463 お母さんの味
あれから……。
セオドアとアルが付き合ってくれたこともあって、貴族達からの抗議文の内容に関しての仕分けについては、思ったより順調に進められていった。
世間が擁護している風向きを感じていることもあってか、ルーカスさんに関する抗議文などは、テレーゼ様ほどは多くなかったといってもいいだろうか。
それでも、同じ貴族であり、名門でもある『エヴァンズ家』が失脚することを狙って、ルーカスさんの処遇を気に掛けるような内容のものは、一定数届けられてしまっていた。
だからこそ、私達の嘆願により、お父様も最大限の配慮はしてくれるとは思うものの……。
自分の腹の内を隠しながらも、今までの判例から『これくらいの抗議をするのは許容範囲内だろう』と、貴族達から送られてきた真っ当な意見などに関して、100%無視した上で決断を下すことは出来ないと思う。
また、今、現在、ルーカスさんが、エヴァンズ家から勝手に籍を抜いていることなども、エヴァンズ家と、どうするのか相談した上で、そういったことも含めて、ルーカスさんの今後の処遇が決まっていくだろうから……。
私自身も、貴族から送られてきたこの抗議文を纏めた内容の上で、これから『その判決』がどうなっていくのかということに、ヤキモキしてしまう部分はある。
――そこまで、大きなことには、ならないと良いんだけど……。
そうして……。
テレーゼ様については、貴族達の抗議文などから考えても、恐らく身分を考慮した上で、最大限の罰が適用されて、私自身が、テレーゼ様が捕まった、あの日に感じたように、その一生の殆どを、これから罪を償うために、収監所の中で暮らすことになると思う。
もしも仮に、これから先、テレーゼ様が収監所から出られるようなことがあるとしたら、それは、国にとって特別な祝い事などが起きた際、恩赦として、犯罪者に対して確定した刑の一部を消滅させるような処分が下された時くらいで、余程のことがない限りは、そんなことは起きないものだから、多分、厳しいんじゃないかな。
……お兄様達二人のことがあるから、私としては凄く複雑な気持ちだったりするものの、実際、テレーゼ様が今まで犯してきたことを考えれば、その刑は妥当だと判断されてしまうだろう。
そこに対しては、私達自身も甘んじて受け入れなければいけない部分があると思う。
そうして……。
順調に、ハーロックと一緒に、貴族達からの抗議文の内容を仕分けた上で、まだ、ほんの少しだけ、書類が残ってしまっていたものの、ハーロックが……。
「お嬢様……、本当にっ……、何て、お礼を伝えたら良いのかっっ! ……ありがとうございましたっ。
お嬢様はもちろんのこと、アルフレッド様も、セオドアさんも、私の普段の仕事にスカウトしたいくらい、素晴らしい能力をお持ちで、大変、助かりましたっ!
皆様のおかげで、書類仕事が捗りましたし、これなら、あとはもう、私だけでも充分ですので、どうぞ、明日に備えて、今日はゆっくりとお休み下さい」
と、こういう仕事を初めて手伝った私のことは勿論、セオドアとアルのことも手放しに褒めながら、そう声をかけてくれたことで……。
私は、その言葉に甘えて、セオドアとアルと一緒に自室に帰って、早めに休むことにした。
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そうして……。
翌日になって、いつもより早めに起きた私は、ベッドから下りて、ドレスに着替えたあと、ローラが作ってくれた美味しいご飯に舌鼓を打ちながら、みんなで楽しい団らんの一時を過ごしていた。
昨日、料理長が作ってくれた料理も、皇宮の一流シェフが作ってくれたものだけあって、凄く美味しかったけど、やっぱり、こうして食べ比べてみると、ローラの料理に勝るものはないと思う。
ローラが、私の好みを把握してくれて、私に合わせて、いつも腕によりをかけて、一生懸命作ってくれているというのも、勿論、あるけれど……。
――考えてみれば、ローラが作ってくれるいつもの料理が、私にとっての、お母さんの味みたいなものなのかもしれない。
味付けも含めて、ローラの作ってくれる料理を美味しく感じながら、頬っぺたに手をおいて、満面の笑みを浮かべたあと……。
「やっぱり、ローラの作ってくれた料理、凄く美味しいな……っ!
いつも、私の為に、美味しい料理を作ってくれて本当にありがとう……っ!
