485 お母様が生きた軌跡
お母様の日記に書かれた一言に、強いショックを受ける間もなく……。
私と同様、困惑したようなお父様とお祖父様から、申し訳ないと言わんばかりの視線が向いたことで、お母様の気持ちは変えられないものだから、『二人がそんなふうに謝罪するような瞳を私に向ける必要なんてどこにもないのにな』と思いながらも、私は、二人に無言のまま頷いて、続きを促したあと、意を決して、お母様の書いた日記の続きを読むことにした。
そうして、お父様が震える指先で、神妙な面持ちをしながら、一枚、ページを捲ってくれると……。
【もしも、陛下に似て、金色を持った子が生まれてきたのなら、あの子をこの手に抱いて、愛してあげられただろうか……?
可愛いとは思うのに……っ、この手に抱いてあげたいとも思うのに……っ、赤を持って生まれてきたことが判明したせいで、どうしても、その勇気が出ない。
私が、あの子を赤持ちに産んでしまったせいで、あの子もこれから先、皇宮で、私と同じ思いをするようになってしまうのだろう。
……そのことが、どうしても堪えられなくて、何もかもが小さくて、こちらに向かって、ふわりと柔らかい笑顔を向けてくる、無垢な赤ん坊のあの子から逃げるように目を背けてしまったっ】
と……、そこには、私が赤を持って生まれてきたことで、お母様自身が今まで大変な思いをしてきていたからか、私に対して『可愛い』という感情を持ってくれつつも、どうしても複雑な思いが先立ってしまって、愛してあげられないというか……。
この手に抱くことへの勇気が出ないという苦悩のようなものが綴られていたことで、私は、内心で、上下に入り乱れるような感情に酷く混乱しつつも『お母様本人が、ただ、私のことを嫌っていた訳ではなかったんだ』という思いで、心の中がいっぱいになってしまった。
巻き戻し前の軸でも、今の軸でも、私自身も経験していることだから、赤を持って生まれてきたことで、世間一般の人達の差別の目から逃れることが出来なかったお母様の苦しみというのは、手に取るように理解することが出来た。
――だから、お母様は、私に対して、いつも複雑そうな表情で、逃げるように目を逸らしていたのかな……?
てっきり、私自身は、望まれて、産み落とされた子供ではなかったのだと思い込んでいたし……。
幼い頃のお母様との数少ない遣り取りを思い出してみても、お母様は、いつも私から目を背けるばかりで、揺らいだその瞳には、決して私の姿は映らないのだと……。
勇気を出して、精一杯、手を伸ばして、お母様に近寄ってみる度に、現実を思い知り、悲しみに支配されて、胸がツキンと痛み出し、モヤモヤしてしまっていたばっかりに、お母様の本心から『私のことを可愛いと思う』という言葉を目にすることが出来ただけでも、自分の胸が否応なしに期待で高まってしまうのを抑えられなかった。
そうして……、周りから軽んじられるというお母様の地獄の生活は、皇后になってからも続き、生まれてからずっと、私自身がそうだったように、お母様も皇宮の侍女達からは冷遇されて過ごしてきたみたいで……。
私とはほんの少し違い、元々、大公爵の家柄で生まれて身分の高かったお母様自体は、直接、躾などと称して、マナー講師などから暴力などは振るわれていなかったみたいだけど、それでも、白い目で見られながら、口さがない噂で陰口を叩かれ、淡々とめんどくさそうに必要最低限の給仕しかされてこなかったみたい。
更に言うなら、お母様の日記の中で……。
【陛下が、この日に、生まれたばかりのあの子のことを見にくると言っていたのに、結局、仕事で忙しく来ることが出来なかったみたいで、本当に悲しく思う。
生まれたその日だけで、そこから一度も、あの子のことを見にきたことがないということは、赤を持って生まれてきてしまったアリスのことは、もう、どうでも良いと思っていて、やっぱり、陛下は、誰からも尊敬される、あの御方のことが何よりも大事に違いない。
それでも、お忙しい陛下に、我が子を見に来てほしいなどと、我が儘を言うことは出来ないだろう】
という悲しみに濡れた言葉が書かれていたのを見て、お父様が瞬間的に顔を真っ赤にし、憤ったように拳を強く握り……。
「……この日に、会いに行くだなんて、私は、一言も言っていない……っ!
