520 騎士としての対人戦と、無自覚な恋の戦い
そのあと、ライナスさんだけじゃなくて、スヴァナさんに対しても、お兄様達のきちんとした挨拶がまだだったことから、全員で軽く自己紹介を済ませたあと。
身体を鍛えるために走り込みに行っていた騎士科の生徒達が、早い人達から、ぽつぽつと戻ってくるのが見えたことで、ライナスさんが『帰ってきた奴から、また訓練場に整列して並び直すように』と、テキパキと指示を出してくれつつも、この広い訓練場を見渡したあとで。
『折角、ここまで来たんだし、騎士科の方には、たまにしか通えないんだろう? だったら、騎士科の生徒達にお前のことを紹介するだけじゃなくて、練習として対人戦を行ってみないか』と、セオドアに向かって提案してきてくれた。
「本来なら、久しぶりの再会に、俺が相手になりたいっていうのが本音なんだが、ここが学院である以上は、生徒達にも、しっかりとした経験を積ませてやりたいと思ってるんだ。
まぁ、お前相手に、騎士科の訓練生達では、一対一じゃ、歯も立たないだろうけどな」
その上で、騎士としての隊服越しからも分かるくらいに鍛えられて引き締まっているセオドアの身体を、マジマジと見つめてきたライナスさんが。
「シュタインベルクでも、日頃から複数人を相手取っての対人戦をお前がしていたっていう理由が、俺にも、本当によく分かる。
その身体、俺等が最後に会った時よりも更に鍛えているだろ……っ!」
と、ほんの僅かばかり、眉間に皺を寄せ、ぐぬぬっといった悔しそうな表情で、セオドアの方を見てきたこともあり、私は『ノクスの民の人達って、みんな、身体をしっかりと鍛えていて、結構、戦闘狂の感じの人が多いのかな?』と思ってしまった。
一見すると、ライナスさんの方が、筋肉がムキムキという感じではあるものの、そこは騎士科の講師を務めているだけあって、目の付け所が違うというか……。
セオドアの身体は、本当にバランスが良くて無駄な筋肉もなく、体幹が整えられ、しっかりと鍛えられた上で引き締まっているのだと、私もシュタインベルクの騎士団に行くようになってから、他の騎士達が羨ましそうにしているのをみて知ったんだよね。
セオドア曰く、普段からバランスをみて、どこかの部分だけに偏ったトレニーグ方法を行わないようにしているとのことだったけど、簡単に言っているように見えて、その感覚というのは、目に見える訳でもなく、完全に自分の感覚でしかないといっていいだろうし、中々、そのバランスを保つのは難しいと思う。
セオドアから、普段、どういった内容のトレーニングをしているのかを聞いた騎士達の顔が真っ青になっていたところをみると、きっと、普通の人が行えるような鍛錬なんかじゃないんだろうな……。
「けど、シュタインベルクとソマリアじゃ、基本的に教えている剣の型などにも細かい違いがあるからな。
シュタインベルクで、たとえ、複数人を相手取っての対人戦をしていたとしても、ソマリア人の癖や動きなどから学ぶべきものは多いと思うし、シュタインベルクでもそうだったなら、こっちでも、複数人の騎士達を相手に、留学生としてしごいてやってくれ。
もっとも、実力差などを考えれば、お前は留学生って名目の、特別講師みたいなものになるだろうけど……」
「あぁ、出来ることなら、俺自身、強い人間と当たりたいっていうのも本音としてはあるが。
それでも、どんな相手でも、対人戦で経験を積ませてもらえるだけで有り難い。
特に、四方八方から降ってくるような攻撃だと、なお嬉しいっていうか。
……出来るだけ、相手は、かなり多めにつけてもらえると助かる」
そうして、殆どの生徒が、この訓練場に戻ってきたところで、訓練場に用意された、複数の剣を立てて置くためのスタンドから、ライナスさんが一本の剣を取り出して、普段、セオドアが使用している私がプレゼントした真剣などではなく、練習用に使っている安全面が考慮されたような剣を投げて渡してくると、片手で、パシッとそれを受け取ったセオドアが、ライナスさんに向かって、そう声をかけたのが聞こえてきた。
セオドアが、四方八方から降ってくるような攻撃だと、なお嬉しいって言ってくれているのはきっと、6年前にアルヴィンさんと戦った際、あちこちから魔法攻撃が飛んできたということもあって、複数の魔法攻撃が飛んでくるのを前提にした、アルヴィンさんとの戦いに備えてくれてのことなんだよね……。
セオドアのそんな様子に、驚いたように目を丸くして、『オイオイ、幾らお前でも、流石に、四方八方からはやりすぎだろ……』と、その言葉を、最初は冗談だと受け取って、軽く受け流すような形で笑みを零していたものの。
セオドアの真っ直ぐな瞳に、本気の度合いを感じ取ったみたいで『マジかよっ』と、グッと息を呑み込んだあと……。
「ていうか、お前、シュタインベルクで、一体、どんな訓練を積んできたんだ……っ?
