464 ルーカスの処遇
私がお父様の声かけに従って執務室に入ったことで、恐らくだけど、先ほどまでお父様に向かって、誠心誠意、頭を下げて謝罪をしていたであろうエヴァンズ侯爵夫妻が、パッと顔を上げ、驚いたように私の方を見つめてきた。
今日、エヴァンズ侯爵夫妻が皇宮へとやってきた理由は、テレーゼ様の下で、ルーカスさんが関わってしまっていた罪に対しての謝罪や、ルーカスさんのこれからを話し合うためということと……。
お父様からの紹介で、寿命を削ってしまった能力者を助けることが出来る人物と一緒に、ブランシュ村へ、ソフィアさんを助けに行くことであり……。
――まさか、この場に、私がやって来るだなんて予想もしていなかったんだと思う。
特に、テレーゼ様が今まで犯してきた罪を考えれば、私自身も被害者として関わりがあるものの。
二人からすると、私が、ソフィアさんのことを助けられる人物だと、このあと、お父様から紹介されるだなんて、今、この瞬間、夢にも思っていないだろう。
その上で、この場の状況を見るに、まだ、二人ともお父様に謝罪をしている最中だったみたいだし、私がここにやって来るのが、少し早すぎてしまったのかもしれない。
そのことについて、人を待たせることになってはいけないからと時間より少し早めに自室を出たものの『エヴァンズ侯爵夫妻のことも考慮するのなら、もう少し遅めにくるべきだったな』と、一人、申し訳なく感じていると……。
エヴァンズ侯爵夫妻は、私がこの場に来た理由について、自分達の息子であるルーカスさんが、長年、テレーゼ様に仕えていて、私に対して迷惑をかけてしまったことで、お父様から、直接、謝罪する機会を設けてもらったのだと、この状況を勘違いしてしまったみたいで……。
一瞬だけ、私の方を見て、驚きに目を見開いたあと。
侯爵も夫人も、すぐさま、ハッとしたような表情を浮かべて、私に対して、誠心誠意、謝罪をするために、深々と、その腰をおり……。
「皇女殿下っっ……!
この場において、発言することを、どうかお許し下さい」
と、ほんの少しやつれたかのように憔悴しきった様子の侯爵が、真摯に、発言の許可を求めてくれたあと、こくりと頷き返した私の方を、申し訳なさでいっぱいの表情を浮かべながら見つめてきて……。
「このたびは、うちの愚息が大変なご迷惑をおかけし、誠に申し訳ありませんでした。
なんと、お詫びをすれば良いのか分かりませんが、今回のことは、日頃から、皇室のバランスを取るために、中立の立場を保ってきた、エヴァンズ家、嫡男の行動としても大問題ですし……。
毒の件も含めて、何事もなく、皇女殿下の御身が無事だったというだけで、一人の人間としても、皇女様との婚約関係ですらも、結果的に利用するようなことになっており、我が息子がしたことは、そこに、たとえ、どんな私情や、理由があろうとも、決して許されるものではありませんっ……!
