550 隠されたナイフと不審な動き
あのあと、私達は、恙なく、みんなでご飯を食べ終えて、再び学院にある工房へと戻ってくることになった。
そうして、今度は、テーブルや椅子、棚作りなどに着手していくことになり……。
今回作る家具はどれも、あまり豪華な感じにはならないように、あくまでも無骨な感じで格好いい墓守りの青年に合わせた雰囲気で作れるよう、男性っぽい内装を意識しながら、木の温もりが感じられるお部屋として、みんなの『こうしたい』という思いをしっかりと汲んで、それぞれの意見を擦り合わせて製作していくことにした。
そのことで、とりあえず、別の家具を作る作業をするのに邪魔になってしまうということもあって、午前中の時間を使って作ったベッドを、みんなで動かそうとしたところで……。
「いっっ……っっ」
と、私は、誰かが片付けることを忘れていたのか、ベッドの上の部分に、装飾のためなどに使っていた木を削る用の小型のナイフが出しっぱなしになっていて、更には、それが、ベッド用のシーツに隠れるような形で置かれていたことに気付かないまま、誤ってそれを握ってしまったことで、ざくっと、瞬間的に走った痛みに、思わず顔を歪めてしまった。
その拍子に、カラン、と音を立てて、ナイフが床にたたき付けられるように落ちていき、私の手のひらからは、ぽたぽたと、決して、少なくない血が溢れ落ちていく。
『……っっ、痛いと思ったら、まさか、こんなところにナイフが置いてあるだなんて、全然、気付けなかったな……っ!
どうしよう……っ!? 想像以上に……、凄く、血が出ちゃってる……っ』
そうして、突然、私が動きを止め、冷や汗を溢しながら、手のひらをおさえて痛みのあまり表情を変えたからか。
その姿を見て、みんな、私が急に、ベッドから手を離したことで、驚いたように持っていたベッドを、その場に置き直してくれつつ。
直ぐに、『姫さん……っ、大丈夫か? 何があった……っ!?』と声をかけてくれたり、『アリス姫、大丈夫か?』と、心配するように駆け寄って、声をかけてくれたりしたのは、セオドアとノエル殿下で、今の今まで、瞬間的な強い痛みばかりに気を取られてしまっていたけれど、その言葉に、みんなが心配して、私の方を見つめながら、大丈夫なのかと気遣うような様子で見つめてきてくれているのに、返事を返すため……。
「あ……、えっと、多分、誰かが、この場所に、ナイフを置きっぱなしにしていて片付けるのを忘れてしまっていたみたいで……。
それが、丁度、シーツで隠れるような形で置かれていたことで、私自身が全く気付かずに、ぎゅっと刃の部分を握り締めてしまって、手のひらをざくっと切っちゃったの。
急に、ベッドから手を離しちゃって、本当にごめんね……!」
と、状況を説明するように声を出せば、すぐさま、セオドアが『……どこを切ったのか、詳しく見せてくれ』と、私の言葉に反応してくれて、私の手を取って、傷の深さを確認するよう、手のひらに負ってしまった切り傷の部分を、マジマジと見つめてくれはじめた。
そうして、ほんの少しだけ、ホッと安堵するように、小さく吐息を溢し……。
「俺が見る限りでは、そこまで傷は深くなさそうで、ひとまずは、安心してくれたらいいんだけど……。
とりあえず、手のひらから、ぽたぽたと溢れ落ちている血については、綺麗に洗い流した方が良いだろうな……っ。
姫さん、俺と一緒に、こっちまで来れるか……?」
と、安心させてくれるために、いつも以上に柔らかくて、落ち着くような声色で言葉をかけてくれながら、『……うん、ありがとう、セオドア』と、こくりと頷き返せば、私の腕をそっと優しく掴んでくれたまま、セオドアが私と一緒に、その場にしゃがみ込んでくれる。
そうして、作業用のスペースに置いていた『舞台のセットの色づけをする顔料』と混ぜるために用意していた、真っ新で綺麗な水の入ったバケツの中に、『あとで、中の水は入れ替えれば良いから』と、そっと、この手を浸すように入れてくれると、その瞬間、無色透明だった水が、私の手のひらから出た出血で、じわじわと赤色に染まっていくのが見えた。
『……っ、ぅ、どうしよう……っ、凄く痛いかも……』
それから……、その一瞬あとに感じてしまった、ジクジクとした強い痛みに、思わず私は目を伏せるように、俯きがちになってしまう。
今さっき、セオドアが言ってくれたように、私自身、ナイフを握った瞬間の痛みで、直ぐにそこから手を離したということもあって、傷自体は、あまり深いものではなさそうだったけど。
それでもナイフで付いてしまった切り傷ということで、元々、鈍い痛みがあった上に、手のひらを水に浸けたということもあり、傷口から皮膚の中に水が入り込み、更に、ズキズキとした痛みが、手のひら全体に侵食するように推し広がってくる。
そうして、その痛みに、僅かばかり、くしゃりと耐えるように顔を歪めながらも、いつだって、こういう時に直ぐに動いてくれるセオドアに、本当に感謝する気持ちを込めて『……っっ、セオドア、この間から本当にごめんね。ありがとう』と、お礼を伝えれば……。
「いや、こんなふうに手を切るようなことになって、姫さん自身、滅茶苦茶痛いだろう……っ?
