397 告発
問いかけるような真っ直ぐな視線をセオドアから向けられて、エリスがグッと息を呑み、答えに窮した様子で、ほんの少しだけぎこちない雰囲気で固まってしまったのが見てとれた。
それから暫くの間、誰も何も喋らなくなってしまい、馬車の中は一気にシーンと静まり返ってしまったんだけど。
セオドアと、エリスは勿論のこと。
この場の成り行きを見守るようにして、エリスに視線を向けているアルもローラも、何となくセオドアが言いたいことについては把握しているような気がして……。
一人だけ、一体、どういうことなのかとあまり理解が追いついていない感じの私が、そのことを疑問に思うよりも先に……。
びくりとその身体を震わせたあとで、まるで何かに怯えるようにエリスが膝の上に置いていた自分の手を力強くぎゅっと握りしめ、伏し目がちに視線を下げるのが目に入ってきた。
その表情は、どこか悔やむように……、なんだか負い目を感じているような雰囲気にも思えて……。
どうしてエリスがそんな表情をしているのか、この中で私だけが分かっておらず、一人、オロオロしてしまったんだけど。
私が心配して『エリス……?』と、声をかけようとしたところで……。
今の今までずっと、どこか悩ましげな苦悶の表情を浮かべていたエリスが、キッと、覚悟を決めたかのようにどこまでも真面目に、真剣な表情を浮かべて顔を上げたかと思ったら……。
そのままエリスは、問いかけたセオドアの方ではなく、私へと真っ直ぐな視線を向けたあとで。
「……っ、アリス様……、ほ、本当に、本当に、申し訳ありませんっ……。
アリス様はいつだって、私のことを信じて下さっているのに。
ずっとアリス様のお側にいたいがために、自分の保身に走ってしまって……。
私、さっき……、アリス様に肝心なことをぼかして伝えてしまいました」
と、私に対してガバリと思いっきりその頭を下げて、びくびくと震えるような声色で、本当に申し訳なさそうに謝罪をしてきて。
私は、その姿に思わず……。
「……っ、エリス……っ!?」
と、あまりにも突然のことで『一体、どうして謝られているのか』全く訳が分からなくて、ひたすら困惑してしまうことしか出来なかったんだけど。
とりあえず、今この場において、ともすれば土下座でもしかねないほどの謝りっぷりで。
とてもじゃないけど尋常とは思えないような、エリスのただならぬ雰囲気を感じ取った私は、出来るだけきちんと事情を聞かないといけないと思いながら……。
エリスに向かって『エリス、一体、どうしたの……?』と、柔らかい口調で声をかける。
【私の側にいたくて、保身に走ってしまったというのは一体どういうことなんだろう……?】
それに、肝心なことについてぼかしてしまったと言われたことについても、何が何だか分かっていない私にとっては、まさに『寝耳に水』状態で、ただただ混乱してしまうだけなんだけど……。
それでも、例えエリスに何かされたとしても、余程のことじゃない限りは別に怒ったりするようなこともないと思うから『安心して欲しい』という意味で、なるべく穏やかな口調を心がけて話しかけてみたものの。
――今、この場において、その判断は失敗だったかもしれない。
私の問いかけに、エリスがさらに苦しそうな表情を浮かべて、ぶわっと目尻に涙をいっぱい溜めたあと、目の前でぶるぶると震えながら、小さく嗚咽のような声を漏らしたのが聞こえてくる。
その姿に、何て声をかければ、いつものように笑顔になってくれるのかと悩んでいると……。
「も……っ、もしもアリス様が真実を知ったら、決して私のことをお許し頂けないかもしれませんが……っ。
実は……、私、テレーゼ様と侍女長に、家に借金があることを引き合いに出して脅されて、少し前まで、アリス様の弱みなどを探るように命じられていたんです……っ!
私が、アリス様のお側に付くようになったのも、本当は、それが一番の理由で……っ」
と、勇気を出して告発するように、エリスの口から思ってもいないような衝撃的な言葉が返ってきて、私は驚いて思わず目を瞬かせてしまった。
――テレーゼ様が、エリスに対して私のことを探るように命じていた?
