565【ノエルSide】
ウィリアムと一緒に学院から帰ってきて、アリス姫の様子を見に行ったあと、俺はその足で、廊下を歩いて王城にある自室に戻ることにした。
その際に、待ちかねていたように、自室の扉の前で、此方に向かって、丁寧に頭を下げてきたバエルに、俺は小さく口元を緩め、歪な笑みを溢したあと、部屋の中に入って、ベッドの上にバサッと自分の赤色のマントを放り投げて、どかりと、部屋の中の椅子に座ってから、機嫌良く、口笛を吹いていく。
「お帰りなさいませ……、ノエル殿下……っ」
そうして、いつものように、俺のあとを追いかけてきて、緊張感を走らせながら、バエルがかけてきたその言葉に、普段なら何の返事も返さないままでいるが、今日の俺は、何せ、本当に、あまりにも機嫌が良いと言ってもいいだろう。
だからこそ、アリス姫が魔女かもしれないと知っている人間を増やせば増やすほどに、俺たちの誰がシュタインベルク側のことを探っているのか分からなくするという目的の名の下で……。
『シュタインベルク側の情報を探っている俺のためにも、アリス姫が、魔女である可能性があると吹聴して回る』
という判断に出たんだろうが、却って、セオドアや、ウィリアム達の鋭い視線を浴びながら、警戒心を持たれるようなことになってしまった、今日のバエルの失態すらも、帳消しにしてやっても良いとも感じているくらいだ。
『植木鉢の一件があったあと、ウィリアム達からは、本当にそうなのだと思えるようなことを言われた上で、アリス姫自身も何でもないことを装っていたが、顔面蒼白になるような症状は、まさしく魔女が能力を使ったあとの特徴と言ってもいい。
それに、本当に、注視して見ないと分からないような感じではあったが、僅かな震えに、呼吸がし辛いような様子も見られて、ほんの少し、ふぅ、ふぅ……っと荒くなっているような吐息の零れ落ち方は、アリス姫が、誰にもバレることのないようにと、能力の反動を我慢しているように見えても何ら不思議ではなく……っ』
――本当に、気を付けて見なければいけないほどに、あまりにも些細な感じでしかなかったが、それでも、幾つか、魔女が能力を使ったあとの症状が見られることから考えても、それ自体が、アリス姫が、魔女の能力をその身に宿していることの証拠にもなり得るようなものだと言ってもいいだろう。
惜しむらくは、アリス姫を過保護に護っているセオドアや、ウィリアム達といったシュタインベルク側の人間全員が『植木鉢が落ちてきたことで、王城に早く帰らせてやりたい』と、あくまでも、大事を取って過保護に護っているという素振りを見せてきたことで、アリス姫が本当に魔女なのかどうか、100%の核心にまでは、至らなかったというところだろうか。
だけど、それでも、今までの疑念が、核心めいたものに近づいていけばいくほどに、こんなにも心の底から震えるような高揚感を覚えることもないだろうな……っ。
それも、植木鉢が上から落ちてきたのを避ける目的で使った魔法なら、現場の状況と照らし合わせて考えても、一番に思いつくのはサポート系の能力で、どんな代物なのか、その魔法を絞り込んでいけばいくほど、アリス姫が、もしも、魔女であるならば、特殊な能力を持っている可能性が高いということだけは間違いないはずだ。
『そう……、たとえば、未来予知の能力……、それから、もう少し深く考えられるものとしては、時間を操るものだとか、そういう可能性もあったりしないだろうか……っ?』
俺自身、これまで、戦争などで活躍した魔女達といった『史実』などから、詳しく調べていったり、色々な方面から、深く魔女のことを研究してきたからこそ、世間で知られているようなものも含めて、魔女達が持っているような能力については、詳細に知り得ている方だと思う。
