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最終話 夢のマホロバ

 言葉にならない感情を伝える術はない。ただ心に響く歌声に涙が溢れた。隣に視線を移せば泣いている千里子がいて、更に視界が滲んでいった。


 「春江、おかえりなさい」

 「……ただいま…………」


 変わらずにソファーでくつろぐ姿に瞬かせる。数時間前までステージにいた彼とは違い、春江のよく知る【風間雄治】だ。

 ぽんぽんと隣を軽く叩き、座るように促され素直に従えば、ぐっと肩を抱き寄せられた。


 「ーーーーどう? かっこよかった?」

 「!!」


 退こうにも力では敵わず、ぴったりと寄り添う。


 「春江?」


 顔を覗き込むように囁かれ、ますます染まっていくしかない。


 「ーーーーっ、かっこよかったです…………それに……感動しました……」


 泣いていた事は分かっていたが、素直に言われれば今度は雄治の方が照れた様子だ。

 キッチンにいる父には慣れたもので、二人の仲の良さに動じる様子はなく、出来立ての料理をダイニングテーブルに並べた。


 「……僕も見たかったな」

 「seasonsができたら誠さんをご招待しますよ」

 「ありがとう」


 夢見心地でありながら、隣にいる彼との距離は現実だ。揃って食卓を囲み、一日を振り返る。今日に限ってはニュースになる程の【風間雄治】のライブが主であった。


 目の前にいるラフな格好の彼がギターを片手に歌い出せば、リビングであっても一瞬でステージに変わる。春江たちの為に弾き語りをする彼は、メディアに見せる顔とは違い、実に穏やかな表情だ。引き込まれるように耳を傾ければ、隣から聞こえた呟きに瞬く。


 「ーーーーすごいな……」


 その一言に尽きる。天才とか才能があるとか様々に言われる【風間雄治】の凄さは、なんて事ないような弾き語りに隠された数多くの技術たちだ。プロが羨むほどの多才さに目が向けられがちだが、基礎がしっかりしているからこそブレる事がないのだろう。音楽好きの誠には、それがいかに難しいことか分かっていたし、音の良さは春江にも伝わっていた。


 「…………雄治さん……」

 「ん?」

 

 布団から覗く表情は薄暗くてよく見えないが、嬉しそうな声色は分かる。


 「……ありがとうございました…………ライブ、素敵でした……」

 「……あぁー……やった甲斐があったな」

 「えっ?」

 「なに? まだ分かってないのか?」

 「い、いえ……」


 自意識過剰ではなく好意は伝わっているし、ライブが自身の為に開かれたのかもとは思っていたが、そう簡単にライブができるはずがない。彼だからこそ叶った時間だったといえるだろう。


 視線が合ったと感じたのは、勘違いなんかじゃなかった…………


 そっと頬に指先が触れ、伸ばしていた手に気づく。思わず下げようとした手首は取られ、唇が寄せられていた。

 暗闇にも慣れ至近距離に退く事はできず囁けば、瞬かせた彼に微笑む。


 「……春江……seasonsが、できたら……」


 続く言葉を待つ彼女に向けられる瞳をまっすぐに見つめ返せば、吸い込まれそうになるのは雄治の方だ。


 「…………雄治さん……すきです……」


 囁かれた言葉に心音が速まり、歌詞として紡いだ言葉たちが無意味のように感じる。それだけの破壊力が春江の告白にはあった。


 「あぁー…………俺の方がすきだけどな?」

 「?!」


 ぎゅっと抱き寄せられ、耳元に近づく唇に心臓が跳ねる。やられっぱなしは彼の性分に合わないのだろう。ここぞだとばかりに囁かれ、伸びる指先に後悔しても遅く、長い夜を過ごすことになったのは言うまでもない。


 大学のイベントも卒論の提出も終わる頃に、持ち家部分と合わせた大規模な工事も終わり、ようやく店内が整った。バーカウンターは残したままで、ステージに置かれた機材は雄治が選び抜いたものだ。ただのライブハウスとは違いテーブルや椅子が設置され、キャバレーのような空間が広がっていた。


