509【???Side】――暗躍する存在
ツカツカと、船の一番下の階で、殆どの人間が通らない場所にある部屋の中へと案内されたことで、『ここに入るように』と視線で促され。
船の中で、何か問題があった時に通される部屋へと、ここまで私のことを連れてきた警備兵の方を見やった私は、『お互いに、もう演技などは必要ないだろう』と言わんばかりに、目の前の警備兵の方を見上げ、にやりと笑みを零した。
「船内で、騒ぎを起こすことには成功したぞ……っ。
……そもそも、この6年、この6年の間に、どれほど、私を含めた魔女狩り信仰派の貴族達が、様々な好機が訪れるその度に、まるでっ、それを握り潰されるかのように、皇女殿下の推進する遣り方で、国を変えてこられて、苦渋を呑まされ続けてきたのかっっ!
私は、未だに納得がいっていないんだ! これ以上、蔑まれるべき魔女達に人権など渡してたまるかっっ!
能力者に、あれこれと、好き勝手をされて、野放しに動き回られては困るんだよっ!」
そうして、ハッキリと、目の前の男にそう告げたあと、私は憎々しげに荒げるように声を零した。
その姿を見て、この船に警備兵として潜入していた、あの御方に重用されている男が。
「オイ、声が大きいぞ。
周りに人がいないような場所だとはいえ、もしも万が一、誰かに聞こえでもしたらどうする?」
と、低い声で、怒ったように声を出してきたのが聞こえてくる。
今現在、周囲に人の影はいないが、確かに、この男の言うとおり、用心するに超したことはないだろう……。
目の前の、この男が言っていることは理にかなっているし、その考えには、賛同することも出来る。
だが、私は、宮廷伯である、あの御方が、念入りに、医者であるバートン殿を通じて、私に、この依頼をしてきたことで、これまで皇女殿下に苦渋を飲まされ続けてきた分だけ、今は、自分の仕事を遣り切ったことの充実感に満たされ、高揚していた。
「外野は、みんな私の方を見て、皇女殿下の方を庇うような視線を向けてきたが、バートン殿とあの御方の計画通り、ひとまず、先手を打って、皇女殿下と、ソマリアの皇子達を船の中で引き合わすことには成功した。
ソマリアの皇子が、喧嘩や騒ぎが起こると、その仲裁などに関わってくるような性分だと、あの御方から聞いていなかったら、難しかっただろうが。
あの御方曰く、ソマリアの王や宰相などといったソマリアの重鎮達に、皇女殿下を出会わせる前に、ソマリアの皇子達と出会わせることこそが、何よりも重要だったみたいだからな。
……私にも、分からないことが多いが、それでも、あの御方の計画は、恐らく順調なのだろうな」
そうして、今回の一件が仕組まれたものであり、その成功を語る私に、目の前の男が『そうだな』と言わんばかりに、こくりと頷き返してくる。
日頃から、陛下や、ウィリアム殿下に、色々なことを進言し、この6年の間で、国のためになるように努力してきた皇女殿下は、確かに一見すると素晴らしいように映るだろう……。
事実、日に日に、皇女殿下の味方に付くようになっているような貴族も、じわじわと数を増やしてきている。
だが、それで、魔女狩り信仰派の貴族である私達や、一部の貴族達が、自分達の思考や推進している思想の邪魔をされ、社交界で肩身が狭くなっていっているだけでなく。
これまで私達が、法の抜け道を掻い潜り、裏でやってきた美味い汁を吸うための汚い仕事なども、どんどん是正されていっていることで監視の目も厳しくなっていき、そういった仕事がしににくくなって、割を食いはじめているというのも、間違いのないことであり。
皇女殿下が、大人になっていくにつれ、存在感を増していく、その度に、私達にとっては、皇女殿下の存在が目の上のこぶになっていく。
その最たる例が、4年前に王都で起きた、国の重鎮達がこぞって狙われ始めたあの事件だ。
あれが、私達、魔女狩り信仰派の貴族には好機だと言えるようなものであったことには、間違いない。
――正直、私は、あの事件が起きた時、これは神が下さった采配なのだと、歓喜に震えたっ。
いや、今の私自身が、あの事件の裏に、宮廷伯であるあの御方の力添えがあったのだということは理解しているのだけど……っ!
