559 未来の自分と時間を巻き戻して過去に戻ってきた自分
ふわふわと覚束ない感覚に、それまで真っ暗闇だった眠気から解放されて意識がゆっくりと覚醒していく。
揺蕩うような微睡みに、まだ、身体の殆どが重たいような状態であることには変わりなく、浮上する意識とは裏腹……、能力を使って寿命を削ってしまったこの身体は、その反動で、もう少し休んでいたいのだと引っ切りなしに訴えてくる。
『一体、今、何時だろう……?』
まだまだ、完全に覚醒しきれてなくて、温かいシーツに包まれて、うとうととした状態に、私自身の意識として。
『みんなに心配をかけないように、もうそろそろ、起きなくちゃ……っ』
という気持ちと、相反するように……。
『まだ、このベッドの上で、じっくりと身体を休めていた方がいい』
と訴えかけてくる身体の、バラバラとした感覚に違和感を覚えながらも、二つの狭間の中で、思考が揺れ動き、目を瞑っていつつ、意識が、確かに現実へと引っ張られていっているような状態ではあるものの、何だか、頭がぽーっとして、上手く考えが纏まらないような気がしてしまう。
『んぅぅっ……、まだちょっと、しんどいかも……っ、でも、眠りに落ちる前に比べたら大分楽になった方だし、もう起きないと……。
私が、こうして休ませて貰っている間、ダヴェンポート卿や、アルフさんのことなんかは、どうなったんだろう……?
みんなに心配をかけないよう、早く起きて、大分休ませて貰ったお陰で、身体が少しでも楽になったことを伝えたいな……っ』
そうして、そうこうしているうちに、徐々にではあるものの、大分、意識もはっきりしてきて、私自身、こうやってゆっくりと、能力の反動で眠りに落ちて休養を取らせてもらうその前に、我慢が出来ないほどに体調が悪くなってしまったからか『早く元気になってほしい』と言わんばかりに、誰かが私の手を優しく握ってくれていることに気付いた瞬間……。
「なぁ……、姫さん、俺たちに、心配をかけないようにしようなんてしなくて良いから、頼むから、本当のことを言ってくれ。
……なぁ、もう俺自身も、6年前に洞窟の中で二人で会話をした、あの日の姫さんが、本当はもう、自分は、3度死んでいるはずなんだって、そう言っていた理由が分かってんだ。
姫さんは、一体、いつから……、何年後の未来から、時を巻き戻して、過去に戻って来ているんだ……?」
という聞き慣れた声が聞こえてきたことで、それまで、微睡みの中で、ふわふわとした感覚に身を委ねていたにも拘わらず、私は、思わず、瞬間的に、ヒュッと止まってしまった呼吸に、息をするのも忘れてしまうくらいビックリしてしまった。
その瞬間に、はっきりと目が覚めて、意識が現実へとグッと引き戻されるような感覚がした。
そうして、何度か瞬きをしたあと、ゆっくりとこの瞳を開き『そのことについては、今まで、内緒にしていたはずなのに、どうして、セオドアが、そのことを知っているんだろう……っ?』と言わんばかりに、隣で私の手のひらをぎゅっと握ってくれていたセオドアの方へと、ベッドで横になった状態のまま、眉をへにゃりと寄せて、戸惑いながらも『セオドア……、?』と視線を向ければ……。
「もう、大分前から、その可能性については疑っていたし、気付いてた。
一体、どれくらい時間を戻して、どれだけ、自分の寿命を削ってるんだ……?
姫さんが、そんなふうになっていることで、俺自身だって、本当に滅茶苦茶心配にもなってくる。
……何も隠さなくていいから、俺にも、分かるように、詳しく事情を説明してくれるよな……っ?」
と、問いかけるように、セオドアから続けて質問が降ってきたことで。
『みんなに言ったら心配をかけてしまうと思って、ずっと隠してきたことでもあるんだけど、セオドアのこの口ぶりだったら、どう考えても、色々なことがバレてしまっているよね……っ?』
と、思いながらも、別に責められたりしている訳でもなく、セオドアのこれは、私のことを凄く心配してくれているからこその言葉だというのは分かっているんだけど。
今まで、そのことについて黙っていた分だけ、本当に申し訳ないような気持ちになってきてしまって、私は、思わず、自分にかかっていたシーツをぎゅっと握りしめた上で、『うぅっ……、本当にごめんなさいっ……』と謝るように、萎んだ声を出した。
そうして続けて、起きたばかりで、まだほんの少し掠れたような声色でありながらも……。
「……セオドアがいつから気付いてくれていたのかは分からないけど……っ、ずっと、私のことを心配してくれてたんだよねっ……?
