406 対峙
ブライスさんのお宅で開かれた『パーティー会場』も、品の良い調度品が並んでいるなと思っていたけれど。
エヴァンズ家は、それ以上に、元々『社交界の顔』とも呼ばれていた侯爵夫人のセンスもあってか……。
エヴァンズ家の特徴である銀を使いながらも、壁なども含めて水色と銀の装飾で、全体的に凄く纏まりのある雰囲気の作りになっていた。
一番奥には赤絨毯の敷かれた階段があり、吹き抜けで二階に上がれるようにもなっていて、手すりのある二階からも、パーティーホール全体が見渡せるような構造になっているのは、凄くお洒落だと思う。
そうして、つと、と視線を落とし、ホールに来ているお客さん達に視線をくばると、侯爵家の従者達が総動員で、ドリンクを運んでいたり……。
あくまでも優雅に、気品を保ちながらも、忙しそうに招待客の間を縫って歩いているのが見えた。
私が、エヴァンズ家のホールで一人、煌びやかな邸宅の装飾や、仕事をしている従者たちの動きについて感心していたら……。
「アリス、予定の時刻より少し遅れてきたが、何かあったのか?」
と、私達が会場に来たことに気づいてくれたウィリアムお兄様が、誰かと会話をしていたのを中断して、わざわざ此方へと駆け寄って、声をかけてくれた。
見れば、お兄様の近くには、お父様とギゼルお兄様、それからテレーゼ様といった面々が既に揃っていて……。
ここに来る前に、ルーカスさんに『他の皇族はみんな揃っている』と言われた通り、本当に私が最後に、エヴァンズ邸に来ることになってしまったみたい。
そのことに、ちょっとだけ申し訳ないなぁと感じながらも……。
今日も、いつもと変わらず『優雅な所作』で、華やかな雰囲気を纏わせて、扇をバッと開き、豪華な感じのドレスに身を包んでいるテレーゼ様の姿に、ちょっとだけ緊張してしまいつつ。
私は何でもないことを装うために、平常心を心がけて、この場に、全員揃っている皇族の面々に視線を向けながら……。
淑女の礼をとって、ドレスの裾をふわりと摘まみ、頭を下げたあとで、笑みを溢した。
「帝国の太陽に、そして、帝国の咲き誇る大輪の花にご挨拶を。
お兄様、心配してくださって、ありがとうございます。
ファッションショーンの練習が、ちょっとだけ押してしまって……。
それより、お父様や皇后様よりも遅く来てしまうようなことになり、本当に申し訳ありません」
その上で、エヴァンズ家のパーティーで、人の目が沢山あるということで、私のデビュタントでもそうしたように、テレーゼ様ではなく、敢えて『皇后様呼び』をするように意識しながら……。
ジェルメールで起きてしまったトラブルについては一切触れず、お父様とテレーゼ様よりも遅く来てしまったことを詫びる。
一応、今回のパーティーでは主催者側ではなく、招待客の方だから。
そこまで時間のことを気にする必要はなく、パーティーが開かれて終わるまでの『常識的な時間の範囲内』であるならば、好きに来ても良くて、そこまで明確に定められているマナーはないものの。
心情的に、お父様よりも遅く来たということについては、やっぱりどうしても気になってしまう。
それが、何も知らない他の貴族達ならまだしも、皇族のみんなが大体、エヴァンズ家へ『どのくらいの時間にやって来るのか』ということは、ハーロックが、事前に纏めてくれていた資料にも載っていたし。
皇女の立場として……、お父様も含めて、角が立たないようにテレーゼさまに対しても、お詫びの意味を込めて頭を下げれば……。
「別にそれに関しては、特に問題もない。
……マナーとして、良くないという訳でもないんだ。
それに、今まで遊んでいた訳でもないだろう?
