529 東の離れの棟に続く渡り廊下の調査
あれから私達は、ヨハネスさんから、なるべく時間差で戻るために、図書館を出る時間をもう少しだけ遅らせるつもりで、みんなで図書館の中を歩いて、本棚に並べられている書物を見て回ったあと。
それぞれに、何冊かの本を借りるようにして、カウンターまで戻り『皆様、お調べになっていた本に関して、良さそうなものは見つかりましたか?』と、礼節を弁えながらも、気さくな雰囲気で声をかけてくれた司書さんの言葉に、同意するように頷いてから。
「はい……っ!
勉強のためにもなるような本が見つかって凄く有意義な時間が過ごせました。
また、来させてもらいますね」
と、返事をして、みんなで一緒に図書館を出ることにした。
扉を開けて廊下に出ると、この辺りは、ダヴェンポート卿が言っていたように、王城の人達が働いている仕事部屋や執務室などがある場所からも、少し離れているということで、人気が全くないというのは勿論のこと。
ダヴェンポート卿もヨハネスさんも仕事に戻ったこともあって、私達以外には誰もおらず、今は、シーンとした静寂に包まれてしまっていた。
「お前達、先ほど、ヨハネスから受けた説明については、どう思う?
僕は、ノエルのことも気になったが、渡り廊下の先にある離れの棟について、ヨハネスが、王妃が療養している場所だと言っていたのには、驚きだったな……」
「あぁ、だけど、明らかに、その件に関しても、故意に情報操作している感じだったろっ?
あの感じだと、王妃が療養している以外に隠しておきたい秘密が他にもあるってことだと俺は思う。
……それに、それ以外だと、宝物庫や、重要なものがあるというようなことを言っていたが、それについても嘘ではねぇんだろうが、カモフラージュ用のために用意された話として、上手く取り繕って話を逸らしたようにしか取れなかったしな」
「うん、そうだよね。……王妃様が療養しているだけなら、私達に伝えてくれれば、それで済んだだろうし、私達に聞かれないと、詳しく答えないという対応にはならなかっただろうから……。
他に、何か、重要な秘密が隠されているのは間違いないんだろうね……っ」
壁掛け用の燭台が幾つも連なって、廊下を明るく照らしていて、細やかなディティールが施された柱や壁を横目で見ながらも、私達は頷きあって、いつ、どこで、誰に見られるかが分からないため、慎重になりながらも、なるべく声の大きさやトーンを控えるように声を潜め、先ほど、ヨハネスさんから聞いた情報について、みんなで精査しつつ、渡り廊下の方まで歩いていく。
今、この瞬間には、私達以外は誰もいないし、誰よりも早く、人の気配を察知することの出来るセオドアが、周囲に人がいないかどうか確かめてくれているとはいっても、万が一ということもあり得る訳で、話している内容が内容なだけに、周りの人達に聞かれてしまうと大問題になってしまうだろうから、どこまでも気を抜けないなと思う。
「うん、そうだよな……。
ダヴェンポート卿との遣り取りで、事前に、王妃様には、ギュスターヴ王以外、誰も会えないって聞けたことは本当に大きかったと思うし、そういう意味では、聞く順番も良かったんだろうけど。
それだけじゃ、まだ、どんな秘密が隠されているのかは、想像のしようもないっていうか、もう少し具体的に何の秘密が隠されているのか、ヒントになるようなことがあれば良いんだけどね。
あと、俺自身は、ノエルのことについて……、小さな時は、礼儀やマナーなどもきちんとしていない子供だったって聞いたことの方が驚きではあったかな」
「あぁ、確かに、今のノエルからは想像がつかないというか。
昔から、ノエルに関しては、とにかく言動が破天荒で、自分のことについては、魔女に関する研究のスペシャリストだと豪語していて、格好も何もかもが派手で奇抜で、機械弄りが趣味だっていう噂は流れてきてはいたが。
だからといって、食事などについて、手づかみで食べていただとか、礼儀がなっていないだとか、そういったことに関しての噂などは、一度も聞いたことがなかったから、この話を聞いて俺も衝撃的だった。
まぁ、もっとも、俺達がよく知る方の噂が流れていたのが6年くらい前のことで、俺と同い年のノエルは、今年で22歳であり、当時は16歳で、成人もしていた訳だから、もうその頃には、しっかりとした教養を身につけていた可能性の方が高いだろう。
醜聞にもなってしまい兼ねないこともあって、幼い頃の悪い噂については、なるべく表に出ないように、家臣達が止めていたという線も考えられるとは思う」
そのあとで、ルーカスさんがノエル殿下の評判について、純粋に驚いた様子で、意外だと思ったということを私達に伝えてくれると。
お兄様が、ノエル殿下の噂に関してと、その背景について、あくまでもこうだったんじゃないかと当時のことを推測しながら、慎重に言葉を出してくれたのが聞こえてきたことで、私は、6年前という言葉に、確かに、それなら違和感がないかもしれないな、と思う。
バエルさんがノエル殿下につき始めたのが10歳の頃のことだったなら、そこから6年間、バエルさんと一緒に過ごしていくうちに、そういった部分を直していったというのも理解も出来るし、これまで、家臣達が悪い噂を止めていたというのも、可能性としては、あり得ない話ではないと思う。
16歳になって成人を迎えたノエル殿下が、幾らきちんとするようになっていたとしても、元来の自由な気質は、今のノエル殿下を見る限りでも、完全に失われている訳ではなく、その性格として残っているのは明らかで、ヨハネスさん達の頭の中に子供の頃に手を焼いていたノエル殿下がいて、そのことに対して良くない感情を持ってしまっていたのなら、中々、それを修正するというのは、難しいことなのかもしれない。
「あ……、でも、私自身は、バエルさんと、ノエル殿下の関係が少し予想外でした……!
