414【テレーゼSide】
ルーカスと会って、休憩室で、二人っきりで会話をしてから、エヴァンズ家の夜会で、私に近づいてくる貴族の相手を『皇后』としての責務を果たしながら、こなしたあと。
私は、陛下がまだ、この場に残っている状況で、一足早く、皇宮へと帰らせてもらうことにした。
建国祭で、盛り上がっているさなかのパーティーであるというのに、今日の『陛下のパートナー』は、誰もおらず、昨日の、ブライスが主催していた夜会には、あの小娘と一緒に行くという始末で……。
例年通りであれば、どうしても出席しなければいけない大きなパーティーの際には、必ず、一度は、私と『建国祭のパートナー』として、共に出席していたというのに、最近の陛下の考えは全く読めぬ。
私と陛下の間に、愛はないといえども……。
前皇后が亡くなってからは、名実共に、私がその座に就いているのだから、あまりにも、陛下と私が揃って『パーティーに出席しない状況』が続いてしまうと、それだけで、噂好きな貴族達の格好の餌食になってしまうというのに。
――たとえ、皇后という立場に就こうとも、陛下は、私を守る気など、一切、ないのであろう。
その辺り、ビジネスライクな関係だと割り切って、もとより、分かっていたことではあるが、最近になって、皇女であるアレを気にかけるあまり、必要最低限のことすらしてくれなくなったとあれば、黙っている訳にもいくまいな……。
まだ、前皇后が亡くなって、一年も経っていないから、新しい皇后と、パートナーとして公の場に出るのは、あまりにも『あからさますぎる』というふうに見てくれる世間の目も、なくはないが。
このまま、この状況を放置していると、やがては『陛下の私への寵愛が失われたのだ』と、方々から、思われ始めてしまうはずだ。
……その前に、何としてでも、手を打たねばならない。
実際の『二人の関係』がどうなのかということについては、正直に言って、あまり関係のないことではあるが。
折角、世間から……、私と陛下の関係が、まるで、シンデレラストーリーのように、勝手に誇大解釈され、憧れとして見られているのだから、その状況を手放すような愚かな真似は、絶対に出来ない。
陛下と、私の恋の行方に立ち塞がる邪魔者こそ『前皇后だった』と、世間から思われているのなら、それを、骨の髄まで利用し尽くすというのが私の遣り方であり。
昔から、その立ち回りについては、一切、変わっていない。
だが、建国祭が終わったら、正式に陛下に、そのことを抗議しなければいけないと思うと、頭が痛くなってくる。
最近の陛下は、以前にも増して『仕事が忙しくなってしまったのだ』と口実を作り、私と接する機会を、意図的に、少しずつ減らしているように思う。
それなのに、アリスと一緒に食事をする機会は、多く持ち始めたのだから、目も当てられない。
以前は、私の話を聞いて、良さげな施策などがあれば、政治に介入することも許可していたというのに、ここ最近、そのような話すら、マトモに出来ていない。
朝食の席に関しては、いつも通りで……。
私も含めた家族で、一緒に食べているから、目に見えて『家族の時間』を蔑ろにするようなことは、人の目がある手前、あからさまにはしていないが、アリスとの時間を取ることに心血を注いでいるのは、私の目から見ても明らかだ。
前皇后が、あのような形で亡くなってしまってから、考えることも、やらなければいけないことも増え、私の悩みの種が増殖していく一方で、本当に困ってしまうばかりだな。
そうでなくとも、最近になってギゼルも『親友が出来た』と、どこの馬の骨とも分からないような人間を崇拝している様子で、私に反抗してくるし、アレのことだけではなく、私の手を煩わすようなことはしてきて欲しくないものだが……。
第二妃という立場が、私にとっては、あまりにも最適な環境だったからこそ、私のことを慕っているという『国民の犯行によるもの』とのことだったが、全く、はた迷惑なこともあったものだと、本気で思う。
あのように、特殊な形で皇宮からいなくなってしまうと……。
私自身が、実力で、あの女に追いつくことも……、一国の、上に立つ人間として、皇后としての立場に、真に相応しいのは誰なのかということを、競うことすら、もう、敵わなくなってしまった。
そうして、あの女の娘が、忌々しくも、今は、ウィリアムに立ち塞がるように台頭してきている。
皇女であるアレの本心がどこにあろうと、公爵がどう思おうと、関係ない。
