468 時を司る唯一無二の魔女と、眠れる森の少女
あれから……。
エヴァンズ家の面々と一緒に、ソフィアさんのために用意されたのだという子供部屋の扉を開けて、ソフィアさんが眠っているベッドまで近づいて行くと……。
天蓋の付けられたベッドで、遠目からは見えにくくなってしまっていたけれど、直ぐに、ソフィアさんの今の現状が、どういうふうな状況になっているのかということは、私自身も、確認することが出来た。
その上で……。
――そんな……っ、!
と……。
その姿を見て、思わず、悲鳴にも似た、声にもならない声が、表に出ることもなく、口の中に溢れ落ちていく。
ベッドの上に横たわる……、耳を澄まして聞かないと、聞こえないくらいの微かな吐息でありながらも、繰り返される浅い呼吸から、衰弱しきっていると一目で分かるくらいの、肩より短めの髪を持つ、柔らかな雰囲気の女の子。
ソフィアさんを、中心にして……、木製のベッドに、緑色の瑞瑞しい茎状の蔦のようなものが絡まり、床や壁にまで、自分の陣地を広げるかのように伸びようとしていることで……。
さながら、童話の中に出てくる『眠れる森の美女』のような、茨姫みたいになっていて、私は、グッと息を呑み込んでしまった。
【まるで、ソフィアさんの身体を覆うようにして、伸びている茎が……っ、その命を吸い取っていっているみたい……っ】
ヒューゴの紹介で、ブランシュ村で会った時、ベラさんも、かなり、自分の寿命を削ってしまっていて、その状態に、私自身、何も出来なくて、ヤキモキしてしまっていたけれど……。
これは、もう、そんな状態ですらないほどに、あまりにも酷い状態になってしまっているというか……。
私自身、能力を極限まで使用して、命がもう残り僅かになってしまった魔女を初めて見たこともあって、しっかりと、ソフィアさんの状態を確認するよりも、早く治してあげたいという気持ちの方が強くなり、ベッドで眠るソフィアさんの傍まで、脇目も振らずに駆け寄っていく。
その際……。
ベッドの横の……、サイドテーブルの上に置いてある園芸用のハサミを使って『ほんの少しでも、皇女様が動きやすいように』と……。
エヴァンズ夫人が、私に配慮してくれて、『邪魔をするな』と言わんばかりに、ソフィアさんの身体を覆うようにして伸びてしまっている植物の茎を、幾つか切り取ってくれるのが見えた。
そうして、私が、生気を失って、青白くなってしまっている、ソフィアさんのその手を握っても、くたりとベッドに横たわっている、ソフィアさんの身体は、一切、微動だにすることもなく……。
それだけで……、ソフィアさんの身体の限界が近くなっていて、命の灯火が失われかけているという、何よりの証拠だと言えるだろう。
――本当に、今この瞬間まで、一生懸命に頑張って、その命を繋いでくれていたのが、いっそ、奇跡だと思えるほどに……。
目に見えて分かるくらい、ソフィアさんの身体はもう、今にも持たない感じで、いつ、呼吸が止まってしまっても可笑しくない危険な状態だった。
それから……。
私が、一度だけ、辺りを見渡して、これから自分の能力を使うということを、無言のまま、みんなに知らせれば、ごくりと、固唾を呑んだまま、夫人を筆頭に、エヴァンズ家の面々と、セオドアや、アル……、お兄様といった、私の傍に、いつも付いてくれている人達も、みんな一様に、こくりと頷いてくれた。
誰も、何も、言葉を喋らない、静かな空間の中で……。
私は、ベッドの横にしゃがみ込み、ゆっくりと、ソフィアさんの手を握っていた自分の手を持ちあげて、まるで、願掛けのように、ソフィアさんの手の甲へと、自分のおでこを当てていく。
その上で、この間……、アルの身体で練習をさせてもらった時のように、余計な雑念が入ってこないよう、一度だけ大きく深呼吸をして、自分の能力を使うために、意識を集中させていくことにすれば……。
この世界全体に干渉して、時間を巻き戻すよりも、繊細なコントロールが重要になってくる分だけ気は抜けず、それだけ、集中力が必要になってくると自分でも分かっているからこそ、今は、誰も音を立てていない『静かなこの空間』が、本当に、ただただ有り難く思えてくる。
そうして……。
【出来れば、どうか……、年齢を操作することもなく。
