571 セオドア不在の中の劇の練習
あれから……。
「アリス姫、アルフレッド、授業に遅れるから、俺たちも早めに行こう」
と声をかけてきたノエル殿下の言葉に頷いて、バエルさんやレイアード殿下、それからアルと一緒に、魔法研究科の講義室へと向かうと、直ぐに講義室内に設置されている勉強机の前の椅子に横並びで座っていたパトリシアとステファンから、いつものように『おはようございます、アリス様、(皇女様)……!』といった感じで、声をかけて挨拶をして貰えた。
そのあと、パトリシアの口から、私の隣にいつもいてくれている筈の、セオドアがいないということを、もの凄く心配されてしまいながら。
「いつもなら、セオドアさんが、その隣にいらっしゃるはずなのに、アリス様、一体、どうされたのですか……っ?」
と、今、この瞬間にも、大変なことが起きていると言わんばかりに、心配するように問いかけられてしまったことで、私は、さっき、騎士科の講師でもある、ライナスさんに会って、セオドアが騎士科に行かなければいけなくなった理由を……。
「それが、あのね……っ、実は、セオドア自身、本来なら、留学してきたタイミングで、魔法研究科だけじゃなくて、騎士科の方にも通わなければいけないっていう話が出てたんだけど。
いつも、私の安全のこととかを考えてくれて、魔法研究科の方に来てくれていたから、その状況を見かねて、騎士科の講師であるライナスさんから、たまには、自分達の方にも来てほしいって要請があって……、それで、今日は、急遽、向こうの科の方に行くことになっちゃったの……っ」
と、本当のこととして、事実を、正直に告げていくことにした。
その上で、私自身、極力、普通に話していたつもりだったんだけど。
『わぁぁ、そうだったんですね……っ!』と、驚いたように返事を返してくれたパトリシアの口から『だから、アリス様、今日は、ほんの少し、元気がなかったんですね……っ』と断言するように言われてしまったことで、私自身、そんな風に言われるとは思ってもいなくて、思わず、ビックリして目を瞬かせてしまった。
その後で……。
「だけど、当然ですよねっ。
……いつも、そのお側でアリス様に危険がないか、忠義を誓って、格好良く目を光らせていらっしゃったセオドアさんがいてくれるだけで、きっと、本当に、もの凄く心強いことだったでしょうし、アリス様も、それだけで安心だったでしょうから……っ!」
と言われたことで『確かに、セオドアが、いつも傍にいてくれるだけで、私自身が、心の底から安心することが出来てたのは間違いないんだよね……っ』と内心で思いながらも、誰にも言っていないことのはずなのに『どう考えても、パトリシアには、私がセオドアと離れていることで感じてしまっている寂しさのようなものが、全部、バレちゃってる……っ』と痛感しつつ。
さっきまで、しょんぼりと落ち込んでいた分だけ、色々と言い当てられてしまったことに、私はちょっとだけ、かぁぁぁっと照れつつも『わぁぁぁ、パトリシア……っ、それはそうなんだけど……っ、あのっ、改まって言われるとその……っ、』と声に出して、あわあわ、あせあせしてしまった。
――あぁ……っ、本当に、どうしようっ!?
スヴァナさんやライナスさんのことを親しい友人として大事に思う気持ちを大切にしてほしいと思っているのは間違いないんだけど、この年になっても、セオドアと離れるのが本当に寂しいなって感じているだなんて、もの凄く子どもっぽいとか、思われてしまっていないかな……っっ!?
『セオドアと離れてから、なるべく表情とかも取り繕った感じで隠していたつもりだったんだけど、パトリシアにバレバレな所を見ると、セオドアと離れたことで感じてしまっていた寂しさや心細さといった部分が、自然に表に出ちゃうくらい、私自身がこの思いを、きちんと隠せれていなかったのかも……っ』
だけど、それだけ、私にとっては、セオドアと一緒にいることが当たり前になりすぎていて、傍にちょっとでもいてくれていないと、こんな風にそわそわしてしまって、途端に、落ち着かなくなってしまうんだよね……っ!