その……っ、みんなに話すことになったら、絶対に心配をかけてしまうと思って、今までずっと言い出せなかったんだけど。
実は、16歳の時から、6年間……、時間を巻き戻すことになって、私自身、また、自分の人生をやり直すことになっちゃったの……っ」
と、色々なことがバレてしまっている手前、もう隠すことは絶対に出来ないだろうなと感じて、正直に、自分がギゼルお兄様に刺し殺されてから、6年もの時間を巻き戻すことになったのだと、ギゼルお兄様のことは伏せたまま、そのことを白状すれば、流石に、かなりの時間を巻き戻すことになっていたのではないかと予想はしていたみたいだったんだけど、そこまでの期間だとは思ってもいなかったのか。
見上げたセオドアは、私の方を見つめて『……っっ、6年……っ、』と、私自身が、あまりにも長い間、時間を巻き戻してしまっているという事実に、絶句した様子で、ほんの僅かばかり、ぐしゃりとその表情を歪めてしまった。
そうして……。
「……っっ、それだけの時間を巻き戻してるってことは、その身体には、本当に、もの凄く大きな負担がかかっちまっているってことだろう……?
戻した時間が、あまりにも長すぎるんだが、アルフレッドは、そのことを、全部知ってるんだよな……っ?」
と眉を寄せながら、難しい表情で言われたことで、そこまで気付かれてしまっているのかと、弾けるように、セオドアの方を見つめた私が『あ……っ、あのね、アルは確かに、そのことを知ってくれているんだけど……、でも、私が、出来ることなら、みんなには内緒にして欲しいってお願いしていたの……っ!』と、伝えると、セオドアは、合点がいったような表情で見つめてきてから。
「どうりで、アルフレッドと初めて会ってから、姫さんのことで会話をした時に、使った力が大きすぎたんだろうなって言ったあと、奥歯に物が挟まったかのように、そのことを隠すような雰囲気だった訳だっ」
と、私に向かってというよりも、今までのアルの言動なども含めて納得したように、その場で、一人、ぽつりと声を零しながら、そう言ったあと。
「それでも、今、この瞬間まで、そのことを秘密にするんじゃなくて、俺には、そのことを伝えて欲しかった」
という言葉と共に、私のことを、心の底から心配して、気遣ってくれるような視線で見てきてくれたことで、私は、良心の呵責に苛まれて、ギュっと心臓を鷲掴みにされるかのように、胸の奧が痛んできてしまった。
そうして、きっと……。
『……セオドア、私ね、本当なら2回、もしくは3回かもしれない、死んでるの。
……ただ、悪運が強くて、生き残っちゃっただけ、で……。
何度も、何度も、死ぬはずだったのに、その度に、死ねなくて、生きるしかなくて。
元々、本来なら失われている筈の自分の命のこと、そこまで大事に思えないの』
と……、6年前に、私のことを心配して『……自分の命を大事にしてほしい』と言ってくれたセオドアに、私が、その言葉を言った瞬間から、セオドアは今までずっと、そのことについて思いを馳せて、その意味について考えてくれていたのだろう。
あの時のセオドアは、私以上に辛そうに、『そんな風に、自分だけ、不幸になるような生き方を俺はしてほしくない』と言ってくれていたから……。
そうして、あの日、私がセオドアに言った『……セオドア、私ね、本当なら2回、もしくは3回かもしれない、死んでるの』という言葉は、文字通り、本当に、今までに自分が誰かに殺されていたかもしれない状況のことを指し示していた。
1つ目は、10歳の時に、お母様に殺されかけてしまったときのことを……。
2つ目は、巻き戻し前の軸で、ミュラトール伯爵から、毒入りのクッキーが贈られてきて、しんどい思いをしたあのときのことを……。
そうして、3つ目は、巻き戻し前の軸で、ギゼルお兄様に刺し殺されてしまったときのことを……。
だけど、幸いにも、お母様は、私のことを『自分の娘』として想ってくれていたから、最後の最後まで殺すことなどは出来なくて……。
ミュラトール伯爵は、毒で弱った私のことを、ただ傀儡にしたいだけだった。
だから、6年前の、あの日まで、私の命が、本当の意味で失われかけたのは、ギゼルお兄様に剣で刺されてしまったときだけで、考えてみれば、私の命が失われそうになったことで、能力が発動したのが、どうして、あのタイミングだったのかは、他の誰でもない、今の自分が一番良く分かってる。
