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第8話 メロディーと共に

 あの日……喪失感にかられながらも、何もできなかった自分が酷く無力に思えた。

 雄治さんの曲が、胸に刺さって…………


 空気が震えるような感覚が襲い、背中にある温かな手にすべてを委ねてしまいそうになる。

 雄治のハスキーな歌声に顔を上げれば、微笑んでいた。


 優しい瞳を向けられたまま歌われ、贅沢なひと時が流れる。アカペラとは思えない安定したピッチで紡がれ、胸の奥が熱くなるようだ。


 『……出逢えたことが……奇跡みたいよねーー』


 今の私もそう…………同じ時を生きてる。

 それだけで、奇跡みたいなことだって思う。

 最期まで心配症のお母さんは、相手の幸せを願っていた……


 『もちろん、お父さんが幸せなら……空から、喜んで見守っているよ』


 数日前に盗み見た苦しそうな姿は何処にもなく、陽気な声で何てことないように告げられれば、病に負けていないように映った。

 最期まで笑顔を絶やさなかった母に、尊敬の念しかない。


 「…………素敵なお母さんだね」

 「はい……」


 瞬かせながらも即答すれば微笑まれ、高鳴らずにはいられない。間近で感じる体温に促されるかのように遠慮がちに腕を伸ばし、シャツを握る。

 思いがけない行動に瞬かせたのは、雄治の方であった。


 あとで顔を出すと名残惜しさ全開で見送られた春江は、何処かすっきりした表情で店に出ていた。小さな花瓶には変わらずにガーベラが飾られ、店内を彩っている。

 お墓参りの日は毎年のように憂鬱になり、現実を突きつけられる気がしていた。どんなに願っても叶わない夢は確かにあり、投げ出したくなるような現実もあったからだ。


 彼の曲に救われたと感じていたが、雄治は彼女の努力の賜物だと思っていた。髪を綺麗にまとめて接客する姿を見てきたからこそ、そう感じていたのかもしれない。


 客がいなくなり閉店間際になっても姿が見えず、何度となく扉に視線を移す娘に声をかけずとも、心待ちにしていると一目瞭然であった。

 約束を守ると、誠にも認識されているのだろう。簡単にサンドイッチを作り、丁寧にコーヒーを淹れていると音が鳴った。

 待ちかねた来客であるが、入ってくるなり春江はぎゅっと抱きしめられ、声をかけるタイミングがない。耳元で聞こえた小さな呟きに応えるように、そっと背中に腕を伸ばした。


 「ーーーー雄治さん、お疲れさまです……」

 「んーー、春江もお疲れさま……」


 離す所か思いきり吸い込む姿に退こうにも阻まれ、腕の中から逃れられそうにない。見上げれば、嬉しそうな笑みを向けられ言葉に詰まる。

 距離感のバグは今更であるからか、誠はいつもの調子で差し出した。


 「雄治くん、今日のスープは春江が作ったトマトスープだよ」

 「ありがとうございます。楽しみです」


 閉店した店内で、またしても隣に座るように促されて素直に従う。微笑まれる度に自身のしたことで喜んでいると思うと、春江まで多幸感に包まれていた。

 食事を楽しみながら話す姿を眺める。そこに不安な要素はなく、ただ満ち足りた時間が流れていた。

 

 「それで、これ、今度のライブのチケット」

 「えっ?」

 「必ず来てね」


 徐に手渡されたチケットで最前列だと分かる。

 ファンクラブに入っていても抽選を逃し、千里子が地方に行こうか迷っていたくらいだ。ライブチケットは即日完売され、ファンクラブに入っていても厳しい倍率であった。ライブで見せる貴重な姿にファンは歓喜し、クールなイメージのままであっても生で感じる音は格別であるからこそ、入手困難になるのだろう。

 プレミアがつくようなチケットを無造作に手渡され、恐れ多くも喜びが強い。当たったら見に行く予定で、会場のキャパから気づかれることはないと思っていたし、店員として接する覚悟はできていた。末端の席では人物の判別が難しく、オペラグラスがいるほどだからだ。


 ライブに向けて本格的に調整が始まるため、ここ数ヶ月のように毎週のように会うことは叶わなくなる。ひとしきり抱きしめて満足顔で帰っていく雄治に対し、春江は笑顔で手を振った。

 行けないと思っていたライブに急遽行けることになり、嬉しくない訳がない。彼氏彼女になる前からファンだったのだから。


 ライブ会場では人気のアーティストと何百人もいる観客の一人だ。店員と客以上に離れていると感じながらも、散々愚痴っていたとは思えない姿だ。文句を言いつつも柔軟な対応を見せる彼は、月間ランキングからも明らかだ。ランキング上位の独占状態が続いていて、三ヶ月連続でリリースされた曲も、映画やアニメの主題歌として書き下ろされた曲も、そのどれもが話題になり、CD売り上げも他者より頭ひとつ分以上抜きん出ていた。


