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ミューネ&ツァイトシリーズ

前世で不幸だった少女は、生まれ変わって人生の楽しさと幸せを知った

作者: リィズ・ブランディシュカ



 私達は、テーブルの上で顔をつき合わせて悩んでいた。


 話題に出すのは、一人娘のことである。


「あの子は甘やかされることに慣れていないのよ」

「僕達の愛情が足りていないのかな」


 私達はつい数時間前に、娘の誕生日パーティーを催した。


 たくさんの人を呼んで、大きなケーキといくつものプレゼントを用意して娘の誕生を祝った。


 けれどパーティーの間、娘が嬉しそうに笑う事は一度もなかった。


 他人行儀に「ありがとうございます」と言って、愛想笑いを浮かべるだけだった。


 どうしてなのか分からない。


 娘がそうなってしまった原因など分からない。


 物心ついた時からすでにそうだったように思える。


 娘は心から笑顔を浮かべたことがない。


 どうすれば、いいのだろうか。






 死んだ後、なぜか女神と名乗る何かが話しかけてきた。


 その女神が私を転生させてくれると言ったけれどーー


 その時、私は特に生きたいとは思わなかったので、首を横に振ったのだ。


 けれど、女神は私の意思を無視して転生させたらしい。


 白い光に包まれたと思ったら次の生を与えられるとは。


 もう少し当人の意見を尊重してほしい。


「大丈夫。その世界でなら、きっとあなたにとっての幸福がみつかるでしょう」


 慈愛に満ちたその言葉は、私の心を見透かしたようなものだ。


 そんな言葉を最後に聞いて、私は別の世界に生まれ変わった。


 女神はどうして私を転生させたのだろう。

 理由が分からなかったが、その疑問をその世界の誰かに問いかける事はできない。


 一から説明するとなると、きっと誰も信じないだろうし、その世界には転生という概念さえ存在しなかったから。


 自分が幸せになる事なんて、第二の人生でも期待はしていないけれど……。


 だからといって、無駄に困らせて人の邪魔しようとは思わなかったから、誰かに信じてもらおうと思った事はないのは、幸いだったのかそうでないのか。





 新たに与えられた人生には、不幸の影など見当たらなかった。


 両親は優しい。


 誕生日には文字通り山のようなプレゼントを用意してくれる。


 使用人たちも優しい。


 いつも私の安全や健康に気を配ってくれる。


 私はどうやらお金持ちの家の娘に生まれてきたようで、不便をする事は今の所あまりなかった。


 むしろ前の人生より、快適なくらいだ。


 不幸を探すより、幸福を数える方がたやすい環境。


 私がおかれているのは、そんな場所だった。


 前の、生きていた時は満足にご飯を食べられなかったし、毎日家事で忙しくてのんびりする事なんてできなかったから、有り難くはある。


 けれど落差がひどすぎて、生まれてからもう何年も経つのに、戸惑いを禁じ得ない。


 私室でぼんやりと勉強をしていると、お茶を持ってきた双子の使用人が声をかけてきた。


 あどけない少年の顔が二つ並ぶ。


「お嬢様、お嬢様はどうしてそんなにつまらなさそうな顔をしているのですか?」

「お嬢様お嬢様、どうしてそんなに楽しくなさそうな顔をしているのですか?」


 それぞれがそれぞれに、フォークにお茶請けのクッキーをさして、こちらの口元に差し出してくる。


 彼等の名前はマルタとサルタ。


 二人は毎回このような質問をしてくる。


 どうしてそんなに私の事が気になるのか分からない。


 周りにいる人間が大人ばかりで、私だけ彼等に歳が近いせいなのかもしれない。


 私はフォークにささったクッキーを、あーんで口に放り込む事なく、手でつまいとって食べた。

 なぜか、二人に残念そうな顔をされるのも毎回の事だ。

 