私達が用事が無くて先に会場に来てしまったというだけで、公務上、お前がしないといけなかった用事が押してしまったのなら、それはもう、仕方がないしな」
と、コホンと一度咳払いをしたお父様が、ほんの少しだけ口元を緩めながら、私に優しく声をかけてくれた。
今回、私が、ファッションショーに出ることを、『公務の一環』だと、捉えてくれているお父様には本当に有り難いなぁ、と思う。
「……そうだな……、陛下の言う通りだ。
アリス、斯様なことを、そなたが気にする必要などどこにもない。
私も今日、そなたと会えるのを楽しみにしていたのだ」
それから、お父様の言葉に続けて、テレーゼ様が私に向かって穏やかな口調で、そう言葉をかけてくれたのを聞きながら……。
その言葉に『やっぱり、テレーゼ様は、私に対して声をかけてくれる時は、凄く優しいよね?』と、心中、複雑な気持ちになりながらも。
自分の胸中を悟られないようにと、にこりと笑みを溢しつつ。
「皇后様にも、そう言って頂けると、本当に嬉しいです」
と、真っ直ぐに、その目を見つめて、感謝の気持ちを伝えれば……。
私と話すのに、一度、扇を閉じていたテレーゼ様が、目の前で、それをパッと開いて、口元を隠したあと。
「ただでさえ、そなたは、今年の建国祭で、一番の注目株になっているのだからな……?
王都中の人間が、明日のファッションショーを楽しみにしているというのは、私自身も認識している。
それが、ひいては、建国祭を開催する国の為になるということならば、応援しない訳にもいくまい?
当日のチケットを、私も知り合いから譲り受けてな……っ。
そなたが、何事もなく、国のために建国祭を盛り上げてくれることを、私も切に願っているのだ」
と、目尻を下げながら、声をかけてくれる。
正直に言うと、テレーゼ様まで『ファッションショーを見に来る予定』になっていたとは、今の今まで欠片も思っていなかったから、その言葉に、びっくりしてしまったのと同時に。
悪気はないのかもしれないけど、『皇女として国を背負う立場なのだから』という意味合いが、多分に込められているのを感じて……。
ともすれば、その言葉に、強いプレッシャーを抱いてしまいそうになりながら、私は『一生懸命、頑張ります』と、テレーゼ様に向かって声を上げる。
……あ、だけど、いつもの癖で。
ついつい、『テレーゼ様に、悪気はないのかも……』とか、そんな感じで、物事を考えてしまっていたけれど。
エリスを脅迫してきたような事実があるんだし。
テレーゼ様が、私の事を嫌っているのなら、それとなく誰にも分からないような範囲で、こうして、嫌味だったり、プレッシャーのようなものを、敢えてかけてきていると認識しておいた方が良いのかも。
思い返してみれば、そうとも取れなくはないようなことを、今までにも言われてきていたような気がする。
例えば……。
私のデビュタントの時に、ワイングラスに毒が混入されていた事件があった時。
【アリス、折角のそなたのデビュタントなのに、最後の最後でケチが付いてしまったな?
このような事になってしまって、私も残念に思う】
と、言われたり……。
本当に、気づかないほどに些細な言い回しではあるんだけど、今までは、多分、私がそのことに気づけていなかっただけだったんだろうな。
ただ、表面上は笑顔を浮かべてくれて、私のことを心配して労ってくれているようにも聞こえる『テレーゼ様の真意』については、正直、どこにあるのか、未だに良く分からないままだ。
こうして対峙していても、一切のボロなんて、どこにも見当たらないんだから、その内心を探るようなことは、私には難しい。
もしも、事前に、お父様やセオドアと『その話』になっていなかったら……。
テレーゼ様が『私の周辺のことを探るつもり』で、侍女長と一緒にエリスのことを脅迫してきたのだと、エリスから事情を聞いていなかったとしたら……。
多分、今も、一連の事件の黒幕について、テレーゼ様を疑うようなことさえしてなかっただろうし。
かけられた言葉に対しても、私のことを思って言ってくれているのだと勘違いしたまま、そのことを『有り難いな』と、思っていたと思う。
……こうして、嫌われているのだと分かって初めて。
その言葉の中に、ほんの僅かに込められた嫌味や、重圧などを感じるくらいだから、今もなお、テレーゼ様はどこからどう見ても、完全無欠と言えるくらいに、真っ白なままだ。
ただ……。
テレーゼ様が私のことを嫌いだったとしても。
たとえ、一連の事件の黒幕であるかもしれなかったとしても……、流石に、今回の『ジェルメールのデザイン画』が盗まれてしまったことについては、関わってはいないよね?
