570 突然の誘いと一時の別れ
あのあと、私たちが学科まで向かおうと、学院のエントランスを通って、魔法研究科の講義室まで足を進めていたら、丁度、その道中で。
「よおっ、セオドアっ、ここにいたら、お前が通りがかるだろうなと思って待ってたんだよ……っ!」
と、騎士科の講師で、練習用の剣を1本その手に持って、隊服を着たライナスさんが廊下の壁に寄りかかり、セオドアに向かって、片手を上げて挨拶をするように声をかけてきたことで、私たちは彼の姿に『一体どうしたんだろう……?』と、ピタリと足を止めることになってしまった。
「ライナス……っっ? 一体、どうしたんだ……っ?」
そうして、セオドアがライナスさんに向かって『どうしてここにいるのか』と首を傾げながら問いかけてくれると、ライナスさんは、はぁぁっと、深い溜め息を一つ溢しながら……。
「どうしたも、こうしたもないんだが……っ。
お前、魔法研究科だけじゃなくて、俺たちの騎士科にも通うっていう話だったのに、今までの間に、1回顔を見せに来ただけで、全然来ようともしねぇだろうっ?
本来なら、長期の留学期間中に、何十日くれば良いって決まっているみたいで、お前の判断で、来る日を決めればいいみたいな対応ではあったみたいだが、流石に、ソマリアに留学してきてからある程度の期間が経ったのに、来なさすぎると思ってなっ!
勿論、魔法研究科の方に通っている皇女様もいるからだってのは分かっちゃいるんだが、うちの学科の生徒達にも、お前が講師のような形で来てくれる日はまだなのかって、せっつかれちまうし。
今日だって、俺がこうして来なかったら、このまま、魔法研究科の方に向かうつもりだったんだろ?
だから……、どうしても来ねぇんならってことで、学院長に頼んで、何としても、今日という今日は、セオドアに騎士科に来てもらうようにって、事前に頼んで手配しておいたから、迎えにきたんだよ……っっ!」
と、持っていた鞘付きの練習用の剣を、セオドアに軽く投げてきたことで、パシッと音を立てて、それを格好良く利き手で受け取ったセオドアが、突然のその言葉に眉を寄せるのと、剣と同時に投げかけられた言葉を聞いて、私たちと同様に、ピタリと、足を止めたノエル殿下が、ライナスさんの言葉に同意するように。
「あぁ、そういや、確かに、セオドアは、騎士科にも行かなくちゃいけない義務があったはずだよな」
と、セオドアを見ながら声を出したのは、殆ど同時のことで……。
「オイっ、ライナス、ふざけるなよ……っ!
俺は、今日、騎士科に行くつもりなんて、一切なかったし、突然、勝手に話を纏められても困るっつうか、流石に、それは、横暴がすぎるだろうが……っ!」
そのあと、セオドアが、あまりにも突然の提案に何も聞いていないと怒ったように返事をするのが見えた瞬間、その怒り自体は正当なものだったと思うんだけど。
セオドアから批難するような視線を向けられたことで、『……っっ、嗚呼、本当に、スヴァナの言う通りだったなっ』と小さく吐き捨てるように声を溢した、ライナスさんのその瞳も眉も、あまりにも、剣呑とした感じで鋭く険しいものになっていき……。
セオドアを通り超して、私の方をチラリと見つめる彼の瞳が……。
『やっぱり、皇女様がいるから、セオドアは、こんな風な態度に出ているんじゃないか……っ?
俺達と過ごすこともしてくれねぇのは、アンタが、セオドアのことを、こんな感じで、いつも縛ってんだろうっっ?』
と言わんばかりに、ちょっとだけ責めるようなものに変わっていったことで、傍から見れば、『主従として』そう思われても仕方が無いことだとは思うし、私自身は、誤解されたとしても、理解は出来ることだと感じたから、全然、構わなかったものの、セオドアの方が、ライナスさんのその態度をよく思わなかったみたいで、さっきまでの、怒っているような声から更にドスを利かせるように、ワンオクターブ低い声色になった上で……。
「あぁ……っっ?
オイ、ライナス、どこに目をつけてやがる!?
お前の目は節穴かっっ!?
んなことは、絶対に、あり得ねぇよ……っ!