お前が望むなら、そうしてやっても良いけどな……。
それでも、この6年以上、俺だってずっと鍛えてきた訳だし、俺が鍛えあげた生徒達も中々のやり手ばかりだぞ。
まだ、正式な騎士にはなれてない候補生達ではあるが、今すぐ入団して実践で出したって、大丈夫なくらいには育てあげてるんだ……っ」
と、セオドアの言葉に『お前自身が強いってのも知ってるし、お前のことだから甘くは見てないだろうってのも分かるが、それでも、俺も今まで頑張ってきているんだからな!』と、ちょっとだけ拗ねたような雰囲気を見せながらも。
走り込みに行っていた訓練生達が、最後尾を走っていた人も含めて、全員、この場に戻ってきて、訓練場の中の指定されているであろう位置に、点呼を取りながら、またきちんとした隊列を作り、並び始めたことで。
「よしっ! お前達、みんな、戻ってきたなっ!
えーっ、お前達も、さっきから、ちらちらと視界に入ってくることで、気にしてはいたとは思うが、このたび、大国であるシュタインベルクから、わざわざ外交のために、我が学院に、皇太子様達が来て下さることになった。
そうして、うちの騎士科にも、留学生として一人、不定期にはなるが、やって来てくれる者がいてな……。
シュタインベルクで、皇女様の護衛騎士をしているセオドアだ。
シュタインベルクの中でも、優秀な騎士だっていう話は、事前に俺も聞いていたし、実際、俺自身も昔からの知り合いであり、その実力は折り紙付きだ。
この中で一番優秀なエーリッヒですら、一対一の戦闘じゃ、セオドアの足下にも及ばないだろうなっ。
お前達と立場は同じだが、特別講師みたいなものだと思って、胸を借りるつもりで、練習に励んでくれっ!」
と、ライナスさんが、その隊列の一番前で、訓練生達の方へと対面で向き合うように立ったあと、私達と、セオドアのことを『こっちに来てもらえたら有り難い』というように、視線だけで誘導して隣に立つように促し、紹介してくれ始めると、ライナスさんの説明に、騎士科の生徒さん達から、一斉に、ざわざわとした響めきが巻き起こった。
セオドアがノクスの民で、なおかつ、ライナスさんと知り合いの騎士であり、実力に関しても折り紙付きだと太鼓判を押されただけではなく。
騎士科でも一番優秀な生徒であるエーリッヒさんですら足下にも及ばないと言われ、生徒でありながら『特別講師』のような立ち位置にいるのだと伝えられたことで、あからさまに、特別な存在だと言わんばかりの態度に、驚いてしまったんだと思う。
その上で、ライナスさんから『この中で一番優秀』だというふうに名指しされた、エーリッヒさんだと思われる一人の生徒の方へと一気に注目が集まっていく。
その人は、隊列の一番前方、右端に立っており、先ほど走り込みのトレーニングをしに行く前に、一際、体格が良くて、みんなの纏め役を任されているリーダー格っぽい学院生がいるなぁと、私が感じていた人だった。
パッと見て、どこか勝ち気な雰囲気もあるようなその人は、髪の色合いや髪型などは違うものの、何だか、ギゼルお兄様を彷彿とさせるようなものがある。
……特に、ほんの少し、巻き戻し前の軸のギゼルお兄様の雰囲気に近いといったら、より分かりやすいかもしれない。
ソマリアの騎士科において、周りの人達と比べて、今まで優秀な成績を収めてきた人だからこそ、絶対的な自信があったのだろうし。
みんなの纏め役を任されるほどにもなっている自分が、足下にも及ばない存在だと言われたことで、溢れていたプライドのようなものが刺激されてしまったみたいで、ライナスさんの方を納得出来ないというふうな瞳で見てきながら……。
「……ライナス教官っ! お、俺は納得出来ませんっっ!