私達が、きちんと、自分の息子のことを見てやれていなかった責任は、あまりにも大きいですし、此度の一件に関しては、侯爵である私や、エヴァンズ家も責任を取って、しかるべき問題だと考えています」
と、今まで、ルーカスさんが置かれてしまっていた状況に気付いてあげられなかったことへの自責の念や、後悔の滲んだような複雑な心境を隠すことが出来ない様子ではあったものの……。
それでも、今、この場において、罪を犯してしまったものの親族として、そういった感情を出すことすら烏滸がましいのだと言うように……。
どこまでも自分のことを律し、決して、ルーカスさんを擁護することなども、一切せずに、ハッキリと、エヴァンズ家としての立場で、侯爵として……、一家の大黒柱としても、その責任を取りたいと思っているのだと、私に向かって、しっかりと謝罪をしてくれた。
その横で、ここ数日は碌に寝られてもいないのか、目を真っ赤に腫らしていた侯爵夫人の方も、私に対し、どこまでも申し訳なさそうに頭を下げたまま、何秒間も動かない状態が作られてしまっていて……。
その姿に、私の方が、ビックリして、『そんな……っ、とんでもないです! どうか、顔を上げてくださいっ!』と、オロオロしながら、慌てて声をかけてしまった。
……ここで、侯爵から謝罪を受けること自体は、確かに、私自身が被害者だということもあり、正統なものだと思うんだけど。
それでも、ルーカスさんが今までしてくれたことを考えれば、世間から見れば、一括りで犯罪だと思われるようなことかもしれないものの。
その言動の一つ一つの意味を考えた時には、決して、私のことを思い遣ってくれていなかったかと言われればそうじゃなくて……。
客観的に見て、加害者と被害者と言える間柄であろうとも、見方を変えれば、常日頃から、私を貶めたいと感じていた黒幕として、テレーゼ様の存在があって、その下で色々と動いていたルーカスさんが、自分の立場に葛藤しながらも、良心の呵責に苛まれて、なるべく被害が大きくならないよう、最小限で済むように動いてくれていた訳で……。
――実際に、妹さんのことがあって脅されていたことを思えば、それが、ルーカスさんにとっての精一杯だったことには間違いないはず。
だからといって、客観的に見た時に、犯してしまった罪が全て消えてしまう訳ではないけれど、感情的な部分で、どうしても私は、やっぱり、ルーカスさんのことを救いたいと思うし……。
ルーカスさんのやってきたことが、たとえ、一般の人達から見た時には、罪だとされるものであっても、その行動の裏に、誰かのことを思い遣る気持ちが入っていたのなら、ルーカスさん自身は、本当に、優しい人だと思う。
それで、全ての罪が許される訳でも、勿論、ないけれど……。
だけど、それでも……。
「謝って下さり、ありがとうございます。
……今、ここで、その謝罪を正統なものとして、受け取らせて頂きますね……っ。
ですが、私自身は何も気にしていませんし、もしも、ルーカスさんが、あの時、私の婚約者になろうとしてくれていなかったら、テレーゼ様の増大した憎しみが、更に私に向くことで、今、この瞬間にも、私はもっと、大変なことになっていたかもしれません。
お兄様に皇位を就かせたいと願って、ルーカスさんへサポートに回るようにと命じていたテレーゼ様からの脅しに沿うような形にしながらも……。
ルーカスさんが、一時的にでも、私の婚約者になってくれたことで、結果的に、被害が最小限に食い止められ、それが、お兄様のことも、私のことを守ってくれる意味でも、妹さんを守りたいと思っていたルーカスさんに出来る精一杯のことだったんじゃないかなと感じています。
ですので、どうか、侯爵夫妻も、私に対してのことで、これ以上は、気に病まないで下さい」
と……。
どこまでも、二人のことを案じるように声をかければ、一度だけ、お互いに顔を見合わせたあと、嬉しいだとか、喜びの感情すら出していいものなのか、安堵することすら正解かどうか分からないといった感じで、何とも形容し難いような複雑な表情を浮かべた侯爵に、再び、思いっきり、ガバリと頭を下げられて……。
「ありがとうございます、皇女殿下……。
被害に遭われた皇女殿下のことを思えば、私が、そのような感情を抱いていいものなのかすら、分かりませんが……。
そう言って頂けるだけで、張り詰めていた心が、ほんの少しだけ軽くなってきます……っ!」
と、侯爵からお礼を言われたあと、同様に、夫人からも続けて『皇女殿下のお心遣い、本当に痛みいります。ルーカスのことも、そのように言って頂けてありがとうございます……っ』と、あまりにも丁寧に、謝罪と感謝の気持ちを伝えられたことで……。
