403 デザイン画、紛失事件
「まぁ……っ、デザイン画が、紛失したですって!?
一体、どういう状況が起きて、そんなことになったのかしらっ……?」
突然の予期せぬ報告に、問いかけるように声を出したデザイナーさんは……。
驚いていたこともあってか、珍しく、普段よりは大きな声だったものの。
それでも、厳しく詰問するような感じは、一切、見せずに……。
ひとまずは、事情を聞きたいというような雰囲気で。
私達に報告をしに来てくれた古参のスタッフさんに向かって、続けて……、『そんなに慌てなくても良いから、落ち着いて、きちんとした“詳細”を話してくれる?』と、優しい言葉をかけたのが、私にも聞こえてきた。
「それが……っ、まだ、状況の整理がきちんと出来ておらず。
私達も、詳しいことは、よく分かっていないのですが。
とりあえず、ヴァイオレットさんに、急ぎ、事態の報告をしなければいけないと思って……。
唯一、分かっていることと言えば、最後に金庫に鍵をかけたのは、クララだったんですけど。
その時は、確かに、全ての資料が金庫の中に揃って置かれていたみたいでした」
……どこまでも、柔らかい口調の、デザイナーさんの声かけにより。
ここまで必死に走って、状況を知らせに来たであろうスタッフさんが、ほんの少しだけ息を整えて。
さっきよりも、幾分も冷静な口調になったあと、『クララ』という名前を挙げてきたことで。
最後に、金庫の鍵を使ったのは、クララさんだということが、私にも、朧気ながら、二人の会話で察することが出来た。
デザイナーさんだけではなく、何人かの古参のスタッフさん達の名前に関しては、お互いに呼び合っているのを聞いたりで、私も何となくは理解しているんだけど……。
クララという名前は、一度も聞いたことがないから、少なくとも、普段、デザイナーさんの側近のような形で、右腕として、その近くにいる『スタッフさん達』じゃないことだけは、確かだと思う。
因みに、私の記憶違いでなければ、今、デザイナーさんに報告しに来てくれた、このスタッフさんの名前は『カレン』という名前で、なおかつ、デザイナーさんの側近中の側近だったはず。
「そう、……話は分かったわ。
とりあえず、起きたことに、いつまでも気を揉んでいても仕方がないし、状況把握は必要よねっ?
貴女だけだと、分からないことも多いでしょうし。
全員から、詳しく事情を聞いてみないことには、始まらないわ~っ……!
直ぐに、私に伝えなければいけないと思って、こうして、飛んできてくれたんでしょうけど。
金庫の状況や、紛失したデザイン画が何枚あるかまで、もっと詳細に、調べてきてくれるかしらっ?
一人だと大変だと思うし、他の古参のスタッフ達に指示を飛ばしてくれたらいいから、みんなで手分けをしてねっ!?
……それから、それが終わったら、クララも含めて、従業員を全員、この場に呼んできて頂戴っ!