「どうしてと聞かれても困ってしまうわ。私にはどうして貴方達がそんなに人の事を気にするのか、そちらの方が不思議なくらい」

「そうですか?」

「そうですかね?」


 双子の少年は、同じタイミングで同じ角度に首をかしげる。


 息の合った仕草を見ていると、人間ではなく作り物の様に見える。


 彼等は、また同時に手を打った。


 どうやら何かしらの答えを見つけたようだ。


「だって、お嬢様ってば他の子供と明らかに違うんですから」

「だって、ねえ。他の子達はみんなきゃぴきゃぴ、きゃっきゃしてるのに」


 二人が発言するタイミングは、必ず決まりがある。


 マルタが先に喋って、サルタが後に続くのだ。


 どうしてしんな面倒な事をしているのだろうとは思うけれど、口を開いて尋ねようとまでは思わなかった。


「私が違うというのなら、そうなのかもしれません。でも、それは特に気にするべき事ではないと思うのですが。少し大人しいくらい、よくある事でしょう?」

「これはこれは、お嬢様は重症のようですね」

「確かに確かに、重病人のようですよ」


 双子の少年はやれやれと肩をすくめる。


 今度は紅茶の入ったカップを口元に運ばれたが、私は赤ちゃんではないので飲ませてもらう事などなく、受け取ったそれを自分で手に取って口に含んだ。


 双子の少年は、がっかり。


 なぜそんな反応をされるのだろう。


 理由が分からなかったが、私にはどうでもよかった。


 今回もただ、求められている役割を果たすだけの生なのだから。


 前回は機嫌の悪い時に殴られるサンドバックだったけれど、今回は幸せを象徴し、家を時代に紡ぐための両家のお嬢様といったところだろうか。






 社交界に出る歳になった私に、友達と呼べる存在はいなかった。


 人から話しかけられるタイミングというと、


「あっ、ごめんなさい。失礼しますわ!」


 なんて、肩がぶつかったりした時くらいだ。


 私は大抵壁の近くでじっとしているから、そもそも人と会話をする機会がないというのもあるだろう。


 そんな私の身分は、貴族令嬢。


 貴族は、顔を広めて人脈を作らなければならない。


 そうして廃れないように、家の名前をかっこたものにしていくのだから。


 自分に課せられた役割を果たすためには、顔を広めて、友人を多く作らなければならないだろう。


 ……だというのに、私にはそのやり方が分からなかった。


 今まで、誰かと仲良く談笑した事などなかったからだ。


 前世では、そんな事が許される環境ではなかったから……。


 記憶が薄れるようなずっと昔には、仲の良い友人が一人いたような気がするけれど。


 もう名前すら思い出せない。


 そういったわけで、一人でじっと何もない時間を過ごしていたのだが、そこに話しかける者がいた。


「こんにちは。ミーニャ様、今日はよいお天気ですね」


 同じ年頃くらいの女の子だ。


 私は、話しかけられると思わなかったので、一瞬反応が遅れてしまった。


「こっ、こんにちは」

「でも、夕方には雨が降るらしいですわ。帰る際にはどうか気を付けてくださいな」

「はっ、はい」


 人と接しなければならないと常に考えていた身ではあるが、いざその時がくるとどう接して良いのか分からなくなる。


 うまく言葉がでてこなくて、体は硬直したままだ。


 使用人のマルタとサルタには、普通に話しかけられるというのに。


「そう緊張しないでください。私、ずっと前から貴方とお話したかったんです」

「えっ? 申し訳ありません。どこかで以前お会いしましたでしょうか?」

「いいえ、直接には。遠くから眺めるばかりで声をかけられなかっただけですわ」

「そっ、そうですか」


 心当たりはないので、そう言われるとほっとする。


 その後は、当たり障りのない会話を続けて分かれた。


 久しぶりに他人と話したものだから、緊張して疲れてしまった。







 そんな事があったからか、幸いにも社交界で一人ぼっちになる事はなかった。


 たまに話しかけてくる貴族令嬢、アネットと過ごす時間が増えたからだ。


 アネットは、読書を趣味にしているらしい。


 会うたびにおすすめの本を紹介してくれるので、私も暇なときに読んでみる事にしてみた。


 趣味を作ろうだなんて、前世の自分からは想像できない事だった。


 お絵描きをしようと思って買った画用紙はすぐに捨てられる事が多かったし、気まぐれに買い与えられた縄跳びやボールは両親の八つ当たりの道具になり、すぐに壊されてしまっていたから。


