545【バートンSide】――計画の遂行のため、ギゼルへの接触
私が、オルブライト卿に手紙を出してから、既に結構な時間が経過したように思う。
ただ、どんなに早くても、シュタインベルクから大分距離の離れた場所にあるソマリアまで手紙が届き、更に、そこから、手紙を再び送ってくれるようになるまでは、それなりにタイムロスがあって、時間がかかってしまうことになるだろうと、私自身も理解はしているが……。
それでも、その空白の時間ですら惜しいほどに、あまりにもじれったく感じてしまうのは、私自身があの御方が掲げる『この国を、全く新しいものに作り替えていく』という革命のために、ようやく動き始められるのだと、そのことに熱い高揚感を感じているからだった。
――早く、早くと、気持ちばかりが急いてくる。
ただ、あの御方と、オルブライト卿は、私みたいに、性急な雰囲気になる訳でもなく。
それこそ『長年をかけて、着々と立ててきた計画が、一瞬の過ちや判断ミスで取り返しがつかないようになってしまうことは何よりも恐れなければいけない』というのが、あの御方の口癖で、私も何度か口が酸っぱくなるほどに、あの御方から注意されてしまった。
勿論、私自身、準備や計画といったものも大事にしなければいけないと分かっているものの、単純に自分達の大義を成功させて、利益を追い求めるために、好機や、チャンスをじっくりと作り出して、その機会を狙うだけではなく、一瞬の過ちも、判断ミスも、犯さなければ何も問題はないのだから、今だと思った瞬間に、そこに積極的に飛び込んでいくことも必要だと感じているのだが。
『あの御方も、オルブライト卿も、どうにも慎重すぎるのではないだろうか……っっ』
あの御方の言う通り、そうしていかなければいけない部分もあることは充分に理解しているが、多少の計画の変更などもあったものの、6年も待った計画で、やっと動けるということもあって、私自身は、なるべく色々なことを迅速に行動していきたいと感じているだけに、二人のそういった言動については、あまりにもヤキモキとしてしまう。
まるで、目の前に上質なご飯が用意されているというのに、待てをされてお預けを食らっている犬のような感覚だと言った方が良いだろうか……?
その間、私自身もただ、手を拱いていた訳ではなく、あの御方の傍で、ギゼル様に対して会えるような機会を設けるために行動していたり、国内でやらなければいけないことについて、その計画のために、幾つかのプランを同時進行させて、その一つが潰れても、もう一つで動けるようにと、あの御方の指示で、水面下であれこれと準備を進められるようにはしていたのだが……。
折角の革命の機会なのだし、どうせなら、このように地味な活動ではなく、ほんの少しでも構わないから、今よりはもっと目立つようなことをして行きたいものだと、心の底からそう思う。
「あの、バートン先生、本当にありがとうございます。
まさか、自分が、肉離れになってしまうだなんて……。
……ですが、殆どの時間を、バートン先生が診てくれたお陰で、これで、また直ぐにでも、騎士団の練習に復帰出来そうです……っ」
「ああ、いや、ゴルジュ殿、それは本当に良かったです。
いつも、騎士団の騎士達には、私共も含めて、この国を護ってもらっているのですから、これくらい、医者としても当然のことです。
……ですが、怪我が治って大丈夫になったからといって、あまり、無理をしてはいけませんよ。
どうか、お大事になさってください」
そうして、心ここにあらずの状態で、あの御方や、オルブライト卿のことを考えて気を揉んで苛々としていたところに、突然、第三者から話しかけられたことで、強制的に意識を引き戻した私は、内心の苛々を隠しつつ……。
今日も今日とて高名な医者として、どこから見ても、その立場に甘んじることなく、優しくて患者のことを一番に考える医者に見えるよう、口元に柔らかい笑みを湛えて、目の前の、特に何の役職も持っていない一介の騎士の名前を、ちゃんと呼んだあと。
『特別、大した功績も挙げていないお前を治してやるくらい私は心が広いのだから、せめて、少しでも、私の名声を上げるために、役に立たないと許さないからな!』
