381 建国祭5日目
次の日……。
朝起きたら、私は自室のベッドの上だった。
馬車の中で、ウトウトしてからの記憶が全くないんだけど。
『もしかしたら、セオドアがここまで運んでくれたのかな?』と内心で思っていると。
いつものように部屋にやって来てくれたローラが、凄く嬉しそうに……。
『昨日の夜は、陛下がアリス様のことをここまで運んで下さったんですよ』と弾んだ声をかけてくれた。
その言葉を聞いて、私は思いっきり目を見開いて、びっくりしてしまう。
【まさかお父様が、私のことをわざわざ部屋まで運んでくれただなんて……】
皇宮に着いた時点で起こしてくれても良かったのに、私が眠っていることで気を遣ってくれたのかな……?
そう思うと何て言うかじんわりと、どこか擽ったいような気持ちがわき上がってくる。
お父様から、そんな風にして貰えたのなんて生まれて初めてのことだから……。
戸惑う気持ちもありつつ、基本的に普段から感情の波が一定で、あまり表情に変化が無いお父様だから、パッと見ただけでは凄く分かりにくいものの。
最近になって、私のことも含めて、きちんと自分の子供として見てくれているのだと、何となくだけど分かるようになってきた。
今までは、お父様からの愛情なんて貰えない物だと諦めてきたし。
自分の能力が発動して過去に戻っても、暫くはずっと『皇族として有益な人物』になることが出来れば、少なくとも見放されることはないだろうと思って、家族としての遣り取りは諦めてきたけれど……。
お母様や私の外出禁止の理由も、分かりにくかっただけで、きちんと『私たちのことを考えてくれていた』のは、もちろん。
昨日の、ギゼルお兄様に対する心配も、お父様が遅まきながらも私たちのことを気にかけてくれている証拠なんだろうな、とは思えるから……。
……それに、あの誘拐事件のことを思い出して、あまり体調の良くなかった私に、お父様が自分の膝の上に来てもいいと声をかけてくれたことも、本当に凄く嬉しかった。
「……そうだったんだ。お父様が、私をわざわざ部屋まで……」
ローラの言葉に『嬉しいな……』という気持ちが抑えきれず。
はにかみながら“ぽつり”と声を溢すと、どこか見守るような温かい表情を浮かべてくれたローラが、私に向かってこくりと頷いてくれた。
「はい、アリス様。
昨日の夜、陛下は、眠っているアリス様を起こさないようにと細心の注意を払っておいででした」
そうして、にこにことしながら、昨日の夜の事を更に詳しく伝えてくれるローラに、私もぽかぽかと心が温まるような気持ちになってくる。
私とローラが和やかに会話をしていると……。
エリスが元気よく『アリス様、おはようございます……!』と朝の挨拶をしながら部屋に入り、ミルクティーを持って来てくれた。
支度をするため、鏡台の前に置かれている椅子に座っていた私を見て、敢えて自室にあるテーブルではなく、鏡台にティーカップを置いてくれたエリスに『ありがとう』とお礼を伝えたあと。
私は、ローラに櫛で髪の毛を丁寧に梳いて貰いながら、今日のお茶会の準備をする。
建国祭5日目の今日は、昨日と同じく、またお昼にお茶会があって、夜にパーティーが控えている。
昨日とは違い、夜に行われるパーティーが、私とも仲良くしてくれているルーカスさんのお家、エヴァンズ家が開催する物であるということが唯一の救いだろうか。
勿論、ブライスさんも見知った人ではあるものの、皇宮の政治を取り仕切る『宮廷伯』というお堅い立場に就いている人であることは間違いないから……。
私としては、ルーカスさんのいる夜会の方が、心情的にも楽な感じがしてくるのは確かだった。
エヴァンズ家が開催する夜会に関しては、皇族の全員が招待されている筈だから、お父様とウィリアムお兄様だけじゃなく、ギゼルお兄様や、テレーゼ様も参加することになるはず。
そこまで考えて、不意に、昨日、お父様から聞いた話を思い出した私は……。
『……っあ、テレーゼ様』と内心で少しだけ複雑な気持ちになってしまう。
あくまで、まだ、容疑者の一人という段階でしかないものの。
――もしも、本当にそうだった場合はどうすればいいんだろう……?