 これは、人と関わった事による影響だろうか。


「どうでしたか。この間紹介した本の内容は? 犯人の正体に驚かれたのでは?」

「ええ、まさかあのような犯人が出てくるとは思いませんでした。アネットさんはいつも、すごい本ばかり知っているのですね」

「そんな事はありませんよ。きちんとハズレの本にも出会ってってしまいます」







 アネットと出会い、友達ができた事を知ると両親は大喜びした。


「ずっと一人で友達らしい子もいなかったから心配していたけど、良かった」

「その子の事を大切にするのよ」


 と、涙ぐみながらそう私に話してきた。


 そんな両親の姿を見て、私は「大袈裟」なと思ってしまう。


 けれど普通の両親が分からないため、それが普通なのかもしれない。


 普通の親は、子供の変化をこのように一喜一憂するものなのだろうか。


 面倒にならないのだろうか。


 不思議に思った私は、使用人の双子たちに聞いてみたが、

 

「いえ、結構普通じゃないですよ」

「普通なんかじゃないです」


 と、言葉を返してきた。


 私はもしかしたら、今までとても両親に心配をかけてしまっているのだろうか。


 迷惑をかけないようにと過ごしてきたけれど、それは彼らの望むところではなかったのかもしれない。


 今さらながらにそんな事が気になってしまう。


 私の心の中にはずっと罪悪感があった。


 まともに生活させてくれる彼等には、何とか役に立ちたかった。


 けれど、それが逆効果だったとしたら?