アレを祭り上げて『公爵の血筋を引いているからこそ、君主に相応しいのではないか』と、既に、今日のパーティーでも、わざわざ、私に面と向かって、そう言ってきた貴族もいたくらいだ。
その人気が高まっていくにつれ、アレは、私にとって、今よりももっと、目障りな存在になっていくだろう。
それから……。
私が、あれこれと頭の中で考えて、暫くの間、王都の街を走る馬車に一人で乗って、皇后宮へと戻ると。
私の帰りを待ち構えていた数名の侍女が、すぐさま、疲れている『この身体を癒やす』ように、風呂で髪の毛を丁寧に洗い、寝間着に着替えさせ、オイルを使って、私の身体の凝りを解すように、ゆっくりと、時間をかけて、マッサージをし始めた。
それが終わったあと、一日、公務として過ごして、疲れ切った身体に染み渡るように、用意されたレモンティーを、ベッドの上に腰掛け、ホッと一息吐きながら飲んでいると。
パーティーでは、そのような時間も取れず、ろくに、食べてもいなかっただろうから『お腹が空いているのでは?』と……。
何も言わずとも、阿吽の呼吸で感じ取って、夜食として『クッキー』を持ってきた、私の一番の側近である侍女が、ベッドのサイドテーブルに、クッキーが盛り付けられたお皿を置き、心配した様子で此方を見つめてきた。
「テレーゼ様、酷く、お疲れのようですね……っ?
何か、他に、ご用命などがあれば、いつでもお申し付け下さい」
そうして、気遣うようにかけられた言葉に、私は視線だけで『今は、特別、何もしなくてもいい』ということを、はっきりと告げる。
「それより、最近の、皇宮内はどうなのだ……?」
その上で出した、私の問いかけるような言葉に、ほんの少しだけ眉を寄せて、険しい表情になった侍女が、言いにくそうな雰囲気を醸し出しながら……。
「テレーゼ様が皇后宮に移られてから、随分と、経ちますが。
陛下が義務として、一度しか、此方へとやって来られていないことが、じわじわと、今、皇宮内でも、噂になってしまっています。
今までは、国民の支持が幾ら高かろうとも、前皇后様の立場があり、陛下も中々、テレーゼ様の元へは来られないのだと思われていましたが……。
流石に、ここまで、皇宮内でも一緒に過ごされていない状況が続いてしまうと。
……ウィリアム殿下も成人を迎えていて、お二人が新婚ではないからだと見ているような者もいますが、それでも、不仲なのかもしれないと疑う声も、チラホラと上がってきてしまっていますね。
皇后宮で仕えている侍女も、テレーゼ様の元に陛下がいらっしゃった初日でさえ、別々の寝室で眠られていたことを、過剰に気にして噂にしている者がいましたので、そちらに関しては、既に、別の仕事場へと左遷しています」
と、淡々と、事実のみを告げてくる。
その言葉に、思わず、苦い笑みがこぼれ落ちたのは、別に、私が『陛下に愛を求めているから』ではなく。
私自身が、他者からどう見られているのか……。
どういうふうに振る舞うことが出来れば『相手を、意のままに操って動かせるか?』ということに、心血を注いでいるからだ。
この、欲望渦巻く皇宮という場所で、私の味方が減ってしまうということは、それだけで、皇后になったばかりの私の立場を揺らがせて、果ては、ウィリアムにまで影響してくる可能性だってあるのだし、どうやったって、過剰に気に掛けてしまう。
皇后宮に入ることになった初日に、義務としてやってきた陛下が『私の寝室』を使うことを拒んだのは、前皇后の面影が残っている部屋に、来たくはなかったからであろう。
前皇后について、日頃から、その口では、皇宮の予算を散財していたことを良くないと思っている素振りを見せながらも、決して、最後まで、皇女であるアレに対しても、あの女に対しても、洋服や宝石を購入することを、止めたりもしなかった訳だし……。
実際に、亡くなって直ぐに、私を『皇后の立場』に就かせたといえども、内心では、あの女が死んでしまったことに動揺し、複雑な気持ちを抱いていたに違いない。
そのことを象徴するかのように、陛下は、私の寝室どころか、前皇后が使っていた部屋には、一切立ち入ろうともせずに、誰の面影も残っていないような客室で、一晩を過ごすことを選んだのだから……。
それでも、前皇后が亡くなったあと、仕事上のパートナーとして、それなりに、私の立場が揺らいだりはしないように、配偶者としての配慮はするつもりだという約束はしていたはずなのに……。
――最早、アリスのことで、義務としての、その約束すらも忘れてしまったか……?
