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第9話 季節ノはじまり

 夢のような時間から現実に戻る。といっても夏季休暇に入った為、店の手伝いと課題の日々が主だ。


 「春江、計画書作ってきたから」

 「……計画書ですか?」


 閉店間際に差し出された書類の束には、工事の着工期間や金額等の細かな機材の指定まで詳細に記されていた。

 現実問題として改装するには資金がいる。十代の頃から店の手伝いをしている彼女であっても、増築となれば流石に資金が足りない。融資をお願いするにしても父の名義でしかできず、できたとしてもどこまで理想に近づけるかは皆無であった。店を継ぐという漠然とした目的が、急に現実的になったのは彼のおかげだろう。描いた夢を形にする努力をしてきた彼女であっても、学生にできることは限られている。だからこそ、弁護士事務所でアルバイトをしながら実家を手伝う選択をしようとしていたくらいだ。


 細かな見積もりまで書面にして見せられ、彼の用意周到さに驚きを隠せない。一体いつから計画していたのか聞いたところで微笑まれるだけで、教えてくれなそうな感じではあるが。


 「ここまで考えてくれていたんだね……」

 「はい! 残したい場所ですから」


 完成図は夢を形にしたような小さなステージのあるバーだ。隣で瞳を輝かせる春江だけでなく、誠も楽しみな様子が見てとれる。

 改装工事中は近くのマンションを借りる算段となり、考えていたよりも大規模な工事が始まることとなった。


 マンションの仮住まいの家に彼が来るようになったのは必然だっただろう。家族の一員のようで、誠も彼がいる事が当たり前のような反応だ。居ない日があると、春江に仕事が忙しいのかと尋ねるくらいである。


 夏季休暇中に工事が着々と進む中、三人で囲む夕飯で雄治が口にしたのはもっともな疑問であった。


 「店名は?」

 「…………考えてなかったです……」

 「雄治くんは?」

 「俺?」

 「あぁー、この提案は雄治くんの資金がなければできなかったことばかりだ。何か考えていた名前があるんじゃないのかい?」

 「さすが誠さんですね」

 「雄治くんとも長い付き合いになるからねーー」


 春江の手料理を美味しそうに口に運んでいた手が止まり、真面目な声で応える。


 「……“spring“と迷ってるんですけど…………」

 「えっ? まさか……」

 「春江の名前から取ったに決まってるだろ?」

 「うっ……」

 「間をとって“seasons“で」

 「由来を聞いても?」

 「“どんなに季節がめぐっても、変わらずに音楽が響くような店”になるようにって感じですかね」


 即決した名前に誰も異論はなく、むしろしっくりと馴染んだようだ。

 

 「俺的には、やっぱりspringでも」 「それは却下です!」


 かなり食い気味で否定され悪戯心が湧くが、愛おしさに免じて微笑むに留める。仲睦まじい様子に、誠は実に嬉しそうに微笑む。恥ずかし気もなく告げられ、毎度のように染まりながらも微笑み返す姿が愛おしくて仕方がないと見てとれる。誠にとって雄治は友人のような、息子のような存在であったが、現実になる日も近いと感じていた。


 雄治の借りたマンションの一室は、二人で住むにはかなり広々としていた。その為、春江の自室に割り当てられた部屋にダブルベッドに、テーブルや椅子を置いてもまだ余裕があった。店が改装工事中になった今、彼が春江の家に毎日のように通う事になったのは必然だろう。


 「春江、おやすみ……」

 「雄治さん……おやすみなさい……」


 最初は隣で眠ることに違和感しかなかった彼女も、一緒に過ごすうちに慣れていった。今も額に唇を寄せられ、頬が微かに染まっていても慌てる様子はない。

 そっと瞼を閉じて願う。夢が形になる瞬間を。


 夏季休暇中は当初の予定通り弁護士事務所のアルバイトを行い、課題に取り組んでいた。卒業旅行の資金調達が主な目的に変わったが、彼に甘えようとせずに働く真面目さに頼って欲しい反面、彼女らしさを感じてもいた。


 「……雄治くん、ありがとう」

 「誠さん、改まってどうしたんですか?」


 日中の彼女が不在の時間帯にも関わらず、雄治が訪ねる機会は多々あった。誠以上に彼の方が、歳の離れた友人でありながら父親のような存在と感じていたのだろう。慕っているからこそ居心地の良さから離れられずにいた。


