561 怪しい人間の選別と心の奥に巣くう闇
それから、私の言葉に、セオドアが『そうだろうな……』と納得したように、私のことを優しく見てきてくれたあとで、セオドア曰く、先ほどみんなで話した時に、私がオルブライト伯爵の裏に誰かしらが関わってきているんじゃないかと、宮廷伯を疑ったことで……。
「普段、よほどのことがない限り、姫さん自身が、誰かを強く疑ったりするようなことはないのに、宮廷伯のことを疑っているような素振りを見せたから、その時点で、可笑しいなって感じてたんだ。
それで、俺自身は、今の今まで、きちんとした事情を聞くまでは、時間を巻き戻していることで、姫さんが、未来で、宮廷伯のうちの誰かに殺されかけたんじゃねぇかって思ってたんだが、そこまで複雑な事情があるとは予想もしてなかったな……。
けど、姫さんの言う通り、皇宮でそれだけの人を動かしているんだったら、尚更のこと、普通の人間には出来ないようなことだって考えても、ある程度、財力があって、行動範囲も広い人間に絞るとすれば、一連の事件の裏に、もしかしたら宮廷伯がいるかもしれねぇってのは、俺も理解することが出来る」
と……、私が数年単位で時間を巻き戻したことも含めて、色々と推測してくれた時に、今日の私の発言から、もしかしたら、未来で宮廷伯に殺されかけたんじゃないかと、ずっと心配してくれていたみたい……。
「それに、宮廷伯って言ったら、誰も彼もが胡散臭いっていうか、こう言っちゃなんだが、本当に、曲者揃いで怪しい奴らばかりだしな」
そうして、そのあとで、セオドアから言われた言葉には、私自身も『うん、そうだよね……っ』と、直ぐに、こくりと頷くことが出来た。
巻き戻し前の軸で、ローラが私の事を救ってくれようと思ったこと自体は、ローラ自身の考えのもと、そうしてくれたんだろうし、それは絶対に間違いないと思うんだけど。
そういったローラの優しさを利用して、私を殺し、それまでに悪化していたとはいえ、兄妹間の仲すらも、更に引き裂こうと卑劣なことをしてきたところを見るに、その背景に、何かしらの思惑や、陰謀などがあったと考えるのが、妥当だろう。
だからこそ、考えられることとしては……。
『もしかして、私達、兄妹の仲を引き裂いて、ウィリアムお兄様が皇帝に就任したことすら邪魔をしたかった、とかなのかな……?』
――……巻き戻し前の軸の時の黒幕が、ウィリアムお兄様が皇帝に就任することを不都合に感じていて、更に、私の存在が邪魔であり、ギゼルお兄様すら利用していたとなると、お兄様が君主になることを良しとはしておらず、私達兄妹のことは、全員良く思っていなかった可能性の方が高いよね……?
だとしたら、私とも仲良くしてくれている環境問題官僚のブライスさんはともかく、パッと見た感じでは、国の重鎮として、色々な件で画策してきているとも取れるから、セオドアの言う通り、誰も彼もが怪しく見えてきてしまうけど……。
外務部官僚であるスミスさんは、元々、赤を持つ者に対しては否定的な雰囲気を持っていて、失礼な感じの言動が、度々、目立つものの、普段からフランクな感じで、アレが素っぽい感じも凄くするんだよね
ただ、ギゼルお兄様や、ウィリアムお兄様に対してまで、あまり良くない感情を持っているかどうかについてはちょっと分からないな。
少なくとも外務部の官僚として、他の官僚達に比べて異端な雰囲気はあれど、私が今まで関わってきた限りでは、あの人は、お父様や、ウィリアムお兄様に対してはそこまで、敵意を見せているような感じはないと思うから……。
それから、法務部官僚である、ベルナールさんは、礼儀とマナーを重んじている人であり、誰に対しても、何でも、一言、言っておかないと気が済まないようなタイプで、それによって、他者との摩擦が、どうしても生まれてしまうような人であることには間違いないと思う。
あとは、前にベルナールさんの部下の人がテレーゼ様と親しくしている様子だったから、実は魔女狩り信仰派の貴族とも繋がっているっていうのは考えられるかも……。
実際に、テレーゼ様と繋がっていたからといって、テレーゼ様側の思考で、ウィリアムお兄様のことを支持しているかどうかと言われたら、そうじゃなく、目的は、魔女狩り信仰派の貴族と懇意にすることだったていう可能性も、全然あり得る話ではあると思う。