『今まで、こんなふうに離れることが、本当に、殆どなかったから、何だか凄く不思議な感じがしてきてしまう……っ』
そういう思いを感じている分だけ、セオドアに『この思いがバレてしまったら』きっと優しいセオドアは、私の傍にずっといてくれようとするだろうから、最終的に、セオドアにも、もの凄く迷惑をかけちゃうことになってしまうだろうし、あまり良くないことのはず、というのが、手に取るように理解出来て、一人、戸惑いながらも、オロオロしてしまっていると……。
何故か、パトリシアが生温かいような優しい瞳で、私の方を見つめてきた上で『あぁぁ、もう、アリス様ったら愛おしすぎます……っ! このお姿を、是非とも、セオドアさんに見せてあげたいっ!』と、本当に可愛くて可愛くて癒やされてしまいますっ、と言わんばかりに、小動物を抱きしめるような感じで、ギュッと抱きついてきて、私は思わず、頭の中が、はてなでいっぱいになって混乱してしまった。
パトリシアはこう言ってくれているけど、私自身がこんな感じで『凄く凄く寂しいな』って思ってしまっていたら、セオドアだっていつまで経っても私のことが心配で離れられないだろうから、早く、この気持ちに整理をつけて、何とかしなくちゃダメだよね……。
――特に、これからは、こういう場面も沢山起きてくるだろうから……。
私が内心で密かに『どうしても心細くなってしまうから、難しいかもしれないけど、それならせめて、セオドアの前だけでは、一生懸命に取り繕えるように頑張らなくちゃ……っ!』という決意を固めていると、その間にも、ホームルームが執り行われていて、私たちは、ノエル殿下から、スヴァナさんが、踊り子としての経験を活かして舞台でも映えるような指導をしてくれることになったと知らされた上で、いつもは、淑女科の生徒達が使っていることが多いという、スヴァナさんのいる練習用のダンスホールへと移動することになった。
そうして……。
「スヴァナ先生がダンスホールを一部屋貸してくれることで、多少、音がうるさかったとしても、問題がないように出来ている部屋だから……。
何の遠慮もすることがなくて、劇の練習をするには持って来いの場所だし、俺たち魔法研究科にとっても、良い提案だったことには間違いないだろうな……」
と、ノエル殿下がそう言ったあと、移動の為に席を立って講義室から出て行く生徒達に交じりながら、私も席を立って、この部屋から出ようとしたタイミングで、バエルさんとレイアード殿下を、その傍に伴いながらも。
「アリス姫、セオドアがいない分だけ、今日は、危険な目に遭ってもいけないし、俺と一緒に行くことにしよう」
と此方に向かって、ノエル殿下が積極的に声をかけてきたことで、私自身も『はい、そうですね……っ、ご配慮頂き、ありがとうございます、ノエル殿下』と返事をしたものの、私がノエル殿下のその積極さに、ほんの少し警戒心を高めるのと同時に、アルがノエル殿下達には伝わらないようにと、表情にはあまり出さないように気を付けてくれながらも、その言葉に、『ノエルの手を借りずとも問題ない。僕もアリスと一緒に行くつもりだし、アリスの安全は僕が守る』と声を出してくれながら、私の手を取って、ピリピリッと緊張感を高めてくれたのが、私にも伝わってきた。
その瞬間、ノエル殿下が瞬きをするほど短い時間の中で、仄暗いような視線をアルに向けたような気がしたんだけど、一瞬のことだったから、もしかしたら、私の見間違いだったのかもしれない。
『それでも、気を付けるに越したことはないはず、だよね……っ』
だけど、ある程度、危険であったとしても、ノエル殿下と積極的に関わっていかないと、ノエル殿下が、普段、どういう風に考えているのか、どうして、暗い瞳をするような時があるのか……、そうして、私に対しても、どういう理由があって近づいてきているのかという部分が、分からないままになってしまうと思うから、極力、今後のためにも、ノエル殿下の行動動機というのは理解しておきたいなと思ってしまう……。
私が内心でそう思いながら、自然な感じで私の隣に来て歩き始めたノエル殿下のことを見つめつつも、みんなで、学院の廊下を通って、ダンスホールへと移動すれば……。
「あぁ、ようやく来たんだね……っ、あまりにも遅いから、もう来ないのかと思っちまったよ。
セオドアは、今日は、ライナスの方に行っているから、いないんだろっっ?
生徒達には、舞台映えするような立ち方から何から、アタシに任せておけば、何でも教えてやれるけど、まずは、皇女様だろう……っ?
