524 突然の忠告とソマリアへの疑心
色々な感情が綯い交ぜになったように複雑めいた表情で、光の消えた真っ暗な瞳から、どうしてそんなことを言ったのか深く窺い知ることは叶わずに、その心の奥底で、レイアード殿下が何を考えているのかなども、しっかりと読み取ることが出来ず……。
私は『一体、どういうことなんだろう?』と、殿下からかけられてしまった言葉に、戸惑うことしか出来なかった。
私達がソマリアに来た時から、引っ込み思案な雰囲気ではあったものの、それでも、ただの人見知りというだけではなく、レイアード殿下が、私達の留学について、あまり良く思っていない様子だったのは、感じていたことだったし『レイアード殿下は、私達の留学に反対なんじゃないかな?』と思ってしまう瞬間も、今までにだってなかった訳じゃない。
それでも、ちょっとずつ、レイアード殿下自身が心を開いてくれて、徐々に、友好関係を築くようなことが出来て、私とも普通の会話をしてくれるようになったと思い始めた矢先のことだったから、まさか、レイアード殿下から、今更になって、直球で、そのことについて明確に反対するような言葉をかけられるとも思っていなかった。
それに、私達がソマリアにやって来ているのは『ソマリア側から留学の打診があった』からであって、今回の一件に、国同士の結びつきなどを強くするための政治的な目的や思惑が絡んでいる以上、両国の外交や、友好関係などを考えれば、おいそれと、この話自体を私の勝手な判断で反故にしていい訳もなく、幾ら、レイアード殿下からそんなふうに言われたとしても、この件は、そんなにも簡単な話ではないと言ってもいいだろう。
勿論、学院が長期休暇になった際などには、シュタインベルクに一時帰国するようなことにもなってくるとは思うけど、そういった国同士のことまで含めた上で、簡単に『外交の任務を放り出して国に帰る』だなんて出来ないのだと、何よりも、レイアード殿下自身が分かっていないはずがないと思うのに、それでも、普段、大人しい雰囲気のレイアード殿下が、こうして私達に、忠告だという強い言葉を使ってきてまで……。
『シュタインベルクと、ソマリアの外交のためとはいえ、あなたたちは、その……っ、絶対に、この国には、いない方が良い。
今すぐ、全ての荷物を纏めて、自国に帰るべきだと、思います……っ』
と、言ってきたということは、きっと、そこに意を決して話さなければいけないほどの思いや、理由があるからなんじゃないだろうか?
その理由を知ることが出来れば、恐らくだけど、もっと見えてくるものがあるんじゃないかな……?
だからこそ、一見すると、私達を拒絶しているようにも見えるその姿に眉を寄せ、ほんの僅かばかり、険しい表情を向けてくれながら、あくまでも私のことを守る目的で、私を庇うように前に出てくれたセオドアとアルに『二人とも待って……! もしかしたら、レイアード殿下の言葉には、何かしらの深い理由があるのかもしれない……』と。
二人と、言葉を交わさなくても、視線だけで意思の疎通を図って、二人がレイアード殿下に対して非難めいた視線を向けるのを止めたあと、私は、レイアード殿下の方へとしっかりと向き直り……。
「……っ、あのっ、私達に自国に帰った方が良いとレイアード殿下が仰られる理由は、一体、何なのでしょうか……?
私達自身、一国の代表として、ソマリアに来ている以上、大きな理由がなければ、外交を放り出して帰ることなんて出来ませんし、シュタインベルクとソマリアのことを考えれば、両国共に、交友関係を広げていくのが一番、良いことだと思うのですが……っ」
と、ただ『自国に帰った方が良い』と言うだけじゃなくて、もしも何かしらの懸念点や、心配するようなことがあるのなら、出来る範囲で教えてもらえれば、どうしていくのが一番いいのかを考えて、それに対応することだって出来るかもしれないから、レイアード殿下が、今、不安に感じているようなことも含めて、もっと詳しい事情を教えてもらえたら嬉しいという意味合いを込め、しっかりとその瞳を見つめながら真剣に問いかけてみたものの。
レイアード殿下は、どこまでもまっすぐに、誠実に向き合った私の視線に、『……っっ』と、グッと息を呑み込んで、動揺するように一度だけ大きくその瞳を見開いたあと、言いたいけれど、自分の立場もあっていえないのだと言わんばかりに、『その理由については教えることが出来ない』と、伏し目がちに視線を彷徨わせてから、私の言葉を拒絶するように、そっと目をそらしてしまった。
「……っっ、この件に関しては、これ以上、俺から、詳しく話すようなことは出来ません……っ。
でも、これだけは言っておきます……っ!