一部分だけでも黒いところが見えてしまったら、本当に、何もかも全部『真っ黒に見えてきちゃうなぁ』と思いながらも……。
一瞬だけ、浮かんできた疑念を振り払うかのように、私自身『それはないと思う』と、内心で、今、自分が想像したことを真っ向から否定する。
テレーゼ様自身が、どこかの高級衣装店と懇意にしているという話は、聞いたことがないし。
ジェルメールで販売している衣装は『清楚系』のものが多いから、テレーゼ様が普段着ている豪華な感じのドレスとは、系統が違う。
だから、恐らくだけど、今までに『ジェルメール』を利用したようなことはなくて、テレーゼ様が、お店の金庫の場所を、万が一にも知っているとは思えない。
唯一、可能性としてあるのは『仮面の男』に指示を出していることだけど。
仮に、そうだとして、今回のファッションショーで、ジェルメールの優勝を妨害してこようとしていたとしても……。
その大半の被害については『ジェルメール側が受ける』ものであって、私に与えることが出来るダメージなんて、本当に微々たるものでしかないから。
今回の騒動は、今までの事件のように、公爵家であるお祖父様からの手紙を、敢えて、私の下に届かないようにしていただとか……。
私のデビュタントを台無しにしたいという意図があったとか。
そういった、私の人生を大きく左右しかねないほどの事件という訳でもないことを思えば、テレーゼ様が関わっている可能性は殆どないと言ってもいいんじゃないかな。
頭の中で、そう結論づけた私は、テレーゼ様にかけて貰えた言葉に『ありがとうございます』と、丁寧にお礼を伝えながら、心の中にあるしこりを一切、見せないようにして、真っ直ぐに、テレーゼ様と目を合わせた。
……瞬間。
「そういえば、アリス……。
話は変わるが、そなたに会う機会が出来たら、言おうと思っていたのだが。
私は、そなたに、ひとつ、謝らなければいけないことがあってな……」
と、ふいっと、私から顔を背け、目線を下げてから……。
申し訳なさそうに、憂いを帯びたようなテレーゼ様の口から、突然、話の転換をするように、そう声をかけられて、私は内心で思わずドキリとしてしまった。
もしも、テレーゼ様が『一連の事件の犯人』なのだとしても、テレーゼ様が、今、そのことについて、私に謝罪してくる訳がないだろうから。
それについては、否定することが出来るんだけど、突然、謝らなければいけないことがあると言われれば、ビックリしてしまうし。
――現状、テレーゼ様について、色々な可能性を疑ってしまっているだけに、その言葉は、本当に心臓に悪いなと思う。
「……えっと、一体、何のことでしょうか……?」
私には、全く身に覚えのないことで、突然、謝られてしまったことに“戸惑い”つつも……。
私に向けて申し訳なさそうな表情を浮かべたテレーゼ様の告白に、テレーゼ様の横に立っていたお父様と、ウィリアムお兄様の視線が、ちょっとだけ厳しくなったのを肌で感じながら……。
私は、一人、何のことかよく分かっていない様子で。
『母上が、アリスに謝らなければいけないこと?』と、テレーゼ様と私に、視線を言ったり来たりさせて、動揺しているギゼルお兄様の姿を尻目に声をかける。
「ああ……、幾つになる頃だったか……。
確か、6歳くらいまでのことだったかっ?
ほら……、そなたも幼い頃に、皇后宮で過ごしていたであろう?