嗚呼、あと……、その前に、念のため、一応、一点だけ確認したいことがあるんだけど。
私が持っている鍵以外のものについて、カレン……、貴女と、アンジェリカが持っている金庫の鍵は、今日も含め、その保管に関して、いつも通りきちんとされていたのよね?」
という、ハキハキと的確な指示を飛ばしながらも……。
どこか、目の前のスタッフさんを労るような優しい言葉が、デザイナーさんの口から降ってくる。
どんなことが起こっても、こういう時、絶対に、高圧的に怒ったり……。
声を荒げたりするようなことは一切しない『デザイナーさんの姿』に、本当に凄いなぁと感じながらも。
その言葉に、今回の事件について、ひたすら焦ったような雰囲気で……。
顔面蒼白のまま、どこまでも申し訳なさそうな表情を浮かべていたカレンさんが、弾けたように、顔をパッと上にあげ。
「はい……っ、ヴァイオレットさん、ありがとうございます。
古参のスタッフで“信用出来る人間”に、既に、私の方から同様の指示は出していますので、もうすぐ、きちんとした報告が出来ると思います。
また、金庫の鍵については、3本とも行方が分かっており……。
ヴァイオレットさんは勿論のこと、古参のスタッフで、鍵の所有が許可されている私と、アンジェリカも紛失はしていませんでした。
此方へ報告をしに来る前に、それについては、お互いに確認済みです。
また……、私達以外のスタッフが金庫を開けるためには、ヴァイオレットさんだけではなく、私とアンジェリカのどちらかの許可を取らなければいけないということも含め。
新人であろうとも、スタッフ全員に、金庫の取り扱いについては周知するように徹底していましたし。
どこかに、無闇やたらに、大事な鍵を放置するなどということもしていません」
と、今、自分に出来る範囲で、最低限の伝えなければいけないことに関して、デザイナーさんの質問に答えるように、しっかりと要点を絞って説明してきたのが見えた。
その真摯な姿に、デザイナーさんが『話してくれて、本当にありがとう』と、彼女の肩に、ぽんと手を置きながら……。
「……どうしても、聞かなければいけないことだったから、気を悪くしないで頂戴ね?
私も、あなたたちを疑っていた訳ではないわ。
でも……、だとしたら、紛失した鍵を、誰かが故意に使ったという可能性は全くないわね……っ!」
と、今、スタッフさんの口から知ることが出来た『状況』を“加味”して、色んな可能性について考えているのだろうということが、私にも把握出来た。
その上で……。
『急ぎ、詳細を纏めて、スタッフを全員、この場に集めてきます……!』と、またスタッフルームから、慌てた様子で出ていった“カレンさん”を見送ったあとで。
「……皇女様、本当に申し訳ありませんでした。
折角、今回の衣装のデザイン画を、記念に持って帰って貰おうと思っていましたのにっ……!
それが全て、無駄になってしまったばかりか……っ。
まだ、状況について、きちんとした確認が取れていませんが……。
もしかしたら、紛失したデザイン画の中には、今回のファッショーでの衣装の打ち合わせをする際に。
別件として、皇女様が幾つか提案してくださっていた、冬期のコレクションのものや、春先に発表する予定だったデザイン画まで無くなってしまっている可能性もありますし。
……こんなことになってしまって、本当に、一体、何てお詫びをしたら良いのか……っ!
言い訳など、一切のしようが無いほどに……、金庫の管理を怠った私どもの過失ですわ~……!
まずは、謝らせて下さい……っ!」
と、もの凄く申し訳なさそうに、デザイナーさんから丁寧に頭を下げられて、誠心誠意、心のこもった謝罪をされてしまい。
私は慌てて首を横に振って『気にしないで欲しい』と、彼女に向かって声をかけた。
確かに、今回の、ファッショーの打ち合わせをする際に……。
【ついでに、なんですけれど……。
もしも、皇女様さえ宜しければ、今回のファッショーには関係なく。
うちで発表する予定の他の衣装に関しても、皇女様のその柔軟な発想力と、意見を仰ぎたいなと思っていたりするのですが……っ! お願い出来たり、しないでしょうか……?
