552 初めて出会う人間と、見え隠れする悪意
でも、確かに、そう考えると、淑女科のスヴァナ先生が魔法研究科に来てくれるようになって、色々と教えてくれることになるのなら、公平さという意味では、あまり良くないことなのかな……?
「それじゃあ、やっぱり、スヴァナ先生がこのクラスに来てくれることはあまり良くないことなんでしょうか……?」
そうして、パトリシアの言葉を踏まえた上で私が質問してみれば、けれども、それを否定するかのように、ふるりと首を横に振ったあと、ノエル殿下が……。
「いや、でも、まぁ、ほら、前にも言った通り、割と料理を教えられる講師に限りがあることから、それに関しては特に問題がないっていうか。
スヴァナ先生自身も、淑女科のことは気に掛けつつにはなるんだが、それでも、メインで淑女科のマナーや勉強とかを教えている講師っていうのは別にいて、あくまでも、ダンスのみの講師であるスヴァナ先生は、そこまで、がっつりと、淑女科に縛られている訳じゃないから、それについて、みんなが、そこまで気にする必要もないんだよな。
何なら、料理を教えに来てくれる講師は、割とその科について、しっかりと見てあげる権利ってのを持っていて、それ自体が、認められていることでもあるしな。
まぁ、勿論、これについては、俺だけじゃなくて、学院で、この行事を推し進める上で、ギュスターヴ王や、ダヴェンポートも許可を出していることだから」
と言ってくれたことで、私は、『良かった。……それなら、スヴァナ先生が教えに来てくれること自体は、特に何の問題にもならないんだな』と、ホッと胸を撫で下ろしていく。
そうして、ノエル殿下だけじゃなく、この学院で開催されるこのイベントを成功させるつもりで、意外だったけど、ダヴェンポート卿だけじゃなくて、ギュスターヴ王も関わってくれてはいるんだなと感じつつ。
「それと、これまで、俺自身が、しっかりとみんなに伝えることが出来ていなかったんだが、今回のイベントにおいて、クラス対抗で1から3位までのクラスには、国から褒美みたいなものがあって特典が貰える上に、特に優勝したクラスには、それに付随して、国が用意してくれている素晴らしい景品みたいな物があるみたいだから、それに向けて、俺も、なるべく優勝出来るように頑張っていきたいなとは思ってる。
まぁ、これ自体は、あくまでも、貰えたら、ラッキーくらいに捉えてくれれば良い話なんだが、豪華な特典があるかないかで、やる気も全然変わってくるだろうしな……っ」
と、そのタイミングで、ノエル殿下から、クラス対抗で1位から3位の間に入ったら、何かしら国が用意してくれている豪華な特典みたいなものが貰えて、更に優勝すればそれ以上に貰うことが出来るのだという話が出て来たことで、ステファンもパトリシアも……。
「えーっ、それなら、もっと早くに言って欲しかったです、ノエル殿下っ!
折角ですし、2位や3位じゃなくて、絶対に、絶対に、優勝を目指したいです!」
「あの……っ、僕も、クラス対抗で優勝した時に貰える景品というのには凄く興味があります……っ!」
と俄然やる気になったみたいで、特にパトリシアをメインに、二人とも劇の舞台に関するセット作りだけじゃなくて、演技の方も頑張っていきたいと思ってくれているような雰囲気で……。
更に、私達の会話を聞いていた同じクラスの生徒達も、その言葉を聞いて『優勝したら、一体、何の景品が貰えるのだろうか?』とちらちらと此方を気にしつつ、優勝した時の特典というのに思いを馳せて、張り切ってくれているみたいだった。
因みに、ノエル殿下は、『優勝した時の特典』について、知っているような口ぶりではあったものの、今の段階では、私達にそのことを詳しくは言えなさそうで、嬉しい特典があるかもしれないという言葉のみに留めてくれていたんだけど。
それでも、ただ、劇の練習をしたり、本番で作る料理に関して思いを馳せながら、イベント当日を迎えるという訳ではなく、優勝を目指すという目標があれば、きっと、今よりももっと頑張れるだろうなとは思うし、そういう意味では、クラスの生徒達同士の結びつきや団結力を育むことも出来ると感じるから、凄く良いことだよね……っ!
