523 学院で開催されるパーティーの取り決め
あれから、騎士団で、セオドアが複数の騎士達を相手に危なげのない試合として対人戦を行い、格好良く、勝利を収めたあと。
ライナスさんや騎士科の生徒達だけではなく、午後の授業のために、それぞれ物理学科のクラスへと戻ったルーカスさんと、経済学科のクラスに戻ったお兄様とも別れ、セオドアとアルと一緒に、午後の授業をしに魔法研究科まで戻ってきた私は、真剣な面持ちで、椅子に座って、ノエル殿下が話してくれる授業の内容を聞きつつ。
一番最初に、このクラスに来た時、私の隣の席に座って挨拶をしてくれた『フェルスティーブ家のステファン』や、他のクラスメイト達とも徐々に打ち解けながら、交流を深めていき、あっという間とも思えるくらいの時間が過ぎていってしまったことで、残すところ、あとは、ホームルームの時間を過ごすのみとなっていた。
因みに、ステファンのことは、これまでずっと、ステファンさんと呼んでいたんだけど、彼のたっての希望で『やっぱり、一国の皇女様に、さん付けで呼ばれるのは、僕自身、あまりにも申し訳なく感じてしまうので、出来れば、呼び捨てにしてもらえると嬉しいです』と、言われたこともあり、午後からは、なるべく敬称をつけずに名前で呼ぶようにしたのもあって、そのことで、午前中よりもずっと距離感を縮められることが出来たと思う。
初日だからこそ、まだまだ他のクラスメイト達とも距離はあるものの、それでも私が最初の挨拶で。
『私自身、シュタインベルクの皇族ではありますが、この学院に生徒として通わせてもらう以上、学院内では皆様と同じで、色々なことを学ぶ立場にあると思っています。
ですので、皆様も、どうか私に対しては、一国の皇女としてではなく、同じ生徒同士として、遠慮なく接して頂けると嬉しいです』
と言ったことから、みんな、最初は、恐る恐るといった様子だったけれど、私自身が普段通りに接していると、良い意味で、あまり皇女らしくないとビックリされてしまって『皇女様が接しやすい方で、本当に良かったです』と安堵されつつ、気付けば、フレンドリーな様子で、沢山、話しかけてくれるようになっていた。
それに、黙っていると何を考えているのか分からないほどに謎めいた美少年にしか見えないんだけど、アルは元々、凄くフレンドリーな感じで、誰とでも直ぐに仲良くなれる人だし。
セオドアも、ノエル殿下や、レイアード殿下に対しては、色々と思うこともあるみたいなんだけど、このクラスには、特に私の敵になるような人はいないと感じてくれているみたいで、基本的には、アルに対して気安い雰囲気で接する時以外は、私にしか微笑んだり柔らかな表情を見せたりしないものの。
それでも、魔法研究科で過ごしている時は、凄く穏やかな雰囲気でいてくれるから、みんな、護衛騎士として纏っているオーラから、セオドアと直接話すということには緊張しつつも、私達に対して近づきやすいとは思ってくれているみたいだった。
特に、彼等自身、魔法研究科で魔女のことを習っていることもあってか、私が紅色の髪の毛を持っていたとしても、そこに強く反応するようなこともなくて、普通に接してくれて、本当にいい人達だなぁと思う。
それから『ホームルーム』という単語に、私自身は全く聞き覚えがなくて、あまりピンと来なかったものの、この時間は、普通の授業とは違い、その日一日の授業が全て終わったあとに、10分程度の時間を使って、大体は、次の日の授業に関連したお知らせなどが伝えられることが多いみたいなんだけど、今日は、それだけではなかったみたいで。
「みんな、聞いてくれっ!