アルの仮説に基づいて、能力のみに干渉して、ソフィアさんの寿命を延ばすことが出来ますように……】
と、祈るような気持ちを、心の底から抱きつつ。
私は、目の前で、寝たきり状態になってしまっているソフィアさんの胸の方へと、真っ直ぐに視線を向ける。
私自身が能力を使用する際に……、胸の奥深くから、熱を持つように沸き上がってくる、その感覚を頼りにして、魔女と呼ばれる能力者の誰しもが、心臓に近い場所に魔力を内包しているのだと、その一点のみに意識を集中させ……。
――どうか、ソフィアさんが、これ以上、苦しむことがありませんように……。
と、願いを込めながら……、私自身、心臓の近くを起点にして、身体の奥底から迸るように駆け巡っていくそのエネルギーを、たぐり寄せるようにして、全神経を傾けていく。
その上で……。
【巻き戻れ……っ】
と、いつも以上に、感覚を研ぎ澄ませ……っ。
ソフィアさんの能力部分のみについて魔法がかかるようにと想像力を高め、自身の魔力をコントロールするように繊細に、私の手から漏れ出してきた光を、ソフィアさんの身体、奥深く……、心臓の近くにある魔力の根源に入れるようにして、エネルギーを放出すれば……。
その瞬間……。
確かに、私の中にも、『ソフィアさんが使った能力の分だけ、時間を巻き戻せている』という、あまりにも、大きすぎる手応えが感じられ……。
その感覚に、思わず、ぶるりと身体が震えてしまった。
「……っ、……う゛ぅっっ、……ぁっっ、」
――能力の反動で、堪えきれなかったかのように、額から、汗が、溢れ落ちる……。
私自身が使用している能力の大きさも……、巻き戻す時間に関しても……、世界全体に干渉している時に比べたら、本当に、微々たるものでしかないはずなのに、いつも以上に、疲れが滲み出ているのは、それだけ、その人の人生、そのものが、私の手に委ねられ、絶対に、失敗できないものだと感じてしまっているからで……。
大きすぎても、小さすぎても駄目で、適切な分量だけの魔力をコントロールするのに、いっそ、すり切れてしまいそうなほどに、神経を使っていることも関係していると思う。
……ルーカスさんが、テレーゼ様の下に付くことになったのは、今から、約3年ほど前のこと。
そうして……。
ベラさんの延命措置で、冬眠する動物達と同じ原理で、適切な温度で、エネルギーの消費量を減らすために、その身体を凍らせて……、ソフィアさんの身体の体温を下げてくれていたことから、ベラさんの魔法がかかっている内は、能力を使わずにすんで、あまり、寿命を削ることにもならなかったみたいだけど。
今、現在……。
7歳のソフィアさんが、3歳の時に魔女の能力に目覚めたことで、この4年で、削ってしまった寿命分に関しては、あまりにも大きくて、……出来ることなら、今回、私は、『ソフィアさんを、能力が発現する前の状態まで戻すことが出来れば良いな……』と、深く感じていた。
アルの時は、1年だけだったけど、コントロールをして、能力の部分のみに干渉することで、4年分の時間を巻き戻すことが出来れば、大分、楽になるはず……。
実際に、能力が発現する前まで戻したところで、完全に、対象者の能力自体を消し去ることが出来る訳じゃないから、これから先もまた、ソフィアさんが能力を発現することになるのは、避けられないことだと思うんだけど。
これが全て上手くいけば、今日から、僅かばかりの期間、ソフィアさんの能力の発現を抑えることが可能になり……、アルからの精霊の紹介なども含めて、今まで、ソフィアさんが、上手く自分の能力を制御出来なかったことに関しても、これから……、自分の傍にいるようになる唯一無二の精霊さん達と一緒に、能力の使い方を学んでいく時間を、ほんの少しでも増やすことが出来るはず。
そうして……。
私が一生懸命、ソフィアさんに向かって『巻き戻しの能力』を使っていくと、年齢自体は、7歳のまま変わることはなく、さっきまで、青白かった、ソフィアさんのその顔が、みるみるうちに、生気を取り戻していくのが見えた。
その上で、先ほどまで、ベッド全体を覆うほどに伸びきっていた植物の茎……、茨の部分が、徐々に、シュルシュルと音を立てて、短くなっては、掻き消えていく……。
その状況に……。
アルの時は、一年分、時間を巻き戻しても、それが本当に、正しく巻き戻っているのかどうか、アル本人の口から聞くまでは、分からなかったけど……。
