385 作戦会議
今の話を聞かれていたんじゃないかという緊張感が走るのを感じながら、セオドアの方を窺うように見つめれば、直ぐにセオドアから……。
『大丈夫だ。……今の今まで気配は無かったから、俺等の話は聞かれていないはず』と小声で私たちにも分かるように、言葉が返ってきて、内心でホッとする。
ミリアーナ嬢を裏切って、私たちに情報提供をしてきたナディア様のことを考えれば、今、この瞬間にも彼女が凄く危うい立場に立っているのは事実で……。
かなりビクビクと震えていた様子だったけど。
セオドアの言葉を受けて『聞かれてなさそうなので、大丈夫みたいです』という視線を彼女に向ければ、私のその視線をひとまずは信じてくれたみたい。
それから……。
「……あ、っ……、大丈夫です……っ。
もう少ししたら戻ると、ミリアーナ様にお伝え下さい……」
どこまでも、おどおどした様子ではあったものの。
冷や汗を一筋、額から頬にかけて流しながら、扉の前に立っているであろう、伯爵家の侍女に向かって声を出したナディア嬢は……。
「……承知しました。
ですが、もしもお辛いようでしたら、いつでも私たちにお声がけ下さい。
お客様の中に病人がいらっしゃった場合、本来は、皇女殿下に付き添って貰うような事ではなく、私どもの仕事ですので……」
と言って、招待客である私のことも気にかけつつ。
一応、納得して引き下がってくれた侍女に、胸を撫で下ろしたみたいで『はぁ……っ』という安堵のため息を溢しながら、ドッと疲れたように、前屈みになってその場に蹲ってしまった。
といっても、彼女自身、洗面台の前に置いてあった椅子に座っているから、完全にしゃがみ込んで蹲っている訳ではないんだけど。
「……きっと、ミリアーナ様に言われてやってきたんだと思います。
私が、皇女殿下に付き添って貰ったことを不審に思って、何も知らない侍女達を使って、わざわざ様子を見に来させたんだわ……っ。
自分は、皇太子殿下がいるお茶会の場から、離れたくないから……っ」
両手で顔を覆って、目の前で震えるナディア様の口から、ぽつり、ぽつりと出てくる非難めいた言葉に……。
ナディア様の言っていることが全て真実なら、私自身『その可能性は否定出来ないな……』と心の中で思う。
実際、ミリアーナ嬢がナディア様に対し、伯爵家が出して来たお茶菓子に下剤を入れるよう指示していたのなら……。
ナディア様がそのことを私に話しても話さなくても、ボロが出ることを恐れて、出来るだけ私と彼女を二人っきりにさせたくはなかっただろうから。
そうなってくると、私がナディア様の付き添い人になったことを、ミリアーナ嬢があまり良く思っておらず、何とかして阻止しようとしていた様子だったのにも説明がつく。
……少なくとも、私が招待客だから迷惑をかけてしまうというのが本当の理由ではなかったのだろう。
それでも最終的に納得してくれたのは、お兄様と喋れるチャンスと、私とナディア様が二人っきりになるという二つの状況を天秤にかけて『お兄様と喋りたい』という欲求に負けたからなのかもしれない。
私がその場にいなくなれば、当然お兄様のことも主催者側として無視することは出来なくなる。
ナディア嬢の言う通り、本当に彼女がお兄様のことを慕っているのだとしたら、絶好の機会であったことは間違いない。
【……ただ、私に付いてきて欲しいと“ナディア様”が言ってきた時には、びっくりしただろうけど。
もしかしたら、ボロが出たんじゃないかと心配して侍女を寄越してきたとしても……。
流石に、ナディア様の決死の特攻とも思えるような自白が行われているとは、ミリアーナ様もあまり思ってはいないんじゃないかな?】
今日、ちょっとだけ会話をした限りでは、ミリアーナ様は伯爵家の令嬢らしく、それなりに頭が回る人だ。
わざわざ、私とお父様のことを探るために『詐欺事件の話』を持って来た上で、間接的に深い仲なのかどうかを聞いてきたり……。
お茶会の場にお兄様がいても『そちらを優先』することもなく、表向きは私の方を最優先している素振りを見せてきたりと、その立ち振る舞いに関しては、殆ど無駄も無く、一切の隙も感じられない。
――どちらかというのなら、ミリアーナ様よりもナディア様の方が全てにおいて幼いと言ってもいいだろう。
私に真実を話すことで、これから先、自分の家にどんな事が起きるのかさえ把握していなかったナディア様の行動は、はっきり言って『何も考えることが出来ていなかったのかな?』としか言いようがないほど、擁護する所がなくて無謀にしか思えないものだ。
もしも、二人の立場が逆で、ナディア様が伯爵家の令嬢であり、ミリアーナが様が子爵家の令嬢だったとして、今日と同じようなことが起きたとしても……。
