572 台本読みの練習
『墓守りの青年と記憶をなくした娘』の劇中では、ある日、森の中で、美しい一人の娘が胸に大きな怪我を負い、倒れた姿で、墓守りの青年に発見されるところからスタートする。
今日はセオドアがいないため、そういった、墓守りの青年とお姫様の大事な部分に関しては、また今度、セオドアがいる時にすることになって、今回は、セオドアの台詞の部分は省いた上で、村人とお姫様の遣り取りや、お姫様がいなくなったことにより、王城が混乱に陥ってしまい、二人の兄王子がお姫様を探しにくることになるようなシーンなどを中心に、一通り、みんなで台本を読んでいくことにしたんだけど……。
たった一人のお姫様が、王城から突然いなくなってしまったことで、アルと、レイアード殿下が扮する二人の兄王子がお姫様を探しに行こうとする場面で……。
「あぁ……、フィリア!
まさか、お前が、この城から消えてしまうだなんて、一体、どこへ行ってしまったというのだ……っ!
お前達っっ、早く、僕の妹を探しに行くようにしてくれっっ!
冬の訪れと共に、その身体が、あまりの寒さに、今、この瞬間にも凍えているかもしれないだろう……っ?」
「……っっ、はっ、承知いたしました、殿下っ。
必ずや、姫様をお捜しし、殿下のもとへと連れて参ります……っっ!」
と、初めての本読みでありながらも『こういう役柄を演じられるというのは、それだけで楽しいことだな』といって安定感も抜群で、堂に入った感じの演技をしているアルと、アルが演じる白の王子の部下として、女騎士の役柄で活躍する予定のパトリシアは情感の籠もったような言い回しが凄く上手くって、思わず私は、二人のその演技に見入ってしまったんだけど……。
「……あぁ、フィリア……、一体、どこへ消えてしまったんだ……。
愛っっ……、愛し……、い、天使……、私のこの手から、逃れられる訳もないのに……っ」
と、その一方で、レイアード殿下の方は、初めての台本読みに苦戦しているような様子で、棒読みとまではいかないけれど、どうしても、私たちに向かって言葉を発するという気恥ずかしさのようなものが拭えない様子で、王子の台詞を読むこと自体、中々、スムーズとはいかず、思うように言葉が出てこないみたいだった。
特に、レイアード殿下自身が、私たちと極力距離を取りたいと思っている分だけ、お姫様の役として、強く関わり合いをもたないといけない私に対して感情を込めたりするのも、本当に難しいことなのだと思う。
だからこそ、一度だけ、ちらりと私の方を見てきたレイアード殿下の瞳は『どうして、自分がこんな演技をしなくちゃいけないのか……っ、苦手だし、本当に困る』と言わんばかりのものであり。
うちの学科では、パトリシアを筆頭に、『優勝すれば、国から何か貰えるらしいから、なるべく1位を目指したい』というのを目標にしていて、みんな士気が高くて、クラス演劇に乗り気な人達ばかりだから、そういう部分が垣間見えると、ちょっとだけ、浮いてしまったり……。
『やっぱり、レイアード殿下自身は、この演劇の中で、黒の王子という主要な人物を演じるということには、嫌々といった感じで、そんなにも乗り気じゃないんだよね……』
ただ、私が内心でそう思ったところで、そんな、レイアード殿下の姿を、見るに見かねたようにして……。
「オイオイ、レイアード、それじゃぁ、全然、ダメだろうっっ!?
こういうのは、恥ずかしがらずに、堂々と演じる必要があるものだからな……っ!
お前が出来ないなら、手本を見せてやるから、ひとまず、俺のことを見ておけよ……っっっ!」
と、堂々とした態度でありながら、どちらかというのならレイアード殿下を心配しているというよりは、『お前には、これくらいのことも難しいのか……?』と言った感じで、困った人を見つめるような瞳で、ノエル殿下がレイアード殿下から、台本を引き受けることになると、すぐさま、台本読みのために円になって座っている私たちの中心で、ノエル殿下が立ちあがり、身振り手振りを使いながらも……。
「あぁ……、フィリア……っ、一体、どこへ消えてしまったっていうんだ……、。
俺の愛しい、愛しい天使よ……っ!
