444 覚悟を決めた男の秘密
自分は何も悪いことをしていないから、突然、ルーカスさんから責められたことで、何を信じて良いのか、全く分からないといった様子で、あくまでも、あらゆる可能性を考えて口にしているのだと言わんばかりのテレーゼ様に、従者達の動揺が広がっていくのが、手に取るように、私にも理解出来た。
ウィリアムお兄様や、お父様はともかく、ギゼルお兄様は特に、双方の食い違っている意見に、どちらの言うことを信じれば良いのか混乱している様子で……。
母親であるテレーゼ様のことを信じたいという気持ちと、私のことはともかく慕っていたであろうルーカスさんが嘘を言うだろうか、というところで、気持ちが揺れて、固唾を呑んで、この場の状況を見守っているのが、私にも分かり、お兄様の気持ちを思うと胸が痛くなってきてしまう。
最近、少しずつ、わだかまりが解けて、以前よりも仲が良くなってきた矢先のことだったけど、もしかしたら、これで、お兄様と、私の仲は、また元のあまり仲が良くなかった頃の状態に戻ってしまうかもしれない。
そうじゃなくても、どんな結果になったとしても、ギクシャクしてしまうのは、避けられないんじゃないだろうか。
ルーカスさんが嘘を言っているのかということには、戸惑いが見られたものの、お兄様の私を見る視線に『もしかして……』というようなニュアンスが込められているのが、痛いくらいに分かってしまった。
私自身、誰にも疑われるようなことはしていないけど。
テレーゼ様と私を比べた時には、やっぱり、自分の肉親であるテレーゼ様のことを信じたいと思う気持ちが強く出てしまうのだろうなと、お兄様の心情には、納得も出来てしまう。
もしも、私がお兄様と同じ立場なら、やっぱり、どんなにお母様に自分が嫌われていたとしても、お母様の立場を悪くするような人がいたら、許せないと感じると思う。
まさか、私がルーカスさんを庇ったことで、テレーゼ様に、そこを突かれ、逆に責められることになるとは想像もしていなかった。
こちらが、どんなに真っ当なことを言っていても、信じてもらえないというのは、本当に、心にくるものがある。
――きっと、今、ルーカスさんも同じ気持ちなんじゃないかな?
「確かに、テレーゼ、お前の言う通り、今この場では、ルーカスの言っていることを証明するような物的な証拠がないのは事実だろう。
だが、証拠がないにせよ、貴重な証言であることには代わりが無い。
ルーカスだけではなく、関係のない、第三者である新聞記者のトーマスも、お前が、エヴァンズ家の夜会で、ルーカスに命じた内容を聞いたのだと証言しているし、トーマスは、あることないこと、デタラメな記事を書くような人間ではないと、私自身も理解している。
その上、もしも、この内容の全てが、事前に計画された謀だと言うのなら、トーマスも自分の立場どころか、職まで失うかもしれないという危険な賭けに出ていることになるんだぞ。
そこには、一考の余地があると言ってもいい。
お前の言っていることが、正しいにしろ、ルーカスの言っていることが正しいにしろ、実際、この場で、ルーカスが毒の入った瓶を持っているのは事実であり、お前がルーカスに命じたというアリスを貶めようとする悪事についても、もしも、それが本当だった場合は、たとえ如何なる理由があろうとも、大罪であることに違いない。
お前が無実だというのなら、尚のこと、こうして、疑念が出て来てしまった以上は、皇后宮の中を一斉に捜索することについても、許可を出すことが出来るな?」
私が、テレーゼ様の言葉に、反論しようと『違います……っ、ただ、私は……』と、更に言葉を言い募ろうと、声を出しかけたところで、この場の流れを読んでくれた、お父様の口から、あくまでもフラットに、公平な立場に立った状態で、厳しい言葉が降ってきたのが聞こえてきた。
その言葉に、お父様は、一連の事件の黒幕が、テレーゼ様なのではないかと、以前から感じてくれていたこともあり、ルーカスさんの言っていることについて、考える余地があると思って、私のことも信じてくれているのだと、ホッと胸を撫で下ろす。
一方で、お父様から、そんな言葉が返ってくるとは予想もしていなかったのか、一瞬だけ怯んだように、ビクリと肩を震わせ、目を大きく見開いて、眉尻を下げたテレーゼ様が……。
「……っ、陛下っ!