昨日、料理長が作ってくれたものも美味しかったんだけど、ローラが作ってくれたものは、私にとっては、一般庶民の人達がよくいうお母さんの味みたいなもので、食べると安心出来るし、ほっこりした気持ちになれて、凄く嬉しいの……っ!」
と、何気なく、自分が本当に、心の底から思っている言葉を『いつもありがとう』の感謝の気持ちにのせて、ふわふわと、口元を緩ませながら、表情を綻ばせて、嬉しい気持ちが隠せない状態で、そう伝えると。
先ほどまで、セオドアとアルから、昨日の料理長のことについて聞いた上で、セオドアの予想通り、料理長のその対応に……。
『今更、本当に、遅いくらいです……っ!
今まで、アリス様が、その対応で、どれほど傷ついてきたか……っ!
料理長は、直接の関係がないとしても同罪ですし、それを食べた、アリス様にしか分からなくして、私達にも見た目では判別出来ないように、悪質な小細工までしていただなんて、絶対に許せません……っ!』
と、普段、滅多に怒ることのないローラが、眉を寄せて怒りの表情を露わにしていたんだけど。
私の言葉を聞いた途端、一度だけ、驚きに目を見開いたあと、直ぐに、凄く嬉しそうに表情を綻ばせて、ジーンとした様子で涙ぐみながら……。
「ア、アリス様……っっ!
お母さんの味だなんて……っ、そんな……っ、本当に、光栄です……っっ!
アリス様に、そう言ってもらえると、とっても嬉しいですっ!
いっぱい作っているので、遠慮せずに、召し上がって下さいね……っ!」
と、喜びの言葉をこれでもかというくらい、私にかけてくれたあと。
何だか、先ほどまで、怒っている中にも、ちょっとだけ寂しさや、切なさのようなものが混じった表情をしていたんだけど、今は、それが一切なくなったかのように、ウキウキした様子で、私の好きなおかずを、更にお皿に盛り付けて、手渡してくれた。
機嫌の良くなったローラに、それはそれで良かったんだと思うものの、どうして突然、そんなに張り切り始めたのか、分からなくて混乱していたら……。
「アリス、お前、本当に、全く理解していないのか……っ?
……この、人たらし……っ!」
「アリス様、今の発言は、ローラさんも凄く嬉しいでしょうしっ。
何より、もうもうっっ、アリス様が、そんな言葉を私達にかけてくれる時の、その姿が、とっても愛らしすぎて……っ!
ローラさんのご飯を食べている、アリス様の、本当に嬉しそうな笑顔を見られるだけで、キュンとしてしまいますっ!」
「姫さん、マジで、それ……、侍女さんだから許されてるけど……。
他の人間の前で、そんな姿を見せてもダメだし、気軽に、そんなことも言っちゃダメだぞ……っ!
今のは、侍女さんに向けた言葉だって分かるからいいけど、姫さん自身が他の人間に対しても、滅茶苦茶優しいことを思えば、本当に、普段から、無意識で、やりかねないからなっ。
はぁ……、マジで、これから先、不安でしかないんだが……。
俺等の前以外では、そういうことは絶対にしないようにしような……?」
と……。
みんなから、一斉に、突っ込みが入るかのように、そう言われて、私はひたすら戸惑ってしまった。
いつも、みんなに対して思っている感謝の言葉を伝えただけなのに、どうして、そんなふうに、ストップをかけられて、みんな以外に、そういうことを言うのが、ダメだと言われるのかも、よく分からなくて、首を横に傾げながら、頭の中を、はてなでいっぱいにしていたら……。
セオドアの困ったような視線と目が合って、私は、セオドアのことを困らせてしまっていることに、ちょっとだけ落ち込みながらも、その原因が、全く分からないことに、何だか、少しだけ気まずく思いつつ……。
――気持ちを切り替えようとして、ローラの作ってくれたチキンソテーを、フォークとナイフを使って一口サイズに切り分けたあと、そっと口に運ぶことにした。
それから……。
みんなで食事が終わったあと、ほんの少し経って、私はお父様の執務室に行くため、セオドアと一緒に皇宮の廊下を歩いていた。
因みに、アルとローラとエリスは、これから皇宮を出て、ブランシュ村に行くために、昨日の夜、準備をしていた荷物を、現在、馬車に載せてくれている最中となっていて、私達とは別行動をしてくれていた。
……そうして、皇宮の中にある、お父様の執務室がある棟では、私達が普段暮らしている棟に比べて、当然、国の行政を担っている役人達の姿が多く、私が歩くだけで、どうしても、今は、彼等からの注目の的になってしまっていた。
彼等からすると、私の存在というのは、継母のテレーゼ様が犯した罪の被害者ではあるものの……。
基本的には全て、その判決が、お父様の判断に委ねられるものだとはいえ、立場上、皇宮の一員として、皇女としての振る舞いも求められ、テレーゼ様や、ルーカスさんの刑罰に関しても、客観的な立場で、関わらなければいけない人間だからこそ、私の一挙一動が気になって仕方がないんだと思う。
私自身に、お兄様達二人に対して、敵対するような意志は一切ないけれど……。
特に、血筋の関係で、大公爵であるお祖父様が、今回の件で、どう出てくるのか……。
仮に、出てきたとしたら、確実に私の味方に付くだろうということが、分かっているからこそ、彼等にとっては、政治において、自分達の勢力図が変わってしまう恐れもあることから、戦々恐々としている人が殆どなんじゃないかな?