という思いを全面に押し殺したまま、あくまでも人の良い医者を演じながら、にこやかに笑顔を向けていく。
薬品や、真新しいタオルなどが綺麗に整理整頓されて置かれている、清潔で真白い、皇宮にあるこの医務室で、6年前であるならば、テレーゼ様に格別に引き立てられていた私自身が、皇宮において、広く一般の人間を診るということは、時間があるときにのみ限定で、自身の名声を高めるのに『自分の裁量』で、気まぐれに、そうしていれば、それで良かった訳で……。
あの頃の私は、テレーゼ様の恩恵も多少は受けながら、その地位も立場も素晴らしく輝いており、医療に関する研究や薬などの開発もしていたり、テレーゼ様や、ウィリアム殿下、そうして、ギゼル殿下といった皇族の面々を優先するために、余裕のある時間が作られ、当直医の補助として、よほどの急患が入ってこない限りは、医務室の横に併設されている仮眠なども取れる控え室で過ごすことも許可され……。
その殆どの、当直医としての時間は、皇宮にいる他の医者や、私の弟子などが担当していて、割と自由な時間も多く、1日の生活にゆとりがあったというのに、テレーゼ様が捕まってしまったことで、今まで、テレーゼ様に対して行っていた定期検診などといった時間も減ったことにより、私自身にも、今現在、少なくない時間があるとみなされて、こうして当直医として駆り出されるようなことも増えてしまっていた。
ましてや、一ヶ月ほど前からは、ウィリアム殿下がソマリアに講師として向かうようになったとあって、そこから更に、皇族と関わる時間は『ギゼル殿下のみ』と見られるようになってしまったことで、一般の人間を診るのに、更なる時間が使えると判断されることになってしまったし。
私の仕事内容も、当然、それに合わせて見合った仕事内容へと変わってくるもので、致し方ない措置になるといえども、今までのことを思えば『皇族と一般人を診るのに雲泥の差があることには間違いない』のだから、到底、そんなものに納得出来るものではなく。
『これが、世間からも高い評判を得ている、この私に見合った仕事だとは、どうしても思えないし。
騎士団については、既に、私自身、一定以上の評価も得ていることから、これ以上、騎士団内で私の名声を上げたとしても、その殆どが意味を成さないだろうと分かっているだけに、本来なら雑に対処してやりたいのを、此方は我慢してまで診てやっているのだからな……っっ!』
と、内心で、目の前の騎士に対して、憎々しく思う。
6年前に、私自身も、テレーゼ様を売るようなことはしたが、それでも、そもそも、テレーゼ様があのようなことをして捕まらなければ、私は今もその傍で、あの御方に付いていることを誤魔化しながらも、旨い汁が吸えていたはずだ。
……吸えていたはずなんだっっっ!!
まぁ、テレーゼ様の方から、それまで懇意にしていた私を、あっさりと手放して、切り捨てようとしてきたのだから、恐らく、天罰が下ったのだと言ってもいいだろうがっっ。
だが、今まで、自分が受けることの出来ていた恩恵を受けられなくなってきたことについては、本当に痛手だなと思うし、ましてや、『私自身は元気だから、そんなに定期検診なども必要ないし、ウィリアムやギゼルのことをしっかりと診てやってくれ』と、常日頃から言っていた陛下が……。
『実は、アリスが信頼している医者が若いのだが、中々、良い人材なんだ。
お前は、既に、富も名声も得ているし、出来れば、私自身、今後の国の未来のことも見据えて、そういった若い人間にもチャンスを与えてやりたいから、私の専属医については、今後、そちらに頼むことにした』
と、テレーゼ様の事件以降、そう言ってきたことで、皇女様の専属として付いていたあの若造が、突然、引き立てられるようになったのは、本当に、気に食わないっっっ!
その上、私よりも小さいが、皇宮の中に、個人的な自分用の研究室まで陛下から賜って、皇女様のそばについている、あの茶色の髪をしているアルフレッドと共に、次々に色々な新薬を開発しては国に貢献してきて、最近では、医者達の間でも、特に目立って、頭角を現してきているといっても過言ではなく、気付けば、皇宮内で、あの若造を慕うような者まで出てくる始末だ……っっ!