 しかし、私には普通の子供というものが分からないし、転生したという事情を何もかも忘れて人生を謳歌してよいとは思わない。


 良家のお嬢様役割に徹するのは、自分自身のためもあったけれど、彼等の為でもあった。


 私は、彼等の本当の子供ではないかもしれない。


 別の世界の記憶を持って、転生してきた存在だから。


 もしかしたら、両親には本当は生まれてくるはずだった別の子供がいたかもしれないと思うと、厚顔無恥な真似はできないと思って……。









 そんな事を考えていた中、日常に変化が訪れた。


 どこから屋敷の庭に迷い込んできたのか分からないが、小さな少年が傷だらけで倒れていたのだ。


 その横には真っ赤なナイフが転がっている。


 見るからに訳ありといった様子の少年だった。


 本来なら、然るべき立場の人間に引き渡すべきなのだが、私はその少年を保護しようと思っていた。


 どうしてそう思ったのかは、分からない。


 けれど、傷だらけで倒れていた少年を見つけた時、その少年が一瞬意識を取り戻したのだ。


 その時、「助けて」と小さくつぶやいたのを聞いてしまったから、手を差し伸べずにはいられなかったのかもしれない。


 彼を助けた日。

 私は、前世の事を色々と思い出していた。









 傷だらけで倒れていた少年の名前は、ツァイト。


 目覚めた少年の様子を見に行ったら、本人から名前だけ教えてもらった。


 あれから数日が立つけれど、なぜ倒れていたのかは、話してくれない。


 マルタ達からは、夜中にうなされているようだと聞いていたから、何か深い事情があるのだろう。


 せめて身寄りがあるかどうかは聞きたかったが、それも口にはしてくれないので困った。


 保護した以上は責任をもって、親元に送り届けなければならない。


 けれど、このまま何も聞けないと保護者がいないとみなされて、孤児院に行く事になってしまう。


 だから心配だった。








 部屋のノックをしてから、ツァイトがいる部屋に入る。


「体の調子はどうですか?」

「ーー」


 ツァイトは目線を合わせずに、声にならない声で答える。


 小さい声で何か言っているようだったが、内容は聞きとれなかった。


 具合が悪いというわけではなく、話そうか話すまいか迷っているように見えた。


 ベッドの上の少年の顔色は、倒れていた時と比べれば格段に良くなっていた。


 このまま順調にいけばもうじき、普通に出歩けるようになるだろう。


 私は彼に個人情報について尋ねる。


「せめて家族がいるかどうかは話してもらわないと困ります。お父様やお母様も、貴方の処遇を決めかねていますから」


 しかし少年は口を閉ざして、無言でいる事を選んだ。


 ずっとこの調子で、ツァイトは名前以外を教えてくれない。


 どうしたものかと考える。


 何が問題で喋れないのだろう。


 私達の事が信用できないのか、それとも喋る事に抵抗がある内容だとか。


 そのまま数分待っていても、口を開く気配はなかったので、退出する事にした。


「では、また明日もお見舞いにきます」


 そういって私は、今日も成果なしと思いながら部屋を出ていった。








 その後の三日間は、激しい嵐がやってきて天気が大荒れになった。


 みな、外に出られないので鬱々とした感情をため込む事になる。


 その矛先が偶然、この屋敷の中の少年に向いてしまったのだろう。


 私がいつもより早めに、ツァイトの部屋へ向かうと乾いた音がした。


 そして、食器が落ちるような音。


 扉を開けると、使用人の女性とツァイトが向き合っていた。


「そこで何をしているのですか」


 使用人は驚いた顔になって、私を振り返る。


 そしてすぐ愛想笑いを浮かべながら、落ちた食器を片付けはじめた。


「なっ、何でもありません。このお客様が食器を落としてしまっただけですよ」

「本当ですか?」

「ええ、本当ですとも」


 冷や汗をかいている使用人を見て、嘘だと判断した。


 そそくさと退出していくのを見届けてから、ツァイトに向き直る。


「ツァイト、彼女に何かされたのですか?」


 ツァイトは黙ったまま、視線をそらす。


 その彼の頬は少し赤くなっていた。


「意地悪をされたのなら、言ってください。私が父上と母上に言いつけておきましょう」


 さらに言葉を重ねるが、ツァイトは黙ったまま。


 無言の時間が過ぎていくのもなれたものだ。


 諦めた私が、手当ての為に人を呼ぼうとしたら、マルタ達が入って来た。


「いいご身分ですねお客様」

「頭の中が自分可愛さでいっぱいなのですか、この恩知らず」


 彼等は確か、ツァイトに初めて会うのではなかっただろうか。


 ツァイトは、面食らった様子で固まっていた。


「マルタ? サルタ?」


 私がどうしてここにいるのか尋ねようとしたら、「少々お待ちいただけますかお嬢様」と制止された。