まさかとは思いますが、斯様な戯言を信じて、私が、ルーカスに命じて毒瓶を渡したことを、疑っておいでなのですか……? 誤解です……っ!
私は、誓って、そのようなことはしておりませんっ!
それは、今までの私の行動からも、分かってもらえると思っていたのですが……。
それでも、陛下が、そのように仰られるというのなら、私も、皇后宮を捜索するのに、全面的に、協力したいと思います。
どうぞ、陛下のお気の済むまで、徹底的に調べ尽くしてくださいませ……っ!」
と、ほんの少しだけ、傷ついて悲哀に満ちたような表情を浮かべながら、グッと息を呑んだあと、どこまでも真摯な口調で、テレーゼ様がお父様に向かって、声を出したのが聞こえてきた。
その姿は、逆境にもめげずに、ただ、ひたむきなようにも見えて、お父様からの疑念が込められた瞳に、心外だと言わんばかりのものではあったものの……。
それでも疑われるのなら仕方が無いと、自分に出来る限りの譲歩をすることで、この場にいる人達の誤解をも解くような手腕であることに、その状況を目の当たりにし、私自身、テレーゼ様の、その頭の回転の速さと、機転の効かせ方、人を味方につけることが出来るような言動に、ビックリしてしまった。
私も、巻き戻し前の軸の時に、自分が疑われることが多かったから、こういう場面は幾度となく経験してきているけれど、テレーゼ様ほど上手く立ち回ることが出来たかと言われたら、答えは否としかいいようがない。
私がいくら、冤罪であることを訴えても、誰も信じてはくれなかったけど、普段から、人の信用を勝ち得ているということは、こういうことなのだと、まざまざと現実を突きつけられたような、惨めな気持ちにもなってきてしまう。
正直に全てを話して、真っ当に生きている人が損をして、嘘をついている人が、上手いこと、世の中を渡って名声を得て、幸せな生活を手にしていることに、ぎゅっと心臓を掴まれて握られてしまったような居心地の悪さばかりが、黒い靄として湧き上がってくる。
今ここで、対峙しているから分かるけど、本当に、完璧だと思えるくらいに、テレーゼ様には、どこにも隙が見当たらない。
それこそ、この間の御茶会での、ミリアーナ嬢の立ち回りが、まるで可愛く思えてしまうくらいに……。
それに、テレーゼ様が今、言っているように、もしも皇后宮から何も出てこなかったとしたら、その時は、一転して、ルーカスさんの立場も、私の立場も、悪くなってしまうだろう。
それだけじゃなく……。
お父様にも大きな貸しを作ることになり、テレーゼ様が、今まで以上に、皇宮内で影響力を持ち、お父様を差し置いてまで実権を握っていくのは、目に見えている。
……その上で『それでも、皇后宮を調べるのか?』と、お父様に向かって問いかけるようなニュアンスが含まれているのは、直ぐに分かったけど、その言い方も絶妙で、一切、そこに嫌味のようなものが感じられない言い回しが出来るのが、本当に凄いなと思う。
そうして、私達の間で、ピリピリとした緊張感が漂い始めてきた瞬間……。
「……おや、困りましたなぁ……っ。
一体、これは、どういう状況なのでしょうか……?」
と、更に、別の人の声が聞こえてきたことで、私は、そちらに振り返って、ビックリしてしまった。
見れば、皇后宮の庭園にある煉瓦道を通って、ここまでやって来た、お兄様やテレーゼ様の主治医である、バートン先生が、状況判断が出来なかった様子で、私達の状況に困ったような雰囲気を持ちつつ、此方を見てきたあと。
直ぐに、ルーカスさんの体調の異変に気付いて、慌てたように駆け寄ってきてくれた。
お父様が皇宮で信頼する医者を呼んでくるようにと指示を出したことで、今、この場で給仕をしていた従者の一人が、彼のことを呼んできてくれたのだろう。
ルーカスさんが、もしかしたら毒を飲んでしまったかもしれないということは、事前に伝えられていたはずだから、解毒剤のようなものを、恐らく、医療用として普段から持ち歩いているであろう鞄に、有りっ丈、詰め込んで、駆けつけてきてくれたのだと思う。
「ルーカス様、大丈夫ですか……っ?
