幕間 【トーマスSide】
シュタインベルク国内で、皇太子のウィリアム殿下と、第二皇子であるギゼル殿下の母親だった皇后が失脚してから、2年が経った頃……。
その報は、激震を持って、俺たち新聞記者を生業にしている者にも伝わってきた。
エヴァンズ家や、クロード家ほどではないが、国内でも評判のある家柄だと名高い侯爵家の当主や、伯爵家の当主、そして皇宮で、中央の政治を担うために宮廷貴族として役人の仕事をしている地位も立場も確立された、ある程度の役職を持っているような者達が『フードを被って、顔を隠した二人組』に、相次いで狙われ始めた事件。
狙われたのは、ある程度、国内での発言権があり、国の政治にも深く関与しているような人間ばかりだということで、年齢は、30代~60代くらいと幅広かったものの、ある程度の年齢に達した貴族の男性が狙われていたのだが。
彼等が関わっている『その派閥』に関しては、まちまちで、てんで規則性などもなく……。
絶対的な君主としての皇帝を支持するための皇族派。
そして、『もう少しだけ、この国で、貴族が実権を握って然るべきだろう』と主張する貴族派。
そのどちらでもなく、双方のバランスを見て動く中立派。
平たく言えば、大きく、この三つに分かれている国内の派閥の中でも、これまで続いてきた制度こそ正しいものだと主張する保守的な貴族の派閥や、反対に、革新的な制度なら幾らでも取り入れたいという新興勢力としての派閥。
穏健派と言えば聞こえがいいが、どこまでも日和見な派閥や、魔女狩り信仰派など、皇后が失脚する前は、それを支持していた派閥なども含めて、どの派閥に関しても、細かく意見が細分化されており、決して、その全てが一枚岩ではないというのは、そうなのだが……。
今回、フードの二人組から襲撃を受けて、狙われた人間については、そこから深い繋がりや関連性を見いだせないくらい、犯人の目的が何なのか分からないほど、被害者となった人物達の背景に一貫性がなく、ただただ無差別に狙われているように思えてならなかった。
その所為で、国内では『無差別に、通り魔的な犯行をする犯罪者』が現れたのだと国民の恐怖を煽り、重傷者や、少なくない怪我を負うような者が多発して出てきはじめたことで、皇后が失脚してしまった時の再来の如く、また、国内の政治が不安定になりかけてきているのを感じて、俺は苦虫を噛みつぶしたような思いで、王都の街の中にある建物の3階、事務所として使っている一室の中で、デスクの前の椅子から立ち上がり、余所の新聞社が好き勝手に書いた裏取りも出来ていない記事を、ぐしゃりと握りつぶした。
「くそったれが……っ!」
荒々しい口調で、吠えるように声が出てしまったのも致し方がない。
【何が、フードの二人組の正体は、魔女かもしれないだ……っっ!】
こんな事件が起こることになって、ただでさえ、国民は、夜に迂闊に出歩くことが出来ないと、不安な日々を過ごしているというのに……。
日が増していくに連れ、あの御方が、懸念していた通りの状況が訪れていることに、どうしても苛立ちが隠せず、我が新聞社では、自分以外に数名の人間を従業員として雇っているが、周りに置かれたデスクの前の椅子に、それぞれ座っていた部下が、目を見開いて、どうしたのかと此方をチラチラと窺ってくるくらいには、あまりにも大きな声が出てしまった。
【全く、ジャーナリストの精神も何もかもが、微塵にも感じられなさすぎるっっ!
こいつらは、自分の仕事への誇りっていうものが、一切ないのか……っっっ!】
憤るように、カッとこみ上げてくる怒りの感情が抑えられない。
このままでは……、こういった国内の状況に関して、売り上げを追求するためだけに、事実関係の確認などもせず、根拠もないのに、想像上でしかない話を、あたかも本当だと言わんばかりに、大衆の気持ちを加速して燃え上がらせるかのように、面白おかしく書かれた記事の内容から……。
――もしかして、一連の事件の犯人が、魔女の仕業によるものなのではないか……?