ただ、私の能力に関しては、この6年の間に色々と研究してくれていたアル曰く、時間を巻き戻すことによって、そこで一つの特異点のようなものが生まれて『時間を巻き戻した私』と、『時間が巻き戻らなかった私』として、二つの世界が生まれていってしまっているのではないかと言っていて……。
更に、『時間逆説』で、矛盾が生じることのないように、この世界には幾つもの『パラレルワールド』が形成されて、自分が行動したことと、行動しなかったことで、分岐され、予想される未来の分だけ幾つも枝分かれしている未来……、世界に分かれるんじゃないかと仮説を立てていた。
因みに、アルのいう『タイムパラドックス』という言葉は、未来から過去へと戻って状況を変えることで、本来なら起きるはずだった事柄が起きなくなってしまい、そのことで、未来に矛盾が生じてしまうというのを指す言葉であり……。
たとえば、私が6年もの時間を巻き戻し、過去にしなかった行動を取ったことで、私の人生そのものが変わっていってしまい、一度は経験しているはずの未来が、大きく変わってしまったというのが、最たる例だろうか。
つまり、パラレルワールドとして、ギゼルお兄様に剣で刺された瞬間に、死んでしまった私と、能力が発動し、過去に戻ってしまった私の二人がいる、ということなのだと思う。
この6年の間で、アル自身が、その話を私達にしてくれた時は『6年もの時間を私が巻き戻してしまった』ということは、勿論、セオドアにも、誰にも知られないように配慮してくれて、言ってはいなかったけど。
セオドア自身、鋭い人だから、多分、アルが私のことを秘密にして隠してくれていたのに違和感を覚えたり、私の発言からも、疑問に思うような瞬間は、きっといっぱいあって……。
一番、可能性として高いのは、3年前の王都を賑わせた事件の時に、ツヴァイのお爺さんや、ジャーナリストであるトーマスさんに協力を仰いだり、お父様にお願いして、騎士団の警備のことで進言したりといった感じで、立ち回った時に、全て、ツヴァイのお爺さんのお陰のようなフリをしていたけれど、もしかしたら、セオドアには、そういった部分で誤魔化してしまっていたこともバレちゃってたのかもしれない。
あとは、私の動きなどで、度々『未来を知っているような言動』などが見られたことから、つぎはぎだらけの情報の中で、セオドアが、色々なことを組み合わせて考えた結果、この事実まで辿り着いてくれたんだろうなということは、何よりも伝わってきた。
そのことで、結果的に、セオドアの心配に拍車をかけてしまっただけのような気がすると、内心で、もの凄く落ち込みながらも、私自身、もう一度、真剣な表情と共に『今まで黙ってて、本当に、ごめんね……っ』と、声をかければ……。
「アルフレッドからも、魂が見えるだけで、正確なことは言えないって言われてるんだが……。
普段から癒やして貰っているとはいえども、6年分も巻き戻してしまったその時間の分だけ、姫さんの魂が傷ついて寿命が削られていってしまっているってのは事実なんだよな……?」
と、セオドアからそう言われて、私はこくりと正直に頷きながらも……。
「うん、そうであることには間違いないよ。
アルからもそう言われたのは事実だから……」
と、これを言ったら『セオドアは、余計に、心配しちゃうだろうな……っ』と感じてしまったからこそ、段々と、声に力をなくしながら……。
「それでも、どうしても、ベラさんのことも、ソフィアのことも救いたかったりで、自分がそうしたいなって思った分だけ、誰かの命を助けるために、能力を能動的に使いたい瞬間があったりもしたし……。
このことを伝えたら、きっと、みんなの方が、私の寿命が削られていっていることを、私以上に気遣って、もっと自分の命を大切にしてほしいって言ってくれるだろうなって思ったら、誰にも、深いところまでは、しっかりと話せなくって……」
と、ぽつり、ぽつりと、今まで、どうして、そのことを話せなかったのか、自分の考えを、なるべく分かりやすいように伝えていけば。
その言葉に……。
「……それは、勿論、当然だし……っ、姫さんを大切に思っているからこそ、心配にだってなる。
姫さん自身も分かっていると思うけど、姫さんに、自分の命を大事にして欲しいって思ってるのは、何も、俺だけじゃねぇからなっ。
実際に逆の立場だったら、姫さんは、俺に対して、絶対にそう思ってくれるだろう……?」
