第3話 悪い癖
『……あと、次会える日っていつですか。まだ話したいんです、色々』
駈は寝る前に女の子との会話を振り返り、その意味を考えていた。
話したいことってなんなのだろう。もしかして泣いていたこと、尻尾のことは誰にも言うなといった脅しをするのだろうか。いやいや、あの子に限ってそんなはずはない。雑念のない無垢な笑顔を向けてきたのだから、あれが偽りだなんて――
「そういえば、名前聞きそびれたな……」
駈は思い出したかのように小声で呟く。初めて会っただけの関係で相手のことが気になってしまったのだろうか。
確かに幼い女の子が泣いていたら気になりはするが、自分が首を突っ込むことができるほどの関係性ではない。だから邪魔になるだけだ。そうだとしても名前は知っておいて損はないのではないか。
駈は気づけば終わりの見えない自問自答を繰り返していた。素直に名前を聞けばいいだけなのに、何かと理由をつけて正当化しようとするのは昔からの悪い癖だ。
小学生の時に、クラスで最新ゲーム機での遊びが流行っていたとしても何かと難癖をつけて見栄を張っていた。
その結果友達もできず孤立し始めた。あの時素直に「やりたい」と言っていれば楽しく、退屈な日々とは程遠い時間を過ごすことができたのではないか。
今更後悔しても遅いが、やはり自己嫌悪してしまう。
心のわだかまりが消えないまま、無理やり瞼を閉じた。
◇◇◇
結局翌週になっても女の子の言っていた言葉の意味を考えていた。
なぜここまで考えているのだろうか。また癖で何かと理由をつけて自分で納得したいのだろうか。また、考え込んでしまう。
「おーい、駈さーん」
「ど、どうした?」
「いやさ、ここ最近小説読みながら顔をしかめているみたいだからさ。なんかあったのかなって」
突然顔前に手を突き出し話しかけてきた男子に駈は驚きながらも、その男子は気にせず坦々と言葉を続ける。
話しかけてきたクラスメイトは小中高が同じの腐れ縁で、片桐 速人という。
小学生の頃から成績優秀で運動神経抜群、絵にかいたような文武両道さで男女問わず憧れの存在だ。速人とは中学までクラスが同じでよく一緒になってやんちゃしていた。しかし、高一で一度クラスが分かれ、一緒にいる時間は減っていった。
二年からは同じクラスとなり、今は隣の席にいる。
「なんもないよ。ただこの小説シリーズの内容が難しかっただけだよ」
「ふーん、なんもないならいいんだけど」
速人は自分のまわりにいる人間をよく見ていて、考えるより先に行動するタイプの人間だ。今回の件だって恐らく、駈が怪訝な顔をしていて、いつもと違う雰囲気を感じ取ったから話しかけにきたのだろう。
しかし先週女の子に会った話などできるわけもなく適当に誤魔化した。その返答に釈然としていないのか、眉をひそめていた。
「まぁ、大丈夫そうなら心配ねぇな」
「あ、うん。そうだね」
「なんか悩みがあるなら俺に相談して構わんからな」
「そっか。ありがと」
駈は言葉とともに渾身の作り笑いを添えた。
やはり速人は良い人だ。気になって話しかけにくるが自分からは詮索しない。常に相手のことを考えて行動している。ずっと一緒にいたからわからなかったけど、速人も俺とは違う世界で生きている人間なのだろうか。
(やっぱり俺は相手の顔色ばかり窺って、言いたいことも言えない、周りに流されてばかりの卑怯な奴だよな……)
駈は意味もなく自分と速人を比べて、勝手に落胆する。
その気持ちを落ち着かせるためにそっと読んでいた小説にしおりを挟み、机の上に突っ伏して何も考えないようにした。
結局答えが出ないまま放課後を告げる鐘の音が鳴った。駈は早々に荷物をまとめて教室を後にしようとした。
「ちょ、駈。学級日誌忘れてるぞ」
「あー、忘れてた……。ありがと、速人」
朝から考え事をしていてすっかり忘れていた。
日直の仕事は簡単で、学級日誌なるものに当番日の各授業でやったこと、本日の感想を記入するのだがそのいずれも駈は忘れていたのだ。
各授業の終了直後に記入していくのが妥当で、それを行わなかった場合放課後に書き込むしかない。駈は流れるような速さで書き進め、担任に提出し今度こそ教室を後にした。
校門を出た直後、約束の場所に急がなくては、という使命感に襲われた。
確かに、学級日誌を忘れて普段より遅く教室を出た。それもたかが数分で大幅に遅刻するというわけではない。しかし、どうしてか急かされる。
駈は突然起きた初めての出来事に戸惑いながらも、その使命感に身を任せ桜丘神社の木がある丘に向かった。
鳥居がある場所まではあっという間だった。向かっている途中の足取りは今にも飛び立ちそうなほど軽く、走っている最中は疲れをあまり感じなかったが、駈は一つ忘れていた。それは鳥居から数十段ある階段を上らなければならないということだ。
駈は一度深呼吸を挟み、肩で息をしながら一段一段上っていく。
何とか神社に着き、小道に足を運び約束の場所へ向かう。早く着いてしまったのか、女の子はまだ来ていなかった。駈は疲弊した身体に休憩を与えるために木の下に座り込んだ。
その瞬間、右肩を叩かれた。駈は驚きながらも女の子が来たのかという期待感の方が強く、反射的に振り向いた。
「うわあ!!??」
「もう、三橋さんびっくりし過ぎですよ」
小さい頃よく見た悪戯をしてからかってきたのだろう。女の子の手から伸ばされた人差し指が駈の頬に当たっていた。
駈は素っ頓狂な声を出してしまった焦りとからかわれた羞恥心で、たちまち顔が赤くなる。
「ちゃんと来てくれましたね。嬉しいです」
真っ直ぐで穢れのない瞳と、無邪気な笑顔が駈の鼓動を加速させていった。
その鼓動は今までに経験したことがないほど大きく、速い。女の子に聞こえていないだろうかと不安になるほどに経験したことのない胸の高鳴り。
ここに来ると悪いことなど考える暇もないほどに、本心が湧き出てくる。
どうしてだろうか、今なら急ぎたくなった理由がわかる気がする。