勿論、皇女様のデザイン案を採用させて貰った時には、うちのお店の中にある皇女様専用のレーベルから、きちんと発表させていただくつもりですわ~!】
と、ちゃっかりした“デザイナーさん”に乗せられて、私も幾つかの案を出していたから……。
今回の騒動で、仮に、そのデザイン画も紛失してしまっていた場合は、例えどんな理由があろうとも、それを保管していた『お店側の責任』になってしまう。
だけど、今、ジェルメールのデザイナーさんが、私がいるこの場で、スタッフさん達の保管状況について『日頃から、きちんとされていたかどうか』という確認をしてくれたのは、この目で、はっきりと見たし。
私自身は、それで別に『困ること』なんて、殆どないから……。
寧ろ、ジェルメールに対してや、デザイナーさんに対して、同情の気持ちしか湧いてこない。
勿論、共同で洋服を開発していたり、金銭が発生する仕事上のパートナーになっている以上は、本来なら『ジェルメールを責めても、可笑しくないところ』だというのは、本当にその通りなんだけど。
ジェルメールで、私のブランドとして出してくれている衣装を発売して得た利益に関しては、私自身、皇宮のお金を使わなくて済む『自分のために、貯金しておくことが出来るもの』くらいの感覚しかなくて……。
はっきり言って……、『あれば、助かるな』って感じのもので、そこまで、重要なものでもないし。
(とは言っても、ジェルメールから毎月貰えるお金だけで、既に、かなりの金額が貯まっているんだけど……)
巻き戻し前の軸の時に比べたら、全く自分のことにお金を使わなくなってしまって久しいし。
普段、何かを買うといっても、私の側にいるセオドアやローラ、エリスといった従者の面々にお金を使うか、アルにお金を使うか、ということしかなく。
後は、どこかに行った際に、みんなへのお土産を買ったり、みんなで、美味しいものを食べたりする食費に使ったりという『本当に些細なこと』しかなくなっていて。
デザイン画の紛失によって、今後、私が貰うことになっていた利益に、多少の損失が出てしまったとしても、直ぐに、困窮してしまうようなことも無ければ、特に問題もない。
本当だったら、一緒に仕事をしていて。
ジェルメールに私の名義を貸している以上は、それによって生じる『利益に関するところ』まで被害に遭えば、その分も含めて、きっちりと請求したりしなければいけないんだろうけど……。
これまでも私のために、一切、此方側に不利になることがないように、きちんとした契約を交わしてくれたりだとか。
エリスの実家でもある男爵領の『クッキーの販売』を、スムーズに引き受けてくれたりだとか、そういうことも含めて、ジェルメールには、お世話になっているし。
デザイナーさんとは、普段からしっかりとした『信頼関係』を結べていて。
いつだって、きちんとした遣り取りをしてくれていることは、充分に理解しているから……。
「私は、全然、問題が無いんですけど……。
お店の方は、大丈夫なんでしょうか?
冬期のコレクションだけではなくて、春先に出すものまで紛失することに、なっただなんて……っ。
まだ、その作成に、取りかかっていないものも、沢山あるんですよね?」
と、デザイナーさんに向かって『顔を上げてください』と伝えたあとで、声をかければ。
「ありがとうございます。そう言って頂けると有り難いですし。
皇女様の寛大なお心には、本当に感謝しかありませんわ~」
と、ホッと胸を撫で下ろして、私に感謝しきりの様子でそう言ってきたデザイナーさんが。
次の瞬間には、どこまでも難しい表情を浮かべて……。
「えぇ……。そうですね……。
私の頭の中に、全ての衣装のデザインは入っているので、たとえ、紛失したとしても、新たに描き起こせば済む話で、それ自体には、別に、困ることはないんですけど。
一番問題なのは、あのデザイン画が、外部に漏れてしまうことですわ~!
未発表のものが漏れてしまうということで、何処で誰の目に止まってしまうのか、分かりませんし。
もしかしたら、ライバル店に流れてしまって、どっちかに“盗作疑惑”が、湧いてしまう懸念も出てしまいますから……っ、!
それに、可能性としてはかなり薄いですが、もしかしたら、ファッションショーでも……、」
と、返事を返してくれた。
――その言葉には、私自身も正直に言って、凄く納得出来る話だなぁと思う。
既に、ジェルメールで『発表済み』のものに関しては、広く世間一般にも知られているし。
誰が見ても、特に疑惑が向くこともなく、大丈夫だと思うけど。
未発表のものに関しては、別だ……。
それでもし、ジェルメールが正式に発表する前に、ライバル店から、似たようなデザインの『洋服』が出てしまった場合には、たとえ、そういう意図はなかったとしても、後から出した方が、どう考えても不利になってしまう。
それは、ファッションショーでも同様のことが言えるし、確か明日のジェルメールの出番を思えば、最後から3番目ほどだったから……。
それよりも前に『衣装を発表する店舗』が……、と考えたら、決してあり得ない話ではないと思う。
そうなると、今回の『衣装のデザイン画が紛失したことで、一番、得をする人間』とは誰なのかと考えた時には、ライバル店の人が、最有力候補だったりするんだろうか?