今度、学院で主催されるイベント事について、今後のことを決めるためにも、この時間を使って話し合う必要があってな。
俺は、一度、執務室に戻って、そのための書類を取ってくるから、みんなは、どこにも行かず、暫くの間、この講義室に残っておいてくれ」
と、最後の授業を終えた、ノエル殿下にそう言われたことで、『今度、学院で主催されるというイベント事』について、みんな、強い関心を持っている様子で、思い思いに口を開いて話し合い、さっきまで授業を聞くために静まりかえっていたこの講義室の中が、途端に、がやがやと騒がしくなっていくのが聞こえてきた。
そのことに『学院で主催される行事って何だろう……?』と、ほんの僅かばかり置いてけぼりにされたような気持ちになりながらも、私自身、ここにくるまで全く何も聞いてもいない話だったため、アルとセオドアと一緒に、何のことか分からずに首を傾げるしか出来なかったんだけど……。
私のそんな思いは、午前中の休憩時間の時に『皇女様、私は、パトリシアと申します! もしも、この学院生活でお困りのことがありましたら、何でも聞いて下さいませっ!』と明るく朗らかな雰囲気で声をかけてくれて、お互いに直ぐに名前呼びをして、仲良くなることが出来たパトリシアに。
「アリス様……っ、アリス様は、今度の学院で行われるイベントについて、ノエル殿下から何か、お話を聞いていらっしゃいますかっ?」
と問いかけられたことで、『ううん……っ、それが、私自身、何のお話かも、きちんと聞いていないから、今ひとつよく分かってなくて。……もし良かったら、教えてもらえるかな?』と、申し訳なさでいっぱいの表情をして、今ひとつ、何の事だかよく分かっていなくて、みんなの話についていけないのだと正直に答えると、私達の話を聞いてくれていたステファンが、横から『皇女様は、この学院に来たばかりなのですから、分からなくて、当然です』と声をかけてくれたあと。
「実は、今度、学院でパーティーが開催されるみたいなんです……!
ちょっと前から、この学院で、差別や偏見をなくして、様々な人種がいる国として多様性を認めるために開催する予定になっているんだって、淑女科のスヴァナ先生が、他の講師の先生と話しているのを聞いた人がいたみたいで、学院生達の間では、既に、噂になってて……!
この学院で、パーティーが開かれることはたまにあるんですが、差別や偏見をなくして、様々な人種がいる国として多様性を認めるために開催されるというのが、今ひとつよく分からないから、どんなパーティーになるんだろうって、僕も含めて、みんな、もの凄く気になっていたんですよ……!」
と、教えてくれて、私の疑問は直ぐに氷解した。
『そういえば、さっき、騎士科にやってきたスヴァナさんが、ライナスさんに向かって、そんな話をしかけていたかもしれない』
――結局、その話は、ライナスさんが、まだ騎士科の生徒達に話してもいないと言っていたことで、それなら仕方がないから、また聞きに来ると、別の日に持ち越されることになったみたいだけど……。
でも、宰相であるダヴェンポート卿や、外交官のヨハネスさんなどといった人達も、ソマリアという異国の地で私達が赤を身につけることについて『シュタインベルク側で用意して頂けた衣装に赤が入っていることは、今後のソマリアのためにも、大変、有り難いことだと感じます……っ! 今後、シュタインベルクのように、そういった先進的な目線に立った政治を行うことが、より我が国を発展させることになるでしょう』といった感じで褒めてくれていたし。
もしかしたら、今回のパーティーは、ダヴェンポート卿か、ヨハネスさん、もしくは、ギュスターヴ王や、ノエル殿下などのアイディアだったりするんだろうか?
流石に、レイアード殿下と、バエルさんが提案したアイディア……、っていう感じは、あまりしないよね……っ?