それでも『時間を操る能力』というのは、一度も聞いたこともないが、未来予知の魔女に関しては、100年ほど前に書かれた文章として、一度だけ、それに類似したような能力を持つ魔女がいたという眉唾ものの文献を読んだことがあるし、未来が分かる魔女がいるのだから、それに似た感じで、未来や過去などといった時間を操るような能力を持つ者がいても何ら可笑しくはないはずだ。
『実際、上から落ちてくる植木鉢を、自然に察知して避けられる人間がどれくらいいるかと考えれば、おのずと、その能力についても見えてくるものがある。
未来予知で未来を視たか、それとも、植木鉢が落ちてくる時間を調節したか……っ、あるいは、その他か……っ』
……特に、こういうのは、発想力がものをいう話でもあって、俺自身、歴史的な文献などに魔女と思われる記述があれば、その能力を分析するところから始めたりもしている訳で、比較的、こういうふうな想像力には長けているといってもいい。
『だけど、もしも、そんな能力が、この世に存在しているのだとしたら、それこそ、無限の可能性が広がっているだろうな……』
――俺が、国にとって、君主という立場で、一番上の人間だったとして、アリス姫に、そんな能力があるのだと知ったら、絶対に手放すことはしないだろう。
何としても、国で囲いこんで、それこそ、鳥籠の中に閉じ込めるようにして、大事にしておくに違いない。
シュタインベルクは、そこまでしていないみたいだが、俺は違う……っ。
『飛べないように、その羽をもいで、俺だけのものとして、囲って、囲って、閉じ込めることで、手足に枷を付けた上で、部屋の扉に鍵をかけ、恐らく、その行動すらも制限するだろうっ』
だからこそ、自然と口元がゆるゆると緩んでいき、くっ、と、こみ上げてくる仄暗い笑いが溢れ落ちていくのを、俺自身、止められなかった。
多分、傍から見れば、どこまでも歪な笑顔のようにも見えただろう……。
ここ最近の、平凡な生活に馴染みきっていた中での、久しぶりに感じる迸るような熱に、ただただ感情が昂っていくのが抑えられず……。
――城下で行う、派手な喧嘩だって、どんな祭りだって、ここまで、劇薬のように俺の気分を高めてくれるようなものはなく。
『嗚呼……、嗚呼……っっ、本当にっっ、元々、アンドリュー達に、アリス姫の情報を聞いた時には、シュタインベルクの内情を探るために、近づきたいとも思っていたが、知れば知るほど、興味も関心も沸き上がってきてしまって、アリス姫が魔女であるのなら、こんなにも嬉しい誤算はないと言ってもいいだろう……っ!』
と、俺は、早鐘を打つような胸の高鳴りを感じながら、自分の中に沸き上がってきた抑えようのない執着心に、唇を歪めたあと、内心で、そう思う。
だからこそ、かけられたその言葉に……。
「あぁ……っ、そうだな、ただいま、バエル」
と、いつもとは違い、口元を緩め、上機嫌で、ハッキリとそう告げれば、ほんの僅かばかり、俺と接するのに張り詰めたような緊張感を持ったバエルの瞳が、驚愕に見開いたあと、戸惑ったように、左右へと揺れたのが見えた。
「……っっ、今日は、いつもとは違って、もの凄く、ご機嫌な様子ですね……っ?」
そうして、そのあと、ほんの少し、言葉に窮したような様子で、暫く固まっていた雰囲気だったバエルが、俺の方を見ながら、慎重に言葉を選んでは、此方の反応を窺うように声をかけてくるのが聞こえてきたところで。
「そりゃぁ、そうだろう……っ!
お前が知ってるかは知らないが、今日、俺は、まさに、この目で、シュタインベルクからやって来たお客人が、魔法を使ったかもしれない状況に、遭遇してるんだからな……っ!
そもそも、普通の人間としては、あり得ないくらいの自己犠牲の精神を持っていて、関わった人間の誰もが、アリス姫を天使のようだと感じてる……っ。
そんな状況に、本当に、そんな人間が、この世の中に存在するのかって思って、アリス姫の特異性には最初から目をつけていたが、魔女であるのなら、もっとだ……っ!
