558【セオドアSide】――体調についての心配と、ずっと前から知っていた秘密
目の前で、ふらっと、姫さんの身体が、力を失ったようによろけていく。
その瞬間、思わず『姫さん……っっ!』と、呼びかける言葉が口をついて出て、その一瞬後には、もう、俺は姫さんのもとへと駆け寄っていた。
幸いにも、ソファーの上に座っていたことから、姫さんが、がっつりと地面に向かって倒れてしまったりするようなことはなかったものの。
それでも、口の端から、ひゅー、ひゅーと、漏れる吐息は、どこまでも苦しそうで、自身の胸を片手でギュッと押さえながら、今も、俺たちに心配をかけないようにと『……ぅ、っ、……ふぅ……っ』と、きゅっと唇を結びながら、声を零すことすら我慢しているのが、痛々しいくらいに伝わってくる。
こういう時、出来ることなら、俺自身が変わってやりたいと、切に願ってしまうくらいに、ここに来て、能力の反動による無茶が祟ってしまっているのだと思う。
そもそも、悪意を持った誰かの手によって、危うく大惨事にもなってしまいかねないような感じで植木鉢を上から落とされてしまった件で、自身の能力が突発的に出てしまい、姫さんが体調を崩してしまうことになったあと、王城に帰ってきて大分経つが……。
ただでさえ、少なくない寿命を削ることにもなる上に、自分で調整することも出来ずに放出されてしまった能力の反動で、その身体に大きな負担がかかっているのは言うまでもなく。
姫さん自身は、いつも青白い顔をしながら『大丈夫だから、心配しないで……っ』と俺たちを安心させようと、無理をしてでも、そうやって周りを気遣ってばかりいるが。
普段、姫さんが能力を使った時の症状を見ていれば、まるで、重石がのったかのように身体が重くなって、気持ちの悪さに失神してしまいそうになる程、気が遠くなるような感覚を覚えたり、頭痛に、目眩、吐き気などの症状も出てくるみたいだから、能力を発動するだけで、本当に、しんどいことだと俺は思う。
特に、今日のは、自分でコントロールすることも出来ずに、突発的に出てしまったものだから、余計……。
その上で、ここにくるまで、精一杯、一生懸命になりながら、犯人像について深く思案したり、自分に出来ることを探しつつ、今、この瞬間にも、俺たちに心配をかけないようにと、ずっと無理をして頑張ってきていたのが今になって出てしまったんだろう……。
さっきまで、ほんの少しだけ血色を取り戻していたものの、ただでさえ青白かった顔が、再び、みるみるうちに生気を無くしていってしまい。
『……っ、ぅ……っ、ふぅ……』と、あまりにも辛そうな声を溢しながら、姫さんが苦しみ出してしまったことで、俺自身、今日の昼間のナイフの事件で、誰かの悪意が渦巻いていて、姫さんが狙われているかもしれない可能性については、ほんの僅かでも考えることが出来ていたんだし。
植木鉢が落ちてくる瞬間、もう、ワンテンポ早く動けていれば、姫さんが能力を発動することもなかったかもしれないと思うと、自分自身を許せなくて、あまりにも苦々しく歯痒い気持ちを抱えたまま、状況的に、能力を発動してしまったことは隠さないといけない場面だったこともあって、姫さんが取った行動については、最善だったと分かっていながらも『出来れば、自分の身体のことを一番に考えて、無理だけは絶対にしないようにしてくれ……っ』と、願ってしまう。
そうして……。
ひとまず、俺は、ソファーで『……はぁ、はぁ……っ』と、あまりにも苦しそうな吐息を溢している姫さんの方へと。
「姫さん、悪い。
ちょっとだけ、俺の腕の中で、良い子にしててくれ」
と、声をかけてから、『……ひぁ、っ!』と、驚く姫さんをそのままに、その腰に腕を回して、大人になっても華奢で細っこいままのその身体を抱きかかえ、戸惑いながらも、そんな力さえなくて、されるがままの状態で、弱々しく俺の首に腕を回しながら『ぁぅぅっ、ぅ、っ……、セオドア、あの……、ごめんねっ、……は、ぁっ、っ、はこんでくれて、ほんとうに、ありがとう……っ』と、ぐったりしている姫さんを寝室へと運び込んでいく。
それでも、お礼だけは言わないといけないと、何とか気力を振り絞って、わざわざ俺に感謝の言葉を伝えようと思ったのだろう……。
耳元で、掠れたように苦しそうな声を出す姫さんに『そんなのは良いから休んでくれ』と、声をかけた俺は、寝室のベッドまで、そっとその身体を運び込んだあとで、ぽすんと、ベッドに横たわらせた姫さんの身体の上からシーツをかけてやる。
そうして、丁度、そのタイミングで、侍女さんが『アリス様っ、これから休まれるようでしたら、どうかこれをおでこに乗せて下さい……っ!』と、冷たい濡れタオルを持ってやってきてくれた。
更に、そのあと、機転を利かせたウィリアムが『アリス、少しでも、飲めそうなら、これを飲んでくれ。ほんの少しでも楽になるかもしれない』と、姫さんの荷物の中から、医者であるロイが普段から処方してくれている鎮痛剤を持ってきてくれると。
「お姫様……っっ、気持ち悪いだろう……?