だからこそ、皇后宮には、きっと、強い思い入れが、あると思うのだが……。
私が、皇后という立場に就いたことにより、皇宮の予算を使って、内装も少し変えさせて貰ったのでな。
そのことを、そなたには、ずっと詫びなければいけないと思っていたのだ。
……どうか、私の勝手を許してくれるか?」
私の問いかけに、テレーゼ様が憂いを帯びた表情のまま、近くにいた人なら、誰にでも聞こえるような声量で、此方に向かってそう言ってきたことで。
私はその言葉にパッと目を瞬かせたあと、思わず、苦い笑みがこぼれ落ちそうになって、すんでのところで、それを必死に堪えた。
今、テレーゼ様はその口で、『皇后』という立場になってから、お母様の面影が色濃く残る皇后宮を、自分の裁量でガラッと変えたと、私に謝ってきているのだろう。
……それ自体は、別に構わない。
だって、何らかの理由があって、皇宮での女主人が変わったのなら、それに合わせて『自分の好みのもの』に、宮廷自体を変えてしまうというのは、ごくごく、一般的なことだから。
だけど、今、この場で、誰の耳にも聞こえるような声量で、わざわざ私に向かってそのことについて、許可を取る必要なんてどこにもないし。
更に言うなら、皇后という立場に就いている人が、そんな些細なことで『皇女である私に求めるような形で、配慮してくる必要もない』のだから……。
流石にそういうことに鈍感な私でも、その言葉が、侯爵家のホールのど真ん中という『人の多い場所』で、わざわざ周囲にも聞かせるつもりで言ってきたものなのだと、察することが出来た。
――血のつながりもない継母であるテレーゼ様が、私のことを公の場で優しく気にかけ、しなくてもいい許可を私に謝罪する形で取ってくる。
敢えてこの場で『そういった振る舞い』をすることで、テレーゼ様はやはり素晴らしいと、あちこちから、感嘆の声が溢れ落ちてくるのを聞きながら。
私は、絶望にも似たような感覚に、テレーゼ様のことを真っ直ぐに見つめていることが出来なくて、伏し目がちに少しだけ目線を下げた。
……テレーゼ様の言う通り、6歳まで過ごした皇后宮に、特別な思い入れがないかと言われたら、それは嘘になる。
いつ会いに行っても、殆ど、私と目も合わせようとしてくれなかったお母様に……。
私の惨状を見て見ぬフリをして、何も言ってくれなかったお母様を良いことに、どこまでも横柄に振る舞って、いつだって冷たい態度を取ってきた、侍女や、騎士、それからマナー講師まで。
嫌な思い出の方が圧倒的に多いというのに、皇后宮の雰囲気がテレーゼ様の手によって一新されてしまったと聞いて、どうしようもないほどに、寂しい気持ちが湧き上がってくるのを抑えられなかった。
それでも……。
私の気持ちを慮ってくれるような態度でありながら、テレーゼ様の質問に対する答えは、実質的に一つしか用意されていないようなものだということに、私自身も気づいてる。
ここで、もしも、私がテレーゼ様にかけてもらった言葉に、残念がって『嫌だった』と伝えれば……。
ただでさえ、皇族同士の会話ということで、周りにいる貴族達から、否応なしに注目を浴びているのに。
本来なら、一切、必要のないお詫びを、わざわざテレーゼ様が、私を気にかけてくれた上でしてくれているのに、その謝罪と好意を『皇女が、我が儘で不意にした』と、取られてしまい兼ねないだろう。
……こんなことで、落ち込むな……。
――笑え……っ。
内心で、自分のことを鼓舞するように、まるで暗示のように『大丈夫』だと、言葉をかけながら……。
「……っ、そうだったんですね……っ、!
わざわざ、私に謝罪などをして頂く必要はありません。
もう既に、そのお立場には、現皇后であるテレーゼ様が就かれているのですし。
お母様の影が色濃く残る宮廷の中では、きっと、居心地が悪いことでしょう……。
歴代でも、皇宮で女主人が変わってしまう場合は、家具なども含めて全て一新させるのが普通のことだと、私も分かっていますので……」
と、にこり、と口元を緩めながら、微笑んで……。
私は、顔を上げて、テレーゼ様のことを真っ向から、今度は逸らすこともなく真っ直ぐに見つめる。
私から、そんな言葉が返ってくるのは予想外のことだったのか、テレーゼ様の瞳が、少しだけ大きく見開かれたのを感じながら。
その隣に立っていたお兄様とお父様が、僅かばかり険しい表情をして、私のフォローをしようと口を開きかけてくれたのが目に入った瞬間。
誰よりも、早く……。
「……っ、母上……っ。
その立場から、謝罪したいと思う気持ちは、俺自身、分からなくもありませんが……。
その言葉は、母親を亡くしたばかりのアリスにとっては、あまり、良くないものではありませんか?