どうしても、欲しい……って、渇望するような気持ちが止まらねぇんだって、なぁ、バエル、お前もこの気持ちについては分かるだろうっっ!?」
と、口元を緩めきったまま、特に隠すこともなく、いつものように、真っ暗な瞳と共に、『周囲から、天使のようだと言われているアレが、この手に欲しいんだ』と、嘘偽らざる本音を正直に伝えながら、どこまでも歪んだ笑顔を向ければ、バエルが、そんな俺を見つめて、ほんの少しその身体をびくりと震わせた上で、緊張感を高めたのが見てとれた。
その態度に、瞬間的に感じた、イラっとした気持ちが抑えきれず、俺は、口元を歪めながら、テーブルの上に置いてあった短剣を手に取って、ほんの少し、手元でくるくると回しながら遊ばせたあと、思いっきり自分の手元の中のそれを、バエルに向かって投げつけていく。
その瞬間……っ、バエルの腕を掠めたソレは、そのあと、勢いを殺しきることもなく、鋭いスピードで、ダンッという音を立てながら壁へと突き刺さったのが見えた。
「オイ……っ、折角、気分が良い状態で、ハイになって、お前が今日、犯した失態について許してやったってのに、俺の、機嫌を損なうようなことをするんじゃねぇよ……っっ! なぁ、バエル……っ?」
「……っ、申し訳ありません……っ、主君……っ」
そうして、ナイフが真横を通り過ぎたことで、微動だにすることも出来ず、冷や汗を流している、自身の御目付け役という存在に、俺は、どこまでも冷めた視線で見つめながら『殺傷能力はそんなにも高くない、こんな玩具にすら、ビビってんなら、マジで興ざめだな』と内心で思う。
……正直に言って、表では、他人からどう見られるのか、その見え方を熟知した上で、主従としての関係が逆転して見えるよう、バエルの方が敢えて上のように見せかけ、俺に対して、常日頃から、目付役として厳しく接するようにさせているが、実際の俺たちの関係というのは、真逆そのものといってもいいだろう。
一番、狙いやすい頬を狙わず、腕を狙ったのは、アリス姫や、セオドアといった、シュタインベルク側の人間達が、腕に怪我をして打撲痕を作っていたバエルの心配をしていたからであり、顔に傷を付けるのはパッと見ただけでも分かるからよくないだろうとの判断で、これ以上、アリス姫達に違和感を持たれないようにするためだ。
それでも、苛々とした気持ちが抑えられずに、俺は、ツカツカと壁の近くに立っていたバエルの方へと歩みより、バエルのネクタイを引っ張ってから、思いっきり、その顔を近づけさせた上で『その傷……っ、今度は、絶対に隠し通しておけよ……っ』と、声をあげる。
その言葉には、言外に『これ以上、余計なことはせずに、お前は俺の駒らしく、俺の指示のもとで動いていろ』という意味合いも込めている訳だが。
バエルが、俺の方を見つめながら、ごくりと喉を鳴らしたあと『申し訳ありません、そのようにいたします……っ』と伝えてきたことで、恐らく、俺の意図は、正確に伝わったと見ても良いだろう。
それで、俺は、ひとまずの溜飲を下げることにした。
その上で……、王城の中は、あまりにも豪華絢爛で、どこもかしこも煌びやかな雰囲気が漂っているというのに、俺が幼い頃に宛がわれて以降、ずっとそのままである、この部屋の中は、豪華な内装に、広い部屋が与えられているレイアードのものと比べても、ベッドに、椅子、テーブル、それから、事務机といった、必要最低限の簡易的なものしか置かれていない訳で。
多少、ナイフで壁を傷つけたところで、今更、それを直しにやってくるような奴もいなければ、そもそも、俺の部屋になんて、誰も興味がなくて、この部屋が、今、どんなことになっているのか、知っているような奴もいないだろう。
まぁ、もっとも、コイツが、ダヴェンポートとも親しくしていることについては、俺自身もあまりにも良く思っていない訳だが、別に、その手綱が掴めていない訳でもないし、それについては放置していても問題はない……。
「あ……っ、あの、皇女様が魔女である可能性については、私自身も疑っていましたし、異論はありません。
ですが、ノエル殿下がそう仰られるということは、皇女様の様子を見て、そのように考えられたのですよね……っ?
それで、その……、皇女様の能力について、殿下は何か、手がかりのようなものは掴めたのでしょうか……?」
「さぁな……っ、俺がお前に教えてやることなんて、何もない。……そうだろうっ?」
「……っっ、出過ぎた真似をして申し訳ありません」
そうして、バエルから、確認するように問いかけられたことで、俺自身、その言葉にはのらりくらりとまともな返事をすることもなく、交わしながらも……。
改めて『こんなにも、最良の日は、どこにもないだろうな……』と感じながら、アリス姫のことを考えて、今まで、俺自身が取りこぼしてきたものを手にするためにも、その過程で必要であるならば、手段を選ぶようなことは絶対にしないと心に決めて、今まで以上に、自分の理想としての計画を立てながら、これから先の未来で、自分のために動いていくことにした。