姫さんは、たとえ、護衛騎士の立場に就いている俺であろうとも、常にこっちの意思を尊重してくれて、その傍についていて欲しいって願ったり、自分を護るように強制したりするようなこともない人だからな……っ!
ただ単純に、俺が、常に、姫さんの傍にいて、護っていたいってだけだ……っ!
それに、物事には順序ってもんがあって、事前に言っておいてくれねぇと、こっちだって予定ってもんがあるだろうが。
あとな……っ、ライナス……、お前は知らねぇかもしれねぇが、昨日、姫さんは学院にいながらも、滅茶苦茶危険な目に遭ってて、今日の俺は、姫さんの傍から片時も離れたくないって思ってたんだ……っ、それをお前は……っ!」
と、ライナスさんに向かって、何よりも私のことを優先してくれようとするセオドアが、私のことで、更に食ってかかるように怒ってくれたものの。
昨日の今日だということもあり。
『どうして、ライナスさんが動いてきたのが今日なんだろう……?』
と思ってしまうほどに、あまりにもタイミングが悪く、まさか、今日、ライナスさんから騎士科に来るようにセオドアが誘われるだなんて、思いもしていなかったんだけど。
それでも、セオドア自身、ずっと、私に付いている訳にはいかなくて、いつかは騎士科に行かなければいけなかったこともあって、ライナスさんの言っていることも間違ってはいないと思うし……。
セオドアが、ライナスさんや、スヴァナさんと接することで、ほんの少し昔を思い出してしまうということがあったとしても、折角、再会出来た3人だし、ライナスさんやスヴァナさんがセオドアに好意的なことから考えてみても、セオドア自身が、そこまで負担にならない感じであるのなら、同じノクスの民同士、その仲が私の所為で悪くなってしまうのは嫌だなと感じて。
「セオドア、あのね、私のことは何も気にしな……」
……くて良いよ。
と、声をかけようとしたところで、ともすれば、殺気立っているような感じで、私のことを考えて『突然の誘いは、あまりにも迷惑だし、何にしても急すぎる』と怒ってくれ始めたセオドアの言葉に、ライナスさんが『そいつは、確かに悪かったとは思ってるが、でも、こうでもしねぇと、お前は俺たちの方にやって来ようともしねぇだろうっ』と言ってから、セオドアの態度からセオドアを説得するのは無理だと感じてしまったのか真剣な表情で、私の方を見つめてきたあとで……。
「さっきのは、申し訳なかった。
だけど、セオドアが、そんなにも優しいって太鼓判を押しているんなら、皇女様は、俺たちのことを分かってくれるはずだよな……っ?
セオドアは、こう言ってはいるが、俺たちからすれば、スヴァナも同様だと思うけど、久しぶりに出会えた同胞との時間ってのを、心の底から大事にしたいんだ。
そもそも、ずっと迫害されてきた俺たちにとっちゃ、普通の人間達の方がよそ者で、ノクスの民の同胞は、それだけで深い絆のようなものがあって、自分達と同じ存在だっていう安心感がある。
だからこそ、いつも一緒にいる、アンタ等からしたら、考えられないくらい、セオドアとの時間は貴重な時間だって言ってもいい。
皇女様が、セオドアの主人だっていうんなら、今日の飲み会のように、たまには、セオドアと俺たちが過ごせるような時間を与えてくれるのもありだとは思わないか……?」
と、さっきまでの雰囲気とは一転して、一言、謝られたあとで、今度は説得するような方向で、そう言われてしまったことで、私は思わず、その言葉にドキッとしてしまった。
セオドアの話を聞いている限りでは、ノクスの民であっても、大人達は、セオドアのことを、きちんとしたノクスの民だとは扱ってくれなかったって聞いていたけど、それは、当時、子どもだった、スヴァナさんや、ライナスさんには、当てはまらないことでもあるんだもんね……。
『だからこそ、ライナスさんの言っていることは、もっともな部分もあると思う……。