ソマリアとの外交は、決して、貴方たちにとっても、有益なものにならないはずっ。
そうして、それは、ソマリアのためにも……、ならないこと、だから……っ。
だからこそ、……、とにかく、後悔する前に、何が何でも帰った方がいい。
そうして、出来ることなら、これから先、俺に対しては、必要以上に話しかけてこないで、ほしい……です」
そうして、そのあと、あまりにも小さな声量で、続けて突っぱねるように言われてしまった言葉から、あからさまに、レイアード殿下自身が何かを知っていて、私達に何かしらの警告をしているのだろうというのは感じられながらも。
レイアード殿下は一方的に、それだけを言ったあと、取り付く島もなく、この話自体が終わったことで、もう話すことなど何もないと言わんばかりに、私達から背を向けて、ダッと逃げるように走りだしてしまって……。
私が『……っ、あ、待ってください、レイアード殿下っ! 今のは一体、どういう意味で……?』と、声をかけたのも虚しく、まるで嵐のように、言いたいことだけ言って立ち去ってしまった殿下に、私は、セオドアとアルと共に、ぽかんと顔を見合わせてしまった。
その態度から、『私達が、シュタインベルクに帰るのを望んでいるのだろう』というのは間違えようもなくて、レイアード殿下自身が複雑な事情を持ち合わせているにも拘わらず、私達に対して、その理由について、きちんと説明することが出来ないのはきっと、その立場があってのことなのだろうと私にも理解することが出来るし。
今の段階では、肝心の、その理由が思いつかないけれど、私達をこの国から追い出そうとしているのが、私達にとっても、ソマリアに住まうレイアード殿下にとっても良いことだというのなら、大国であるソマリアには、私達が思っている以上に、何かしらの大きな秘密が隠されているのかもしれない。
だとしたら、国王陛下であるギュスターヴ王への違和感や、これまで、私達に対して友好的に接してくれていたノエル殿下や、バエルさん、そうして、ダヴェンポート卿や、ヨハネスさんなどといった面々にまで、私達の知らない裏の顔のようなものがあるんだろうか?
それは、ギュスターヴ王に関することや、レイアード殿下、ノエル殿下の出自に関するようなことだったり、もしくは、臣下の人達が、それぞれに抱えているような秘密だったりするのかもしれないけれど……。
今の私達にとっては、どんな理由があって、レイアード殿下が私達を『ソマリアから追い出したい』と思っているのかまでは、深く読み取ることが出来ない。
だからこそ、その人自身の背景や境遇などを、こと細かに調べていくというのは、その人が隠しておきたい過去のことなどを暴いてしまうようで、あまり気が進まないことではあるけれど。
ソマリアという国で、外交などにも影響があって問題になってしまうほど、大きな秘密があるというのなら、一人、一人が、普段、どういったことを考えているのかだとか、そういったことを、しらみつぶしのように、深く探っていく必要があると思う。
「二人とも……、今さっきの、レイアード殿下の話、どう思う……っ?」
それから……。
あっという間に小さくなってしまったレイアード殿下の背中を見送って、お兄様達を迎えに行く道すがら、再び、私と一緒に、並んで歩き始めてくれたセオドアとアルに『さっきのレイアード殿下について、二人の意見が聞きたいな』と問いかけてみれば、怪訝そうな表情を浮かべたままのアルの口から『普通に考えて、レイアードの言っていることは、無茶振り以外の何ものでもない。それは、多分、レイアード自身も、分かっていることだろうな』という言葉が返ってきた。
その上で、さきほどまでのレイアード殿下の言動について、深く考えてくれていた様子のセオドアが口を開き……。
「あぁ、レイアード自身、ある程度、俺たちとは友好関係を築かなきゃいけないって分かっていながらも、ともすれば、自分の立場を悪化させてしまいかねない言葉を伝えてきてまで、この留学の話を根本から覆すかのように、俺たちに自国へ帰れと言ってきたのは、勇気のいることだったはずだ。
それに、さっきの話に関しては、どちらかというのなら、俺たちに問題があるっていうよりも、ソマリア側に問題があるって言っているようにも取れなくはなかったと思う。
ただ、俺たちにとって、この外交が有益にもならないし、ソマリアのためにもならないっていう、最後のレイアードの台詞が、何を指し示すのかは、俺にもまだ、今ひとつよく分かっていないけど」
――少なくとも、完全に俺等に対する悪意しか籠められていない台詞だったかって言われたら、そうじゃない気がする。