だからこそ、あの御方は、魔女狩り信仰派の私の仲間である貴族達と共に、嘘やデタラメなどを書く三流記事の新聞社へと内密に会うように指示を出され、報酬を弾むかわりに、『全てのことは魔女の為業』だと、煽るだけ煽って記事を書かせるように仕向けたのだ。
その過程で、我々の仲間のうちの一人だった騎士団長が、名誉の負傷をしてしまったのは仕方がないが。
『あの御方』の指示通り、わざと怪我をすることで、宮廷伯の全員と面識があって、ある程度親しかった騎士団長は、次期が来るまで、騎士団長の職を辞すように言われ、隠居生活を送るようになってしまったが、全ての事が終わったら、あの御方の権限で、また、騎士団長の座に戻すことを約束されているのだと、私も聞いているし、特に、問題はないはずだろう。
全ては、あの御方の掲げている崇高なる目的……。
――シュタインベルクの内側から、この国を、全く真新しいものへと変えていく。
という、もののために……。
『あの御方の考えは、私のような凡人程度では、おいそれと理解出来ないものだ。
一体、何手先まで、読んでいるのか……。
それでも、これまで、忌忌しいくらいに、事あるごとに、あの小娘、皇女殿下が立ち塞がってきた……っ!
この6年間で、それなりに、あの御方や、私達、魔女狩り信仰派の貴族が、あの女の妨害をしてきたというのに……っ!
だが……、今回、ソマリアの王や重鎮達に会わせる前に、ソマリアの皇子に、皇女殿下を会わせることになったというのも、あの御方が指示されることならば、4年前の、あの事件の時のように何かしらの意味があることに違いないっ!
私にも、まだまだ、分からないことが多いが、ソマリアに、あの御方の目的の協力者、内通者がいるのではないかという風に、私は睨んでいる』
──そうであるならば、これから先、更に国同士の繋がりを強め、裏で糸を引く者同士、ズブズブの関係を築けることになるだろうからな。
それが、これから、皇女殿下が出会うことになる誰かの中にいるのか、それとも、今日、出会った皇子達や従者の中にいることになるのか……。
そういったところまでは、まだ、この私にも掴めていない訳だが、今回のあの御方の指示に関しては、きっと意味のある一歩となるだろう。
それに、あの御方が、今回の計画のために、敢えて、皇女殿下にウィリアム殿下を付けるようにして、ソマリアへと追いやり、ギゼル殿下のことを外されたのにも、恐らく何かしらの意味があるに違いないだろう。
ウィリアム殿下が、ソマリアへ行くということを、宮廷伯の面々が、満場一致で、決めて陛下へと進言したのだというのは、特に隠されたことでもなく、宮廷で働いている貴族ならば誰でも知るところだったし、私自身は、宮廷で働いている人間ではないが、事前に情報を得ていて知っていた。
今後、皇太子である殿下が、陛下の跡を継ぐことになれば、ウィリアム殿下自身、実力主義の陛下が、今まで重用してきた人材を変えることはしないだろうというのは、誰の目にも明白であり……。
他の宮廷伯達や、何の関係もない官僚達は、ウィリアム殿下がソマリアへと行き、我が国と友好関係を結んでいるソマリア国内で、親善大使として実績を作ることで、6年前にテレーゼ様が起こした事件で、未だに、その子供であるウィリアム殿下が本当に陛下の跡を継ぐようになるのかと、一定数の貴族達から非難や批判の目が向けられている状況を改善することが出来ればと、陛下に、そのことを進言したに違いないが、あの御方だけは違うだろう。
ならば、国内に残った、ギゼル殿下に対し、何かしらのことをするつもりだと考えるのが妥当だ。
6年前から比べると、確かに、皇女殿下との仲は深まっているといえども、お互いに、未だに、家族にしては距離感のある雰囲気を持っているし、何よりも、ギゼル殿下はテレーゼ様のこともあって、精神的に色々と脆い部分がある。
持ち前の正義感から苦悩して、未だ、母親であったテレーゼ様のことについて、深い傷を負った様子で影を落としているのは、間違えようのないことだからな……。
だからこそ、そういったところに付け込むような、余地があるのだと……っ。
きっと、そこまで、考えてのことなのだろう。
――本当に、あの御方のお考えは、素晴らしい……っ!
