405 牽制と動揺
予想外の出来事が起きてしまって、予定よりも少し遅れて、ジェルメールから出たこともあってか。
エヴァンズ夫人に御茶会に招待されて以来の『久しぶりのエヴァンズ邸』には、正門の前に幾つもの馬車が連なっており。
私達も馬車に乗ったまま、少しその場で待たされてしまったくらいに、既に沢山の招待客がやって来ていた。
昨日、お邪魔したばかりの、宮廷伯であるブライスさんの開いた夜会も凄かったけど、まだ、中にも入っていない段階で、エヴァンズ家は、それの比にならないくらい凄そうだなと……。
流石『国内でも有数の家柄だなぁ』と思いながら、内心で感心していたら……。
エヴァンズ家の手入れのされた広い庭に『馬車を止める』よう、侯爵家の人間から馭者の人へ、ほんの少しでも渋滞を緩和するような、的確な指示があったあと。
皇族のシンボルマークの入った私達の乗っている馬車に気づいて、エヴァンズ家に仕えている人達から報告を受けたのか、ルーカスさんがわざわざ、ひょこっと邸宅から出てきてくれて。
「お姫様、アルフレッド君、お兄さん、久しぶりだねっ! 元気にしてた?」
と、セオドアのエスコートで手を引かれながら、馬車の扉を開けて外に出た私と、みんなに向かって、にこにこと満面の笑みを溢しながら、気楽な雰囲気で出迎えてくれた。
一番最後に、ルーカスさんに会ったのは、私とセオドアがファッショーの練習をするタイミングだったから、確かに、久しぶりだといえば、久しぶりだったかも。
そうじゃなくても、建国祭の間には、結局、一度もルーカスさんに会うことはなかったから『どう過ごしているのかな?』と、気にしていたこともあって……。
元気そうなルーカスさんの姿に、私はひとまず、ホッと、胸を撫で下ろした。
ただ、今日、ジェルメールに行く前の馬車の中で、みんなで『ルーカスさんの話』に、なったばかりだったから。
テレーゼ様のことについても、婚約破棄のことも含めて、普段通り、全くそういったことを知っているとは微塵にも感じさせないくらいの読めない表情で。
表向きは、人好きのするような笑顔で、元気そうに見えるルーカスさんに。
相も変わらず、ここから先は入ってこないでほしいと拒むように、絶対的に高くそびえ立つ『見えない壁』を感じて。
『本当に、見た目通りに元気なのだろうか?』と心配する気持ちもあったりで、内心では、凄く複雑だった。
「はい。……わざわざ、出迎えて下さって、ありがとうございます。
ルーカスさんも、特に何もお変わりはなかったですか?」
今、感じた『心の中のモヤモヤ』を、そっと隠すようにしながら、近況を問いかけてみると。
私の質問に、ルーカスさんは、ちょっとだけ疲れたような雰囲気で、苦い笑みを溢しながら……。
「……あぁ、うん、まぁね。
ここ最近、俺自身、やることも多くて忙しかったのは忙しかったんだけど、別にそんなに変わったりもしてないよ」
と、私に向かって、げんなりとした雰囲気で声を出してくれた。
その言葉に……。
確か、今回のエヴァンズ家の夜会の準備に関しては、当主でもある侯爵やエヴァンズ夫人の代わりに、もしかしたらその全てを『ルーカスさんが取り仕切らなければいけなかった』んだっけ、と。
前に、ルーカスさんが言っていたことを思い出した私は……。
『パーティー会場はこっちだよ』と案内してもらいながら、本来なら招待客が沢山いるであろう場所を通らなければいけないとは思うんだけど。
ルーカスさんが『人気のないほうが色々と話せるでしょ』と、配慮してくれたことで、一般の人達が向かうであろう玄関口ではなく、特別に裏口の方から入らせてもらって。
私達以外には誰もおらず、お洒落な調度品が置かれているエヴァンズ邸の、落ち着いた気品のある廊下を歩く傍ら……。
――そのことを、ルーカスさんに問いかけてみることにした。
「確か、侯爵の代理として、建国祭で、今日開く夜会の準備とかをしなければいけなかったから、お忙しかったんでしたっけ?」
白を基調として、所々、青色のマーブル模様がある『恐らく一点ものである』大理石の床に、コツン、コツンと、私とセオドアとアルが奏でる複数の靴の音が響きながらも……。
私自身、特に意図した訳ではなく、話を広げる意味合いで聞いてみると。
「あぁ、そういえば前に、お姫様にも、もしかしたら俺が今日の夜会の準備をしなければいけないかもって話は、伝えてたんだっけ?