私の記憶が確かなら、この日は、どうしても皇宮での会議があって、彼女のもとには行けなかった日だったし、それについては、皇宮で働く従者達なら、誰もが分かっていたはずだ……っ!
ハッキリ言って、アリスが生まれてからずっと、私自身は、何度も、その姿を、一目でもいいから見に行こうとしていたが、私が、そのようなことを言う度に、当時、彼女に付いていた侍女達が、ただでさえ、病弱な皇后様ですから、産後の状態があまり良くなくって、皇女様にお会いするのは、今は避けた方が宜しいかと思いますと、進言してきたんだ。
皇后様も、陛下にお会いするのは、言葉には出されませんが、あまり乗り気ではない様子ですので、ってな……っ!
それを信じ切っていた私も悪いが、厚顔無恥にも程があるっっ!
今更になって、このような状況を知ることになるとは……っっ!」
と、お母様に付いていた侍女達の陰謀により、嘘に塗れた報告で、お母様と当時、すれ違ってしまっていたことを、お父様自身が本気で後悔している様子で、あまりにも強く握ったのか、怒りを抑えきれないかのように、その拳が血の気を失うかの如く、次第に真っ白になっていっていて……。
お祖父様もお父様のその言葉を聞いて、皇宮内で冷遇されてき続けた、お母様が今まで置かれていた状況に、強い憤りを感じずにはいられないみたいだった。
「申し訳ありません、叔父上。
……全ては私の責任です……っ!
本来なら、護るべきはずの妻も、娘も、今まで見てやれていなかったことで、きちんと護ってあげることすら出来ておらず……っ!
私は、本当に、自分自身が、情けないっっっ!」
「……あぁ……っ、そうだな……。
そうじゃないと言いたい所だがっ、確かに、それに関しては、お前の、監督不行き届きだったようだな……っ。
だが、それでも、実家を頼ることも出来たはずなのにっ、公爵家へと逃げ帰ってくることも出来たはずなのに……、娘が、そうすることさえもしなかったというのは、私自身にも責があることだっ。
それで、娘だけではなく、孫娘であるアリスにまで、辛い思いをさせてしまっていたとは……っ!
今まで、その異変にすら気付いてやれなくて、私も自分自身が、本当に情けないっ!」
そうして……、お父様とお祖父様が口々に私達を思い遣るような言葉として、後悔が滲んだ様子で、そう言ってくれたことで、お母様が、もしもこの場にいたとしたら、私と同じ気持ちだったんじゃないかなと思うんだけど。
二人がそれだけ自分達のことをしっかりと考えた上で、これまでの間にも、何か出来たんじゃないかと猛省してくれたことに、嬉しい気持ちから、私は感極まって、思わず泣き出してしまいそうになってしまった。
その上で、お母様の苦悩は、これだけに留まらず……。
私が生まれてきてから、より、お父様との仲について、周囲に邪魔をされていたことで、二人の思いが日に日にすれ違っていってしまい、とうとう、お母様自身は、私を産んでしまったことすらも……。
【陛下は、あの御方が生んだ、この子の二人の兄であるウィリアム殿下と、ギゼル殿下の方は、しっかりとその目で見ている様子だというのに、我が子に対しては、一度も振り向いてなどくれていない。
……父親にも、きちんと愛してもらえない、自分も、また、どのように愛していいのかさえ分からない。
それならば、この子は、本当に、生まれてこない方が幸せだったのかもしれない】
という思いを強くしていくようになり……。
そうして、私が歳を重ねていくごとに、その思いは更に暴走するかのように……。
【もしも、陛下に似た子供だったなら、陛下は、この子を、たった一度でも見てくれることがあっただろうか……?