俺自身、既に、いつでも、騎士団に入れる実力は兼ね備えていて、騎士団の中でも、既に実践などに出たとしても問題ないほどだというのは、他の誰でもない教官から頂いたお言葉でしょう……っ!
たとえ、敵わなかったとしても、それでも、足下にも及ばないということはなく、俺自身、一対一の個人戦で、一太刀でも報いることは出来るかと思いますが……!」
と、食い下がるように、声を出してきた。
セオドア自身は、その言葉を聞いても、『威勢が良くて、面白そうな奴がいる』といった感じで、相手にするには、やる気のある奴の方がずっといいというように、目を細めてエーリッヒさんの方を見ていたんだけど。
その態度から強者の余裕のようなものを感じ取ったのか、エーリッヒさんは、心中穏やかではいられない様子で、キュッと唇を結んだあと、ライナスさんとセオドアの方へと不満を感じているような視線を向けてくる。
『多分だけど、エーリッヒさんっ、もの凄く、悪い方向に勘違いしてしまってるよねっ?
セオドアは、これでも、凄く嬉しそうな方だと思うんだけど……っ』
――そのことが、エーリッヒさんに伝わらないのが、凄くもどかしい……っ。
私が内心でそう思っている間にも、その言葉につられるように、エーリッヒさん以外の他の生徒達も、これまで自分達が訓練や基礎としてのトレーニングなどを積んできたことで、セオドアの力量を実際に見ていない分だけ、自分達も頑張れば何とかなるんじゃないかとという無謀にも思えるような感情が沸き上がってきたのか。
騎士科に通うくらい意欲が高い生徒達の集まりだということもあって、ライナスさんの方へと『自分達も個人戦をしてみたい……っ!』というような雰囲気が全体に広まっていったんだけど。
「いや、お前達には絶対に無理だ。
お前達が、今まで、個人戦で俺に、一太刀でも入れられたことがあったかっ?
セオドアは、それくらいに手練れだぞ……っ!」
――だからこそ、これから、セオドアを相手にした、複数人での対人戦を行うことにする。
と、ライナスさんが、『上には上がいるし、その誇りに対して決して慢心するなよ。一つの油断と驕りが命取りになる』と、厳しい視線で注意をするような視線を向けると、今度は、違う意味で、また騒がしくなり、やがて『教官ほどの実力者……っ』といった様子で、誰もが、ごくりと息を呑んだあとで、シーンと静まり返ってしまった。
私自身は、セオドアしか知らないけれど、それだけ、ライナスさんも腕がある人なんだろう。
そうして、そのあと『俺に呼ばれた者は前に出てくるように』と声をかけたライナスさんが、しっかりと整列をしながら、今、この瞬間にも、ピンと背筋を伸ばして立っているエーリッヒさんも含めた彼等の名前を、一人ずつ呼んでいって隊列から外していき、合計8人ほどの相手を選んだところで、その名前を呼ぶのをやめたのが私からも見てとれた。
一番に、エーリッヒさんが呼ばれたところから推測するに、この騎士科の中でも順番に実力のある人達が集められたのだろうということは理解出来る。
その人数の多さにまた、騎士達が騒めき始めたけれど、その理由については直ぐに合点がいって、普段、ライナスさんですら、複数人を相手にした対人戦において『4,5人の相手をするくらいしかしない』というのだから、一気に8人は多すぎると思っても無理もないと思う。
ライナスさんの瞳にも『お前の言う通り、大分人数を増やしたけど、割と、無茶苦茶な対決だと思うぞ。本当に大丈夫か?』と、ちょっとだけ問いかけるような視線が乗っていた。
それでも、今回の選抜に選ばれた騎士科の生徒達は逆にやる気が出たようで、これだけの大人数で負けてしまう訳にはいかないと闘志を燃やしている人達が多かったと思う。
人数が人数なだけに、特に決められた範囲などはなく、この広い訓練場の中なら、目一杯、使っても良いみたいで、邪魔になってはいけないからと、『お姫様、アルフレッド君と、殿下と一緒にこっちにおいで』と、ルーカスさんが手招きしてくれたことで、私はまた訓練場の隅の方へ向かって歩いていく。
その際、一人だけ、訓練場の中に残るセオドアに『セオドア、頑張ってね……っ!』と言うことしか出来なかったんだけど。