私は、『いえ……っ、そんなっ、気にしないで下さい』と、二人に向かって声をかけることしか出来なかった。
ルーカスさんのこと……、やっぱり自分達の息子として大切に思っている分だけ、護りたいと思う気持ちは、二人にも当然あるんだろうけど……。
それすらも、被害者である私のことを思い遣って、そういった感情をなるべく出さないようにしてくれているのを見て『やっぱり、二人は、心の優しいルーカスさんのご両親なんだな』と、私はそれだけで、エヴァンズ侯爵夫妻の人柄を感じられて、こんな時に不謹慎かもしれないけれど、心がぽかぽかと温かい気持ちになりつつも……。
私に対して、最大限の謝罪と感謝の気持ちを伝えてこようとして、なかなか、顔を上げてくれない二人に戸惑ってしまい、最終的に、オロオロと、お父様の方へと助けを求めることしか出来なかった。
そのタイミングで……。
「……父上、お呼びでしょうかっ?」
と……、ウィリアムお兄様が、執務室にやって来てくれたことで、私は、一先ず、ホッと胸を撫で下ろした。
助けを求めてみたものの……。
先ほどまで、エヴァンズ侯爵夫妻から、私に向けられていた謝罪に関しては、お父様自身も、きちんと受け入れないといけないだろうというスタンスで……。
【お前が、本当に、心の底から何とも思っていなくて、ルーカスのことを許したいと思う気持ちを持っていることは理解しているが……。
この謝罪が軽いものになってしまわぬように、なるべく、二人の謝罪に関しては、もう少し、きちんと聞いてあげなさい】
と言わんばかりの瞳で見つめられてしまっていたから、この場に、ウィリアムお兄様がやって来てくれたことで、必然的に、その状況から解放されることになって、少しだけ安心してしまった。
お父様の言い分に関しては、凄く良く分かるんだけど……。
自分自身がそんなに傷ついたりもしていないことで、誰かからの謝罪を受け続けるような状況が訪れてしまうと、いつも、どういうふうに対応して良いのか分からなくて、結局、戸惑ってしまうんだよね……。
確かに、今回の事件が発覚するまで、エヴァンズ夫妻が、ルーカスさんのことを見ることが出来ていなかったと言われればそうだと思うんだけど。
心情的には、どちらにも、そこまで大きな、非がある訳じゃないと思っているからこそ、余計、そう感じてしまうのかな……?
こういう謝罪の瞬間は、いつもどうしても重苦しい雰囲気になってしまうから、本当に、心の底から許したいと思う気持ちを持って、早く柔らかい雰囲気に戻したくて、つい『気にしないで下さい』という言葉ばかりが、口をついて出てしまう気がする。
それでも、お父様の言うように、確かに、今、誠心誠意、謝ってくれている人がいて、その謝罪を軽いものにしないためにも『しっかりと向き合って、声をかけたりすることが出来れば良いんだろうな』と、私自身も理解していた。
――最初に、二人にかけた言葉が全てだったんだけど、もう少し何か違う言葉をかけたりした方が良かったんだろうか……?
私が内心で、そう思っている間にも、ウィリアムお兄様がこの場にやって来たことで、先ほどまで、エヴァンズ侯爵夫妻からの謝罪を、黙ったまま受け入れていたお父様が、一度だけ、重々しい口調で、ウィリアムお兄様に対し『ウィリアム、よく来たな……』と声をかけたのが、私の耳にも入ってきた。
ウィリアムお兄様とも、私自身、ここ数日は、殆ど顔を合わせることがなかったけど、テレーゼ様のこともあって、その立場からも、私以上に、忙しかったはずなのに、こういった場において、そこまで疲労の色を滲ませていないのを見ると『本当に凄いな』と、心の底から思う。
そうして……。
「……ウィリアム、お前を呼んだのは、他でもない。
エヴァンズ家の今までの功績と、皇室や国への貢献度から、異例ではあるが、侯爵夫妻には、事前にどうなるのか伝えた上で、ルーカスの処遇について決めたいと思っているのだがな……」
と、私が、内心でそう思っている間にも、どこまでも渋い表情を浮かべたお父様の口から、ルーカスさんの処遇について、どうするのかという言葉が出てきたことで、私はギョッとしながら、思わず目を見開いてしまった。
てっきり、私は、この日のために、皇宮でお父様の仕事の手伝いをあらかた終えたウィリアムお兄様が、私と一緒に、ブランシュ村に行く手筈を整えてくれたことを……、『私と一緒に、ウィリアムお兄様も、ソフィアさんと、ベラさんを助けに行くのに同行してくれることになる』と、エヴァンズ侯爵夫妻に伝えてくれるために、この場に呼び出してくれたのかと思っていたけど、そうじゃなかったのかな……?
