531 報告の手紙と、食事会
あれから、私達は、ローラとエリスが待ってくれていた貴賓室まで戻り、図書館で借りてきた本を、ひとまず、私用の自室として宛てがわれた部屋の中のデスクの上に置くことにして、レイアード殿下が、警告のような感じで、私達に、あんなことを伝えてきた以上。
何かはあるんだと思うんだけど、仮に、取り越し苦労だったとしても『念のために、お父様にも、このことを伝えた方が良いだろうな』と、紙とペンとインクを手に取ったあと。
ひとまずは、この部屋の中に、ソマリア側が、私達に用意してくれたお世話係の侍女達がいないことを確認してから、みんなで、夕食までの間、応接室として置かれていたソファーの上に座り、どうして、今日、ここまで帰ってくるのが遅くなってしまったのかということについて、学院で……。
『ソマリアとの外交は、決して、貴方たちにとっても有益なものにならないはずっ。
だからこそ、……、とにかく、後悔する前に、何が何でも帰った方がいい』
と、レイアード殿下から、かけられた言葉に端を発して、もしかしたら、これから、私達に何か良くないことが起きるかもしれないということも含めて、ローラとエリスの二人には、簡単に、事情を説明することにした。
それから、その件で、ソマリアの内情を調査するのに、まだ、そこまできちんとした計画を練ることが出来ている訳ではないけれど。
王城の調査などで、私達が部屋にいない間、人の目を誤魔化したりするような場合が出てきてしまったりする可能性もあることから『もしかしたら、その件で、これから、二人にも協力を仰ぐようなことがあるかもしれないの……っ』ということも伝えれば。
「えぇ、勿論です。
アリス様や、皆様方のお役に立てることがあるのなら、私も微力ながら協力したいですし、遠慮無く仰って頂ければ嬉しいです」
と、声をかけてくれたあと。
ローラが、私達が帰ってくるのを見越して、王城にある厨房から食材を調達してくれて、エリスと一緒に、貴賓室の傍に設置された侍女用の簡易キッチンを使い、オーブンを使わずに作れるお菓子として、砂糖と水飴を煮詰めて、アーモンドや、ドライフルーツなどを入れて、ヌガーを作ってくれたらしく。
テーブルの上に、紅茶の入ったティーポットと共に、人数分の、ヌガーの入ったお皿をことりと置いたあと、ティーカップに紅茶を淹れて、私達のことを気遣うように視線を向けてくれた。
「ですが、まさか、一国の皇子でいらっしゃるレイアード殿下から、突然、そのようなことを言われてしまうだなんて……。
今回の留学は、両国の友好関係を築くためのものとして準備されているもののはずですのに、私が口を挟んで良いことかは分かりませんが、それだけ聞くと、どうしても不穏な気配を感じてしまうといいますか、何だか、変な方向に進んでしまって、少しばかり、雲行きが怪しくなってきてしまったような気がして心配です……」
そのあと、セオドアや、アル、お兄様、それからルーカスさんと一緒に、ローラが淹れてくれた温かい紅茶を堪能しながら、夕食前ということもあって、ローラお手製の、柔らかな口当たりのヌガーを一つだけ口の中に入れて美味しく食べさせてもらうと、ふわりと、アーモンドの香ばしさが、口いっぱいに優しく広がってきたことで、ホッとすることが出来たというか……。
ここまでずっと、ソマリアの人達と会話をしていたり、私自身が、普段は、あまり得意じゃないような人の真意を読み取るということに一生懸命になっていたから、ようやくここに来て緊張の糸が解れて、張り詰めたような感覚から少しばかり開放され。
ローラからかけてもらった言葉に、私自身も『ありがとう、ローラ。……私も、少し心配だし、ちょっとだけ不安かもしれない……っ。そこまで、大きなことにならないといいんだけど』と、頷くことが出来た。
何せ、相手の目的が、どんなものなのか、今の段階では、見当もつかないのだから、どうしても、こんなふうに戸惑ってしまうようなことにもなる。