そうして、総務部官僚である、ヴィンセントさんは曲がったことが嫌いだと言われている上に、清廉潔白で、常に公正な目を持つ人だって評判が高いこともあって、流石に、ヴィンセントさんが、どうして私を排除したいのかということも含めて考えると、オルブライトさんの裏にいて、全ての糸を引いている人としてはあまりにも謎すぎるというか。
普段から、お父様の政治についても、正しい目を持っているような雰囲気だからこそ、宮廷伯の中では、ブライスさんを除いて、そんなに、その動機については見えてこない気がする。
それと、最後に、財務部官僚のノイマンさんだけど……。
ノイマンさんに関しては財務部ということで、皇宮のお財布や懐事情を握っていて、私自身が幼い頃に、皇族のお金を使っていたということもあって、元々、あまり良い印象は持たれていないかもしれないなって勝手に思っていたりするんだよね。
それに、人との摩擦という意味では、ノイマンさん自身、国庫を任されていることもあって、色々な部署と予算のことで争っていながら言い負かしたりもして、割と辛辣な言葉も平気で吐いたりするような人みたいだし、慎重な感じの雰囲気はあるんだけど、でもだからこそ、そういった計画とかを立てるのは得意そうに感じて、ちょっとだけ怪しく感じてしまうかも。
ノイマンさん自身、スミスさんと並ぶくらい、結構、癖のある人だとは思うし、ウィリアムお兄様や、ギゼルお兄様のことをどう思っているかとか、そういった腹の内が読めない人ではあるから、そういう意味では一番、何を考えているのか分かりにくいかもしれない。
頭の中で、ヴィンセントさんは何となく違うかな、と感じながらも、そこから更に、ブライスさんを除いた3人のことを怪しく思いつつ、セオドアにそのことを話したあと『確かに、俺もその3人については気になっていた』と、返事をしてもらえてから……。
「まぁ、ひとまずは、姫さんが能力の反動で、この寝室で休んでいる間、早速、ルーカスが、侯爵に手紙を書いてくれてたから、焦れったいかもしれないが、その返事を待つしかないだろうな……。
それから、一応、連携が取れるように、エヴァンズ侯爵の方から、陛下に事情を伝えて貰うようにもしているし、そういった意味では大丈夫だと思うんだが……。
問題は、姫さんが6年もの時間を巻き戻したことと、時間を巻き戻す前の時間軸で起きたことを、ウィリアムや、ルーカスに伝えるか、どうか、だよな……?」
と、難しい表情でそう言われてしまったことで、私自身も、その言葉には完全に同意してしまった。
私が6年もの時間を巻き戻したと知ったら、お兄様や、ルーカスさんも、それはもう、もの凄く心配してくれるであろうことは、想像に難くないし。
何よりも、ウィリアムお兄様に、ギゼルお兄様が、私のことを殺すような未来があったと伝えるのは『ギゼルお兄様の名誉』のためにも、ウィリアムお兄様の心労が、少なからず溜まってしまうんじゃないかと考えた時にも、やっぱり、どうしても憚られてしまったり……。
それに、そもそも、今の軸でのギゼルお兄様が、私に対して敵対心を向けたりしてきていないからこそ余計にそう感じてしまうし。
セオドアが言ってくれた通り、私自身、巻き戻し前の軸の、ギゼルお兄様には怒っても良いと感じるんだけど、今の軸でのお兄様に対しては、何も怒る要素なんてどこにもない訳で……、そう考えると、未然に色々なことを防ぐという意味では、ウィリアムお兄様達に事情を話した方が良いと分かっていても、どうしても、伝えた方がいいのか、それとも黙っておいた方がいいのか、と思い悩んでしまう……。
『過去を大きく変えたことが影響しているんだと思うんだけど、今現在、ソマリアへ留学するようなことが起こったり、ウィリアムお兄様が、お父様の跡を継いで皇帝に就任するタイミングが変わっていたりだとか、巻き戻し前の軸で起きてたこととは違うことが起きてしまっているというのも、それに拍車をかけているんだよね……』
だからこそ、もしも、このことを話すのなら、私からちゃんと、お兄様やルーカスさんに時間を取ってもらった上で、しっかりと伝えなければいけないなって思うんだけど。
「あのっ、セオドア、この件に関しては、まだまだ、きちんとした答えが出せそうになくて……、ほんの少しの間、保留にしてもらってもいいかな……っ?」