ただ、そのあと、パトリシアから……。
「でもでも、それだったら、他のクラスも本気で優勝を目指しに頑張ってくるはずですよね……っ!」
という言葉が返ってきたことと、アルがその言葉に頷いてくれて。
「あぁ……、確かに、その可能性については否定出来ないだろうな。
だけど、そうなってくると、大分、競争が激化しそうな雰囲気があって、僕達のクラスでも絶対に負けられないっていうか……、僕も自分が演じる役柄については、精一杯、頑張っていくつもりだが、優勝するためには、皆が、一丸となって協力していくのが、何よりも大事になってくるはずだ」
と言ってくれたことで、私自身も、確かに、どこの学科も優勝した時にどんな特典が貰えるのか楽しみにしながら、全力で頑張ってくるのだと予想出来るだけに、今以上に、一生懸命に頑張っていかないといけないなと感じてしまった。
一応、今回、アルが演じてくれるのは、レイアード殿下と一緒で王子の役になっている訳だけど、二人の王子には違いがあって、柔らかい雰囲気の王子と、少し影のあるような雰囲気の王子で、アルが光、レイアード殿下が闇っぽい要素がある感じに分かれている分だけ、アルが演じる方よりも、レイアード殿下が演じることになった役柄の方が難しいと思うんだけど……。
墓守りの青年という作品では、職業によっての差別問題や、墓守りの青年とお姫様の恋の物語というだけじゃなくて、王子二人の存在が物語に多大な影響を及ぼすくらいに、しっかりと劇の内容に食い込んでくる重要な役柄ではあるから、アルも、演じるのに、凄く一生懸命、頑張ろうと思ってくれているのだと思う。
問題は、レイアード殿下の方だけど、流石に、私達に良くない感情を抱いていたとしても、クラスの大半の生徒達がやる気を出している状況があれば、レイアード殿下も、一生懸命に頑張ってくれるはず……、だよね?
そのことに、私自身、ほんの少しだけ、一抹の不安を感じていると……。
「失礼します。
この度のイベントにおいて、業者の方が持ってきてくれた木材の搬入などについて、魔法研究科宛に必要な材料が学院の方へと届けられてきましたので、此方へと運びに参りました。
荷物については、どこに置いておけば良いでしょうか?」
と、この部屋まで荷物を抱えて入ってきてくれた学院で働く、用務員さんといった感じの出で立ちをした人が、ノエル殿下やバエルさんに向かって声をかけたのが聞こえてきたことで、私自身、レイアード殿下に対して感じている不安を、ひとまず頭の片隅に置いやってから、そちらへと視線を向けていく。
年齢は、20代後半から、30代前半くらいだろうか。
パッと見た感じ、学院に出入りしている用務員さんの見た目をしているというよりは、どことなく荒々しいような雰囲気も感じられて、どちらかというのなら、細々とした作業を得意としている人というよりも、短髪で、どこかの国の傭兵なんかをしていそうな空気感を纏わせているようにしか見えないんだけど、彼自身は、学院の雑用に関して一切を取り仕切っているような用務員さん、なんだよね、多分……。
廊下の前に、沢山の荷物を運んできているのか、開きっぱなしにした状態の扉の外から、一個だけじゃなく、この部屋の中に、続々と荷物を運び入れてくれ始めたその人の方を、ジッと見つめていると、隣に立ってくれていたセオドアが眉を寄せて、ぼそりと『姫さん……、あの男、俺が昔、ソマリアの傭兵をしていた頃に、関わっていた男だ』と、私に耳打ちをするように教えてくれたことで、私は、その言葉を聞いて、本当に心の底から驚いてしまった。
――その感情が、表に出てしまいそうになったことで、慌てて、自分の感情を押し殺すように引っ込めてしまったほどに……。
『……セオドアの言っていた、傭兵時代の頃に関わっていた人って、確か、セオドアのことをノクスの民だからって、見下すように接してきていた、嫌な人だったよね……?