実際、6年前にも、テレーゼ様の起こした大きな事件で、黒幕が誰だったのかというところで、その犯人を捜していたけれど、あの時は、私自身、その犯人が、テレーゼ様だということは分かっていなかったものの、犯人の目的に関しては『私を貶めたい』という明確な動機があったから、まだ理解も出来ていたと思う。
だけど、今回に至っては、その背景に何があるのか分からない分だけ、言い知れない不気味さがあるというか、不穏な気配だけが、ひたひたと足音を消して近づいてきているような感じがして、心が落ち着かない感じがしてしまう。
それでも……。
「大分、色々な人から話が聞けて、それぞれの関係性とかについても、ちょっとずつだけど整理出来てきたのは良かったよね……?」
と、私がみんなに向かって問いかければ、私の隣に座って、今さっきまで口をつけていた紅茶のティーカップを、かちゃりと、ソーサーに置いてくれたセオドアが『あぁ、そうだな、姫さん』と、こくりと頷きながら、私の方に視線を向けて、返事を返してくれた。
その上で、今日、知り得た情報を精査してくれつつ、色々なことを考えるように、その眉間に、ほんの少しばかり皺を寄せながらも……。
「今のところ、圧倒的に、その動向が気になるのは、ギュスターヴ王だが。
ノエルとレイアードの二人の皇子の後継者問題や、東の離れの棟に関連することで、ダヴェンポート卿があの棟の管理をしているということ、あっちの棟で王妃に出されているのと同じ、豪勢な食事を誰が摂ってんのかっていうことも含めて、気になることだらけだよな。
まぁ、ただ、どちらにせよ、俺たちの周りで、怪しい人間の候補になり得そうなのは、レイアードを除けば、ギュスターヴ王、ノエル、ダヴェンポート卿、ヨハネス外交官、バエルといったところだろうな。
他の人間は、そもそも、あまり関わりがないから、その候補にも入らねぇし……」
と、セオドアが続けてそう言ってくれると……。
「……アリス様っっ!
私も、アリス様のお役に立ちたいですし……っ。
ここに来てから仲良くなった、ソマリアで働く侍女仲間達に、今、セオドアさんが言ってくれていた人達について、何か情報が得られないか、さりげなく情報収集してみましょうか……っ?
アリス様達が、学院に行っている間は、私達も、彼女達と関わる時間が長いですし、色々なことが聞けるかもしれませんっっ!」
と傍に控えるように立ってくれていたエリスが、自分にも出来ることをしたいのだと、明るい口調で、『是非、私にやらせてくださいっ』っと手をあげて、張り切るように名乗り出てくれたことで、私は、困っている時に、ローラも含めて、エリスも、みんながそうやって、率先して協力してくれることが、何よりも有り難くて、本当に心強いなと思う。
それに、セオドアやアルは、いつも何かがあったら、安全に配慮しながら、いの一番に動いてくれるだろうし、お兄様やルーカスさんが、色々と考えてくれている様子なのも凄く頼りになることだから。
私も出来るだけ、みんなの役に立ちながら、頑張っていきたいなと感じて。
「ありがとう、エリス。
……私も、これから色々と、動けたら良いなって思ってるし。
レイアード殿下の動向についても気に掛けつつ、今回の情報収集で、特に、ギュスターヴ王のことや、自分のことについても話してくれそうなノエル殿下に、可能な限り近づいてみるつもりだから、一緒に、頑張ろうね……っ!」
と、この貴賓室に帰ってくるまでに、みんなとも話し合い、なるべく、レイアード殿下の動向についても気に掛けながら、ノエル殿下と距離を縮めていこうという話で落ち着いていたこともあって、私自身も意気込むように明るく声を出せば、この中だと、私が一番、ノエル殿下と話す頻度が高いだろうからと、お兄様やルーカスさんが、ちょっとだけ不安そうな表情をしながらも……。
「……っ、セオドア、アルフレッド、俺たちがいない間のアリスのことを宜しく頼む。