あの件については、無事に問題がなくなってさぁ……っ。
ほら、今日のパーティーって、招待状を出すまでもなく、皇族の人達はみんな来てくれることになっていたようなものじゃん?
だから、普段、忙しくて、あまり領地にいないことの方が多い親父が、俺に任せても問題はないとは思うけどって言いながらも……。
しっかりとした夜会にしなきゃいけないからって張り切って、珍しく、全部、取り仕切ってくれたんだよね。
という訳で、それに関しては、殆どノータッチで、俺は本当に楽をさせて貰った次第です、レディー」
と、苦笑しながら……、仰々しい仕草で、礼節を弁えるみたいに、貴族っぽく片手を胸に当てて、おどけたように、オーバー気味で、そう返してくるルーカスさんに、私は驚きに目を見開いた。
出会った当初はよく言われていたけれど、久しぶりにルーカスさんから『レディー』だなんて、呼ばれたなぁと思ったのと同時に……。
確かに、そう言われてみれば、侯爵が今回のパーティーを取り仕切っていることについては、ルーカスさんが私達を、こうして外まで迎えに来てくれたことから考えても……。
もしも、今回のパーティーに侯爵がおらず、ルーカスさんが主催して、お客さんを招かなければいけない立場だったのなら。
……今、まさに、パーティー会場から出てくることすら出来ていなかっただろうから、それについては納得出来るんだけど。
ルーカスさんが、今回の夜会の準備をする必要がなかったのだとしたら……。
『一体、ルーカスさんは、何に、そんなにも忙しかったのだろう?』と、疑問が湧いてきてしまった。
私がそう思ったのと同じタイミングで、セオドアもそのことに気づいてくれたんだと思う。
「あぁ……? じゃぁ、アンタは、何にそんなに忙しかったんだよ?」
と、ルーカスさんに向かって、怪訝な表情を浮かべながら、そう聞いてくれたことで。
セオドアの問いかけに、ルーカスさんが一瞬だけ、目を見開いたあと。
「そりゃぁねぇ、……俺だけじゃなくて、建国祭の期間なんだから、貴族はみんな忙しいと思うよ。
ただでさえ、一年に一回、今年も国が無事であったことを祝う、盛大な祭りだってこともあって。
こういった世間的にも“大きく金銭が動く際”には、自分達の事業なんかも、書き入れ時だしね。
……当主である親父が忙しいんだから、当然、俺自身も、それに合わせて忙しくなる。
本当、明確に何がって訳じゃないんだけど、ここ暫くの間は、ずっと、バタバタしてたなぁ……。
パーティーの準備はしなくて良くても、領地に関するエヴァンズ家の仕事や、書類整理なんかもやらなくちゃいけなかったし。……あと、用事があって、教会に行って来たりとかね」
と、どこか困ったような雰囲気でそう言ってくる。
その言葉の中には、何も言わなくても、ドッと『疲れ』が滲み出ていて……。
心なしか、前に会った時に比べて、げっそりしたようにも見えるルーカスさんに『本当にお疲れさまだなぁ』と感じながら、私は、教会という単語に反応して。
「もしかして、建国祭の間にも、わざわざ、慈善事業に行かれてたんですか……?」
と、声をかける。
エヴァンズ家が前々から、教会の孤児院に寄付をしてきて……。
割と、頻繁な様子で、ルーカスさんが教会に通っている様子なのは、前に、お祖父様がいる公爵家に行った帰りに、偶然、出くわしたことがあったから、私も知っていたし。
そのことについて、改めて、今、ルーカスさんの口から『貴族として、色々なことをしなければいけなかった』と聞いて、納得することが出来たのと同時に……。
世間では『建国祭のお祝いムード』で、忙しい期間のまっただ中にも関わらず、わざわざ、孤児院にまで行っていたのか、と。
話を聞いているだけだと、体力お化けとも思えるくらいの、ルーカスさんのその状況にびっくりしながら、目を瞬かせると。
「あー……、うん、そっか……、そういえば、孤児院のことも、お姫様は知ってたっけ?