セオドアの言っていることは間違いないだろうから、別人っていうことはないだろうけど、上の立場にいるような人には、低い腰で接してこようとしているのかな……?』
だけど、それよりも疑問なのは……、国の案件を請け負っていて、普段から、傭兵を集めるのに働いている人が、どうして、今、学院の用務員さんなんかをしているんだろう……?
私が、そのことに戸惑っている間にも、バエルさんが、私達の前を通り過ぎ、目の前の人に向かって『あぁ、ジェードさん、あなたでしたか。 ……運んできて下さって、ありがとうございます。その荷物に関しては、ひとまず、そちらに置いておいてください』と声をかけたのが聞こえてきた。
そのことに、ノエル殿下と深い関わりがあるかどうかは、まだまだ読めないけど、バエルさんとは割と親しい感じで接していることからも、ある程度、関わり合いがある人なのかもしれない。
『ただ、もしもそうだというのなら、バエルさんは、国が、傭兵を雇い入れたりしているような案件にも深く絡んできていたりするんだろうか……?』
セオドア自身も、昔、この目の前の用務員さんに言われて、仮面越しではあったものの、直接、ギュスターヴ王と会って話をしたことがあると言っていたから、その手引きをする役目を担っていたということで、この人は、ギュスターヴ王とは、特に深い関わりがあるはずなんだよね……。
その上で、もしかしたら、宰相であるダヴェンポート卿や、皇子としての立場があるノエル殿下とも、それなりに関わりはある人なのかも……っ。
思いがけないところで、全く予想もしていなかった人物と出会ってしまったことにより、ビックリしていたら、パチッと、用務員さんと視線が合って、私は、挨拶をするために直ぐに表情を取り繕って、柔らかく微笑みかけながら、彼に向かって軽く会釈をしていく。
その姿を見て、用務員さんが此方に近づいてきてくれて……。
「初めまして、シュタインベルクの皆様、ですよね……?
私、ジェードと、申しま……っ」
と、自己紹介をするように自分の名前を言いかけたところで、私の隣にセオドアの姿を見付けたあと、驚愕したように、その目を見開いてから、一瞬だけ『まずいな……っ』と言わんばかりの表情をした上で、何だか、自分の存在がここにいることがバレてしまったら良くないとでも言うような態度で……。
「あ……、いや、あのっ……、皆様への挨拶が、あまりにも簡単なものになってしまいますが……っっっ。
私自身、この後も急がしく、用事がありますので、荷物を置いたら、これで、失礼します……!」
と、眉を寄せて複雑そうな表情を浮かべたあと、目に見えて慌てた様子で、表に出す感情や表情の部分を取り繕いながら、早急な雰囲気を醸し出し、それから、バタバタと残りの荷物も運び終え、そそくさと退場するように、この部屋から出ていってしまった。
そのことで、私自身は『ソマリアが裏で傭兵を抱え入れていることに対しても、やっぱり何かしら、外部の人間には、知られたくないことがあるんだろうか……?』と、逆に、疑念を深めていくことになりながら、色々な情報が入ってきて、混乱しそうになる頭の中で、思わず、セオドアと顔を見合わせてしまったんだけど……。
そのあと……、ジェードと名乗ったその用務員さんのことについて、私達との遣り取りで何かしら感じ入る部分があったのか。
「あの……、ちょっとだけ気になってしまったのですが、皆さんは、ジェードさんとはお知り合いで……っっ?
