顔も忘れてしまった貴方との再婚約なんて絶対にありえませんわ。
「あら、あの方の顔ってどんな顔だったかしら?」
三年前に会ったっきりの婚約者ブリント・エーデル公爵令息。
公爵令嬢マリディティア・ハルデスは、首を傾げた。
それはもう、金髪で青い瞳の美しかったブリント。15歳の美少年にマリディティアは心がときめいたものだ。しかし、三年前に婚約を結ぶ初対面に会ったきりである。
マリディティアは18歳。
そろそろ、婚約期間を経て、結婚を。
と、両家から話が出ているのだが。
しかし、婚約を結んで今まで、王都で王立学園に通うブリントとハルデス公爵領で父に領地経営を習うマリディティアは、互いに会う事は無く。
マリディティアはさすがに没交渉はまずいと、こちらから手紙を書いても相手から返事はなし。
だったら、久しぶりに顔を見に行きましょうと、相手が夏休みの時になら、ブリントもエーデル領地に戻って会えるだろうと思っていても、領地に戻っていないという話で。
プレゼントを送っても、型通りのお礼の手紙が届くだけで。
こちらへのプレゼントはまるで無し。
両親に話をしても、父である公爵は、
「対抗派閥の我がハルデス公爵家はエーデル公爵家の次男を迎え入れる事によって、両家の絆を深める事にしたのだ。だから、この婚約は重要だから、解消は出来ない」
マリディティアは父に向かって、
「でも、初顔合わせ以来、お会いすることもないのですわ」
「これは命令だ。結婚すれば、互いに顔を会わせる。もし、相手が浮気してようが、愛人を持とうが、それを認めるのが公爵夫人たるお前の役目だ。お前はブリントとの間に子を作ればそれでいい。さすがに愛人や他の女の血をこちらに入れる訳にはいかないがな」
ひどい父だと思った。
母も頷いて、
「これが貴族の夫人の在り方なのよ。いいわね?マリディティア」
マリディティアは、
「はい。かしこまりました」
了承するしかなかったのである。
マリディティアは愛ある結婚に憧れていた。
それなのに、全く三年間、顔を会わせない男と結婚しなければならない。
多分だけれども、浮気をしているのだろう。
全く、顔を会わせてくれないのだから。
マリディティアは決意した。
「そういう訳で、わたくし、貴方様と結婚しとう存じます。ですから、どうか婚約者の変更をエーデル公爵様に申し出て頂けないでしょうか」
王宮にある図書館の館長をしている、エーデル公爵の弟のユリウス・エーデル伯爵は驚いた。
伯爵位を貰って、彼は伯爵だけれども、王宮の図書館長をしている黒髪美男である。
歳は28歳。マリディティアとは顔見知りであった。
ハルデス公爵領の山々が好きで、夏休みによく旅行に訪れていたからである。
そこで、マリディティアと知り合う機会があった。
マリディティアはバイオリンが趣味である。
バイオリンを庭で弾いていたら、道からバイオリンの音が聞こえてきた。
使用人に確認させたら、旅行中のユリウス・エーデル伯爵だったのである。
父は彼を招き入れて、馳走をふるまった。
対抗派閥とはいえ、彼は王宮にある図書館の館長も務めている。それに対抗をやめようと言う動きでエーデル公爵家とハルデス公爵家で歩み寄りの婚約も結ばれている。
ユリウスに対して酷い対応は出来ない。
接待をしている時に、共にバイオリンを演奏し、マリディティアにとっては忘れられない良い思い出になったのだ。
彼は10歳年上で、いまだに結婚していない。
ああ、3年も会っていないブリント様よりも、彼が婚約者だったらいいのに。
どんなにそう思ったことか。
だから、意を決して、王都へ護衛騎士達と共に、馬車で出かけて、王宮図書館へ押し掛けたのだ。
王宮図書館は貴族なら、誰でも入館を許されていた。
ユリウスは困り切った顔をして、
「君と不貞を疑われる。私は兄と関係を悪くしたくはないんだ」
「でも、わたくし、ブリント様とは三年も会っていないのですわ」
「え?そうなのか?」
「ええ。こちらから会いに行っても、会えないですし、プレゼントだって頂いた事がありません。わたくし、ブリント様の顔を忘れてしまいましたの。彼は浮気をしているのでしょうか?誰かほかに好きな人がいらっしゃるのかしら?両親は我慢しなさいと言っておりますけれども、三年も会えなかった人と結婚だなんて耐えられません。あまりにもわたくしに対して無関心すぎます。わたくし、貴方様とバイオリンを演奏したあの夏が忘れられなくて。どうか、わたくしと結婚して下さいませんか?わたくしは、わたくしは……」
涙がこぼれる。
まだブリント様の婚約者なのに、不貞を疑われる発言をしてしまった。
貴族令嬢として失格だ。
男性の浮気は大目に見られるけれども、女性の浮気は白い目で見られる風潮がある王国だ。
ユリウスは、
「君がそんなに苦しんでいるなんて知らなかった。解った。兄に話をしてみよう」
「有難うございます」
エーデル公爵はあっさりと婚約者の変更を認めた。
こちらからハルデス公爵家に婿入りする。そういう婚約だ。
弟の伯爵であろうと、息子であろうとどちらでもいい。伯爵はエーデル公爵家にとってお飾りの爵位。
ユリウス自体、伯爵の仕事は社交しかしておらず、伯爵領の領地経営の実権は公爵が握っているのだ。
弟が婿入りすれば、息子にその空いた伯爵位を継がせればよい。