お前達……、というか、アリスが一番、魔法研究科で、ノエルと関わることが多いからな……。
学院で、講師である俺たちが拘束させられてしまう確率は、どうやったって高くなるし。
俺自身、色々と接していて、どういう意味合いで、関心を持っているのかまでは、まだ読めないが、ノエルがアリスに興味を持っているというのは、偽らざる事実だろうからな」
「あー、うん、そうだな。……俺からも、宜しく頼むよ。
出来るなら、本当は、俺もずっと、お姫様の傍についていてあげたいなって思いはあるんだけど、どうしても学院だと離ればなれになっちゃうからね。
っていうか、殿下の言う通り、俺達が、お姫様に、あまり近づかないようにっていう牽制のオーラを出してから、あくまでも、節度を保った距離感で、一応、控えめにはなった様子だったけど……。
ノエル自身、俺から見たら、ずっと、お姫様のことは気にしているような雰囲気があるし、今日だって、オルブライト伯爵が、お姫様のことを褒めたら、凄く興味深そうな瞳で見てたでしょ?」
と、お兄様と、ルーカスさんから心配するような言葉が降ってきたことで、私は、ノエル殿下のことに驚いて目を丸くしてしまった。
――だけど、言われてみれば、確かに、オルブライトさんが私を褒めていたタイミングで、ノエル殿下が凄く興味深そうな視線で私のことを見てきてたなぁと、思い出す。
『でも、ノエル殿下が、私に対して、興味深そうにしていたのは、私が国に有益なことをもたらしている人だと、オルブライトさんが褒めてくれたからだと思うんだけど、違うのかな……っっ?』
……それより、ずっと前から、私のことを気にしているような雰囲気があったなんて、全然気付けなかったかもっ。
「あぁ、勿論だ。
俺自身は、確かに、騎士科にも行かなくちゃならねぇ時もあるが、元々、姫さんの従者ってことで、融通は、一番利きやすいしな。
出来る限り、離れたくねぇってのが本音だし、基本的に、それ以外の時間では、ずっと姫さんの傍にいるつもりだ」
「そうだな……。
僕達も、定期的に、魔法研究科以外のクラスにいかねばならぬが、必ず、どちらかは、アリスに付いていることになるだろうから、ひとまずは、安心してくれたらいい」
そうして、セオドアとアルがそう言ってくれたことで、お兄様やルーカスさんが心配してくれている内容には『私が、魔女だから、特に護衛が必要だと思ってくれている』ことも関係しているのだろうし、私自身、そのことで、改めて、気を引き締めないといけないなぁと、身が引き締まるような思いがしてくるのを感じていた。
――今のところ、ソマリアでは、魔法を使ったりするようなこともなくて大丈夫だけど、誰かに見つかってしまうだけじゃなくて、私が時を司る魔女だということは、絶対に気付かれないようにしなくちゃいけないよね……っ。
セオドアとアルの二人からの言葉に。
「二人ともありがとう。
そう言ってもらえるのは、凄く嬉しいんだけど、でも、私も、二人に守ってもらうだけじゃなくて、しっかりと頑張るねっ」
と意気込むように声を出してから、私は、ここまで持ってきていたインク瓶の蓋を開けて、羽ペンで、お父様に、今回の事情について、レイアード殿下から不穏な言葉を投げかけられてしまったことで、まだ何も起きていないものの、もしかしたら、今後『国際問題』に発展してしまうかもしれない恐れがあるという旨を、みんなを代表して手紙に書いて伝えることにした。
勿論、それが直接、私達に良くないことをもたらしてくるものなのかどうかは、今の段階では、分からないけれど。
手紙の中には、ギュスターヴ王に対する不信感や、二人の皇子の後継者問題、東の離れの棟での王妃様に関することや、何かしらの秘密があるのかもしれないなどといったところについて、今現在、私達が、ソマリアで知り得ている情報を、なるべく詳細に書いていくことで、遠く離れた地にいるお父様にも、出来る限り、ソマリアの内情を分かってもらえるようにしていく。