薬を飲むにしても、そうじゃないにしても、飲み水を持ってきたから、これも飲んでくれたらいい。
無理だけは、絶対にしないようにな……っ!」
と、ルーカスが飲み水の入った水差しと空のグラスを持ってやってきて、ことりと音を立てながら、ベッドの横にあるサイドテーブルの上に置いたのと、アルフレッドが姫さんの手を取って。
「僕の癒やしの魔法も、もう少しお前にかけることにしよう。
これで、ちょっとは楽になってくるはずだ」
と、治癒魔法を掛け始めてくれたことで、それまで、『はぁ……っ、はぁっ』と、あまりにも辛そうな声を零していた姫さんが、今にも泣き出してしまいそうな声色で……。
「……っっ、はぁ、っ……ぅぅっ、ごめんなさい……っ。
せおどあも……、ろーら、も、おにぃさまも、るぅかすさんも、アルも、みんな、本当に、ありがっ…、……っっぅ、たぶ……っ、もうちょっと、やすんだら……、だいぶ、らくには……、なるはず、なんですけど……、ほんとうに、めいわくをかけて、しまって……っ、」
と、本当に申し訳なさそうに、無理をしてでも、俺たちの顔を一人ずつ見ながら謝ってくるから、その姿に、俺は、ただただ胸が痛くなってきてしまった。
突然、植木鉢を落とされるだなんて、誰しもが想像出来ないようなことで、能力が突発的に出たのは姫さんの所為じゃないし、仕方がなかったことだとは思うんだが、今、この瞬間にも、誰よりも姫さん自身が、自分の能力について、誰かにバレてしまいかねないような状況を作ってしまったと、後悔しているんだと思う。
『こんな時まで、俺たちに迷惑をかけただなんて思わなくても良いのに……』
内心でそう思いながら、アルフレッドが治癒魔法を掛けてくれている間、姫さんの方へと心配する表情を向けていると……。
姫さん自身も、本当にしんどかったんだろうし、ここに来るまで、慣れ親しんだ自国の地を離れ、異国の地であるソマリアで過ごすだけでも大変なことではあるのに、その上で、誰かの悪意が渦巻いている張り詰めたような緊張感に、気を抜いてリラックス出来る瞬間など殆どなく、疲れも溜まってしまっていたんだと思う。
そうして、やがて……。
俺達のことを気に掛けつつも、姫さん自身、能力の反動での身体の不調に抗いきれず、ゆっくりと眠りに落ちていってくれたことで、俺達は『能力の反動だとはいえ、これで、ほんの少しでも休めるようなら、それに越したことはないよな』と視線を交わし合って、ほんの少しだけホッと胸を撫で下ろした。
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それから、どれくらい経っただろうか。
姫さんが寝室で休んでいる間、学院から戻ってきた、ダヴェンポート卿が『皆さん、大丈夫なんでしょうか……っ? 皇女様は?』と心配するような素振りで、この部屋にやってきたこともあり、俺たちは少なくない緊張感を募らせながらも、あくまでも、表情や態度にはおくびにも出さず、直ぐに、その対応をせざるを得なくなってしまった。
そうして、一番に気に掛けられることとして、姫さんが、この場にいないことについて聞かれたタイミングで、あんなことがあって、顔面蒼白になって表情が変わってしまうくらい恐い思いをしたのに、いつだって、俺たちのことを気に掛けて休もうとしてくれない上に、今日もずっと、周囲への対応で気を遣っていた姫さんに『せめて、今日くらいは休んでほしい』と、大事を取って、俺たちが強制的に休ませることにしたと、説明していく。
元々、こんな風に事件が起きてしまう前から、俺たち自身が、過保護に姫さんのことを護っている様子なのは、ダヴェンポート卿も理解していたはずだし、説明として、下手に体調のことを抜きにして、話題を逸らすように違う内容の話をするよりも。