そのことに、応えることも出来ず、赤を持っている自分とそっくりの子供を産んでしまったことを、本当に申し訳なく思う。
それと同時に、日に日に、あの子が私を真似て、良くない方向に進んでしまっている。
似なくてもいい部分で、私にそっくりになっていく度に、胸が締め付けられるように、ただただ苦しくなってくるばかりで……。
私に、お母様と呼んで、その小さな手を一生懸命に伸ばしてくれる時もあったが、その手を握り返してあげることが、私には、どうしても出来なかった。
皇宮でもお荷物の私と接しているだけで、あの子もまた、今以上に酷い環境に置かれ、私のように同じ道を歩んでしまうようになるかもしれない。
ただでさえ、赤を持っていることで、あの子もまた、病弱かもしれないのに……。
元気な子に生んであげられなくて、それだけでも、本当に申し訳ないと思う……。
それでも、生まれた子供が私に似ていて、これから先、自分と同じ末路を辿るのかもしれないと思うと、愛したい気持ちはあったが、どうしても、その姿が過去の自分を見ているようで、愛してあげることも、抱きしめてあげることも出来なかった】
という言葉が、お母様直筆の文字で綴られたあと……。
【今日もまた、愛し方が分からなくて、アリスのことを避けることしか出来なかった……。
これから先、あの子は、この世の不条理から逃れることも、醜い政治争いから逃れることも叶わぬのだろう……。
この子の人生が、この先もずっと、私と同じようなものになるのだとしたら……、アリスの周囲が、ただただ淀んだ醜いもので塗り潰されて、不当に貶められていくのだとしたら……。
いっそ、この手で全てを終わらせてしまった方がいいんじゃないか……?
それが、私に出来る、この子にしてあげられる、唯一のことなんじゃないだろうか……?】
と……、当時のお母様の心境として、子供を持ったことへの苦悩や、自分の境遇での心配事について、水滴が落ちては滲んだ様子の日記の中に書かれているその内容を、1文字、1文字、噛みしめるように読んでいった上で、私は、最後の言葉を読む頃にはもう、ボロボロと抑えきれずに涙を流してしまっていた。
そこに綴られていたのは、私を産んでしまったことへの後悔と、自分を責めるような言葉ばかりで、私の人生が酷いものになってしまうことを予期するかのように、お母様自身が身を以て体験していたことで『この世界に生きていることの方が地獄なのだ』と、まるで、そう言わんばかりのものになっていて、私はぎゅっと鷲掴みにされるかのように、胸が苦しくなってしまった……。
お母様がしたことは、あまりにも身勝手なものだと思うし、私に手をかけようとしたことが、それで正当化される訳ではないけれど……。
――愛し方を知らず、向き合ってもくれなくて、逃げているばかりだったように思えてしまうものの、テレーゼ様の言うように、お母様は、決して、私のことを愛していなかった訳じゃなかったのだと……。
あの日、お母様が、私の首を絞めたことの裏側に、そういった事情が隠されていただなんて知らなかった。
それは、確かにしこりとなって、トラウマとなって、今も私の胸の中に色濃く残ってしまっているけれど、それでも、内心では、複雑な心境の中に、僅かに嬉しいと思う気持ちも、私の中に確かに存在していて……。
お母様から、ただただ、忌み嫌われて、望まれていなかった訳じゃなかったんだ、と、ホッと安堵の気持ちも出てきただろうか……?
現に、お母様が危惧してくれていたように、巻き戻し前の軸の私の人生は、地獄そのものだったから。
今までは、お母様自身が、私に対して殺したいほど憎かったのかと勘違いしていたけれど、そうじゃなかったことは、そのあとの日記からも、お母様が私のことをどれほど思ってくれていたのか……。
幼い頃に、ローラと一緒に、皇宮で、一生懸命、庭で花を摘んで、お母様に持っていったことなどについて、本当は嬉しかったけど、自分の侍女達が邪魔をしたり、結局、貰っても、部屋に飾ることすらしてもらえなかっただろう、と、本心からは喜んでくれていたのだとか、そういった気持ちも綴られていたことで、決して、私に対して、いつもそのように、ここで人生を終わらせてあげた方が、私のためになるんじゃないかという思いにだけ支配されていた訳ではなかったことも、私を安心させる要因の一つだった。
それでも、日を追うごとに、部屋で引きこもりがちだったお母様の耳にも、私の状況に関しては、ある程度、入ってきていたみたいで、私が暴力を受けていたことなどは知らなかったみたいだけど、侍女達からも冷遇されていたり、マナー講師などからも酷い扱いをされていたのだというのは、知ってしまったみたい。
だからこそ、あの日に、私が、お母様とお出かけをすることになったのは、お母様の気紛れなんかじゃなくて……、私が皇宮で酷い目に遭っていると知ったお母様がお父様に頼み込んで、詳しい事情は説明せずに外出許可を取ってくれたらしく……。
【皇宮の中で、こんな思いをさせてしまって、私の立場が弱いから、こんなふうに過ごす苦痛を、アリスに味わわせてしまうことになるだなんてっ、あの子にとっては、生き地獄でしかないんじゃないだろうか……っ?