それから、シュタインベルクにいるお父様に許可を取る時間もなかったため、一応、私達の判断で、ソマリアの人達にはバレないように、今、現在、出来る範囲で、ソマリアへの調査を進めていることについても、書き記していくことにした。
『ひとまず、お父様にもそのことを認識してもらって、これから、また、何か進展があったら、その都度、書いていけば良いよね……っ』
勿論、シュタインベルクにいるお父様に出来ることは限られてくるだろうから、ソマリアにいる私達が積極的に調べたり、動いていかなければいけないけれど。
事情を書いた手紙さえ送っていれば、お父様もそのことを認識してくれていて、離れた距離にいることから、どうしても、そこに、タイムラグは生じてしまうものの、それでも、何かあった時は、迅速に動いてくれる手筈が整えられるはず。
何も知らないのと、ある程度、情報を知っていた時とでは、その対応への初動に、絶対に差が出るだろうから……。
私は、お兄様やみんなとも話し合い、お父様へ伝える内容を精査した上で、テーブルの上に置いた、真白い便せんに、さらさらと、ペンを走らせ、お父様への手紙を書き連ねていく。
この1週間、バタバタとしていたこともあり、ソマリアへ無事に着いたことや、普段の生活がどんなものなのかといった事についても知らせていなかったから、きっと、そういう意味でも心配してくれているだろう。
何せ、お父様ったら、私が、出発の日に、忙しい仕事の合間を縫って、私達を見送ってくれるよう、わざわざ外まで出てくれたあと、皇宮を離れるその前に『体調が悪くなったら、直ぐに誰かに言いなさい』だとか。
『精霊王様もいて、ウィリアムや、セオドア、ルーカスにも任せているから安心だろうが、決して無理はしないように』
とか、そういうふうに、あれこれと、私の身体を案じるように、もの凄く気に掛けてくれていた様子だったから……。
勿論、私だけじゃなく、お父様はウィリアムお兄様のことも心配していた様子だったし、家族のことをいつだって大事に思ってくれているのだということは、私も分かってる。
だからこそ、きっと、元気な頼りが、一番嬉しいとは思うんだけど。
『結局、これまで以上に、心労と心配をかけるようなことになってしまったかも』と思いながらも、書かなければいけないことが多すぎたものの……。
なるべく、忙しいお父様が負担にならないようにと、3枚分の便せんに何とか収めて、封筒に入れたあと、お父様に届くまでは、誰からも開封されることのないように、私は、きちんとした封蝋で封印を施していく。
そのタイミングで、丁度、アルフさんが『皆様、入っても宜しいでしょうか?』と扉をノックしてくれたあと。
「皆様、お待たせ致しました。
学院から帰ってきて、お腹も空いているでしょう?
本日の夕食の準備が整いましたので、是非、食堂にいらしてください」
と声をかけてくれながら、少しだけこの部屋の中に入ってきてくれたところで。
「あ……、アルフさん、丁度良いところに……っ。
この御手紙なんですけど、ソマリアに来たことへの近況を知らせたくて、シュタインベルクにいるお父様に届けたいなと思っているんですが、お願い出来ますか……?」
と、私は、アルフさんに、今書いたお父様宛ての手紙を、渡すことにした。
ソマリアの使用人達は、レイアード殿下の言っていたことには、関わりがなさそうだし。
もしも万が一ということがあったとしても、一国の皇女である私から、君主であるお父様へ届けたいと託した手紙が届かないようなことがあって、何日も連絡が滞ってしまうようなことがあれば、それだけで、国際的な問題にもなってしまうだろうから、この手紙がお父様に届かないということは絶対にないはず。
だからこそ、たとえ、ソマリアの人でも安心して渡すことが出来ると、そういった雑用などの業務に関しても担ってくれているアルフさんにお願いすれば、私の言葉を聞いて、アルフさんが……。
「シュタインベルクの皇帝陛下宛てですね……、?