ミリアーナ様なら、自分の家の存続の危機に関わることだから、私に自白をするだなんて最大の悪手は選ばないはず。
それは、二人の性格の違いを見ても明らかなんだけど……。
ナディア様がさっき、精神的にも相当追い詰められている様子だった所を見ると、恐らく、ミリアーナ嬢が気に入らないと思っている令嬢達に対して『排除するような危険な役回り』についても何度か任されたことがあるのだと思う。
……今日、私の食べるはずだったお茶菓子に下剤を入れたように。
ナディア様が、そのことに罪悪感を抱いているのか……。
それとも、彼女の口からチラホラと見え隠れするミリアーナ様への嫌悪感で、復讐心に火が付いてしまったのかは分からないけれど。
それでも今までは、被害に遭ったのが子爵家や男爵令嬢ばかりだったから、何も言えずにずっと諦めてきたのだということも、何となくさっきの会話で把握することは出来た。
……もしかしたら、この境遇から抜け出したいと助けを求めての行動だったのかもしれない。
「……私が裏切るとは、思っていなかったでしょうけど、念のため、探りに来させたんだと思います。
そういうところ、抜け目のない人だから……。
ミリアーナ様は、私のこと……、ただ後ろから付いてくる、聞き分けの良い駒だとしか思っていないんです。
従姉妹だなんて聞こえは良いけど、実際は対等な訳じゃなくて。
産まれた時から立場的にもずっと弱かったし、臆病で、言われたことは何でも聞く人間、ですので……っ」
そうして、ぎゅっと自分のドレスを握りしめながら、悔しそうに涙を溢すナディア嬢の姿に、嘘でそんなことをやっているのだとしたら、あまりにも策士すぎるし。
恐らく『全て本当のことなのだろう』とは思うんだけど……。
そうだとしても、ナディア様とミリアーナ様だと、正直に言って本当に“雲泥の差”くらいそれぞれの立ち回り方に差があるから、手助けしようにも難しいなぁと思ってしまう。
さっきも彼女に話したように、下手に私が関わってしまうと、それだけで大事になりかねないから……。
ただ、誰の助けも得られなくて、この状況が永遠に続いてしまうという『絶望感にも似たような境遇』に関しては私自身も覚えがあるし。
彼女とは違って、私は何かの罪に加担したようなことはなかったけど……。
それでも、必要以上に脅されたりして、誰かの言うことを聞かなければいけないという状況に彼女が置かれているのだとしたら、何となく放ってはおけない気持ちも湧いてくる。
『変なことに巻き込まれちゃったなぁ……』と内心で思いながら、どうするのが一番良いのかは、まだ見えていないものの……。
「ひとまず、この状況のまま、ここで話し合っていてもどうしようもありませんし。
あまりにも帰ってこないと、それこそミリアーナ様にどう思われるか分かりません。
ナディア様の体調が先ほどよりも良くなったのなら、先に、お茶会の場にお戻り下さい。
……私も手を洗ってから、私の騎士と一緒に後から戻りますので」
――ナディア様、お一人で、会場に戻れそうですか……?
と、私は声を出しながら、彼女の手のひらに洗面台で、濡らしたハンカチを差し出した。
このまま、一緒に戻っても良かったけど……。
『皇女の私が他に用事があるから、先に戻ってきた』と、お茶会の場でナディア嬢に言って貰った方が、ミリアーナ様からも、皇女と必要以上に仲を深めたとは思われないだろうと、判断してのことだった。
差し出したハンカチを手に取って、私の問いかけに、こくりとナディア嬢が頷いたのを見てホッと安堵しながら……。
「……っ、私の話を親身になりながら聞いて下さって、ありがとうございました、皇女様。
それから、このような場で謝罪する無礼をお許し下さい。
本当に申し訳ありませんでした」
と、椅子から立ち上がった彼女に謝罪されたことで『お力になれず、申し訳ありません』と声をかける。
私の言葉を否定するように、一度、左右に首を振ったあと、ほんの少しだけ表情に明るさが戻ったナディア様から……。
「いえ。……皇女様の寛大なご配慮に感謝しています。
私自身、本当に考えが及ばず、あまりにも幼稚で……。
あのままだと、軽率な自分の判断で、家門さえボロボロにしてしまっていました。
そうでなくても、私の過ちを許して頂けただけでも、本来ならもっと感謝をしなければいけないものですのに」
という言葉が返ってきたことに、一時はどうなることかと思っていたけど『……そんな風に考えられる人で、良かった』と、ひとまず、安心する。
「皇女様はそのお歳で、もの凄く広い視野を持っておいでなんですね……?