まぁ、それもあるんだけど、個人的にね……。
どうしても、このタイミングで、教会に行かなきゃいけない用事が出来てさ」
と、ルーカスさんから『どこか濁すような言葉』が降ってきて、私は、頭の中をはてなでいっぱいにしながらも。
もしもそれ以外に、他に用事があるのだとしたら、純粋に礼拝に行き、神様にお祈りをしたりだとか。
あと、侯爵家に常駐しているお医者さんがいない訳ではないと思うんだけど、以前の私みたいに、出先のタイミングで体調不良になってしまい、診察して貰う目的で、寄った場合か……。
それとも、身近にいる人の『出生や死亡』などがあった際に、教会に届けが出されている家系図などをまとめている書類などに変更をかけたり、閲覧に行く場合とか、そういうことに限られてくると思うんだけど。
その言葉を聞いて『もしかして、身近な人に何かあったんだろうか?』と、私は、心配する気持ちから、一人ヤキモキしてしまった。
ただでさえ、エヴァンズ家が家族のように『大切にしている人』が、もう、あと少しの命かもしれないということは、私のデビュタントの時に、侯爵本人の口から聞いていたし。
……その人が、今、まさに、危険な状況に陥っているとしても何ら不思議ではないと思う。
確か、教会では、自分の家のことだけではなく。
申請をすれば、一族もろとも、血の繋がりのある親戚筋の書類などに関しても『本家側』であるならば、確認することが出来るはずだから……。
――嫌な予感に、ただただ、ヒヤヒヤしてしまう。
仮にそうじゃなかったとしても、やっぱり、ルーカスさんの大切な人に残された時間は、もう、あまり、多くはないのかもしれない。
今の期間中はバタバタしていて、伝えたとしても、精霊などの機密情報が大いに関わってくることのため、お父様もそのことを後回しにしようとして、即決をしてはくれないだろうから。
『お父様の忙しくない時を狙って』と……、建国祭が終わるまでは、全てのことを保留にしていたけれど。
古の森の泉にある万能薬については、早いところ、アルに相談した上で、お父様に許可を取らないといけないな、と強く思う。
勿論、泉の万能薬のこともそうなんだけど……。
それと同時に、建国祭の準備に追われていて忙しかったとはいえ、ルーカスさんの大切な人だけじゃなくて、ベラさんのことに関しても、私自身『一日たりとも忘れたことはなく』ずっと気がかりだったから……。
私の魔法が、ベラさんに対して有効なのかどうかについても、建国祭が終わったら、一回、アルに相談してみたいとは、思っていたんだよね。
私がベラさんに対してそうしたいと思っていると知ったら、どうしても、能力の使用で『僅かでも、自分の寿命を削る』ことにはなってしまうだろうから、多分、みんなには反対されてしまう気がするんだけど。
当初、私自身の能力を『物』ではなくて、人に使うということにも、抵抗があって……。
絶対に、失敗することが出来ないものだから、慎重にならなければいけないと。
『説得する材料』を探しながら、みんなに話すタイミングについても、しっかりと考えなければいけないと思っていたところはあるものの。
刻一刻と、今も私の身近にいる人達の命が削られていってしまっているのだとしたら……。
――あまり、時間に余裕がないというのは間違いないことだから。
急がないと、どっちにしても間に合わないかもしれないと、一人、焦燥感を感じながら、ルーカスさんのことを、心配の気持ちで見上げると。
私の心配が、顔に思いっきり出てしまっていたのか……。