そうして、もの凄く頭を悩ませながらも、セオドアの瞳を真っ直ぐに見つめつつ、深く考えた上で、ひとまずは結論が出せそうになくて、保留にしてもらってもいいかなと言葉に出せば、セオドアは私の言葉を聞いて、私に視線を下ろしてくれたあと、気遣うような素振りで。
「あぁ、勿論だ。
……この件に、第二皇子が関わっている以上、姫さんも言いにくいだろうし、ウィリアムのことを考えたら、直ぐに、直ぐは決めることが出来ないだろうからな」
と声をかけてくれた。
その言葉を、本当に有り難いなと感じつつ、ウィリアムお兄様に、そのことを話すかどうかは保留にしていながらも、今の段階でも、一人で抱えるようなことにならず、ずっと心の奥底に『そうなんじゃないかな……?』と溜めていた思いを、こうして、セオドアに話せたことで、私自身、ほんの少しだけ気持ちが楽になってくる。
そうして……。
『セオドアと一緒にいると、いつだって、心の底から勇気づけられるな……っ』
と、その上で、さっき、セオドアが私のことを抱きしめてくれていたこともあって、凄く凄く近い距離感で、本当に心の底から感謝するような気持ちで、不意に、顔を見上げて、セオドアの瞳を真っ直ぐに見つめたところで。
それまで言おうと思っていた、今にも口から出かかっていた言葉を呑み込んだ私は、セオドアのその顔色に、ドキッとしながら…。
『能力の反動で、体調が酷いことになってしまって。
この寝室で、私が休ませてもらう時までは、全然大丈夫そうだったのに……っ、一体、いつから隠してたんだろう……っ?』
と感じて、この手を伸ばし、思わず、セオドアのその頬を、ぺたっと両手で覆うように触って……。
「あのね……、私のことを心配してくれているのは、本当に凄く有り難いことだし、とっても嬉しかったんだけど。
何だか、セオドアの方が、ちょっとだけ、元気がないみたいっていうか……、何かあったのかな……っ?
私の話ばかりしてて、今の今まで気付くことが出来なくて本当にごめんね……っ。
その顔色、どうしたの……っっ?」
と、その顔を下から覗き込むようにして、心配する気持ちばかりが心の中に沸き上がってきて、思わず矢継ぎ早に質問するように声をあげてしまった。
セオドアにしたら、本当に本当に珍しいことだと思うんだけど、何だかもの凄く顔色が悪い気がして、体調があまり良くないのかもしれないと感じながら、一体、どうしたのかと気遣わしげな瞳になってしまったら『……あー、俺自身、これでも、結構、誤魔化せてるつもりだったんだが、本当に、なんで、こういう時、姫さんの目だけは誤魔化せねぇんだろうな』と、苦い笑みを溢したセオドアと目があって……。
そうして……。
「実は、さっきまで、あまり良くないことを考えてたっていうか……。
ソマリアに来てから、俺自身、ライナスや、スヴァナに会ったりしていることもあって、アイツらからは、単純に会えて嬉しい同胞って感じにしか思われてねぇんだろうけど。
ノクスの民でもあるアイツらに再会することで、過去に、誰かに向けられた、悪意や敵意みたいなものが、珍しく頭の中を過って、あまりにも荒みきったガキの頃を思い出しちまったっていうか、本当に、良くない感情ばかりが出てきてしまってて……」
と、セオドアにそう言われたことで、私は『本来なら隠しておきたかったし、別にそんなに問題があることじゃないんだが、本当に急に、嫌な感情が沸き上がってきちまったんだよな』と、大丈夫だと言わんばかりに、私にですら、極力そういう部分を見せないようにしようとしているセオドアの顔を見上げながら『そうだったんだね……っ』と、同意するように声を出した上で、いつもセオドアがそうして落ち着かせてくれているように、こういう時こそ、私自身も、セオドアの力になれれば嬉しいな、と感じて、自分から、セオドアにギュッと抱きつくことにした。
その瞬間、珍しく『……姫さんっ?』と声を出し、セオドアが戸惑ったような表情をするのを感じながらも……。
私は、温かくて、優しい、セオドアのその広い背中に、きゅっと腕を回しながら、セオドアのその瞳を真剣に見つめつつ……。
「悪意も敵意も、送った方は忘れていたとしても、送られた方の記憶からは中々消えなくて、時折、不意に思い出しては胸が痛んで、ずっと苦しいままでしょう……?