まるで、年長者を相手にしているかのような気持ちになってしまいました」
そのあと、ぽつりと、口元に笑みを湛えたナディア嬢からそう言われて、私は思わずぎくりと身体を強ばらせてしまった。
皇宮だと基本的に、ウイリアムお兄様を基準にして……。
『私なんて、全然まだまだ“お兄様の足下”にも及ぶことはない』という感じで振る舞えるから、私が子供らしくなくても、お父様も含めて今の今まで、一切、誰からも疑われていなかったのだと思うし。
その環境に慣れきってしまっている所為もあって、私自身、全く子供らしく演技をすることさえしていないというか……。
……そもそも、絶対にどこかでボロが出てしまって、そんな器用な事が出来る訳もないからなんだけど。
どう考えても『10歳の子供の振る舞いでは無かったよね……?』と、内心で反省してしまった。
最悪、誰かから疑いの目で見られたとしても『……ウィリアムお兄様が10歳の時は、もっと素晴らしかったはずです』と全員を納得させるための最強の台詞は、この手に持っているんだけど。
「……あぁっ、えっと……、も、申し訳ありません、皇女様っ。
そのっ、今のは決して、悪気があった訳ではなく……。
私なんかとは違って、皇女様はお考えも含めて、本当に素晴らしい方なんだなぁ、と思って、つい」
私が一人、自分の失態について悩んでいると、何を勘違いしたのかナディア嬢から続けてフォローするような言葉が降ってきて、私はその場でパチパチと目を瞬かせた。
そう言って貰えるのは、本当に有り難いんだけど。
何て言うかナディア嬢の瞳が『まるで神様でも見たか』のような眩しい物を見るような目つきで、キラキラと輝いているのを見て……。
――なんか、よく分からないけど、もの凄く良い方向に勘違いされているんじゃ……。
と、思った私は……。
【そ、そんな風に信奉するような目つきで見られても、困る……っ】
と、一人、オロオロと慌ててしまった。
私がナディア嬢にしたことと言ったら『私に下手に関わると家門が潰れる恐れがありますよ』と、正直に伝えただけだ。
結局、根本の問題であるミリアーナ様のことを解決出来た訳でもないのに、突然、彼女から好意的な視線で見られてしまったことに戸惑っていると。
「皇女様の仰るように、先に戻ってますね……っ。
……あのっ……、さっきまでずっと、お側にいて背中をさすって下さって本当にありがとうございました」
という言葉が彼女の口から返ってきて、私は思わず目を見開いてしまった。
【……もしかして、そんなことで、良い方向に受け取ってくれたのかな?】
私が驚いている間にも、彼女は私の濡らしたハンカチで涙を拭うように目元を一度ぐっと拭いてから、そっと、私にハンカチを返してくれたあと洗面所の扉を開け、お茶会の会場に戻っていってしまった。
突如、訪れた静寂に……。
敢えて、ナディア様とは時間をずらして戻ると決めたんだし、もう少しだけ時間を空けてから戻った方が良いよね……?
と、内心で思いながらも『ふぅ……っ』と、小さくため息にも似た吐息を溢していると。
「姫さん、大丈夫か?