声をかければ、私の応援に、セオドアが目を細めた上で、『あぁ、姫さんに応援してもらえると、それだけでやる気が出る』と言ってくれながら、軽く伸びをするようにストレッチをして、騎士科の生徒さん達と向き合ったのが見えた。
セオドアが剣を振るっている姿は、本当にいつ見ても格好いいから、生徒さん達との対戦が見られるのも私自身は凄くワクワクして楽しみだったし。
ライナスさんは凄く心配していた様子だったけど、私自身は『セオドアならきっと大丈夫……』と、今までセオドアのことを近くで見てきた分だけの、絶対的な信頼感があるからこそ、心配することもなく安心して見守ることが出来る。
だから……。
「お姫様は、心配じゃないのかい……んです、か……っ?
いくら、セオドアであろうと、あんな大人数を相手にするんだし。
アイツの主人だっていうのなら、心の底から心配するくらいのことは、しても良いんじゃないかなって……、アタシは、思ってしまう……んですけど……」
と、スヴァナさんに言われたことで、私は思わず驚いて、パチパチと目を瞬かせてしまった。
「はい。確かに、そうですよね……っ。
きっと、普通なら心配すると思うんですけど、セオドアなら大丈夫だと思います。
私自身も昔は、凄く心配していましたし、今も、そういう気持ちがなくなった訳ではないんですけど。
普段から、セオドアがどれだけの腕を持っているのかは、きっと一番に理解することが出来ていると思います。
何よりも、セオドアのことを、ただ、信じていますから……っ!」
そのあとで、スヴァナさんがセオドアのことを心配する理由もよく分かるなぁと感じながらも、にこっと微笑みかけつつ『私自身は、セオドアが絶対に勝ってくれるって信じてる』と、真っ直ぐな視線でそう伝えれば、スヴァナさんは、そんな私に面食らった様子で、一度だけ跳ねるようにその肩を震わせ……。
「そ、……それでも……っっ、」
と、言ったあと『アタシなら、もっと心配する……っっ』という言葉を出せないで、躊躇ったような雰囲気で言葉に窮してしまって、何も言えなくなった素振りで押し黙ってしまった。
スヴァナさんにも話したけれど、私もきっと、6年前の自分だったなら、こういった状況に、一人、心配する気持ちで見守っていたと思うし、今も、決して、そういう気持ちがなくなった訳じゃない。
それでも、それ以上に、セオドアへの信頼感の方が強くて、こういう時のセオドアをよく知っている分だけ、きっと大丈夫だと言い切れる気持ちがあった。
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広い訓練場の中に、セオドアと、8人の騎士候補生達が剣を構えて真っ向から対峙し合っている。
本格的に対人戦が始まるその前に、シンプルな、何の意匠や装飾なども施されていないといっても、練習用として筋力なども鍛えるために、ずっしりとした重みがあるというその剣の感覚を確かめるように軽々と振り回したあとで、どんな剣も、セオドアのその手にかかれば、馴染んでいるのが傍からみても分かるくらい、持った瞬間に、すぐさま使いこなしている様子を見て、私だけじゃなくて、誰かが、ごくりと息を呑むような音がした。
セオドアと彼等の、丁度、中間に位置するあたりに、何かあった際には直ぐに止められるようにと、ライナスさんが審判の役として見守ってくれていて。
「……こんなにも大人数で挑ませてもらっている以上。
俺自身、胸を借りるつもりはなく、本気で勝ちに行きたいと思いますっ」
というエーリッヒさんの言葉に、セオドアが口角を上げながら『あぁ、楽しみにしている』と声を出す。
私から見た限りでは、今から複数人を相手にして戦えるということで、より、自分の剣技を鍛えられるという期待と、どんな相手に対しても、同じ剣という武器の使い手同士、そこには敬意のようなものがあって、飾ることもない本心からの言葉だっただろうし。
その雰囲気からも『セオドア、本当に凄く楽しそう……っ』と感じるんだけど。