ただでさえ、まだあの事件が起きてから一年も経っていないんです。
しんどいことを思い出させてしまうような言葉は、言わない方が良いかと思います……っ」
と、何故か……。
ギゼルお兄様が、テレーゼ様に向かって、まるで忠言してくれるようにそう言ってきて。
私は、今、目の前で起きている状況が理解出来ず、思わずマジマジと、ギゼルお兄様の顔色を窺ってしまった。
私達の会話に割って入るように声を出してくれたギゼルお兄様の発言に驚いているのは、セオドアやアルといった私サイドの人間だけではなく、ウィリアムお兄様も、お父様も、だったんだけど。
その中でも、一番、驚いていたのは、テレーゼ様だったかもしれない。
『ギゼル……?』と、その名前を呼んで、どこか訝しげに、ギゼルお兄様の方を見つめるテレーゼ様と。
それから、私達の視線が一気に、ギゼルお兄様の方へと向いたことに気づいたのか。
みんなからの注目を浴びて、どこか気まずいような、ばつの悪そうな表情を浮かべながらも、ギゼルお兄様が、人差し指で自分の頬を、ぽりっと、一度、掻き……。
「いやぁ……、そのっ……、なんだ……っ、!
お、俺は別に……っ、お前のために言った訳じゃねぇんだけどさっ。
何ていうか、それが形のあるものであれ、形のないものであれ、思い出がなくなるのって辛いことだろ?
あー、えっと、その……、とにかくだっ! 俺には心の底から大事にしてる親友がいるんだけどっ。
ソイツなら、絶対に、こういう時、そう言うだろうし……っ!
俺は、どこまでもアイツに恥じないように、きちんとした皇族でいたい訳で……っ!
母上がその立場から、皇后宮を一新させたことについて謝りたいってのも分からなくはないんだけどさ、お前だって、その、今、そんなことを言われても困るかなって、そう、思っただけだよ……っ。
あぁっ……! もう、だからっ、何度も言うけど、俺は何処に出ても恥ずかしくない皇子を目指しているだけでっ。
べ、べつに、お前のためなんかじゃねぇんだからなっ! 勘違いすんなよっ!」
と、私に向かって、最後の方は、もの凄く早口で捲し立てるようにそう言ってくる。
その言葉に、思わず、目を大きく見開いて……。
「あ……っ、あのっ……、ギゼルお兄様、ありがとうございます……、!」
と、どこまでもぶっきらぼうだけど、『私の気持ち』を優先して、声をかけてくれたであろうお兄様にお礼を伝えると。
「だから、別にお前のためじゃねえって言ってんだろっ!」
と、お兄様はムッとしたような表情を浮かべて、私から顔を背けるようにそっぽを向いてしまった。
そんなお兄様の態度に、さっきまで私に向かって心配そうな表情を浮かべてくれていたお父様も、ウィリアムお兄様も、ちょっとだけ口元を緩めながら、嬉しそうな表情に変わったのが見えて。
――何となく、その場に、和やかな雰囲気が漂ってきたあと。
何も言わなくても、その表情を見ただけで分かるくらい、心配してくれていたお兄様とお父様、それから、セオドアとアルに囲まれながら……。
私自身も『まさか、ギゼルお兄様に助けてもらえるだなんて……』と、さっきまでの暗い気持ちから一転、ぽかぽかと温かい気持ちになってくる。
ギゼルお兄様は、私のことはあまり好きではないはずだけど。
前にも謝ってくれたように、きっと私が赤を持っていることで、そのことを盾に、今まで色々と言ってきたことについて、口先だけではなく、それなりに反省して行動に移してくれているんだと思う。
これから先も、アズとしてではなく、妹として『お兄様とこれ以上仲良くなる』ということは、無理かもしれないけど。