勿論、バエルさん自身が、今まで、ノエル殿下に対して眉を吊り上げて厳しく接しているような雰囲気だったことは、船の中などでも目撃していることだったので、ダヴェンポート卿と、ヨハネスさん言葉に、そこまで違和感を感じた訳ではなかったのですが……。
まさか、二人の主従関係に、そういった経緯があっただなんて……」
そうして、私がノエル殿下とバエルさんの間にある関係性と距離感について、みんなに向かって、ほんの少し予想外だったことを伝えると。
「あぁ、そうだよな。
今までにも、バエルがノエルに厳しく接しているような瞬間は確かにあったし、これからも、もしかしたら、そういった部分が、垣間見えることがあるかもしれないな」
と、セオドアが言葉を返してくれたことで、その言葉に、私は同調するように、こくりと頷き返した。
バエルさんがノエル殿下に付くことになった経緯が、凄く複雑だったとはあまり感じられないほどに、今の二人には、そこまでの距離感はないように思うものの。
これまでも……。
『皆様、本当に申し訳ありません。
……ノエル殿下は、このような方なんです。
ノエル殿下に付き合っていると、話が進みませんので、案内に戻らせていただきますね……!』
といった感じで、確かに、船の中だけでなく、バエルさんが、ノエル殿下に対して辛辣とまではいかないけれど、さらっとその言葉を流したりしていた瞬間は見たことがあったから、きっと、そういう場面は、これから、学院生活や、王城での生活を送っていくうちに、より、垣間見えることになるんじゃないかな。
……ひとまず、今日のところは、ダヴェンポート卿やヨハネスさんが、ノエル殿下や、レイアード殿下、バエルさんにどう思っているのかなどについて話を聞くことが出来たから。
今後は、出来ることなら、二人の関係性だけじゃなくて、レイアード殿下も含めた関係性や、ギュスターヴ王と皇子二人の関係性なども積極的に見ていきたいし、ノエル殿下や、レイアード殿下、バエルさんから見た時の、ダヴェンポート卿やヨハネスさんの情報なども知りたいなと感じるけど……。
そうして……。
私達が、今日、ダヴェンポート卿から聞いた話を踏まえて、ヨハネスさんから聞いた話も纏めるように、色々と意見を交わし合いながら、みんなで、王城の廊下を歩き、渡り廊下がある場所まで辿り着くと……。
人の出入りが制限されているということもあって、離れの棟に繋がっている渡り廊下には、当然、誰の姿もなく。
成人した大人2人ほどが横並びで通れるくらいの広さがあり、屋根付きで、手すりのような感じで腰から上の辺りが吹きさらしになっているようなタイプのものではなく、両方に壁があるタイプの細長い長方形のような空間になっていて。
此方側にも、向こう側にも、扉はついていないため、目を凝らしてみると、辛うじて、この渡り廊下の奥にある棟の、豪華な雰囲気の内装などは見渡すことが出来たものの、やっぱり、その中まで、しっかりと見たいとなると、ここからじゃ、どうやっても難しそうで……。
「うーん。
やっぱり、ここからじゃ、あまり見えないよね……?
何とかして、あっちの棟に行ける口実が作れたら良いんだけどなっ……」
「そうだな。
だが、正規のルートで行くなら、正面玄関から入らなければ行けなくて、一目についてしまうことは間違いないだろう。
だからこそ、もしも向こうの棟に行こうとするのなら、渡り廊下から向かうのが、一番、最良だろうな」
「あぁ、だけど、仮に、渡り廊下から、向こうへ渡ったとしても、その瞬間に誰かに遭遇したら、不法侵入者として大問題に発展してしまうだろう上に、俺自身も、一応、人の気配は探れるが……。
直線で、遮蔽物なども見当たらない、この渡り廊下じゃ、隠れられるような場所がなくて、渡っている間、俺たちの身体は無防備な状態に晒されちまうから、ここで見つかってしまうと完全にアウトだろっ?