とも、思えるんだけど……。
デザイナーさんが、今、ここで、『その可能性は限りなく薄い』と、発言しているのは多分、デザイン画が紛失している時期によるものなんだと……、私にも直ぐに分かった。
いつ『デザイン画が紛失したか』という詳しいことは、まだ分かっていないながらも。
さっき報告をしに来てくれたカレンさんと、デザイナーさんの遣り取りで、私でも『デザイン画』が、そんなにも前に紛失した訳じゃない、というのは、漠然と理解出来たし。
流石に、この1、2週間ほどの間で、デザイン画を盗み、ファッションショーに出す衣装を、ライバル店が『ジェルメールが出すもの』に、似せて作れる訳がないだろうから……。
――その可能性は、多分、限りなく低いものだと思う。
もしも、今回の紛失が『誰かの故意により、盗まれた』のならば、その目的はファッショーというよりも、他の目的だったと言われた方がしっくりはくる。
状況だけを見れば、ファッショーの衣装に関するデザイン画が盗まれたことは……。
他のデザイン画を盗む目的がバレないようにするための、カモフラージュのようなものだったとも取ることが出来る。
勿論、目的がファッションショーで、他が『カモフラージュ』という可能性も否定は出来ないんだけど。
……他のデザイン画を盗むという目的よりは、どうしても、理由としては弱くなってしまうだろう。
どっちみち、ファッショショーの為に『デザイン画』を盗んだといっても、装飾などの些細な部分に関しては、急ピッチで、ジェルメールと似たものに寄せることは出来ても……。
ドレスの形自体は変えることが出来ないし、一からそれに合わせて、似せた衣装を作るとなれば、物理的に不可能で、圧倒的に時間が足りない。
私が、あれこれと、一人、今回のデザイン画の紛失について、心配して気を揉みながら、色々な可能性を頭の中で考えていると……。
「それから、もう一つだけ。
皇女様が、このあと、エヴァンズ家の夜会に行かなければいけないということは、重々、承知しているんですけど……っ。
皇女様が関わってくださったデザイン画も、紛失している可能性がありますから……。
足止めをするようで申し訳ないのですが、一応、先ほどのスタッフが戻ってくるまでは、ここで待ってて頂けると嬉しいですわ~!」
と、デザイナーさんから、申し訳なさそうに謝罪されて……。
『はい、それは勿論……っ。重要なことですし、状況については、私自身も知っておきたいと思っていたので』と、返事をしようとしたタイミングで……。
「ヴァイオレットさん、お待たせしました。
……状況の整理が終わり、従業員も全員、ここに揃っています」
と、全従業員を連れて、デザイナーさんの側近であるカレンさんが『スタッフルーム』に、戻ってきてくれた。
そうして……。
私やセオドアといった皇宮からジェルメールに来た面々と、デザイナーさんが、スタッフさん達の方を向き、スタッフさん達は全員、私達の方を向いた状態で……。
今回の騒動で、どうしても、重々しい雰囲気になってしまうのは避けられないながらも。
私の隣に立ってくれていた『デザイナーさん』の口から……。
「みんな、よく集まってくれたわねっ……!
私もさっき、今回の騒動の内容に関しては、聞いたのだけど……。
金庫の中にあったデザイン画が、紛失してしまったみたいなのっ!
これは、ジェルメールが創業して以来の一大事だわ~!