「貴方があの使用人の狼藉を黙っていたら、調子にのった彼女が次に牙をむくのはお嬢様かもしれませんよ。それでもかまいませんか?」

「恩知らずさんは、自分の可哀想さを考えるので手一杯なようなので、私達がわざわざ親切に教えてさしあげているのです。恩に着ろよ」


 マルタは言葉はきついものの最後まで丁寧に言い切ったが、サルタは途中で崩れた。


 そこで初めて、ツァイトが迷うような表情を見せる。


「恩を感じていないのであれば、それまでです。治ったらさっさと出て行ってください」

「これが犬畜生であれば、人間の世界の恩も仇も知らないはずので、全然見逃せるんですけどね」


 二人の言葉を聞いてそれでも黙ってたのなら動物だと、ツァイトはそう言われているようだ。


 あんまりなセリフに口を挟みたくなったが、その前にツァイトが口を開いた。


「頬を、ぶたれた。食器はその時の衝撃で、俺が落とした」

「やればできるではありませんか」

「なるほど。思った通りの事態ではありましたね」


 双子の使用人は、「どうされますかお嬢様」と私に意見を聞いてくる。


 もちろん、事が明るみになったのなら、報告すべきだ。


 どんな事情があるにせよ、けが人に害をなす人間をこの家には置いておけない。







 私の報告があったからだろう。

 数日後、件の使用人はこの屋敷から姿を消した。


 もともと、立場の弱い人間には高圧的な態度をとる人間だったらしく、彼女をかばう人はあらわれなかった。


 屋敷から去る事を惜しむ声も、聞かない。


 それどころかなぜか両親は「うちの娘が人私達にお願い事をしてきたわ」と喜んでいた。


 私室でしていた勉強を切り上げた私は、天気の良いその日、屋敷の庭を散歩する事にした。


 咲き乱れる花々に、剪定された木々、水を魅せる噴水。


 それらの間を歩いてみると、リハビリ中のツァイトの姿があった。


 松葉杖をつきながら、ゆっくり歩いている。


 しかし、何かの拍子でバランスを崩したのか、倒れてしまった。


 私は彼にかけよって助け起こす。


 すると、彼は苦しそうな顔で言葉をこぼした。


「なんで」


 思わずもれてしまったというセリフに、私は聞き返す。


「えっ?」

「なんで俺を助けたんだよ。俺は、自分の事を何も説明できないのに」

「それは……」


 私は彼から視線を離して、地面に向けた。


 上手く説明できない、どういえばいいのか分からなかった。

 だから口ごもるしかなかった。


 視線を戻すと彼は、痛まし表情のまま言葉を続けてくる。


「俺は、皆の迷惑なんだよ。関わったらだめなんだ。だから見捨てればよかったのに」


 それは、血を流すような言葉だった。

 自分で自分を傷つけているように思えた。


 私はその言葉を聞いて、見捨てるなんてできるわけがないと思った。

 おそらく何度あの時を繰り返したって、私は彼を助けただろう。


 彼はそれほど、助けを必要としているように見えたから。


「私は、貴方を助けたかったんだと思う」

「ーーなんで」

「分からない。でも、助けないなんて選択肢はなかった」


 釈然としない様子のツァイト。


 けれど、その日から彼は徐々に私に打ち解け始めた。


 一緒に散歩したり、夕食を食べたり、話をする機会も多くなった。







 やがて回復したツァイトが屋敷から出ていく事になった。


 お別れの時は、ぶっきらぼうだけれど、一言「ありがとう」と言ってくれたから、少しだけ嬉しかった。


 思い出しただけで、何の意味もなく舞い上がってしまいそうになる。


 人の役に立てたという事実が、こんなにも嬉しい事だなんて思わなかった。


「これからは怪我をしないように、どうか元気でいてください」

「できる限り努力する」


 ぶっきらぼうに答えたツァイトは、私の傍に控えているマルタとサルタに視線を投げかける。


「なんですか、ぎりぎり人間になれたツァイト様」

「どうしましたか。かろうじて人間にとどまったツァイト坊や」


 割と無礼な事を口走っている二人に向けて、ツァイトは忘れ物をとりにいってほしいと頼んだ。


「部屋に、忘れ物がある」


 使用人の二人はなぜか私とツァイトの顔を交互に見て、同時にため息。


 そして「「貸し一つ」」と言いながら、屋敷に戻っていくのだった。


 今のは一体どういう事だろう。


 首をかしげていると、ツァイトが近づいてきた。


「いっ、嫌なら嫌って言えよ!」

「えっ?」


 ツァイトが私の手をとって、その甲に口づけを落とした。


 どうしてそんな事をするのか分からず、きょとんとするしかない。


「部屋の窓から、たまに客が来るのを見てた。貴族の男は、女にああするのが礼儀なんだろ?」


 ツァイトが口にしたそれは、先週のできごとだった。

 父のお客さんをお見送りに来た時、同年代の子供と挨拶をした時にそんな事をされた気がする。


 確かその場にはツァイトもいたはず。


 けれど、どうしてそれを今?