この手から、逃れられようもないはずなのに、一体、どうしてっっ、どうして、俺のもとから去ったっていうんだ……っ!?」
と、生徒達全員がいる前で、迫真の演技をするように、その唇を『どうしても許せない』といったかんじで、忌忌しいと言わんばかりに、ぎりっと噛みしめるノエル殿下の姿が見えると。
私は思わず、そのダークな雰囲気とその姿に、普段、もの凄くカラッとしたような雰囲気があるのに、一転してぶわっと纏うその雰囲気がガラリと変わり、人を惹き付けるような感じになっているなぁと思って。
『わぁぁ、ノエル殿下って、こういう役が本当に似合うかも……っ!
というか、演技が凄く上手いな……っ!』
と、ちょっとだけ、ノエル殿下のその勇姿に、目を見開いて驚いてしまった。
そのあとで……。
「オイ、お前達、何をそこで、ボサッと突っ立っているんだっっっ!?
俺の可愛くて愛おしいっ、最愛のフィリアを見付けられなかったら、お前等の命すらないと思えよっっっ!」
と、台本に書かれていた台詞について『一人称を私から俺』として、少しアレンジしながらも自分の言いやすいように変えた上で、続けて声を出してきたノエル殿下の迫力に、みんなが、ビックリしたように注目していて、その一拍後で、ふっと、我に返ったように『……で、殿下、申し訳ありません……っっ! 直ぐに、お捜しいたします……!』と、ビクリと騎士役の生徒が震えた素振りを見せたことで、このワンシーンの、台本読みは、これで、終了し。
全てが終わったあとで、ノエル殿下がいつものようにパッと明るく表情を綻ばせながらも、『なっっ!? レイアード、こんなのは、こういう感じでやれば良いんだから、簡単だろうっっ!?』と、気さくな雰囲気で、レイアード殿下に向かって声をかければ、レイアード殿下自身は、ノエル殿下の迫真にも思えるような演技に圧倒されたような様子で、どこまでも落ち込んだような雰囲気を醸しだしながら……。
「……っ、こういうのは、俺の得意分野じゃないから……っ。
俺じゃなくて、兄上が、やれば良いのにっ、って、本当に、思う。
兄上は、滅茶苦茶凄いし……っ、俺と比べても、いつだって……、その……、優秀、だから……っ」
と、レイアード殿下が、みんなにも聞こえるよう、ぼやくような雰囲気で、ノエル殿下の演技に『絶対にそうした方が良いと思うし、自分は、どう考えても人選ミス……』と言わんばかりに声を出してくる。
その姿に、『あ……、まただ』と私は内心で思いながらも、レイアード殿下が、ノエル殿下に対して、殊更、遠慮しているような雰囲気があるというか。
必要以上に、ノエル殿下よりも前には出ないように意識して自分を押さえ込んでいるような気もして、私は思わず、レイアード殿下の方をマジマジと見つめてしまった。
『今回の劇でも、まるで、自分は主役じゃなくて、あくまでも裏方の方が性に合っているって言わんばかりだよね……っ!』
――勿論、ノエル殿下が凄く目立つ人だからっていうのも、あると思うけど……。
そうして、そんな、レイアード殿下の姿を見て、ノエル殿下が『俺だって本来なら、そうしたかったけど、俺を活躍させないようにするためにも、ダヴェンポートが基本的に何かない限りは、教師自体が参加出来ないようにするってルールを作りやがったんだから仕方がないだろう。……お前達の誰かに体調不良の欠員が出たとか、そういうことでもない限り、余程のことがないと、出られないんだから』と言ってきたことで、もしも出られるのだとしたら、私自身も黒の王子の役は、レイアード殿下以上に、ノエル殿下の方がハマリ役だろうなって思ってしまうというか。
ノエル殿下が演じるからこそ、黒の王子に、ダークな印象が強く出て、魔王っぽい雰囲気が感じられるといっても過言ではなく……。
レイアード殿下と見比べてみても、演じる人で、こうも違う役柄のように見えてくるのは、本当に凄いことだと思うし。
実際、ノエル殿下が王子の役を演じることになったのだとしたら、みんなの注目は、完全にノエル殿下の方へと向いて、パッと目立つような感じにもなるだろうから、そういう意味では、ちょっとだけ残念かもしれないなぁと思ってしまった。
ただ、ノエル殿下自身が……、前に私に……。
『あぁ、それと、一応、今度の台本読みに関しては、俺も魔法研究科の講師として、実際に本番の舞台に出ることはないけど、大部分で関わっていきたいって思っているから、宜しくな?』
と言っていたけれど、もしかしたら、ノエル殿下が台本読みに参加してくれると言っていた理由については、ある程度、レイアード殿下の性格などを考えて、こうなることが分かった上での発言だったのかな……?