だから、セオドアがそうなってしまったのだって、本当に特別なことじゃなくて、自然なことだと思うの。
その上で、その気持ちにずっと蓋をしたままじゃなくて、ほんの少しでもそういう気持ちになったこと、誰にも言えない胸の奥深くに溜まってしまったその思いを、今、私に話して吐き出してくれたことが、何よりも、本当に凄く嬉しいな……っ」
と、柔らかく、どこまでも、優しい声色を意識しながら『私だって、苦しい思いを誰かに伝える時は凄く勇気がいることでもあって、いつだって誤魔化してしまいがち』だから、セオドアが今、そうして、そっと誤魔化そうとしてきた気持ちについても本当に凄くよく分かるなぁと思いつつ。
今、この瞬間にも、セオドアの心の奥深くに巣くう闇の部分を聞くことが出来て、今まで言えなかった思いを、こうして話してくれることが嬉しいなと感じた上で……。
「あのね……っ、セオドアに効果があるかどうかは分からないんだけど。
私は、いつも、自分が悲しい時とかにセオドアにこうしてもらって、ぎゅっと抱きしめて貰えることで、本当に心の底から救われたような気持ちになってるから、もしも、これで、セオドアの心が少しでも癒えるなら、私も、本当に嬉しいなって……、ひぁっっ!?」
――思うの。
と、そこまで言おうとしたところで、ぐいっと手首を掴まれたあと、強く抱きしめられ『……っっ、あー、もう……っ』と、私の肩に顔を埋めたセオドアが、くぐもった声で小さく声を出したあと『……だから、手放せなくなるんだよ』と、よく分からなかったものの、言葉にならないような声を出したのが聞こえてきたんだけど、私自身は、こんなにも近くにいるのに、その言葉が聞き取れなくて……。
「うん……? セオドア、ごめんね、上手く聞き取れなくて……っ、今、何て言った……、の……?」
と、思わず、声をかけてしまった。
そんな私の問いかけに『いや、こんなにも、甘やかされると、もう、ずっと前から分かってたことだったけど、姫さんと、一生、離れられねぇなって……』と、私に対して、さっきの言葉よりも長めの言葉を伝えてくれたあと、『悪い、姫さん、今だけは、もう少し、こうさせてくれ』と続けて声をかけられたことで、私は、そのことに、こくりと、頷きながらも……。
「うん……、大丈夫……っ、いつだって、好きなだけ、こうしてくれてたら良いよ……っ」
と、いつも、セオドアがそうしてくれているように、私でも返せるものがあるのならと感じながら、セオドアに向かって、柔らかい言葉を伝えていく。
そうして、ほんの少し、そうやって、過ごしていると、私の肩に顔を埋めたまま……。
「姫さん、あのな……、あまり、褒められた話じゃねぇんだが、ガキの頃の俺は、……、本当に、誰のことも信じられなくて、世の中に絶望しきってて、そうして荒みまくってたんだ……」
と、私に聞かせるように声を出し始めてくれたセオドアに、今までも、何度か、軽く、そういう話を聞いていたことはあったけど、セオドアの過去の話を、きちんと聞くのは、これが始めてかもしれないと感じながらも……。
「母親は娼婦だったし、殆ど、着の身着のままの状態で、何も持たされることもなく、突然、世間に放り出されて……、訳も分からないまま、一人で生きることになって……、俺自身、汚泥にまみれたような生き方しかしてこなかった。
だからこそ、今でも、自分がこんなにも上等な暮らしをすることになるだなんて、世の中の全てにピリピリとして、荒んでいたガキの頃の俺がもしも知ったなら、絶対に嘘だって断じるほどに……っ、俺にとっては、姫さんに出会えたことが、何よりの奇跡だった」
と、セオドアから、続けてそう言われたことで、私は、セオドアが、今、話して聞かせてくれているその内容を絶対に聞き逃すことのないように、しっかりと、セオドアの腕の中で、その言葉に耳を傾けていくことにした。