何だか、そそくさと立ちさっていっていましたが、今の態度は、明らかに皆様のことを知っているような雰囲気でした……よね?」
と、バエルさんが、しきりに、此方のことを気にしたように質問を投げかけてきたことで。
「あぁ、昔、ちょっとな。
俺自身、姫さんと出会う前に、ソマリアで傭兵をしていたことがあって、向こうも気付いてくれた様子だった気がするんだが
……、まさか、あそこまで露骨に避けられるようなことになるとは思ってもみなくて、こっちもビックリしてる」
と、私達を代表して、セオドアが、自分が、あの用務員さんと関わりがあったことについて、包み隠すこともなく、バエルさんやノエル殿下から更に情報を引き出せることになるかもしれないという意図を持った上で、答えてくれた。
セオドア自身、ジェードと名乗った、あの男の人の姿から何かあると思って、バエルさんの顔色やノエル殿下の顔色を窺う目的で、一歩踏み込んだように声をかけてくれたのだと思う。
その言葉に、ソマリアが傭兵を雇い入れているということは何ら隠されていないことではあるものの、先ほどまでの態度が一転するかのように、僅かばかり、ひゅっと息を呑み、緊張染みた表情を浮かべたバエルさんに……。
どことなく、私達が最初に、ギュスターヴ王のことを聞いた時の反応に近しいものを感じて、あの時と同じように言葉を慎重に選んで、濁しているような雰囲気があるなと感じた私は、思わずバエルさんに。
「あの……、ソマリアが、傭兵を雇い入れていることに関して、その仕事内容については、この間、ステファンから、土嚢などを運び入れているというような話を聞いたのですが、そういった仕事は、特にソマリアでも最重視されていることだったりするんでしょうか?」
と、更に突っ込んだ質問をしてみることにした。
そうして、私がそう質問をしたことで、突然、話の矛先が自分の方へと向いたステファンも、私の言葉に『僕もそのことについては、不思議だなって感じて、ちょっとだけ気になっていたんです……っ!』と私達の意見に乗ってくれるような形で、バエルさんに一体どういうことなのか、という表情を向けてくれる。
それから……、私達から疑問に思うような質問と、表情が飛んできたことで……。
「えっ、えぇ、……えっと、そうですね……っ。
……我が国では、水の都として、大雨の日などは、特に波が荒れたりもしますから、土嚢などは幾らあっても困らないとは思いますが、そういった話に関しては、その……、私自身は専門外といいますか、私が担当しているものではないので詳しく知らないんです……っ、本当に申し訳ありません」
と、その言葉に、どう言えば良いのかと、あからさまに慎重な雰囲気を醸し出しながら、バエルさんが、苦い笑みを零しながら答えてくれるのが聞こえてきたところで。
「仕事の依頼で、俺も傭兵時代に運ばせてもらったことがあるんだが、その時は、特に何も言われず、中に入ってるものは、他国から輸入した土だって教えられてたんだよな……。
だけど、この間、クラスの奴らと話した際、袋の中に入っているのが、土であり土嚢だっていうんなら、海の方ではなくて、王城に運び入れていることに関しても変じゃないかって話になったんだけど、国の上に立っている人間なのに、お前は、何も知らないのか……?
長年、ソマリアの王城に運び続けていることで、国にとって大事なものだったりするんじゃねぇかって俺は思うんだが……」
と、更に追求するように、セオドアが言葉をかけてくれると、ノエル殿下の口から……。
「あぁ、まぁ、そういうのは、全部、ギュスターヴ王の仕事だからな。
誰に聞いても、あの人が、全部、管理していることだって言葉しか返ってこないはずだし、俺たちは、そのことについては何も知らないんだ……っ、本当に、な……っ」
と、どことなく、バエルさんを庇うような雰囲気で、補足する目的で、自分達は何も知らないと強調するように、そう言われてしまった。
『だけど……、それは、可笑しいような気がするっていうか……。
バエルさんのこの雰囲気だったら、絶対に何かを知っているような雰囲気だよね……?