と言ってくれたことで、私自身も『そうだよね、私もそう思う』と、セオドアからのその言葉には、直ぐに、こくりと頷いて、同意することが出来た。
シュタインベルクとソマリア自体、物凄く仲が悪い関係性という訳でもないし、今までは、友好国同士の交流で、そんなことをみんなで話し合う必要すら殆どなかったから、気になってはいつつも、必要以上には聞かないようにしていたというか。
これまでの、ギュスターヴ王に関する違和感なども含めて、そういった些細な疑問に関しては、デリケートな国の問題でもあるだろうから、なるべく、そこに対して詮索などはしないようにしつつ。
ソマリアの人達とは、互いの国のために、より親しくなれるように友好関係を築きながら、しっかりとした外交を重ねてきたつもりだったけれど。
レイアード殿下がそう言うのなら、今後、シュタインベルクとソマリアの二カ国の間に亀裂が入ってしまう可能性もあると思うし、そうなる前に根本的に何が問題なのかを、こちらからも探っていった方がいいということだけは確かだろう。
ギュスターヴ王への違和感だけではなく、たとえば、バエルさんの身体にあった打撲痕の謎や、オルブライトさんと話していた時に、シュタインベルクの貴族達から賞賛してもらっているのだという私の話を聞いて、興味深そうな視線を向けてきたノエル殿下とは対照的に、レイアード殿下が、私を見て心配そうな表情を浮かべた理由についてなど。
これまでにも、ソマリアで過ごすにあたって不思議に思うようなことは、幾つもあったから、そういった部分から、より深く一人一人のことを知っていく必要が出てきてしまったのは、間違いないだろうな。
それに、もしかしたら、お兄様や、ルーカスさん、それからセオドアとかなら、私が見えていない、もっと違った視点から違和感を感じた部分があるかもしれない。
たとえば、王子や宰相などといった表向きのソマリアでの立場などではなく、それぞれの関係性や、パワーバランスなどについてもっと確認していけば、その本質や、秘密の部分に関しても見えてくるものがあるかもしれないし、レイアード殿下があんなにも危機迫るような感じで、この国から出ていってほしいと私達に言ってきた事への核心に迫っていけるかもしれない。
そうすることで、レイアード殿下の願いとは反するようなことになってしまうけれど、誰が、どういったことを考えて、私達に接してきているのかは、知っていて、損なんかはしないはず。
『その場合、一人一人のことを詳しく探る必要があるし。
余計な摩擦を避けるためにも、なるべく、レイアード殿下から、こんなことを言われてしまったっていうことは、私達の間だけで共有して、ソマリア側の人達には話さないでいた方が良いよねっ。
もしかしたら、レイアード殿下の意図しないところで、誰かに情報を与えてしまうことで、今以上に複雑な状態になってしまいかねないし……っ』
「2人とも、とりあえず、お兄様達のところに行こうか……っ?
この件に関しては、お兄様とルーカスさんと合流してから、改めて話し合った方が良い気がする」
どちらにせよ、このことについては、私の勝手な判断で動くことは出来ないと感じるし、私達だけで対処出来るような話でもない。
お兄様と、ルーカスさんにも詳しい事情を話して、意見を仰ぐ必要があるだろう。
その上で、どうするべきか決めた方が良い。
私の意見に、セオドアもアルも『あぁ、そうだな。……俺もその方が良いと思う』だとか『うむ、僕も同感だ』といった感じで賛同してくれたこともあり……。
ひとまず、私達は、学院から王城へと帰るために、お兄様達のところに向かうことにしたんだけど、私達が、お兄様達のいる学科へと向かうと、お兄様も、ルーカスさんも、相変わらず、周囲の生徒達から大人気の様子で、思いっきり、囲まれてしまっていた。
『こんなふうに、きゃっきゃと華やぐように賑やかな場所にいると、さっきまで緊迫したような感じのレイアード殿下と話していたことが、まるで嘘みたいな感覚になってきてしまうかも……』
特に、一見すると優しくて物腰が柔らかい雰囲気だから、近づきやすいと思う人が多いのか、ルーカスさんの人気は凄まじく。
私達がお昼に向かった時よりも、更に、パワーアップするかのように、黄色い声がいっぱいで、明確にルーカスさんに近づきたいと言わんばかりの女学生達から『ルーカス先生、こちらの内容について、私、本当に分からなくて困っていますので、もっと詳しく教えてほしいですわっ!』などといった感じで教えを請われ、取り囲まれてしまっていた。