……しかも、侍女長も一緒にっ……?
そんなこと、今の今まで思いもしていなかったから、正直何と言っていいのか直ぐに言葉は出てこなかったんだけど。
それでも、そうだと考えると、納得出来るような部分はあって……。
最初にエリスと出会った頃のことを思い出せば、確かにエリスは、ずっと、どこかぎこちない様子で、私たちに慣れるのにも凄く時間がかかって、セオドアや私の問いかけに戸惑って固まってしまうようなことも多かった気がする。
私自身、てっきり、今まではエリスが人見知りなのだと思い込んでしまっていたけれど。
私とテレーゼ様は、普段あまり関わりがないからこそ、エリスを派遣することで『何か、情報が知りたい』と思われてしまったんだろうか?
そういえば、あの頃は丁度、魔法が使えるようになったと報告しに行ったり。
アルが私のところに来てくれたりで、今までずっと会っていなかったお父様とも会う頻度が増えてきていたから、そのことを気にしていた可能性もあるのかな?
でも、これで一つだけはっきりとした。
エリスの言うことは多分本当のことだろうし、そこに関しては、私自身全く疑っていないから、テレーゼ様は、血の繋がっていない私のことを日頃から良く思っていなかったということなのだろう。
正直に言って、エリスが来た時は、外出禁止だからという理由だけではなく。
侍女達の心ない噂を耳にすることも嫌で、皇宮内ですら、基本的にあまり出歩かない出不精な主人だった自覚はあるから、私のことを探ろうと思っても、多分、何も出てこなかったに違いないだろうけど……。
……あっ、でも、だからこそ、エリスはたまに私に向かって『良ければ、庭にでも出てみてはどうでしょうか』といった感じで、声をかけてくれてたのかな?
私のことを探るつもりだったなら、その状況を何とかしたいとエリスが当時、ヤキモキしていたのは想像に難くない。
私自身は、エリスに本当のことを打ち明けられても、今、『凄く申し訳ない』と思ってくれているような雰囲気を醸し出していて、心の底から反省している様子を見れば、それだけで充分で……。
――特に、傷ついたりもしなかったんだけど。
エリスのその言葉に、私以外の……、特にセオドアとアルは『……やっぱり、そうだったのか』という雰囲気で、どこまでも険しい表情を浮かべていて。
昨日のお父様との会話でも、セオドアはテレーゼ様のことを疑っていた様子だっけど、アルも同様に疑っていたんだと、私はそのことにも驚いてしまった。
……だとしたら、二人が今の今まで私に言わないでいてくれたのはきっと、血は繋がっていないとはいえ『継母であるテレーゼ様と私の関係』を心配してくれてのことだったのかな……?
思いも寄らないエリスの証言に、セオドアやアルほどでは無いものの。
エリスと一緒に働いている中で、ローラも少しだけ思うところはあったのか、それでも今まで信じていただけに曇ってしまったような、何とも言えないちょっとだけ難しい表情を浮かべているのが見えた。
「……二人は、アリス様だけではなくて、セオドアさんや、アルフレッド様の情報についても欲しがっている様子でした。
特に、アルフレッド様の出自などに関しては、ことさら……。
テレーゼ様は自分で直接手を下したり、必要以上に命令したりするようなことはしません。
代わりにいつだって、手足とも呼べるような侍女長が、テレーゼ様の顔色だけを見て動き……。
役に立たないお前でも出来ることがあるはずだと、居場所を失いたくなかったら、それ相応の働きはしろ、というような旨の言葉を私に対してもかけてきて……。
私自身、これ以外は他に何も話してはいないのですが、前にアルフレッド様が図書館に行った時、本が貴重で高価なものだと仰っていたことを、侍女長に話してしまいました……。
……本当に、本当に、申し訳ありません……っ!」
そうして、エリスの口から更に語られるテレーゼ様と侍女長のことについて……。
私は、驚きに目を見開いたのと同時に、エリスが二人から『今まで脅されて、行動に移していた』という状況に関して、ふつふつと、怒りにも似たような感情が湧いてきてしまった。
今まで、自分の家の借金で苦しんでいたというのは、決してエリスの所為ではない。
もとを正せば、どこまでも人の良い男爵が、知人の借金の肩代わりをさせられてしまったことによっての『とばっちり』が、エリスにまで飛んできてしまったようなものだ。
それなのに、エリスは実家やまだ幼い妹や弟の為にも、少しでも借金を返そうと皇宮の侍女になって、毎月、手紙としての便せん代すら出し惜しみ、身を粉にして返済のお金に当ててきたというのに……。
そのエリスに対して『居場所を失いたくなかったら、それ相応の働きをしろ』という旨の言葉をかけただなんて、本当に信じられない……っ!