そのような考えのようで、両家で話し合いが行われてすんなり変更された。
父であるハルデス公爵も認めたのだ。
エーデル公爵家の人間が婿に入ってくれるのなら、弟であろうが、息子であろうが構わないと。
マリディティアは喜んだ。
ユリウスはとても優しくて、仕事の合間を縫って、領地に会いに来てくれる。
屋敷ではバイオリンの演奏を一緒にして。色々と互いの事を話しをした。
本当に幸せで。
こんなに心を通わせる相手と婚約出来て、結婚出来る事が幸せだった。
ユリウスと半年後に結婚式を挙げると両家の話し合いの末、決定した。
マリディティアも18歳。結婚出来る年頃である。
そんなとある日、来客があると言う。
マリディティアにだ。
それはブリント・エーデル公爵令息だった。
久しぶりに見るブリント。
いや、初対面から二回目だから、こんな顔だったのかという印象で。
調った美しい顔のブリントは顔を歪めて、
「お前は私の婚約者だったはずだ。それが何故?叔父上に変わったのだ?」
「貴方は三年間、わたくしに会おうともしなかった。だから、ユリウス様に変更して頂いたのですわ」
「どうせ、結婚するのだ。それも政略で。何でわざわざ会わなくてはならないのだ?」
「何故って。結婚するからには、互いの人柄を確かめ合って、愛ある家庭を作りたい。だからわたくしは」
「くだらない。政略だぞ。愛なんてなくても良いではないか。お前と子さえ作れば問題はない。後は好きに恋愛をしてだな。自由に過ごせばよいではないか」
「くだらないですって?」
「そうだ。私は愛人を作るつもりだ。その為の女性を見繕っている最中だ。だからお前も好きにするがいい。婿に来てやると言っているんだ」
「貴方とわたくしの婚約は、解消となっていて、ユリウス様がわたくしの新たなる婚約者ですわ」
「馬鹿馬鹿しい。叔父上はお前より10歳年上だぞ。私は同い年。若い方がいいに決まってる。だから婚約者を私に戻せ」
「絶対に嫌です。わたくしとユリウス様は半年後に結婚しますの。良いではありませんか。貴方様はユリウス様の伯爵位を継ぐことが決定しているのですわ」
「この私が伯爵だと?叔父上より下だと?そんなの許させるはずがない。私は公爵家の人間だ。だから私と再婚約をしろ」
「絶対に嫌ですっ」
使用人の女性の護衛騎士が間に入ってくれて。
「お帰り下さいませ。これ以上、お嬢様に無礼を働いたら、騎士団へ通報致します」
「くそっ。覚えていろ、絶対にお前と再婚約してやる」
帰って行った。
父に報告したら、
「両家で決定している婚約に異を唱えるとは。エーデル公爵家に苦情を入れておこう」
マリディティアはこれで、無事にユリウスと結婚出来ると安堵したのであった。
しかし、ブリントはしつこかった。翌日も来て、門の前で喚き立てる。
マリディティアの部屋までその声は聞こえては来ないが、遠目からブリントの姿が見えた。
「三年間もわたくしに会わなかったのに……そんなにも公爵になりたい訳?」
見ていたら、別の馬車がやって来て、中からユリウスが出て来て、ブリントと話をしているようだった。
慌てて、マリディティアは門の前まで出ていく。
ブリントはユリウスに押さえつけられて、喚き散らしていた。
「私が公爵になるっ。私がふさわしい。だから、叔父上は婚約解消して、この女と私が再婚約すると言っているんだ」
「兄上との話はついている。私とハルデス公爵令嬢との婚約は解消されることはない」
「煩い煩い煩いっ」
喚きちらすブリントに、マリディティアは、門の前で叫んだ。
「三年間も放っておく貴方なんかと、婚約なんて二度としないわ。もう、二度と、関わらないで下さいませ」
「もう、お前の意見なんて聞くものか。叔父上の意見もな。もう一度、父上に頼むんだ。お前と婚約できるようにっ。父上は私の意見を聞いてくれるだろうよ」
「それは有り得ない」
背後にマリディティアの父であるハルデス公爵が立っていた。
「ここにきて又、婚約者の変更とは、エーデル公爵もさすがに許さないだろう。まぁ女をないがしろにしてもかまわぬ貴族社会だが、娘がどうしてもユリウス殿がいいと言うのでな。それに公爵令息として、門の前で喚き散らすとは、どういう教育を受けているのだ?そんな男を婿にしたら我が公爵家が苦労するのが見えているわ。帰って貰おうか」
「甥が迷惑をかけてすみません」
ユリウスが謝ってから、ブリントを連れて、馬車で帰って行った。
マリディティアは思った。
あんな我儘な頭のおかしい、男が婿にならないでよかったと。
三年間も放っておかれたのだ。その恨みは深いのよ。
ブリントは結局、伯爵位を貰えなかった。
何故なら、有名な辺境騎士団と言う騎士団に拉致されてしまったからだ。
エーデル公爵は文句を言おうとしたらしいが、国王陛下に止められてしまった。
あそこの騎士団に逆らわない方がいいと。
今頃、ブリントはムキムキ達にかわいがられていることだろう。
マリディティアは幸せだ。
ユリウスと共に、バイオリンを弾いて、互いに心を近づけて。
色々と話をして、将来のハルデス公爵領をいかに富ませるか、議論を交わして。
夫婦とはこうありたいと、この人ならば、心を通わせることの出来る夫婦関係を築く事が出来るだろう。
ユリウスと今日もバイオリンを奏でる。
二人の奏でる美しい音色は秋の碧い空に吸い込まれるように、美しく響き渡るのであった。