これから、本番当日を迎えるまで、アタシが、マンツーマンで、殆ど教えるようなことになると思うけど、厳しい練習になるだろうから覚悟しておきなよね……っ」
と、部屋の中にいたスヴァナさんが、勝ち気な雰囲気で、みんなへと視線を向けながらも、特に、私に向かって言葉をかけてきたことで、ライナスさんが学院長にお願いしたのは昨日のことのはずなのに『スヴァナさんは、今日、セオドアが騎士科に行っていることを知っていたんだな……』と、私は、ライナスさんとスヴァナさんとの間で、情報が交わされていたことを知って、その耳の早さに驚きつつも……。
セオドアのことを話す時は、声色が高くて上機嫌な感じなのに、私に対しては、何だか、かなり棘があるというか、私の方を見て、目元が厳しい感じがするスヴァナさんに、私自身も厳しい練習になるというのは前にも言われていて覚悟していたことだったけど、私に対しては特に当たりが強そうな感じに見えることから『やっぱり、ライナスさんと同様に、ノクスの民としての警戒心があるから、私の存在は、スヴァナさんには認められていないんだろうな』と、その鋭い瞳に、ちょっとだけ、落ち込んでしまう。
その姿を見て、ムッとした感じで、アルが『僕は、この女のこと、あまり好きじゃない』と、小さな声量で私にだけ聞こえるように声を溢してきたことで、私は『アル、私のことを心配してくれてありがとう。でも、私は大丈夫だから心配しないで良いからね』と小声で返事を返していく。
幸いにもスヴァナさんには、聞こえていなかったようだったけど、アルがそんなふうに言うのは凄く珍しいなぁと感じていたら、そのあと、ノエル殿下が私たちを代表して『スヴァナ先生、これから、宜しくお願いします』と、柔らかく声を出したのが聞こえてきた。
そうして、いつも、私たちには敬語を使わないスヴァナさんが、ノエル殿下には、同じ講師でありつつ、ソマリアの第一皇子としての立場があるからか。
「えぇ……、分かりました、ノエル先生っ。
最終的には、生徒、一人一人の頑張りが必要になってきて、どうなるかは分かりませんけど、微力ながら、アタシも、魔法研究科のために、お手伝いさせて頂きます」
と、いつもに比べると、殊更、畏まったような雰囲気で返事をしたのが聞こえてきて、私は、私自身には敬語を使わないで良いと言っているから当然のことではありつつも、二人の関係性は良好そうな感じで、前にも聞いたけど、ノエル殿下自身、スヴァナ先生とも、ある程度、親しみをもって話せる間柄なんだなと内心で思う。
そうして……、ノエル殿下曰く『普段は、ダンスを教えるスヴァナ先生と、もう一人、ピアノなんかを弾ける音楽の先生が一緒に講師として、このホールで淑女科の生徒達に色々なことを教えているみたいだが、俺たち魔法研究科に色々と教えてくれるのは、スヴァナ先生だけになるから、みんな、失礼がないようにな』と言っていたけれど。
大広間とも言えるようなスペースには、豪華なシャンデリアに、床はダンスが踊りやすいよう大理石のフロアになっていて、普段は、ダンス曲の練習のために音楽が奏でられるよう、ピアノなどの楽器も置かれているみたいだった。
その上で、このホールと、普通のパーティー用のダンスホールを比べてみて、特に際立って違うのは、ダンスの練習をするということで、自分達の動きが確認しやすいよう、半分だけ、向かって右側の壁が、一面、鏡張りになっているところだろうか。
鏡に反射する自分達の姿を見れば、何だか、落ち着かないような感覚もしてきてしまうかも……。
ただ、私たちの劇ではダンスを踊るような場面はないけれど、スヴァナさん自身がずっと、ノクスの民として踊り子をしていた経歴があるということから、そういった感じの雰囲気には場慣れしているということもあって、舞台での、観客への魅せ方などについてを教えて貰えるには、本当に、適任だと言っても過言ではないと思う。
実際、ノエル殿下も『スヴァナ先生が引き受けてくれなかったら、ソマリアの王都にある劇場で主役を演じているプリマドンナなんかを講師に呼ぼうかと思っていたんだが、浮いた予算は、別のところで衣装や舞台装置なんかに使えるだろうし、劇を盛り上げることが出来て、本当に助かる』と言っていたから、スヴァナさんが引き受けてくれたのは、良かったことなんだよね……。
そうして、セオドア不在のままではあったものの、とりあえず、初めての台本読みとして、セオドアの部分は省いた上で、一通り読むことにしつつも、私自身は、前にも遣り取りをした通り、それが終わったら、劇の中で、一場面だけ、墓守りの青年に歌を歌うシーンがあることから、歌の練習をスヴァナさんとすることにして、みんなとは、ちょっとだけ離れることになってしまう予定になっていた。
そのことを一番、残念がってくれたのは、他でもないパトリシアで……、アルも、私とスヴァナさんが二人きりになってしまうということには、心配してくれた様子で……。
「アリス、台本を読み終わったあと、あの女と二人きりになるだろう?
あの女は、一連の事件に関わったりはしていないだろうが、用心することに越したことはない。
何かあったら、直ぐに僕を呼んでくれ」
と言われてしまったけど、魔法研究科の講師であるノエル殿下は、私たちの方にも、みんなの方にも行き来が自由みたいだし、みんな、同じ部屋にはいることから、そこまで心配するようなことはないだろうし、大丈夫だと感じて……、アルに『多分、大丈夫だと思うけど、気を付けることにするね……っ』と声をかけたあと、私はひとまず、みんなと一緒に『墓守りの青年と記憶をなくした娘』についての台本読みから、スタートすることにした。