『今後の、夕食時のことなども含めて考えた時には、俺たちが過剰な感じで過保護に姫さんを護っているからこそ、今日だけは姫さんの姿がどこにもなくても可笑しくないようにしよう』
と決めて、そう印象づけることで、全体で見れば、そっちの方が効果的だろうと判断したためだ。
勿論、ダヴェンポート卿から、魔女のことを疑われている場合『姫さんが突発的に能力を使うことになってしまったから、俺たちがそのことを隠すために、そう言っているのではないか』という疑念は、どうしても、僅かながらでも残ってしまうだろうが……。
それでも、実際に、普通の人間が、突然、上から植木鉢が落ちてくるだなんて状況に遭遇すれば、そのことに動揺して、顔色が変わっても可笑しくはない話だし、姫さんは、お昼にも、ナイフで怪我をしている訳だから、立て続けにそんな危ない目に遭ってしまっていると考えれば、周りにいる人間が姫さんに対して『休んだ方が良いと思う』と話すこと自体は、何ら違和感のあることではない。
それに、姫さんが、いつだって、無理をしてでも、自分のことは二の次で、常に周りを気遣っているのだということは、一緒に生活をしていれば、それだけで分かってくることだと思うし、既に、ソマリア側の人間達にも、そのことは周知の事実になっているはず。
そんな姫さんを俺たちが何よりも大切に思っているということは、誰の目にも明らかだから、理由としては、納得出来るものだっただろうし。
あくまでも、ここで『姫さん自身の体調にはそんなにも問題はないが、俺たちが、大事を取るようにと伝えて休んで貰っている』ということを強調することで、必要以上に『姫さんの体調は大丈夫なんだろうか』だとか、どんな様子なのかと聞かれたりするようなリスクも防ぎつつ、ダヴェンポート卿自身が、それ以上の詮索をすること自体、出来ないようにしていると言ってもいい。
その上で、俺自身、悟られないように、どこかしらに、違和感を感じるような部分がないかと、大分、ダヴェンポート卿に対する警戒心を跳ね上げていたつもりだが、ダヴェンポート卿自身は、ウィリアムが言っていたように、一見すると全く違和感を感じないほどに、中々、そういった怪しい素振りを見せるような場面はなかったと思う。
ただ……。
「……皇女様が、大丈夫なようでしたら、問題はないのですがっ、お昼にナイフで手を切ってしまったというのも聞いていたことですから、その身体に少なくない負担がかかっているというのも、その通りでしょうねっ。
私自身も、忙しい身ですが、これからは、今以上に皆様のことも気に掛けていきたいと思っていますし。
今日も皆様のことを心配して、アルフに気に掛けるようにしておいてほしいということは、伝えております。
なので、お困り事がありましても、そうでない場合も、お気軽に、アルフに、本当に、何なりとお申し付けください」
と、あくまでも、俺たちの心配をするという大義名分のもと、ダヴェンポート卿の部下でもある、アルフが、俺たちをこれまで以上に気に掛けるようにするという約束を、あまりにも自然な感じで取り付けられてしまった。
そうして、姫さんの事を、かなり気にするような素振りを見せつつも、後ろ髪を引かれるような感じで『それでは、私はこれで失礼します』と、漸く、ダヴェンポート卿がこの部屋から出て行ったと思ったら……。
その言葉の通り、そのあと実際に、ダヴェンポート卿の部下でもあるアルフが、『皆様、ダヴェンポート卿から、仰せつかって、やって来たのですが、何か必要なものなどはございませんか……っ?』といった感じでやってきたり『何か困っていることがあれば、いつでも、私にお申し付けください』といった感じで、頻繁にという訳ではなかったが、大分、気にしている様子で、度々、俺たちの様子を見にやってきた。
とはいえ、俺たちの方から、姫さんの情報を明け渡すようなことをするつもりは一切なく。
一応、今日の夕食に関しても、アルフには……。
