391 弁護する者
「今、ミリアーナ様の口からも出てきたように。
彼女の私に対する振る舞いに関しては……。
皇女として、先ほどのお茶会の場で、皆様の前で、きちんとそのお詫びを正当なものとして受け取らせて頂きました。
その時点で遺恨など何もなく、私の中では既に解決しているものであり。
その後のお詫びの品に関しては、頂けても頂けなくてもどちらでも構いませんでした。
……ですので、私が今ここで先ほどの件を蒸し返してまで彼女に対して怒るような理由は、どこにもないんです。
皇族であるならば、どんな時も人の上に立つ者として、真に民を思いやれるような正しい姿であり続けるべきだとお父様ならば言うでしょう。
私自身が皇女である以上、常に人々の模範となるような振る舞いを求められますし。
私の振る舞いで皇室の名を穢すようなことは勿論、皇帝陛下の名の下に、ミリアーナ嬢を貶めるような行為はしていないとここに誓います」
決して下を向いたりもせず、胸を張って堂々と、はっきりとこの場にいる全員に聞こえるように凜と背筋を伸ばして声を出すと……。
ざわり、と、周囲にいた令嬢達から驚くようなどよめきが聞こえてきた。
私とセオドアと……、それからミリアーナ嬢以外、誰もさっきの状況を見ていないのだとしたら……。
先刻、セオドアがミリアーナ嬢に対して反論してくれた内容をもう一度、今この場所で詳しく説明したところで、そもそも私と彼女の意見が食い違ってしまっている以上は、この場にいる誰もが、どうやったってその真偽を付けることは難しいだろう。
だからこそ、先ほどのお茶会でミリアーナ嬢に謝罪されたあと。
『皇女として、きちんとした立ち振る舞いをしていた』ということを、この場にいる全員が見ていたはずだと強調しながら……。
その立ち回りを……、周囲の人達が絶賛してくれていた状態で、一度引き受けた謝罪を敢えて無に帰すようなことをしてまで、今ここで、わざわざ蒸し返したりはしないということと。
――皇帝陛下の名の下に、と……。
お父様のことを引き合いに出して、誓ってそのようなことはしていないと。
私は、ウィリアムお兄様にどこまでも真剣な表情で、真っ直ぐな視線を向けて告げることにした。
我が国で『皇帝陛下の名の下に何かを誓う』という趣旨の発言をする場合。
例え、その場にお父様がいなくても、何時いかなる時も、国の頂点に立っているお父様に誓えるほど、ありのまま……。
今、自分が喋っている内容に、一点の曇りもなく、嘘偽りのない言葉を述べているのだと主張していることになる。
当然ながら、その言葉に虚偽が混ざっていたと後から判明すれば、その時は皇帝陛下であるお父様の名を不用意に用いて『周囲を欺いていた』ことにより、自分に課せられる罰に関しても更に重くなってしまうのだけど。
それでも今ここで、他の誰でもない皇族である私が、自らその文言を口にすることで。
私自身がその意味をしっかりと理解して使っているということは、この場にいる全員にきちんと伝わっただろうし。
現状、自分の無実を証明するために、その言葉が何よりも強い効力を発揮するというのは間違いのないことだった。
私が出した言葉を聞いて、今の今まで険しい表情を浮かべていたお兄様の瞳が、ふっと穏やかに、ほんの少しだけ和らいだあと……。
「……そうか。……お前の話は分かった。
俺自身も茶会の場で、一度、その謝罪を正当なものとして受け取ったお前が、用意された詫びの品を受け取ることもせず、ただ気に入らないからという理由だけで、壺を割るような真似をするとは思ってもいない。
兄としてではなく、皇太子として、公平な目で見ても、日頃から皇女としてきちんとした振る舞いをしようと努力しているお前を見れば、不用意に皇室の名を穢し傷つけるようなことをするとも思えないからな。
何よりも、今、ここで、この国の君主である父上の名に誓っているんだ……。
皇女であるお前が、その文言を使うことの重みは、誰よりもこの中で、俺自身が一番分かっていることだからな」
と、ほんの少しだけ優しさが込められた声色で、此方に向かって言葉をかけてくれる。
その台詞に……。
――何も言わなくても、お兄様は私のことをただ真っ直ぐに信じてくれている。
ということが分かって、心の奥の方で、きゅっと締め付けられるように胸が熱くなるのを感じていたら……。
「……っ、そ、そんなっ……!
ウィリアム殿下までっ、疑うこともなく、皇女殿下の言い分を丸々信じてしまわれるのですかっ……!?
……っ、一体、どうしてなのですっ……!?