前皇后が亡くなってから、最初のうちは、私のことも気に掛けていた様子だったが、日増しに……、アレを大切にしていく動きとは反対に、私に対して、冷たくなっていっているような気がしてならない。
そして、それは、皇宮で働いている従者達の方が、より顕著に、敏感に察知しているはずだ。
現に、今、こうして、皇宮の一切を取り仕切っている『この侍女』が、私に対して、心配するような表情を向けてきていることからも明らかだろう。
陛下と婚姻関係を結び、第二妃という立場になってから、私を取り巻く環境は、本当にがらりと変わった。
伯爵邸ではあり得なかった、衣食住の全てが保障され、皇宮の一流のシェフが作った料理に、充分といえるほど、私のためだけに用意された従者達……。
そして、身体の疲れを癒やすためのマッサージに、洋服や宝石など、私のために用意された予算で、あらゆる贅を尽くすことが出来るようになり、フロレンス家の一員として伯爵邸にいた頃とは、本当に、雲泥の差とも思えるくらいに待遇が違って、皇后になってからも、それは継続しているが……。
――肝心の、自分の立場が揺らいでしまうようなことがあったら、どうしようもなくなってしまう。
そういう意味でも、あの小娘に出しゃばられるようになると、困るのだ。
それに、赤を持っている人間が、世間から認められる日が来るだなんて、絶対に、あってはならぬこと。
それならば……、私が、あの子のためを思って……。
ウィリアムのためを思って、苦渋の決断をして、その身体に傷をつけてまで、その目を、片方奪った意味がなくなってしまう。
何としても、そうなることだけは避けねばなるまい。
『赤を持っていることは悪なのだ』と……、それが、世間一般の、大多数の人間の総意であり、常識だったはずであろうっ?
今になって、陛下が認めたというだけで、赤を持つ者が愛され、認められる日が来るだなんてことが、あっていい訳がない。
アレの存在そのものが、私にとっては、目の上の瘤でしかないし、その姿を見ているだけでも、あの女の産んだ子供だと思うだけで虫唾が走ってくる。
これ以上、勢いづいて、調子づいてしまうようなことが起きる前に、出来るだけ食い止めて、私の皇后としての立場も、盤石なものにしておかねば……。
気持ちばかりが急いてしまっていることには、自分でも気づいてはいたが、今、ここで、止めなければ、私の立場もろとも、あの子供は、平然な顔をして奪っていってしまうだろう。
そうして、あの子供は、ありのままの自分を隠すこともなく。
……ありのままの自分を捨てることもなく、ウィリアムが得られなかったものさえも、欲しいままにしていくのだ。
たった、一度、陛下に認められ、寵愛を受けたという、それだけのことで……。
――そんなことは、絶対に許されない。
「早く、次の策を講じて、手を打たねばなるまいな……っ。
それより、建国祭の時期に、ナナシに来るようにと、命じていたはずなのだが。
……未だに、ナナシは、私の下へと来ないのか?」
どうしようもないくらいに、気を揉んで……。
苛々としている自覚はあったが、建国祭の間に呼んでいたはずのナナシが、一向に私の下へとやって来ないことに、八つ当たりに近い感情で、目の前の侍女に向かって、そう問いかければ……。
「ええ。……普段なら、毎月、かならず一度は、皇宮へと訪れるようになっているはずなのですが、ここ最近、他に忙しい用事でもあるのか、一度も、お見えになっていません。
別の影の報告によると、あの男が大切だと言っていた、スラムで過ごしている仲間達にも、特に、変わった動きはないみたいですね」
という言葉を、返されて……。
私は、むしゃくしゃとした気持ちが抑えきれず、衝動的に、持っていた『ティーカップ』を、ガシャンと、サイドテーブルの上に、わざと、音を立てながら置いた。
瞬間……。
中から、水滴がパタパタと飛び跳ねていくのにも構うことなく、沸騰するように上がってしまった怒りの感情に、側近である侍女が気遣わしげに、その顔色を窺うように、私の方をそっと、見つめてくる。