何よりも気に食わないのが、本人がいたって、そういった派閥争いや、権力闘争などに全く興味が無さそうで、どこまでも飄々としているところだろうか。
それに、私自身が、不愉快だと思っているのは、あの、アルフレッドという青年もだ……っ。
一国の君主としては、当然のことだが、常日頃から、陛下に会うには、忙しくて、この私ですら中々気軽に面会の約束を取り付けることが出来ないというのに……っ。
『会いたい』と、たった一言、口にすれば、皇女様と一緒に、その日中に、会うことも出来るようになっているみたいだし、そうじゃなくても、陛下に何かにつけて呼び出されることが多いというのもあって、その存在もまた、私にとって憎々しい存在であることに間違いないだろう。
ただでさえ、私よりも博学だということで、陛下からの信頼も厚く、既に、シュタインベルク国内でも、大々的に、陛下自身が……。
『アルフレッドは、皇女であるアリスのサポートに回ることもしながら、薬学のことや、その他のことでも、いつも素晴らしい知識をもってして、国にとっても有益なことを、率先してやってくれているんだ。
……だからこそ、心の底から得がたい人材であることには間違いなく、誰もが皇族である我々と同じように敬って接するように』
と、異例とも思えるような言葉として『常に、敬意を持って接しているのが誰の目から見ても明らか』になるよう、何度か、国が開催されるパーティーなどでも、折に触れて、公言して回っていることから、アルフレッドは、私以上に、高い立場にいる存在だといっても過言ではなく……っ。
テレーゼ様が、6年前に、子どもだったアルフレッドを『何故、私の愛するウィリアムに付けないのかっ』と憤っていたが、今の私にとっても、そんなにも貴重な人材ならば、なおのこと、何故、陛下は、私ではなく、皇女様の担当医であるあの若造との共同研究を許しているのかっ、という思いが強くなる一方で、どんどん、心の中に黒い澱みが溜まっていく。
勿論、一番は、アルフレッドが、この私を差し置いて、私の知識を凌駕し、陛下からも世間からも、必要以上に褒めそやされているのが許せないし、本当に腹立たしくて腹立たしくて仕方が無い訳だが……っっ。
――それもこれも、全ては、あの憎くて、忌忌しい皇女のせいだろうっ……っっ!
あの子どもが、皇宮で、目立つような活躍を見せ始めた時から、全ての歯車が狂い始めていったのは間違いのないことなんだからなっっ。
『それを、軌道修正するのが、どれほど大変なことかっ!
本当に、どこまでも、悉く、私の邪魔をしてくれる……っっ!』
――あの御方が言うには、もしかしたら、皇女は、魔女の可能性もあるのだとか……っっ。
思い返してみても、あの子どもが能力を使っている様な瞬間などは見たことがなく、どのような能力なのか、私には、さっぱり、皆目見当もつかないし。
一応、ソマリアにいる、オルブライト卿が、これから、その能力については探るようにしてくれるらしいが、それでも、その存在そのものが、私にとって邪魔以外の何ものでもなく、胸くそが悪いことには代わりがない。
ぎりっと患者に見えないところで、歯噛みをしそうになったのを何とか堪えてヒクヒクと唇を震わせていると『バートン先生、何て言うか少し顔色が悪いような気がしますけど、もしかして、今日は体調が悪かったりするんですか……?』と聞かれて、私は、一度だけ、グッと息を呑み込んでから、慌てて表情を取り繕ったあと……。
「ややっ、そう見えますかな?