どういう風に取り繕っていたとしても、まさしく脅迫だし、ともすれば強要罪に当たっても何ら不思議ではないと思う。
例え働き口があったとしても『皇宮を辞めさせられた』という経歴を持っているだけで、他の家の侍女としても雇って貰える訳がないんだから……。
男爵家は、普段からアットホームな雰囲気で、あれだけ仲が良い家族なんだし。
家のことを天秤にかけられれば、エリスがその脅迫を断れる訳がない。
ましてや、エリスの妹さんも弟さんもまだ働けるような年齢じゃないから、エリスが皇宮を辞めさせられてしまえば、途端に男爵家は立ちゆかなくなってしまっていただろう。
そのことを、恐らく充分に理解した上で、暗にそれらについて仄めかして、侍女長が自分の権力や立場をフルに使って、今までエリスのことを『見えない鎖』で縛って、言うことを聞かせようとしてきたのだと分かり。
私は、そんな卑怯なことをする人だったなんて……。
と、侍女長に対しても、テレーゼ様に対しても、目の前が真っ赤になってしまうくらい思わず行き場の無い感情が昂ぶってきてしまった。
私と同様に、ローラや、アル、セオドアも。
二人に脅され……、間諜のような目的で私の元に入ってきたエリスよりも、テレーゼ様と侍女長に対して強い憤りを感じてくれているみたいだった。
「エリス……、大丈夫なの……っ!?
私の情報を渡したりしないと、キツく当たられてしまったり、今もあの二人から、何か脅されていたりするのっ……?」
思わず、心配の方が口をついて出てしまい……。
心の底から、エリスに向かって大丈夫なのかと、声をかけると。
私の言葉を聞いて、エリスが更にぶわっと、さっきまで目尻に溜めて我慢していた大粒の涙を溢しながら……。
「あ、アリス様……。
……っ、私、私……っ、アリス様や皆様の信頼を損ねるようなことを仕出かしてしまったのに、心配までして頂けるだなんて……。
何てお詫びをしたら良いか……っ、本当に、ありがとうございます……っ」
と、嗚咽交じりに、言葉にもならないような声量で何とか辛うじて、此方に向かって声を出してきたのが聞こえてきた。
その言葉に、ふるふると首を横に振って……。
「……此方こそ、話してくれてありがとう。
それより、エリスは今はもう、私の侍女なんだから、幾らテレーゼ様や、侍女長でも不当に解雇するようなことは出来ないと思うし、安心してくれたら良いからね……っ!」
と、声をかければ……。
更に、エリスが感極まったように『こ、こんな私のことを、まだお側に置いて下さるんですか……っ?』と、ボロボロと泣き始めてしまった。
その状況に、私は思わずオロオロと一人戸惑ってしまう。
エリスを解雇するだなんて思考は、今この瞬間、エリスにそう言われるまで欠片も持っていなかったんだけど……。
多分、最初にエリスが、私の側にいたいが為に保身に走ったと言っていたように、真実を打ち明けたら、その時は罪を逃れることが出来ずに解雇されてしまうんだと、思い込んでしまっていたんだと思う。
だけど、もしも、自分がエリスの立場だったらどうだろうか、と考えた時には……。
私も多分、今のエリスと同様に、凄く悩んでしまう気がする。
実質、誰かの言うことを聞かないと、自分だけではなくて『大切な家族』まで追い込まれてしまうという状況になれば、私の場合、それがローラやセオドア、アル、それからお兄さまなどの身近な人を人質に取られてしまっているのと同然だと感じるし。
そうなった時には、もしかしたら今回のエリスと同じ行動に出てしまうかもしれない。
だから、責めれるようなことでもないと思うし……。