「テレーゼ様……、こう言っては、何なのですが……。
私は、あの男が、何を考えているか、さっぱり読めず、マイペースで、場の空気が読めなくて、本当に苦手というか……。
信用していい人間なのかも分からず、どこまでも、高貴なテレーゼ様に、あの男は相応しくないと思うのですが」
そうして、ナナシのことを『根本から疑うような雰囲気』で、続けて言われた言葉に、私自身、納得して頷くことが出来る部分もあったものの。
アレは空気が読めないところはあるが、それは個性であって、私の首を狙ってこれるような人間ではないと、その言葉を一蹴するように、鼻で笑う。
アレにとって、一番、大切なことは、幼い頃から過ごしてきている『スラム一帯』を守ることにあり……。
自分の仲間を救うために、少しでも、問題のないように、衣食住を整え、貧困に喘いでいる人間が『明日、生きて行くのにも、困らないように……』と、支援して。
アレが、弱者を『人知れず、密かに守っている』ということは、私も理解している上に、私自身、そういった裏家業をしている人間を専門に取り扱い、斡旋するような闇の業者を通して知り合ったから、ある程度の信頼は置いている。
大金をはたいているというのに依頼をこなせなかったら、その業者の信用問題にも関わってくる話だし、私の身分を考えれば、変な人間の紹介はしてこないはず。
……実際、ナナシは、大金さえ出せば、100%依頼を完遂することが出来るという触れ込みのもと、紹介された人間だった。
その紹介に、嘘偽りなどなく、今まで頼んできたことに関しては、その全てをしっかりとこなしているのだから、文句の付けようもない。
アレが、私以上に金を出す雇い主を見つければ、その時は、私の寝首を掻こうとしてくるかもしれないが、ギブアンドテイクとして、二人の間で、互いに『正式な主従』としての遣り取りが発生している以上は、そのようなことはしてこぬだろう。
「……私自身、そなたの言い分も、分からなくはない。
過剰に力を持っている者は、それだけで、驚異となり得てしまうのだから、その懸念は正当なものだろう。
だが、アレの大切なものは、全て、私の手の内にある。
そうしている以上は、アレも、私には手が出しにくいはずだ。
……そもそも、アレは、割り切ることが下手くそな、人間味のあるルーカスと違って、依頼をこなす時には、一切、自分の感情というものを乗せたりしない非情な一面も持っているし。
本当に、裏で生きるために、生まれてきたような人間だからな……。
ああいう手合いは、自分の納得するものを提示し続けている人間を手放したりはしないものだ」
……だが、それでも、万が一の時のことを考えて、ただ、単純に、金銭の遣り取りのみで『使う、使われる』というだけの関係性から、一歩進んで、その首に鎖を付けておくというのは、私の常套手段だ。
相手に弱みを見せることはせず、反対に、相手の弱みは『優先して』探って、この手に握りしめておく。
そもそも、裏の住人であるナナシをつけ回して、その内情を探るにも骨が折れて、これもまた、莫大な金銭が発生したが、お陰で、アレが大切にしているものも、この手に掴んでおくことが出来た。
スラムに関しては、必要悪として、ある程度、残しておかねば『暴動が起きる可能性もある』から、放置しているだけで、いざとなれば、私の立場があれば、アレの大切にしているもの、もろとも、壊すことだって出来るのだから……。
そうはならないように『良い関係を築いておきたい』と願うばかりだが、そこに関しては、必要以上に、心配などもしていない。
「……ええ。確かに、そうですね……」
「それに、今までの依頼については、全て完遂しているから、そのどこにも、問題はない。
ナナシはマイペースで、時に、空気が全く読めないが、扱い方さえ間違えねば、あまりにも優秀だから、使い捨てをして、ここで手放してしまうには、ルーカスと同様、あまりにも惜しいしな。
第一、ルーカスもそうだが、私が飼い慣らしているペットは、どれもこれも、一癖があって、扱いにくいということは、そなたも知っているところであろう?