ルーカスさんの処遇に関しては、私達が皇宮を出発した後に、これから、エヴァンズ侯爵とお父様が話し合った上で、最終的な判断をどうするのか決めるのだと思っていただけに、ビックリしてしまった。
「ええ……。
俺自身も、異例のことかと思いますが、エヴァンズ家での今までの国への貢献度を加味した上で、今日、父上が、ルーカスの処遇についてどうするのか、侯爵と話し合うつもりだったというのは、存じているつもりです。
ただ……、それに関しては、他の貴族達の抗議文などの兼ね合いもある筈ですよね……?
ハーロックとアリスが昨日纏めてくれた抗議文の内容をご覧になった上で、最終的な判断が、父上に委ねられていることを思えば、歯切れも悪く、俺にそのようなこと聞くのは、父上らしくもないと思いますが、一体、何をそんなに悩まれているのです……?」
その上で、お父様のあまりにもハッキリしない口ぶりに、少しだけ焦れたように、お兄様が眉を寄せて、デスクの前の椅子に座っているお父様に向かって問いかけてくれると……。
「あぁ……、勿論、そうするつもりなんだがな。
今日、エヴァンズ侯爵と、少しだけ話した内容からも、そうなのだが……。
事前に、エヴァンズから貰っていた手紙においても、可能なら、ルーカスを侯爵家に戻した上で罪を償ってもらうべきであり、当然、エヴァンズ家も責を追うものである、というのが、侯爵の言い分なんだが……。
今、現在、身柄を拘束されている、肝心の……、エヴァンズ家から籍を抜いたルーカスが、自分の身分は最早、平民と同等であり、自分の仕出かしたことについて何も知らなかったことを思えば、家族は一切関係がないから、当然、自分だけが責を追うものであると言って聞かなくて……。
それに対する、処罰がどんなに重いものであろうとも、甘んじて受け入れるつもりだから、家族に責任を負わすのだけはやめてほしいと、侯爵家からの籍を戻す要請に、頑として首を縦に振らなくてな……っ」
と……。
どこまでも、困った様子で、珍しく狼狽した雰囲気のお父様の口から、淡々と今のルーカスさんの現状と、事情に関して説明してもらえたことで『私自身、そんなことになっていただなんて……っ!』と、驚きに目を見開いて、ビックリしてしまった。
エヴァンズ侯爵が、もしも可能なら、『ルーカスさん本人を、侯爵家に戻した上で、エヴァンズ家も罪を償うべき』だと、今回の件で、強く責任を感じてそう思っているのなら、ルーカスさん自身のことを考えた時には、そうした方が良いんじゃないかと、どうしても、思ってしまうんだけど……。
ルーカスさん本人が、そのことに同意して、首を縦に振らないんじゃ、どうしようもないと感じてしまう。
だって、そういう戸籍に関することでは、一度、籍を抜いてしまったら、本人の同意なく、元に戻すことは不可能だから……。
逆に、どこまでも、グレーではあるものの、今のシュタインベルクの法律では、個人を守るために当主の合意がなくても、やむを得ない事情などがあった場合には、成人している人間であれば、自分の意志で、勝手に籍を抜くことも出来るし……。
仮に、未成年者であろうとも、家族から虐待などにあって、著しく、人権が侵害されているような場合であれば、それを助けるために親の同意なくして、後見人の判断で、問答無用で籍を抜き、助けることなども許可されている。
――全ては、個人の人権を守るために、きちんとした制度のもと、法律が作られている訳だけど。
こういった事例に関しては、シュタインベルク国内においても、本当に初めてだといっても過言ではないんじゃないだろうか?