「姫さん自身は、何も問題がないから大丈夫だって言うと思うが。
今日は、流石に、色々とあって疲れも溜まっているだろうし、大事を取って、こっちの部屋で、みんなでゆっくりと食べるようにしておきたい」
ということを、なるべく過保護だと思って貰えるような方向性で伝えていけば、アルフ自身、俺たちの言葉を聞いて、特に何も反応することなく、直ぐに『承知しました』と頷いたあと、夕食に関しては此方で食べれるように手配をしてくれるような様子だった。
ただ……、アルフについては、恐らく、姫さんに植木鉢を落としてきたような学院内での事件などには一切関わっていないだろうし、今のところ、そこまで重要なことに関わっているような気配は感じられないものの、どことなく、胡散臭さを感じるって言うか、俺の直感の部分が、ほんの僅かばかり怪しいような気がするっていうことを伝えてきているから、気は抜けないなとも思う。
だからこそというわけじゃないが、いつだって此方のことを詮索するような雰囲気でもあるダヴェンポート卿のことについては、かなり怪しく見えてきてしまうのは間違いないだろう。
それから、俺自身も、まだ、どちらが、深く一連の事件に関わっているのかは、判別出来ていないが、ウィリアムが、ノエルを怪しんでいることについても理解出来る部分があって、そっちについても、ダヴェンポート卿が裏で関わってきていないのだとしたら、一連の事件の犯人としては、ノエルの可能性もあるなとは、内心で思う。
これまで、注意深くノエルのことは見てきたつもりだが、ノエル自身は、俺と同じような匂いがするというか、どことなく、誰のことも信じてないような、そんな目をする時がある。
だからこそ、姫さんの存在っていうのは、ノエルから見ても、自分とはあまりにも対照的で真反対にいる存在な分だけ、興味がそそられるっていうか、関わり合いを持ちたいと強く思うようになっている要因なのかもしれないが。
もしも、それだけじゃなくて、姫さんのことを魔女だと探ってきているのだとしたら、元々の、その瞳からも感じる危うさのようなものがあることからも危険だと、俺自身が警戒心を高めるには、本当に充分過ぎる程だった。
それに、今のノエルは、姫さんへの興味からの執着っていった感じの雰囲気を醸し出しているけど、これが変わっていく可能性だってない訳じゃないしな。
勿論、これ以上、あまりにも姫さんに近づいてくるようなら、放っておく訳にもいかないとは感じているんだが、姫さん自身が、ある程度、隙を見せた方が良いんじゃないかと、敢えて、犯人に罠を仕掛けるようにしようと提案してきている分だけ、その塩梅が難しいところでもあるし。
危険なのか、そうじゃないのか、ノエルが普段、どういうことを考えているのかなども含めて知っておきたいっていうのはあるから、今も、姫さんに近づいてくるのを、渋々、許容している状態ではあるものの、俺自身が、いつでも、動けるよう気を付けておくに越したことはないはずだ。
だけど……、一番、警戒しなければいけないこととして『今後、俺が騎士科に行かなければいけない日が絶対に出てくる』ということであり、姫さんの傍に、一日でも、いられない時間がやって来るのが、正直に言って、今の状況だと、かなり痛手だと言ってもいいだろう……。
――そういう意味でも、なりふり構わずに姫さんが魔女かどうかを確認してきた今日の事件で、相手に情報を与えてしまった可能性があるのは、あまりにも良くなかったと思う。
嗚呼……、それと……。
『ダヴェンポート卿や、ノエル、それから、オルブライト伯爵には、勿論、充分に気を付けなければいけないけど。
学院だと、違う意味で、ライナスや、スヴァナといった存在も、多少、気に掛けておかなければならないのが、大分、頭が痛いな……』