ピリピリと張り詰めたような緊張感を持っている騎士候補生の人達とは違い、セオドアの態度は、8人もの人数を相手にするというのに落ち着き払っていて、それが、彼等のプライドを多少、刺激する要因になっているみたいだった。
特に、エーリッヒさんは、最初に『自分でも、一太刀は入れることが出来るはず』と言っていた分だけ、ライナスさんから客観的に見た上での事実を告げられ、先ほどまでの自信がほんの少し打ち砕かれてしまったこともあり、何としても、セオドアとのこの戦いの中で、本気で挑んで勝ちに行きたいと思うような気概が感じられた。
そうして、ライナスさんからの『始めっっ!』という合図と共に、先手必勝と言わんばかりに、『ウラァァァっっ!』と威勢よく声を出し、セオドアに向かって攻撃を仕掛けのは、エーリッヒさんも含む8人の生徒さん達だった。
ソマリアの王国騎士団で正式な騎士となれば、連携を取って動かなければいけない場面も沢山出てくることもあるだろうし。
そういう時のことを想定して、日頃から、ライナスさんに鍛えられている様子で、対人戦においても、複数の人数で連携を取れるようにした訓練もしているみたいで、視線だけで、それぞれの動きを把握し合っている彼等の動きは、素人の私から見ても、殆ど、無駄がないと思う。
「くっ……、クリス、後方に回れっっ! 何としても動きを止めて、一太刀、浴びせたいっ!」
「あぁ、分かった。……エーリッヒっっ!」
それでも、対象人物への的確な攻めや、視線誘導などの時間差で、文字通り、セオドアがそうしてほしいといったように、四方八方からやってくる彼等の動きを……。
「なるほどな、確かに、ライナスに、よく鍛えられている。……けど、まだまだ、全然甘いな……っ」
と、セオドアは、しっかりと『それを全て見た上』で、いなしていく。
私には、彼等の動きもそうだし、セオドアの動きに関しては、もっと早すぎて、到底、目では追いついていかないけれど。
いつだったか、セオドアは、周りの動きを見てから、どういうふうに動けばいいのか判断して動くようにしていると言っていたから、その絶対的な動体視力と判断能力に関しては、本当に他の追随を許さないほどに凄いなと私は思う。
素人の私でも分かるけれど、基本的に、戦いの場においては、一瞬の遅れと判断ミスが命取りになる。
そうであるにもかかわらず、セオドアは『相手の動きを見てから動く』という、ともすれば後手になってしまいかねないことをやりつつも、瞬きをするほどの短い時間の中で、常に、最善だけを追っている。
ただ、自分に向かってくる攻撃をいなしているだけじゃない。
目の前で、対複数人を相手に、私から見てもセオドアは、自分の身体や、剣の切っ先の方向性と動きなどを意図して動かすことで、敢えて、一定の部分に隙を作ったように見せて、その辺りを狙わせるというようなことを、誰よりも早い速度で瞬時に考えながら、次の行動への最適解を導き出し続けていた。
その一瞬、あとで……。
激しくぶつかり、キィィインという擦れるような刃の音が、この場の空気を震わせるように響き渡った。
真正面から、セオドアに向かって、飛び込むように駆けだしてきたエーリッヒさんが、素早い動きで、白刃を振り下ろしてきて、それを、セオドアが剣で受け止めるような形になったあと。
長い鍔迫り合いになることもなく、そこに容赦なく降ってくる別の人からの攻撃に対応するため、セオドアは、直ぐに、エーリッヒさんの刃を跳ね返して、周りから、次々に繰り出される攻撃についても、冷静に対処をしながら間合いを取り、隙を窺っている様子だった。
流石に、8人もいることで、彼等の手数の多さと、連係プレーによって、『……っっ』と、瞬間的に、セオドアの表情にも緊迫感のようなものが広がっていたけれど、それでも、危険だとは一度も思わないあたりに、セオドアの騎士としての風格が感じられる。
こんなにも複数人を相手取った上で、この状況下で、楽しそうに、にやりと口角を吊り上げながら好戦的な笑顔を見せられるのは、きっと世界中のどこを探しても、セオドアくらいなんじゃないだろうか……っ。
「……っ、嘘だろっ、あの攻撃を躱すのか……っ!?