だからこそ、今まで距離を取ってきたというのに、結局、皇女として生まれたことで、私のように、辛い思いをさせることになってしまって……。
今更、もう遅いかもしれないけれど、今回の外出が、ほんの少しでも、あの子にとって、アリスにとっての気晴らしになれば良いと思う。
……どういうふうに、愛してあげればいいのか分からないし、普段、私自身が、あまり外には出ないから、子供が喜んでくれるようなお店に連れていってあげられるかどうかさえも分からないけれど……】
と、綴られていて……。
お母様なりに、色々と考えた上で、遅まきながらも、私と向き合ってくれようとしていたからで……。
お母様が亡くなることになったあの夏の日、お母様は一体何を思って、どういう心境で、私の手を引いて私のことを見つめてくれていたのだろう……?
その上で、あの日に誘拐事件が起きてしまったことで、お母様は、私以上に、自分の存在がどれほど人々から蔑まれ、忌み嫌われているものなのかということを痛切なまでに実感し、ただ、赤を持つというだけで、こうも強い憎しみのもと、ナイフで刺され、殺されなければいけないのかと、その状況に、絶望に暮れてしまっていたのかな……っ?
――ただ生きているだけで、私達は、誰かから殺されなければいけないほどに、酷いことをしたのだろうか……っ?
恐らくだけど、それまであった、辛うじて残っていたお母様の正気を保つための最後の糸さえも、ぷつりと、そこで千切れ切ってしまったのだと思う。
『紅色の髪は魔女の証』
『蛙の子は蛙』
『私が悪魔だというのなら……』
『ねぇ、アリス』
『私の可愛いアリス』
――あなたが悪魔じゃない訳、無いわよね……?
暴漢達に、ナイフで刺されて最期を迎えるその瞬間、水たまりを作るかのように地面に血が滴り落ちて、ゆっくりと血だまりが広がっていく中で、いっそ、誰かの手によって殺されるくらいなら、自分の手でそうした方が良いのではと、我が子である私に手をかけようとしたのだろうか……っ?
これから先に待つ、私の人生そのものが、絶望に塗れたものになると、実感しながら……。
お母様にかけられた、呪いのような、あの時の言葉の意味合いが、今、大幅に変わってきていることに、私は、自分の顔を手で覆うことも出来ずに、ただただ、その場で、ボロボロと、頬を伝って溢れ落ちていく涙を止めることも出来ずに、お母様のことを思って、人目も憚らず、泣きじゃくってしまった。
――お母様が本当に、心の底から信用出来なくて憎んでいたのは、他の誰でもない自分自身だったのかもしれない。
あの日の事件は、本当に一般市民の犯行により、その裏には特に誰も絡んでいなかったものだったけど、私を産んでしまったことで、自分だけではなく、私が今後、周囲から傷つけられていく状況は避けられないだろうと悟ってしまい、その責任感から、お母様自身が、あんな暴挙に出てしまうくらいには、追い詰められてしまっていたのだと思う。
それでも、最期のあの瞬間……。
私は、お母様の息がなくなって事切れることで、その手が緩んで、自分だけが生き残ってしまって殺されなかったのだと、複雑な気持ちを抱いてしまっていたけれど……。
私自身、今になって、思い出したことがあって……。
『アリス……、私は……っ、』
と……、私が、その手から解放されて、けほけほと、咳き込んでいた時に、多分だけど、お母様には、まだ息があって……、今思えば、お母様の唇が、最期に、ほんの僅かばかり動いたあとで、私の名前を呼んで、何かを言いかけていたことからも……。
恐らくだけど、最期の最期になって、葛藤の末に、お母様は、私のことを自分の手では殺すことが出来なかったのかもしれない。
……私自身、今まで、自分の人生なんて、どうでも良いと思っていた。
だからこそ……。
――どうして、いつも、私だけが生き残るんだろう……?