承知しました。それでは、そのように、手配させて頂きます」
と、私から手紙を受け取ったあとで、それを、自分のジャケットの胸ポケットの中に、丁寧に仕舞ってくれるのが見えた。
その動作に、内心では、大丈夫だと思っていたものの。
『良かった。……この感じだと、きちんと届けてくれそう』
と、ホッと安堵して、胸を撫で下ろしながらも、アルフさんが呼びに来てくれていた理由が、夕食の準備が整ったということだったと直ぐに思い出した私は、みんなと視線を目配せしあって、王城の中にある食堂へと向かうことにした。
その際、私達の方を見て『アリス様、私も情報収集をするつもりですのでお任せください』だとか、『私も、怪しまれないようにしながらも、聞いてみますねっ!』といった感じで、ローラが微笑んでくれて、エリスが、意気込むような明るい表情を向けてくれたことで、本当に頼もしいなと感じながら、私は『二人ともありがとう。凄く助かるから、お願いするね……っ』という視線を向けていく。
というのも、ローラとエリスとは、このタイミングで、一度、別れることになり、二人は、私達が食事をしている間、さっき通ってきた使用人達が集まる共有スペースの控え室の方で、ようやく、晩ご飯のための休憩を取ることが出来るようになっていた。
使用人用の料理は、私達に出されるものよりは、幾分も控えめな、豆のスープや、魚や鶏肉を使った料理、マリネなどといったものらしいんだけど、それでも、ローラもエリスも、『アリス様、ソマリアのお魚は本当に美味しいですね』と、ソマリアで食べることの出来る新鮮な魚料理には、凄く喜んでいた様子だった。
ローラやエリスは、いつも、このタイミングの食事になっているけれど、その他の、お部屋の掃除をしてくれている侍女達や、洗濯をしてくれている侍女達などは、それぞれ、自分の手が空いた隙に、ご飯を食べにくるようになっているみたいで、休憩を取る時間帯も、まちまちだったりするらしく。
ローラもエリスも、お陰で、多くの使用人達と知り合うことが出来て、話したりしているのだと言ってくれていたから、二人とも、そこで、色々な使用人達から、幅広く情報収集をしてくれるつもりなのだと思う。
そうして、貴賓室から、王城の廊下へと出たあとで……。
「今日のご飯は、一体、どのようなものが出されるんだろうな?
シュタインベルクの料理も侮れないが、ソマリアでの料理も、いつも、滅茶苦茶美味いし、楽しみで仕方がないのだが……っ」
と、先ほどまで、ソマリアの内情について真剣に話し合っていたとは思えないような感じで、アルがアルフさんの前だからか、からっと話題を変えるように夕食の話をすれば……。
「……王城で出している料理がお気に召したのなら、本当に良かったです」
と、アルフさんが、それまで以上に丁寧な雰囲気で、返事をしているのが見えて、私はちょっとだけ、そこに違和感を持ってしまった。
普段のアルは、誰にでも気さくな感じで、直ぐに、人との距離感をぐっと詰めて、打ち解けることが出来る人だから、余計に、そう思うのだろうか……っ?