一体、何があったのです……っ!?」
多分だけど、瓶の中に入っているのが、毒であると、調べたら直ぐに分かってもらえるように、中身を、半分ほどしか飲まないようにしていたんじゃないかな。
そのお陰もあって、毒を飲んでも、ここまで何とか、気丈に正気を保っていたと思うんだけど、時間の経過と共に、ルーカスさんの体調が、みるみるうちに悪化していくのが、私の目にも入ってきたし、口からは、ヒューヒューと、荒い息が溢れ落ちていて……。
一筋縄ではいかないテレーゼ様との遣り取りで、精神的にもきっと、消耗しているのだろうと、バートン先生が来てくれたことで、直ぐに、近くにあったテーブル席の椅子に座るように促され、先生に診てもらえるようになって、テレーゼ様が事件に関わっているのかどうかの話は、ひとまず、中断されてしまったけど、私は、とりあえず、その状況に、ホッと胸を撫で下ろした。
何にしても、ルーカスさんの体調を、これ以上、悪化しないようにするのが、今出来る、一番最善の判断だと思うから……。
また、ルーカスさんの状態からも、詳しく、今回の事情を説明する必要があるということで、バートン先生に他言はしないようにと言い含めつつ、一連の流れについて隠しておけないと判断してくれた、お父様が、掻い摘まんで、今の間に起きたことを、説明してくれたあと……。
テレーゼ様が、ルーカスさんに毒瓶を渡したかもしれないということに、驚愕したような雰囲気を持ちながらも、どこか険しい表情を浮かべたまま『なるほど、そうだったのですな……』と、低い声を出したバートン先生は、とりあえず、ルーカスさんの治療に専念すると決めてくれたみたいだった。
そのあと、私は、アルに、ルーカスさんが飲んだ毒の内容についての分析を早めに進めて、バートン先生の治療の協力をしてもらえないかどうかお願いするように、視線を向ける。
私の視線に、直ぐに気付いてくれたアルが『うむ、僕に任せておけ』と、言わんばかりに、こくりと一度、同意するように頷いてくれたあと、テーブルの上にあった毒が入っているという瓶の蓋を開け、中の、匂いを嗅いでくれたのが分かった。
そんなアルの行動に、バートン先生が申し訳なさそうな表情をしながらも、僅かばかり、柔和な笑みを浮かべ。
『ややっ……! そうですか、それは助かりますっ! アルフレッド様っ! ご協力、本当に感謝いたしますっ!』と声を出してから、再び、ルーカスさんの方を向き、ルーカスさんが話せることから、詳しく、自分の状態について、どこが苦しいかなどの問診をすることにしたみたいだった。
診察で、詳しく事情を聞いていくと、数日前の夜会で、手渡されたことで、ルーカスさんも、今の今まで、テレーゼ様に渡されたという毒の効能については把握していても、何の毒が使われているのか、その種類までは知らなかったみたいで……。
テレーゼ様から、瓶を渡された時に、死にまでは至らないという話を聞いて、この食事会で、私を貶めるように命令されていたこともあり、早急に、何か手を打たないとまずいと、一か八かで、自分で、その中身の半量を飲むことに決めたみたい。
ただ、その時の毒とは匂いからも種類が違うそうで、今回の毒には、さっき、ルーカスさんが、話の中で説明してくれた内容である、健常者が使用すれば、酷い頭痛などの副作用が大きく出て、2、3日は、動けなくなってしまうという作用の他に……。
ほんの少しの多幸感を感じたあとに、不安な気持ちを一気に増大させるような効果もあるとのことで、ルーカスさんが、私に、この毒を使うことで……。
テレーゼ様は、私を、これから先、ルーカスさんの婚約者としても依存させて、皇宮で私が、これ以上目立つことのないように、自分の味方であったルーカスさんを付けることで抑え込みたいと思っていたみたい。
━━全ては、ウィリアムお兄様に、皇位を継がせるために……。
それから、アルの協力のお陰もあって、毒の種類について、シュタインベルクでは禁止されている強い幻覚作用も見えるような危ない薬が、複数、混合されたものであるということが突き止められると。
直ぐに、解毒薬として効きそうなものをと、いち早く、薬を処方してくれたバートン先生に、治療をされながらも……。
「……貴女が、これまで犯してきた罪は、それだけじゃない。
殿下が皇帝の座に即位することが出来るように、裏から手を回し、俺に、その補佐役を命じてきていたでしょう?