いや、なに、そんなに問題はないのですが、確かに、今朝から少し体調が良くないような気がしていたんです。
医者の不養生でいけませんなぁ……っ」
と声を出して、少しおどけながら、とぼけたフリをして頭をぽりぽりとかいていく。
そんな私を見て納得したのか、誤魔化されてくれた様子で、診察を終えて出て行った騎士に、八つ当たりをするように、ギリギリと唇を噛みしめたあと、私は、グッと拳を握りしめ、外から完全に音が消え去ったあとで、『くそ野郎めっ! あの呪い子の所為で、あわや大惨事で、私が長い間かけて取り繕ってきた医者としての地位や立場が危ぶまれるところだった!』と、バンッと、怒りに任せて、何度か、机の上を叩いていく。
そのあと……、数分ほど経ってから、ようやく、私自身も少しだけクールダウンしてきたタイミングで、どうやら、先ほどの騎士が、今日の私の持ち回りでは、最後の患者だったらしく。
18時の定刻になったこともあり『バートン先生、本当にお疲れさまです』と交代で、のこのこと呑気な顔を浮かべて、夜の当直に当たっている医者がやって来たのを確認してから、私は取り繕った笑顔を向け『あぁ、今日の夜の担当は貴方でしたか。本当にお疲れ様です』と声をかけて医務室を出ることにした。
そうして、扉を開けて廊下へと出ると、皇宮の廊下の窓から差し込む光は、既に、太陽が沈みかけ、茜色の空になっていて、まだ、外の景色が真っ暗ではなく、日があることを確認してから、私はそのまま、ツカツカと廊下を歩いて、ギゼル殿下の元へと向かって行く。
今日は、担当医として、ギゼル殿下に、定期的な検診をする必要性があるという書面を送って、ようやく、その約束を取り付けることが出来ていた。
にも拘わらず、日中、私自身に、皇宮で働く一般の者達を対象とした当直医の仕事が入っていたことについては、これから先もこうなって、たとえ、ギゼル殿下の診察の予定が入っていようとも、その合間を縫って、昼か夜のどちらかで当直医としての仕事をしなければいけなくなるということであり。
そう考えると、あまりにも憂鬱であるというか……。
時間が拘束されるという意味で考えても、私自身は、本当に動きにくくなるといったらないだろうな。
6年前にテレーゼ様が捕まらず、ウィリアム殿下の瞳のことでギゼル様を籠絡しつつ、当初から、あの御方と立てていた計画通りに全ての事が運んでいたのなら、もっと私も楽に自由に動けたというのに……。
「ギゼル殿下っっ、お久しぶりですなっ!
お会いしとうございました……っ!」
そうして、ギゼル殿下の私室まで出向いた私は、殿下の使用人に案内されて、コンコンと一度だけノックをしたあと、中から『入ってくれ』という声が聞こえてきたことで、寝室ではなく、最近、特に必要になってきている部屋として、陛下や、ウィリアム殿下がこなしている仕事の手伝いをし始めたギゼル殿下が使っているという執務室へと入らせてもらうことになった。
「あぁ、バートンか。……本当に、久しぶりだなっ」
私が、部屋へ入ると、デスクの前の椅子に座って、書類整理やら、色々な作業をしていたギゼル殿下が手を止め、椅子に座ったまま、此方へとツイッと顔をあげてくる。
19歳になったギゼル殿下は、13歳だった頃に、163㎝ほどだった身長が更に伸び、今では、175㎝ほどになっていて、元々、スラッとした感じの雰囲気だったが、今は、特に、6年前以降、自分が得意なこととして剣の腕を磨きたいと、出来る限り、騎士団の騎士達に師事して技術を習得してきた経歴があるからか、ほどよく引き締まった身体で、縦に伸びているような感じに成長しており、キラキラと反射するように、その皇族特有の黄金色の髪の毛が輝きを放っているのが確認出来る。
だからといって、昔からそうだったが、よくある物語に出てくるような凛とした佇まいの柔和な雰囲気を持つ誰にでも優しい王子像といった感じではなく、凛とした感じはあるが、利発的な瞳に、やんちゃっぽそうな雰囲気は健在で、一国の王子らしからぬと言われたらそうかもしれないが。
今代の皇族がみな、清楚で可憐な雰囲気の美女と、クールとやんちゃな雰囲気で静と動を表すような、系統の違った美男二人といった感じで、誰もが眉目秀麗で人の目にも付くような美しさを持っているのは間違いのないことだろう。
「ええ、今日は、健康診断のために来させて頂きました。
此方から、何も言わないと、陛下やウィリアム殿下などもそうなのですが、ギゼル殿下も、本当に全く音沙汰がありませんからなっ! どうにも、心配で……っ」
「オイ、オイ、やめてくれよ。
小言なら必要ないって言うか、便りがないのは、健康の証しじゃないか……っ?