一方の視点から見れば悪に思えるようなことで、やってしまったことは良くなかったとしても、エリスは自分の大切な人を守るために立ち回っただけで……。
当時、皇宮の中でも立場が上のテレーゼ様と侍女長という二人から脅されたということで、打ち明ける相手も、頼れる人もおらず、それしか術が無かったと言ってもいいんじゃないかな。
今日のマルティーニ家の令嬢の、お兄さまへの思いをこじらせた一方的で身勝手なものとは、また違う気がする。
そこの判断は、凄く難しいものだけど、同列に語っていい罪だとは決して言い切れないし。
アルのことについては、多少、変だと思われて驚かれてしまったかもしれないけど……。
『紙が高価で貴重』だという情報だけでは、例えスラムにいるツヴァイのお爺さんのように、どんなに凄腕の情報屋であっても、アルがまさか人間ですらなくて、精霊だということには行き着かないだろう。
それに、私は今まで一緒に過ごしてきた中で、エリスが私を思って色々と頑張ってくれていたことを何よりも肌で感じてる。
最初は確かにぎこちなくて、戸惑った様子だったけど、次第に私がローラ特製のミルクティーが好きだと知って、定期的に自分の出来ることをと……、率先してレシピを聞いてミルクティーを出すようになってくれたりだとか。
私が古の砦に行っている間も、掃除を欠かさずにして、部屋の中をピカピカに保ってくれていたりだとか。
ローラと一緒に、本当にいつも一生懸命に働いてくれているから、その全てが嘘だったということは絶対にあり得ない。
何より、今ここで正直に全て話してくれたエリスを見る限り、今後はもう大丈夫だと思うから……。
「もしも、エリスが今ここで、私に対して罪の意識を感じているのだとしたら……。
今後は、私にもみんなにも隠し事をしないで、私の側で今までのように変わらずに仕えてくれたら凄く嬉しいなっ。
私は、可能な限り“エリスに側にいて欲しい”と思っているから、それじゃ、駄目かな……?」
と、声をかければ、エリスが本当に嬉しそうな申し訳なさそうな表情で、ボロボロと涙を流したまま『ありがとうございます……っ』と声に出して、こくこくと何度も頷いてくれた。
その対応に、セオドアは相変わらず『それで許してしまえるんだから、姫さんは甘いな』という雰囲気だったけど……。
それは嫌な感じではなく、どこまでも温かいもので。
更に言うなら、ローラもアルも私の対応に、全く異論が無さそうな雰囲気でホッとする。
何よりも今ここで、アルもローラも、セオドアも、みんながエリスのことを認めてくれている証に他ならないから……。
テレーゼ様のことはショックだったけど、こういうこともあるかもしれないという想定のもとで、私自身が、もっと、自分の従者を守れるように強くなっていなければいけないんだよね……っ。
それよりも、エリスの証言のお陰もあって、一気にテレーゼ様が一連の事件の黒幕としても、凄く怪しくなってきてしまったんだけど。
昨日の今日で、まだ心の準備が何も出来ていなかったために『どうしたら良いんだろう?』と、戸惑ってしまっていると……。
溢れ落ちる涙を、自分の手で拭いたあと……。
「……アリス様が許して下さるのなら、我が儘なお願いかもしれませんが、これからもずっとそのお側で、誠心誠意お仕えたいです。
それと、テレーゼ様と、侍女長なのですが、多分、もう私のことは脅したりしてこないと思います……。
前に、偶然、侍女長と話している時に、ルーカス様が通りかかって、その場を目撃したあと、機転を利かせて助けて下さって……っ」
という言葉が、エリスから降ってきて、まさかここで名前が出てくるとも思っていなかった人の名前に私は更に驚いて目を瞬かせてしまった。