6年以上も前のままだなんて、勿論、思っちゃいなかったけど、アタシが前に会った時よりも格段に強くなってる……!」
そうして、私の隣で、食い入るように訓練場の中にいるセオドアのことを見つめながら、驚愕に目を見開いて、スヴァナさんが声を出したのが聞こえてきた。
スヴァナさんだけじゃない……っ。
最初は、セオドアの余裕な態度に、プライドを刺激されていたみたいだったけど。
今回の対人戦に参加せずに、訓練場の端に寄って整列をしながら、試合の見学をしていた騎士候補生の人達からも『……っ、どれほど、鍛錬を積んだら、ああ、なれるんだ? あんな動き、見た事ないよなっ!』だとか。
『あぁ、本当に、その動きの何もかもが勉強になるな……っ!』といった様子で、いつの間にか、セオドアはキラキラとした憧れの眼差しで、彼等の注目の的になっていったみたい。
私から見ても、シュタインベルクの騎士達が、普段使っているような剣技と、ソマリアの騎士候補生達が繰り出してくる剣の型にはやっぱり、ほんの少し違いがあると思う。
だからこそ、その国独自の攻撃の癖などに慣れるのは、時間がかかることだと思うのに、本当に凄い……。
そのあと……、彼等の猛攻を全て凌ぎきったうえで、いつ反撃に転じるべきか落ち着きながら見極めている様子のセオドアに、じりじりと騎士候補生が間合いを詰めようと近づいてくる。
それでも、彼等が、一気に、攻め立てることが出来ないのは、セオドアに、どこにも隙が見当たらないからだろう。
どう攻めれば、セオドアの体勢を崩すことが出来るのかと、一定の距離まで間合いを詰めることが出来てはいるものの、そこから先の一打について、どうするべきかと考えあぐねている。
「来ないなら、こっちから行くぞ……っ」
両者、にらみ合ったまま、一瞬の膠着したような状態に、先に、動いたのは、セオドアだった。
タンっ、という音を立てて、一歩踏み込んだあと、地面を蹴って、ぐんぐんと前へと向かって走っていく。
そうして、あっという間もなく、一気に彼等と距離を詰めたセオドアが『まずは、一人……っ』と、声を出しながら、防御をする隙すら見せないほどに、素早い動きで、彼等の腹部めがけて殺傷能力のない練習用の剣を叩き付けていくのが見えた。
瞬間……。
咄嗟に、受け身すらもとれず何もすることが出来なかった状態で、太刀を浴びせられた騎士の一人が『……ぐはっ、』と声を出し、驚いたように目を見開いて、倒れ込んでいく。
そのあと、すぐさま、剣を切り返したセオドアが、続けざまに、二人目、三人目に狙いを定めて走り始めたと、誰もが『あっ』と思った瞬間にはもう、音もなく間合いを詰めて、連続して二人の騎士の身体に剣を当て、あっという間に3人もの人を倒してしまっていた。
今回、練習用に用意されている剣は『見たところ、殺傷能力もなく、刃の部分をわざと潰して切れ味を極限まで鈍くしているな』とお兄様が教えてくれたため、誰かの身体に当たっても、切れ味が鋭くて、鮮血を出してしまうほどに斬られてしまうようなことはない。
だけど、がら空きだった身体に打ち込まれただけでも、かなりの痛みが生じてしまうのだけは確かだろう。
それでも、なお、セオドアの今の動き、剣を叩き込む力の具合が、大分手加減されたものであるというのは、恐らく私や、お兄様達なら理解していることだと思うんだけど。