それと同時に、皇女殿下が……っ、あの小娘が、私にとっては、本当に忌忌しいっっ。
今はまだ、皇女殿下を破滅に追いやることが出来ていないし……。
4年前のあの時のこともそうだったのだと思うが、今回の観光船の発案に関しても、もっと、独占的な形で莫大な利益を上げて、あの御方と行商人の間で、その利益を、貴族達から吸い上げるだけ吸い上げて、今後の資金にするつもりだったと言っていたのに……。
『皇女殿下が、先に陛下に進言して、国が船を作ったことで、その計画の全てが台無しになったっ!』
と、珍しく、あの御方が怒りに染まって声を荒げていたというのは、バートン殿から聞いて私も知っていた。
一体、皇女殿下は、どうやって、あの御方の計画を知り得たのか。
いや、それとも、元々持って生まれたものによって、そういったことを、次から次へと陛下に進言出来るほど才覚に恵まれて、優れているのか。
紅色の髪を持って生まれたあの子供は、幼い頃から、本当に異質さと異常さというものを兼ね揃えすぎている。
若干、10歳の少女だったあの小娘が、どうやったら水質汚染の件などを解決し、大人になる、これまでの間に幾つものアイディアを出して、幾度となく、国の発展に貢献することが出来るのか。
バートン殿は、あの御方が、『皇女殿下は、何かしらの能力を持った魔女なのではないだろうか』と、予想していると、2年ほど前から言っているが。
もしも本当にそうならば、陛下が、宮廷伯でもある、あの御方も含めて、他の宮廷伯達にもそのことを伝えていないのは大問題であり、そこを糾弾することも出来ると思うのに、未だ、皇女殿下が、何かしらの能力を持った魔女かもしれないという尻尾などは、全く掴めていない。
それもこれも、皇女殿下を常に護るように立っている、陛下からの信も厚い、あの忌忌しいセオドアという名前の騎士と、宮廷の中でも高名な医者であるバートン殿が舌を巻くほどの知識を有しているアルフレッドが、いつだって、その傍を離れることはなく。
こちらが、探りを入れようとしても、一切の隙を見せないほど、その護りが鉄壁だからに他ならないだろう。
それで、私達、魔女狩り信仰派の貴族や一部の貴族達が、いつだって損をするっっ!
だが、それでも、あの御方は、私達のことまで、救い上げようとして下さっている。
間違いなく、そのための布石を、先ほど、船の中にあるカジノという場において、『あの瞬間』に、皇女殿下を憎んでいる、この私の手で打つことが出来た。
あの方が、それだけ、私のことを信用して下さっていることに他ならないっっ!
「……あの御方の計画が、どんなものなのか、その全容は、私には見えてこないが……。
あの御方は、本当に、未来のことを見据えて動かれているな……っ!
あの御方の崇高なる目的のために、ソマリアにも協力者がいるのだということまでは、私自身も理解もしているつもりだし、敢えて、シュタインベルクに残したギゼル殿下にも、何かしらの接触を図ろうと思っているのではないか……?」
熱い高揚感に、思わず饒舌になって、あまりにも気分が良く、力も熱も籠もりながら、私は目の前の同志に向かってはっきりと、そう伝えていく。
私の言葉に、警備兵に扮していた目の前の男は、ほんの少し顔を上げ、僅かばかり、口角を描いた様子で、『あぁ、そうだな』と、声を出し、こちらへと視線を向けてくる。
その姿に……、『お前も、やはりそう思うのだなっっ』と言いかけたところで、目の前の男が、ポンと、同意するように、まるで労るかのように、私の肩にその手を置いたあと……。
「俺等の仲間だったはずの、騎士団長が、今、どうしているか、知っているか……?」
と、耳元で囁くように私に向かって、声を出した上で……。
「……??? 何を言っているんだっ? 騎士団長は、今、隠居して、生活しているはずだろう……っ?」
と、私が目の前の男に向かって、答えるように声を出した瞬間……。
「ああ、表向きはな……っ!」
という低い声と共に……。
「……っっっ、あぁぁっっ!?」
――ぶすり、と……。
胸部に何か、熱いものが当たるような感覚がして、そこからじわり、じわりと広がるように、真っ赤な血が溢れ落ちてくるのが見えて、私は、突然のことに目を見開き、目の前の男の顔を見上げたあと、『……お前っ、いっ、一体、ど、うして……、?』と、戸惑うように声を上げた。
まさかの、信じていた人間からの裏切りに、こみ上げるような熱が、ジクジクと私の身体を痛めつけていき、目の前の男の顔を見上げて、はくはくと口が動いては、声にならない声が空気となって外へと溢れ落ちていく。
「気づいてなかったのか?
お前がカジノで呑んでいた酒のなかには、薬が混入されてたんだ。
夢のように心地のいい成分が含まれて、気分が大きくなって、今のように、饒舌になりやすい。
お前が、あの御方の考えを理解している様子だったことには気づいていたが、誰かに喋られていても困るし、どこまで理解していたのか最期に知っておく必要があったんでな」
──ほら、それによっては、死体が更に増える可能性があるだろう?
