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第10話 カタチ彩る

 改装工事中の店舗を見た千里子からメールが届いたが、親友と呼べる友人であっても彼との関係を明かすまでには至っていなかった。決して信頼していない訳ではなく、どこまで伝えていいか分からず、春江自身も考えあぐねていたからだ。

 彼から言い出さなければ、伝えずに終わっていたかもしれない。


 「ーーーーっ、ほ、本物……」


 眼鏡や帽子で隠す事なく部屋で寛ぐ雄治に、千里子から思わず漏れ出る。

 ファンクラブに加入するほど、春江と同じくファン歴は長い。デビュー当初から見てきたはずのファンが初めて見る【風間雄治】の姿だ。メディアやライブでもほとんど笑顔のないクールな印象の彼が、親友に優しく微笑む。それは衝撃的であり、羨ましくもお似合いであった。春江をよく知る千里子だからこそ、そう感じたのかもしれない。彼女の穏和な雰囲気が、近寄りがたい雄治のオーラを緩和させているのだろう。今の彼は近所の気のいいお兄さんといった感じで、テレビに映る姿とは違い真逆の印象を受ける。ただそれでもファンな事に変わりはなく、本来ならば握手なりサインなりを求めたい場面ではあるが、そのような素振りは一切ない。プライベートであると、彼女なりに理解していた。

 流石は春江の親友と感心する雄治から『サインを書こうか?』と提案された時は、彼女達の方が驚いたくらいである。


 家に招いての親友との顔合わせが終わり、安堵の息を吐いたのは彼の方であった。


 「ーーーー雄治さん、ありがとうございました……」

 「いや……やっぱり、疲れたかなーー……」


 思い切り肩に頭を乗せられ、起こそうにも身動きがとれない。


 「……千里子ちゃん、いい子だね……」

 「はい、優しいんですよ」

 「さすがは春江の親友だよね」

 「えっ?」

 「自分のことより他人の心配するところとかさーー」


 雄治の提案で二人を引き合わせる事になったが、元を辿れば千里子が心配して彼氏に会わせるように頼み込んだ事が発端であった。


 「……雄治さん…………今日の夕飯は、何がいいですか?」

 「南蛮漬けが食べたい」

 「了解です」


 即答され微笑んで応える。自身が呑み込んだ言葉に気づかないふりをしながら。

 想われていると分かっていても、信じきれていない部分があった。素直すぎる彼女の恋愛は楽しい思い出ではなかったからだろう。


 買い出しについてくるという雄治に根負けし、カートを押しながら店内を回る。メガネにキャップと、よくある外行きのスタイルだ。素顔で出歩いていたら『ファンの対応が面倒くさい』という一言でも、その人気ぶりが分かる。

 以前の彼は実質引きこもりであった。食料は宅配で事足りるし、スタジオに行かずとも自宅で録音も可能だ。それだけの設備が整っていたし、家政婦を雇うまでもなく物の少ない家の掃除はルンバで足りており、洋服はコンシェルジュに頼めば届けてくれていた。また物欲がないことも相まって、貯まる一方の貯蓄を改装費用に充てたが、それも彼にとっては些細な額だっただろう。土地からの購入ではなく、元々あった土地に建て直す事にしたのだから。


 当たり前のように荷物を抱え、空いた手で繋いでくる。慣れてきた春江も内心では手を取られる度にときめいていた。


 冷蔵庫に食材をしまい、並んでソファーに腰掛ける。言っていた通り疲労があったのだろう。無防備に眠る姿に、会ったばかりの記憶が蘇るようだ。


 閉店間際に来店した彼は、カウンターの片隅で突っ伏していた。『寝かせておこう』という父に、疑問に思いながらも従った。本来なら不躾な客は出禁になるはずだ。

 夜はお酒を提供している事もあり、彼女に手を出そうとした輩はいる。ただ一人残らず出禁になっているため、いつしか上品に飲める客しか訪れなくなっていた。

 思えば高校に入学したばかりの頃から常連客の一人になり、もう七年の付き合いになる。ただ付き合う事になってからはまだ半年も経っておらず、目まぐるしい変化の日々が続いている。春江がファンクラブに入ったのは高校三年生になってからだが、彼はその頃からすでに第一線で活躍していた。それこそ生前の母が聴いていたくらいに耳馴染みの良い曲が多く存在しており、幅広いファン層は老若男女問わずだ。


 親友にも紹介し、これだけ一緒に過ごしているにも関わらず、未だに夢見心地が続いていた。ほしい言葉をくれる彼はきっと痛みを知る人なのだと勝手に想像していたが、あながち間違いではない。春江に告げた事はなくとも、誠には漏らした事があった。彼女もそれを感じていながら、どこまで踏み込んでいいか分からず、何度となく言葉を呑み込んでしまうのも致し方ない事だろう。それほど経験値に差があるのだから。