お母様に、殺されかけたあの時も……。
お兄様に、殺されかけたあの時も……。
いつだってそう感じて、苦しい状況に、ただ、他の人ではなく、自分が死んだ方が良かったのかもしれないと思ってきたけれど……、私は、そのたびに、誰かの手によって、この命が繋がれることで、生かされ続けてきたのかもしれない。
その事実を、今、実感したところで、複雑な感情は抑えられず『どうして、私の人生は、こんなにも困難続きだったのだろう?』と悲しく思う気持ちもあったものの……。
それでも、今、セオドアや、ウィリアムお兄様、アル、ルーカスさん、そして、ローラやエリス、ロイといった優しい人達に囲まれて、お父様や、ギゼルお兄様からの誤解なども段々と雪解けのように溶けていき、手放しに、私のことを大切に思ってくれている人達に出会えることが出来たのは、私がそういった大変な出来事がある度に、生き存えてこれたからだと思う。
今回の軸で、沢山の優しい人達に囲まれて生活することが出来ている私は、私とは違い、亡くなるその瞬間まで独りぼっちで誰にも頼ることが出来ずに、そうではなかったお母様のことを思うだけで、胸がいっぱいになって、張り裂けてしまいそうになるんだけど……。
私がセオドアに出会えたことも、アルに出会えたことも、ルーカスさんに出会えたことも、ウィリアムお兄様や、お父様、ギゼルお兄様の誤解などが解けていったことも、巻き戻し前の軸の時のことを反省し、今回の軸では、心優しい性格のローラをお手本にして、私自身が、一生懸命、目の前のことに向き合ってきたというのも、ほんの僅かばかり影響しているのだとは思うんだけど……。
――それでも私は、周りにいる人達に、心の底から恵まれているな、と感じてししまう。
生前のお母様の傍に、そのような人がいてくれたなら、きっと、また違っていただろう……。
もっと早く、お父様やお祖父様だけではなく、私自身が、お母様の深い悲しみに気付いてあげることが出来ていたならば、その寂しさも、苦しさも、分かち合うことが出来て、お母様のことを『もう、大丈夫だよ』と、抱きしめてあげることが出来たかもしれない。
生まれてからずっと、苦しくて、悲しくて、寂しくて、自分がこの世に生まれてきたことすら間違いだったのだと思ってきたけれど、今は、自分には、いっそ有り余ってしまうくらいに……、時に申し訳なく思ってしまうくらい過剰に、周りにいる優しい人達のお陰で、幸せだと感じることが出来ているから……。
この手を両手いっぱいに広げても、その身体の全てを包み込んであげることは出来ないかもしれないけれど、もしも叶うのならば、どうしようもないほどに孤独を感じて、独りぼっちだったお母様の寂しさを埋めてあげられることだって出来たかもしれないし。
お母様が私のことを心配しなくても、『何も心配しないでほしい。……今の私は、充分、幸せだよ』と、伝えてあげることだって出来たのに……。
色々な感情が、あとからあとから、溢れては止まらなくなって、胸が苦しくて、泣きじゃくっている私のことを、お父様もお祖父様も、どうして良いのか分からない様子で、後悔に濡れた瞳で、ただ見つめていた。
そんな私に、直ぐに駆け寄ってくれて、傍で手を握ってくれたのは、セオドアで……。
一緒に、日記の内容を把握してくれたことで、何も言わないけれど、私の感情の機微を悟って、ただ、寄り添うように私の傍に付いてくれているだけで安心して、本当に、心の底から嬉しく思う。
きっと、一人だったら、お母様の日記を最後まで読むことが出来なかった。
アルも、ローラも、エリスも、ロイも、私のことを心痛の面持ちで、見守ってくれていて……。
それでも、誰も何も喋らない中で……。
私自身が、一瞬だけ、私の能力を使えば、もしかしたら、お母様を生き返らせることが出来るんじゃないかという禁忌が、頭の中を過ったものの……。
お母様の身体はもう、お墓の中に埋葬されてしまっていることで、生き返らせるにはきっと難しいほどに、あまりにもボロボロになってしまっているだろう……。
たとえ、一国の皇后として、一般の人よりも大事に、丁寧に埋葬されていたとしても……。
それに、私自身の能力が亡くなってしまった人に対しても、有効なのかどうかというのは、ハッキリ言って全く分からないものだし、悪戯に人の身体を弄るようなことになってしまうのだけは、絶対に避けたいと思う。
そうして……。
自分自身を悔やんでも悔やみ切れないといった様子で、お父様からもお祖父様からも申し訳ないという表情で見つめられたあと……。
一国の主としては相応しくないほどに、頭を床にこすりつけそうな勢いで、お父様から頭を下げられたのが見えた瞬間……。
「アリスっ……!