「うん? お姫様、そんなにも心配そうな表情をして、俺のことを見つめてきて、どうしたの?」
と、此方に向かって、柔らかく笑みを溢してきたルーカスさんに、そう問いかけられてしまった。
私が、こうして見ている限りでは、『大切な人が、もう少しで亡くなってしまうかも』というような不安などはなく、ルーカスさんに陰りのようなものなんて、微塵も感じられない。
そのことに、もしも大変な状況に置かれているのだとしたら、遠慮なく話してくれれば『私でも力になることが出来るかもしれないのにな』とは、思うんだけど。
きっと、自分が今、辛い気持ちになっていることなんかも、ルーカスさんはいつだって器用に、その表情の裏に上手く隠してしまうのだろうな、と感じて。
ちょっとだけ、そのことに、不安を抱きながらも……。
ホールに向かうため、エヴァン家の廊下を歩きながら、そっと、視線を交わし合ったルーカスさんが。
いきなり、その場に立ち止まったかと思うと、釣られるようにして、その場にピタリと止まった私の方を真っ直ぐに見つめながら……。
「ねぇ、お姫様……。
そんなにも、健気で可愛い顔をして、心配そうに、上目遣いで見つめてきてたらさ……。
俺だから良いものの。……いつか、どこかのタイミングで、悪い狼さんに、とって食べられちゃうよ……?」
と、苦笑しながら、そう言ってきて、私はその言葉に、きょとんとしながら首を傾げた。
「悪い、おおかみさん……、?」
困惑しながら、今、ルーカスさんに言われたことを、なぞるように復唱しながら、声を出すと。
「そう……、ガオーっ、てね?」
と、まるで子供を相手にするような雰囲気で、脅かすようにルーカスさんが、指先だけを丸め、両手を目の前で掲げて、狼っぽい仕草をしてくるのが見えた。
その瞬間……。
「自分は、絶対に食べねぇって、自信があるような言い方だけど。
……そう思ってる時点で、アンタも充分、危ないだろ?」
と、後ろから呆れたように、ルーカスさんに向かって言葉をかけてきたセオドアの……。
いつもよりも、ほんの少しだけ低くなった声色に、私とアルは二人揃って『どういう意味なのか』全く分からず、その場で戸惑ってしまった。
「えーっ、お兄さんには、言われたくないなぁ……っ!
一番危ないのって、寧ろ、お兄さんの方じゃないっ?
あぁ、でも、お兄さんは絶対にそんなことはしないか。
……お姫様が嫌がるようなことは一切しないで、周囲にいる人間に牽制しながら、傍で見守ってるだけで充分なんだもんねっ?」
二人の遣り取りに、私達が、混乱している間にも……。
セオドアの言葉に、ルーカスさんが、悪戯っ子のように口角を吊り上げて、どこか揶揄うような雰囲気で、セオドアに対して声をかけてくると。
「……ああっ? そんなの、当たり前だろ。
……姫さんが嫌がるようなことをしねぇってのは、絶対条件だけど。
残念だったなっ? 今までみたいにお利口にマテをして、見守ってるだけの状況には、ちょっと前に終わりを告げたんだ。
たとえ、それが誰であろうとも、姫さんの意志は尊重するつもりだけど、俺の本心を隠すつもりも毛頭ない」
と、セオドアがルーカスさんに向かって、はっきりと告げた言葉に、私自身は『その言葉がどういう意味なのか分からなかった』んだけど。
ルーカスさんは、セオドアの言っていることが理解出来たのか……。
さっきまで凄くふざけていたのに、目に見えて、驚いたような表情を浮かべながら、普段、滅多に動揺することなんてないはずなのに、あからさまに戸惑った様子で。
「……何それ、マジで言ってんの……? 正気っ!?