という噂が、真実なのではないのかと誤認された状態で、まことしやかに広まっていってしまうだろう。
そうなれば、あの御方が懸念していたように、世間の不安を悪戯に煽り、そうではない可能性も高いというのに、このままでは、皇后が失脚したことや、あの御方が世間から評価をされていく度に、勢いを失ってしまっていた魔女狩り信仰派の貴族達が、その立場を盛り返して、国内でも、かなり力を持つようなことになってしまいかねない。
あの御方は、それにより、自分の立場がもしかしたら悪くなってしまうんじゃないかということについては、全く気にもしていない様子だったが、それでも、父上であるこの国の君主、皇帝陛下とあの御方が目指す『この国の未来の方向性』が、魔女や赤を持つ者達を、可能な限り、謂れのない偏見や差別などから救っていきたいというものであることを思えば、今回の事件は、少なからず、あの御方が目指す未来への打撃となってしまうに違いない。
謂れの無い差別に関しては、私自身も理解出来るからと、せめて『犯人』が、きちんと分かるまでは、悪戯に、そういった赤を持つ者達の為業だと決めつけるのではなく、なるべく正しい情報のみを届けて、赤を持つ者の所為にされないよう、出来る限り、世論を味方に付けてほしいと、この力を買われて頼ってもらえたというのに……。
【皇女様……っっ、本当に、申し訳ありません……っ!】
こういった、世間を賑わす事件が起こる度に、『犯罪学』などで、見識を深めるために集めていた机の上に積み上がった本などは、まるで役にも立たないと痛感する。
今回の事件については、俺自身、自分の足を使って、可能な限り調査もしているが、それでも、被害者がこうして出てきてしまう度に……、それを煽り立てるような記事が、余所の新聞社からも出てくる度に……、あの方への申し訳なさでいっぱいになって、唇を噛みしめてしまう。
この二年の間に、国の安寧を願って、絶対的な君主である皇帝陛下の裁量を以てして、やっと落ち着きを取り戻してきた矢先のことだったというのに……。
――その上で、俺は、騎士団が総力を挙げて捜査に乗り出す前の、初期の段階、第二、第三の被害者が現れるよりも先に、ある程度、この事件が連続して起こっていくものだということを、事前に教えられて、知っていた。
怒りの感情に任せ、立ち上がったことで、ガタリと大きな音を立てて後ろに下がった椅子に、どかりと乱暴に座り直したあと、ため息を一つ溢し、深く考えこむように目を瞑り、俺はぐしゃりと自分の髪の毛を掻き上げるように、何度か、自身の爪で往復するように頭を掻いた。
今回の事件の情報提供者に関しては、そのお立場のことも考えて、当然のことながら、俺は、その存在を匂わすことすらしていない。
だからこそ、俺がここで、苛立ちを覚えて頭を掻きむしっていても、部下達は、どうして俺がこんなにも怒っているのか、その詳細な部分までは、しっかりと把握出来ていないだろう。
それどころか、俺が独自に調べた事件の内容について『トーマスさんっ、本当に凄いですっ! 相手は神出鬼没の犯人だというのに、よく、そこまで調べあげることが出来てますね……っ? このままいけば、裏取りも碌にしていない記事を書いて煽っている他社よりも、うちの新聞社が独占する形で、常に情報を先取りして、世間に公開することが出来ますねっ!』と、部下達はどちらかというのなら、賞賛と尊敬の瞳で見てきた上で、俺に対して、犯人像が分からない以上は、余所の新聞社が書くことについて胸を痛めても仕方がありませんよ、と言わんばかりに同情的だ。
『そんなのは、今までにも、よくあることだっただろう?』と……。
――それでも、世間には、うちの書く記事の内容を信用してもらわないと困る。
……そもそも、今回の一件は、『どうか、この一件は内密にお願いしたいのですが』と、12歳になって、社交界でも、より淑女に相応しい振る舞いをするようになってきたと噂の皇女様から、突然、直筆の手紙をもらったことに端を発している。