アルフさんって、みんなにも、勿論、丁寧だけど、アルの時は、より丁寧になっているような気がするかも……。
ただ、ほんの少し頭の中をもたげた違和感は、直ぐに、王城の中の見慣れた食堂へと案内されたことで離散した。
どんなに仕事が忙しい様子でも、客人を待たせてはいけないからと、既に、この食堂の中には、出入り口に近い下座から、バエルさん、ヨハネスさん、ダヴェンポート卿、レイアード殿下、そして、ノエル殿下といった順番で揃っていて、私達は窓際奥の上座へと座らせてもらうことになっていた。
ダヴェンポート卿や、ヨハネスさんは家臣の立場ではあるものの、それでも、私達と外交の目的で関わってくれている関係上、食事の席では、いつも、一緒に料理を食べてくれているんだよね。
ヨハネスさんなんかは『皆様が来て下さったお陰で、普段は食べられない王族の食事が食べられて有り難い限りです……っ!』と声をかけてくれていたけれど、きっと、王族と、家臣用の料理でも、普段は、少なからず違いがあったりするものなんだよね……?
だけど、この場に、私達と深く関わってくれている、ソマリアの人達全員が、一緒になってご飯を食べてくれているのなら、あの東の離れの棟で、王妃様と一緒に食事を摂っているのは、ノエル殿下でも、レイアード殿下でもないというのだけは、確かなはず。
『他に、そういった料理が提供されても不思議じゃない人として、該当しそうな人は、第二妃だという、アレクサンドラ様しか思いつかないけれど。
でも、まさか、既に、亡くなっている人が生きている訳でもないだろうし……。
ますます、訳が分からなくなってきてしまうよね? 一体、誰なんだろう……?』
「ソマリアの第一皇子殿下と、第二皇子殿下にご挨拶致します。
皆様、お待たせして、申し訳ありません」
「いや、アリス姫。
全然、待ってないから、遠慮無く座ってくれ」
「えぇ、そうですよ、お気遣いなさらないでください。
寧ろ、私共が、皆様より遅れていたら、それこそ、問題ですからね……っ」
頭の中で色々と考えつつも、表にはおくびにも出さずに、皇女としての礼節を弁えながら私が声をかければ、ノエル殿下と、ダヴェンポート卿が気にしないでほしいという視線を向けてくれたあと。
「ノエル殿下の仰る通りです。お腹も空いているでしょうし、どうぞ、此方へお座りになってください」
と、バエルさんが私達の方を見て、座るのを促してくれたことで、私達は、それぞれ、自分達のために用意されている椅子に腰掛ける。
そのタイミングを見計らったかのように、給仕のための使用人達が、オリーブの旨味とビネガーの酸味が利いているという、タコと海老を使ったサルピコンと呼ばれる海鮮サラダを前菜として運んできてくれると、魚介と野菜の爽やかな香りが漂って、それだけで食欲がそそられてくる。
そうして、目の前に、ことりとお皿が置かれて、テーブルの上が、美味しそうなサラダで華やかに彩られていく間、ちらりと、失礼にならない程度に、レイアード殿下の顔色を窺ってみたけれど。
この場で、明るく、私達の方に笑顔を向けてくれているヨハネスさんや、ダヴェンポート卿、それから、生真面目な雰囲気できっちりとしているバエルさんに、堂々とした雰囲気を見せるノエル殿下と違って、相変わらず、レイアード殿下の、その瞳は、伏し目がちで、彼が何を考えているのかは、今ひとつ読み取ることが出来なかった。
一方で、こちらも、別の意味で凄く気になってしまったんだけど、特にダヴェンポート卿や、ヨハネスさんの話で、あまり評判が良くなかったノエル殿下は、やっぱり私から見ても、ちゃんとした料理のマナーを身につけて、そつなく、色々なことを、こなしているように見えるけど。
一応、臣下の二人は、お客様の前だからということもあるのか、どこまでも普通の態度で接してはいるものの。
レイアード殿下のことも含めて考えた時に、ノエル殿下が、ソマリアの中でも、上座で一番偉い立場の席に座っていることについては、これまでの食事の時にも、あまり、よく思っていなかったんだろうなと、詳しい事情を聞いた今だからこそ、色々と観察することが出来たし。
その証拠に、私がパッと見た限り、あからさまに蔑ろにしていたりする訳ではないんだけど、彼等二人が、ノエル殿下の方を見る回数は、少なめのように思う。
「さぁさっ、みんな、遠慮せずに、夕食を食べてくれ。
美味い食事は、温かい内にってな……っ!」