それでも、なお、あの二人は、私の手を噛んでくることはあっても、この首まで、狙ってくることはないはずだ」
はっきりと出した私の言葉に、私の侍女が『勿論、それは分かっています』と、同意するように声を出したあとで、ほんの少しだけ、気がかりだとでも言わんばかりに、私の方を、更に心配した表情で見つめてくる。
ここ最近になって、いつになく、ハイペースで動き回っている私のことを思いやってくれているのだろう。
全く、可愛いところがあるものだ。
だが、表に出している私の顔は、それこそ、これ以上ないと言っても過言ではないほどに完璧だし、万が一にも、疑われるようなことは恐らくないだろう。
仮に、疑われるようなことがあったとしても、世に出ている顔も、書類なども含めて、その全てが清廉潔白である私のことを証明するために働くはずで……。
多少、誰かに訝しがられても、私が直接、手を下した証拠など、それこそ、誰かの証言でもない限りは、一欠片さえも出てこないように、常に、先を見て、慎重に立ち回っているのだからな。
そもそも、あの小娘のことに関しては、その玉座を巡って、王位継承権を争っている兄弟同士なら、珍しくもなく、どこの国でも、よくある話でもある。
それが、勝てば官軍、負ければ賊軍になってしまうように……。
血の争いにより、たった一人の勝者が、その国の政治を担っている人間すら一新し、全部を『自分の都合の良いように、すげ替えてしまう』というような状況だって、あり得るのだから。
そういう場合、玉座に座った勝者を止めるようなものは、それがたとえ、愚王であったとしても、どこにも存在しない。
自分に逆らってくるような反対派は、みんな、その場で、粛正されてしまうからだ。
我が国では、そのようなことは久しく起こってはいないが、そういった争いでは、文字通り、勝った者が国の全てを手にすることが出来るといってもいい。
だからこそ、誰に非難されようとも……、私が今していることは、私の中では、何ら間違った行動ではない。
全ては、私の可愛い息子であるウィリアムを、皇帝の座に就かすため。
――そのためなら、邪魔になりうる者は、事前に、可能な限り排除しておきたいという、親心故のもの。
陛下は、愚かな君主ではなく、そういうのに聡い人だから、今まで以上に気をつけねばならないとは感じるものの、注意深く用心さえしていれば、問題はないだろう。
だから、何も心配しなくて良いという視線を向けたあとで、私自身も、自分を納得させるように、一度『……そのはずだから、大丈夫だ』と、内心で、自分に発破をかけるように、声をかける。
たとえ、今、不安な気持ちが多少浮かんでいようとも、私は私が真に正しいと思っている道を、ただひたすらに、真っ直ぐ突き進んでいくだけなのだから。
「……テレーゼ様っ。……承知しました。
……私は、あなたが決めたことならば、生涯、そのお側で、付き従うことを誓います。
あなた様には、心の底から感謝していますので……」
私の言葉を聞いて、覚悟を決めた様子で、私の腹心がそう言って、頭を下げてくる。
これの家族が、流行病にかかった際、高額で、一般の人間には手が出せないほどの薬代を工面してやったことからの長い付き合いだが、コレが私のことを裏切るような日は、多分、こないであろうな。
私の腹心として、裏切るようなことはしないだろうという、ある程度の安心感は覚えている。
……皇宮での仕事もあるから致し方ないが、可能なら、常に、私の側で、その力を振るってほしいくらいには、重用しているのだ。
「それより、その……っ、差し出がましいことを聞くようで、本当に申し訳ありませんが。
あちらの棚の上に置いている日記は、もしかして……、前皇后様のものでは……っ?