……私自身が、何かを言うことすら烏滸がましいと思うが、本当に今まで、お前のことを見てやれなくて、申し訳なかった……っ。
彼女が、お前を産んだあと、お前のことを考えて、そこまで苦悩して追い詰められてしまっていたことも、何一つ知らないで……っ!
今、思えば、お前達の軽い我が儘だって、少しでも私に見てほしいと、置かれていた環境へのストレスで、自分の状況に気付いてもらえたらという精一杯の助けを求めるサインだったと思うのに、そんなことにも気付いてやれず……。
私は、本当に愚かで、お前の父親失格だと思う……っ!
心の傷を抱えたまま、それでも、お前は、あの誘拐事件があった以降、いつだって、こんなにも努力を重ねてきたというのに……。
今更、もう遅いかもしれないが、あの食事会の席で、お前に言った言葉には、決して嘘はない……っ!
私は、お前がこの世に産まれてきてくれて、本当に良かったと、心の底から、そう思っている……っ!」
と、お父様から謝罪されたことで、私は、お父様の表情を真っ直ぐに見つめながら、その言葉には、一切の嘘が混じっていないほど、まっさらで混じりけのないものだと実感して……。
私自身、巻き戻った頃は、お父様の言葉すら碌に信じられていなかったけれど、今は、そうじゃないんだということが、ひたむきなその姿からも、しっかりと伝わってきて、ほんの僅かばかり複雑な感情を抱きつつも、ジーンと、嬉しい気持ちが沸き上がってくるのを抑えられなくて、更に、涙腺が刺激され……、その言葉を受け止めたあとに、はらはらと、止めどなく涙を流していたら……。
私が更に泣き出してしまったことで、どういうふうに対応していいのか分からず、私を気遣うように、オロオロと焦ったようなお父様の姿と……。
「アリス、私からも謝らせてくれ……っ!
本当に、申し訳なかった……っっ!
これまで、娘が、私の手紙を受け入れてくれていない様子だったのは、陛下と皇宮の人間達のせいだと思ってきたが……っ。
私自身も、厳しく接するばかりで、肝心な時に娘に頼ってもらえないほど、信頼を築いてこれなかったことで、結局、長らく、お前のことも見てやれなくて、娘共々、あまりにも酷い環境で、苦しめてしまうことになっていただなんてっ!
私は、お前に、お祖父様と呼ばれる資格さえ、有していないだろうなっっ……!?
それなのに、母親との確執があったにも拘わらず、お前は、初めて会った時から、私にも敬意を払ってくれて、お祖父様と呼んでくれるようになって……っ、それがどんなに嬉しかったことか……っ!
お前の状況を分かった気になって、助けてやることも碌に出来ず、本当にすまなかった」
と、その横で、お祖父様からも、深く頭を下げられてしまったことで、私は泣きじゃくりながらも、あたふたと『いえいえっ……、そんなっ! お父様も、お祖父様も頭を上げて下さい』と、思わず声をかけてしまった。
そうして、しゃくりあげるような涙を何とか堪えようとしながらも、涙声のまま……。
「そんなふうに……っ、こうして……っ、お二人から……、謝罪をして頂けるだけでも、凄く嬉しいですし……。
お父様も……っ、お祖父様も……っ、今、私のことも……っ、お母様の……、こともっ、その状況を、見ることが出来ていなかったのだと……、後悔して下さっているのは、充分に伝わってきますので……っ。
どうか……っ、お二人が……、あまり、気に病まないで、下さい……っ」
と、ズビっと鼻を啜りながら、声をかけると……。
私の言葉に、二人とも驚いた様子で、目を見開いたあと……。
「……あ、アリス……っ! こんな、私のことを許してくれるのか……っ!?