そのあと、ノエル殿下に促されて、目の前の美味しい食事に手をつけながらも、勿論、私達に出される料理は、いつも豪華なものだから、そこに対して、何かを思うことはないんだけど、王妃様に出されている食事とは、メニューが違うんだなと感じつつ。
ほんの僅かばかり目を細めながら、ダヴェンポート卿が……。
「先ほどは、皆様に、沢山、ご質問頂いていたので、今度はこちらからも、ご質問させて頂きたいと思っています」
といった感じで、ひっきりなしに、こちらに話題を振ってくれ始めたことで、色々と質問をする暇もなく、私達は、それに答えていくような感じになってしまった。
特に、今日のお昼に、ノエル殿下とバエルさんとレイアード殿下は、オルブライト伯爵に会っていたから、その時の話で、色々と知っているのは、勿論、分かるんだけど。
ダヴェンポート卿は、一体、どこで、その話を聞いたのか……。
「私は、ずっと、皇女殿下のことについて、もっと詳しく、お話を、お聞きしたいと思っていましてね。
何でも、シュタインベルク国内では、デザイナーとして若い令嬢達の間で絶大なる支持を受けて、民衆からの評価も高いと窺っていますし、確か、先帝の弟であり、社交界でも未だに、その影響力が健在だと言われている皇女殿下の母方の祖父である大公爵だけではなく……。
国内でも有数の貴族や、宮廷伯などといった方達が支持しているのだと聞きかじりまして。
そういった意味で、少しどころか、かなり興味を抱いています。
一国を担う皇帝陛下を支える家臣達から、特別、支持を得られていらっしゃるということは、それだけ、皇女殿下自体が才能豊かであることの何よりの証しでしょうから」
と、私に向かって、そう問いかけてきたり。
あとは、セオドアや、お兄様、ルーカスさん、そうして、アルの評判まで、一通り知っている様子で、褒めるような言葉をかけてきたり。
シュタインベルクと、ソマリアの政治の違いなんかにも、深い関心を持っているみたいで、お兄様に。
「ウィリアム殿下も、勿論、次期、後継者として優秀な方だと聞き及んでいますし。
シュタインベルクではどうなのか、後学のために、ぜひとも、答えられる範囲で構いませんので、私にも色々と教えて頂けると有り難いです」
といった感じで、聞いてきたり……。
意外にも、さっきは時間がなくて聞けなかっただけで、ダヴェンポート卿も、私達に凄く興味を持ってくれていたのかもしれない。
そんな、ダヴェンポート卿の姿を見て……。
「ダヴェンポート卿、あまりにも、堅い話ばかりに偏ってしまっていますよ……っ!
あぁ、そうだ……っ! そういえば、今度の学院でのイベントに関しては、私達上のもので発案させて頂いたのですが、皆様は、当日、何の食事を作られるか決まりましたか……っ?」
と、続けて、声をかけてくれたのは、ヨハネスさんで、そのあと、私達が答えるよりも先に……。
「うちの魔法研究科は、アクアパッツァを作ることに決まったんだよな。なぁ、アリス姫っ?」
と、ノエル殿下が、私に向かって話を振ってくれたことで、ノエル殿下の言葉に、ふわりと微笑みながら、同意するよう、こくりと頷き返し、セオドアやアルにも、『料理実習も含めて、パーティーが楽しみだね……っ!』という視線を向けた上で。
「そうなんです。
私は、まだ、アクアパッツァ自体を食べたことがないので、今から作って食べるのが楽しみで仕方がなくて……っ。
これから、学院で同じクラスの方達とも、もっと交流の幅を広げていけれたら良いなと感じています」
そうして、今、この瞬間に出した言葉については、偽ることもなく私の本音であり、学院で、魔法研究科で一緒に凄くクラスメイト達とは、もっと交流を深めていかないといけないなと感じながら、親交を深めたいのだと声を出せば、ダヴェンポート卿も、ヨハネスさんも『それは良かった……!』と言いながら、私に視線を向けてくれた。
私自身は、出来ることなら、ノエル殿下ともっと積極的に交流を持ちたかったんだけど、そんな感じで、ダヴェンポート卿やヨハネスさんが積極的に、私達と会話の時間を持とうとしてくれたことで、中々、今日の夕食会ではノエル殿下や、バエルさんとは話し合いの機会を持てず……。
それでも、ここに来るまで、凄く気になっていたことだったから、この食事の席で、ギュスターヴ王のことについても、それとなく、ウィリアムお兄様や、ルーカスさんとも連携を取りながら。
「そういえば、今現在、ギュスターヴ王は、どちらにいらっしゃるのですか……?