第一の事件として、侯爵家の当主が狙われたことと、その犯人像が仮面を付けたフードの二人組だったということで、あまり国内でも、今までは類を見なかったような事件に、この事件についての注目度合いは、そもそも高かったが、『お父様を通して騎士団にも協力してもらっています』と、皇女様から手紙をもらった俺は、『詳しいことまでは、お話できないのですが、これからも、この事件について、被害者が出てしまうのは避けられないでしょう』という、あまりにも、その時点では、根拠が薄かった話を手放しで信じることにした。
皇后が捕まって失脚することになった『あの食事会』で、何かしらの能力を使って、あの精霊だというあの男の行動を先読みして、俺たちのことを助けてくださったであろう皇女様が、一体、どのような能力を持っている魔女であるのかは、俺には詳しく分からない上に、そのことは禁忌として触れない方がいいものだと、仕事柄、それ以上、関わってはいけないものなのだと、その場の状況を見て、自分からも一線を引いてきたが……。
魔女である、あの御方なら、もしかしたら自分の能力などで、その情報を仕入れることが出来ても、何ら可笑しくはないはずだし……。
何より、正直で、いつだって一生懸命に周りのことを考えられる御方だからこそ、2年前の建国祭の時に、エヴァンズ家の夜会で話した時や、ファッションショー後にインタビューをした際なども含め、皇后が失脚することになったあの食事会でも、その真摯で優しい人柄が垣間見れたことで、俺自身が、あの御方のことを手放しで信頼出来ると判断したからだった。
それと同時に、2年前、エヴァンズ家の夜会で『どんな時も、いつだって、皇女様がお困りの際には、力になると約束しましょうっっ!』と伝えていたことで、その約束を守る時が来たのだと、俺は、直ぐに、その手紙を受け取ってから、行動を開始するべく動くことにした。
今回の事件で明確に得をして、恩恵を受けるのは、恐らく『魔女狩り信仰派の貴族』のみだが、そういった貴族達が、本当に、この事件の裏に、関与しているのかまでは分からない。
狙われる人間の性格も、その思想も、多岐に渡り、その全ての背景に統一性などはない。
自身の能力によってもたらしてくれている情報なのだろうが、皇女様から『一連の犯行が起こるのに、大体の詳しい時期と、それによる模倣犯なども出始めてしまうことで、一時、国内がパニックに陥り、収拾がつかなくなってしまうかもしれない』と、その情報がもたらされただけでも、我が新聞社にとっては、大きなアドバンテージであり、利益にも繋がっていくものだった。
――だからこそ、あの御方の味方になりたいと強く願う。
まだまだ、成人にも達していない年齢だというのに、あの御方は、本当に優れた判断力を持っていて見識が深く、先の未来を見通している。
筆と、言葉というものは、時として、剣などといった目に見えて分かりやすい武力などよりも、よほど強い武器になる。
それは、こんな仕事を生業にしている俺達だからこそ、より深く理解していることでもあるだろう。
――言葉一つで、世論を味方に付けることも、敵に回すことも可能になる。
どんなに、一人が必死に声を上げようとも、その声が、上まで届けられることは殆どないけれど、数の暴力というのは、それだけで力に変わるものだ。
そうであるならば、それだけ、世間に発信する情報は、正しいものでありながらも、どんな言葉だって、しっかりと選び抜きながら、俺たちは、不用意に人を傷つけるような信憑性のない記事ではなく、いつだって大衆が知るべき情報を、しっかりと精査して、発信していかねばならない。
その上で、一般市民が不安や心配を感じているのならば、安心してほしいと、しっかりと国から派遣された騎士団が調査を進めていることなどを伝えたり、夜間にも警備として出動してくれていたりといった情報なども含めて、正確な情報によって、犯人の標的となる人物が高位貴族などに限定されているからこそ、恐らく一般市民が狙われたりすることなどはないだろう、と、国民の『その感情』を、和らげていくような記事を書いてほしいと依頼されたことで……。
それを、若干12歳の少女が理解していることに、少なくない衝撃を受け……。
あの御方が、俺に頼ってくださった、その手紙の内容に、俺自身が『それだけの重役を任されてしまった』と、手に汗を握ってしまった訳だが……。