 戸惑いながら私は肯定する。


「それは、そうだと言えばそうですが」

「なら、問題ない。じゃあな」

「えっ、あの忘れ物は」


 真っ赤な顔のツァイトが走っていくので、私は慌ててその背中に声をかける。


「そんなのただの嘘に決まってるだろ!」


 どうして嘘をついたのだろう。

 そう思ったけれど、聞こうと思った時にはすでに彼の背中は遠くへ向かっていた後だった。


 その後なぜか、マルタ達がしきりに「大きくなって悪い虫しかつかないようでしたら、私達がお嬢様をもらいますから、先約です」と言って来たが、何のことかよく分からなかった。


  





 それから数年の月日が流れた。


 私は貴族が通う学校へ進学し、同じ学校に通う事になったアネットと、様々な思い出を作る事になった。


 使用人としてマルタとサルタも一緒に通う事になったので、日常はそれなりに賑やかだ。


 前世は学生らしい事をあまり経験できなかったので、多くの事が新鮮だった。


 今までは自分の役目を全うする事ばかり考えていたけれど、他の事も思えるようになっていた。








 アネットと共に立ち上げた文芸作品同好会のために、私はその日、専用の教室へと向かった。


 同好会や部活などをこなす者達には、専用の部屋が一つ与えられる。


 私とアネット、そしてマルタとサルタだけだった。


 気の置けない友人や使用人と共に過ごす時間は、穏やかで優しくて、とても心地の良いものだ。


 少しずつ楽しさを幸せを学んでいく日々は穏やかな春のぬくもりのようだった。


 前世ではまともに学校に通えなかったため、新鮮なことだらけだ。


 そんな学生期間は全部で三学年ある。


 今はまだ一学年だから、先は長いだろう。


 けれどなぜかその時は、残りの時間も学生生活を歩んでいけるだろうかと不安になった。


 それは、たまたま入った同好会の部屋の中が、夕日に染まって血の様に真っ赤だったからなのかもしれない。


 それとも。


「アネット様。どうなさったのですか? 怪我をされているようですが……」


 先に訪れていたアネットが、怪我をしたかのように血まみれだったからだろうか。


 慌てる私に、アネットは微笑みかけた。


「大丈夫、大丈夫。部屋を掃除したいから、ミーニャ様はちょっと出ていてくれませんか?」

「それなら私も一緒に」

「本当に大丈夫ですから」


 固い声で断られ、硬直していると部屋から追い出された。


 背中を押す彼女の力は強くて、有無を言わせない圧力を感じた。


 ややあって、顔を出したアネットから、今日は解散と告げられてそのまま屋敷へと帰る。


 たまたま用事があって私の傍にいられなかったマルタとサルタが、怪我な顔をしていたけれど、何でもないと言って自室にこもった。


 言い表しようのない不安が、消えなかった。


 それは前世で死んだときにも抱いたものだ。


 今まで活用する場面がなかったから、誰にも言っていないが。


 私には、他の人にはいない危険感知能力が備わっている。


 前世の環境がひどすぎたために、そういった能力が身についたのか、それとも身に着けたからある程度は生き残れたのか。


 どちらにせよ、その能力が発動する時は、いつも絶対危険な事が差し迫っていた。


「どうして」


 私は言葉をもらした。


 彼女は友達。

 いや、親友だと言ってもいい人だ。


 社交界の時、話しかけてきてくれた時から、長い時間のつきあいがある。


 そんな彼女が今まで、私に悪さをしようとしたり、意地悪をしたことは一度もなかった。


 なのに、


 どうしてアネットの顔を見た時、危険だと思ったのだろう。








 確かめなければならない。


 アネットがどうして私を危険にさらすのか。


 もしかしたら、アネットが何かに巻き込まれていて、そのせいで友人である私も危険を感じているのかもしれない。


 だから、必ずしも最悪の可能性であるとは限らないのかもしれない。


 そう思い込みながら、放課後に例の教室へと向かう。


 アネットが血まみれで佇んでいた教室へ。


 けれど、一歩が踏み出せなかった。


 同好会の扉の前で私は立ちすくむ。


 そんな私を見て、今回は隣についてきていたマルタとサルタが、怪訝そうな顔を向ける。


「お嬢様? どうかされたんですか」

「昨日から様子が変ですよ」

「それは」


 どう説明したものか、そう思い悩む私を前に、彼等は無言で待ち続ける。

 