そうして、そのあとも、レイアード殿下が、自分の本分ではないと言わんばかりに控えめに後ろに下がってしまった分だけ、ノエル殿下がレイアード殿下に対して、王子の役について『こうしたら良い』といったかんじで、黒の王子の台詞を読むことになって、私はレイアード殿下に『一緒に頑張りませんか……っ?』という視線を向けてみたんだけど。
レイアード殿下自身は、目立つようになることを嫌ってか、ノエル殿下に任せたいというような雰囲気をもの凄く醸し出していて、自分はあくまでも、裏方仕事の方が向いているから、こういうのは苦手だと、苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべて、ノエル殿下が関与してきたことをこれ幸いとばかりに、なるべく台本読みをしたくないという方向で引っ込んでしまった……。
『そうなってくると、本番が凄く不安になるんだけど、大丈夫なのかな……?』
そうして、それは、物語の終盤で、お姫様と王子が出会うことになるタイミングでも同様で、レイアード殿下の代わりに私の方を真っ直ぐに見つめてきたノエル殿下が『あぁ……、フィリア、こんな所にいたのかっっ! なぁっ! 俺と一緒に王城へと帰ろうっっ!?』と、言ってきたことで、私自身、台本にもあるように『あぁ……、お兄様……っ』と言いながらも、ノエル殿下のほうを見つめて、ビクリとこの身体を震わせていく……。
その瞬間、誰かのほぅっという感嘆のため息が聞こえてくる。
2人の王子については特に、パトリシアが加えてくれていた台詞や演出の部分も大きいんだけど、もしも、ここに、セオドアがいてくれたら、もっと華やぐ感じになって、舞台も盛り上がるような雰囲気になっていたと思う。
それこそ、当日が本当に楽しみになるくらいには、劇の中で幾つもある見せ場のシーンの内の、一つでもあるところだから……。
実際、レイアード殿下が、がっつり目立つというよりは、ノエル殿下の方が目立っていたような気がしたけれど、台本通りのことだとはいえ、何となく、絡みつくようなノエル殿下の視線に居心地の悪い思いをしてしまった私とは対照的に、パトリシアは『うぅ……、まさかの、ノエル殿下が参加することになるだなんて、ここにセオドアさんがいたら、本当に完璧でしたのに……っ!』と、私達の遣り取りを見て、身悶えるような感じで、ちょっとだけ残念がっているような様子だった。
実際、ノエル殿下自身、生徒達には凄く気さくな雰囲気を醸し出しているような感じが見られるし、王城でノエル殿下を嫌う臣下が多い分だけ、学院では、生徒達には凄く慕われているというか、親しみやすい雰囲気が出ている分からこそ人気も高くって、男女ともに話しやすいからということで、割と、みんな、ノエル殿下のもとに、集まってくるんだよね。
そういう意味でも、レイアード殿下とは対照的な感じがしていて、まるで、光と影のような雰囲気のする二人の王子に、私自身も、前までは、ノエル殿下の方が光で、レイアード殿下の方が影のように思ってたんだけど、今は、どうしてか、その印象がひっくり返っているような気がしてくるから、本当に、不思議だった。
その上で、さっきの、ダークな雰囲気といい、時折、暗い目をする時もあることといい、ノエル殿下には、影というよりも、闇といった方が、何となく正しいような気もして、二人を見ていると、戸惑ってしまう……。