ソフィアさんの状態は、傍から見ても、直ぐに、良くなっているのだと、理解することが出来て、集中力を途切れさせることはしないまま、『良かった。……アルの仮説通り、ちゃんと、私の能力が、しっかりと効いてくれている』と、私は、内心でホッとする。
その瞬間……。
ごぽりと、耐えきれずに、胃からせり上がってくるように、自分の口から血が溢れ落ち、ベッドの上のシーツに水たまりを作っていくのが見えた。
そのことに……、『思った以上に、大変だな……』とは、思ったものの。
それでも……、今は、目の前で眠っている、ソフィアさんの状態が目に見えて良くなっていっていることがあまりにも嬉しくて、私自身、集中力を切らさないように、ソフィアさんに向かって、力の限り、能力を放出し続ける。
そのあとで……、自分の手のひらから、ソフィアさんの身体を包むように放出されていた光のエネルギーが、光の粒になって、私とソフィアさんの周りを、まるで祝福するかのように、キラキラと飛び散ってから、淡雪のように消えていくのが見えると……。
事態が終息するかの如く、止まっていた時間が、また動きだし……。
「……っっ、ふ……っ、んぅ……っ」
と……。
能力を使ったことにより、意識を集中させていた分だけ、その反動で、身体全体に悪寒のような震えが走るのが分かって、私は思わず、ベッドのシーツを握り締めるかのように、ガクンと、その場に突っ伏してしまいそうになった。
そうして……、どうしても堪えきれずに、『はぁ……、はぁ……っ』と、ただただ、荒い息が、ひたすらに溢れ落ちていく。
数十秒程度、そうしたあと。
ややあって……、ようやく、少しだけ周りを見る余裕が自分の中にも生まれ……、辺りに気を配れば……、私が、ガクンと体勢を崩したことで『皇女様……っ! 大丈夫ですかっっ!?』と、エヴァンズ夫人が、即座に、エヴァンズ家の侍女が持っていたタオルを受け取ったあと、私の方に差し出してくれている姿が見えたり。
後ろから、『姫さん、大丈夫か……?』と、セオドアも私の身体が、後方に倒れないように、一緒にしゃがみ込んで、背後をガードしてくれていたり……。
ウィリアムお兄様が、心配そうな表情で『アリス……っ!』と、声をかけてくれていたり。
隣にいたアルが、すぐさま、私を癒やすために魔法を使ってくれようとしていたりで……。
至れり尽くせりの状況に、みんなに『ありがとう』と、感謝の気持ちを伝えるよりも先に……。
「私のことより……っ、ソフィアさんは、大丈夫でしょうか……っっ!?
アル……っ、私、上手く出来たかな……っっ、!?
ソフィアさんの魂が、今、どうなっているのか、見てもらうことは出来たりする……っ?」
と、思わず、自分のことなんて二の次で、未だに、ベッドの上で眠った状態で、微動だにしない、ソフィアさんのことを心配してしまった。
そうして、私の言葉に……。
「うむ……っ! 全然、問題ないぞっ、アリス……っ!
ソフィアは、無事だっっ! お前のお陰で、能力で傷ついてしまった魂が、完全に修復されている……っ!」
と、太鼓判を押すかのように、アルのお墨付きを貰うことが出来て、その言葉に、私は、心底、胸を撫で下ろして、ホッとしてしまった。
その瞬間……、張り詰めていた緊張の糸が解れるようにして……。
この場の空気が、どこまでも柔らかな雰囲気に変わっていったあと、『ソフィアお嬢様……っ』と、こみ上げてくるものが抑えきれない様子で、涙ぐむように、エヴァンズ家の家令が、本当に良かったという安心感で、声を溢したのを皮切りに……。
思わず……っ、といった様子で、エヴァンズ家の侍女も含めて、エヴァンズ夫人も、良い感情のみで構成された、一言で言い表すには、あまりにも様々な感情が綯い交ぜになったような……、安堵の表情を醸し出したのが見えて、彼等のその態度に、ほっこりと嬉しい気持ちになったのも、つかの間……。
先ほどまで、もう、自分の力では決して動かすことが出来なかったであろう、私が手を握っていたままだった、ソフィアさんの指先が、ほんの僅かばかり、ピクリと、動いたのが見えて……。
私は、まるで自分のことのように、思わず、パッと顔を上げ……。
「皆さん、御覧になられましたか……っ!?