 「おぉー、これは凄いね……」

 「ですよね…………夢が形になったみたいで……」


 新しい装飾品の中には以前から使っていたレコードの類や小さな花瓶と、喫茶店の頃を思わせる物が多数残っていたが、音響設備だけは大幅に改善されていた。


 春江は二人の会話がほとんど耳に入らず、完成したばかりの店内をただ見つめていた。真新しいにも関わらず、どこか懐かしさも感じる空間に言葉にならない。


 「ーーーー春江?」

 「?!!」


 間近にある彼の表情で全く聞こえていなかったと気づくが、悪戯っ子に腕を取られ逃れられそうにない。


 「春江、ご感想は?」

 「…………素敵、です……」


 触れられた腰が熱を帯びていくようだ。思いきり引き寄せられたまま顔を寄せてくる雄治は、確信犯だろう。彼女の反応を見たさに攻めているともとれる。


 「……雄治さん…………」

 「ん?」

 「……ありがとうございます……」


 彼女だけの力では到底叶わない夢であったからだと、彼自身にも分かっていたからこそ、多少強引にも話を進めた甲斐があったというものだ。

 ステージに夢中な誠の目を盗んで、そっと唇を寄せれば瞬く瞳に吸い込まれそうだ。


 「ーーーーっ!!?」

 「んーー、どうした?」

 「……………雄治さん……反省って言葉は、ご存知ですか?」


 染まった頬が愛らしく、微笑まずにはいられないのだろう。全く反省の色が見えない彼に、そっぽを向くくらいでしか抵抗ができず、惚れた弱みは春江にもあった。


 素知らぬ顔でギターを出した雄治がステージに飛び乗れば、最前列のテーブルにある椅子に揃って腰掛ける。

 座ったと確認した彼は、マイクスタンドを傾けた。


 ギター1本で弾き語りしてるとは思えない多彩な音色に、心臓を鷲掴みされたような感覚が走る。たった二人だけの観客の為に披露する歌声は本物だ。ステージの近さに息づかいを感じながらも、その声色に圧倒されて聴き入っていた。


 記念すべきseasonsの初ライブは、立案者でもある【風間雄治】から始まった。


 「ーーーーそれでは、最後の曲です……“春を告げる花“」


 彼女を想って描き上げたメロディーは、春の陽気に似合うアンダンテなテンポだ。

 春江の反応で誠にもその意味が伝わる。それは、彼女に宛てたラブソングであった。


 贅沢なひと時に拍手が重なる。二人の為だけに開かれたライブに揃って瞳が潤んでいた。


 「…………春江!」

 「は、はい!」


 マイク越しに突然呼ばれ、勢いよく応える。


 「結婚しよう!!」

 「はい!」


 そのままの勢いで驚きながらも応えれば、満面の笑みが揃う。告げた雄治だけでなく、隣で鑑賞していた父まで嬉しそうだ。


 「……誠さん、聞きましたよね? 言質とったからな?」

 「あぁー、勿論だよ」 「?!」


 悪い顔にいつもなら『意地悪ですね!』と、ジト目を向けるところだろう。ただ今回に限っては素直に受け取っていた。心に響く歌声がそうさせていたのかもしれないが、それが彼女の本心であったからだ。


 「これから、ここで色んな奴がライブをしてくれたらいいな……」

 「そうだね」

 「……はい…………雄治さんの理想は?」

 「その名の通りだな。季節がどんなに巡っても、ここだけは変わらないままでいて欲しい、かな……進化はするけどさ…………そういう昔からのって、なんかいいだろ? 今までの喫茶店みたいにさ……」

 「あぁー……」 「そうですね……」


 真新しいステージを照らすライトは、そのままseasonsの未来を表しているかのようだ。

 腕を取られステージに上がれば、広々とした店内に予感がした。これから音楽で溢れる日々が続くと。


 「…………楽しみですね」

 「あぁー」







 ーーーーーーーーもう少し未来さきの話。

 ライブハウスとして変わって行った場所に、プロを夢見る若者が集い、いつしか世界中でその音色を響かせることになる。


 「春江さん、ありがとうございます!」

 「楽しみにしているよ」

 『ありがとうございます!!』


 勢いよく揃って応え、瞳を輝かせる眩しい存在に微笑んで見せる。本物なら必ず生き残ると知っていたからだろう。

 あの日の夢は、春江の現実に変わっていた。


 「ーーーーやっと見つけた……」


 その呟きに思わず振り返る。ステージを見つめる視線は本物だと分かり、思わず綻ぶ。見守ってきたはずのwaterそんざい(s)に夢を見ていた。


 seasonsここから始まる物語があった。

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