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第6話 記憶のカケラ

 誰にも言うつもりはなかった。

 告げたところで、今更どうすることもできないから……


 「春江、また飲み会に参加しない?」

 「ううん、パス」

 「えーーっ、じゃあ、たまには遊ぼうよ。お店が忙しいなら、卒業旅行で我慢するから!」


 清々しい千里子に笑みを浮かべ、頷き返す。彼女達は余程のことがない限り、今年で大学を卒業だ。千里子も早々と就職先を決め、単位を落とさない程度に通う事もあり、毎日のように顔を合わせている訳ではない。

 春江も実家を継ぐために学んできた為、卒業後は貯めたお金で老朽化した部分を修繕、もしくは増築する予定を立てていた。とはいっても、オーナーである父の許可はこれからであるし、今後も維持していくための投資は、早い方がいいと判断した次第であった。

 まだ学生でありながら、今後について目的意識をしっかりと持ち、取り組んできた春江は成績優秀であった。聞かれれば応えるし、片親であることを引け目に感じたことはない。愛された記憶はあり、それは数年前まで確かにあったのだから。


 仕込み中の店を覗けば、父が賄いを作っていた。従業員はバーテンダーとして働く男性と誠に春江も合わせた三人がメインだ。バーテンダーも社員ではなくアルバイトのため、週末の金土と忙しい時間帯にだけ出勤している状態だ。誠に憧れて働いているような所もあり、拡張するなら従業員の確保も必要である。媒体に掲載するにはそれ相応の金額がいるし、更に雇うならば時給も発生する。

 都内は時給が割高だと、求人を参考にプレゼン内容を考える。ノートパソコンには慣れたものでスムーズに図式を構築していった。


 次のデートまであと二日になり、カレンダーにハートマークを描いてしまうくらいには浮かれていた。元々はポーカーフェイスが得意なはずの春江も、彼の前ではままならなず、返されるメッセージに自然と綻んでいた。だからこそ、月曜日に見せたような笑みが少なく感じる。


 金曜日に降り続いた雨は止み、青空が広がっているにも関わらず、潤む瞳があった。


 朝からお弁当を三人分用意して父と共に向かうのは、母が眠る墓だ。毎年のように行なっている墓参りも、今年で七回目になる。


 十一本のガーベラを選び、母が好きだったピンク色の花束を捧げる。線香の香りに当時が蘇りそうだ。

 しゃがみ込んだまま沈黙が流れ、ただ見つめていた。名が刻まれた墓石から応えが返ってくる事はないと分かっていても、心の中で話しかける。


 初夏の日差しを受けながら、ただ願っていた。まだ連れて行かないでと。


 急に影が落ち、顔を上げればサングラスをかけた彼が日傘を差し出していた。


 「…………どう、して……」

 「ちゃんと挨拶しておきたくて……誠さんに聞いた……」

 「そうですか……」

 「……春江がいつもと違ったから」

 「えっ?」


 目元に優しく触れる指先に瞬く。


 「寝れてないのか?」

 「い、いえ……」


 親の前でのスキンシップは減らして欲しい所であるが、そんな余裕はない。

 同じように隣にしゃがみ込んだ彼は、まっすぐに墓石を見上げた。


 「はじめまして……お話では聞いていたんですが、ようやくお会いできましたね……麗子れいこさん……」


 母の名前を知っていた事にも驚きだが、父がここまで信頼している事にも驚きを隠せない。親しい間柄だと感じてはいたが、あくまでもマスターと客だと思っていたからだ。


 「……春江さんとお付き合いさせていただいている風間雄治と申します。一応、シンガーソングライターをやってます……」


 一応もなにも、彼は有名なシンガーソングライターだ。突っ込み所が満載ではあるが言葉にならない。


 「……来てくれて、ありがとう」

 「いえ……家族団欒のところ、ありがとうございました」


 目の前で繰り広げられる会話は確かに聞こえているはずだが、霞んでいて見えない。


 「…………春江……」


 背中にそっと触れる優しい手にこぼれ落ちる。気づけば、声を上げて泣いていた。


 どのくらいそうしていたのかは分からない。背中にあった手に、いつの間にか抱きしめられていた。


 「ーーーーっ、ゆ、雄治さん…………ごめんなさい……」

  

 涙で濡れたTシャツに気づき離れようとすれば、また腕の中に逆戻りだ。


 「もう少しだけ、このままで……」

 「……………………雄治さん?」

 「……春江との仲をアピールしようと思って」


 態とらしく戯けて見せる姿に笑みを返せば、目元にそっと唇が触れた。


 「雄治くん……このあと、時間あるかい?」

 「はい?」


 父の存在を忘れていたのか、思ってもみなかった問いに疑問符が浮かんだような声色だ。


 三人で訪れたのは近くの公園だ。ここは誠たちのデートスポットでもあった。

 ベンチに並んで腰掛けてお弁当を開ければ、旬の野菜がふんだんに使われ、色とりどりのおかずが並ぶ。


 「……美味しそう…………俺が食べてもいいの?」

 「はい……お口に合うといいですけど……」

 「美味しい……やっぱり春江は料理上手だな」

 「……ありがとうございます」


 美味しそうに食べる姿で本心だと分かり、微笑ましいやり取りに誠から温かな眼差しが向けられていた。


 「……今年は……雄治くんも来てくれたから、喜んでいるかもしれないな……」

 「来年は一緒に行かせて下さいね?」

 「あぁー……ありがとう……」

 