私が頭の中でそう思っていると、ガラガラとスライド式の扉を開けて、再び、この講義室へと戻ってきてくれたノエル殿下が、一番前の教壇に立って、手に、日程表のような用紙を持ったまま『静かに』と声をかけてから、椅子に座っている私達の方を見つめ……。
「あー……、ちらほらと、そういった話も聞こえてきて、最早、みんなにもバレてしまっているかとは思うんだが、今度、学院内でパーティが開かれることになった。
今回のパーティーでは、わざわざこの学院に、シュタインベルクから皇族の方達が来てくれていたり。
ノクスの民として、スヴァナ先生やライナス先生、それからセオドアなどがいるだけでなく、その他の講師達に関しても、他国から優秀な学者先生を引き抜いていたりで、これまでにないと言っていいくらい、今年度の学院には多種多様な人材が集まっていることもあって、シュタインベルクから皇族の方達が来てくれたことへの歓迎会の意味を込めつつ。
その多様性を認めるためにも、差別や偏見を無くし、みんなの仲が深まればという思いで、パーティーが開催されることになった訳だが。
この、パーティーでは、更に交流を深めるために、それぞれの科が事前に作った伝統料理を持ち寄って参加することになっているから、今日は、その料理について、どんなものを作るのか決めたいと思う」
と、私達に対して、今度、学院内で開催されるというパーティーについて、ステファン以上に詳細に教えてくれながら、各クラスで、伝統料理を作って、それを持ち寄って参加するイベントになっているのだということを丁寧に説明してくれたことで、私の頭の中にも、腑に落ちるように、ストンと、その内容が入ってきた。
私自身、パーティーに参列すること自体はよくあることだけど、それでも何かを自分達の手で作り出した上でパーティーに参加するというのは初めてのことで、ちょっとだけワクワクしてしまうかもっ。
ノエル殿下がいうには、『伝統料理』なら何を作ってもいいらしく、クラス毎に何を作るのかを決めて、午前中に、学院にある厨房を借りて料理を作ることで、午後からのパーティーに間に合わせる予定になっているのだとか。
ソマリアの料理は、どれも凄く美味しくて、味付けや見た目に関しても、いつも驚いてしまうくらい、初めて食べるようなものも多く、そういう意味でも異国の文化を知るのにもってこいのイベントで……。
他の科の人達が作って持ち寄ってくれた料理を食べることで交流も広がっていくだろうから、凄く素敵なアイディアだと思うし、パーティーで色々な料理が食べられるのは、私にとっても楽しみなことかもしれない。
更にいうなら、料理を作る課程で、このクラスにいる生徒達とも、より仲良く打ち解けながら、絆も深めていけるだろうから、この学院に留学してきたばかりの私達にとっては、凄く有り難い行事であることに代わりが無いだろう。
それに、差別や偏見をなくして、様々な人種がいる国として多様性を認めたいのだというような趣旨に関しても『もの凄く賛同出来るなぁ』と思えるから……。
「うわぁぁっ、マジかよっ!
俺、料理なんて作ったことがないんだけど、大丈夫かな……っ?」
「……っ、私も、初めて、作りますわ……っ!
美味しくないものが出来上がってしまったら、どうしましょうっ!?
というか、足を引っ張る自信すらありますわ……!」
問題は、みんな、貴族の出身だからこそ、このクラスにいる殆どの人が初心者で、料理作りなんてやったことがないという人達の集まりになってしまっていることだろうか……。
ノエル殿下の言葉に、思わずといった様子で、みんなが、ざわりと響めきたったのも分からなくもないなと思ってしまう。
ノエル殿下の言葉を総合的に纏めると、自分達も含め、パーティー用として、普段から舌の肥えた貴族の人達に出さなければいけないほど、ちゃんとした料理を作らなければいけないみたいだし、慣れない料理作りというイベントに、不安な気持ちの方が先に立ってしまったのだと思う。
だからこそ、私自身も、そのことに、ちょっとだけ不安を感じてしまっていると。
「そのことなんだが、この学院で料理の出来る講師が、各科に必ず一人はつくようになっているから、それに関しては問題ないって言うか、安心してほしい。
うちの科には、淑女科のダンス講師である、スヴァナ先生が来てくれる予定になっている。
みんなは不安かもしれないが、これも良い機会だから、積極的に料理作りに取り組んでいってくれ」
と、続けて、ノエル殿下からそう言ってもらえたことで、戸惑いつつも、料理が出来る講師が一人ついてくれるのなら安心かもしれないというホッと安堵するような雰囲気が、徐々に、このクラス全体に広がっていく。
『踊り子で、この学院では、ダンスの先生をしているって聞いていたけれど、スヴァナさんって、料理も出来る人なんだな……』
そう考えると、本当に色々と多彩な人だと思うし、料理を教えてもらえることが出来るのなら、しっかりと吸収していきたいなと感じて、私自身も料理作りに関しても、この機会に完璧にマスターすることが出来れば嬉しいな、と個人的に張り切っていたら……。
「んじゃぁ、まぁ、ソマリアでも有名な伝統料理に関しては幾つもあるし。