 二人は本当にできた使用人だった。


 私が自分で乗り越えられそうな事は手を差し出さずに見守ってくれるし、助けが必要な時は見極めて適切な助言を与えてくれたりする。


 だから私は、数秒程してから「実は」と口を開く事ができたのだ。


 とりたてて明るいわけでも、コミュニケーション能力が高いわけでもない私が、曲がりなりにもこの学校で人と関わっていけているのは、まぎれもなく彼等のおかげだろう。


 けれど、言葉が形になる前に扉が開いた。


「いらっしゃい、ミーニャ様」


 にこりと笑顔を浮かべたアネット。


 だけどどこか違和感を感じる。


 嫌な予感がした。


 彼女はその表情を変えずに「待っていたのよ」と言いながら私の腕をひいて、部屋の中に招き入れた。


 けれど、マルタ達が入ってくるのをまたず、部屋の鍵をしめてしまう。


 背後で扉を叩き続ける彼らの声が私の意識に危機感を訴えかける。


 二人きりの部屋の中は、カーテンがひかれていて薄暗かった。


 アネットはいつもと変わらない笑みを浮かべて口を開く。


「引っ込み思案で人見知りするあなたなら、誰にも言わないと思っていたのに、まさかこんな所で決心しそうになってるなんて。ちょっと予想がはずれてしまったわ」

「アネット様」


 声が震えてしまう。


 顔を見た瞬間からずっと危険を感じていた。


 目の前にいるアネットは、私に危険をもたらす者以外何物でもなかった。


 扉の向こう、背後でマルタ達が何かを言っているが、耳に入ってこない。


 心臓が暴れまわっている。


「武器のお手入れをしている時に目撃者がきちゃうなんて、昨日は飛んだ失敗だったわ。事件が明るみに出る前に早くやるべき事をやっておかなくちゃ」


 目の前で、にこりと微笑むばかりのアネットは、何でもない動作でナイフを取り出した。


 貴族の暗殺。


 頭の中に、言葉が浮かんだ。


「どう、して」


 口にできたのはそれだけ。


 友達だと思っていたのに、そこまでは出てこなかった。


「理由なんてどうでもいいの。私達暗殺者は依頼を受けたら、それを完遂するだけだ。だからそれは、依頼主しか知らない」


 頭の中に、命を狙われる理由を並べようとするが、何も思いつかなかった。


 なぜ。


 どうして。


 そんな言葉しか、浮かんでこない。


 けれど、手繰り寄せた記憶の中に、一つだけひっかかっていたものがあった。


「もしかして、ツァイト?」


 過去に私は、身元の分からない少年を助けた。


 彼は傷だらけで、いかにもといった風にあやしかった。


 その彼がなんらかの厄介事を背負っていたのだとしたら?