そういったことを知らないソマリア側の人達は、セオドアの今の剣捌きが、渾身のものだと勘違いした様子で、なお、『こんなにも、重たい一撃があるのか』と、驚いたみたいだった。
そんなセオドアの姿を見て、それまでも、あまり余裕がない様子だったけど、セオドアに倒されずに、残っていた騎士候補生の人達の表情が、一気に曇っていくのが見える。
その顔には『どう足掻いても敵わないかもしれない……!』という絶望感にも似た焦りと、脂汗が浮かんでしまっていた。
「……っ、お前達っっ、怯むなっっ! 次が来るぞっっ!」
この状況下で、唯一、戦意を喪失していなくて、未だに味方を鼓舞し続けていたのは、エーリッヒさんだけだっただろう。
彼のそんな姿を見れば、ライナスさんが目をかけている理由が私にも伝わってくる。
『自分のプライドはしっかりと持っていながらも、仲間思いの一面もあるんだな……』
ただ、それでも、精彩を欠いてしまった騎士候補生の隙をセオドアが見逃すはずもなく、4人目から7人目まで、あっという間にごぼう抜きをするかのように、素早い動きでそれぞれに剣を当てていくと、次々に、倒れていき、この場に、残っているのはもう、エーリッヒさんだけになってしまった。
「……っっ、ブルーノ、クラヴィスっっ!」
吠えるように、エーリッヒさんが、倒れていった味方の心配をしつつも、ジリジリと後退するように、セオドアから間合いを取っていく。
「ここで、やたらめったら、攻め込んでこないあたり、きちんとライナスから、しっかりと状況を見て動くようにって教え込まれてるみたいだな」
一方で、セオドアは、そんなエーリッヒさんの対応に感心したような雰囲気を見せていた。
「……えぇっ、ライナス教官からきちんと教えてもらってます」
「あぁ、そうだ……。たった一つの油断が、命取りになる。
たとえ、仲間の敵を取るためであろうとも、何も考えずに、その場の感情に任せて無策で突っ込んじゃいけねぇよなっ。
状況をしっかりと見て、その場にあった行動を取るってのは、何よりも賢い判断だ」
どこまでも余裕なく、はぁはぁと荒い息を零しながらセオドアに対峙しているエーリッヒさんとは対照的に、愉しげにセオドアが笑う。
強者を前にして武者震いで、というよりは『ライナスが可愛がっているのが分かるくらい、骨のある奴に出会えて嬉しい』というような表情だったけれど。
そんなセオドアを見て、エーリッヒさんも、徐々に、セオドアの言うことに耳を傾け、どこか尊敬も混じるような瞳で見つめてきていた。
「……っ、このように強い方に、褒めて頂いて光栄です。
ですが……っ、俺自身も、まだまだ諦められません……っ!」
そうして、それでも誰もが為し得なかったことを、自分はやりたいのだと闘志を失わずに立ち向かってくるエーリッヒさんに、セオドアも、たとえ、相手が自分よりも力量が下の人であろうとも、ここまで一生懸命に頑張っているエーリッヒさんに最大限の敬意を払うこと決めたみたいで……。
ガキィィィン、という音と共に、再び、セオドアと、エーリッヒさんの刃が交わって、音を鳴らしていく。
「相手の隙を狙うのは、悪い戦法じゃねぇっ……!
だが、それだけじゃ、勝てねぇのは分かるなっ!?
一打、一打で、意図して、剣を振れっっ! 隙がねぇなら、作りだせっ!