そもそも、貴族という高貴な身分を捨ててまで、平民になろうとする人なんて殆どいないし。
もしも、そんなことをする人がいるのなら、それは、大体が、駆け落ち同然で、平民と恋に落ちて身分を捨ててしまうような事情などがある場合に限られていたから……。
今回、ルーカスさんが家族に迷惑をかけたくなくて、自分だけが責を負うものだと判断して貴族籍を抜いたこととは、やっぱり、大分、意味合いが変わってくるんだよね。
だから、ルーカスさんの、この対応は、本当に前代未聞だと言ってもいいと思う。
それと同時に、ルーカスさんが、みんなのことを思い遣って、自分の犯した罪だから家族は関係ないし、そうしたいと言っていることについても、私的には、その感情を、もの凄く理解することが出来て、心の底から複雑な気持ちになってしまった。
「……なるほど。
それで、どうするのが正解なのか、今も頭を悩ませていて、俺に意見を聞きたいと思った……、。
もしくは、俺に、ルーカスのことを説得してほしいと思っている、と……、今の父上の発言から、そう判断しましたが、それで、構いませんか……?
残念ですが、父上、長年、親友として付き合ってきたからこそ、俺にもハッキリと伝えることが出来ますが、ルーカスとは、本来、そういう人間です。
……アイツは、一度、自分自身で決めたことを、捻じ曲げるような人間じゃないし、たとえ、友人の俺であろうと、父上というこの国の当主であろうと、家族を守るためなら、説得にも応じようとはしないでしょう。
俺自身の、個人での意見で良いならば、アイツをエヴァンズ家に戻してやりたいという思いは、父上とも侯爵とも同様ですし、説得をしてみる心積もりもありますが……。
合意もなく、籍を戻すことが不可能である現状を考えれば、ルーカスが家族に責任を負わすことをしたくないと思っている以上、説得して同意させるのは、かなり難しいと思います」
そうして、お父様の言葉を聞いて、長年、傍で一緒に過ごしてきたからこそ、お兄様の口から、明け透けに、ルーカスさんの性格を考えた時に『それを説得するのが、どんなに困難なことなのか』を説明する言葉が返ってくると……。
お父様もそれを理解しているかのように、険しい表情を浮かべて黙り込んでしまった。
それと同時に……。
「あの……っ、そもそも、今回の一件で、エヴァンズ家が責任を取ることについて、お父様は、どうお考えなのでしょうか……?」
と、私は、誰もが黙ってしまって静かになりかけた、この室内の中で、お父様に向かって問いかけるように聞いてみる。
ルーカスさんが家族に対して必要以上に責任を負わせたくないと思っている以上、きっと、お兄様だったら、次の質問として、お父様にエヴァンズ家の処遇についても、問いかけるだろうと感じたから……。
先手を打って、声をかければ……。
「……そうだな。
エヴァンズ家が一緒に責任を負うのなら、ルーカスがテレーゼの下で動いていたことを加味して、同情的な背景と諸々の事情を考慮した上でも、ルーカスには、どうやっても、禁固二年ほどの刑を……。
エヴァンズ家は、侯爵位から伯爵位へと降爵する可能性が高いだろう。
それと共に、前にも、アリス、お前に話したことがあると思うが、中央政治を担っている、皇帝、宮廷伯、侯爵といった三つ巴の均衡から、エヴァンズ家が外れることになるのは確実であり、私自身、個人的な感情で言うのなら、侯爵家だけが有することが出来る宮廷伯へ抗議する権限を、可能なら、エヴァンズ家から外したくはないと思っている。
それは、エヴァンズ家が、長いこと、皇室に忠義を誓って、どの侯爵家と比べても、誰よりも自分達の立場からではなく、国のためを思って進言することの出来る、本当に信頼のおける臣下だったからだ。