うちだけの問題ならまだしも、もしかしたら、大事な取引先でもある皇女様にも、ご迷惑がかかってしまうことかもしれないっ。
だからこそ、全員、この事件に関しては、嘘偽りなく、真摯に向き合ってほしいのっ!
それで、聞いておきたいんだけど、最後に金庫を使ったのは、一体誰で、何の用途で使ったか、ということと……。
今の金庫の状況を、外部と中身も含めて、詳しく教えてくれるかしら?
金庫は壊されていたのっ? それとも、鍵だけが開けられている状態だったの……っ?
それによっても、状況や犯人像は変わってくるわよねっ?
……それと、中のデザイン画で盗まれたものは幾つあって、被害はどれくらいになりそうなのか把握することは出来た?」
と、ポンポンと、矢継ぎ早に、色々な質問が飛び交ったものの……。
その全てに、一切の無駄がなく。
また、スタッフさん全員が、ここに来るにあたって古参のスタッフさんから『デザイン画が紛失した』という最低限の情報については、しっかりと聞いていたのか。
みんな、そのことに慌てたり驚いたりする様子もなく……。
スタッフさんの間でも、きちんと情報統制がされていて、デザイン画が紛失したということに関して、戸惑いや動揺などは見られるものの。
今さっき、お店の中で問題が起きたばかりだとは、到底、思えないくらいに、古参のスタッフさんを中心に、落ち着き払っていて。
改めて、ジェルメールは『従業員の教育』などに関しても徹底されているし、お店としてもきちんとしているなぁと感心してしまった。
「……ヴァイオレットさん……っ、!
まずは、私の口から、被害状況などについて、改めて“ご報告”させて下さい」
そうして、デザイナーさんの質問に、おずおずと口火を切ったのは、カレンさんだった。
……この場にいる全員の視線が、一斉に彼女へ集中する中で。
カレンさんが、今、この場で、説明してくれた話を要約すると……。
紛失したデザイン画は、ファッションショーの衣装、冬期のコレクション、春先に出すコレクションのものを含めて、全部で10点で……。
その中には、私がデザインしたものも、幾つか含まれていたとのこと。
また、金庫については、外部から衝撃を与えたりされた形跡はなく、どこも壊されておらず。
そのことから、まず、鍵を持っている人間が一番最初に疑われたとのことで。
デザイナーさん以外に『鍵を持つこと』が、認められていた彼女と、アンジェリカという古参のスタッフさん両名共に、鍵の紛失などは一度もしておらず、常に適切な管理をしていたみたい。
また、お店では必ず金庫を開ける際に……。
『貸した人の名前と借りた人の名前、そしてその日の日付と、鍵を返却した時刻』を、それぞれ紙に書いて記録するように、徹底していたらしく。
当日中に、鍵の返却をしていないスタッフはいないとのことで、万が一にも、職人さんの手を借りて、誰かに『金庫の鍵を複製されてしまったり』するようなことは、あり得ないということだった。
その言葉に、どう考えても『外部からの犯行は、実質的に不可能』だと言っているようなものであると同時に。
最後に鍵を借りた人が、一番怪しくなってしまう状況に……。
カレンさんの報告が、終わったあと……。
スタッフさん達から、クララと呼ばれていた新人スタッフさんに、一斉に視線が集まってしまった。
私も、みんなの視線につられるようにして、彼女に視線を向けると、その姿には見覚えがあって、思わず驚いてしまう。
確か、彼女は、ナナシさんと初めて会った時に、同じく新人のスタッフとして、デザイナーさんから紹介を受けた人で……。
今回のファッションショーでも、ライバル店として、わざわざ宣戦布告にやって来た、デザイナーさんがいる『シベル』で、元々、働いていたスタッフだったはず。