俺は、この国を護る騎士でも、国の政治を動かす貴族の重鎮でもないが、それでも、あの方の期待に応えるために、ジャーナリストとして、出来ることは他にも絶対にあるはずだと、一先ず、凝り固まった偏見に塗れ、根拠もなく魔女の所為だとか訳の分からない記事を書いて、国民の不安を煽れるだけ煽り立てようとしている『クソみたいな三流記事』を、訂正するために、再び、筆を執った。
こういった輩に、対抗して、真実を伝えていくのが、まさしく記者である俺の仕事だろう。
その誇りを履き違えてはならないし、いつの世だって、国や国民を護るために、信念を持って自分の書いた情報には責任を負う必要がある。
幸いにも、と言っていいのかどうか、俺には分からないが、君主である皇帝陛下を除き、中央政治に深く絡んで、国内でも力を持っているとされる宮廷伯の面々が、未だ、誰一人として襲われていないのが、唯一の救いだろうか。
もしも、そこが、襲われてしまっていたら、普段から中枢に食い込んで、政治を動かしている人間なだけに、もっと、国の政治が機能しなくなっていただろう……。
この事件では、騎士団長が直々に動いているらしいし、副団長なども現場に出ずっぱりだと聞くから、何としても、犯人を挙げることが出来ればいいのだが……。
世間の注目を集めるような大々的な記事を書いて、世間を賑わしていくことこそが、記者の仕事の内容だと思われるかもしれないが、記者の本質というのは、あまりにも日々、地道に、一つ一つ積み重ねていった泥臭い調査と、足で稼いだ情報により、陰から、国民の不安を取り除き、平和などを思い、国を支えるのが仕事の本分であると、俺は思っている。
皇女様曰く……。
『現状では、何とか、騎士団や、トーマスさんといった協力者を得られているお陰もあって、私が知っている情報よりも、被害が少なく済んではいるものの、それでも全てを防ぎきれなくて、深い傷を負ってしまった人達も僅かながら出てしまっていて、本当に申し訳なく感じてしまっています……っ!
その上で、もしかしたら、このまま行くと、一人死者が出てしまうかもしれなくて、それだけは何としても阻止したいと思っている』
と強く責任を感じている様子で……、俺自身も何としても、この国で一人の死者も出さずに、騎士団の手が行き届いていないような、王都の人間から聞き込みをして稼いだ『細かい情報』などを提供して、あの御方と連携することが出来ればいいと思っている。
そのために、自分が出来る限りのことは、今まで以上に継続して、頑張っていくつもりだ。
最近では、この事件のために、他の記事になるようなことを後回しにして、殆どの部下を総動員してまで、その背景に何があるのかを調べるようにしているが、中々どうして、その裏に何があるのか、誰の采配で『フードを被った人間達』が動いているのか、その真相に辿り着くのは難しいものだと、悔しく思う。
世間の流れを見ていると、依然、『フードを被って仮面で顔を隠している二人組が誰なのか』ということは分かっておらず、もしかしたら、このまま、この事件は、未解決事件として終わってしまうかもしれない。
それでも、こんなにも国を揺るがすような一大事件が起こっていてもなお、今現在、国民の感情が、ある程度安定しているのには、その裏に、あの御方……、皇女様の心配りと尽力があってのことだろう。
あの御方は、すべからく、自分が成すべきことについて、きちんと理解した上で、国に住まう人間のことを真に思い遣っている。
その姿勢には、いつだって見習うものがあるし、少し関わっただけでも『あの御方には、これから先も協力していきたい』と、何の下心もなくそう思えるのだから、本当に凄い御方だと思う。
内心で、そう思いながら、俺は、チラチラと此方を窺うように視線を向けてきていた部下達に『自分の仕事に戻るように』と指示を出してから、皇女様が下さった、騎士団や皇宮から得た情報を纏めたあと。
「外回りに行ってくる」
と部下達に声をかけて、王都で情報が集まりやすい、俺が懇意にしている酒場の店主がいるバーへと向かうため、新聞社として事務所にしている部屋から出て、月明かりが照らす、王都の街へと繰り出していった。