432【テレーゼSide】
ツカツカと、歩く足音から、隠せないほどに苛立ちが募ってくる。
――私の貴重な時間を無駄にしたと思えるくらいに、全く、つまらない見世物であったな……。
いつぞや、会った時には、自信に満ちあふれたような表情をして……。
【まだ、全容をテレーゼ様にお話する訳にはいきませんが、クレーム対応で、建国祭前にジェルメールのデザイナーの時間を可能な限り奪っておりますし。
最近になって、ファンなどという訳の分からぬ勢力が現れ始め、悪目立ちをしているあの子供の鼻を明かし。
建国祭のファッションショーで、大手を振ってあの呪い子が関与しているジェルメールごと面目を潰してしまえる、いい機会ですから。
この機を絶対に逃すわけにはいきませんし、この老体に鞭を打ってでも、テレーゼ様にとっても利があるように、最高の結果を御覧にいれましょうとも】
と、豪語していたくせに。
その結果が、これか……。
あの小娘と、ノクスの民の騎士がステージに上がっている、ファッションショーの間中、不快でしかなかったが、まさに、今日、悪い意味で、歴史の転換点が訪れたといっても過言ではないだろう。
あの小娘の面目が潰れるばかりか、忌々しい『赤色』を強調したショーで、大盛況のうちに、思いがけず世間からの評価が高まってしまっている状況に、私は苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべるのを何とか堪えながら、扇で口元を隠す。
ここが、まだ、王都の街並みであるが故に、沢山の庶民が往来している中で、下手な表情をすることも出来ぬ。
チラホラと、私のことを憧れの眼差しで見てくる民のことを思えば、どこまでも気は抜けないと言ってもいいだろう。
なるべく平静を保ち、心を落ち着けながら、私は、私の腹心の侍女を伴って、王都の街の中にある上流階級の人間のみが、入店を許可されている会員制のコーヒー・ハウスまで歩いていく。
基本的に、コーヒー・ハウスとは、同じ趣味や話題を持つ者同士が、盛んに政治談義を行ったりするような場所であり……。
女性の立ち入りは硬く禁止されていて、貴族の男性のみが入店を許可されている場所ではあるが、私自身は第二妃に就いた時から、社交界で積極的に、政治に関して意見を交わし合ったりしていたからこそ、親しい貴族の紹介で、女の立場でありながらも、特例で出入りをすることが許可されているものでもある。
一応、気兼ねなく会話が出来るようにと個室も用意されているし、普段なら、人目を忍び、皇后宮で話すことが出来ない『誰か』と、密会をするのにも適した場所ではあるが。
ファッションショーという人が沢山集まる場所へと、わざわざ出向き、周りから見ても、煌びやかなドレスに身を包み、一国の后として、相応しい格好をしているからこそ、公の場で思いっきり目立ってしまっている以上は、私が、今日、コーヒーハウスに出入りしたことは隠せぬであろう。
まぁ、だからといって、誰かに何かを聞かれたとしても、別に、表向きは『ファッションショーに行ったことの感想を、知り合いと語り合っていた』と伝えれば、それで済む話なのだが……。
行き慣れた場所ではあるため、迷いなく、王都の一等地から少し離れ、大通りから逸れて、細い裏路地に入った私は、そのまま、落ち着いた雰囲気の建物の中に足を進める。
カウンターに立っている老齢の見慣れた男に、会員制のカードを提示すれば、私をこの場に呼びつけてきた男は、私よりも先に、このお店にやって来ていたのだろう。
チラリと、カードと私の顔を確認したあとで……。
『バートン医師は、奥のお部屋でお待ちです』と、部屋番号の書かれた札と、扉を開けるための鍵が手渡され……。
私は、その札を後ろで控えている私の侍女に手渡してから、高価な絨毯が敷かれた通路を歩き、目的の個室の扉を開けた。
私が、興味を失って、ファッションショーを最後まで見ずに、ここにやって来たことを思えば、私をこの場に呼びつけた男も、その内容には納得出来ず、ショーの最中に、抜け出してきたはずだし。
一体、どういう顔をしているのかと、気になりながら、部屋の中にいる男の方へと視線を向ければ。
私の姿を見た瞬間、慌てたように立ち上がり……。