ライナスもそうだが、スヴァナも、同じノクスの民として、決して分からない部分がない訳じゃないが、姫さんに対して、警戒心を持っている感じで、同郷である人間以外には、あからさまに、態度を変えているような感じが見られるから、そういった意味でも、アイツ等と姫さんが関わることには、俺自身、多少不安があるといってもいい。
特に、騎士科の講師でもあるライナスは、そこまで、姫さんに関わってはこないかもしれないが、何を考えてんのか、スヴァナは、今後も、積極的に俺たちに関わってこようとしているみたいだし。
度々、姫さんに対して失礼な言動が見られすぎることについて、たとえ、姫さんが『ノクスの民の事情を慮ってくれていて、許していよう』とも、俺自身が、滅茶苦茶、気に食わないっていうか。
姫さん自身が『気にしなくて良いよ』って言ってくれて、優しいからって、今後も、そういった態度を助長させるようなら、1回、マジで、俺の方から、厳しく注意をした方が良いんじゃねぇかなっていうのは感じているし、今度の、食事会だって、別に、俺もノクスの民である二人に再会出来て嬉しくない訳でもねぇが、姫さんがその場にいないなら、姫さん以上に優先するものなんて、他にない訳だから、あいつらとの食事会に関しては、本当にどっちでも良かったんだよな……。
何なら、今の状態で姫さんの傍を離れることが、あまりにも不安だと言ってもいいから、行きたくない気持ちも多少出て来てしまってる。
勿論……、二人が、俺のことを、同じノクスの民であり、周囲から虐げられてきた分だけ、仲間意識が強くて、心の底から、俺のことを同胞だって思ってくれてんだろうなってのは伝わってくるんだが。
俺自身、ガキの頃のことを考えたら、同じノクスの民であろうとも、そんなふうに二人ほど、特別、良い思い出ばかりじゃなく、大人達から疎外されてしまったりといった感じで、悪い思い出ばかりの方が多い訳で……。
二人と関わることになればなるほど、抱えているものが多い分だけ、幼くて、誰のことも、何一つ信じられなかった頃のガキだった自分のことについては、深く考えないようにしてて、随分前に、もう二度と出てくることはないようにって蓋をしていた部分まで、根こそぎ、思い出されるような感じになるのは、やっぱり、精神衛生上、あまりよくない話でもあるだろう。
俺自身が、大人というものが信じられなかったし、自分の周りにいる全てのものが、等しく敵だと思っていたこともあって、あの頃の俺は、あまりにも荒んだ目をしていて……、スヴァナや、ライナスとは、大人になってから、アベルの件で成り行きで行動することがあった分だけ、ほんの僅かばかり、ガキの頃にあったような、わだかまりのようなものも溶けていったが。
ノクスの民の中には、未だに、俺のことを良く思っていない同胞もいるんじゃないかって思うから、二人とここで再会出来たとしても、俺がガキの頃に、多少なりとも過ごさせてもらうことになっていた、ノクスの民の一団、あの頃の連中には、会えないだろうなって感じる訳で……。
随分前に捨て去って、もう、忘れたと思っていた痛みが、心の奥底で芽吹き始めていることに、俺は、一人、小さく溜め息を溢しながら、苦い笑みを零した。
『……ライナスや、スヴァナには、単純に、会えて嬉しい同胞って感じにしか思われてねぇんだろうけど……。
あの頃の、痛みも、何もかもを忘れられるかって言われたら、ソイツは、別の話でしかねぇし。
その状況に、たとえ、幼かった頃の、ライナスやスヴァナが関わっていなかったとしても、俺はいつだって、半端者で、生粋のノクスの民とも違うって、心ないことも言われてきたし、爪弾きだったんだよな……』
だからこそ、姫さんと出会えた時に、俺は、初めて、心底『自分と全く同じ境遇の存在』に出会うことが出来たと言ってもいい。
――こんなにも、光と闇として、姫さんと俺は似て非なるものでしかねぇのにな……っ?
