386 お兄様の説明
私とセオドアが談話室まで戻ると、今の間に令嬢達から質問攻めにあっていたのか、ソファーに座ったまま、ほんの少しだけ疲れが見え隠れするお兄様に『……何もなかったか?』という視線で見上げられて、私はこくりと頷き返した。
今、ここでミリアーナ嬢やナディア様の目がある中、お兄様に詳しい事情を悟られる訳にはいかない。
セオドアが私に合わせて『安心していい。特に何も無かった』という風にお兄様に視線を向けてくれたことで、演技をしてくれているのを感じながら……。
ただ、ナディア様の具合が本当に悪かっただけなのだということを視線で強調して、ソファーに座り直すと。
直ぐに、お兄様から視線を切り替えて……。
「皇女殿下、お帰りなさい……っ!
……本来なら、我が家の従者達がしなければいけないことですのに。
わざわざ、彼女の付き添い人を買って出て頂いて、本当にありがとうございました」
と、明るく華やぐような表情を浮かべたあとで、少しだけ申し訳なさそうな雰囲気になったミリアーナ嬢からそう言われて、私も敢えて柔らかな表情を作り出した。
「いえ、これくらいの事なら、全然問題ありません。
お気遣いありがとうございます」
こうやって……。
私が彼女と対面して話している限りでは、ミリアーナ嬢が私のことを嫌ったりしている様子は、それこそ微塵も感じられない。
【でも……、表では笑顔を浮かべながらも、その裏ではどうにかして私を貶めたいという気持ちを隠し持っているんだよね……?】
私が戻ってくるまではお兄様と話していた様子だったから、少しでもボロが出るんじゃないかと思っていたけれど。
ここに来ても、一切、違和感の片鱗すら見せてこないミリアーナ嬢に『中々手強い相手かも』と思いつつ。
こうしてみると色々と見え方自体が変わってくるなぁ、と感じながらも。
「……それより、皇女殿下……っ。
ナディア様が先に戻って来られましたけど、大丈夫でしたか?
付き添い人として名乗り出てくれた殿下をその場に置いてこられるだなんて……、私、ちょっと信じられなくて」
と、続けて声を出してきたミリアーナ嬢が、ナディア様の方を見ながら、彼女のことを注意する体を装って。
それとなく探るように声をかけてきたことに、私はにこにこと笑みを溢したまま……。
「いえ、私の方からナディア様には先に戻って貰うようお伝えしたんです。
洗面所に行かせて貰ったことで、お茶会の場に戻るのに、一度、手を洗いたくて……。
ナディア様の顔色が、先ほどよりも良くなったみたいだとはいえ、私に付き合わせるのも申し訳ないかな、と思いまして」
と、ミリアーナ嬢に向かって違和感のないように説明する。
私がそう伝えれば、ミリアーナ嬢も、それ以上ナディア様に向かって注意をしたりすることはせずに『そうでしたか。……それなら良いんですけど』と此方に向かって、ホッと安堵したような視線を向けてきた。
あくまでも『私のことが心配だから声をかけてきた』という表情を一切崩さないミリアーナ嬢に、本当に上手いなぁ、と内心で思う。
……ともすれば、ナディア様の言っていることの方が実は嘘だったんじゃないかと疑ってしまいそうになるほどに。
ただ、今の短い遣り取りの間にナディア様に向けていた……、。
ほんの僅かに宿った隠しきれない『侮蔑の視線と口調』から、ミリアーナ嬢がナディア様のことを、恐らく普段からナチュラルに下に見ているような様子なのは私でも気が付くことが出来た。
――きっと、日頃からこんな感じなのだろう。
まだ何も起こっていない『今、この現状』では私自身も動きようもないものの、少なくともこれでナディア様とは必要以上に親しくなっていないと判断してくれたはず。
もしも仮に、洗面所でお互いに会話が弾んで親睦を深めていたのなら、私の判断で彼女に先に戻ってもらうだなんてことはせず、一緒に戻ってくると思うだろうし。
そうじゃなかったということは、お互いに会話も弾まず『少し気まずい雰囲気だったからだろう』と誤解してくれるんじゃないかな……?