「これは、これは、テレーゼ様、お待ちしておりました」
と硬い表情を浮かべながらも、頭を下げて、へつらうように声をかけてくるバートンに、私は、小さくため息を溢す。
この男が過去、私に言ってきたように、此度のファッションショーの妨害が成功して、あの小娘の鼻を少しでも明かすことが出来ていたというのなら、私の心も多少は踊っていたかも知れぬが……。
今まで、我が国で執り行われていた『歴代の建国祭』の中でも、一番といってもいいほどに盛り上がりを見せていた今日のファッションショーを見れば、目に見えて、計画が失敗したのだということは、最早、明らかであり、弁解の余地すらない。
私自身、今回の事件に、一切関わっていないとはいえ。
あれほど『私にも手土産になるだろう』と、大口を叩いていたというのに、一体、どういう言い訳が降ってくるのかと、ソファーに腰掛け、扇を開いて、目の前の男の方を真っ直ぐに見つめていると……。
私の顔色を窺いながらも、同じようにソファーに腰掛け、悔しそうな表情を浮かべたバートンの口から……。
「此度のこと、本当に何の言い訳も出来ませぬなぁ……っ」
という言葉と共に……。
僅かばかり『こんなはずではなかった』という焦燥感が滲み出てくるのが、手に取るように理解出来た。
「フン……っ、詐欺事件の時から、あれだけ、上手くいくはずだと、私にも豪語していたというのに。
そなたの計画は、失敗どころか、アレに華を持たせるような形にしかなっていなかったようだが?」
私自身、今回の事件に、自分が全く関与していないものだからこそ、ある種、平穏を保ちながら、傍観者の立場を貫けるものだが……。
それでも……。
【日頃から、あの呪い子にはやきもきしておいでの、テレーゼ様の心労をほんの少しばかり、軽くしたいと思いましてな。
幸い、その事業に手を染めている貴族は貴女のことを、心から崇拝し尊敬しているようでして。
最後を飾るのに相応しい“事業”は、あの呪い子を貶めるような物であれば、あるほど、良いと……】
と、自信満々に言い切っていたのだから、皮肉の一つも出るというものだし。
詐欺事件を、バートンと、魔女狩り信仰派の貴族が企てて動いていたことも、そもそもの話、私の預かり知らぬところではあったが、全く、本当に『肝心な時に、使えない男だな』と内心で思う。
「えぇ、本当に、言葉もありません。
実は、本日、ファッションショーが行われる前に、ジェルメール側の衣装を破く手はずになっていて、実際に、それ自体は成功していたのですが……。
まさか、衣装に出来た傷跡を隠す方向で、本番までに、調整してくるとは夢にも思いませんでした。
……それで、その……っ、万が一にも、私が裏で関わっていたという証拠は、何一つ、出てこないでしょうが。
全てを隠蔽するのに、可能であれば、何かあった時、テレーゼ様にも、是非お力添えを頂ければと思うのですが……」
そうして、続けて補足するように媚びへつらいながら『何かあった時には助けてほしい』と出された言葉に……。
バートンが、ジェルメールが出すファッションショーの衣装を破く方向で動いていたということは、私にも伝わってきたものの。
話の全てを総合すると、結局、ジェルメール側と、あの小娘の判断で、ファッションショーの出番までに、衣装をより良いものへと生まれ変わらせたということになるのだろう。
それよりも……。
今回、ファッションショーが終わった後に『コーヒー・ハウスで落ち合おう』と言われていたことも、本来なら、ファッションショーの妨害が成功したことを祝す会になるはずだっただろうに、逆に自身の立場を危うくするなど、その立ち回りに関しては、お粗末極まりないと言ってもいいだろうな……っ?
詐欺事件のことは、あの小娘に情報を聞いて、既に、陛下が調査に動いているというのは、私自身も耳にして知っていることだし。
その際、万が一にも、陛下に自分の仕出かしたことが露見した際には、後ろ盾として、その身を守るために、何かしらの嘘の証言と共に、力を貸してほしいと乞われているのだということは、直ぐに分かった。
バートンとは、日頃から、持ちつ持たれつの関係性であるにせよ、それは、あまりにも虫が良すぎる話ではないだろうか……?