それは、今までの私に対して、彼等がきちんとした目を持ってくれておらず、私のことを不当に評価していた部分もあり、皇女は『ろくでなしな人間』だと、世間で流れている嘘の噂も含めて信じ切って、はなから関わらないようにしようと思っていたり……。
更に言うなら、その中には、悪口などを言っていた人もいただろうし……。
そういった人が、今、しっぺ返しのように自分の立場を脅かすかもしれない存在として、私のことを見ているのだということは、彼等の視線から、如実に伝わってくる。
私の方を見て、テレーゼ様のことを故意に貶めるようなことを言って、積極的に声をかけようとしてくる人も、私から気まずそうに目を逸らす人も、恐らくだけど、私とは、碌に話もしたことがないにも拘わらず、今まで、皇宮内で噂されていた私の悪い評判を、周囲の人達と一緒になって広めていたはずで……。
多分だけど、そのことに、罪悪感もあるんじゃないかな……っ?
そういった人達に対して、やっと、自分に関する『嘘の噂』について、間違ったものだと認識してくれたのだと……。
今まで自分がしてきたことが報われる瞬間が訪れたことで、嬉しいなと感じる気持ちはあれど……。
心中、凄く複雑な気持ちを抱きながらも、私は彼等の視線から逃れるように、なるべく早足で、セオドアと、彼等に聞こえても全く問題のない『他愛もない会話』をしながら、お父様がいる執務室へと急ぎめで向かう。
万が一にでも、誰か一人に捕まってしまうと、話が長くなってしまう恐れがあることは、ここ数日の間に嫌というほど実感していたし、忙しそうなふりを装ったり、誰かと話したりしていると、それだけで、声をかけられること事態を回避することが出来ると気付いてからは、特に、セオドアに協力してもらっていた。
本来なら、私以上に、皇宮で働く役人の人達も忙しいはずなのに、私と誰かが会話をしてしまうと、それだけで、話の内容を気にして、そこにいる殆どの人が動きを止めて、聞き耳を立ててくるから、ますます、気を遣ってしまう。
――本当に、今この瞬間にも、切実に感じているんだけど、そんなことをしている暇があったら、自分の仕事を全うしてほしい。
勿論、テレーゼ様のことで、普段とは違い『緊急の仕事』が入ってきて、皇宮で働く人達の仕事の内容に、必要以上に負荷がかかってしまっているのは、皇室の問題でもあるんだけど……。
それにしたって、私のことを被害者だと、ちょっとでも思ってくれているのなら、尚更、『そっとしておくことは出来ないのだろうか』と、珍しく文句も言いたくなってきてしまう。
彼等が、私だけを気遣ってくれている訳ではなく、自分達のこれからの進退についても気に掛けている様子が見られるからこそ、余計に、そう思う。
だからこそ……。
『姫さんが、俺の所為で、周りから非難を浴びないように、今後は、人前では、なるべく敬語で話したいと思っている』
と、私のことを考えて、人前では、そうしてくれて、以前に比べたら大分スムーズに、敬語を話せるようになってきたセオドアと会話をしながら、私は、目が合った瞬間に話しかけてくる役人達の間を、出来るだけ、目を合わせないようにして、するすると通り過ぎていく。
そうして、執務室に到着したあと、『お父様、私です。アリスです』と声をかけて、扉をコンコンと叩いてから……。
『入りなさい』というお父様の声に従って、皇帝陛下であるお父様の執務室だからこそ、他の部屋よりも装飾が凝っている、アンティーク調の重たい扉を開けると……。
既に、侯爵家から出発して、いつの間に到着していたのか、デスク前に置かれた椅子に座っているお父様の傍に、エヴァンズ侯爵と、夫人が、二人並んで立っていた。