こっちが思うように、相手が剣を振ってくれりゃ、それだけで、余裕が生まれるだろっ」
その上で、指導するように、セオドアが、エーリッヒさんにアドバイスをしてから、手加減することの方が失礼だと言わんばかりに、エーリッヒさんの剣を払いのけて、そのお腹に、ドンっと音を立てて、渾身の一打を打ち込むと……。
「……っっ、! う、ぁっっ!」
と、エーリッヒさんが、後ろに吹っ飛び、そのまま、激しい音とと共に、地面に倒れ込んでしまった。
「そこまで……っ!」
そうして、試合終了を告げる、ライナスさんの声が、この場に響き渡ると『わぁぁぁぁっ!』と、セオドアを称えるような歓声が、響き渡るように辺りを支配していった……。
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それから、試合が終わったあと。
このソマリアの学院で、自分達から進んで騎士として生計を立てたいと思っているような人達だから、学習意欲というのは凄く高いみたいで。
対人戦に選ばれていた騎士科の候補生達や、そうじゃない生徒達に至るまで、まるで『ヒーロー』だと言わんばかりに、あっという間に、セオドアが取り囲まれてしまったのは言うまでもなく。
「……うっ……、さ、……さいごの、一太刀、本当に……、勉強になりました……っ。
あ、あのっ……、出来たら、その……っ、これからは、セオドアさんのことを師匠と呼んでもいいです、か……っっ!
それから、騎士科に来る際には、是非、俺とまた、お手合わせを願いたいです……!」
と、セオドアから剣技を叩き込まれたことで、未だ、強い痛みを抱えてはいる様子だというのに、何とか立ち上がってきて、次の瞬間にはもう、教えを請うように、キラキラとした憧れのような尊敬の眼差ししを向けてくるエーリッヒさんを中心に、セオドアは大人気の様子だった。
その言葉に、セオドアは、ほんの少し面食らってしまったみたいだけど、それでも自分に教えを請うような人達が現れたことを嬉しく思ったみたいで『あぁ、それくらいなら別に、俺が騎士科に来る間は、いつでも相手してやる』と、エーリッヒさんのからのお願いを受けることにしたみたいだった。
……実際、セオドアは、ソマリアでも、ルーカスさんやお兄様と並んで講師が出来る立ち位置にいたのだけど、講師になると、どうしてもその科に拘束されてしまうことになってしまうため、私の護衛が出来なくなってしまうという理由から、お父様の判断で『生徒』という立場に落ち着いてしまったんだよね。
それでも、こんなふうに、セオドアが騎士科の人達に受け入れられて、生徒ではありながらも、特別講師のような形で、騎士科に関わることが出来ると、ソマリアの人達にとっても、技術の向上という意味合いで、きっと良いことだと思うし。
セオドアにとっても、こうして慕ってくれる人達が出来たことは、良いことだと思う。
だから、私は、その様子を見て『凄く嬉しいな』って、感じていたんだけど……。
その周り、いっぱいに、生徒さん達から囲まれて、色々なことを質問されているセオドアのそんな様子に、一瞬だけ、ぎゅっと唇を噛みしめて、息を呑んだ様子で、『俺だって、あんな動き出来たことないのに……っ』と、私からは聞こえなかったけど、ぼそりと何かを呟いた様子で、あまりにも複雑な表情をしたライナスさんの姿が見えて、私は『一体どうしたんだろう?』と、戸惑ってしまった。
そうして、私がそのことを『ライナスさん……?』と、思うよりも先に、直ぐに切り替えて、にぱっと、明るい笑顔を浮かべたライナスさんが……。
「あぁ、もう、お前達……っ!
あんまり、セオドアを困らせるんじゃないぞ……っ!
あくまでも、セオドアは、臨時で来てくれるだけだからなっ!
節度を保って、なるべく、無茶なことは、お願いしないようにしろよっっ!」
と、セオドアの肩を、気さくな雰囲気でがばりと抱きながら、生徒さん達に向かって、声をかけたのが聞こえてきた。