そもそも、この一件に、私は、最初から関与していないのだ。
詐欺事件に関しても『大丈夫なのか?』と問いかけた私の質問を無視して、どうしても手柄を渡したいと、今回の件を強行したのはバートンであり、この男が関わっている魔女狩り信仰派の貴族とやらであり。
言ってみれば、私の管轄外で、勝手に起きたことに過ぎない。
陛下が既に、調べ始めていることに対し、私がどうしても『この男の肩を持つようなこと』をしなければいけないという道理もなければ、万が一にも、自分の身にも危険が及ぶかもしれない可能性もある訳で……。
一方だけに、大きく負担が偏るようなことになれば、最早、きちんとしたギブアンドテイクの関係性とは言えぬであろう。
その時点で、この関係性は、壊れたも同然であり、私がそれを止めなければいけない理由もない。
「そうか、それは可哀想な話だな……。
だが、そなたが蒔いた種を、何故、この私が回収せねばならないのだ?
私とそなたは、いつだって、利害が一致しているからこその協力関係であったはずであろう?
そなたは、世間からの名声を得ることに快感を覚え、私を利用していた。
一方で、私もまた、そなたの名声を利用して、それなりに利益を得ていた。
そのバランスが壊された時、一体どうなるのかということは、そなた自身が誰よりも理解しているのではないか?
そなたも、今と全く同じ状況で、私と同じ立場だったなら、私のことを助けるために動いてくれるか……?」
――のう……? どう思う?
パンっと、開いていた扇を閉じて、目の前の男に突きつけ、口元を歪めながら、そう伝えれば……。
目の前で、へりくだっていた男が、額に汗を垂らし、焦りの表情を見せながら、私に向かって……。
「そ、それは……! いえ……、ですが、テレーゼ様」
と、慌てたように声を出してくるのが聞こえてきた。
私が、今まで、この男と繋がっていたのには、それなりに、互いにとって利益があるからだ。
この男が勝手にやったことで、私に不利益が生じるのであれば、それを見過ごすことは出来ない。
ましてや、この時期に、陛下が調べている詐欺事件のことで、私がこの男を庇うために、この事件に、ちょっとでも関与していると疑われたりすれば、それこそ、今までの私の努力まで、無に帰してしまう可能性だってある。
私に、手土産を寄越してくるばかりか、足を引っ張るようなことしかしてきていない状況で、どうして、私が、無償で、この男のことを助けねばならないのか。
問いかけるように、首を横に傾げ……。
『今までも、互いに、ギブアンドテイクの関係だったはずだが……?』ということを、言外に伝えれば、私の言いたいことは、直ぐに、理解したのだろう。
「必ずや、代わりのものを何かご用意いたしますので……」
と、言い募ってきたバートンに、私は深いため息を溢した。
直ぐに、代わりのものを提示することが出来なかったところを見るに、今回のことが、失敗するだなんて、一切、思ってもいなかったのであろうな。
だからこそ、私に対しても、ここで、何一つ代わりのものを用意することも出来ないでいるのだ。
私自身、特に、バートンとは、今まで、ギブアンドテイクの関係を築いていたし……。
私は、この男の功績を、不当に奪うようなこともしていない。
それどころか、色々な面で、この男の利になるように動いてやっていたのだ。
それなのに……。
今回、何もしていない私に泥をかけてきたことで、お詫びとして、それ相応のものを用意するというのなら別だが、一方のみに負担がかかるような関係性は、決して健全とは言えぬ話であろう?