まぁ、お前が来ることは、俺も、事前に分かっていたことだし、どちらにしても、ここじゃ診察することが出来ないだろうから、寝室まで、付いてきてくれ」
そうして、はっきりと、表向きの今日の目的を告げた私に、ギゼル殿下は椅子から立ち上がり、私のことを案内するような形で、この部屋に隣接されている自身の寝室まで、先導するように歩き始めていく。
その際、触診などもしなければいけないということもあって、上半身の衣服は脱いでもらうことになるし……。
主人の、あまりにもプライベートな状況に配慮して、私の目論見通り、ギゼル殿下に付き従っている侍女や騎士などといった面々は、寝室までは付いてこない様子であり……。
これから、ギゼル殿下と、文字通り、二人きりになれることに、私自身、ひとまずは『あの御方』が立ててくれたプランとして、計画通りに全てのことが上手くいっていると、そっと胸を撫で下ろしていく。
因みに、計画といっても、様々な要因や、色々なことを考えて、あの御方が複数個用意してくれているプランのうちのひとつとして、現在は、プランAの部分が、上手く進行しているといってもいいだろうか。
勿論、幾つかあるプランのうち、ギゼル殿下を巻き込むことこそ『一番、最良の案に違いないだろう』というのが、あの御方の見立てだったが。
それが上手くいかなかった時も、それなりに、第二、第三のプランとして、あの御方が、別のプランの計画を練ってくれているのは言うまでもなく、その全てが、まさに、あの御方にしか思いつかないような素晴らしい内容だといってもいいだろう。
6年前に、私とあの御方の中で立てられた計画が、あまりにも素晴らしいものであったように……。
そのあと、ギゼル殿下が、寝室のベッドの近くにあった椅子に座ってくれたことで、私もまた、同様に、この部屋の中にあった椅子を拝借した上で腰掛け、殿下と向き合いながら、医者として、その体調面についても色々なことを質問していくことにした。
「殿下……っ、最近の体調は、どのような感じですか……っ?
見たところ、ほんの少しお疲れの様子かなと思いますし、恐らくですが、疲労が溜まったりしているようにも見受けられます。
最近は、特に、ウィリアム殿下や、皇女様が、ソマリアへ留学に行ってしまって、陛下からの仕事についても、殿下が引き受るようになったものの割合が、必然的に多くなっているのでしょう?
そういった面で、気苦労や、心労が増しているのではないかと、私は本当に心配でたまりません。
どんな些細なことでも良いんです……っ! 今現在、ちょっとでも困っているようなことが何かしらあるのなら、早め早めに、この私に教えて欲しいのですが、身体のどこかに痛みがあったり、発熱などは出たりしていませんか……?」
「あぁ……、そうだな。
……心配してくれて、ありがとうな、バートン。
アリスも、兄上もいないことで、確かに、必然的に仕事の割合とかは増えてるし、言われてみれば、肩こりからくる頭痛とかは多くなっていたりもするかもな。
けど、風邪とかは引いてないし、それ以外は、まぁ、そこまで困っていないっていうか、多分、至って健康的ではあるんだけど……」
「なんとっ! ……そうだったのですか。
……それは、ちょっと気になるところですなぁ……。
頭痛ということで……、今現在、他の部分には、自覚症状がないだけかもしれませんし、あまり甘くみてはいけませんよ、殿下。
ストレスも溜まっているのでしょうしっ、今は、軽く考えていても、他のところに違う症状などが併発して出てしまったり、軽い頭痛から、重い頭痛へ、より症状が酷くなってしまう可能性だってありますよっ!
大丈夫だと思っていても、頭痛は初期症状でしかなくて、何かしら他の病気が隠されていることだってあるんですからなっ!