久しぶりに再会出来たことで、一緒にいる時間を大事にしたいと思う気持ちは、今まで離れていたからこそ、ひとしおだろうし。
セオドアがライナスさんとスヴァナさんと一緒にいることを負担に思わないのなら、ソマリアにいる間は、出来ることなら、二人と、もっと過ごさせてあげたいなっていう思いを、私自身も持っているから……』
――それに、折角出会えた同郷の仲間のことは、やっぱり、大事にしてあげて欲しい。
彼等がセオドアに好意的な分だけ、セオドアを害するような敵じゃないのだとしたら、セオドアにとってもその方が良いんじゃないかなって思ってしまったり……。
だからこそ、セオドアが『今日は、ダメだ。俺自身は、絶対に姫さんの傍にいるつもりだから』と、私のことを心配してくれて傍にいると言ってくれているのが分かっていながらも、私自身は、ライナスさんからかけられたその言葉に、『確かに、そうですよね……っ、皆さん、久しぶりに会えて……、セオドアとも過ごしたいですよね』と声を出していく。
「姫さん……っっ、!」
その瞬間……。
セオドアが心配そうな表情で、咎めるように、私の名前を呼んでくれたことで、私はセオドアの瞳を、真っ直ぐ、柔らかく見上げながら『心配してくれてありがとう、セオドア。……でも、何とか、頑張ってみるから、大丈夫っ』と、こっちの心配は必要ないから、気にしなくて良いんだよという視線を向けていく。
そうして、それよりも、『自分と親しくしてくれるお友達は、一生ものの存在だと思うし、セオドアさえ良ければ大事にして欲しいな』と、ハッキリと伝えると、ここに来て初めて『……っっ、』と、ライナスさんの瞳が、私の言葉に、ビックリしたように大きく見開かれたのが見てとれた。
正直、私自身、セオドアが傍にいないというのは、いつも一緒にいてくれる分だけ、もの凄く心細くもなるし、不安を感じてしまう部分ではあるんだけど……。
それでも……、どう考えても『いつまでも、セオドアのことばかりを頼っていくだけじゃなくて、私自身が一人でも大丈夫なように、色々と頑張っていく必要があるはず……っ』と内心で思いながら、この間にも、何とかして、私もノエル殿下に近づきつつ、色々と探ることが出来ればいいなと感じていると。
そのあと……、ライナスさんから『……皇女様っ、俺の提案を受け入れてくれてありがとな』と言われたことで、私は口元を緩めて、ふわりと微笑み返していく。
正直、内心では、心許ない気持ちから、ドキドキしてしまっていたんだけど、私がそのことを表情に出せば、絶対にセオドアは私の傍から離れようとはしないだろうから、表情は、取り繕ったものだったといってもいい。
それでも、セオドアが私の傍にいてくれないだなんてこと、滅多に起きないことでもあるし、本当に凄く凄く大きな痛手ではあるものの、アルが傍にいてくれるのは間違いないし、ここ最近、ずっと張り詰めた緊張感に包まれてばかりいたこともあって、セオドアにも、ほんの少し、ホッと一息付くような時間を持って欲しいなと思ったんだけど。
「却下だ。
勝手に、俺の意思に反して、2人の間で決めないでくれ……!」
と、セオドアが、私達の話について断固として首をふってくれず、その上で、アルですらも。
「うむ、僕に全て任せろと言いたいところなのだが、昨日の今日でのことだからな。
アリスが誰かから狙われていることを思えば、セオドアがいないというのは、かなりの痛手であることに間違いないだろう」
と、『セオドアが傍にいてくれた方が良いんじゃないか』と声を出してきてくれたんだけど。
「あー、話し中、邪魔するようなことになってあれだが、騎士科の講師であるライナス教官が学院長に話した上で、決まったことなんだろ?
これ以降のことは、自分達で考えれば良いと思うが、今日は、留学生としても、ソマリアへの外交相手としても学院長の決断を立ててくれたら嬉しいんだが。
アリス姫が心配なのは分かるが、セオドアも、一応、生徒としてシュタインベルクという国を背負って外交に来ている存在だろう?