ソマリアの人達が、頑なに、ギュスターヴ王関連のことになると、口を閉ざして、何かを隠すような雰囲気になってしまうのには、一体、どんな理由があるんだろう?』
それに、移民の受け入れについて、ギュスターヴ王自身が、全てを管理していると言われたことにも、どことなく違和感を感じてしまうというか。
私達のことですら、宰相であるダヴェンポート卿や、ノエル殿下に任せっきりにしているギュスターヴ王が、それだけは、自分の力のみで推し進めて、自身の管轄で全てを担って動いているとは、どうしても思えなくて、そこに対しても、実際に会ってから感じるようになった『一国の名君』と呼ばれるのに相応しい雰囲気をあまり持っていなくて、ほんの少し頼りないような感じがあるギュスターヴ王とは、合わないなって感じてしまうんだよね。
(やっぱり、王城では、図書館なんかに頻繁に通い詰めて、会えるかどうかは分からないけれど、ギュスターヴ王の動向を探ってみる必要はありそうかも)
もしかしたら、また、ソマリアの王城で働く人達の居住区に向かうギュスターヴ王の姿が見れるかもしれないし。
そうして、私自身が内心でそう思ったところで、このことについて、レイアード殿下はどう思っているんだろうと視線を向けてみると、レイアード殿下は、バエルさんや、ノエル殿下の言葉に、ちょっとだけ表情を固くしているような雰囲気で、何も言わない分だけ、何か知っていそうな様子ではあったと思う。
そのことに、セオドアだけではなくて、アルも気付いてくれて、ほんの僅かばかり、ノエル殿下やバエルさん達には悟られないように、私と同様、誰も彼もが何かを隠しているような様子なのを可笑しいと感じて、疑問に思ってくれたみたいなんだけど。
多分、これ以上、彼等の言葉から、情報を引き出すのは難しいと判断したのだと思う。
だからこそ、黙ってしまった二人に、今後、どうやっていけば、違う角度からも情報を引き出していけるんだろうかという深いところまで、きっと、考えてくれ始めたんだろうなと察して、私自身も、今後どうしていく必要があるのかと頭を悩ませたところで、ノエル殿下が気を取り直すように音頭を取って。
「みんな……っ。
とりあえず、話すのはそれくらいにして、時間も限られているし、舞台のセット作りを再開させることにしようっ」
と、言ってきたことで、私達は、内心の疑問を押し殺したまま、ひとまず、途中になっていたテーブルと椅子作りを再開させることになってしまった。
それから、まだまだ、テーブルと椅子作りが途中ではあったものの、そのあと、ラストスパートとして、一生懸命に頑張りながら、大分、骨組みまで作り終えたところで、今日の作業についてはここまでにしようというノエル殿下の声かけにより、授業を終えた私は……。
手を切って怪我をしてしまったことで、私のことを過剰に心配してくれているお兄様やルーカスさんとも合流した上で、ノエル殿下が王城でやることがあるからと、今日の機械工学部のサークル活動は『臨時でお休みになった』ということもあって。
パトリシアやステファンは勿論のこと、まだ学院で用事が残っているというバエルさんと、私達とは、常に別行動をしたいのだという雰囲気を醸し出していたレイアード殿下と分かれ、ノエル殿下と一緒に、学院の敷地内に止めてある馬車まで向かおうと、私達が、廊下を通って、校舎の玄関口から出たところで……。
「……っっっ、お姫様っっっ!」
「……っっ、姫さん、危ないっっ!」
と、ルーカスさんに、トンっと背中を押されたのと、セオドアが私の腕を引っ張ってくれたのは、殆ど同時だったと思う。
その上で……。
「キャァァァっっっ……!」
という、誰かのつんざくような悲鳴が聞こえて、『アリス姫っっ!』と、ノエル殿下の叫び声と此方を見つめる真剣な表情が見えた……、その瞬間……っ。
ぐらりと、身体が傾きながらも……、私自身が、状況把握も出来ていないままに、周りの景色も何もかもが、ただただ、ひたすらに、動きを止めて、無音の状態が作りだされていき。
風も、何もかもが、ピタリと制止するように、凪いだと思った刹那、色鮮やかな光景が、途端に、セピア色へと変わっていく感覚がする。
「……っ、ぅ、ぁ、……っ、」
そうして……。
