567 昨日の事件への心配と朝食の席での攻防
私たちを先導してくれるように目の前を歩いているアルフさんは、さきほど、ほんの僅かばかり私の方を見て、『ダヴェンポート卿も心配していましたし、私も心配です』と言って、私のことを心配してくれているような雰囲気を醸し出していたものの、それでも、今はもう、元のあまり表情のない顔つきに戻ってしまった。
そのことから考えてみても、心配しているフリなのか、そうじゃないのか、その瞳からは、あまり読み取れなくて、ダヴェンポート卿や、ノエル殿下と同じように、敵なのか、よく分からない感じだったりするんだよね……っ。
そうして、アルフさんの案内で、王城の廊下を通って、私たちが、朝食の席に向かうと、食堂には既に、ダヴェンポート卿や、ノエル殿下といった面々が出揃っていて、昨日の今日ということもあり、みんなが一様に、私の姿を見つけた途端、パッと顔を上げて、気遣わしげな表情を向けてきた。
その中で、極力、誰とも接したくないといった感じで、ずっと下を向いていたのは、レイアード殿下くらいだっただろうか。
「アリス姫、おはようっっ!
もう、大丈夫なのかっっ!? 俺自身、アリス姫が大丈夫なのか本気で心配していたんだ」
その一瞬あとで、がたりと椅子から立ち上がって、どこまでも心配そうな表情を向けてくれた、ノエル殿下から、そう問いかけられたことで『はい、ご心配をおかけして、本当に申し訳ありません。もう大丈夫です』と、私自身は、どこまでも、柔らかい微笑みを浮かべていく。
その言葉に、ノエル殿下とも近い場所の椅子に座っていたダヴェンポート卿が、すかさず。
「それならば、本当に良かったです……っ!
昨日は、我が国で起こってしまった事件で、突然、上から植木鉢が落ちてきて大変な思いをされたというのが分かっていただけに、私自身も、皇女様のことが心配で、今日までの間に、あまりにも気を揉んでいましたから……っ。
それに、私自身が昨日、貴賓室に伺った時には、そのお姿が見られなかったことで、本当に大丈夫だったのかと、もの凄く気に掛かっていましたしね」
と、柔らかい口調で、あくまでも、こちらを気に掛けるような言葉を出したのが聞こえてきたことで『本当に心配してくれているのなら有り難いことではあるんだけどな』と内心で思いながらも、心配する体を装って、何かしらの詮索をしてきているのではないかと、二人のことを怪しく感じつつ。
表向きは、好意しかない言葉であることからも、『ご心配をおかけして申し訳ありません。心配して下さってありがとうございます。昨日も大事を取って休ませて貰っただけで、体調自体には本当に何も問題がないんです』と、私は、にこにこと、どこまでも柔らかい笑顔で対応していくことにした。
まかり間違っても、この瞬間にも『身体が、ほんの少し重い』などといった自身の症状を表に出すようなことだけはしない方がいいはずで、昨日のナイフの事件の時にも、オルブライトさんが関わっているかもしれないって判明した時に。
『姫さん、今回のナイフの件に関しては、本当にうっかりで、わざとじゃねぇのかもしれねぇが、その反応は窺っておいた方がいいかもしれない。
……同じ、シュタインベルクの人間だし、ソマリアの方の人間とはあまり関わりがなくて、現状では、その可能性は低いと言ってもいいと思うが、誰を信じて、誰を信じない方が良いのかは、きちんと見極めておかねぇとな』
と、セオドアが言ってくれていたように、誰が味方で、誰が敵なのか分からない状況で、きちんとそのことを見極められるまで、本当に心の底から信じられるのは、セオドアや、お兄様達といった、私が心の底から大事にしている人達だけだから……。
そうして、私自身、いつものように、何でもない体を装って、普段通りに用意されている席に座ったあと、出されていく食事を前にしながらも、此方からも、何かしら、特に、ダヴェンポート卿や、ノエル殿下の二人については、探りを入れていった方が良いかも知れないなと感じて……。
「ですが……、犯人は、本当に、外部からやってきた人間だったんでしょうか……?