俺に、ありがとうもごめんねも言わなくていいから、我慢も、無理も、絶対にしないでくれ……っ」
と、セオドアが目の奥に優しさを湛えてくれながら、私の方を見て案じるように言葉をかけてくれた。
そうして、そのあとアルが……。
「セオドア、アリスの怪我の止血をするために、この布を使ったりして、怪我をしている部分をおさえてやった方が良いんじゃないか?」
と、舞台のセットの製作用に使うための布が余っていたことから、それを持ってきてくれた上で、セオドアにそう提案してくれたことで、セオドアが『……あぁっ、確かに、そうだな』と声を出し、バケツの中に入れていた私の手を引き抜いてくれたあと、その布を少しだけ細長くビリッと切り裂いて、止血のために、私の手をキツく縛るように巻いて、手早く処置を施してくれる。
そうして、その気遣いに、本当に有り難いなと感じている間にも、こういう時、私がナイフを落としてしまったことで『誰かがそのナイフを続けて踏んだりしないように、直ぐに拾ったりしてあげた方が親切だったよね……?』と、ちょっとだけそのことを反省しつつ。
今は、周りを気にして、そういった配慮すら出来ない程の痛みに、ほんの僅かばかり眉を寄せてしまいながらも、私は『この間に引き続き、怪我自体は、そんなに大したことがなくても、まさか、利き手を、こんな感じで負傷してしまうだなんて、本当に、不注意にも程がありすぎるな……』と、ちょっとだけ肩を落としてしまった。
幸いにもこの間、怪我をしてしまった足首の痛みに関しては、あのあと王城に帰って、アルが治癒魔法を使って大分治してくれたから、もう痛みなんてなくなっているし、この怪我自体も、今ここで、大っぴらに治癒魔法を使ってくれる訳にはいかないといえども、そこまで酷いものじゃないから大丈夫ではあるんだけど……。
それでも、なるべく、こういうことに対して気を付けていきたいなと感じるのは、これくらいの軽い怪我だと、私自身の能力が突発的に発動してしまうことはないものの……、本当に、死の危険に瀕した時などの危ない状況に陥ってしまうと『自動で、能力が発動される恐れがある』からで、そのことに関しては特に、最新の注意を払っていかなければいけないなと感じてしまう。
それは、巻き戻し前の軸の時に、ギゼルお兄様に刺された時もそうだったし、冬眠から目が覚めて、洞窟の中で気が立ってしまっていた熊の母親に襲われた時なんかもそうで……、今までにも、それで何回か、この6年の間に能力が突発的に出てしまって、時間を巻き戻したりすることもあったから、そういう意味でも、気を付けるに超したことはないなって思ったり……。
それに、これは、何も私だけという訳じゃなく、触れたものを凍らせる能力を持つ、ベラさんとかも自分の身を守るために『危機的な状況に陥ってしまった際』に、自身の能力が出てしまうことは何度かあったって言ってたから、『魔女』ならば、そういうことは往々にしてあるみたいだし。
今回のナイフの件に関しても、故意に何かをされてしまったというよりは、恐らく、偶然の事故が重なってしまっているんじゃないかなとは思うんだけど。
それでも、万が一、何かあった時に自分の身を守るために、突発的に能力が表に出てしまうことがあって、私自身がその場で血を吐いたりすれば、それだけで能力者であるということがバレてしまう恐れもあることから、思わず、ヒヤッとしてしまった。
――そうでなくても、私が魔女である可能性というのは、オルブライトさんや、バエルさんがその話を色々な人がいるところで広げてしまったことで、ソマリアで親しくさせてもらっている大半の人の頭の中に、既に、植え付けられてしまっているだろうから……。
それに、ノエル殿下に、バエルさんは、魔法研究科の講師と、その助講師という立場で、魔女にもかなり精通していて詳しい人達だし、レイアード殿下や、ステファン、パトリシアも、みんな、魔法研究科として魔女について勉強しているから、私が能力を使った瞬間を目撃しなくても、ある程度、吐血や能力の反動で体調を崩してしまった状態を見られただけで、魔女だと、バレてしまう可能性だってある。
だからこそ、『自分がもっと気を付けていれば、こんなことにはならなかったはず』と、しょんぼりと落ち込んでしまったんだけど……。