少なくとも私がナディア様に、あまり気を許していないと思ってくれると思う。
ちょっとだけ気になって、今の間にちらりとナディア様の方を窺ってみたものの、彼女はミリアーナ様に注意された瞬間は、申し訳なさそうな表情をして縮こまっていた様子だったけど……。
なるべく、私とは目を合わせないようにして距離を取り。
必要以上に会話をするとボロが出てしまうかもしれないと、ローテーブルの上に置いてある紅茶の入ったティーカップに、黙ったまま視線を向けることにしたみたいだった。
さっきの洗面所での遣り取りのように、ナディア様が私に対して、好意的な視線で見てくることだけが心配だったけど……。
流石に、今この場面で、私と必要以上に親しくなったということは言わない方が良いと判断したのだろう。
――ミリアーナ様のことを裏切ったという事実を、ほんの少しでも悟られないために……。
そこだけ唯一、気がかりに感じていただけに、彼女の賢明な判断にホッと一安心しながら……。
「それより皆様は、先ほどまで、どのようなお話をされていたんですか……?」
と、私は首を横に傾げながら、この場の雰囲気をからっと明るくするために……。
『私が席を立っていた間の、皆さんの遣り取りが凄く気になります……っ!』といつも以上に弾んだ声色で、ミリアーナ嬢だけでは無く、今この場にいる全員に語りかけるつもりで声を出した。
とりあえず……。
――必殺っ……! とにかく話題を変えてお茶を濁そう作戦……っ!
……のつもりだったんだけど、ちょっとわざとらしすぎたかもしれない。
隣に座っていたお兄様が、空元気とも思えるほど頑張って出した私の明るい声に『……一体どうしたんだ?』とでも言うかのような、心配が込められた視線を向けてくるのを感じながら……。
お兄様の目はあまり上手く誤魔化せないなぁ、と私は内心で冷や汗をかく……。
ただ、あくまでも日頃から私と接してくれているお兄様だけが『私に違和感』を感じたみたいで、令嬢達に私が席を立っていた間の話を聞いてみたのはある意味で正解だった。
「……実は、皇女様がナディア様の介抱をしてくださっているあいだ、ウィリアム殿下とお話する機会がありましたの。
殿下がお好きな食べ物や、ご趣味、それから普段何をして過ごしているのかなどを聞いていたんですわ……っ!」
「そうなんです……っ! 皇女様の付き添いで来られた殿下を暇にさせてしまう訳にもいきませんので……っ!」
と、キラキラと目を輝かせ。
私に対して矢継ぎ早に声を出してくれる令嬢達の瞳が『殿下と話せる機会を設けてくれてありがとう』と言わんばかりに、感謝の視線になっているのを感じながら……。
さっき、お兄様と私の『兄妹仲が良いこと』がこの場にいる全員に知れ渡ったとき、私に対して嫉妬の視線を向けていた人達と同一人物とは思えないくらい、あまりにも現金だな……、と思ったものの。
お兄様と少しでも話せる機会が設けられたことで、溜まっていたフラストレーションが少しでも解消されて満足してくれたのなら、彼女達の相手をしていたお兄様には『ほんの少し申し訳なさを感じる』けど、良かったと言えるんじゃないかな。
怪我の功名というか、何というか……。
その間、お兄様が犠牲になってしまった事を思えば、決して大きな声では言えないけれど……。
それでも少なくとも、さっきよりも、私に向かって羨望の眼差しを向けてきたり、嫉妬をしてくるような令嬢達の数が目に見えてガクンと減った事は、私も実感することが出来た。
……その代わり。
「ですが、その……。
皇女様、ウィリアム殿下は本当に皇女様のことを可愛い妹だと思って溺愛していらっしゃるんですのね……っ!?」
「ええっ。……麗しい兄妹愛に、私も感激してしまいましたわ!