だからといって、ルーカスに、エヴァンズ家のためを思って、籍を捨てろなどと言うことも、これから先、エヴァンズ家の跡取りとしての未来を考えたら、仮に、ここで爵位を落としたとしても、それを盛り返していけるのは、ルーカス以上に適任者がいないだろう……。
どちらにせよ、メリットもデメリットもあり、そこの判断が、どうにも、難しすぎてな……っ」
と、お父様から、あまりにも率直な意見が返ってきたことで、私自身もその言葉には、深く同意することが出来た。
……今回の一件での、ルーカスさんの罪に対して、お父様は、今だけじゃなくて、国の未来も含めて真剣に考えてくれている。
それは、エヴァンズ家が今まで培ってきた、国への貢献に対する、信頼と実績によるものだろう。
――ここまでのことがあっても、君主と臣下としての、その信頼関係は一切、揺らいでいない。
きっと、それは、何よりも、お父様自身が、エヴァンズ家は国を支えるために重要な家柄だと、高く評価しているから……。
そうして、それは、ルーカスさん自身が、今まで、国のために功績を挙げてきたことも関係していると思う。
ウィリアムお兄様の傍にいながらも、ただ気安く接する事の出来る親友としてではなく、国内を騒がしていた違法ドラッグの件を解決に導いたり、16年という歳月を生きる中で、ルーカスさん自身が努力し、歩んで来た道のりが、今回の事件にも深く影響して、最終的に、お父様からの信用を勝ち得ていることの何よりの証拠なんじゃないかな……?
嘘も偽りもなく、飾り立てることもしない有りの儘のお父様からの評価に、エヴァンズ侯爵夫妻の目にも、『そう言って頂けて、どこまでも有り難い』というような感謝の気持ちが乗っているのが、私の目から見ても確認出来て、そのことを喜ばしいと思うのと同時に、今後のルーカスさんの処遇に関しては、本当に、難しいなと感じてしまった。
「あの……っ、お父様。
それなら、もしも、ルーカスさんが平民として処罰を受けるようになるのだとしたら、一体、どういった罰が下されるのでしょうか……?」
そうして……。
私自身が、もしも仮に、今の貴族籍を抜いた状況のまま、ルーカスさんが処罰を受けるとしたらどうなるのかと、問いかけるように確認すれば……。
お父様は、これまた、難しい表情を浮かべながらも……。
「そうだな……。
当然、一人で罪を負わなければいけなくなる分だけ、もっと重い刑が課されることになるだろう。
どれほど、その境遇や背景を考慮したとしても、エヴァンズ家も罪を背負う分の二倍の刑として、四年の禁固刑に処されることになる可能性が、一番高いと思う」
と、此方に向かって声を出してくれる。
それを聞いて、私自身『二年と四年とでは大分違う……っ!』と思いながらも、ルーカスさん自身、三年間、テレーゼ様の下で動いてきたことを思えば、お父様はこれでも、大分、刑の重さを、その背景も加味した上で、現実的な部分で出してくれているんだと感じるし。
あまりにも甘くしてしまうと、他の貴族達からの抗議が殺到する可能性もあることから、お父様の立場では、それが限界で、それ以上の減刑はきっと、難しいんだろうな……っ。
その上で……。
お父様から今、言われたことを、しっかりと頭の中で整理してみると……。
ルーカスさんが平民になれば、エヴァンズ家は侯爵位を保ったまま、後継者には悩むことになるけど、エヴァンズ侯爵がいる間は、何の痛手もなく、ルーカスさんが4年の禁固刑に処されることになる……。
ただし、未来でのエヴァンズ家のことを考えると、ルーカスさんが平民になった時点で損失になってしまうとも取れるよね……?