もしも、学院内に犯人がいた場合は、学院側の問題にもなってきますし、4階に上がったかもしれない人については、多少、覚えがあったとしても、実際に、事件当時に、植木鉢を落とした人に対して、きちんとした目撃情報がなかったことを思えば、可能性として、ソマリアの人が犯人の可能性も、一応、残っていますよね……?」
と、私自身が被害者であることからも、ある程度、現場の状況をしっかりと把握した上で、一番、犯人の候補としてあり得るのは、確かに、オルブライトさんで間違いないけれど。
ソマリアの人が犯人である可能性についても、一応、消えた訳じゃなく、再犯の防止には努めてくれるみたいだけど、今後の調査などに関して、どうなっていくのかなどを言外に含ませて、問いかければ……。
「あぁ、それについては、ダヴェンポートや、他の人間とも、一応、俺自身が協議して決めたんだが。
俺自身も、国にとって重要な外交相手であるアリス姫に、怪我を負わす可能性があったことに関して、その事態については、本当に重く見てるんだ。
だけど、その辺りについては、生徒達もいる学院で起きたことでもあり、学院に通う生徒達に、出来る限り動揺を与えたくないということもあって、此方でも調査をやめることはしないが、なるべく慎重に事を運んでいきたいと思ってる。
……その結果、きちんとした結果が返ってくる可能性は、今の段階でも、既に、目撃情報もあまり見られなかったことから、大分、厳しいと言わざるを得ないだろうが、そちらに関しては、精一杯、誠心誠意の対応をしていくつもりだし、出来ることなら、それで、容赦してもらいたい」
という真っ当な言葉が、ノエル殿下の口から返ってきた。
実際に、シュタインベルクの人間でもあるオルブライトさんが最も犯人に近いというのは間違いなく、ウィリアムお兄様や、ノエル殿下が直ぐに階段を駆け上がってくれて、現場の確認と、目撃情報などから、犯人像について朧気ながらも掴んでくれたという状況が、一番の手がかりであって、日を追うごとに、犯人を捜し当てることは、難しくなってくるだろうから……。
ノエル殿下が今言っていることは、ソマリア側に出来る最大限の配慮であることには、間違いないはず。
――ただ、私たちの方を見ながら、さらっとその文言の中に、たとえ、犯人を捜し当てることが出来なかったとしても、それについては了承してくれ、というような言葉が混じっていたことは、一国の皇子としての立ち回りとして、本当に上手いなとも思う。
実際、もしも立場が逆だったとして、シュタインベルクにソマリア側の人間がやってきたとして、同じような事件が起きて『実行犯が、自分達の国の人間だとはいいきれない状態』であるならば、お父様やウィリアムお兄様も、ノエル殿下と、同じような言葉を持って説得しただろうから、その対応自体は、間違っていないと思う。
それに、既に、植木鉢が落ちてきたことを目撃した人達は多数いるといえども、『自国の人間が犯人ではない可能性も高い、今の状態』であるならば、自国民として学院に通う生徒達に、不要な動揺を広げたくないというのも理解出来ることだから……。
それは、ノエル殿下自身が『この件には関わっていない』と公言しているようなものだけど、もしも、関わってきている上で、この言葉を私たちに伝えてきているのだとしたら、政治的な面においては、一枚も二枚も上手だなと思う。
その言葉に、ほんの僅かばかり、ダヴェンポート卿が、ノエル殿下の方を見て、隠しきれずに苦々しい表情を浮かべて、唇を噛みしめたような雰囲気だったのは、ダヴェンポート卿が、ノエル殿下ではなく、レイアード殿下のことを、次期、国王にと推しているからだろうか。
ただ、その一方で、肝心のレイアード殿下は、私たちとはあまり関わりたくないという気配を持っていつつも、それでも、ほんの少しでも、みんなで話していた内容が気になったのか、話の途中で、ほんの少しハラハラとしたような雰囲気で周囲を見渡したあと。
ダヴェンポート卿や、ヨハネスさんから『ノエル殿下に負けぬよう、もっと、しっかりとして欲しい』というような視線を向けられると、その話はしたくないとでもいうように、顔を背けていて、相変わらず、レイアード殿下自身は、国王陛下であるギュスターヴ王の跡を継ぐつもりなんかは、あまりなさそうではあったけれど……。
……考えてみれば、私たちにも事前に警告はしてきてくれた訳だし、文字通り『シュタインベルク側である私たちにとって、この外交は有益なものにならない』と、レイアード殿下がかけてきた言葉の通りになっていることも思えば、レイアード殿下の立ち回りについては、私たちの為を思ってそうしたのかもしれないという部分が見え隠れもする訳で……。
そういった部分から、その性格的な面で考えても、レイアード殿下が、ノエル殿下にも何かしら遠慮している可能性とかはなかったりしないだろうか?