私が今、お伝えしていることは全て本当のことですっ!
確かに先ほど、皇女殿下は、私の謝罪を受け取って下さいましたし、その立ち振る舞いは完璧だと言ってもいいくらいに素晴らしいものでした。
ですが、私にも理由は分かりませんが、皇女殿下は私に酷いことを言って、私の用意したお詫びの品を受け取ることを確かに拒絶したんです……っ!
ウィリアム殿下……、どうか、お願いです……っ!
妹だからという理由ではなく、この場の状況を公正な目で見て判断し、私のことを信じて下さいっ。
わ、私だって、自分がこんなにも騒ぎ立てている以上、真実を話していると皇帝陛下にも誓うことが出来ますし……っ!
何なら、このことは、正式に、伯爵家から抗議させて頂いても構いません……っ!
それとも殿下は、忠義に熱い我が家を蔑ろにしてまで、このまま、伯爵家と皇室との間に、決定的な溝が出来ることをお望みなのでしょうか……?」
と、ボロボロと涙を溢しながら『自分の言うことこそが正しいのだ』と懇願するように、ミリアーナ嬢の口から必死な言葉が降ってくる。
あまりにも危機迫るような彼女の迫真の演技に、周りにいる令嬢達も、どっちの言い分が正しいのか分からないと混乱していたものの。
ミリアーナ嬢が妹と言う言葉を出したことで……。
さっき、お兄様が『私のことを溺愛している』という設定で話してくれたことが、今、この場においては良くない作用をもたらしてしまい。
未だに、どちらが本当の事を言っているのか信じ切れないといった様子で戸惑いながらも。
一部の令嬢達から……。
『ここまでミリアーナ嬢が必死に訴えているのだし、もしかしたら、ウィリアム殿下は妹である私に甘くしているのでは……?』という雰囲気が醸し出されていくのを感じて、私は思わずぐっと唇を噛みしめた。
今、この場にいる令嬢達は、ミリアーナ嬢と立場が同等か、それ以上の家柄の人が殆どだし。
伯爵邸の洗面所でナディア様が教えてくれたように、ミリアーナ嬢から酷いことをされたという人は、主に男爵令嬢や子爵令嬢達だという話だったから、この中に被害に遭った人は誰もいないのだと思う。
ミリアーナ嬢が、普段から取り繕って、彼女達に対して親切にしていたのだとしたら……。
ここにいる令嬢達が『彼女の言っていることを嘘だと思えない』と感じるのも頷ける話だった。
一方で、私自身は、この場にいる全員が今日初めて出会った人達ばかりで、ここにいる誰とも日頃から仲良くしているほど、親密な関係を築けている訳でもないし。
最近になってその評判は上がっているとはいえ。
今まで世間で悪い噂が流れていたことは間違いないから、彼女達の疑惑の目が私の方へと向くのも仕方がないことだと、理解することは出来る。
だけど……。
お兄様は何時いかなる時も、公正な立場に立って、きちんとした判断が出来る人、だ。
巻き戻し前の軸の時は、日頃の私のことなども加味して、ちゃんとしていないと思っていただろうから。
……何を言っても、信じては貰えなかったものの。
それでも、一度あの頃を経験しているからこそ、お兄様は家族だからとか、妹だからという理由で贔屓するような人ではないということを、誰よりも私自身が一番分かっている。
今私が出した言葉と共に、セオドアが真っ先にミリアーナ嬢の言葉に反論して、私のことを庇ってくれていたのも凄く大きかったんだと思う。
【どんなにお兄様と口げんかのようなことをしていても……。
セオドアは、日頃から嘘を吐いたりするような人ではないし。
一応、当事者ではなく第三者の証言があったことで、それを、私を信じるための材料にしてくれたんじゃないかな……?】
……ただ、確かに、今、この場でお兄様が私の言葉を信じてくれたとは言っても。
実際に、その状況を見ていたのは私とミリアーナ嬢以外には、セオドアだけだから。
他の人達から見れば、セオドアが私の護衛騎士である以上、その主張に関しては『どうやったって、公平性に欠ける』と思われても仕方がないことだし。
お兄様も、私の家族である以上は……。
私とミリアーナ嬢の間に入って、こうやって仲裁してくれていることに関しても。
誰かから、決して『適切な人物とは言い難い』と指摘されてしまえば、その言葉に反論するのはかなり難しくなってしまう。
また、今回の件を重く見て、伯爵家から正式に書面で抗議されてしまえば、どちらが悪いかに関係なく、少なからず皇室の威信に傷がついてしまうことは避けられない上に……。
お父様もその話を無視することは出来ず。
例え、ミリアーナ嬢の方に過失があったとしても、それを公正な立場で証言出来る人間がいなければ、伯爵家に一つ借りを作ってしまうことになる。
馬鹿げた話だとは思うけど、実際、そういうことは度々、貴族社会でまかり通ってしまうものだから……。
「別に、俺はお前のことを責めている訳ではない。
だが、一方的に捲し立てるように最初に自分の言い分を話してきたのはお前の方だから、フェアじゃないと思って、アリスの言い分も聞いただけだ。
家族として庇っているのかと問われれば、確かに、その言葉に反論は出来ないが、普段からアリスは皇女としての振る舞いをしようと一生懸命に努力しているし。
決してお前の言っているように、差し出された詫びの品を気に入らないと言って、怒りに任せて無下にするような性格もしていない。
だから、そこには何か理由があるはずだと判断したまでだが……」
と、お兄様が冷静に声を出してくれたあと。
「……一つだけ、聞いておく。
お前は本当に、皇帝陛下である父上にも、今自分が話していることが真実だと誓えるか……?