そして、ルーカスさんが侯爵家に戻れば、エヴァンズ家は侯爵位から伯爵位に爵位を落とし、代わりに、ルーカスさんは2年の禁固刑で済むことになるけど、国にとっては、エヴァンズ家が伯爵位に爵位を落とした時点で、公正な立場に立って国のことを考えてくれる侯爵家を一つ失うことになり、痛手である。
どちらも、お父様の言うように、メリットも、デメリットもあるように思えるけど……。
ルーカスさん自身が、侯爵家に籍を戻してくれない限りは、後者の罰を行うことは出来ずに、結局は、ルーカスさんが平民になったままの状態で、問答無用で、前者の罰が適用されてしまう、ということなのだろう。
道理で……、お父様が、頭を抱えて悩んでしまう訳だ……。
これは、どっちにしても、判断に悩むほど、あまりにも難しいものだと思う。
私がそう感じたのと殆ど同時に、セオドアも、みんなの意見を聞いて、私と同じ思いに行き当たったのか、思わず、ルーカスさんのことを思って、お互いに目が合ってしまった。
セオドア自身も、前までは、私のことを思って、ルーカスさんの言動には否定的なことが多かったけど、今は、私と同様にルーカスさんのことを心配してくれているのが、その姿からも、よく分かってしまう。
その、セオドアの優しさに、一人でも味方になってくれる人がいるのは、今、この場においても、ルーカスさんを守る意味でも『本当に有り難いな』と、私自身が、頭を悩ませて、これから先のルーカスさんのことについて、どうするのが一番良いことなのか、一生懸命に考えていると……。
「父上、それでは、甘過ぎます。
……更に、2年分足して、ルーカスの禁固刑を、6年にして下さい」
と……。
どこまでも、厳しい口調ながら淡々と、ウィリアムお兄様から、突然の……、絶対に、あり得ないとも思えるような言葉が降ってきたことで、私は、ヒュッと、その場で息を呑み、一瞬だけ、時が止まったかのように固まってしまった。
どうして、ルーカスさんの味方であるはずの、ウィリアムお兄様がそんなことを言うのか分からなくて、混乱しそうになった頭の中で……。
恐る恐る、お兄様の方を見つめると、ウィリアムお兄様の真剣な表情は、厳しいようでいて、それでも、どこまでも温かみを失ってはいなくて……。
「どういう意味だ……、?」
と、問いかけるように、怪訝な表情を浮かべて、ウィリアムお兄様の方を見つめるお父様に……。
「簡単なことです。
……このままだと、ルーカスは、自分が平民になるということを良しとして、エヴァンズ家の未来を分家など、別の人間に託そうとするでしょう。
ですが、ルーカス以上の人材は、たとえ、エヴァンズ家であろうとも存在しない。
つまり、ルーカスが平民になることは、国にとっても、損失です。
ただし、エヴァンズ家が、侯爵という地位を失い、伯爵に爵位を落とすこともまた、宮廷伯や、他の侯爵位を持つ人間達を増長させてしまう意味でも、国の損失になりかねない。
……どちらも選べないのなら、どちらも選ばなければいいんです。
アイツは、家族に迷惑をかけるくらいなら、自分の刑期が伸ばされることの方を選ぶでしょう。
だから、侯爵家に籍を戻すという条件を提示しながらも、侯爵家が追うべき責任の分だけ、アイツの刑期を伸ばせば良い。
……たとえ、罰を受ける期間が長くなろうとも、それで、落ちぶれて、腐ってしまうほど柔じゃない。
それは、アイツの親友である、俺自身が、保証します。
俺の未来に、アイツは、絶対に、必要不可欠な人材です……っ。
父上ほどの御方なら、貴族の説得も、容易く出来ますよね……?」
と……。
お兄様から、言葉が返ってきたことで、私は驚きに目を見開いて、お兄様の方を、マジマジと見つめてしまった。
普段、冷静で、何事にも動じないお兄様の言葉に、確かに籠もった、その熱を……。