私が、レイアード殿下や、ダヴェンポート卿などの視線を見て、これまでのレイアード殿下の態度から、そういうふうには考えられないかなと内心でそう思っていると『俺たちに追及出来る話は、ひとまずは、これが精一杯だろうし、残念だが、ここまでだろうな』と、セオドアとウィリアムお兄様とルーカスさんとアルが視線を交わし合ってくれたあと。
「勿論、俺たちも、その対応が、ソマリア側にとって最大限の配慮であることは理解もしている。
だけど、それでも、この国で起きた事件でもあるから、此度のソマリアとシュタインベルクの外交に、不用な摩擦や亀裂が入ってしまわぬように、今後は、その言葉の通り、誠意のある対応をしてくれるように願っている」
と、念を押すように、お兄様が代表して、ノエル殿下や、ダヴェンポート卿に釘を差してくれた。
それは、イコールして、今後、私たちに何か問題があったとしたならば、『此方としても、出方を考えなければいけなくなる』という意味合いを含めてくれたものでもあるけれど。
お兄様の言葉を聞いて、ごくりと喉を鳴らし『えぇっ、勿論ですとも、ウィリアム殿下……っ。承知しております!』と声を出したダヴェンポート卿とは違って、ノエル殿下の方は、どこまでも落ち着き払った様子で『あぁ、そうだな。そんなのは、当たり前のことだから、何も心配しなくていい』と此方に向かって、真面目な表情で声をかけてくる。
その姿に、みんなの視線が物語っていたように、私たちに出来る追及の部分に関して、ひとまずは、これが精一杯のことだろうなと感じつつも……。
決して嫌な視線ではなかったけれど、ノエル殿下の視線が、いつもに増して、度々、私の方を向いているような気がすることに、私自身、ほんの僅かばかり違和感を感じていると、隣に座ってくれていたセオドアが、その様子を見て、ほんの少しだけ険しい表情で、ノエル殿下に対して眉を寄せたのが見えた。
『ただ、単純に、私自身は、いつもに増して見られてしまっているなぁという感覚でしかなかったけど、セオドアは、今、ノエル殿下の様子を見て、何かを感じとってくれたのかな……?』
セオドアのその視線は、どう考えても、私のことを考えてくれた上でのもので間違いないはずだけど。
『もしも可能だったら、どうして、今、ノエル殿下の方を見て、そんな視線になったのか、教えてもらえたら嬉しいな』
と、思っている間にも、恙なく、朝食の時間は終わりを迎えていて、私たちは、ダヴェンポート卿や、ノエル殿下の様子が気になりつつも、この場を辞して、ひとまず、学院へと向かうこととなった。
その間、レイアード殿下は、いつも通りといった感じであり……。
その上で、多分、今回の件どころか、恐らくだけど、何にも関わっていなさそうだなと思われるヨハネスさんは別としても、もしかしたら何かしらの一件について関わっているかもしれないグレーな感じのバエルさんに関しては、私たちの話を聞いている最中に、ダヴェンポート卿が話すことや、ノエル殿下が話すことに関して、適度な感じで相づちを打ちながらも『私もそう思います』といった様子で、二人の意見に従うべきだというような表情が見られたと思う。