と、声をかけてくれるセオドアの瞳が、あまりにも真っ直ぐに、私に、もう二度とそんなことはしないで欲しいと言わんばかりに『姫さんに何かあったら、何よりも、俺自身が、一番、辛くなっちまう』という表情を向けてくれたあと。
私自身、あの日、セオドアに言った通り『自分の人生を諦めるつもりはなくて、でも、その上で、自分に出来ることがあるならしたいと思う』と感じながら……。
同じように、困っている人がいて、助けを必要としている人がいて、それが私に出来る範囲のことだとしたら、……私にも助けられる人がいるのなら、私に手を差し伸べてくれたセオドアのようにはなれないかもしれないけれど、出来る限り手を差し伸べたいと思う、その気持ち自体は、何も変わっていないから……。
「セオドアがそう言って、私のことを思い遣ってくれているのは、勿論、分かっているんだけど。
それでも、ベラさんや、ソフィアのように、もしも、目の前に消えてしまいそうな命があったとしたら、その人を助けるために、今後も、能力を使っていきたいと思ってる……っ」
と、セオドアに、はっきりと伝えたら、セオドアから『それなら、せめて、今までのように、俺に隠し事をするのだけは絶対にやめるようにしてくれ……!』と、私の手をぎゅっと握ったまま、願うように、そう言われてしまったことで……。
今まで、私自身が自分のことについて色々と黙ってしまっていたことで、ここまで、心配をかけてしまって、本気で、私のことだけを思い遣ってくれているセオドアには、これ以上の心配はかけたくなくて、なるべく、本当のことを言うようにしていきたいなと感じながら。
『うん……っ、分かった……。出来るだけ、今度からは、何も隠さないようにして、セオドアには、本当のことを言うようにするね……っ、』と伝えながらも……。
『だけど、私自身も、こんなにも自分が時間を巻き戻すことになるとは、全く思っていなかったの……っ』と、正直に告白するように声を出す。
私自身……、あの日、ギゼルお兄様に剣で刺された瞬間のことは、今も、鮮明に記憶に残っているけれど……。
6年もの時間を巻き戻すことになってしまったのだから、本当に、よっぽどのことだったのだと思う。
それが、6年という、あまりにも長い歳月を巻き戻すことによって、そこから過去の状況を変えない限り、未来では必ず良くないことが起きてしまうようになるから、そこまで時間が巻き戻ってしまったのか。
それとも、初めての能力の使用で、碌にコントロールすることも出来なくて、暴走するように能力が出てしまったから6年もの時間を巻き戻すことになってしまったのか、一体、どっちなんだろうと考えてみたことはあるんだけど。
ローラが花瓶を割ってしまって滑って転んでしまいそうになった時とか、私自身が能力を上手く扱えていない時にも、『僅かな時間しか戻らなかった』ことを思うと、恐らく、前者の可能性の方が高いだろうなと、今は思う。
……ただ、これって、どんな未来でも、見方を変えれば、私の身が『殺されるほどに害されてしまわない限り』は、勝手に能力が発動することもないし、恐らく、何度も能力を使うことで『能力によって寿命が削られて死んでしまった場合』には、もう、過去に戻ることすら出来ずに、その時は、文字通り、死を迎えてしまうっていうことなんだよね。
それと、病気や、風邪などで時間が巻き戻ったことなんかはないから、私自身が何かしらの不治の病にかかってしまった場合も、同様に死んでしまうのだとは思うんだけど。
私が、そこまで考えたところで、セオドアも同様に『6年もの時間を巻き戻すことになったのは、私の身に余程のことが起きてしまったからなのだろう』と思い至ってしまったみたいで……。
「第一、それだけの時間を巻き戻すことになった要因は一体、何なんだ……っっ?
何が、原因で、そうなってる……っ?
姫さんのことを、本気で、殺そうとしてきたのは誰なんだ……っ?」
と、ぎゅっと、私の腕を握ってくれているその手に力を込めて、セオドアから、矢継ぎ早に、問いかけられてしまったことで、私は思わず、先ほど『セオドアには、隠し事はしないようにして、どんなことも絶対に言うようにする……っ』と誓ってしまった手前、ヒュッと、喉を鳴らしたあと。
ギゼルお兄様に思いを馳せながらも、セオドアに対しては、どこまでも誠実でありたいという気持ちと共に、お兄様のことをここで言ってもいいものなのかと、迷ってしまった挙げ句、どうしたら良いのかと戸惑ってしまいながら、ちょっとだけ視線を左右に動かしてしまった。