ギュスターヴ王は、食事などは……?」
といった感じで、私達は食事をしているけれど、ギュスターヴ王はいつ食事を摂っているのだろうかと、やんわりと聞いてみたんだけど……。
「あぁ、陛下でしたら、今は、ご自分の執務室で仕事をしているはずですよ。
あれでいて、凄くお忙しい方ですからね。……私達以上に、休む暇などないのです。
毎日、政務に励んでおられるので、基本的に、食事も、執務室で、摂っています」
と、ダヴェンポート卿から、ほんの僅かばかり、苦い笑みと共に言葉が返ってきたことで、私も含めてだけど、先ほど、ギュスターヴ王を見ているからこそ『政務で忙しい』という言葉があまり結びつかなくて、お兄様も、ルーカスさんも、セオドアも、アルも、一様に違和感を感じてしまっていたと思う。
それに、何だか、その話になると、誰しもがそっと、『それよりも、私は、もっと、皆様に、お聞きしたいことがあるのですが……』だとか。
『えぇ、そうですね、私ももっと、皆様のお話が聞きたいです』といった感じで、ダヴェンポート卿や、ヨハネスさんを始めとした、ソマリアの人達、全員に共通することなんだけど。
あの船の時のように、ノエル殿下や、バエルさんに至るまで、一人だけじゃなく、みんなで、協力して自然と話を逸らしているようにも思えるというか、ギュスターヴ王の話題は極力避けているような気がして……。
『何て言うか、逆に、凄く気になってしまうかも……』
と、感じてしまった。
その上で、レイアード殿下は、たまに、みんなから話を振られると答えるくらいで、この1週間で、体感的に、ちょっとずつ、目を合わせてくれる頻度が多くなっていたと思うのに、今日は、あんなことがあった手前、私達の方を見ることは出来ないと感じているのか。
いつもよりも、ずっと、目が合う機会も少なくて、私は『また、ちょっと、距離が開いちゃったなぁ……』 と、ちょっとだけ、そのことを残念に思ってしまった。
それと、今回の食事会では、ダヴェンポート卿が私達に頻繁に話を振ってきたことで、ギュスターヴ王のことくらいしか収穫がなくて、それ以上のことに関しては、あまり聞けなかったものの……。
東の離れの棟に関しての疑問について、私自身、第二妃のアレクサンドラ様のことを思い出したこともあって、そういえば、今まで、王妃様のお話については、色々と聞くことが出来たけど、第二妃である、アレクサンドラ様が、どういった人だったのかとか、そういったことも、もっと知っていきたいかもしれないなと感じつつ。
とりあえず、明日からの学院生活に関しては、学院で開催されるというパーティーに向けて、クラスの人達と交流を深めたり、ノエル殿下が顧問をしているというサークル活動にもお邪魔したりすることが中心になってくるだろうなと思いながら、私は、食事の締めとして、デザートで出された、クレームブリュレを美味しく頂くことにした。