どれだけ、焦がれても、焦がれても、俺は、姫さんのようには絶対になれないだろう。
同じような境遇で、これだけの目に遭って、全く、汚れてもおらず、穢れてもおらず、こんなにも綺麗だと思えるような存在に出会えたのは、俺にとっては、本当に、奇跡でしかない。
その上で、お互いに、苦しかった境遇の中で、傷ついてきた分だけ、そういった部分を、姫さんとは分かち合うことが出来るから、俺はいつも姫さんに、心の底から癒やされているんだと思う。
柔らかくて、温かくて、どうしても手放せない、俺だけの光……。
一番最初に見付けて、その光を享受することが出来ていたのは俺だったという思いがあるのに、いつの間にか、みんなの光になっちまって、淡く柔らかく、周囲を優しく照らして寄り添ってくれるようなそんな光に、いつだって、誰もが惹かれ、集まってきては、焦がれていく。
それでも、その存在を独占していたいし、ただただ、愛しているのだと伝えられればと……、心底、俺だけの光になってくれたらと……、この6年、どれほど、願ってきたのか、もう数え切れないほどになってしまった。
そうして……。
能力を使って傷ついていることで、今もずっと眠り続けている姫さんの寝室に、心配だからという理由で看病をするために入って、俺は、ベッドの横に置かれている椅子に座って、眠っている姫さんのその手を両手で握って、自分の額にくっつけたあと『早く、元気になってくれ……』と、願うように、祈るように視線を向けていく。
……こういうことが、ある度に、いつだって胸が苦しくなってくる。
……俺がっ。
『俺がどれだけ長いこと、この想いをひた隠しにしてきているのかっ……』
『どれだけ長いこと、姫さんだけを愛しているのかっ……』
このドロドロとした執着も、真っ黒に塗りつぶされそうな感情も。
『ずっと、俺だけをその瞳に映して欲しい』
『ずっと、俺だけの小さな箱庭に囲っていたい』
後から、後から、湧き出てくる欲望にも、際限などなくて……。
今も、あまりにも近い距離にいながらも、周りに悪意が渦巻いて、姫さんを貶めようとする影が見え隠れしてくる、その度に、いつかこの温もりが消えてしまうんじゃないかって、まだどこか不安な気持ちに苛まれながら、そんなことを思ってるのは、俺自身が、姫さんのことを大切に思っている気持ちとは裏腹に、姫さん自身が、いつだって、周囲に心配をかけないようにと、文字通り、本当に命をかけて、一人で、無理をしてしまうからなのだというのも、理解している。
だからこそ……。
「なぁ……、姫さん、俺たちに、心配をかけないようにしようなんてしなくて良いから、頼むから、本当のことを言ってくれ。
……なぁ、もう俺自身も、6年前に洞窟の中で二人で会話をした、あの日の姫さんが、本当はもう、自分は3度死んでいるはずなんだって、そう言っていた理由が分かってんだ。
姫さんは、一体、いつから……、何年後の未来から、時を巻き戻して、過去に戻って来ているんだ……?」
そうして、俺がそう声をかけた瞬間……。
それまで眠っていた姫さんが、多分だけど、ほんの少し前から、ふわふわと覚醒するような感覚に、徐々に、微睡みの状態から目を覚ましてきていたんだとは思うんだが。
俺がこの場で、そう問いかけたことが、本当に意外だったみたいで、ゆっくりと目を開けたあと、俺の言葉を聞いて、『……どうして、セオドアが、そのことを知っているの……っ?』と、困ったように眉をへにゃりと寄せて、戸惑うような表情で、俺の方を見てきたことで、俺はそっと姫さんに視線を向けながら……。
「もう、大分前から、その可能性については疑っていたし、気付いてた。
一体、どれくらい、時間を戻して、どれだけ、自分の寿命を削ってるんだ……?
姫さんが、そんなふうになっていることで、俺自身だって、本当に滅茶苦茶心配にもなってくる。
……何も隠さなくていいから、俺にも、分かるように、詳しく事情を説明してくれるよな……っ?」
と、再度、問いかけるように『俺たちに心配をかけないようにして、秘密にしなくて良いから、本当のことだけを教えて欲しい』と言わんばかりに、声をかけた。