はっきりと、そう言われた言葉に、何が何だか分からなくて、私は、動揺し、倒れゆく身体で、目の前の男の顔を見つめるように視線を向けていく。
「あの御方は、崇高なる目的のためには、自分の大切な駒になり得そうな人間以外、自分の手札は最後まで隠し持って秘密にして起きたい質なんでな。
必要であるならば、その都度、情報については伝えることもするが、それによって、自分の考えを広げて、あの御方がこれからしようとしていることまで、深く理解されたんじゃ、困るんだよ。
騎士団長は、もっと、そういう深い部分にまで気付くことになったことで、あの御方の邪魔になり得そうだったから、殺されたんだ。
良かったな? 最後に死ぬ、その瞬間に、あの御方の最大の力になれてっ。
お前にとっても、本望だろう……!?」
そうして、あの御方に重用されて、影で色々なことをやっているこの男の瞳は、本当に、そう思っているかの如く歪みきっていて、口角を描く唇に、私自身、悪い夢でも見ているんじゃないかと思ってしまった。
『この私が、あの御方からは、全く信用してもらえていなかっただと……っ?』
――あの御方は、私のことを、重用して可愛がって下さっていたのではなかったのか……?
『何故っっ、一体、どうしてなんだ……っっ』という、あまりにも複雑な思いが胸の中を締めていき、言葉にもならない私を見て、目の前の男は、どこまでも下卑た笑みを零しながら、どんどん視界がぼやけていきながらも、辛うじてまだ、男の顔だけ見えている私の手を取って、胸部に刺さっているナイフの柄を、ゆっくりと握らせていく。
「安心しろよ。俺は、国が管理するこの船に、警備兵として乗っている優秀な人材だ。
……あの、カジノの中で、誰しもが、俺がお前に対して、警備兵として厳しく接しているのを目撃している。
俺も、迂闊だったが、まさかポケットの中に、お前が、自殺用のナイフを隠し持っていただなんて気付かなかったんだ。
酒に酔って溺れて、カジノで負けが込んで、持ち金の殆どを失ったことで死にたくなるだなんて、本当に哀れで、ご愁傷様だったな?」
そのあとで、言われた悪魔のような一言に、私は自分の運命を悟った。
恐らくだが、きっと、そういう筋書きなのだろう……。
倒れた私が、震えるように、目の前の男のことを見つめていると……。
不意に、この場には誰もいなかったはずなのに、革靴を擦るような誰かの足音が聞こえてきたことで『まさに、天の助けかのように、このタイミングで誰かが来てくれた』と、私は、藁にも縋るような思いで、最後の力を振り絞り。
「……っ、だ、誰か、そこにいるのか!?
お願いだ! たっ、助けてくれ……っ」
と、声を出した。
……だがっ。
「……お生憎様ですが、それは、不可能ですなぁ。
私もまた、あの御方に使われている人間ですので……っ」
と、警備兵の男と共に、にこやかに笑みを零してくる男に見覚えがあって、私は、絶望的な気持ちになりながら、もうあまり出せなくなってしまった声で、『オルブライト伯爵……っ』と、思わず、その名を呼んでしまった。
「いやぁ、私もこれから、ソマリアへ行く者として、皇女殿下とお近づきになれて、つくづく良かったと感じています。
皇女殿下の側にいる人間は皆、勘が鋭い者ばかりですから、あの御方も、その対応に苦戦していましてね?
今まで、皇女殿下に忌避感を持つ者ばかりが、対抗するように、皇女殿下を貶めようとして苦心していましたが、このたび、方向性を変えることにしたんです。
あなたが暴れてくれたお陰で、私自身は、どこまでも好意的に接することで、皇女殿下や、その側近の方々にも、より信用されることになったでしょうし、動きやすいこと、この上ない……っ!
これから、ソマリアで、あの御方のスパイとして、遠慮なく皇女様に近づいて、自分の仕事があるがために動くことの出来ない、あの御方に、皇女殿下の様子を報告することが出来ます」
そうして、どこまでもはっきりと告げられた、その言葉に、私は、驚きを通り越して、あの御方から、自分は捨て駒にされてしまったのかと、呆然としてしまった。
「……お前は、選ばれて……、私は、捨てられたのか……っ、?」
小さく呟いたその言葉に、先ほど、カジノのゲームをしている時に皇女殿下の隣に座り、柔らかな笑顔で対応していたオルブライト伯爵が、私に向かって、小馬鹿にするような笑みを浮かべて……。
「有り体に言えば、そういうことです。
あの御方の崇高なる理念のために、私は必要な駒であり、その隣に立つのを許されているが、あなたに関しては、そうじゃなかったというだけですので……っ!
どうぞ、このまま、心置きなく死んで下さい」
と、声を零してきた。
……そうして、その言葉が最後となって、くぐもって、真白くぼやけていた視界が、完全になくなり、私の意識はそこで、プツンと、途切れてしまった。