 挟まれて座っていた春江の視界が滲む。当たり前のように来年の約束をする姿に揺れていると、そっと背中に触れた手に温かさを感じる。


 「…………雄治さん……」

 「泣いたっていいと思うよ…………少なくとも、俺達の前では」


 左右に視線を向ければ、二人とも強く頷いていた。同じ反応に溢れながらも拭って微笑もうとすれば、手首を掴まれる。まるで擦るなと、言っているような眼差しだ。


 「……雄治さん……少し、いいですか?」


 肩に額を寄せ、静かに涙する。


 行き場のない想いを抱え、誤魔化すようにしてきた部分があった。どんなに願ったところで帰らぬ人に変わりはなく、二度と会う事は叶わない。毎年のようにくる命日は、母好みのお弁当を三人分作り、親子二人で昼食をとる。当たり前だと思っていた日常が急変する現実を知っているからこそ、日々が大切であった。それは成績の良さや日頃の行動からも明らかだ。

 後悔のないように生きる。それは、母の願いでもあった。


 ひとしきり流せば、どこかすっきりした表情だ。


 「…………ありがとう……」


 すんなりと出た言葉に、嬉しそうな顔が視界を占める。


 「…………頑張ったな……」


 【風間雄治】の曲が頭の中で鳴る。


 誰にも、言うつもりはなかった…………命日が近づく度に眠れなくなって、明日が来ることを切に願うなんて……


 「……もう一度、会いたかった…………」

 「あぁー……」

 「……シフォンケーキを、食べてほしかった……」

 「あぁー……」


 小さく頷き、言葉少なに応える雄治に告げた本音は、もう叶わない願いだ。


 「……春江…………」


 心配そうな声色の父が滲んで映る。彼もそっと涙を流していた。母の好きな花を今も飾るほどに愛していたのだろう。

 大切な人を失う悲しみは言葉にならず、少しずつ遠ざかる距離に実感する。時が経つにつれて曖昧になっていく記憶と喪失感を。


 「……春江……麗子さんは、どんな人だった?」

 「ーーーーえっ?」

 「俺は一度も会えなかったから…………」

 「…………優しくて……」


 鮮明な記憶が巡り、懐かしい旋律が浮かぶ。


 「……雄治さんの曲がすきでした」

 「そっか……それは、嬉しいな……」


 驚きが優しい眼差しに変わり、まっすぐに向けられる。詰まりながらもポツポツと語った本音で、抱えていた想いが緩和されていくようだ。


 「来年はいい報告ができるといいな……」

 「えっ?」


 頬を摘まれ、瞬く。予想していない事ばかりが起こり、感情が追いつかない。


 「……それは、僕も楽しみだな」

 「さすが誠さん、分かってますねーー」


 両隣から楽しそうな笑みが見られ、味方のはずの父が彼の味方な事も予想外だ。

 冗談混じりのような会話を聞き流せずに、ジト目を向けても効果はない。さらに深まる笑みに父と彼の絆を感じずにはいられず、溜め息が漏れそうだ。


 「誠さんの許可も得たし、今日は春江をお借りしますね」

 「えっ?」 「うん、明日には返してね」

 「はい!」


 両極端な反応に誠が顔を上げて笑う。満ち足りた気分になり、近い将来が想像できる。


 「ちょっ、雄治さん?!」

 「そういうことだから」

 「えっ? お父さん?!」

 「いってらっしゃい」


 快く見送られ、タクシーに押し込まれたのは言うまでもない。


 背中に触れる手つきが優しくて、また泣きそうになった気持ちを返してほしい!!


 隣にある満面の笑みに、特大な心の叫びが萎んでいった。


 「…………雄治さん……」

 「おいで?」

  

 ダブルベットをポンポンと叩かれても、椅子のように迂闊に座れるはずがない。ほとんど強引に腕を引かれ、彼の温もりに包まれていた。


 「ゆ、雄治さん!!」

 「ん?」


 視線を上げれば、微かな隈が分かる。睡眠が大事なのは彼の方だ。


 「お昼寝もたまにはいいだろ?」

 「…………はい……雄治さんこそ、休息して下さいね?」

 「あぁー……」


 目元の隈なら彼女の方が深いだろう。それにも関わらず他人の心配をする姿に、似たもの親子と感じずにはいられない。


 「…………春江?」


 顔色の悪い額に唇を寄せ、そっと瞼を閉じる。微笑ましい夢の続きを想い描きながら。

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