いや……っ、だが、やっぱり、今まで私がしてきてしまったことを考えると、決して、直ぐには、許そうと思わないでくれ……っ!
それだけのことをしてしまったんだということは、私自身が一番、理解していることだから……っ!
今までのことを考えれば、今更、どの面を下げて、そのようなことを言っているのだと、これからお前と親子として接することすら、本当に申し訳ないと感じている部分はあるが……。
それでも、これからは、父親としての愛情について、誤解やすれ違いのないように、きちんと伝えるようにしていくつもりだ……っ!」
だとか……。
「その通りだと思うっっ……!
アリス……っ、今まで、お前を助けることも出来ないで、本当に、何がお爺ちゃんだっっ!
これまで、私自身、大公爵として、隠居した身で、必要以上には、出しゃばったりしないようにしていたが、それが、このような事態を招く結果に繋がろうとは……っ!
私は決めたぞ……っ! たとえ、誰に何と言われようとも、これから先は、孫娘のために大公爵という権力を遺憾無く使って、アリスのことを助けるためだけに生きることにする……っ!
これから先、お前が望むなら、何でもしてやるからな……っ!
いつでも遠慮なく、公爵家に、助けを求めにきてくれ……っ!」
といった感じで、お父様に謝られたあと、何故か、あれよあれよと言う間に、私に対する謝罪と言わんばかりに、これでもかと、お祖父様から、もの凄く手厚い待遇を受けられることになってしまって、私は、一人、困惑してしまった。
お父様が、遅まきながらも、父親として努力をしてくれるようになったのは理解出来るんだけど、大公爵という高い身分を有するお祖父様の申し出は、歴代の皇族の歴史などを振り返ってみても、あまりにも異例のことで……。
とっても有り難いことには間違いないものの、これから先、どんなことがあっても、最大限、私の味方になると言ってくれること自体が、本当に凄いことで、そこまでしてもらうには、あまりにも過剰すぎるのではないかと、その言葉に、大慌てで、『お祖父様、そんなふうに言っていただけるだけでも、私自身は凄く嬉しいのですが……っ』と、固辞しようとしたところで……。
「それじゃぁ、私の気が済まないから、どうか私の気持ちを受け取ってくれ……っ!
お前には、娘の分まで、一生をかけて償っていきたいんだ……っ!」
と、ダメ押しとばかりに、私の為に何かをしたいと思ってくれているであろうお祖父様に説得されてしまって、『本当に良いのかな?』と戸惑いつつも、お母様にしてあげられなかった後悔と共に、私のことも考えてくれて、ここまで言ってもらえていることから、お祖父様に感謝の気持ちを抱いた私は、その言葉を真剣に受け止めた上で、有り難く頂戴しようと、こくこくと頷き返した。
【……これから先、いつだって、お祖父様が味方でいてくれることは、本当に心強いことに他ならないけれど、他の貴族達からの反感などもあるかもしれないし、私自身というより、お祖父様の方が、大変な思いをするかもしれないのに……】
そんなふうに言ってもらえるだけで、本当に心の底から嬉しいなと思う。
それでも、私が感謝の気持ちを持って、二人のことを見つめる以上に……、何故か、お父様も、お祖父様も『お前のお陰で、私達は、本当に救われているんだ』と、目尻を下げながら、柔らかく声をかけてくれて……。
まさか、お母様の日記を切っ掛けにして、お父様とも、お祖父様とも、こうして、今まで以上に仲が深まることになるだなんて、私自身は思いも寄らなかったことだったけど……。
――巻き戻し前の軸の時からは、本当に考えられないようなことが起きているなぁ……、と。
私は、お母様の日記に思いを馳せながら、複雑な心境を抱きつつも、お父様とお祖父様と一緒に、お母様がこの世に生きた軌跡を追って、お母様の本心に触れ、今までのお母様の言動についての理由に直面したばかりで、まだ、それを受け止めるには時間がかかってしまうだろうと感じながらも、一つ、一つ、噛みしめるように、お母様の言葉を、大事に心の中に仕舞っていくことにした。