俺自身も向こうに行けるような方法は考えてみるつもりだが、今の現状では、中々難しいかもしれねぇな」
と、みんなで、あれこれと会話をしながら、何とかして、向こうの棟に向かう方法は無いかと、知恵を出し合いつつも、折角、わざわざ、この場所にやって来たのに『これといって、新たに、目ぼしいと思えるような情報は見つからなくて、空振りに終わっちゃったかも……』と、私は、ほんの少しだけ残念な気持ちに包まれてしまった。
最悪、誰かに見つかった際に、私が魔法で『巻き戻し能力』を使うという手もあるけれど、そのあとの反動のことを考えれば、あまりにも頻発して能力を使うのは厳しくて、私が、みんなのお荷物になってしまう可能性が高まってしまうから、あまり現実的な案ではない気がする。
それから、みんなの意見として、もしも可能なら、アルが魔法を使ってくれたりすることも考えなかった訳でもなくて、その案も出たものの。
「でも、普段の俺等の時間に関しては、学院から帰ってきて、夕食までの間にある限られた時間しか使えないでしょ?
その他の王城での時間については、大抵、俺等の世話をしてくれている使用人達の誰かがいたりもするし。
夕食後にゆっくり出来る時間がない訳じゃないけど、何か要望があれば、いつでもお申し付け下さいって感じで、何人かの使用人達は必ず待機してて、部屋から出れば気付かれるだろうし、あまりにも帰ってくるのが遅いと心配される可能性の方が高い。
だからこそ、アルフレッド君の身体が一つしかなくて、俺たちの使える時間が限られていることを思えば、アルフレッド君の魔法ありきで、みんなで潜入したとしても、アルフレッド君個人に潜入してもらったとしても、学院がある日の潜入に関しては、あまりにも時間が足らなくて難しいと思うけどな。
それに、学院が休みの日なんかも、一応、あるにはあるみたいだけど、そういった日は、国賓として放っておく訳にもいかなくて、俺たちと親交を深めようと、誰かしら、ソマリア側の人間が付くことになるだろうしね。
それでも、潜入しようと思うなら、それなりに、こっちでも準備が必要だったり、俺たちからソマリアの人間を遠ざけるような対策を立てた上で、時間を捻出しないと厳しいと、俺は思う。
っていうか、一応、念のために聞いておきたいんだけど、アルフレッド君はさ、魔法で、自分の身代わりみたいなものを出せたりする……?」
「いや……、僕の土魔法で、外観に関しても精巧に、僕そっくりに似せたゴーレムのようなものを作り出すのは、出来ぬこともないのだが、あまりにも長時間の使用に関しては、難しいと言わざるを得ないだろうな。
それに、東の棟といえども、城の内部の細かな設計図が分からぬし、王城の地図をきちんと把握しておいた上で、どこの部屋に向かうかの目的が定まっていれば、直ぐに調べて帰ってくることも出来るだろうが、一人で、あれだけ大きな建物の内部をあれこれと探索するとなると、どうしても骨が折れる作業になってくるだろう。
一人で行くよりも、お前達と探索することが出来れば、人の手が借りられる分だけ有り難いのだが……」
と、ルーカスさんとアルが、色々な意見を出し合ってくれたことで、アルが魔法を使って、一人で、ソマリアの人達が隠していることを探りに『東の離れ』へと潜入してくれることについては、どうやっても、周りの人達からの目がある以上、アル自身も自由な身ではないから現実的ではないし。
普段の時間が限られているからこそ、私達と一緒に潜入してくれるにしても、『いつ、どうやって行くのか』など、その内容については、よくよく考えなければいけないという話で落ち着くことになった。
……ルーカスさんが言ってくれたように、もしも、向こうの棟に忍び込むのなら、それこそ、しっかりとしたプランのもと、見つかる危険があることを想定して、よっぽど、綿密な計画を立てないといけないだろう。
ただ『まだまだ、初日でのことだから、色々な部分が分からなくても仕方ないだろうし。これから、ソマリアにいる期間のことも考えれば、調査が出来るタイミングも、きっとあるはず』と感じつつ。
しょんぼりと、落ち込むような気持ちから切り替えて、このあと、どうしようかという視線を、みんなへと向けると。
そのタイミングで……。
「……っ、ちょっと待った。
全員、1回、この渡り廊下から離れて、貴賓室に向かうような感じで、歩いてくれ……っ。
一人分の足音が、こっちにやって来る音が聞こえてくる」
と、セオドアが私達の方を見ながら、強ばった瞳と共に、真剣な表情で、図書館の時のように、此方に向かって、誰かが歩いてきているということを素早く知らせてくれたことで、私達は目を見開いたあと、言葉には出さないようにしつつ、アイコンタクトで目配せをしあってから、渡り廊下から離れるようにして、表情を取り繕いながら、貴賓室の方へと歩き始めていく。
とはいっても、セオドアも、お兄様も、ルーカスさんも、みんな、瞬時に取り繕うのが上手いし、この6年間で、アルもそういったことが上手くなっている気がするから、私だけ『何とかして、取り繕わないと……!』と感じて、緊張で表情が強ばってしまっていたかもしれないんだけど……。
それでも、何もしないよりは良いはずだし、私も6年前に比べたら、多少、そういうことも上手くなってきているとは思う……。
そうして、セオドアが気配を察知してくれた誰かは、こちらに向かってきている訳だし、私達は、見つかってしまったときに、きちんと言い訳が出来るように、誰かの足音が聞こえる方に向かって歩いているしで、もうすぐ、バッティングしてしまうのは目に見えていたけれど。
少なくとも、私達が渡り廊下の先にある離れの棟に興味を持っていたことが知られなかったら、それで問題はないはずだから、きっと大丈夫のはず……っ!
