeを引退しました」


 でも、辞めることができて良かった。と、彼女は語っていた。


 だが、月野がYouTubeを辞めたことにより収入は激減し、その収入を補う為に過激な動画を撮影しネットで売り捌いていたという。その結果暴行はエスカレートしていき、今でも日常的に暴力を振るわれているらしい。夜中、酒に酔った父親が暴れ出すとこうやって逃げてくるのだと彼女は言った。


「私、動画に出たことがトラウマになっちゃってるんです。だから、なにかをして遊ぶのが怖いんです」


 彼女は涙ながらに、そう語っていた。友達を作って遊ぼうとしても、YouTubeのことを思い出して体が震えてしまう。彼女にとって「遊ぶ」という行為そのものがトラウマになっているらしかった。


 以前僕が見ていたシャボン玉の動画も、きっと、張り裂けそうな思いで遊んでいたのだろう。その気持ちを想像するだけで、彼女の父親に対する怒りが溢れ出す。


 なんと言えば彼女の心を癒やしてあげられるだろうか。いくら考えても、うまい言葉は見つからなかった。でも、言葉が見つからないのなら行動で示せばいいだけの話だ。


「ちょっと待ってて」


 僕はそう言い残してから、近くのコンビニに向かった。それからすぐに月野の元に戻ってきて、彼女の隣に座る。


「何を買ってきたんですか」


 彼女は僕の持っているビニール袋を見て呟いた。


「まあいいから見てろって」


 そして僕はそれを口に咥えて「ふーっ」と息を吹き込んだ。ふわふわと、沢山のシャボン玉が宙に向かって飛んでいく。


「わっ」


 月野は驚いたような声をあげて、空へと向かっていくシャボン玉を見上げた。真夜中のシャボン玉は、月明かりに照らされて青白く光っている。


「月野もやってみなよ」


 僕は彼女にもシャボン玉セットを渡した。


「私も……ですか」


 月野はその緑色の筒を、ぼんやりと眺めている。


「うん。君が遊ぶのが怖いっていうんなら、苦しかった思い出を上書きしよう」


 言ってから、僕は月野に向かってシャボン玉を吹きかけた。彼女は驚いたように目を見開いてから、笑った。それはもう、仮面のような笑顔じゃない。とっても綺麗な、泣き笑いだった。


「はい。そうします」


 彼女は目尻に溜めた涙を拭ってから、シャボン玉を吹いた。月野のその姿を見て、思った。ああ、僕はこの女の子に恋をしてしまったんだろうな、と。

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