その言葉は、一般的な場面で出すような言葉ではなく。
使いどころを間違えば、取り返しがつかない程に、どこまでも尊くて重いものだ。
今、この場でアリスは全てを分かっていながら俺にそう伝えてきたが、お前もそのことをきちんと理解した上で言っているんだよな……?
今、この場で、嘘偽りなどもなく……、自分の言っていることこそが真実だと……」
と、ミリアーナ嬢に向かって、低い声のまま、真剣に問いただすように言葉をかけてくれるのが聞こえてきた。
お兄様の言葉を受けて、皇帝陛下であるお父様に誓えるかどうか、改めて聞かれたことで、ミリアーナ嬢は、ほんの少しだけ怯んだ様子だったけど……。
「……っ、ええ、全て真実ですわ……っ! 嘘偽りなく、皇帝陛下にも誓うことが出来ますっ!」
ここまで、騒ぎにしてしまった以上。
――もう後には引けなくなってしまったのか……。
彼女は、その嘘を貫き通すことにしたみたいだった。
「……そうか、ならば、……仕方が無いな。
どちらも引かずに、互いの言い分が食い違っている以上。
最早、俺の介入だけでは、解決出来ないところまで来てしまっている。
今この場で父上の代理として、俺の判断で、この事件に国の調査を入れると、決断することにした。
その真相がどうであれ、互いがこの国の皇帝である父上に誓えると言うのであれば、どちらかが国のトップに君臨する主に真実を話していると騙り、虚偽の申告をしていることになる。
伯爵家と皇族の威信をかけてでも、どちらが正しいのかということを明らかにし、この事件に関しては、徹底的に調べて貰った方が良いだろう」
そうして、彼女の言葉に、お兄様が抑揚の感じられない声色で、はっきりとそう告げてくれると……。
まさか、そこまで、話が大きくなるとは予想もしていなかったのか……。
『……っ、く、国の調査が入るん、ですか……?』とミリアーナ嬢が、少しだけびくびくした様子で声を溢してくる。
だけど、少しだけ思案したあとで、お兄様に『アリスもそれで良いか?』と聞かれたことで。
私が、この場でこくりと一度頷いて……。
「問題ありません。
先ほど、私はこの場で神聖なる宣言として、お父様の名を出して正式に自分は何もしていないことを誓ったので……。
その言葉に偽りはありませんし、国が介入した徹底的な調査で、結果的にどのような判決が下されようとも、甘んじて受け入れるつもりです」
と、声を出したのを聞いて。
私とセオドア以外、誰もその時の状況を見ていないから、この戦いで勝機を見いだせると思ったのか……。
「も、もちろん……っ、私も、構いませんっ。
やましいところだなんて、何一つありませんし……。
ウィリアム殿下のお気の済むまで、騎士の方達に徹底的に、お調べになって貰って下さい……っ」
と、彼女がキッと睨みつけるように私の方を見て、どこまでも非難するような視線を向けてきたあと、意を決した様子でお兄様にそう言うのが聞こえてきた。
それから……。
「そうして、もしも、私の言うことが本当だったとっ……。
ウィリアム殿下に判断して頂いた暁には、皇女殿下に正しい処罰が下されることを望みます……っ!」
とも……。
彼女の大げさともとれるような言葉に、ほんの少しだけ周りの人の疑いが、私ではなく彼女に向いたのを感じて。
私はちょっとだけ驚いてしまった。
さっきのお茶会の場でも、正しいことを見るのに長けているような『令嬢達』が集まっていたからか……。
今この場において、10歳である私の態度と比べて、彼女のあまりにも弱くて幼いような雰囲気が伯爵令嬢としての振る舞いではないと思ってくれたのかもしれない。
……どちらが悪いのか、その真偽は付いていないまでも、ほんの些細なことではあったけど、ちょっとでもそう思ってくれた人がいるのなら、嬉しいなと思う。
周りの人の目にもあまり気付いていない様子で、そのまま演技を続行することにしたのか、再び彼女の目尻に大粒の涙が浮かんだのが見えた。
……もしかして、どんな時でも、直ぐに泣くことが出来る特技でも持っているのかな?