今までは、互いに必要以上に干渉せずに、利害が一致していたからこそ敵にはならなかったが……。
それが覆されるというのなら、黙っている訳にもいかない。
そも、バートンというのは、自分が一番可愛くて、目的や自身の保身のためなら嘘を吐くことも厭わず、表では人のいい顔をして、裏では何を考えているのか、全く読めぬ男だ。
手放しに、信じていれば痛い目に遭うし、こういう顔を持っている人間こそ、裏では、他人に、私の悪口を言っていたりするのだから『信用など、おけない』というもの。
私自身、長年、過ごしてきた経験から、こういう人間を判断する時と、危険を察知する能力は、人一倍高いと言ってもいい。
もしも、これが、逆の立場であるのなら、バートンは、私のことを、即座に切り捨てていたであろう。
それが分かっているからこそ、不信感も募るし……。
変な話、取り繕った上辺だけの軽い言葉なら、どんなときも、誰に対しても、いつだってかけることが出来るのだ。
だからこそ、私は、言葉ではなく、行動で、その人間の人となりを把握するようにしている。
今まで、バートンと遣り取りをしていて、私は既に、この男が腹黒く、人のために無償で動くことはしない男だと認識しているし。
今回のことも、表向きは、私に手土産をという体を装って動いていたが、その実、自分の名声のためにしか動いていないことも、十二分に理解している。
今、ここで、どれほど、バートンが私のために何かを差し出したいと言ってきていたとしても、それは上辺だけのものであり、行動で示してもらわねば何の意味もない。
それ故に……。
改めて、問うが……。
「一体、今度は、この私に、どんな手土産を用意してくるというのだ?」
と、声をかければ、バートンは直ぐに返事を返すことが出来ずに『それは……』などと、一転して、言葉に窮し、口ごもってくる。
――それが、何よりの、答えだった。
「用意もしていないものに、私が応えてやる義理などないであろう?」
口元を歪めながら、目の前の男の方を見て、にこりと嗤う。
正直者が馬鹿を見る世界で、今まで、この男も、私も上手いこと立ち回っていたが、どうやら、それもここまでのようだな。
……私とて、最初からそうだった訳ではない。
クズみたいな父親の所為で苦労してきて、一生懸命に頑張って努力を重ねてきたが、周りを見渡して、努力が報われる世界でもなければ、それだけでは、到底、この世界を上手く生きて行くことも出来ないことに、早々に気付いて、自分のために、方向転換をした時があった。
――人に優しくしたとて、何になる?
今まで、それで、馬鹿を見て、損な役回りをしてきたせいで、他人に上手いこと使われて、自分の手柄を奪われ他人が賞賛され、のし上がるための餌になっていくだけの愚かな人間を、私自身、この目で、嫌になるほど、沢山見てきた。
自分を優先せずに、他人を優先していたところで、それに、真摯に応えてくれる人間が、どれほどいるのだろうか?
人生のうちに、そんな存在に出会えることは、極稀で、みんな自分が可愛くて仕方が無いのだ。
だからこそ、我が身可愛さに、保身のためなら平気で嘘をつくし、何だってする。
そう思えば、私が、他人のことを一切、信用出来ないのも理解出来るであろう?
こちらが、いくら一生懸命に心を砕いたとしても、真剣になったとしても、他人が、同じように自分に心を砕いてくれるなど、あり得ぬ話だし、それこそ、幻想でしかないのだ。
そのあとに待っているものは、骨の髄まで、しゃぶり尽くされての破滅でしかない。
辛うじて、骨は残るかもしれないが、皮も、肉も食らい尽くされていくのがオチだ。
どれほど一生懸命に努力したところで、その努力を他人に奪われて使われてしまうのならば、他人を大切にするよりも、自分を大切にした方が良いというもの。
我が身可愛さに、自分を守ることしかしない男のために、私が身を粉にして頑張る必要もない。
期待するだけ無駄だし、そうであるならば、私は、私のために生きるだけ。
強くあらねば、他人に食いものにされてしまうのだというのなら、食いものにされる前に、食い殺せばいい。
そういう意味で、私は、バートンのことは一切信用しておらぬ。
それは、今まで、この男が私の前で見せてきた顔によるものが大きいが、たとえ、上辺だけで、私に対して取り繕うような甘い言葉を吐いてきても、人から信用される行動を取ってこなかったこの男の責任でもあるだろう。
バートンが、保身のために、肝心なところで、人を裏切ったりすることも平気でしてくる男だということは、私自身が、この男のことを傍で見てきて、誰よりも理解している。
だからこそ……。
「そなたが、私に、それ相応のものを用意をしてきた時に、今一度考えてやってもいい。
だが、それはあくまでも、一考の余地があるというだけで、そなたを救ってやると確約するものでもない」
と、今、まさに、私に向かって、伸ばしてきたバートンのその手を払いのけて、にこりと笑みを溢しながら『それだけの用事であるのなら、私はもうこの場に用はない』と、声を出し。
実に、無駄な時間を使ってしまったなと、感じながら……。
この男のことを拒絶するように背を向ければ、バートンは、私に対して、追いすがるような表情を浮かべてきたものの、今までのことがあるからこそ、何も言えず。
その目で、私が帰るのを恨めしそうに見つめているだけだった。