ここ数日にかけて、私自身が怪我をしてしまう頻度が上がってしまったことで、目に見えて気落ちしてしまっていたからか、ノエル殿下が『アリス姫、本当に大丈夫かっ!? 何で、こんな所にナイフがっ!?』と、私の方へと駆け寄ってくれたあと、慌てた様子で声をかけてくれたり……。
そのあと、パトリシアが『アリス様……っ! 大丈夫ですか? この間の怪我のこともありますので、私自身、あれから、何かあった時のために救急セットを持ってくるようにしていたんですけど、もし良ければ、止血が終わったら綺麗な包帯と取り替えることもして下さいね』と、学院用の鞄の中から清潔な包帯を取り出し、私の手にそっと握らせるように渡してくれたことで。
「ありがとう、パトリシア、ごめんねっ」
と、お礼を伝えれば『いえいえ、とんでもありません! 大したことも出来ずで……っ』と言ってくれながらも、更に……。
「ですが、午前中に、この場所で作業をしていたのは、一体、誰だったんでしょうかっっ……?
凄く不用心に、ナイフを置きっぱなしにしているだなんて……、これじゃあ、あまりにも危険すぎますよっ!
アリス様が、ベッドを運ぶため、咄嗟に、ナイフを握ってしまったのも、そこにあるのだと分かっていなくて、シーツに隠れてよく見えなかったからでしょう……っ?
今後のためにも、そういう危ないことはしないように気を付けてもらわないと……っ!」
と、私のために、その瞳を尖らせながら怒ってくれて、それを隣で聞いてくれていたセオドアも『あぁ、姫さんが、自分が悪いだなんて思って、気落ちすることはねぇからなっ! これは、ここに、ナイフを置きっぱなしにしてた奴が悪い』と、パトリシアの言葉に、同意するように頷いてくれて……。
「今後は、絶対に、気を付けてもらわねぇといけねぇっていうか。
そもそも、刃物を出しっぱなしにしておくだなんて、こんなこと、本来ならあっちゃならねぇだろう……っ?
マジで、一体、誰が、こんな所にナイフを置いていたんだ……っ?」
と、みんなに視線を向けながら、注意をするようにそう言ってくれたり……。
その上で、アルも『うむ、そうだな、アリス、僕もセオドアの言う通りだと思うぞ。お前がそれで、怪我をしてしまうことになるのも、それを見ることになるのも凄く嫌だしな』と、私のことを案じるように続けて声をかけてくれたりで。
一様に、みんなが心配してくれている中で、ほんの僅かばかり、私の隣に立っていたレイアード殿下の視線が、セオドアやアルに気取られないようにしながらも、一瞬だけ、私の方を見て『ほら、自分が言ったとおり……、良くないことが起きてる、だろう……っ?』と言わんばかりに、警告するような視線になったことで、私は思わず、その視線にドキッとしてしまった。
何か知っているのなら、そういった視線だけを送ってくるんじゃなくて、心の底から『そのことについて教えて欲しいな』と切に願っているのだけど、それでも、レイアード殿下はきっと、これ以上のことは教えてくれないんだろうなと感じつつ。
そのあと、午前中のことを思い出してくれていたノエル殿下の口から『確か、この場所の近くで作業をしていたのは、ステファンじゃなかったか?』という言葉が降ってきたことで、みんなの視線が一斉にステファンの方へと向いて、パトリシアが、『もしかして、ここに、ナイフを置きっぱなしにしていたの、ステファンだったりした……っ?』と、声をかけてくれたあと、ステファンの方に、ちょっとだけ疑惑の目が向いてしまったんだけど……。
「あのっ、確かに、僕も、この辺りで作業をしていたことは確かなんですけど、僕は、ちゃんと、自分が使っていた工具などは、規定の位置などに戻していましたし、恐らく、それは、僕じゃなくて、オルブライトさんじゃないかなって思います……っ。
その……っ、僕の隣で作業をしていたのが、オルブライトさんだった記憶は凄くあって、ナイフとかも使っている様子だったので、多分そうなんじゃないかと……。
僕自身も、オルブライトさんがベッドの上にナイフを置きっぱなしにしていたのかどうかまでは見ていないので定かではないんですけど、それでも、オルブライトさん……、最後の方は急いで、この場所から立ち去ろうとしていたでしょう?
