特別番外編【執着の欠片の行く末】
※ウィリアム視点、巻き戻す前の軸。
6年後の未来の番外編、アリス死亡ENDのその後
“人の死”に関する描写が色濃く出てきます。
読まなくても本編に影響があるものではないので苦手な方はスルーして下さい。
【この世に生まれてきてはいけない存在だった】
――俺と、あの子は映し鏡だった。
世間は、まるでお祭り騒ぎのように賑わっていて、戴冠式を行って新たに君主になった俺のことを祝うように街中がガーランドで飾り付けられて、盛大なお祝いの期間として、昼間から忙しなく行き交う人々が王都の街を活気づけ、酒場だけではなく、様々な店が繁盛していた。
戴冠式が行われる前には、盛大なパレードが催され……。
そのあと行われた戴冠式では、煌びやかな聖堂の中で父上から君主の王冠を譲り受けることになった。
これまでも幾度も皇太子として、建国祭などでパレードや、式典などを行ってきて慣れてはいるものの、シュタインベルクの王族を象徴する金の飾りが付いた馬車から見える景色や、君主としての儀式を受けることは、それまでのものとは比較にならないくらい、特別な行事であることに身が引き締まるような思いだった。
その上で、忙しくしていた俺は、まさしく寝耳に水のことだったのだけど、俺の妹であるアリスが死罪になるくらいの罪を犯したことで捕まったのだと……。
その知らせが入ってきたのは、正式に皇帝に就任した後だった。
きちんとした騎士の調査が行われていたことで、書類上では何ら過失などもなく、しっかりと整えられた犯罪の証拠に、赤色の髪を持って生まれてきたことで、昔から妹は、周りの人間を突っぱねてばかりだったと思うが、遂に、そこまでのことをしてしまったのかと、その真偽に、首を傾げるまもなく……。
世間の祝福と共に、君主としての引き継ぎを行って、俺が慌ただしい日々を過ごしている間。
その一報は、衝撃を持って、俺に伝わってきた。
「……アリスが、死んだ……? それも、ギゼルの手によって……?」
驚きに目を見開いて、あまりの衝撃に思わずその場に固まってしまう。
ここ数日の忙しい合間を縫って行われた、蛮行のように、思えてならない。
――まさか、そんなことが起こっているだなんて聞いていない……っ!
普段から必要以上には、なるべく関わらないようにはしてきたが、少し前まで、妹は普通に生活していたはずで……。
『どうしてそんなことになっているんだ……っ』と、俺は、自分の部屋の自室から出たあとで、急ぎ、ギゼルの所へと向かうことにした。
「あ……っ、兄上……っ、俺……っ、」
「……っ、ギゼル、お前……っ!」
駆けつけたところで、俺が目にした時にはもう、妹の姿は変わり果てていた。
腹部の上、心臓近くの辺りを一突きに刺されていたそこからは、既に固まって黒ずんだ血がべっとりとこびりついていた。
元々、ギゼルと妹の仲は俺以上に最悪だった……。
だからといって、きちんとした刑罰が決められる前に、こんなことを仕出かして、本当に良いと思っているのだろうか?
険しい表情で、ギゼルへと視線を向けた俺に、誰かを刺すなどという行為をした弟は、駆けつけた俺に視線を向けたあと、動揺した雰囲気で、視線を彷徨わせていた。
……死に際、一体、何を考えていたのだろう?
妹の瞳には、弟に対する憎悪も、あれだけ喚いていたような苦々しい表情も……。
すっかりと、鳴りを潜めていて。
どこか、後悔が滲んだような、その瞳からは、まだ乾ききっていない涙がこぼれ落ちていた。
まぶたに指を持って行って、ゆっくりとその瞳を閉じてやる。
【……おにいさま】
少し怯えた様な顔をして俺を呼ぶ妹はもう、どこにもいない。
「……あーあ、いつかやるかなって思ってたけど、本当にやったんだ」
一体いつからそこにいたのか、騒ぎを聞きつけてきたのだろう、俺が皇帝になるタイミングで自身の領地を継いで、俺の補佐をするようになったルーカスが、周囲にいた騎士達に人払いなどをした上で、皇宮の通路を封鎖し、俺たち兄弟と自分だけの空間を作り出してから……。
隣で、歪んだ唇に、へらりという軽薄な笑みをたたえて、棒読みでルーカスがそう言ってくる。
その瞳には、何も映ってなどいなかった。
死者を弔うような、それすらも、コイツにはないのだろう。
いつだって、飄々として風のように掴めない、コイツはこういう男だった。
そっと、アリスの亡骸を、自分の腕に抱え込んだ。
「……魔女を呼べ」
俺が個人で抱えている魔女は、幾人かいる。
これまで、秘密裏に、彼女たちの存在を知っては保護していた。
この国の、魔女保有率はかなり高い方だろう。
なんてことはない、どこの国だって表立っては魔女のことを否定しているが、その実、彼女らを秘密裏に囲っている国は数多く存在している。
特別な力を持つ者は、存在そのものが、兵器になる。
そんな、俺を見て、ルーカスの瞳が面白げに歪んだ。
「殿下、ソイツは、いったい、どんな魔女をご要望で?