今まで、皇女様が皇宮から殆ど出られない背景には、世間的にもあまり良くない皇女様の噂が立っていたからこそ。
そのことが原因で、陛下から禁止されているのだという説が有力でしたが……。
まさか、きちんとした理由が、お身体がそこまで強くない皇女様のことを心配して、陛下も殿下も皇女様の外出をお止めになっていただなんて……っ!
今まで存じ上げなくて、本当に申し訳ありません」
という『訳の分からない情報』が、お茶会の会場で出回ってしまっていて、私はその言葉が直ぐには理解出来ずに混乱してしまったんだけど。
……一体、お兄様は、私がいない間、彼女達に何と言ったのだろうっ?
辛うじて、私がいない間に、皇帝陛下であるお父様が私の外出を禁止している理由についての話になったことは理解したものの。
私の身体がそこまで強くないと言うことと、それをお父様とお兄様が心配してくれて……、という理由に全く説明がつかなくて、一人困惑していたら。
何食わぬ顔をして、堂々とした態度を取っているお兄様から……。
「アリスは生まれつき身体が弱いんだ。
……だからこそ、いつも傍で誰かが見守っていなければいけない」
という、追加の嘘がスラスラとした口調で降ってきて、私は思わずびっくりしてしまった。
ただ、そのことは、表にはおくびにも出さずに……。
「そっ、そうなんです……。
昔から、そのっ、人よりも身体があまり丈夫ではなくて……っ」
と、その意図が分からないなりにも、ウィリアムお兄様の事だから、絶対に何か考えがあるのだろうと、その嘘に乗っかって声を出せば……。
「……だから、俺が日頃からアリスの身体を心配して傍に付いているのは何ら可笑しなことではないし。
父上も、今日の茶会にアリスが参加することを、それこそ出発の前まで心配して気にかけていた程だ」
と、普段、無表情のお兄様からしたらあり得ないくらい……。
大げさな雰囲気で物々しく思い詰めたような感じの口調で、続けて説明されたことで、ようやく私も、ハッと気付くことが出来た。
もしかしてお兄様は、今日、私の付き添いで一緒に来てくれた事について、私が彼女達から必要以上に敵意を向けられることがないようにと。
彼女達にも目に見えて納得して貰えるように敢えて正当な理由を作り出して、今ここで説明してくれたのかもしれない。
それから、私とお父様の仲が、お父様が私のことを気にかけてくれるほど深いものだと、更に強調してくれる意図もあったのかも。
ただ『……身体が弱い』という嘘については、いつかどこかのタイミングでバレてしまったらどうするんだろう、とちょっとだけ心配になって冷や冷やしてしまったものの。
私がお兄様にだけ見えるように、おずおずと目線でそのことを訴えかけると、直ぐに真剣な表情を浮かべたお兄様から『別に、嘘ではないだろう?』という視線が返ってきて。
そこで、初めて……。
もしかして、魔女の能力の反動で、身体がボロボロになってしまうことを言っているのかなと、私自身、納得出来てしまった。
確かに、そう言われてみれば、能力の使用で物理的に寿命が削られていってしまう訳だし、嘘にはならないのかも……。
この一年の間に、身体を壊してしまった頻度を考えれば、病弱な部類だと言っても差し支えはないのかもしれない。
一般的に、魔女の寿命については削られてしまうことはあっても、戻ることは基本的には無いとされるものだから。
表情には決して出さず、なおかつ、咄嗟にしては、凄く上手い言い訳を考えてくれて『流石はお兄様だなぁ……』と内心で尊敬しながらも……。
私がお父様に禁止されて外にあまり出ていなかったことに関しては、やっぱり社交界でもあまり良い噂が立っていなかったんだなぁ、と改めて実感する。
ルーカスさんに初めて会った時にも、私があまり外に出ないことを『殆ど公に顔を出すことがない深窓のお姫様』や『鳥籠の中のお姫様』だと、揶揄われてしまったことがあったけど。
彼女達の口ぶりを見るに、世間からは……。
今の今まで『我が儘な私を見かねて、お父様が私の外出を硬く禁止していた』と思われていたのだと、そこまで詳しく語られなくても、容易に想像がついた。