と、ズーンと、一気に落ち込んでしまう。
【そうだとしたら、今まで私に対して色々と配慮してくれていた姿も、偽りだったかもしれないんだよね……?】
そこに関しては、ほんの少し悲しいという気持ちはあるものの、私自身、人から嫌われるのは慣れてるから『仕方がないかな……』とも思えるんだけど。
お兄様達のことも考えると、やっぱり落ち着かなくて、一人、そわそわしてしまった。
「……? アリス様、そんなにも不安そうな表情をして、どうかされましたか?」
そこで、今の今まで私の髪の毛を梳いて、ヘアアレンジをしてくれていたローラから突然声をかけられて思わずハッとする。
目の前の鏡に映るローラを見れば、私の後ろで心配そうな表情で此方を見つめてくれていて、私はふるふると首を横に振った後で、慌てて『何でも無いよ』と声に出した。
……まだ、そうだと決まった訳でもないんだし、しっかりしなきゃ。
――なるべく、みんなに心配をかけてしまうようなことはしたくない。
とりあえず、今は目の前のことに集中しなきゃいけないなぁと思いながらも……。
ローラと一緒に今日のドレスに着替えて、みんなで朝ご飯を食べたあと。
エリスがドレスに合わせて持って来てくれたヒールのない靴に履き替え、お茶会に行く準備を整えたところで、タイミングよくウィリアムお兄様が私の部屋まで迎えに来てくれた。
……わざわざ私のために、普段は出ないお茶会に出てくれるだけではなく。
きちんと正装をしてきてくれたのを見て『有り難いなぁ……』と思う反面、普通のことなんだけど、やっぱりお兄様の立ち姿はどこにいたとしても絵になるなぁ、と感じてしまう。
そうでなくとも、セオドアもお兄様も凄くすらっとしていて、背が高い上に……。
お兄様もそうだけど、ノクスの民ということが無ければ、セオドア自身も『顔の作り』なども含めて端整な顔立ちで、二人とも女性から注目を集めてしまうのは間違いなく。
私がお兄様とセオドアと一緒に出歩くだけで、何もしなくても羨望が混じったような瞳で見られてしまう、というのは昨日のお茶会で実証済みだ。
……この間、ルーカスさんと一緒に、デートで王都の街を出歩いた時にも同じことを感じたけど。
あのときは、ルーカスさん目当ての視線も凄く多かったから、お兄様とセオドアの二人だけになっても、そういった視線が沢山飛んでくるとは、あまり思っていなかった。
私の歩幅に合わせて一緒に歩いてくれるため、必然的に私の両隣に二人が立ってくれていることも多いし。
そうじゃなかった場合は、私の隣にお兄様が……、一歩後ろにセオドアが控えてくれていることが基本だから、どうしても二人の間で『針のむしろ』になってしまいやすい。
令嬢達から『羨ましい』というような感情が混じった“突き刺さるような視線”を送られる度にドキドキしながら、なるべく今日のお茶会でご令嬢達がお兄様とも話せるように、あれこれと配慮しなければいけないのかと思うと。
主催者でもないのに、お茶会で気を遣わなければいけない事項があまりにも多すぎて、ちょっとだけ気が重くなってくる。
「……そういえば、昨日、茶会であったことは陛下に伝えてくれたのか?」
一人、私がこれから行くお茶会のことを考えていると、朝ご飯を食べたあと、私の部屋に来てくれていたセオドアがお兄様に向かって声をかけてくれた。
昨日のお茶会で、令嬢達が露骨にお兄様目当てで話しかけてきたことを危惧してくれたのだろう。
セオドアの言葉を聞いて、お兄様がほんの少しだけ呆れたような雰囲気を醸し出しながら、私たちに向かって『ああ、皇宮に帰って直ぐにな……』と同意するように声を出してくれる。
それから、ハーロックに伝令を頼んでくれていたらしく……。
お兄様曰く、仮にお父様が忙しくて『そのこと』が昨日中に伝わっていなかったとしても、今日中にはきっちりと伝わるだろう、とのことだった。
「昨日、父上の判断でアリスの行く茶会に選ばれた家は、もう二度と皇室へ招待状すら出せないだろう。
本来は付き添いだったはずの俺を優先するあまり、持て成し方があまりにも露骨すぎたしな。
今日も俺が付いて行くことで、昨日の二の舞にならなければ良いが……」
昨日のことをお父様から正式に抗議されてしまえば、当然、社交界でも瞬く間にその噂は広まってしまうだろう。
エヴァンズ家のように、夫人が私に対して最大限のおもてなしをしてくれていたから、そこまで大事にならずに許されたのとは違って……。
今回は主催者である筈の令嬢が、招待した私ではなく、ウィリアムお兄様の方を何かにつけて優先してしまっていたから、……それだけで『今後の付き合いも考える』と、お父様ならそう判断するだろうな、と私も思う。
――それは父親としてでは無く、一国の主である皇帝陛下の判断として……。
以前の私ならば、周囲から我が儘な皇女というレッテルを貼られて、皇族の一員としてきちんと見られていなかったけど。
今は、昨日お父様に『私の価値が上がっている』と言われたように、名のある貴族ほど、私のことを社交の場で無視することは出来ないと思うようになったみたいだし。
昨日の令嬢は、お父様が家柄を見て『信頼して引き受けた』のを間接的に無下にし、私と親しくなるチャンスを無駄にしたばかりか、これから先、二度とお茶会の誘いについては、引き受けて貰えないことが確定してしまって……。
まだ社交界でその話が広まっている訳ではないものの、家の醜聞として、既に当主から怒られるだけで収束する話ではなくなってしまったと思う。
名家の令嬢ならば、基本的なマナーは頭に叩き込まれている筈なんだけど……。
貴族の令嬢として当たり前のことすら忘れる程に、お兄様を見ると目の前が曇ってしまうのかもしれない。
【今日は、そんなことが起きなければいいな……】
お兄様の言葉に、私も内心で同意しながら、そう思っていると……。
「それより、お前……。
犬の癖に、最近になって“猫を被る”ことを覚えたのか?