「ああ……っ、お姫様、凄くいいところにっっ! 俺のことを迎えに来てくれたんでしょ?」
そうして、私が声をかけるよりも先に、私の姿を見つけたルーカスさんが、パァァァッと明るくその表情を綻ばせ、ホッと胸を撫で下ろしたように女学生達が作っていた輪の中をくぐり抜けて、私の方へと駆け寄って来ると、自然に、彼女達の突き刺さるような瞳が私に向いて、『羨ましい』と言わんばかりの視線が纏わり付いていく。
流石に、一国の皇女としての立場があることから、直接、私に対して文句を言ってくる人などはいないけれど、彼女達の視線からはありありと『出来ることなら、その場所、変わってほしいですわ……っ!』というような感情が乗っかっていて、まるで、針のむしろのような状態になってしまう。
だからこそ、『ルーカスさんって、本当に、国内外を問わず、どこでもモテるんだなぁ……っ』と、私は、私の傍まで近寄ってきてくれたルーカスさんのことを、改めて、マジマジと見つめてしまった。
そんな私を見て『お姫様、今、何を考えてるのか当ててあげよっか? 俺のこと、モテてるなぁとか思ってるでしょ? ……全部、顔に出ちゃってるよ?』と言い当てられた上で。
「……っていうか、俺が真剣に想っている子じゃなくて、他の人間に、モテても仕方がないんだけど……っ」
と、続けて、誰かに聞かせるための言葉でもなかったのか、溜め息と共に、ぽつりと吐き出された言葉が、あまりにも小さかったため、何て言ったのか分からずに戸惑ってしまっていたら、ルーカスさんが周りにいる女の子達に向かって……。
「勉強したいっていう意欲があるのは凄く良いことだし、講師としては色々と教えてあげたいんだけど、俺自身、外交の目的もあって、色々とやらなくちゃいけないことも多いから、今日の質問に対する受け答えについては、ここまでにしよう。
もしも、それでも分からないことがあるなら、俺ばっかりじゃなくて、日頃から、みんなに勉強を教えてくれている教授に話を聞きにいけば、しっかりと答えてくれると思うよ。
俺も、教授と話していて勉強になることがいっぱいあるしねっ」
と、やんわりと『もしも勉強がしたいなら、俺だけじゃなくて、元々、物理学の勉強を教えていた講師がいるんだから、そっちに話を聞きにいくといいよ』ということを、嫌味のない晴れやかな笑顔で優しく伝えつつ、爽やかな声を出して、彼女達のことをさらりとしたスマートな身のこなしで捌きながら、ルーカスさんが私達に合流してくれると。
そのあと、ルーカスさんと同様に、女学生達から遠巻きに見られたり、囲まれていたりしていたお兄様とも合流することが出来て、私は、人気のない廊下を敢えて通りながら、お兄様達に先ほどまでの事情を説明しつつ、馬車に向かって歩いていく。
こういう時、セオドアやアルだけでも凄く頼もしく感じるけれど、そこに、ルーカスさんや、お兄様まで加わってくれると、多くを語らずとも、今後、どうして行くべきかという議論や、意見交換などについてもスムーズに交わし合うことが出来て、本当に心強い。
早速、今日、王城に帰ったら、ダヴェンポート卿やヨハネスさんにも初日の学院生活がどうだったのか報告をしに行かなければならない予定になっていたし、レイアード殿下から色々なことを聞いたということは伏せつつも、さりげなく、ノエル殿下や、レイアード殿下、バエルさんのことなどについても詳しく聞きつつ、ギュスターヴ王のことや、これまでに、私が感じた違和感の部分などについて、その反応を窺うことで、二人の様子についても探ってみたり。
私達の世話係としてついてくれているアルフさんや、他の使用人達からも、本人には聞けない情報だからこそ、ダヴェンポート卿や、ヨハネスさんのことなども含めて、ノエル殿下達のことについても聞いて、ソマリアの内情に関しての様々な情報を集めつつ。
この一週間、学院に通う準備などでパタパタと忙しく、王城の中でも、いつもは貴賓室と、食堂くらいにしか行かせてもらったことがなかったけれど、この機会に、折角だから、色々な部屋を見てみたいという名目などで、許可がもらえれば、王城の中を少し散策させてもらったり。
王城の人達からだけではなく、学院内でも、ノエル殿下や、レイアード殿下がどういうふうに過ごしているのかなどについては、他の生徒達からも詳しい話を聞けたりもするだろうから、そういった方面からも、ちょっとずつで良いから情報を集めていこうという話で、ひとまずは落ち着いて、私達は、馬車に乗り込んだあと、ダヴェンポート卿や、ヨハネスさんが待っている王城へと帰ることにした。