以前、処分すると仰っていたのに……、棚の上に飾ることにしたのですか?」
そうして、不意に、自室にある棚の上に置いていた日記について、目ざとく発見され、私自身は、思わず、苦虫を噛みつぶしたような表情になってしまった。
私の、そんな反応を見て、侍女が『怨念が込められていそうで恐いのですが、やはり、私の手で処分しておきましょうか?』と、気を遣って声をかけてきたことに、私自身、首を横に振り、その申し出を、明確に断ることにした。
「……アレの処分は、私がするから、そなたは何も気にしなくても良い」
その言葉に、驚いたような表情をして、私の方を見てくる侍女に……。
『フン……っ』と、一度、憎々しい気持ちで、あの日記に、鋭く睨みつけるような視線を向けたあとで。
私は『何故、アレに書かれていた内容を、私が、こうも、気にしなければいけないのだ』と……。
心の中を渦巻いてくるような、ドロドロとした何とも言えない感情になりながらも『時期を見て、私の方で処分する予定だ』と、侍女に向かって、簡潔に告げる。
たとえ、あの日記の中身がどんなものであろうとも、私にとっては、全く関係のない話であり……。
アレを見たからといって、己の考えが変わる訳でもない。
それに、あの女が、陛下の寵愛を受けていたにも拘わらず、今まで、皇后として、皇室のことを何一つ、やってこなかったのは、紛れもなく事実なのだし。
今でもなお、あの女のことは、私と違って、『公爵の娘として、恵まれた環境に生まれた』ということで、憎々しい気持ちも抱いている。
だからこそ、あの女が、日頃から『陛下に嫌われているのだと感じていた』としても、あの日記に、自分の娘のことについて、その気持ちの全てが書かれていようとも、今更、そのようなことを知ったところで、私の気持ちは、一切、揺れ動かない。
私は、私の立場を守り、ウィリアムを皇位に就かせ、自分の子供を守ることだけを、考えていればいい。
今すぐ、ぐちゃぐちゃに破り捨てても良いが、あの女の苦悩を少しでも長く眺めるために、自分の優越感のためだけに、アレを、手元に置いているだけにすぎないのだ。
だから、アレに特別な感情を持つようなことも、あの子供に、憐憫の視線を向けるようなことも、あってはならない。
……それをした瞬間、私は、私でいられなくなってしまう。
今まで、私は自分の立場を守るため、自分の境遇を少しでもより良いものにしていくため、反骨精神で、どんな汚いことにも手を染めて、自分の立ち位置を確保してきた。
私は、そんな自分のことを、心の底から、誇りに思っている。
だからこそ、ここまで生きてきた歳月の中で、自分がやって来たことに、ただの一度も後悔をしたようなことはない。
自分の努力の成果で、目に見えて、その待遇が豪華なものになっていき、一国の皇帝の第二妃という立場を得て、更に、民心の気持ちまでもを掌握し、何不自由なく暮らせるようになったということは、全て、私の力で掴みとったものだ。
その過程で、汚いことを山ほどしていようとも、そうしなければ、私がここまでの立場を得ることは、決して出来なかっただろう。
貧乏伯爵の家に生まれたことをバネにして、誰よりも高くのし上がり、必要であれば色んな人間と交渉して上手いこと立ち回ってきた。
――その全てさえも、紛うことなき、私の努力なのだ……っ。
私が、どれほど、血の滲むような思いをして、今の立場を掴みとってきたのか、それら全てを、否定する権利など、誰も持ち合わせてはいない。
この世の中で、私を否定して良いのは、まさに、私だけなのだから……、っ!
だからこそ、私の歩んで来た道に、間違いなど欠片もない。
私が、一度、それを否定すれば、その瞬間に、今まで積み上げてきたものの全てが崩れ去って、塵となって消えてしまうであろう。
たとえ、今、こうして、私に忠誠を誓っている侍女であろうとも、敵だらけの周囲に、心を許すという愚かな真似など絶対にしない。
私に近づいてくる人間は、みな、私がもたらす恩恵を求めて、群がってくる蠅のような連中ばかりなのだから。
だからこそ、相手の弱みを握り、出来る限り『鎖』で縛っておかねば、いつ裏切ってくるか分からぬであろう……?
そういう意味では、あのろくでなしの父親の下で生まれたことにも意味があったのかもしれない。
社交界を上手く渡って生きていくことを、それこそ、幼い時から、否応なしに、学ばせてもらっていたのだからな。
頼れる者など誰もおらず、信じられるのは、自分のみという状況で、私は、ずっと、そうやって生きてきた。
――生きてきたのだ。
……そうして、これからも、私は、そうやって生きていくだろう。
この世にある、ありとあらゆる富も、名声も……、それらを得たとしても、まだ足りない。
何かあれば、その瞬間に、一気に崩れ去ってしまうであろう土台は、ぐらぐらとしていて、一向に安定しないのだから、逆に、名声を得たことで、その立場を守ろうと、人というものは必死になるものだ。
世間的に見れば、重罪なことでも、一度でも、罪を犯すと、その瞬間に、二度目、三度目と、犯罪を繰り返していく度に、その罪の重さは、どんどん軽くなっていく。
そうして……。
嘘を正当化するために、また嘘を塗り重ね、抜け出せなくなっていくものだが、私は、自ら望んで、自分の道を切り開くために、目の前にある邪魔な岩や、雑草を、自分の力で刈り取って、撥ねのけてきただけだ。
【今更、そのことで、私自身が、揺らいだりはしない】
そうでなければ、ならないのだ、絶対に……。