昨日もそうだったが、随分と、マトモに敬語が使えるようになったんだな?」
と、お兄様がセオドアに対して、どこか揶揄うような視線を向けたのが見えた。
「……あっ? あぁ……。そうですね、皇太子殿下。
アリス様が日頃から、俺以上に熱心に敬語について詳しく教えてくれるので。
覚えの悪い従者に一生懸命になってくれる、主人の涙ぐましい努力のお陰です」
そのあまりにも珍しい姿に、私が驚きながらお兄様の方を見つめていると……。
セオドアが、大分スムーズになってきた敬語でお兄様に向かって声を出してくれる。
その言葉を聞いた途端、お兄様が思いっきり嫌そうな雰囲気で眉を寄せ……。
「やめろ、気持ち悪い。
お前に敬語を使われると虫唾が走る。
第一、お前……、俺に対して、今まで一度たりとも敬ったことなんてないだろう?」
と、どこまでも辛辣な言葉をセオドアに向けると……。
「は……っ、護衛騎士である俺にまで、敬語を使わないでいいと仰って下さるとは……。
お兄様は、随分とお優しいことで……。
アンタを敬ったこと……? 当然、ねぇよ、そんなもん」
と、ものぐさな態度で、セオドアがいつものようにお兄様に対して言葉を出したのが聞こえてきた。
【……あぁ、さっきまで、もの凄く順調だったのに……】
気付けば、いつも通りに戻ってしまった二人に……。
けれどハラハラとすることもなく『この二人はこの感じが自然だよね』と思えるくらいには、段々と私も二人の遣り取りに慣れてきた。
お兄様もセオドアも“本気”でお互いに対し、嫌悪してそう言っている訳ではなく。
私にはよく分からないけど、出会ったら一度はそういう遣り取りを挟まなければいけない関係性なのだろう。
友情と言うにはかなり複雑だし、とてもじゃないけど『そういう風には呼べない』ものの、二人とも素直ではないだけでお互いに認め合ってるような雰囲気はある、と思う……。
お兄様も含めて私の部屋に集まってくれている面々と、一時、和やかな時間を過ごしたあとで。
時計を見れば、もうそろそろ出なければいけない時間が差し迫っていたこともあり。
「……じゃぁ、行ってくるね?」
と……。
ローラとエリス、それからアルに留守を任せることになるから、私は椅子から立ち上がったあと、振り返ってみんなに向かって声をかけた。
まだ、時間にはゆとりはあるものの……。
うかうかしていたら、約束の時間までに間に合わなくなってしまう。
お茶会に集まる人間の中では当然、私が一番上の立場にはなってしまうだろうけど。
それでも時間に遅れてしまったり、最後に到着するだなんてことがあったら、印象が悪くなってしまうかもしれないから、出来ればそうなるのだけは避けておきたい。
因みに今日のお茶会は、エヴァンズ家でのお茶会や、昨日のように『庭で開催された物』ではなく、邸宅の談話室を使ってのお茶会になるみたい。
巻き戻し前の軸も含めて、誰かが主催するお茶会でも、庭では無く『談話室』に行かせて貰うのは生まれて初めてのことだから、それはそれで緊張する。
談話室の中は室内ということもあって、ソファなどが用意されている場合もあるし。
どうしても庭でのお茶会よりも、個々の距離感は近くなってしまうから……。
――何事もなく、上手く立ち回ることが出来ればいいけど。
と、内心で思いながら、私はお兄様とセオドアと一緒に皇宮を出て、用意されていた馬車にセオドアのエスコートで乗らせて貰い、今日、お呼ばれされている伯爵家へと向かうことにした。