ここまでいくと『ある意味、本当に凄いなぁ』と、びっくりしながら内心で感心していると……。
彼女の言い分に、ウィリアムお兄様の瞳が先ほどと同じように、冷酷さを帯びて厳しいものになり。
「……あぁ、勿論そうなるだろうな。
皇帝陛下である父上の名まで出して、双方共に自分が正しいと主張している以上。
皇室はその威信にかけて、公正な立場で互いの言い分をしっかりと精査し。
罪人を捜しだした上で、その罪の重さに見合った処罰を下すだろう。
食い違っている言い分に、最早、互いの立場だけではなく、ありもしない濡れ衣を着せられて家門を穢されているも同然なのだから、それは勿論、お前であっても同様のことだ。
必ず真実を突き止めて、間違っている方に罰を下してやるから、安心するといい」
と、どこまでも冷たくて突き放すような低い声色で言葉を出してくれる。
お兄様の言葉はミリアーナ嬢だけではなく、当然、今この場にいる私にも公平にそう伝えてくれているもので。
傍から聞いている分には、彼女を思ってでも、私を思って言ってくれている訳でもないように聞こえてしまうものだったけど。
その言葉の中に『必ず真実を突き止めて、間違っている方に罰を下す』という文言が含まれていたことから、誰にも気付かれないように込められた、私に対しての優しいフォローのようにも思えて……。
――思わず、じんわりと胸が熱くなってきてしまった。
お兄様がそう言ってくれている以上は、騎士団に調査を依頼して国がしっかりとこの件を精査することになるだろう。
ミリアーナ嬢は、悲劇の主人公を装いながら……。
『皇女である私が悪い』と今この場で伝えることで、自分には一切非などなく、全ての濡れ衣を私に着せることが出来ると思っているみたいだけど、これは、そんな簡単な話じゃない。
当事者とその騎士以外、誰もその状況を見ていない以上は、『どちらの言い分が正しいか』ということに決着が付かない可能性の方が高く……。
最終的にはお互いの言い分を考慮して、過失の割合が10対0という、誰が見ても善と悪にはっきりと分かれるような判決は下されないはず。
多分、このままいけば、双方ともに悪いところがあったと判断されてしまうと思う。
あとは、どっちの言い分の方がより正しいと思えるのかどうかに焦点が当たり、6対4か、7対3くらいの割合をかけて、争われることになってしまうんじゃないかな……っ?
どちらにしても、今ここで彼女が嘘を押し通してしまった以上は、どういう判決が下ろうとも、今後、伯爵家と皇室の間に絶対的な溝が入ってしまうことになるのは避けられないし。
皇室は確かに伯爵家に借りを作ることにはなってしまうけど、伯爵家も無傷という訳にはいかないだろうということは想像に難くない。
お互いに社交界でのイメージダウンになってしまうような悪い噂が立ってしまうことは避けられず、折角上がってきた私の評判もまた元に戻ってしまうばかりか……。
少なからず、私の所為で『絶対的な皇族の威信』が傷つけられてしまい。
お兄様にもお父様にも迷惑をかけるようなことになってしまったのが分かっているから、心苦しい気持ちが湧いてきてしまう。
ナディア様から事前に忠告を受けていて、ミリアーナ嬢が普通の人じゃないと分かっていたのに……。
自分の立ち振る舞いで『上手く回避することが出来なかった』と内心で思いっきり反省していると。
冷静な判断を下すように、お兄様の口から……。
「……話は、聞いていたな?
侍女であるお前達は、この家の家令に伝えて、皇宮からすぐさま、騎士を派遣して貰ってくれ。
それから、現場の状況は出来るだけ、このままの状態で保全することが望ましいから、誰一人として床に散らばっている割れた壺の破片や、鉱石に触るのは禁じることにする。
互いの証言を元に、どういう風な当たり方をすれば壺がそのように割れるのか、検証する必要も出てくるだろうからな。
また、お前達はこの場にとどまり、皇宮から派遣されてきた騎士達から事情聴取があるまで待機して貰うことになるだろう。
少しの間、拘束されてしまうことを我慢して、事件の解決の為に協力してやってくれ。
それから、多分、いないとは思うが、当事者とアリスの騎士以外に、この件に関する目撃者はいないか……っ?