俺自身……、一応、陛下の許可を取って、お姫様の婚約者という立場にいるんだよ……っ?
第一、お兄さん、今までずっと反対はしながらも、自分の立場を弁えてたじゃん……。
将来のこととか、きちんと考えることが出来てる訳……っ?」
と、セオドアに向かって、矢継ぎ早に、此方も『よく分からないような台詞』を、言ってくる。
「……ハッ、! あれだけ、興味がねぇとか、好きじゃねぇって言っておいて、ここで動揺すんのかよ?
一回だけ、アンタの質問にも、きちんと答えてやるよ。
……考えてねぇ訳でもないが、まだ正解は見つけられないでいる。
正直、俺自身も、こんな気持ちを抱くことになるなんて、ガキの頃からしたら想像もしてなかったからな」
そうして、真っ直ぐにセオドアが、ルーカスさんの瞳を見つめながら、真剣な表情で何かを伝えれば。
『うわぁ、……マジで、このタイミングで、お兄さんの方が本気になるのかよっ?』と、ぽつりと、ルーカスさんが吐き捨てるようにそう言ったかと思うと。
「それで、わざわざ、ご丁寧にも、俺のことを牽制しに来たって訳だ?
お兄さんらしいっていうか、何て言うか……、本当に真っ直ぐだよな……。
正直に言うと、その感情にきちんと落とし前が付けられるようになってから、言って欲しかったよ。
まぁ、俺も、この件に関しては、殿下やお姫様のことを考えつつも、自分に都合の良い動きをしてきてるから、人のことは言えないんだけどさ」
と、もう既に、動揺していた『さっきまでの雰囲気』は鳴りを潜め。
真剣な表情を浮かべたままのセオドアとは対照的に、にこにこと愉しげなものを見たかのように、笑顔を溢したルーカスさんが、次いで、そう言ってきて。
ここまで、何ひとつ、二人の会話についていけていなかったものの。
ルーカスさんがまさかこのタイミングで、私との婚約について『自分に都合の良い動きをしている』と、暴露した上で、触れてくるとは思ってもいなくて、びっくりしてしまった。
私達が、ジェルメールに行く前の馬車の中で、みんなで『ルーカスさんの話をしていた』ということは、勿論、ルーカスさん自身は知るよしもないことのはずで……。
【それなのに、どうして……?】
と、信じられないものを見るような目つきで、ルーカスさんに視線を向けると。
「以前から、どうしても姫さんとの婚約を結ぼうとしていた様子だったから……。
それについては、分かりきっていたことだったけど、最早、隠そうともしないんだな?」
と、私から『事情を聞いた』ということを、上手いこと隠してくれた上で。
私と一緒に、『ルーカスさんの力になる方向で動いてくれる』と約束してくれていたから、ほんの少し探りを入れてくれるような感じで、セオドアが追及してくれるのが聞こえてきて。
ルーカスさんに婚約破棄のことを少しでも聞いてくれるつもりで『ずっと、そういう話に、持っていく機会を狙ってくれていたのかな?』と……。
一連のセオドアの行動に関して、ようやく合点がいった私は、そのことを『本当に有り難いなぁ』と感じながら、アルと一緒にルーカスさんの表情を窺うように顔をあげた。
「うん……? まぁ、そうだね……。
陛下の許可が出た以上、もう、隠す必要なんて、殆ど無くなっちゃったからさぁ……っ。
俺は俺の意志で、お姫様との婚約を結ぼうと思ったんだし。
誰に何と言われようとも、その立場を、今はまだ失うつもりもないよ。
それが一番良いことだって思っているから、たとえ、ここで、お兄さんに牽制されたとしても、諦めるつもりもない。
……だからさぁ、お兄さんが全部、諦めてくんない?」
瞬間……。
どこまでも、にこにこと笑顔を顔に貼り付けたまま、ルーカスさんがセオドアのことをまるで挑発するように、そう言ってくるのが聞こえてきて、私は、一人、その内容に混乱してしまった。
以前、ルーカスさんが私と二人っきりで交わした秘密について『いずれ、婚約破棄をすることになる』と言ってくれていたことに関しては……。
誰にも、正直にそのことを打ち明ける訳にはいかないから、その件を悟られないようにと『今この場においても、嘘を言って誤魔化してくれた』のだとは、分かるんだけど……。
わざわざ、セオドアに対して、敢えて刺激するように、怒らせるような言い方をしてきたことについては『ルーカスさんらしくないな』と感じてしまって、どうしたんだろうと、心配になってきてしまう。
「……なるほどな。……姫さんと婚約をしてきたことに関しては、理由があったことは認めるが……。
ここじゃ、一切、その動機について、答える気はねぇってことだなっ?