まるで、突然、嵐の中に巻き込んでくるかのような、トラブルメーカーだったな」
という、私のことを労ってくれるような言葉がセオドアから降ってきて、私は思わず小さく頷きかえした。
それでも、私に用意されたお茶菓子に下剤が入っていることを事前に教えてくれたと思えば、決して悪いことばかりじゃなかったと思う。
「ナディア様のこと。……セオドアから見て、どう思う?」
私から見て『彼女が嘘を言っているとは思えなかったんだけど……』という意味を込めて質問すれば。
セオドアは、私のその短い言葉の中に込められた正確な意味を察して……。
「そうだな……。俺から見ても、嘘は言ってないと思う。
だけど、正直に何でもかんでも喋れば、許されるってもんじゃない。
その背景に何があるのか、そこまでのことは確かに容易に想像出来るが、それでも自分の意思で、人、一人傷つけようとしてきたのは事実だからな」
という淡々とした言葉を返してきた。
静かに込められた怒りには、私を心配してくれる気持ちが乗っていることは、何も言われなくても直ぐに分かった。
「……でも、姫さんは、そうじゃないんだろう?」
そうして、真っ直ぐに見つめられたセオドアからの視線に、きょとんと、私は首を横に傾げる。
どういう意味で、そう言われたのかが分からなくて不思議そうな表情を浮かべる私に……。
「別に、フィナンシェに下剤が入れられたって聞いても、そのことで怒ったりもしていない。
……何なら、あの女の境遇に同情して、ちょっとでも何とか出来ないかな、って考えてるだろ?
多分、今、この瞬間も……」
と、続けて言われた一言に、私自身『セオドアには一生、隠し事は出来ないなぁ……』と思いながらも、正直に、こくりと頷き返した。
……瞬間。
『はぁ……、やっぱりな』と言わんばかりの表情を浮かべたセオドアが、ため息を溢しながら……。
「姫さんのお人好し。
普通は、自分に対して何かしてきた人間の面倒を見て……、ハンカチを濡らして手渡したり、介抱なんてしないだろ……?
そうじゃなくても、まかり間違っても、力になれずに申し訳ないなんて謝ったりもしない」
と、私に対して、声を出してくることに。
『うぅ……、』と、何の反論も出来ずに私は、その場で小さくなることしか出来ない。
「別に怒っている訳じゃない。……でも、姫さんは本当に優しすぎる……っ」
それから、セオドアに続けて声を出されたことで……。
「で、でも、ほら……っ、体調を崩している様子だったし。
あのまま放っておくと、呼吸が浅くなって息苦しさを感じて、大変なことになってしまうかもしれないから……」
……ナディア嬢の症状について、あのまま放置しておくのは良くなかったと思うと、何の気なしに口走ってしまった途端。
「……まるで、自分もなったことがあるような言い方だな?」
と、セオドアから鋭い目つきで見られて、私は思わず押し黙ってしまった。
「あ……、セオ……、っ?」
ぶるりと、身体が震えたのは別に目の前にいるセオドアが怖かったから、という訳じゃない。
ただ、真剣な瞳に、嘘は吐けなくて……。
どうしよう、と、内心でオロオロと慌ててしまったから、だった。
そうして、ちょっとだけ間があってから、そこまでの広さが無い洗面所の中で、怒っているようにも見えるセオドアが私にどんどん近づいてきて……。
そっと、首を傾げるようにして、私の耳元まで顔を降ろしてきたあとで。
「……呼吸が、段々速くなって、息苦しくなって……。
それから……っ?」
と、声を出してくる。
間近で聞こえてきた、いつになく低いセオドアの声色に、有無を言わせない雰囲気が乗っていて……。
過呼吸になった時の症状を聞かれているのだということは、直ぐに分かった。
「……あぅぅ、そのままベッドで暫く堪えていたら、落ち着くから……、その、大丈夫で……」
頭の中が混乱しつつも、ここで嘘を言ったら『もっと質問攻めに合ってしまうかもしれない』と、正直に答えながら、大丈夫だということを過剰にアピールして伝えれば……。
セオドアから、逃がさないとばかりに、ぎゅっと、腕を握られてしまって身体がびくりと跳ねてしまった。
「……一体、それの、どこが大丈夫なんだっ!?
過呼吸になってるってことだろう? ……いつからだ?