――ここにいる誰もが、感じていると思う。
ルーカスさんの刑期を伸ばすことが、エヴァンズ家のためにも、ルーカスさんのためにもなるだなんて、私には考えつくことすら、出来なかった。
厳しいようでいて、お兄様のその言葉には、どこまでも愛があって、優しさしか乗っかっていない。
「それによって、エヴァンズ家が非難されることは、ある程度、避けられないでしょう。
刑期を伸ばすことで、ルーカスのみが責を負うとはいえ、ルーカスが、罪を償って戻ってきたら、侯爵の地位に納まることになるのですから……。
ですが、今まで、エヴァンズ家がしてきた功績を考えれば、国にとっても、その方が都合が良く、その道しか方法はないと、俺は確信しています」
そうして、続けて、お兄様からそう言われたことで……。
エヴァンズ侯爵が、『ルーカスはそれで、納得するでしょうが。……っ、しかし……っ、私達が息子の仕出かした罪に対して、何も償わない訳には……っ!』と、言い募ろうと口を開いてきたんだけど……。
「全く、いつから、そのようなことを私に言える立場になったんだ、お前は……。
別に、煽らずとも……、この私が、小煩くあれこれと口出ししてくる貴族の連中を……、宮廷伯達を、説得出来ない訳がないだろうっ?
ルーカスが、お前の未来に、絶対に、必要不可欠な人材だというのなら仕方あるまい。
ルーカスは、恐らくそれで、納得するどころか、此方に、感謝してくるだろうしな……」
と、エヴァンズ侯爵が、言葉を最後まで発する前に、ウィリアムお兄様の意見を聞いて、ほんの少し、ウィリアムお兄様の言葉に嬉しそうに表情を和らげながら、採用だと言わんばかりに、お父様が問答無用で、その方針で進めることに、勝手に決めていってしまった。
その言葉に、私自身……、どうしても、『6年……』という言葉に反応し、その年数に想いを馳せてしまう。
どういう因果関係か分からないけれど、私の足下にひたひたと陰のように、ずっとついて回る6年という数字に、巻き戻し前の軸、16歳でギゼルお兄様に刺し殺されたあの時のことが、記憶に蘇ってきてしまう。
私が成人することになったその年に、ウィリアムお兄様は、お父様の跡を継ぐために戴冠式を行って、私は冤罪を着せられ、ギゼルお兄様に剣を突き立てられる。
私が、それ以上、生きることが難しかったからだろうか……?
それとも、成人という節目の年だったからだろうか……?
今回の軸でも、最初に、ルーカスさんから婚約を申し込まれた時に、婚約する期間は、君が成人するまでの6年で良いと、話を持ちかけられたことを思えば、あまりにも、その数字に縁がありすぎて、驚いてしまう。
巻き戻し前の軸、6年後の未来でのルーカスさんは、一体、何をしていて、どういうふうに生きていたのだろう?
きっと、今回、6年の禁固刑が課せられることになっても、お兄様や、お父様の言うように、ルーカスさんは『家族を苦しめなくて済んだだけでなく、侯爵家の嫡男という立場さえ失わずに済んだことを思えば、陛下と殿下のご厚意に感謝します』と、その刑を甘んじて受け入れると分かっているからこそ……。
巻き戻し前の軸、ルーカスさんは、多分だけど、妹さんも失ってしまって、それでもテレーゼ様の下から離れることも出来ず、苦しみ続けていたはずで……。
そういう姿を想像するだけで、私自身、胸がキュッと痛んできてしまった。
お兄様が提案してくれた、この刑が、正しいものなのかどうかは分からないにしても、今回の軸では、そういうことにはならずに、お兄様にとっても、国にとっても必要な人であると、判断されることになって本当に良かったと思う。
それと同時に、私がもしも今回の軸でも16歳まで生きられることになったなら、そこから先の未来は、一体どうなってしまうだろうということに、どうしても、思いを馳せざるを得なかった。