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第7話 ガーベラと約束と

 『……奇跡みたいよねーー』


 店内を彩る花に頬を緩ませる母と、温かな眼差しを向ける父。バー営業をはじめる前の喫茶店時代から乾いたレコードの音色が響き、大人なコーヒーの香りに包まれていた。


 懐かしい夢を見ていたと気づき、ぼんやりと滲んだ視界が反転する。


 「……よく眠れた?」

 「?!!」


 僅か数センチ先にある顔と離れようにも、ぎゅっと抱き寄せられて敵わない。


 「ゆ、雄治さん……」

 「ん? まだ、四時過ぎだから平気だろ?」


 首元に顔を埋められ心臓が跳ねるが、お構いなしの様子だ。


 「か、帰らないと……」

 「今日は定休日だろ? 誠さんが宿泊許可出してくれたし」


 いくら居心地がよかったとはいえ、昼寝をしたのは春江の落ち度であり、悔やんでもあとの祭だ。

 首筋に微かな痛みが走り、思わず声を上げても涼しい顔が映る。表情の変化が激しい春江と違って、彼は穏やかなままだ。


 「春江がイヤなら、これ以上はしない…………夜までに考えておいて?」

 「えっ?」


 抱っこされるように体を起こされ、彼の腕に包まれたまま告げられれば抗いようがない。

 寝起きのよく回らない頭はショート寸前だ。


 リビングに移動してからも、寄り添って座られ落ち着かず、映画鑑賞中にも関わらず内容が入ってこない。そっと視線を向ければ交わり、またテレビに移せば、くすりと微かな笑みが聞こえてくる。

 甘い攻防が続き、見たかったはずの映画は、再上映会をする事になりそうだ。


 並んでキッチンに立つが、役に立たない雄治は米を研ぐくらいで、ほとんど鑑賞していた。


 「…………雄治さん、ふざけないでください」

 「ふざけてないよ。愛でてるんだから」

 「なっ!」


 揶揄うような眼差しから急にトーンが変わり、心音が跳ねる。


 「ーーーーっ、できるまで座っててください!」

 「えーーっ……」


 ぐいぐいと背中を押して、キッチンから追いやる。些細な瞬間にもスキンシップを重ねてくる彼に、頬は染まったままだ。

 

 うるさいほどに視線を感じながらも手元を狂わせる事なくできた料理は、彼の好物がメインだ。

 肉汁が溢れるハンバーグにサラダと、大人のお子様ランチ風な夕食だ。美味しそうに食べる姿に、春江の方が緩む。大学が休みの日以外は一人での食事が多い事もあり、自然と綻んでいた。


 「春江はいいお嫁さんになりそうだよね」

 「んっ……なにを言うんですか……」

 「本心だから仕方ないだろ?」

 

 何気ない言葉が心音を加速させる。父にも宣言していたが、どこまでが本気か分からず掴めない。


 当たり前のように用意されていたパジャマにはタグが付いていて、未使用品だと一発で分かる。

 このまま泊まる流れで、広々としたお風呂に浸かるも緊張感は拭えない。使い方を説明されても、どこか現実的ではないとさえ感じていた。


 「…………お先しました」

 「春江、ここにおいで」

 「はい……」


 ソファーに座れば、髪に触れる優しい手つきに高鳴る。されるがままに乾かされ、頭を撫でてから浴室に向かう雄治を見送り、そっと息を吐き出した。


 目の前に置かれたミネラルウォーターのペットボトルとグラスに、日頃の生活を垣間見る。冷蔵庫に入っているものといえば、水とお酒と栄養ドリンクの類にコーヒーくらいで、食材らしいものは見当たらない。夕飯はリクエストに応えるべく買い出しをしたが、部屋から出る事はなかった。食材や調味料をネットで頼めばすぐに配達された。一階のスーパーに行くよりも楽なようだが、春江には慣れない事ばかりであった。


 眼下に広がる夜景は美しく、昼間に見た景色とは違うように映る。


 命日を迎える度に巡る想いがあり、上手く伝える術はない。


 できる事なら、醒めない夢であってほしかった……


 最期の母は投薬の影響もあり痩せ細っていた。携帯電話に残る笑顔の写真は、今にも声が聞こえてきそうだった。


 「ーーーー春江?」


 返答はなく、ソファーの隅で小さく丸くなって眠る彼女を軽々と抱き上げ、ベットまで運ぶ。隣に横になれば、熱を求めて近づいたのだろう。寄り添ってきた同じ香りに酔いそうだ。


 「…………分かってないな……」


 思わず溢れる本音は、抗いようがない性を表していた。強引な自覚は雄治にもあったが、改めるつもりはないようだ。

 そっと引き寄せ、瞼を閉じる。多忙を極めるはずの彼が毎週のように時間を作り、彼女と過ごす理由は確かにあった。睡眠不足がデフォルテの彼が休まる時は、春江と会っている時間だったからだ。


 温もりに目を覚ませば、間近に迫る彼に瞬かせる。思考回路が追いつかず、振り返っても分からない。ただソファーにいたはずがベットにいるという事は、彼が運んでくれたと簡単に想像がつく。


 「……………………ゆ……雄治……」


 囁いただけで真っ赤に染まり思わず体を逸せば、次の瞬間には引き戻されていた。


 「なに、可愛いことしてるの?」

 「ーーーーっ?!!」

 「……春江……もう一回、呼んで……」

 「聞いてたんじゃないんですか?!」

 「ちゃんと聞きたい」

 「うっ……」


 ずるい……私が雄治さんの懇願に弱いって分かってますよね?!