 真剣な声色で告げられ、わざとらしく告げても敵わないと悟る。


 「……俺が、そういう場所を作りたかったんですよ……」

 「それでも……今の雄治くんなら、イチから作ることもできたでしょ?」

 「そうですね……他に使い道もないですし…………」


 穏やかでありながら、まっすぐな瞳は彼女とよく似ていた。頑固さは父親譲りかも知れないと頭の片隅で思いながらも、ゆっくりと口を開く。


 「…………いつか、話しましたよね……誠さんにも迷惑かけた時期があるくらい、ロクな親じゃなくて……」

 「雄治くんは、よく頑張ったからね」

 「かなり荒れてる時に、音楽だけが残って……ぶっちゃけ嫌いでした…………本質よりも、求められる虚像が嫌で、有難いことであるはずなのに聴いてくれなくていいとさえ感じて…………そんな自分も嫌いでした…………」

 「そうだったね……」

 「…………救われていたのは、俺の方です……何の味もしなかったご飯が、はじめて美味しいと感じて……」


 言葉を選び伝えようとする姿勢は、彼女に負けず劣らずの真面目さだ。


 「……春江を想うと、音が溢れていくようで…………誠さん、ありがとうございます……」

 「いや、直感的に似ていると感じたから……」

 「似てますか?」

 「あぁー、雄治くんも春江も真面目だからね。それはいいことではあるけど、身動きが取れなくなるようじゃ足枷にしかならないから…………今の店はね、僕の代で終わっていいと思っていたんだよ。ただ、こうして二人が継いでくれるなら、それ以上の喜びはなくてね……」


 孤独を知っているからこそ染み入る歌詞と旋律。いくら耳馴染みのいい言葉を並べたところで、無知なままでは届かない。【風間雄治】の曲が使われ続ける理由は確かにあった。流行りに敏感でありながらも、流される訳ではない楽曲。誰にでも当てはまるような使い古された言葉であっても、重みのある表現力。そのどれもが備わっていたからこそ、今の彼があるのだろう。


 ここがバーだったならお酒を酌み交わす場面だが、昼時のためコーヒーで乾杯していた。変わらない味に巡る想いと、近い将来の夢を語りながら。


 春江が行う書類整理が主な業務のアルバイトは、実に順調であった。根の真面目さも相まって几帳面にまとめていく。パソコン作業には手慣れたもので、所長が『良い子がアルバイトに入ってくれた』と、喜んでいたくらいだ。

 そうとは知らず当の本人は定時に終えて帰宅すると、並んでキッチンに立つ姿に目を見開いていた。


 喫茶店兼バーを経営する父の料理の腕はプロであるが、彼はお米を研ぐくらいしかできなかったはずだ。する機会がなかっただけで、やろうとすれば人並み以上にできるようになるのだろう。一週間ほど続いた父の指導のおかげか、目の前には形の整ったハンバーグのプレートが置かれていた。 


 「…………美味しい……」


 雄治が父とハイタッチを交わして喜ぶ姿に、自然と綻ぶ。


 「誠さんのおかげですね!」

 「いや、雄治くんの努力の成果だよ」


 仲睦まじい二人に瞬かせながら、この数ヶ月で随分と距離感が近くなったように感じた。以前から親しいと感じてはいたが、思っていた以上に気安い仲なようだと、その反応からも分かる。


 三人で食卓を囲むようになり、毎日のように借り住まいを訪ねる雄治が同居することになるのに、そう時間はかからなかった。


 大型のスーツケースを片手に越してきた彼に瞬かせれば、悪い顔が二つ並んでいた。彼女がアルバイト中に計画を立てていたからだろう。ドッキリが上手くいきご満悦な様子が見てとれ、ジト目で睨んだところで効果はないと、彼女自身も分かっていた。


 「…………雄治さん、おかえりなさい」


 急激に染まったのは彼の方であった。珍しい反応に心の中でガッツポーズをしたが、雄治には伝わっていたのだろう。徐に頬に手が触れ、心音が速まる。


 「ーーーー今夜、覚えておけよ?」


 頬に触れた唇に瞬く暇もなく、父と共にキッチンに立つ彼に敵わないと悟る。そもそも経験値が違いすぎると、今更のように感じながら微笑む。最初は慣れなかった光景が、今では日常の一部だ。日付が変わってから帰宅することもあり、同じ場所に住んでいても毎日のように顔を合わせる訳ではない。ただ、彼の調整によって平日の夕食は一緒に取れるようになっていた。

 近い将来の約束が夏季休暇中に現実に変わり、彼女の卒業までに店も完成するだろう。語るだけになっていた夢が、次々と叶えられていくとは、数ヶ月前までは思ってもいなかったことばかりだ。今も風呂上がりの彼がドライヤーを片手に彼女を待ち構えていた。


 「春江はここね」


 当たり前のように彼の前に座るように促され、何度目かになる行為であっても不思議な感覚は健在である。


 「…………雄治さん、ありがとうございます……」

 「どうした?」

 「いえ……」

 「同居することになって驚いた?」

 「それは……はい……」

 「俺としては遅かったくらいだけどなーー」

 

 くすくすと可愛らしい笑みに、そっと指先が伸びる。

 触れ合えば言葉にならず夜が更けていった。

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