どうか、ご無理はしないで頂きたい……っ!」
そうして、今現在の、ギゼル殿下の様子から、私が持っている知識を総動員して、日頃から、ギゼル殿下に負担がいっているであろう背景について先に指摘して、どんな些細なことでも構わないから気になることがあったら教えてほしいと伝えることで、ギゼル殿下から『頭痛がある』という言葉を引き出すことに成功した私は、オーバー気味のリアクションで、ギゼル殿下への心配を色濃くしていく。
患者の心配のフリをすることは、私にとって、長年偽ってきた表情から、最早、息をするように造作も無いことだ。
「私自身は、ソマリアにウィリアム殿下や皇女殿下が行くということは事前に知りませんでしたが、この1ヶ月ほど、皇宮内では、お二人が留学に行くことで、バタバタしていた様子だったのでしょう?
ギゼル殿下自身は、直接、ソマリアに行く予定がなくて、そこに関わりがあまりなかったとしても、どんな状態でも、環境が変わるというのには、強いストレスや負荷がかかりますから。
ギゼル殿下が、自覚されていないだけで、恐らく、長年の蓄積などからも、気付かないうちに疲れが溜まっていたのだと思いますよ。
……それに、そのっ、テレーゼ様が、あのようなことになってしまわれて、もう6年も経ちますが、やっぱり、当時13歳だったギゼル殿下にとっては、重たい出来事だったでしょうし……っ」
そのあとで、今は、まだ軽い症状かもしれないが、環境が変わってしまったことや、長年の蓄積などから心労が溜まっていることは間違いないだろうという見解を出しながら、心配の色をどこまでも強く強調しつつも、ギゼル様へとかける言葉の中に、ほんの僅かばかり、テレーゼ様のことについても密かに滲ませるようにしながら。
「あの頃の殿下の様子といったら、本当に、強く気丈に振る舞おうとされていて、そのお姿に、私めは、本当に見ていられませんでしたので……」
と、あくまで、幼い頃からずっと、ギゼル殿下を見てきた近しい主治医の関係性として、そっと、その手を握りしめ、その顔色を窺うように見つめれば……。
「……っ、あぁ、母上のことか……。
いや、だけど……、その件について、母上が悪いってのは俺も分かっているし、母上がやったことを思えば、当然のことだったんだって、納得もしてるんだ。
勿論、俺自身、未だに、ちょっと思うところもあるっていうか、どっちかっていうなら、正しいことをしていなかったことが許せなかったりで、もどかしい気持ちがあるにはあるけど。
それでも、バートンが心配してくれているのは嬉しいが、その件には、あまり触れないでくれないか」
と、ギゼル殿下は、私の言葉に、グッと一度息を呑み込んだあと、ほんの少し目を伏せながらも、少しだけ苦い笑みを零し、今の状況には、納得しているという言葉を出しながらも、その件については、あまり触れないで欲しいと願うように此方を見てきたことで、私は、その言葉に……。
『あまり、触れないでほしいというのは、此方としても困ることでしかないんだが……っ』
と、ヤキモキとした思いを感じつつ、ギゼル殿下を籠絡したいという歯痒い気持ちと共に、何とか、唇を噛みしめるのを押さえ込み。
「いや、そうですな……っ、あまりにも、殿下のことが心配すぎて、色々と声をかけてしまいました。
勿論、ギゼル様が、その件について触れられたくないと思うお気持ちについては、このバートンも、充分に理解しているつもりです。
申し訳ありません……っ、いつもそうなのですが、いささか、心配がいきすぎましてなっ。
ですが、このバートンが、いつでも、あなた様の心配をしているということを、どうか忘れないでくだされ。
私は、いつでも、あなた様の味方ですし、殿下が話したい時に、そのことを聞いて受け入れて行きたいなとは、常々、思っているのです。
それに、ストレスや、抱えている悩みを人に話すということは、それだけで、一般的に気分も軽くなるものですし、医療的にも効果のあることだと私は信じていますからな」
と、あくまでも、病を治すための治療案として伝えただけなのだと、ギゼル殿下に寄り添っているようなフリをして、声を出していく。