みんなが何を作りたいかは、話し合って決めるようにしてくれ」
と、ノエル殿下に話し合いで決めてほしいと言われたことで、みんなが一様に頭を悩ませ始めたのが見てとれて、流石に、シュタインベルクの料理については、スヴァナさんも作れないだろうから、シュタインベルクの料理を推薦する訳にもいかなくて、主に、みんなが意見を出して話し合っているのを聞くだけの人になっていたんだけど。
逆に、みんなが選んでくれる、ソマリアの伝統料理を自分達の手で作って食べることが出来るのを、楽しみに思いながらも『一品しか作れないんですよね。だとしたら、やっぱり、ソマリアといえば魚介類が入った料理が有名ですし、魚介を香味野菜で煮込んだブイヤベースや、魚介のトマト煮であるサガナキはどうでしょうか?』だとか、『一品料理なら、なおのこと、私は、見た目にも鮮やかなパエリアとか、アクアパッツァとかの方が良いと思います!』といった感じで、みんなから次々と意見が出てくる、そのたびに。
『ブイヤベース』や、『サガナキ』など、今まで、ソマリアに来てから、食べることが出来ていた料理の他に、『パエリア』や『アクアパッツァ』など、一度も食べたことがない料理名を耳にしたことで、私は、その二つに関して、一体、どんな料理なんだろうと凄く気になってしまった。
特に、アクアパッツァに関しては、初めてソマリアに来た日に『野菜や貝なんかと一緒に、強火で煮るアクアパッツァっていう料理が伝統的な料理だったはず』と、セオドアから絶品料理の一つとして軽く説明してもらっていたことで、美味しいという情報だけが頭の中に残っていて、私自身、食べたことがないからこそ余計に気になってしまう。
そうして、よくよく、みんなが議論をしているのを聞いていると、折角作るのなら、ある程度、お腹にもしっかりとたまる料理として、見た目にも華やかだから、その二つのメニューのどちらかが良いんじゃないかという意見が多くて、みんなの人気は、パエリアか、アクアパッツァに集中しているみたいだった。
そのあと、結局、どちらにするかは、多数決をとって決めることになったんだけど。
「ねぇ、ねぇ、セオドア。
この間、アクアパッツァは食べたことがあるって教えてくれたけど、セオドアは、パエリアは、食べたことがあったりする……っ?」
と、私自身、どちらの料理に関しても、あまり食べたことがないものだからこそ、今ひとつ、ピンと来なくて、一時期、ソマリアにいたことがある、セオドアに、こそっと問いかけてみれば。
「あぁ、そうだな、一応、食ったことがあるけど、パエリアは、独特な風味がある米料理だったな。
そっちも、魚介類がこれでもかってくらい使われている料理だったし、魚介の旨味が凄く出てて、好きな奴はとことん好きだと思う。
俺は、どっちかっていうなら、オリーブオイルやにんにくの風味が利いたアクアパッツァの方が好きだったけど、パエリアも、滅茶苦茶美味かったから、どっちにするかは、好みだと思う。
っていっても、姫さんは、想像でしか判断出来ないから、多分、滅茶苦茶、悩むよな……?」
という答えが返ってきたことで、私は、セオドアが教えてくれる料理の説明があまりにも上手すぎて、『うんっ、本当に、どっちも美味しそうで、悩んじゃう……っ!』と、声を出しながらも、パエリアの方も気になったものの、どちらにしようか、もの凄く悩みに悩んだあげく、多数決では、アクアパッツァの方に手を挙げることにした。
その結果『うむ、アリスと同じく、悩ましすぎて、中々決められないから、アリスが、アクアパッツァにするなら、僕もそれにしよう』と言ってくれたアルの投票分も合わせて、私とアルとセオドアの投票分の差くらいで、そっちの方が良いと手を挙げる人が、僅差でパエリア派の人達を上回り、私達『魔法研究科』は、パーティー当日に、アクアパッツァを作ることが正式に決定した。
そうして、あっという間に、学院生活初日の、一日目の授業は、これで、終わりを迎えたんだけど……。
これから……、このまま自宅に帰宅をするという人も、中にはいるものの。
学院では、授業が終わったあとに、色々な講義室や学院の重要な部屋などを開放していることで、学科の違う人達が沢山集まり『サークル』と呼ばれる活動に自主的に入って、趣味の分野に関して、より深く勉強をしたり、学院にある実験室を使って研究を重ねたりする人達も多くいるみたいで、私が今日、この学院で仲良くなったパトリシアは、魔法研究科とは別で、ノエル殿下が顧問を務めるという『機械工学部』というものに所属しているみたい。
因みに、ステファンからは『僕は、昔から、幽霊とか怪奇現象などを探るのが好きなので、オカルト研究部に所属しています! 部員が少ないので、皇女様も、もしご興味がおありでしたら是非っ!』と、ものすごく謎めいたサークルに所属していることを教えられながらも、部員数が少ないから、興味があれば、是非来てほしいのだと思いっきり勧誘されてしまった。
そうして、私達が、キラキラと瞳を輝かせたステファンから、ぐいぐいと熱烈な勧誘を受けてしまっていると……。
「おいおい、ステファンっっ! 無理な勧誘はあまり良くないぞっっ!