国同士の友好に波風を立てないためにも、俺からも改めて宜しく頼む」
と、ノエル殿下からそう言われたことで、セオドアがほんの少し眉を寄せながらも『いや、だが、そいつは……』と、言いつつも、ぐっと息を呑みこんでしまった。
ここで、一国の皇子として立場のあるノエル殿下に国同士の外交のことを引き合いに出されてお願いをされてしまったら、シュタインベルクから友好関係を築きに来ている以上は、ライナスさんに言われているのとは訳が違って、断ることは難しい。
そうして、そんなノエル殿下の言葉を聞いて、『ノエル殿下もそう言ってくれていることだし、決まりだな。明日以降も、ちょくちょく来てもらうようにはなると思うが、とりあえず、お前は、今日は騎士科の方で授業だ。……そのまま剣を持って訓練場に来てくれ』と、ライナスさんがそう言ってきたことで、ムスッとしたままのセオドアが、険しい表情を崩さないまま……。
「とりあえず、姫さんがそう言ってくれてるから、本当に滅茶苦茶嫌だけど、仕方なく今日だけは向かってやる。
だけど、これから先も騎士科に行かない訳じゃねぇんだから、今日みたいに、俺の預かり知らぬところで、お前たちの判断で、無理矢理決めるようなことは、本当にやめてくれ……!
俺には俺の都合ってもんがあるんだし、勝手に色々なことをされたんじゃ、困るんだよ」
と、剣呑な声色で言葉を出したのが聞こえてきた。
その言葉には、私のことを心配してくれるような色合いしかのってなかったけど、良かれと思って、そういった判断に出ていたのか、ライナスさん自身、ここまで、セオドアに、一貫して断られるとは思ってなかったみたいで、その言葉を聞いて難しい表情を浮かべたまま、セオドアに対して。
「あぁ、分かった……! 分かったよっ!
次からはそうしてやるからっ!
でもなぁ、お前、あまりにもこっちに来なさすぎだぞっ。
俺としても、立場上、色々とやらなきゃいけないことだってあるんだから、この立場も含めて、ちっとは、考えてくれ……っ!
それに、俺だって教官として、お前は生徒なのに、お前に教えて貰いたいって生徒達が大勢いて困ってんだ……っっ!
それから、スヴァナだって……っ」
と、折角誘ってやったのに、という表情を全面に押し出しながらも、ほんの少しグシャリとその顔を歪めたのが見えて、セオドアがその表情に眉を寄せ、私自身もセオドアに教えて貰いたい生徒さん達が大勢いるのは何となく想像がつくことでもあったんだけど、どうして、そこで『スヴァナさん』の名前が出てくるんだろうと思っていると。
セオドアが『スヴァナ……?』と、私と同じタイミングでスヴァナさんのことについて気になったみたいで、ライナスさんに問いかけてくれたんだけど、ライナスさんは、その言葉にハッとした様子で直ぐさま取り繕ったようにしながら『何でもねぇよっっ!』とぶっきらぼうに声を荒げてしまった。
そうして……。
セオドアがアルの方を向いて『アルフレッド、今日一日、姫さんのこと頼んだ』と声を出してくれたあと、私の方へと振り向いてくれたセオドアが私の肩をそっと掴んでくれながらも。
「……っっ、姫さん、何かあったらいつでも、アルフレッドを介してでも良いから、俺を呼んでくれ……っ!
何があっても、どんなことがあっても、必ず、姫さんのもとに駆けつけるようにするからっっ!」
と、セオドアが私の瞳を見つめてくれながら、真剣に声を出してくれたことで、私もその言葉に感謝するように、『うん、ありがとう、セオドア』とお礼の言葉を伝えていく。
そうして、ほんの少し後ろ髪を引かれる感じではあったけど、この学院に来てから初めてセオドアと別れることに、何とも言えない焦燥感にも似たような寂しさが一気にぶわりとこみ上げてきてしまったんだけど。
『私がこんなことじゃ、いつまで経ってもセオドアも、私の心配で、離れられないよね……!』
と内心で思いながら、その不安をなるべく表情に出さないようにしていたら……。
「アリス、案ずるな。……僕がお前を護るようにしよう」
と、声を出してくれたアルと。
「俺も付いてるし、アリス姫に何かあるようなことはさせないつもりだ」
と、どういう意味合いで言ってくれているのか分からないけれど、ノエル殿下にそう言われたことで、あまり、授業まで、もう時間もないことから、ひとまず私は『今日の授業では、スヴァナさんが来てくれるけど、劇の練習に関しては、セオドア不在で行われることになちゃうんだな……っ』と思いつつ、セオドアと離れることに、僅かばかり心細い気持ちを抱えながらも、セオドア以外のみんなと、魔法研究科へと向かっていくことにした。