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押入れの奥が社長室でした。

 願いは口に出していると叶う。


 ときどき聞く言葉。

 世の中そんなに簡単なわけが、と反発するのを(こら)えて聞き入れてみれば、案外的外れでもなかったりする。

 たとえば「彼氏が欲しい!」と口にする。それを聞いたひとが「いまフリーなのか」と了解し、知り合いの誰かと引き合わせてくれる。そういうカラクリ。


 あのひとに会いたい。

 こういう仕事がしたい。

 欲しいものがある。


 心で思うだけではなく、言葉にしているうちに、誰かに届いて実現する。

 人の世はいつだって出会いの奇跡が溢れていて、前向きに生きていれば良いことのひとつやふたつ、必ずある。

 だから恐れず口にしよう、その願い。


「あ~……通勤面倒くさい……。朝起きて地下鉄の駅まで行って電車乗って乗り換えて電車乗って会社通うの心底面倒くさい……。ただでさえ毎日毎日毎日毎日仕事で疲れている社畜なのに片道一時間半、往復で三時間無駄……。もういっそ会社と家が繋がってしまえばいいのに。玄関出たら会社~」


 古河龍子(こがたつこ)は、欲望の赴くまま脳内の悩みを垂れ流し、コタツの天板に頭をゴツンと打ち付けた。

 実際、自宅と会社がつながっていたら楽には楽だが、それはもう会社に住んでいるのと変わらない。会社に住みたいわけでは、ないのだ。


(疲れてる。疲れてます。わかってるわかってる。だいたい、疲れている原因は会社というか、たぶん自分の問題……)


 龍子は、新卒で都内大手不動産会社に入社。現在二年目。所属は激務の代名詞、営業部。

 生き馬の目を抜くような俊敏さや狡猾さ、勝負強さ。

 あらゆる能力の高さが個々人に要求される花形部署と思われがちだが、龍子が配属されているのはその中でも第六営業部。

 御用聞き、雑用、ドサ回り等、その業務内容から玉虫色のあだ名で呼ばれている。

 実際に、激務は激務でも、第六の忙しさは異色だ。

 第一~第五が営業成績で火花を散らす中、第六はどこからも避けられている問題案件を多く扱っている。実入りが悪く、出世に結びつき辛く、手間はかかる。言ってみればハズレくじ。


 龍子も、二年目にして任されている顧客は多い方だと自負しているが、大体にしてかなりの難あり案件ばかり抱えていた。

 いまの会社規模で扱うのは例外的な、古くからの付き合いのあるアパートの大家。

 地上げが決まってやりとりしていたものの、事業が停止してしまい再開見込みのたっていない土地の地主。

 たとえばそういった「会社的に即座に切れないが、すぐに売上につながらない顧客」と定期的に連絡を取る業務が多い。


 もちろん、営業として成績につながらないのはよくわかっている。であれば、必要以上に時間をかけていい相手ではない。

 そうわかっていても、いざ外回りで出向けばずるずると相手のペースで話しこまれてしまい、会社には申告できないサービス残業が多々発生してしまっている。それが自分の首を締めて、労基法的にはクリーンなはずの会社に在籍しながら、過労にみまわれているのだ。

 これは自分が悪い。

 頭ではわかっている龍子であったが、なにぶん祖父母に可愛がられて育った身で、どうも年寄りの長話を邪険にできない性格なのだった。

 かくして、朝早く出ても帰宅は遅く、コタツに入ればそのまま死んだように寝てしまう。


「コタツで寝たら血流とかの関係で死ぬ場合もあるんだっけ……不健康に年齢は関係ない……。二十代でも死ぬときは死ぬよね。布団敷こう」


 声に出して呟き、ようやく龍子はコタツを抜け出した。

 ところは学生時代から住み続けている安普請のアパートの一室。

 社畜らしく着替えやゴミの散らかった無惨な状態は見て見ぬふりで(ふすま)に向かう。

 手をかけながら、溜息とともに未練がましく呟いてしまった。


「せめて通勤時間がもう少し短ければ、もっと寝られるのに。あ~、青い猫型ロボットさん、助けてよぅ。おたすけ道具出してよう。『どこでも襖』で、襖を開けたら会社に到着~」


 襖を開く。


 ガラッ。







 ぴしゃ。


 開けて、閉じた。

 布団がなかった。


 そこに広がっていた光景は――


 嘘みたいな夜景を臨む、高層ビルのガラス張りの一室。

 広々とした空間に、敷き詰められた厚手の絨毯。おしゃれな観葉植物。

 高級を極めたエグゼクティヴデスクがあり、クラシックなダブルスーツを身に着け、葉巻をくわえたロマンスグレ―の紳士が……いたら、それはもう漂流社長室にでも行き着いたんだなるほど(わからん)でもなかったが、実際にいたのは猫だった。


 猫と眼鏡の青年が、額を付き合わせる距離で何か話をしていた。

 龍子の気配を感じたのか、猫と青年が同時に振り返った。

 その瞬間に、龍子は襖を閉じたのだ。

 襖に手をかけたまま、龍子は頭の中でいま見た光景を振り返る。


(あの眼鏡のひと、見たことあるかも? うちの会社の秘書課の、イケメンって噂の……興味なくてよく覚えてないけど。もしかしてあれは、うちの会社?)


「社畜やば……幻覚やっば」


 現実に戻ろう、という意味を込めて声に出して呟く。

 そう思っているのに、もう一度襖を開けて確かめる気はなかなか起きない。あろうことか、龍子がぐずぐずしている間に、襖の向こうから、やけにドスのきいた低い美声が響いた。


「おい。いまのお前、営業部で顔見たことあるぞ! 逃げられると思うな。この襖を開けろ。三秒以内だ。三、二、」


 三秒は短い。

 開けることも逃げることもできず、龍子はその場に立ち尽くしていた。

 一、と無情な声が響き、つかの間の沈黙。


 数秒後、ドカーン! と雷鳴のような音が鳴り響き、襖が奥から何者かによって押された。


(この世の終わり)


 怯えきった龍子であったが、意外にもボロ襖は第一撃、持ちこたえた。

 そのあと、ぽすぽす、と妙な音が続くも、襖は開く気配がない。


「え?」


 思わず声に出した龍子に対し、美声の持ち主が襖の向こうから声をかけてきた。


「おーい、ここを開けてくれ。俺いま猫だから無理だー」


(いやいやいや猫ならそこは「にゃあ」でお願いしますよっ! 人の言葉をしゃべる猫は猫っていうか……もののけの類では?)




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― 新着の感想 ―
[一言] 姿の見えない状態で「にゃあ」と言ってくれないと萌えないものなのですね…(遠い目) ステラマリスのハイスペイケメンたちをぎゅうっと濃縮した社長と秘書を期待してます(小声)
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