まぁ、かくいう俺も、出来るならアリス姫と、もっと親交を深めたいと思っているし、アルフレッドやセオドアに関しても、一人でも多く、部員数が少ない機械工学部に来てくれたら良いのになっていう思いもあるが。
シュタインベルクからやって来てくれたみんなは、好きな時に、好きなサークルを見て回ることが出来る特別枠だからな。
何もせずに王城に帰るのもありだし、興味があったら、その時は、自由にサークルを覗いてみてやってくれ……!」
と、ノエル殿下が、やんわりとステファンの勧誘を窘めてくれつつも、私達に向かって声をかけてくれたことで、ノエル殿下が明確に、私ともっと親交を深めたいと発言したことで、セオドアが、私のことを思ってくれて、ほんの僅かばかりそのことに眉を寄せたのが見えたけれど。
私達は好きな時に好きなサークルを見て回ることが出来る特別枠として『ある程度、自由が認められているんだな……』と、その配慮を、どこまでも有り難いなと感じながらも……。
今日は、まだまだ初日のことだし、初めての学院生活だったからこそ、王城に戻ったら、ダヴェンポートさんや、ヨハネスさんなどにも、初日の学院生活がどうだったのか報告をしなければいけない必要などもあって、お兄様やルーカスさんとの兼ね合いもあることから、二人のもとへ行った上で、サークル見学は出来る時にすることにして、ひとまず王城に帰ろうかという話で落ち着いて……。
パトリシアや、ステファンとも『また明日……っ』と、別れの挨拶を済ませたあと。
私達が、人の少なくなった講義室で、今日の授業で、いっぱいメモを取った用紙の束を纏めて、帰る準備をしながら、お兄様達の元へと向かうために、人の気配がない廊下へと出て、暫く歩き、丁度、階段を降りるために、角になっているところを曲がりかけたタイミングで……。
「わわっ……っ、」
と、誰かの影が見えて、ぶつかりかけたと思ったら、その人にぶつかる前に『姫さん、危ないっ』とセオドアが私の腕を引っ張ってくれたお陰で、私自身は、特に、ぶつかるようなこともなく、事なきを得たんだけど……。
「あ……っ、あの、ごめんなさい。……大丈夫でしたかっっ?」
と、謝るように声をかければ、目の前の人が、ビクリと肩を震わせ、どこまでも気を張った様子で、グッと息を呑み、一気に、ぶわっと緊張感を漂わせたのが見てとれた。
決して、こちらの不注意を責めるようなものでは、なかったけれど……。
その、両の眼からは、光が消え、どこか困っているような、それでいて、自分の気持ちを抑え込みながら苦しんでいるような、何とも形容し難い負の感情が乗っていて、その姿を見て、見知った人だったことに気付いた私は思わず『あ……っ、レイアード殿下……?』と、その名前を呼んだあと。
セオドアに助けてもらえて、私が、レイアード殿下にぶつからなかったということは、レイアード殿下自身も無事だったのだとは思うんだけど、もしかして、突然、私がやって来たことで、ぶつかる前に避けようとしたことで、どこかに怪我でもしてしまったんじゃないかと、心配になって『もしかして、私の所為で、どこか、怪我とかしてしまいましたか……っ?』と、あわあわしながら声をかけると。
私の言葉を否定するように、ブンブンと首を何度か横に振ったあと、レイアード殿下は、ほんの少しの沈黙のあとで……、いつになく、キリッとしたように、意を決した表情を浮かべ『お、俺っっ……、あなたのことを、待ってたんです……っ!』と、私に向かって、そう言ってから、きょとんと首を傾げた私に、暗く、どこまでも険しい表情で……。
「……忠告します……っ。
シュタインベルクと、ソマリアの外交のためとはいえ、あなたたちは、その……っ、絶対に、この国には、いない方が良い。
今すぐ、全ての荷物を纏めて、自国に帰るべきだと、思います……っ」
と、私達に向かって声をかけてきた。