 関わった私が巻き込まれるのも不自然ではないはずだ。


「それは私には答えられませんわ。ごめんなさい。大丈夫ミーニャ様、私たち友達ですから。苦しくないように殺してさしあげますわね」


 私は後ずさる。


 けれど、背後には扉しかなくて、どこにも逃げられない。


 近づいてくるアネットと、ナイフの刃を見て、体が冷えていくのを感じた。


 私は「死にたくない」と呟いた。


 だって、やっと幸せになれると思いかけてきたのだ。


 やっと生きてて楽しいと思えるようになってきたのだ。


 友達ができて、気心の知れた使用人がいて、両親は相変わらず私の心配をしてくれるし、見放さない。


 だから、彼等の為にも幸せになりたいと、そう思えてきていたのだ。


 それなのにーー。


 一粒の涙が零れ落ちた時、天井の通気口の枠がはずれて、何かが落ちてきた。


 埃が辺りを包む。


 アネットはその何かに襲われて、地面を転がった。


 視界が晴れてきた中、肩に傷をおったアネットが「何者ですの!?」と問いただす。


 すると、落ちてきたその人が名乗った。


「お前達の元同業者。脱走した暗殺者ツァイト。ーー安心しろ、組織の情報は誰にも漏らしていないから。って言っても上の人間には信用してもらえないんだろうけどな」


 その人物は、数年前に屋敷から出ていったツァイトだった。


 彼は暗殺者だったらしい。


 普通ではないと感じていたが、やはりそうだった。


 脱走という事は、足を洗ったのだろうか。


 見た所怪我もなく、顔色は健康そうだ。


 きっとうまく普通の生活にとけこめたのだろう。


 そのままでいれば、これからも普通の生活を送れたはずなのに。


「これからは俺が、お前をミーニャを守る。決心するのが遅くなったのは、ごめん」


 けれど、私を助けるために、ここに駆け付けてきてくれたのだ。


 ツァイトは懐から短剣をとりだして、アネットと戦い始めた。


 その力量はすさまじく、わずか数秒でアネットを倒してしまった。


「あっ、ありがとうございます」


 呆然としていた私は、やっとの思いでそれだけを絞り出した。


 ツァイトは持っていた縄で、アネットを縛りながら、こちらに視線を向ける。


 少しだけ、臆病そうな様子になりながら。


「改めて、ごめん。俺が関わったばかりに」


 私は首を振る。


「ーーあの時、助けないという選択肢は、私の中にはなかったんです。だからこうなるのは必然だったと思います」


 それだけは迷いなく断言できる。


「そうか」


 私はきっと、彼を放っておけなかっただろうから。


 今にして思えば、彼は私と似ていたんだろう。


 幸せになる事を諦めそうになりながらも、諦めたくないとひそかに心の中で叫んでいた、そんな昔の私に。


 アネットを縛り終えた後、鍵をあけてみればマルタとサルタに怒られ、心配され、抱きつかれての大騒ぎになった。


 ひと段落着くまでに数十分も時間がかかったのは、付き合いの長さゆえ、かなり気が気ではなかったからだろう。







 それからツァイトは、私の護衛として使用人になる事が決定した。


 屋敷に引きこもっていれば、マルタとサルタだけで十分だっただろうけれど。


 学校には行きたかったから。


 両親は心配したけれど、私は学校に通う事をやめたくなかった。


 同好会のメンバー数は変わらず。


 しかし顔ぶれは変わって、アネットが抜けたかわりにツァイトが入る事になった。


 アネットが私を襲ってきたのはショックだった。


 けれど、彼女と過ごした思い出の部屋がなくなってしまうのは寂しかったのだ。


「まだここに通うなんて変なやつだな。昔からそう思っていたけど」


 同好会の書庫にある本をパラパラとめくりながら、ツァイトはそんな事を言ってくる。


 読書があまり好きではない彼は、ほとんどいるだけのメンバーと化していた。


 けれどそれでも、私の為にこの部屋に来てくれる。


「アネットが暗殺者だった事はショックだったけれど、彼女のおかげで気付けたことも色々あったから。なくしたくないんです、良かった事まで」

「お前は強いな」

「そんな事を言われたのは初めてです」


 私は自分の事を、ずっと弱いと思ってきた。


 今でもそう思っているから。


「もしかしたらそれは、あなたが傍にいてくれるからなのかもしれませんね」


 ツァイトは顔を赤くして、そっぽを向いてしまった。


「それが、本当なら。守ってやるよ、お前の事。何があっても、どこにいても絶対に」

「ありがとうございます」







「お嬢様、換気しますよ」

「換気するついでにお邪魔虫も埃と一緒に飛んでいけばいいのに」


 毒舌を披露するマルタとサルタが、部屋の空気を循環させる為に窓を開けた。


「そんなわけにはいくかよ。俺には約束があるんだからな。絶対にあいつからは離れねぇ」

「おやおや?」

「まあまあ?」

「これは知らない間に何かあったと」

「それしかないかと。……まじかよ」


 季節が巡って、今は春。


 二年生の始まりの頃だ。


 近くにある木から桜の花びらが風に流れて舞い込んできた。


 異世界にもあるその木は、窓の外にあるやさしい淡い色の空によく似合っていた。



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