その言葉に、ギゼル殿下は、一瞬だけ面食らったような様子ではあったものの、殿下自身、真っ直ぐなタイプということもあって、それまで信頼していた人間を、頭ごなしに疑ったりはしないような性格だからか。
私から、純粋な好意の部分だけを受け取った様子で、『あぁ、ありがとうな、バートン』と、へへっ、と苦笑したような、ちょっとだけ嬉しいと思っているような表情を溢していくのが見えた。
……そのことで、あの御方が、ギゼル殿下に目をつけた理由が、本当によく分かるな、と私は内心で思う。
物事の機微を悟るのが上手いウィリアム殿下も、周りから過保護に護られ、更には何か分からない魔女の能力を宿していると思われる皇女様も本当に扱いにくいと思うが、ギゼル殿下にだけは、辛うじて、そこに付けいるような隙がない訳じゃないと判断してのことなのだろう。
『だが、6年前に、あの御方が予想していた状況は、皇女様とギゼル殿下の仲が最悪な状態で進むことを前提にしたものだったから、どこまで、今の、ギゼル殿下が、此方の意見に耳を貸してくるのかは予想も出来ないというのが本当に痛いな……っ』
――勿論、今のあの御方は、現在のギゼル殿下と、皇女殿下の関係性を踏まえた上で、行動や指示を出しているだろうけど、それでも、ギゼル殿下が此方の言うことに耳を貸さない可能性だってあることは、頭の中にいれておいた方がいいはず。
こういう時、私自身は、どうしても、せっかちになりがちだが。
ギゼル様に関しては、あの御方の言う通り、じっくりと籠絡していった方が良いのだろうと……、流石に、幾ら、私でも、それくらいのことは理解出来るし、まだ、まだ、私に与えられた時間は沢山ある。
頭の中で、一通り、そう考えた私は、にこりと表情を取り繕いながら……、そのあと、自分が持ってきていた医療用の鞄を開けてから、幾つかある薬のうちの一つを手にとって……。
「それと、殿下、こちらは、頭痛に効能のある、鎮痛剤となっています。
実は、最近、私共が、研究していた花の根っこから作った薬でしてな。
効果も十分に期待できるかと思いますよっ」
と、ギゼル殿下に続けて、そう言って、その小瓶を殿下へと渡していく。
「あぁ……っ、助かる、バートン、ありがとうな」
私のその処方に、殿下は、明るい笑顔で、此方にお礼を伝えてきたが、私は、そっとその表情を見て、内心でほくそ笑む。
この薬は、あの若造の医者とアルフレッドに負けないよう、私が薬を研究している過程で偶然出来た代物で、確かに、一時、強い鎮痛の効果をもたらすが、6時間ほどの効能で薬が切れると、反動のように頭痛の副作用が出てくるものとなっていて、薬としては、本当に良くないもので、失敗作だったといってもいい。
つまり、今現在、既に頭痛に悩まされている殿下に使えば、鎮痛の効果で一時的に、頭痛は治まったように見えるが、そのあと、更に酷い頭痛が殿下を襲うことになるはずで、これを、飲み続けていたら、殿下は常に慢性的な頭痛に苦しめられ、今以上に弱っていき、否応なしに私のことを、更に頼らざるを得なくなってくるだろうことは間違いない。
勿論、殿下の症状に合わせて幾つかの、あまり良くない副作用が出るような薬などは、今日、この日のために持ってきていたから、どのような症状にも、即座に対応出来るようにしてきたつもりだ。
これも、また、あの御方の計画通りのことであり、徐々に身体的にも弱らせていったところで、元々、テレーゼ様のことなどで、持ち前の正義感から苦悩して、深い影を落としていたギゼル殿下を精神的にもっと追い込んでいき、そこに付けいっていくようにすることが出来れば、私達の計画もほんの少しゆとりが生まれ楽になるはずだ。
陛下にだけは唯一気付かれないようにする必要があるが、今現在、ウィリアム殿下も、皇女様もいないからこそ、出来ることだともいえるだろう。
そうして……。
『まだまだ、計画の第一歩ではあるし、このあとも殿下のことを医者として、きちんと診ているフリをしながら、色々と仕掛けていかなければならないだろう』
と、内心で思いながら、ひとまず、私は、ギゼル殿下に頭痛の話を聞いたことで、それ以外の部分で、他に、その身体に病気の兆候が見られたりだとか、そういったことがないかどうかを診るために、改めて、ギゼル殿下の脈を測ったりする触診などから、始めていくことにした。