ただ、お兄様の凄く上手な言い回しのお陰で……。
彼女達に、普段から『身体の弱い私』には、常に誰かが付き添っていなければいけないのだと受け取って貰えたことと。
彼女達が想像していた第一皇子が、今確かにこの場に存在していて、半分しか血の繋がっていない妹のことを、日頃からこれでもかと言わんばかりに気にかけている心優しい兄だと……。
その妄想や、お兄様に対するイメージが壊れることもなく、寧ろ『素敵』だと思って貰えたからなのだろうな、というのは感じることが出来た。
――実際、彼女達のイメージ通り、お兄様はいつだって優しいんだけど……。
嗚呼、でももしかしたら、お兄様は基本的に無表情なことが多いから、冷酷そうに見えて近寄りがたい普段の雰囲気とのギャップを感じて、こんなにも盛り上がっている様子なのかも。
それに……。
お兄様が、ここで私の身体が弱いと広めてくれたお陰で、ルーカスさんとのデートも含めて、私の外出にお兄様が付いてきてくれることについても。
今後は『そこまで疑問に思われないかもしれない』と、そういう意味でも本当に有り難いことだった。
一人で外出するのは危ないからと、何かあった時の為に、お兄様やお兄様の幼なじみであるルーカスさんが私に付き合ってくれていると周囲から思って貰えるのなら、それに越したことはない。
少なくとも、彼女達から嫉妬のような視線で見られる頻度は、これから先、減っていくかも……。
そのことに、一人、ホッと胸を撫で下ろしていると……。
「お身体が丈夫ではないのでしたら、尚のこと……。
ウィリアム殿下が、皇女殿下のことを気にかけて、心配するお気持ちが十二分に伝わってきます。
いっそ、羨ましいほどに、本当に素敵なご兄妹ですよね……っ?
私も、お二人のご関係を見習いたいものですわ」
と、紅茶の入ったティーカップを持ちあげたミリアーナ嬢からそう言われて、私は思わずドキッとしてしまった。
パッと見た感じは、優雅な雰囲気でティーカップに口を付けているものの。
よくよく、彼女のことを注視すると、ティーカップの取っ手にかけた指先が『ほんの僅か』にぷるぷると震えているのが見てとれる。
彼女が今、感じている気持ちが、怒りなのか、動揺なのかは分からないけれど……。
ナディア様から、ミリアーナ嬢が、ウィリアムお兄様のことを本気で慕っていると聞いていなかったら、見逃してしまっていたかもしれない。
他の令嬢達は、ウィリアムお兄様の美談とも思えるような私に対する心配を聞いて、私と仲良くなった方がお兄様と近づくことが出来て得かもしれないと判断したみたいだったけど。
ミリアーナ嬢は、そもそもが私のことをよく思っていなかったという前提があるから、この話を聞いて怒りが増してしまったのかも……。
一見すると全く表情に変化がなく、その心情を最大限に推し量ることは、私には難しいけれど……。
にこにこと、平然とした素振りで此方に向けられる笑顔が、今はほんの少しだけ恐い。
「……皆様、皇女殿下もこうして戻って来られたことですし。
ウィリアム殿下という珍しいお客様に、気持ちが沸き立ってしまうのも分かりますが……。
今は、皆様でお話する“このお茶会の時間”を、目一杯楽しみましょう?」
脈打つ鼓動が少し早まって、内心でドキドキしながらも。
その、一挙一動が気になって、彼女が何を話すのかと注目していたら……。
まるで、パァァっと明るく花が咲くような雰囲気で、自分は一切、お兄様には興味がないのだという伯爵令嬢としての振る舞いをしたあとで。
「皇女殿下、お茶のお代わりは必要ありませんか……?
実は今日、皇女殿下がお茶会に参加されると聞いて……。
我が家の侍女達に頼んで、この日のために紅茶だけではなく、お茶菓子にも特別、こだわったんです。
フィナンシェなのですが、もし宜しければ、是非とも、遠慮せずに召し上がって頂けると嬉しいですわ……っ」
と……。
ミリアーナ嬢は、笑顔のまま私に向かって、何の邪気もない視線を向けてきた。