死人を生き返らせることなんて出来る魔女はいませんよ? 死人を綺麗に保存しておける魔女ならいるかもしれませんケド」
じろりとルーカスを見つめれば、まるで底知れないようなおどけた瞳が、一点、今度は真っ直ぐに真面目な顔をして俺をみつめてくる。
「……あーあ、馬鹿なことしちゃって、まァ……。
殿下の、何を見て、こんな蛮行に及んだのかねぇ? ……何よりも手を出しちゃダメなお姫様でしょうにっ」
クツリ、と唇を歪めて、ルーカスが笑った。
「だって、こんなにも、執着してるんだから」
そうして、ルーカスは、妹を抱えたままの俺をそのままにしながら。
妹の、既に生気のない真っ白なその手の甲をとって、仰々しく、そこに唇を落とした。
「……可哀想な、お姫様……。
あなたが殺されたこの未来は、いつか来るかもしれない、お兄様の未来だったかもしれないのにね?」
「……ルーカス」
俺の静かな怒りを前に、ルーカスがケラケラと笑う。
「怒らないでよ、殿下。
あ、もう、今は皇帝だったか、まァ、んなもの、どうでもいいや。
大体、いつか、こうなることくらい予想だってついてたんじゃない?
それをずっと、対処しなかったから、こうなってんだよな?
それで、弟君に罰を与えるの? 与えられることが出来る訳っ? ……無理だよねぇっ?
だって、ギゼル様は、殿下のために、お姫さまを殺したんだからさァ!」
「……っ」
「自分だけ赤色の、その瞳を捨てておいて、王家の証である由緒正しい金を保有しているだなんて世間を欺き続けながら、同じ赤を持つお姫様には、こんなにも執着して、一切、興味のないフリをし続けて……っ。
逃げ続けた末路が、此れだよ? こんなにも笑えることある?」
ルーカスが、楽しそうな笑みを溢す。
「……可哀想な、殿下。でも、本当に可哀想なのは、誰なのかなァ? あんたのことを一番に思ってる弟君? それとも度々、暴走する皇后様?
滑稽だよなァ、だって誰も知らないんだぜ、殿下が何に興味を持って、誰を想っているのか?
お前の、片目は、お姫様の髪と同じく……一生を縛る呪いだよなァ?
本当に殿下のことが理解出来て、殿下と境遇を分かちあえる存在は、この世でたった一人だったのに……」
そうして、俺の表情を見て、満足したようにコイツは笑った。
「……冷たくなったお姫様を、そのままにして保存しておける魔女なら一人知ってるよ。
俺も、お世話になったからさ。これで、殿下も人の道を踏み外した、俺の仲間入りだね?」
狂気を孕んだ、ルーカスのその言葉に俺は何も答えることが出来なかった。
……俺が、コイツを壊したということを、俺はこれから先も嫌というほどに思い知らされて生きていくのだろう。
母が、過去、断れない立場であった、コイツを使って色々と動いていたことを、俺は随分、後になってから知った。
その時には、もう、コイツは壊れていた。
コイツの大切がいなくなってから、それには拍車をかけた。
俺は、その時、此奴の事も、母上のことも、その罪を隠す道を選んだ。
【俺のせいで、色んな人間を苦しめていた、後悔に苛まれて】
――贖罪。
一生をかけて、罪を償うつもりだった。
だが……。
【殿下のソレは、罪を償うことの押しつけだよなァ?】
――自分が、ただ、楽になりたいだけだろ?
ルーカスにそう言われて、ハッとした。
その言葉は、何処までも心理をついていた。
今も、ルーカスは俺の傍にいる。
進むことも、戻ることも出来ないまま、俺は王位を継いだ。
何も知らない父上は、大分前に隠居のような形で皇宮から離れている。
――俺を含め、俺たち家族の事をどこまでも信用して。
戴冠式で王の冠をこの身に受けた、その全てが今は重くのしかかってくる。
既に、父上に実権は無い。
だからこそ、弟もアリスを貶めるようなことが出来たのだろう。
誰に唆されたのかは分からないが……。
アイツのアリスを嫌う気持ちが、俺の事を崇拝するような気持ちが……。
こんな事態を招いているのは明白だった。
それでも……。
妹の死は何ごともなかったかのように、不慮の事故か……。
それとも、急な病死として粛々と処理されてしまうだろう。
世間の波だけが、ただ、足早に……。
俺のことを置いてけぼりにして進んでいく。
存在そのものが、罪だというのなら。
俺も、アリスと同じだろう……。
生きているだけで、罪だというのなら。
今、俺の腕で、冷たくなっている、アリスと俺で……。
……一体、何が違うというのか。
【……おにいさま】
いつも、俺に怯えたような表情を向けて来た、アリスの顔が鮮明に今、呼び起こされた。
「……今、温かい場所に連れていってやる。もう少しだけ、我慢していろ」
抱きかかえた、物言わぬ骸に声をかけた。
さらり、と紅色の髪の毛が風に乗って揺れる。
綺麗なその顔だけ見れば、まるで眠っているだけのようで。
――内心では分かっていた。
本当に、苦しまないように、安らかにしてやるには弔ってやることこそが一番のことだと。
だが、俺はその道を選ばなかった。
骸でいいから、その亡骸を、俺は……。
身勝手にも、傍に置いておくことを、選んだのだ。
【俺とアリスは映し鏡だった】
俺も、もしかしたら、これから先、誰かに殺される日がくるのかもしれない。
それが、捨てた瞳が関係して殺されるものなのか、皇帝という立場故に殺されるものなのかは、分かりはしないが。
ただ、ひとつ。
言えることがあるとするのならば、
【きっと、碌な死に方などしないだろう……】
――この、執着という思いが何であるのか、俺は未だ明確な答えを持てないでいる。
だが、確かにそれは、歪な感情を俺にもたらして。
全てが後手に後手に回ってしまった後悔も、何もかもを手のひらの中で握りつぶして。
振り払うことも出来ずに、妹にだけ、揺さぶられるこの想いの行き場は、目の前の亡骸に、向いた。
それが、無理だと知りながら……
……いつか、忘れられる日が来ることをただ願った。