今……っ、ソフィアさんの指先が……っ、ちょっとだけ、動いて……っ、!」
と……。
エヴァンズ夫人や、この場にいるみんなと一緒に、視線を交わし合ってしまった。
その姿を見て……、みるみるうちに目を大きく見開いたあと、わなわなと震えながら、さきほどまで、私に向かってタオルを差し出してくれていた、エヴァンズ夫人の手のひらから、思わず……、といった感じで、そのタオルが地面に向かって、パサリと音を立てて落ちていき……。
「ソフィア……っっっ!」
と、脇目も振らずに、眠っているソフィアさんの身体を抱きしめるように駆け寄った夫人の目から、ボロボロと、大粒の涙がこぼれ落ちていくのが見えた。
「あぁ……っ、皇女様っっ、!
死期が迫ってきていて、手足の末端から徐々に、あんなにも冷たくなっていた、ソフィアの身体が、今は、生気を取り戻し、とっても温かいです……っ!
もう、駄目かと思って、私も主人も、誰しもが諦めていましたのに……っ!
こんなっ、奇跡があるだなんて……っっ! 本当に、本当に……っっ、感謝の気持ちに堪えません!
我が子を、再び、この手に抱けることの喜びや、幸せといったら……っ、何と、感謝を申し上げれば良いのか……っ!
これ以上ないほどの、重恩を、本当に、ありがとうございます……っ!」
そうして、夫人の口からこぼれ落ちた、溢れんばかりの喜びの言葉と……。
眠っているソフィアさんを大事そうに抱きしめる夫人の、その光景に、思わず、私自身も『本当に良かった』と、こみ上げてくるものが抑えきれず、感極まって泣き出してしまいそうになってしまった。
ここに来て、能力の反動で、冷や汗が出そうになる自分の体調を我慢しつつも、今は、そんなことを言っている場合ではないほどに、本当に、この喜びを、ただただ、みんなと一緒に噛みしめていたい。
私が、内心で、そう思っていたら……。
普段は、従者としての規律を守るために、客人の前では、常に鉄の仮面を纏って、部下達にも正しく接しているであろう、エヴァンズ家の家令も……。
夫人と共に、この場にやって来たメイドもまた……、夫人とソフィアさんを前にして、涙が抑えきれなかった様子で、ズビッと、鼻を啜りながら、ぽろぽろと涙を溢しつつ、私に向かって、最大限のお礼を伝えられるようにと、どこまでも、真摯に、頭を下げてくる。
……そうして。
私達が、暫くの間、そうしていると……。
先ほど、一瞬だけ、ピクリと動いた『ソフィアさんの指先』が、ほんの僅かばかり、握り拳を作るように、折り曲げられていったあと。
――もしかして、目が、覚めるのではないか、と、期待して……。
固唾を呑んで、みんなが、ソフィアさんのことを見守っている中で……。
「……ん、っ……、おかぁ、……さま……っ、?」
と、一度だけ身じろぎをした上で、パチパチと何度か瞬きをしたあと、ソフィアさん本人が、エヴァンズ夫人のことを、舌足らずな口調で、そう呼ぶのが聞こえてきて……。
その姿に、今さっきまで、涙を流していた家令や侍女達は、手を取り合って抱きしめ合いながら、大号泣をし始めてしまったし……。
夫人は、言葉にならない様子でありながらも、何とか絞り出すようにして……。
「……ソっ、ソフィー……っ! 私が分かる……っ!?
本当に……っ、あなたっ、寿命が伸びて……っ、声も出せるようになって……、無事なのね……っ、!?」
と、ソフィアさんを愛称で呼びながら、更に、感極まったように、わなわなと震え始めてしまうしで……っ。
私達は、もちろん……っ、ソフィアさんが目覚めたことの喜びで、この場が、歓喜の渦に包まれていくことに、これ以上ないというくらいに幸せな気持ちで、みんなで顔を見合わせてしまった。