私が、ぼんやりと頭の中で、そんなことを考えていると、ノエル殿下が『アリス姫……っ?』と近寄ってきた上で、私の右手をそっと握り……。
「昨日のナイフで、切った所は、もう大丈夫なのか……? 劇で支障があったりは……?」
と、言ってきたことで、私は思わず目を瞬かせた上で……。
「えぇ、まだ、ちょっと痛いですけど、もう殆ど、大丈夫です……っっ」
と、口元をほんの少し緩めながら、ふわふわと言葉を返していく。
その瞬間、トンっと、音を立てて、アルが、ノエル殿下の手の甲に手刀を落としてくれると、衝撃に耐えきれず、『……っっ』と声にならないような声を溢して、ノエル殿下の手が私の手から、スッと、離れていくのが見えた。
「全く、随分と見くびられたものだな。
ノエル……、セオドアがいないから、こうして、これ見よがしに、好き勝手にアリスに触れてきているのだろう?
どが、今は、僕が、アリスを護る存在であることには、間違いないし、セオドアも、誰かがアリスに近づいてくるようなことがあれば、そのときは遠慮するな、と常々、言っているからな。
……僕自身も、そう思う」
その上で、アルが怒ったようにノエル殿下の方へと視線を向けてくれると。
「いや、セオドアがこの場にいないからじゃなくて、俺自身が遠慮しなくなったって言った方が正しいな……っ。
セオドアがいようがいまいが関係なく、これからも、俺は、アリス姫にこういう態度を取っていくつもりだからな」
という言葉がノエル殿下から降ってきたことで、私自身は目をパチパチと瞬かせ、驚いてしまったんだけど、直ぐにざわりと、クラスメイト達が驚きに響めいたのと、パトリシアが『きゃぁっ、まさか、ノエル殿下も、アリス様のことを……っ』と、黄色い声を上げたのは殆ど同時のことで、私はパトリシアに『ううん、多分、違っていて……っ、ノエル殿下は冗談で言っているだけで本気ではないと思うよ……っ!』と、慌てて訂正していくことにした。
そんな私のオロオロとした姿を見て、ノエル殿下が『冗談なんかじゃなく、俺は、アリス姫に、割と本気なんだけどな』と、声を上げてくると、そのタイミングで。
「パッと見ている感じでは、一通り、台本読みは終わったんですよね……っ?
ノエル殿下、お姫様のことを借りたいと思ってんだけど、構わないでしょうか……っ?」
と、何故か、ほんの少しだけムッとしたような感じで、苛立ち交じりに、スヴァナ先生が声をかけてきたことで、パトリシアが『あれ、スヴァナ先生って、セオドアさんのことが……、……だったんじゃ……? もしかして、私が知らなかっただけで、ノエル殿下のことも……っ?』と、困惑したように声を上げていくのが聞こえて、途中、あまりにも小さい声だったからこそ、パトリシアの口から、その台詞の間の部分が聞き取れなかったことで、私は思わず、キョトンとしてしまった。
そのあと『あぁ、別に構いませんよ、スヴァナ先生。アリス姫のことを宜しく頼みます』と、ノエル殿下がそう言ったことで、グッと唇を噛みしめたスヴァナ先生がこくりと頷き返すのがみえると、私は、ほんの少し怒っているような雰囲気のスヴァナさんを大丈夫なのかと心配しつつ。
彼女と一緒に、今度こそ、歌の練習をさせてもらうことにした。