世間一般の人達のように、赤を持っている人に対して、差別的な気持ちを持っていた『あの頃』から思えば……。
――私相手に踏み出してくれた、その一歩が、本当に何よりも嬉しいと思う。
アズの時にも感じたことだけど、ギゼルお兄様は、基本的には、誰に対しても優しい感じで、人のことをきちんと慮れる人だから。
その優しさの欠片を『嫌いだと思っている私』に対しても、今、ちょっとだけでも向けてくれたことで、単純に喜んでしまった。
ギゼルお兄様のその言葉に、口元を扇で隠したまま、目元しか分からない状態であるものの。
テレーゼ様も、ほんの少しだけ苦い笑みを溢したような雰囲気で……。
「ふむ、そうだな。……ギゼルの言うように。
許してほしいと願うばかりに、気持ちが急いてしまって、アリスのことを真に思いやれず、配慮が欠けていたのかもしれぬ。
私が、至らぬ継母で、本当にすまないな、アリス……」
と、私に向かって丁寧に頭を下げて、謝罪してくるのが見えた。
自分から私に『お詫びを言ってきたから』というのもあるんだろうけど。
流石に、これだけの衆人環視の中で、今、ギゼルお兄様に言われたことについて、テレーゼ様自身が反論する訳にもいかないと考えたのだろうか……?
ひとまず、ギゼルお兄様の言葉に素直に従ってくれて、謝ってきてくれたことについて、私は慌てて首を横に振り、テレーゼ様に向かって『いいえ、気にしないでください』と声をかける。
それから……、暫くの間、私達がそうやって、皇族同士で固まって会話をしていると……。
その遣り取りが『一段落付いたタイミング』で、パーティー会場になっている侯爵家のホールに案内してくれてから、そのまま、この場を離れることもなく私の傍にずっといてくれたルーカスさんが、遠くへ向けて、誰かに目配せをしたかと思ったら。
ルーカスさんの視線を受けて、直ぐに、沢山の人達の間をすり抜けて、貴族らしく、どこまでも綺麗な所作で『此方に向かって歩いてきた二人』には見覚えがあって、私は思わず目を瞬かせてしまった。
「帝国の可憐な花にご挨拶を。
皇女様、デビュタント以来の再開ですね。
……今日は、どうか、改めて、うちの家内を紹介させてください」
……エヴァンズ家を象徴する銀色の髪に、普段から長い髪の毛を纏めているルーカスさんとは違って、かっちりと短髪で、一見すると厳しいような雰囲気を漂わせているその男の人と。
その隣に立っている、まるで淑女の中の淑女といった感じで、柔和な雰囲気を漂わせているその女の人は……。
どこからどう見ても、……。
「帝国の可憐な花にご挨拶を。
お久しぶりです、皇女様……。今まで、私自身が、社交界の全てを欠席しており……。
御茶会でのこと、ルーカスに任せっきりにしてしまって、直接、謝罪に伺えずで、本当に、申し訳ありませんでした」
私自身も、それぞれに別のタイミングでだったものの、一度、会ったことがある『エヴァンズ侯爵夫妻』その人で……。
私のところへ来た瞬間、頭を下げた夫人から、誠心誠意、心のこもった謝罪を受けたことで、私は、一人、戸惑ってしまう。
エヴァンズ侯爵が『今回のパーティーを取り仕切った』のだということは、さっき、ルーカスさんに聞いて知っていたものの……。
まさか、こうして公式の場で、二人揃った姿を見れる日がくるだなんて、思いも寄らなかった。
私の目の前で頭を下げ続けるエヴァンズ夫人に『……私自身は、全く気にしてないので、どうか顔を上げてください』と声をかけ。
必然、ルーカスさんの方を窺うように、そっと視線を向ければ……。
にこっと、全く悪気もなく、『……サプライズだったんだけど』と言わんばかりに、無邪気な笑みを浮かべたルーカスさんと、かちりと視線があった。