その度に、お姫様のことを貶めたいと、何度も口にしてきたはずだ……。
正直に言って、たとえ妹を助けたいと思っていても、貴女とのあの日の契約で、裏で諜報員のようなこともやらされ、汚い仕事に身をやつすことになって、雁字搦めに首に巻かれた見えない鎖に、そのことを、恨んだ日もあった。
それでも、罪を償うべきなのは、貴女だけだと、言うつもりなんかは、一切ない。
自分の判断でしてきたことだから、俺もまた、同様に、お姫様に対して犯してきた罪も、他の罪も、償うべきだ」
と、ルーカスさんが、テレーゼ様の下で、自分が犯してきた罪について、テレーゼ様だけに、全ての罪を着せる訳でもなく、自分が犯してしまった罪については、その一端を担いでしまったことへの責任を感じて、償いたいと告白してきたのが聞こえてきた。
そんな、ルーカスさんに……。
「ルーカス、もしや、そなたが飲んだという毒の影響で、現実と幻覚の境が分からなくなってきているのではないか?」
と、ルーカスさんが説明した毒の症状に言及しながらも、あくまでも、のらりくらりと知らぬ存ぜぬを貫き通し、痛ましい目で、心配そうにルーカスさんの方を見てくるテレーゼ様の口から、更に、気遣わしげに……。
「そなたの言うことが、本当なのだとして、勿論、そうなった暁には、そなたも罪を償うことにはなるだろうが、その大半の罪を償うようになるのは、エヴァンズ家であろう?」
という言葉が降ってくると………。
今まで、覚悟の表情を色濃く浮かべていたルーカスさんが、初めて、緩く口角を描き、ほんの僅かばかり柔らかく微笑んだのが目に入ってきて、私は驚きに目を見開いてしまった。
そのあとで……。
「……そうですね。
貴女の駒になった時からずっと、実家には、迷惑をかけないと決めていました。
今まで、それがあったから、俺も貴女の言うことを聞かざるを得なかった。
だからこそ、この建国祭の間に、俺自身、教会に行くことで、既に、エヴァンズ家とは縁を切るように、手配しておきました。
今、この場にいる、ルーカスという人間は、貴女達がよく知っている、ルーカスエヴァンズではなく、ただの一般人としての、ルーカスでしかない。
俺自身が、あの日、貴女の手を取ると自分の判断で決めたことです。
罪を償うのは、ただ2人、貴女と俺だけで良い。
エヴァンズ家の信用も僅かばかり落ちるでしょうが、とんでもないことを仕出かした息子を既に、エヴァンズ家から追放しているというのであれば、それ以上の責任を追う必要はない。
このまま、地獄行きの片道キップが用意されているのは、俺と貴女だけ。
どこまでも、一緒に落ちるだけだ」
という、とんでもない言葉が、ルーカスさんから飛び出てきたことで、私は言葉を失って、ルーカスさんの方を見つめながら、愕然としてしまった。