それから、ぐんぐんと近づいてくる相手の歩いてくるペースが思っていたよりも早く、私達が渡り廊下から、ちょっとだけ離れたタイミングで、トローリーワゴンを押しながら曲がり角をまがって、此方に向かってきたその人と、丁度、その付近で、鉢合わせをしてしまったことで。
突然、現れた私達に……。
「あぁ、申し訳ありません……!
碌に、前も見ないで、歩いてしまっていまし……っ!!」
――いました。
と、謝罪をするために、ぺこりと頭を下げながら、勢いよく顔を上げたその人は、私達の姿を見て、『どうして、ここに、シュタインベルクの皆様が……?』といった様子で、驚愕に目を見開いて戸惑ってしまっていた様子だったけど、私も『見知ったその人の姿』を見て、驚きに目を見開いてしまった。
「……えっ、バ、バエルさん……っ?」
一瞬の動揺のあと、パッと顔を上げて、そちらへと視線を向ければ、トローリーワゴンに、明らかに、一介の使用人が食べるようなものとは思えないほどの、2人分の豪勢な食事と、紅茶のポットなどが載っているのが見えたことからも、多分だけど、このワゴンに載った食事を何処かに運ぶつもりだったのは、間違いないんだと思う。
私達自身、セオドアのお陰で、誰かが、此方に向かってやってきているということが事前に分かっていたからこそ、ぶつからずに済んだけど、もしもそうじゃなかったら、あわや、大惨事になってしまっていたかもしれない。
とはいっても、セオドアに気配を察知してもらっていなかったら、ここにバエルさんがやって来ることにも気付いていなくて、一番最悪の可能性として、渡り廊下の先にある離れの棟を気に掛けている私達と、それを目撃してしまったバエルさんといった感じで、もっと、大変なことになってしまっていた可能性の方が高いけど……。
「あ……、はい、そうですね、……っと、申し訳ありませんっ。
まさか、シュタインベルクの皆様に、このような場所でお会いするだなんて……!
ウィリアム殿下ならびに、アリス殿下に、ご挨拶いたします。
私自身、このような格好で、手が塞がっておりまして、きちんとした挨拶も直ぐに行えず……っ!
それよりも、この辺りには、皆様に楽しんで頂けるようなものは何もありませんが、一体、どうしてこちらに……?」
そのあと、一瞬だけ慌てたような雰囲気だったものの、直ぐに持ち直すようにして、しっかりとした対応で、此方に丁寧に挨拶をしてくれたバエルさんに、私が『図書館に行ってたんです』と答えるよりも先に。
「俺たちは、さっきまで、この王城の中にある図書館に行かせてもらっていたんだよ。
ほら、俺と殿下は、講師として、学院で生徒達に授業を教えることになってるだろう……っ?
それで、授業の資料になるような本が借りたいんだって話したら、ダヴェンポート卿が案内してくれたんだ」
と、ルーカスさんが、図書館から借りてきた、自分が持っていた小難しそうな哲学に関係する本をちらりとバエルさんに見せながら、表向きの私達の事情について説明してくれたことで、バエルさんもその言葉に納得してくれた様子で。
「あぁ、なるほど、そうだったんですね。
図書館に行ってらしたなら納得です。
……王城の東側に位置する、この辺りは、そこまで特筆するようなものは何もありませんし、貴賓室からも大分離れているため、どうしたのかと思ってしまいました」
と、どこかホッと安堵したように、一瞬だけ、小さな溜め息にも似たような安堵の吐息を零したあと、私達に向かって、声をかけてきた。