ついでに言うなら、今ここで、自分のために、姫さんを離す気はねぇって言ってんのも理解出来た。
別に、俺自身も、今はそれでいいと思ってる。
……俺の気持ちさえ理解しているのなら、これから先のことに関しては、どうとでもなる話だ」
ルーカスさんの挑発めいた一言にも、事前に私から全ての事情を聞いてくれていたセオドアは、どこまでも落ち着き払っていて、その挑発に乗るようなことも一切なく。
あっさりとした物言いで、この場ではさらっと引いてくれて……。
そのことに、珍しく、ルーカスさんの方が驚いていたみたいだった。
「お兄さん、マジで一体どうしちゃったの……?
いつもなら、もっと、こういう時、俺に対して突っかかってきてても可笑しくないじゃん。
それとも、それって、自分の気持ちに、きちんと整理が付いたからこその、余裕ってこと、?」
そうして、さっきとは状況が反対になって、今度はセオドアの真意がどこにあるのかと、探るように訝しげな表情を浮かべてきたルーカスさんに。
折角、こうして、セオドアが『貴重な機会』を作ってくれたのに、全然、ルーカスさんの本当の気持ちについては、見えてこなかったなぁ、と、残念に思いながらも。
まだ、チャンスはあるかもしれないし、セオドアもこうして、積極的に『動いてくれたりしてる』んだから。
ここで、見えなかったといって、諦める訳にはいかないよね、と、一人、決意を固めていると。
「これからは、自分の気持ちを隠さないって決めただけで、無理なことは一切したくないと思ってるからな。
……姫さんの気持ちについても、ゆっくりと大事にしていきたいだけだ」
と、ルーカスさんとセオドアにだけ通じ合っているような会話が、二人の間で、更に進められていた。
「……ふぅん、なるほどね。
まぁ、そのことに関しては、分からなくもはないんだけどさぁ。
何て言うか、その眼、見透かされてるような気がして、嫌な感じだし。
なんか、全体的に、適当に上手く誤魔化されて、煙に巻かれたような気がして微妙なんだけど……」
「……ハッ、よく言うぜ。
普段から、人のことをおちょくって、煙に巻いてんのはアンタの方だろうが?」
「あー、うん、まぁ、そこに関しては、否定はしないよ?
っていうか、このまま、お兄さんのペースに乗せられるのは癪だし、もう直ぐパーティー会場であるホールには着くからさ。
既に殿下も含めて、皇族の面々は“みんな揃ってる”から、お姫様も、アルフレッド君も、うちのパーティーを目一杯、楽しんでね?」
そうして、テンポの良い会話を二人でポンポンと交わし合ったあとで。
ルーカスさんが、再び、侯爵家の廊下を歩き始めてくれると……。
目的地だった、エヴァンズ家の中にあるパーティー会場であるホールには、もうすぐ近くまで来てはいたのか、段々と人の声が聞こえてきて、賑やかになってきて。
既に、私以外の皇族は、全員揃っているとのことで、私はお父様とセオドアとあんな話になってから、初めて会うテレーゼ様に、上手く接することが出来るのかと、不安な気持ちを抱えながらも。
ルーカスさんが開けてくれた扉を通って、煌びやかなパーティー会場の中に、セオドアとアルと一緒に入ることにした。