だからこそ、どちらに対しても、関わりが深いような感じがするため、バエルさんも凄く怪しく感じてしまうんだけど、とりあえず、この朝食の席という短い時間の中では、そこまでしっかりと読み取ることは出来なくて、表面的な部分だけではなく、今後、バエルさんが、ダヴェンポート卿や、ノエル殿下の二人と、どういう関係性を築いているのかは、もう少し、しっかりと確認しておかなければいけないだろうなと感じながらも、私は、取り急ぎ、学院に持って行かなければいけない荷物を取りに行くため、みんなと一緒に貴賓室へと戻ることにした。
その際、ノエル殿下が……。
「アリス姫、今日は、俺も一緒に学院に行けそうだから、少し広めの馬車を用意するし、同じ馬車に乗って向かわないか?」
と、声をかけてきてくれたことで、セオドアやお兄様達とも視線を交わし合い、さっきのこともあるからか、セオドアは、あまり良い反応を示さなくて、もの凄く悩んだけれど『積極的に関わりを持っていかないと、ノエル殿下のことも分からないままだよね』と感じながら、私は、最終的に、その提案を引き受けることにして、こくりと頷き返していく。
そのあと……。
「レイアード殿下や、バエルさんも一緒に来られるのでしょうか……?」
と、あくまでも、ノエル殿下だけではなくて、他の人達も一緒に来るのかなと感じて、ノエル殿下の後ろをついてくるように、食堂から王城の廊下へと出て来たバエルさんと、レイアード殿下に視線を向けて問いかければ……。
「……いえ……、っ。
私は、皆様と一緒の馬車に乗るのは、従者として本当に申し訳なく感じますし、遠慮させて頂きます。
自由気儘な主君ですが、皆様、ノエル殿下のことを、どうぞ宜しくお願いいたします……っ」
と、どうしてか、ほんの少しだけ表情を硬くしながら、いつものように、ノエル殿下に厳しい感じの御目付け役として、ノエル殿下のことに関して、私たちにお願いするように声をかけてきつつも、自分は同じ馬車には乗らないようにしますと、丁重に固辞するように返事を返してきたバエルさんと。
「……別に。……俺も、いい。
自分で、学院には、行けるから……っ」
と、此方もまた、私たちに向かって同じ馬車に乗るつもりはないと遠慮してきたレイアード殿下に。
「まぁまぁ、そう言うなって、レイアードも、バエルも本当につれないなっっ!
バエルは、まだしも、レイアード、お前は、これから、アリス姫達とも一緒に劇をする仲なんだし、もうちょっと、親睦を深めた方が、絶対に良いはずだろうっ!
それに、バエル、お前も、ここは断る所でもないだろう? どうせなら、一緒に来いよっ!」
と、ノエル殿下が、声をかけたことで『……そうですかっ、承知しました。ノエル殿下が、そういうのなら、仕方ありませんね、その我が儘は今に始まったことじゃありませんから……っ』と、ノエル殿下に向かって、小さく溜め息を吐きながら、その顔を見て、呆れたような視線を向けて、そう声に出したバエルさんと。
『……っっ、あ……、いやでもっ、俺は……っ』と言いかけつつも、最終的に……。
「……っ、兄上がそう言うのなら、……分かりました。
それなら、今日だけ、ご一緒させて、もらいます……っ」
と、声を出したレイアード殿下に、『あぁ、お前達、折角だし、そうしてくれっ』と、そう言ったあと、続けて『アリス姫、みんなも、貴賓室に戻って荷物を取りに行ったら、馬車の前で落ち合うことにしよう』とノエル殿下が声をかけてくれたことで、私は『はい、では、また後で……っ』と、声に出し、一度、みんなで、貴賓室に戻り、準備を終わらせてから、王城の馬車が停まっている場所まで向かっていくことにした。