もしもいるようなら、今ここで正直に俺に伝えてくれ。
……日にちが経ってしまった上で出てこられても、どちらかに金銭などで雇われて嘘の証言をしている可能性が高まってしまい、その信憑性はかなり薄くなってしまうだけだからな」
という的確な指示が飛んでくる。
その言葉を聞いて、壺が落ちて割れてしまい、大きな音がしたことで騒ぎを聞いて駆けつけてきた……、さっきまで、事の成り行きを不安げに見守っていたマルティーニ家の侍女達が、お兄様の言葉で蜘蛛の子を散らすように、慌てて執事長へと事情を伝えに行ってくれるのが見えた。
多分、第一報として『現場の状況』自体は、しっかりと伝えられていたと思うんだけど。
私がお茶会に来た時点で、マルティーニ伯爵も夫人も外出しているみたいだったから、とりあえず自分の主人に事情を伝えなければいけないと思ってのことだったのか……。
侍女達は、心配するように“この部屋”に様子を見に来ていたけれど、私の目の届く範囲には、伯爵家の執事長の姿はどこにも見えなかった。
そうして、お兄様が『日にちが経った後に、出てきても信じられない』ということを強調してくれた上で、望みはかなり薄いだろうけど、目撃者が他にいないかと呼びかけてくれると……。
招待客である令嬢達は、誰もが、何も知らないという申し訳なさそうな雰囲気で、私とミリアーナ嬢からそっと視線を逸らしていく。
【それは、そうだよね……っ】
その反応に、どこまでも期待はしていなかったけど『やっぱりな……』という感情が、ただ湧き上がってくるのを感じながら、私は苦い笑みを溢した。
ミリアーナ嬢自身が、用意周到に、ナディア様を利用して彼女に芸術作品の説明をさせるように仕向けていたのだから、あの時、私たちの方を見ていた人なんて、それこそ誰もいないだろう。
もう少し、上手く立ち回れる方法が絶対にあったはずなのに、と……。
悔やしい気持ちを感じつつ、ぎゅっと手のひらを握りしめて。
せめて、お兄様がこうして私のことを信じて動いてくれている状況に、ほんの少しでも報いることが出来ればと思いながら……。
勿論、嘘を言う訳にはいかないけれど。
皇宮から派遣されてきた騎士達にどのように事情を説明すれば、ちょっとでも印象を良くすることが可能なのかと『その言い回しについて、しっかりと考えておかなければいけないな』と、思考を巡らせていく。
そうして……。
誰も何も言葉を話さなくなってしまって、ほんの暫く間があってから、シーンと静まり返った室内の中で……。
「……あ、あの……っ!」
と、静寂を打ち破るようにして、まるで意を決したような雰囲気で、声を出してきたのは、ナディア様で……。
彼女の言葉に、私だけではなく、一斉にこの場にいる全員の視線がナディア様の方へと向いて、注目すると。
彼女は大勢の視線に、一度だけ『……っ、』と息を呑んでから、ちょっとだけ臆した様子だったんだけど……。
「やだわ。……あなたったら、急に大声を出して、突然、どうしたというの……っ?」
と、ミリアーナ嬢が彼女に向かって、訝しげに問いかけた瞬間……。
きゅっと、自分の胸の前で片手を握りしめ、その場で胸を張ったナディア様がお兄様の方を向いたかと思ったら……。
「ウィ……、ウィリアム殿下っ、皇女様は何も悪くありませんっ……!
わ、私っ、……さっき、皆さんに絵画の説明をするために、他の方達とは違って、作品の方に背を向けていたから、目撃したんですっ!
……ミリアーナ様が、皇女様の手を、思いっきり振り払っていた、瞬間を……っ、!
皇女様が、ミリアーナ様に手を振り払われてしまったことで、近くにあった壺に偶然手が当たってしまって、落としてしまったという、その状況、を……っ!」
と……。
当事者である私たち以外は、誰も口を開くことのない状況下で……。
今まで、ずっと虐げられて従ってきたのだとしたら、こういう場で反発するのも本来なら恐いだろうに……。
ミリアーナ嬢に何を言われるのか分からなくて、びくびくと震えながらも、真剣な表情を浮かべたナディア様の口から『さっきの状況を目撃したのだ』と正直に、告発してくれるような言葉が降ってきた。