シベルのデザイナーさんが怒っていたことと……。
クララさんが『ジェルメールに来る』ことになった経緯も含めて、特徴的だったから、私も彼女のことに関しては、よく覚えていた。
「一番最後に金庫の鍵を開けたのは、先ほどもお伝えしましたが、クララです。
その時は、私ではなく、アンジェリカが、お店の閉店作業に追われていて忙しく。
全員がお店を退勤する前に、一番新人でもある彼女に、次のコレクションで作る衣装のデザイン画を戻してきて欲しいと鍵を渡して頼んだことで。
クララが金庫にデザイン画を戻しにいって、中のチェックをしてくれた、と……。
その時間に関しては、正確には覚えていませんが、恐らく多く見積もっても10分程度だったそうです。
また、本人も、その際に、全てのデザイン画があったということを証言をしています……。
ただ……、通常の営業通りでしたら、毎日、金庫の中を一日一回は、必ず確認する決まりになっていたと思うのですが。
ファッションショー期間中は、しなくても良いと免除されていたということもあり。
準備に追われていて、それ以降は、誰も金庫に近づく人間はおろか、確認もしていませんでした。
その件については、私達古参のスタッフのミスでもあります、本当に申し訳ありませんでした」
その上で、更に、カレンさんから、詳しく当時の状況についての説明があったことで。
私でも、その時のことについて、簡単にだけど『把握する』ことは出来たんだけど。
一度、人を疑ってしまうと、どうしても、みんな疑心暗鬼のような状況に陥ってしまっていて。
ジェルメールを辞めたナナシさんにも、このタイミングで辞めたということで、『もしかして……っ!』と、一度、疑惑の目が向いたみたいだったものの。
……彼が、金庫の鍵を触ったのは、もっとずっと前のことで、今回のクララさんが触ってからは、一度も、触っていないらしく。
スタッフさんの中でも『多分、違うんじゃないか……』という結論に、至ったみたいだった。
だけど、だからこそ。
普段、感じが良くて、どのスタッフさんをとっても、みんな優しくて、活気に満ちあふれているジェルメールの中でも……。
流石に、この状況になると、それが出来る人間は限られてくるとのことで、クララさんを疑うような視線が、ちらほらと見受けられた。
……多分、彼女がジェルメールに来ることになった経緯も関係しているんだと思う。
元々、シベルで見習いをしていたクララさんだったら、デザイン画を持ち出して『シベルの誰か』に渡すようなことも、出来ないことはないし。
彼女が、ジェルメールに間諜のような役割で入ってきたと言われても、それを否定するだけの材料も、正直に言うとどこにもない。
針のむしろとまではいかなくても、肩を狭めて居心地が悪そうにしているクララさんに、一応、関係はあるといっても、部外者の私が気軽に声をかけることは出来なくて、戸惑ってしまう。
そんな、空気が重苦しくなってしまった状況下で……。
「はい、はいっ……! みんな、そんなにも暗い顔をしていないで、私の話を聞いて頂戴っ……!
まだ、誰が犯人なのかも分かっていない状況で、仲間に向かって疑うような視線を向けるのは良くないわ~!
起きたことはもう、仕方がないしっ、そんなにも、負に塗れたような感情を、うちの可愛いスタッフちゃん達が浮かべているだなんて……!
お店的にも、そんなの全然、美しくないでしょうっ!?
第一、明日のファッショーショーを前に、一致団結して頑張らないといけない時に、疑心暗鬼になってお互いのことを、犯人扱いして、士気を下げるようなことはやめましょうっ!