 抗議の瞳を向けても逆効果で、腰にあった指先が下に伸びていく。


 「…………ゆ、雄治……」

 「ん?」


 可愛い顔を向けられ、クールなイメージが強いはずの【風間雄治】は皆無である。


 「……近い、です……」

 「んーー、少しずつだなーー」

 「少しの意味、分かってますか??」

 「春江のペースでいいけど、攻めないとは言ってない」


 視界が反転し、雄治が首筋に顔を埋める。髪の毛のくすぐったさに身を捩るも、手を取られて敵わない。


 「……………………優しくしてくださいね?」

 「……善処するよ」


 極上の笑みを向けられ、言葉にならない。歌声と同じく特徴的な声色で攻められれば抗いようがないが、たとえ抵抗したとしても全て呑み込まれていっただろう。

 耳元で何度となく囁かれれば、信じられないはずがない。普段から愛情表現が多い人だと感じていたが、それ以上だ。

 溢れるくらいの愛を囁かれ、頭の片隅で奇跡のように感じて曲が流れる。涙を流すきっかけになった音色が。


 「ーーーー水、飲める?」

 「はい……」


 受け取ったグラスから飲もうにも口元が緩んで雫が落ちれば、声をあげる間もなく唇が触れ合っていた。


 「……んっ、ゆ、雄治さん……」

 「こら、呼び方が戻ってるだろ?」

 「うっ、だって……」


 言い訳は呑み込まれ、また甘い時間を過ごすことになったのは言うまでもない。


 揃ってキッチンに立ち、形の崩れた目玉焼きに笑みが溢れればキスで塞がれる。甘いやりとりは継続中だ。


 穏やかな時間が流れ、朝昼兼用の食事を並んでとる。ささやかな日常が、いかに特別か知る春江にとって、彼との時間はかけがえがないものになっていた。客として店を訪れていた時とは違い、彼の甘さには慣れそうにない。


 見損ねた映画を並んで鑑賞し、時間が過ぎていく。離れがたく感じる自身に戸惑いを隠せない。


 「あーーーー、返したくないな……」


 肩を抱かれたまま盛大な溜め息と共に告げられ、瞬かせれば、悪い顔が見える。退こうにもソファーに体が沈んで抵抗は皆無だ。


 「……春江、早く卒業してよ」

 「えっ?」

 「そしたら、結婚できるだろ?」

 「ーーーーっ?!」


 冗談まじりに告げられ、荒げようとした声が出ない。耳が真っ赤に染まり、不安げな瞳に気づけば、愛おしさが込み上げる。


 「…………私、お店を継ぐつもりですよ?」

 「あぁー……」

 「……来年には、卒業ですよ?」

 「あぁー、知ってる…………また本気にしてないのか?」

 「いえ……雄治さんでも不安になることがあるんだと思って……」


 まっすぐに向けられる瞳にたじろぐ珍しい彼に微笑めば、将来の約束をしていた。


 「……雄治さん……私の夢を一緒に叶えてくれますか?」

 「あぁー」


 即答され、さらに笑みを深めれば、ぎゅっと抱きしめられる。


 「…………即答していいんですか?」

 「春江こそいいの?」

 「えっ?」

 「卒業したら、俺の嫁になるんだよ?」

 「はい……」


 瞬かせたのは彼の方だ。誰にも譲るつもりはなくとも、彼女を尊重したいからこそ今まで待っていたのだから。


 「…………春江、もう一回呼んで?」


 耳元で囁かれ、昨夜というより真夜中に触れ合った感触が蘇る。


 「ーーーーっ、雄治さんはやっぱり意地悪です!」

 

 声を上げて笑う姿にジト目で睨んでも効果はなく、深まる笑みに諦めもつく。


 「仕方ないだろ? 呼ばれたいんだから」 


 開き直った様子で頬に手が伸び、高鳴りを隠せない。反応すればする程に喜ぶ表情が浮かび、まっすぐに見つめ返した。


 「…………雄治……」

 「ん、ありがとう……」


 額がそっとくっつけられ、間近で微笑まれれば、瞼を閉じようとした所で、テレビから懐かしい曲が流れていた。


 逸らした横顔に彼が驚くのも無理はない。先程までの染まった頬から一筋の雫が落ちていった。


 「ーーーー春江?」

 「……いえ……雄治さんの曲ですね……」

 「ん? あぁー……懐かしいな……」


 テレビに視線を移せば、懐かしいランキングの中に彼の曲がランクインされていると分かる。

 慌てて擦ろうとした指先は取られ、真剣な眼差しが向かう。


 「……俺には言えない?」

 「いえ…………七年前を想い出して……」

 

 詰まりながらも言葉にしようとすれば、伝わったのだろう。背中に大きな手がそっと触れていた。


 「…………雄治さんの曲に……救われたから……」

 「そっか……」


 言葉少なに応える腕の中で静かに涙を流せば、歌声が聴こえてくる。

 現実はままならず、伝えたいことの半分も伝えられずにいる彼女にとって希望の歌であった。

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