 久しぶりに足を運べば、会場前にも関わらず長蛇の列だ。全席指定にも関わらずグッツを求めるファンが多くいる証拠である。


 大々的に設置されたポスターの写真を携帯電話で撮り、メッセージを送る。着いたら報告するように言われていた為、律儀に守っていた。仮に約束しなくとも写真には残していただろう。


 熱気に包まれた会場の照明が落ち、歓声が上がれば曲が鳴り響く。黄色い歓声と共に低い雄叫びのような声援も聞こえる。


 「ーーーーーーーーすごい……」


 一週間前の出来事が随分と前の事のように感じ、声を漏らしていた。


 分かっていた距離感に今更嘆いたりはしない。ただステージで歌う姿に圧倒されていた。抜群の歌唱力に作曲センス、そのどれをとっても一流に値する彼は、デビュー当初から注目の的であった。私生活が見えず、クールな外見も彼の人気に一役買っていただろう。男女問わずにファンがいると、歓声からも明らかだ。


 贅沢な時間はすぐに過ぎ去る。感激のあまり泣き出すファンもいる中、春江の瞳も潤んでいた。ライブでは披露する事が少ない曲が、セットリストに入っていたからだ。聞くまでもなく自身の為の選曲であると伝わり、まっすぐに見つめれば微笑んでくれたような気がした。彼女の周囲では、珍しい表情に歓喜の声が上がっていた。


 アンコールの声が響き渡り鳴り止まない中、ただ立ち尽くしていた。心を掴まれたような感覚だろう。捉えられて離れられず声を出せば、一瞬だけ反応したと分かった。春江の声は確かに彼に届いていたのだ。


 放心状態のまま会場を抜けて着信に気づく。ディスプレイに表示された名前に思わず口元が緩む。


 『春江、来てくれてありがとう……』

 「雄治さん……素敵なライブに招待して下さってありがとうございました……」

 『あぁー……楽しめたか?』

 「はい! とっても!!」


 声からも前傾姿勢だと想像がついたのだろう。くすりと笑みが聞こえたかと思えば声色が変わる。


 『春江…………会いたい……』

 「……はい…………」

 「よかった……」

 「えっ?」


 振り向けば、キャップを深く被った彼に手を取られる。声を上げそうになり、咄嗟に口を手で覆った彼女は賞賛に値するだろう。微かに口角の上がった横顔に無言のままついて行った。


 会場からほど近いホテルに宿泊していたのだろう。ルームキーを使って扉を開ける間も、手を繋がれたままだ。いわゆる恋人繋ぎの状態で、急に腕が上がったかと思えば、唇が手の甲に触れる。瞬かせれば、愛おしそう見つめられ言葉にならない。会いたい想いは春江も同じであった。

 ライブ本番に向けて頑張っていると知っているからこそ、自身からの連絡を控えていた。雄治もその想いが分かっているからこそ、ひと言、ふた言だけの挨拶のようなやり取りに留めた。だからこそ、彼女を見つけた瞬間に呼び止めそうになった。声をかけて抱き寄せたい衝動に駆られながらも、実際は手を繋ぐだけに堪えた。ライブ直後の高揚感を滲ませながらも、【風間雄治】のせいで日常が崩れることを配慮したからだろう。ただ二人きりの空間になれば無遠慮に囁き、唇を寄せる。彼女が瞬かせながらも抵抗しない事は織り込み済みだ。押しに弱い、もとい推しに弱い彼女に、最初から拒否する選択肢はない。性急に求められ、なんとか呼吸を整えれば、数分前までステージにいた彼に愛おしさ全開で求められていた。


 キングサイズのベットの真ん中に寄り添うように眠る。小さな寝息に愛おしさが込み上げ、そっと額に口づけて携帯電話にメモをとる。ファンに手を出す事のなかった雄治が惚れた理由は、純粋でありながらも強さがあるからだろう。今では彼女が原動力の一つとなっていた。


 「…………“春陽”……“春宵”…………うーーーーん、“春を告げる花”かな……」


 真剣な横顔で携帯電話と格闘する彼の声がした。微睡の中で感じる温もりと心地よい旋律に、ただ酔いしれる。

 初めて耳にした歌詞が自身に紡がれたように感じ、涙目になっていたのだろう。目元に触れる指先に体を起こせば、泣いていたと気づく。


 「…………春江、今のは……春江の為だけの曲だ…………聴いてくれるか?」

 「ーーーーっ、はい!」


 はっきりとした口調に微笑まれ、背中に彼の体温を感じながら、携帯電話から曲が流れる。先ほど口ずさんでいた歌は、アンダンテなメロディーに包まれた曲に仕上がっていた。


 「……………………ありがとうございます……」

 「……届いたんだな……俺にとって春江は、この花のようだから……」

 

 身に覚えのない彼女に語ったのは、まともに生きられる道がこれしかなかったという現実であった。

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