私自身も、この件に関しては、きっちりとした捜査はするつもりだけど。
まず、一番は、自分の笑顔と、お店のことを考えて欲しいんだけど、出来るかしら……?」
と、デザイナーさんの口から、カラッと、どこまでも明るい口調で、激励するような言葉が降ってきて……。
相変わらず、デザイナーさんは凄いなぁ、と私は、思わず、びっくりして目を瞬かせてしまった。
一番、責任を負わなければいけない状況の中で、いつだってデザイナーさんは、常に前向きに、色々なことを考えながら行動に移してる。
「最後に鍵を使ったのは、クララだったっていうことだから。
一応、念のために、聞くわね? ……クララ、あなたは、アンジェリカにデザイン画を戻して欲しいと頼まれて、その時、どうしたの? 当時の状況について、詳しく教えてくれる?」
その上で、優しい口調で、問いかけるように、クララさんに向かって声をかけるデザイナーさんに。
ちょっとだけうつむき加減だったクララさんが、パッと、視線を上げたあとで。
「わ……、私は……」
と、声を出し。
そのまま、涙目になりつつ、少しだけ目を逸らしてから……。
「アンジェリカさんに頼まれて、金庫の中に、デザイン画を戻しただけで……。
中のものは、決して、盗んだりしていません……っ。
その時には、全てのデザイン画があったことは確認済みですが、本当なんです……っ」
と、小さい声ではあったものの……。
静かなこの部屋にいる、全員に聞こえるには充分な声量で、自分はやっていないということを、訴えてくるのが聞こえてきた。
何となく、一瞬だけ逸らされた視線に、間違っているかもしれないけど、私はちょっとだけ『彼女のその雰囲気』に、違和感を感じてしまったんだけど。
その言葉に、デザイナーさんは、こくりと頷きながら……。
――彼女の言っていることを、信じると決めたみたいだった。
「そう……。分かったわ。
あなたが、そう言うのなら、私は信じるわ~っ!
ただ、お店としては、原因の追及をして、今後、二度とこのようなことがないように対策を講じなければいけないから。
一応、ファッショーが終わり次第、もう一度、全スタッフに個別に聞き取り調査などもするつもりだけど、あなただけを故意に疑ったりするようなことはしないからねっ!
それについては許して頂戴……っ! 他の子達もそれで良いわよね!?
また、今回の件に関しては、お店のトップである私に、一番責任があることだけど。
全員にも少なからず責任はあるわね。……今後は、それぞれに、もう少し気をつけていきましょうっ!
一人で金庫の中を確認せずに、必ず、二人で金庫に行き、チェックをするなど、対策は幾らでも取れるはずよ!」
そうして、明るい口調で、ハキハキと『この件については、ひとまず、保留よ~!』と声を出し。
改めて、私に対して向き合ってくれたデザイナーさんが、スタッフさんが全員いる中で、ガバッとその頭を下げ。
「皇女様、本当に申し訳ありません……!
今回の不手際で、損害が出た場合の補償は必ずしますので、どうかお許しください。
また、これからどういう風にしていけば、デザイン画が紛失するようなことにならないか……。
という対策についても、しっかりと考えて、後日、きちんと説明するつもりです。
ファッションショーが終わったあとに、再度、お時間を設けて頂くようになってしまい。
今日の時点では、原因の追及も含めて、まだ解決していない状況になってしまって、申し訳ありませんが、もう少し私に時間を下さい」
と、丁寧に謝罪してくれた。
その言葉に……。
「私は、全然大丈夫なので、頭を上げてください。
ジェルメールとの日頃のお付き合いを考えれば、普段からしっかりと対応してくださっているのは分かっていますし。
補償なども、あまり気にしなくて大丈夫です。
寧ろ、他のお店などが絡むこともなく、私とジェルメールだけの被害で済んだのなら、良かったと思いますし……っ!」
と、デザイナーさんに向かって『私は気にしてないので、あまり気負わないでくださいね?』という意味を込めて、労るように声をかければ。
デザイナーさんは、私の言葉に、感動したような雰囲気で……。
「あーん、皇女様っ! 本当に、本当に、大好きですわ~!
ですが、金銭面のことに関しては、きちんとさせてくださいなっ! これから先も、ジェルメールが、皇女様としっかりとお付き合いをしていくためにも、是非ともお願いしますわ~!」
と、私にぎゅっと抱きついて、熱烈なハグをしてきてくれたあと、そう言ってくれて。
『金銭面のことについては、きちんとしたい』と言ってくれたその言葉に、私はこくりと頷いて、それなら……、と、素直にその謝罪を受け入れることにした。