既に、何度も自分が能力を使ってきていることで、見慣れたその光景に……『あぁぁ、やってしまった、……っ!』と内心で、歯噛みしたい気持ちを何とか堪えながら、一拍遅れて、止まってしまった時間の中で……、周囲を見渡して、そこで初めて……。
『……っっ、そんなっっ、もしかしてだけど……。
誰かが窓を開けて、窓辺に飾ってあった植木鉢のプランターを上から落としてきた、の……っ?』
と、誰も彼もが動かない制止した空間にいながら、状況を俯瞰して、校舎の4階の窓が開いていることと、窓の奥に誰かの影が見えたこと……、そうして、空から植木鉢が凄い勢いで降ってきているような様子だったことから、瞬時に、何が起きているのかを把握することは出来たんだけど。
肝心の『誰が植木鉢を落としたのか』というところまでは、しっかりと、見えないまま、私は、ぎゅるりと、空間が捻れていったことで、いつものように、体感的に、時間が巻き戻っていくことに、絶望した気持ちを抱いてしまった。
……嗚呼、本当に。
っっ、セオドアや、ルーカスさんが直ぐに動いてくれていたところを見ると、今日も私が、怪我をしてしまったのを分かってくれていたから、ずっと私の安全に気を配って傍にいてくれていたんだろうし。
お兄様やアルだって、本当に凄く近い距離にいてくれて、時間は止まって、みんな動きを止めてしまっているけれど、今、慌てた様子で、私の方へと心配するような表情を浮かべて駆け寄ってくれていたことからも、みんな、私を護るための努力はしてくれていて。
その上で、私自身も、何かあったらいけないからって、ずっと気を張っていたつもりで……、今も決して、周囲への注意が散漫になっていた訳でもなく。
『本当に、本当に、凄く気を付けていたのにな……っ』
――いつだってそうなんだけど、どうして私はこうなんだろう……。
自分のあまりの不甲斐なさに、思わず、ぐっと、唇を噛みながら、この場の状況を受け入れつつ。
自分の身体を巡って、体感で、能力が、自動的に使われていくのが分かっていく。
そうして、ふるり……、と、身体が震えて……。
私の身体から放たれる柔らかな光の粒が収束していくタイミングで。
「……っっ、んぅ……っ、ふぅぅぅっっ」
反動で、ふらっと、立ち眩みのような感覚がして。
今の今まで、止まっていた時間が再び動き出して、見えている景色が、セピア色から、鮮やかな色合いになったのを感じて、ガクンとそのまま、倒れ込みそうになった身体を、足に力を込めて一生懸命に堪えながら、セオドアやルーカスさんから助けて貰うその前に、身体を動かして、植木鉢が頭上に落ちていかないところまで回避すれば。
その一拍あとに、ガシャァァンという音を立てて、その鉢が割れるのを感じつつ、直後に降ってきた能力の反動からの気持ちの悪さに、声を出してしまいそうになるのを抑えながら、額から滲み出る汗については、どうしようも出来なかったものの、胃からせり上がっては逆流してくる血を、何とか必死で、胃の中に戻すように飲み込んでいく。
それでも、『うっ、』という感覚に、胃の中へと戻しきれず、我慢することも出来ずに、ほんの少し口の端から垂れてしまった分だけは、慌てて、ハンカチで口元を拭うように拭いたつもりだったけど、それで、周囲の目を誤魔化しきれたかも、隠しきれたかどうかも、分からない。
ただ、これで、はっきりしたけれど、1度目の梯子の件と、2番目のナイフの件は、まだ偶然の可能性があったとしても、3番目のこれは、明らかに悪意を持って誰かが私を傷つける目的で、そうしたいと思っていることには代わりがないはずで……、私自身が、きっと、誰かに狙われているのは、確か、なことなんだろうな。
でも、だったら、なおのこと……。
突然のことで、あまりにも、ぶわっと入ってきた情報に、色々なことが頭の中を駆け巡って、全く、整理することが出来ずに、混乱してしまいそうになりながらも、恐らくだけど、4階の学院の窓から、私に対して植木鉢を落としてきた人に。
『私が魔女であることが、バレていなければいいな……』
と、『姫さん……っっ!』とか『お姫様……っっ!』といった感じで、慌てたように駆けつけてくれるみんなの姿を確認しながら……、私は、心の底から、そう願ってしまった。