 しばらく見つめていた春江も寝息に釣られるように瞼が閉じていった。


 遠くで声が聞こえ、髪に触れるような感覚はあるが重い瞼は開かない。昼間はアルバイト、夜は店の手伝いに加え、卒業を迎えるにあたってレポートや課題の提出もある。根が真面目な彼女は、早めに課題を終わらせたとはいえ、寝る間を惜しんでいる日もあった。だからこそ多少強引だと自覚しながらも、彼が一緒に暮らすようになったのだろう。


 寝ていた時間は三十分程であったが、それでも気分はすっきりしていた。隣に愛おしい存在がいれば尚更だろう。比較的時間の空いた彼にとって、彼女のそばで過ごす時間はかけがえのないものになっていた。

 柔らかな髪に触れ、そっと頭を撫でても反応はなく、熟睡していると分かる。うっすらと浮かぶ目の下に触れる横顔からは、愛おしさが溢れているようだ。

 できることなら側にいて二度寝を決め込みたいところだが、ぐっと堪えて携帯電話に手を伸ばす。マネージャーがついているとはいえ、スケジュール管理はできていた。春江の夏季休暇に合わせ、休みを入れる用意周到さはあるが、まるまる一ヶ月休みにできるはずがない。彼は売れっ子のシンガーソングライターだ。休日にも関わらず仕事の依頼が直接舞い込むほどである。


 「ーーーーあと半年くらいか……」


 そっと指先に触れ、呟いた意味は誠がいたなら分かっただろう。愛おしそうに見つめる姿は、千里子が驚いたようにメディアで映る姿とはかけ離れていたが、彼にとっては日常の一部であったからだ。誠の娘というだけで特別視していた所はあっただろう。それでも同じだと思っていた自身を恥じたくらいだ。惹かれない理由を探している時点で、とっくに惹かれていたと認めてしまえば、姿を見かける度に声をかけた。当時を知る彼からは想像がつかないだろう。メディアに見せる姿も寸分変わらぬほどに雄治自身であったのだから。


 振り返り、ふと降りてきたメロディーに乗せて口づさんでいた。


 携帯電話にメモをとりながら、作成していく姿を微睡の中で感じていた。真剣な横顔に惹かれ、思わず手を伸ばしそうになりながらも止める。彼の邪魔をする事は不本意であるからだ。そっと抜け出してキッチンに立てば、はっきりと見える位置だ。至近距離は未だに緊張の連続であるが、節度が保たれればとても居心地がいい。だからこそ気が抜けて寝てしまったのだろう。リクエストの南蛮漬けを作りながら、多少の物音では気づかない集中力に感嘆していた。

 

 「……すごい…………」


 思わずこぼれてしまう程に、雄治の横顔がはっきりと見える距離にも関わらず気づく気配はない。自身も集中して周囲の音が聞こえなくなる事はあるが、ここまでではないだろう。そう春江は感じているが、周囲を遮断する程の集中力に大差はないだろう。ただ時間が圧倒的に彼が長いだけだ。それは一人で作曲したきた事も一つの要因かもしれない。遮る者はいないからこそ、時間配分を忘れて音楽に没頭する事はよくあった。それこそ、ほとんど飲まず食わずのまま一日を終える事も。

 今となってはありえない事であるが、デビュー当初は不摂生でよく気絶していた程であった。店員と客という関係の頃から春江が心配するくらいに顔色が悪い日もあった。春江たちと関わるようになっていい方向に変わったと彼が思う一方で、彼女にとっても感謝しかない。彼がいたからこそ、前を向こうと思えたのだから。


 時折聴こえる旋律に耳を傾けながら仕上げていく。贅沢な時間だと感じながら噛み締めていた。同じ時を生きているのだと。


 一通りダイニングテーブルに並べ、あとはご飯と味噌汁を盛るだけだ。ようやく一息吐いた雄治が顔を上げれば、親子が小さな声で会話する姿が視界に入った。


 「あっ、雄治さん、お疲れさまです」

 「お疲れさま」


 いち早く気づいた彼女に微笑み、誠に視線を移す。言葉通り彼を労っている様子が見てとれる。


 「…………ありがとう……」


 そう口にして立ち上がれば、色とりどりの出来立ての料理と共にリクエストの南蛮漬けも並んでいた。ひと目で手の込んだものだと分かるし、一日の終わりに揃って食べる喜びもあった。それは雄治だけでなく、春江たち親子にとってもだ。夏季休暇であるからこそ、何げない日常が贅沢なひと時であると感じる瞬間だ。食後にギター片手にリサイタルが開かれ、余計にそう感じたのかもしれない。


 ハスキーな声色と弦の音色がよく似合い、そっと心に寄り添いながら染み込んでいくようだ。


 揃って拍手をして、親子が顔を見合わせて微笑み合う。幸せを凝縮したような瞬間に、また音が降ってくるようだと感じる雄治と、夢が叶ったような幸せに自然と綻ぶ春江の視線が交われば、言葉を交わさなくとも通じ合っているようであった。

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