だから、その可能性は、凄く高そうだなって……っ」
と……、そのあと、ステファンから自分ではなくて、オルブライトさんなんじゃないかという返事が戻ってきたことで、私達は揃って顔を見合わせて、ステファンに疑惑の目を向けてしまったことを、申し訳なく感じて、ステファンの方へと謝罪するような視線を向けながらも『確かに、その可能性は否定出来ないかも』と内心で納得してしまった。
最後の辺りで、バタバタッとしていて、急いでいた様子だったし、オルブライトさんならあり得ないこともないと思う。
だとしたら『オルブライトさんは完全にうっかりした感じで、ナイフを仕舞い忘れてしまったんだろうな』って、思った方が良さそうだよね……っ。
「あー、そっかぁっ! ステファン、本当にごめん……っ!
でも、オルブライトさんじゃ、次に、何時現れることになるのか分かりませんし、そもそも、次に来てくれた時も、私達のクラスで、また一緒に劇のセット作りをしてくれるかどうかも定かじゃないですよね!?
好意でしてくれていたことでしょうし、私達のためを思って、あれだけ張り切ってくれていたような様子だったから、今後は気を付けてほしいって、こっちからお願いするのも、何ていうか、ちょっと言いづらいかもしれませんね」
「うん、そうだね、パトリシア。
パトリシアの言う通り、オルブライトさんに、注意が出来るタイミングも、あまりなさそうだなって思うし。
学院では、完全に部外者っていう立ち位置だから、これから、劇のセット作りを、また一緒にしてくれるかも分からない上に、今日も、人一倍、凄く、頑張って作ってくれていた様子だったもんね」
「あぁ、まぁそうだよな。
アリス姫が言っていることも一理あるっていうか、今日来てもらっているのに関しても、善意で手伝ってくれてるだけに、あまり、そういうことは言えないかもな……っ」
「いや……っ、でも、それでも、次に会った時には、絶対に、言った方がいいと俺は思う。
実際、それで、姫さんが、怪我をすることになったのは事実だし、今後も、そういうことをされたんじゃ、違う誰かが怪我をしてしまう可能性だってあるからな。
次にやってきた時に、言っておくだけでも、ちょっとは違うだろうし、気に掛けてくれるようにもなるだろうっ?」
そうして、ベッドの上にナイフを置いていたのが、ステファンの証言から、恐らくだけど、学院の関係者ではなく、オルブライトさんだったことに、あんなにも張り切った様子で、善意で手伝ってくれていたような感じだった分だけ、ほんの少し言いづらいかもしれないよねという空気感が充満していくと、セオドアが、きっぱりとみんなに向かって、それでも言っておいた方がいいと声を出してくれた。
その上で、ひっそりと私の耳元で『姫さん、今回のナイフの件に関しては、本当にうっかりで、わざとじゃねぇのかもしれねぇが、その反応は窺っておいた方がいいかもしれない。……同じ、シュタインベルクの人間だし、ソマリアの方の人間とはあまり関わりがなくて、現状では、その可能性は低いと言ってもいいと思うが、誰を信じて、誰を信じない方が良いのかは、きちんと見極めておかねぇとな』と、私にだけ聞こえるように声をかけてくれたことで、その言葉に、私自身もハッとしてしまった。
ついつい……。
『私達にも、いつだって、友好的な雰囲気で接してくれている上に、カジノでのこととかがあるから、オルブライトさんのことは良い人だと思って見ていて……、完全に、今回のナイフの件も置き忘れだと決めつけてしまっていたけれど、確かに、聞いてみて、その反応を窺ってみるのは有りかもしれないよねっっ?
レイアード殿下の一件から、シュタインベルクから留学に来た私達に対して、何か良からぬことを考えている人がいるのかもしれないっていうのは感じているし、セオドアに、そう言ってもらえるまで、気づけなくて、本当に申し訳ないかも……っ』
そうして、内心でそう思いつつ、私は、セオドアの言葉に同意して、一度だけ、目配せをするように視線を向けてから……。
「みんな、私の怪我の所為で、製作の手を止めてもらってて、本当にごめんね。
怪我に関しては、利き手を負傷してしまったことで、少し役に立たなくなってしまったかもしれないけど、もう大丈夫だから、舞台のセット作りを再開しよう……っ?」
と、みんなに向かって、テーブルや椅子などといった、舞台のセット作りを再開出来るように声をかけることにした。