ずっと、今までも耐え忍んできたのかっ? たった、一人で……っ!?」
吠えるような剣幕のセオドアの声にびっくりしながらも、私は正直に、こくこくと頷き返す。
なるべく声を殺して、シーツに口を埋めて音が出ないようにしながら、一人で堪えることはもう既に日常の一部になってしまっているから、今ではそこまで苦なものではない。
それに、巻き戻した後の軸で、セオドアやアルに出会ってからは『過呼吸』になる頻度自体、かなり少なくなっているし……。
悪夢を見て飛び起きるようなことはあっても、基本的にはそれより酷い状態になることはあまり無いと言ってもいいくらいだから。
「あの……、みんなのお陰かもしれないけど、最近は全然、ないというか……。
本当に、セオドアに、心配して貰うほどじゃないから……」
……恐る恐る声を出せば、セオドアの真っ直ぐ射貫くような瞳は私のことをくれ見つめてくれたままで。
「……姫さんが夢見が悪くて何度か目が覚めては、苦しそうにしていた夜があったことには気付いてたが。
そこまで、酷い日があるとは欠片も思っていなかった……。
……っ、今まで、気付いてやれなくて、本当に悪かった。
これから先、もしも、そんなことが起きた時には、真っ先に俺のことを呼んでくれ。
例え、小さな言葉でも姫さんから呼ばれた声は、絶対に聞き逃さないから……っ。
頼むから、辛い時に一人で苦しまないで、誰かの助けを……、俺の助けを借りることも覚えてほしい」
その上、懇願されるようにそう言って貰えたことに、驚いて私は思わず目を見開いてしまった。
今まで、何か起きた時も一人で対処するのは当然のことだと思っていたし、誰かの助けを借りるだなんて、思いつきもしなかったけど……。
苦しい日に、セオドアに、助けを求めても、良かったんだろうか……。
『今度から、絶対にそうしてくれ……』と言わんばかりの、セオドアの真剣な眼差しに、私は小さくこくり、と頷き返しながら……。
「……ありがとう、セオドア」
と、お礼の言葉が自然と、口からこぼれ落ちた。
ずっと、誰かに心配をかけるのは迷惑だって思ってきたから、そんな風に言って貰えるだけで、本当に嬉しい。
過去の記憶に追い立てられて、独りぼっちで、泣く夜の……。
――どうしようもない寂しさと、心の中にぽっかりと空いてしまった空白は、決して埋まることはないと思ってきた。
一人で我慢しなくて良いと言って貰えることが、こんなにも心を軽くしてくれるとは夢にも思っていなかったな……。
「今度から、その……、お世話になります……、っ」
そうして、セオドアの方を見上げながら、おずおずとそう伝えると……。
「……あぁ、そうしてくれ。
じゃないと、俺の方が苦しくなる」
と言われてしまって、私は、その言葉の意味がよく分からずに『一体どういう意味なんだろう?』と首を傾げる。
そのタイミングで伯爵邸の洗面所にかけてある壁時計がちらりと目に入ってきて。
ナディア嬢がお茶会の会場である談話室に戻ってから、暫く経っていることに気付いた私は……。
「あ……っ、そろそろ、私たちも戻った方が良いよね……?」
と、慌ててセオドアに向かって声をかけた。
「あぁ、そうだな。
……あまり遅いと、逆に何かあったかと疑われかねないしな。
ていうか、マジで、皇太子のどこが良いんだろうな?
人を犬扱いしてくるような野郎だぞ。
……とりあえず、このまま、何も起きないことを願うしかないが、きちんとした事情を伝えられないのが痛いな」
私がセオドアに対してそう伝えると、セオドアもさっきの私と同じことを思っていたみたいで。
お兄様にしっかりとした事情を伝えられないことが痛手だと感じているみたいだった。
……まぁ、そうじゃなくてもお兄様に伝えてしまうと、速攻、問題視された上で『お父様行きの案件』になってしまって、ナディア嬢もただでは済まなくなってしまうだろうけど。
……そのことは、何とか阻止したい気持ちがある。
セオドアは私と違って、ナディア様のしてしまったことに関しても……。
伯爵家がどうなろうとも、心情的にはどうでもいいと、もの凄くドライに切り捨てていたものの。
最終的には『……姫さんが、そうしたいっていうのならそれに従う』と、私の意思を優先して声をかけてくれた。
どこまでも有り難い、セオドアのその配慮に嬉しい気持ちになりながら。
私の答えは、既に決まっているようなもので……。
――お茶菓子として出された、フィナンシェには手をつけない。
……他に、何か問題が起きてしまった時は、その時対処する。
という感じで、乗り切ろう……、と声に出せば、分かりきっていた答えだったのか、セオドアもそれに頷いてくれた。
そうして……。
今後の方針も決まったことだし、もしかしたら戦いの場になるかもしれないと覚悟を決めつつ、私はセオドアと一緒に伯爵邸の洗面所から出て、談話室に戻ることにした。