380【皇帝Side2】
一度、どこからか話せば良いのかと、前置きしたあとで……。
「現皇后……、様のことを、俺が最初に疑ったのは……。
陛下の計らいにより、皇后様の推薦で、アリス様に新しい侍女が付いた時からです」
と、セオドアが、はっきりとした口調で、淡々と此方に向かって声を出してくる。
驚きに目を見張るジャンを尻目に『そんなにも前からか……?』と、あまりにも予想していなかった言葉だったため、僅かばかり眉をつり上げた私に……。
続けてセオドアから、新しくやって来た侍女の動きが、アリスと接するときに不自然に強ばった様子で、なおかつ、誰かに脅されたような感じで怪しかったということもあり。
元々、テレーゼやそれに近しい人間についてはずっと疑っていた。
という、正直な言葉が降ってくる。
私自身、最近になって、アリスと一緒に夕食をとるようになっているとはいえ。
普段、アリスがどういう風に生活しているのかは、見ることが出来ていない部分の方が大きいから、この騎士の目にそう見えていたということは、それなりに確信があってのことなのだろう。
やはり、テレーゼのことを信頼して、あの侍女のことを詳しく調べなかった判断が後手に回ってしまったか……。
――だが、そうなってくると一つの疑問が湧いてくる。
アリスの侍女に関しては、世話役の全てを担っているローラも含め……。
あの新米の侍女についても、度々、公務などで顔を合わせる機会もあるが、セオドアの言うようにあの侍女がアリスに対して怪しい動きをしているような素振りは一度も目撃したことがない。
寧ろ、私から見る限り、あの侍女はアリスに対して『心の底から仕えている』ように思えてならないのだが……。
与えられた情報に少しだけ思案したあとで『あの侍女はアリスのことを慕っているように思うが……』と、自分の意見を述べれば。
「そうですね。……今は、アリス様に、心の底から仕えていると思います」
という言葉が、セオドアから返ってくる。
そうして、ほんの少しだけ柔らかな表情になりながら、私の腕の中で眠っているアリスを見つめるその姿に。
『どういう意味だ……?』と続きを促すような視線を送れば……。
アリスが、あの新米の侍女に対して『家に借金がある』ということを聞いてから、惜しみなく手助けをしていたのだということを、セオドアの口から教えられて。
……私はその内容に驚き、僅かばかり目を見開いた。
例えば、侍女よりも好待遇の『別の役職』に就くことが出来れば、給金が上がることから……。
あの侍女に、自分が皇族として勉強をする間、分からないことも多いから『傍で聞いて、勉強の内容について共有して欲しい』と、それとなく無料で知識を身につけることが出来るようアシストしたことや。
男爵領で採れた野菜から作ったクッキーに商機を見いだし、あの侍女の実家のためにジェルメールでクッキーの販売をするよう約束を取り付けたことなど。
私が把握していないところで、随分と取り計らっていたらしい。
その上、例の水質汚染の発生源が、あの侍女の実家の領地だったことを思えば……。
――まさしく、アリスは、男爵家から見れば救世主と呼んでもいいくらいの存在だろう。
……道理で、あの侍女が心の底からアリスのことを慕っているように見える訳だ。
私自身、あの誘拐事件以降、アリスがドレスなどの身の回りの物を売って自分のお金を作り……。
必要なものはそこから捻出し、自分の生活面にかかる最低限の金銭以外、皇宮で用意された皇族の予算を使わなくなっていたのは把握していたが。
私や、ウィリアムなどに頼ることもなく。
従者の悩みに耳を傾け、自分の出来る範囲でこれだけの解決法を見いだしていたとは予想もしていなかった。
アリスがまだ10歳であることを考えれば、自分一人だけの力でそれだけのことを為し得ている状況を褒めるべきなのだろうな。
勿論、皇族が受けるべき勉強を、周りの人間に対し無料で聞かせるのはあまり良い判断とは言えないが。
それでも、誰かに追及された際、あくまでアリス自身の勉強の為に『侍女が傍で聞いていた』と、きちんと抜け道を用意している所を見るに……。
決して、目先のことだけを見て助けようとしている訳ではなく。
その後のことも考えて、万が一にも問題が出てこないような助け方が出来ていると思う。
それにしたって、一人の従者に対して、主人としてしてやれる範囲の度を越しているというか。
――少々やり過ぎだとは、思うがな……。
それでも、結果を見れば、アリス自身は恐らく意図など何もしていないのだろうが。
セオドアがその目で見て怪しんでいた……。
白とも黒とも呼べないグレーの人間を自然と味方に出来ていることを思えば、お釣りがくる程に上等な結果だとは感じてしまう。
……ただ、アリスがそうやって周囲に目を配るのは、やはり今まで侍女であるローラ以外に味方がいなかった境遇のせいだろうか。
誘拐事件が引き金ではあると思うが……。
今までアリスが周囲からされてきたことを見るに、どうしても自尊心が低くなってしまい、無意識のうちに自分のことを下に置く癖が付いているように思えるし。
あの事件以降、我が儘も癇癪も言わなくなってしまったアリスは、私に対してだけではなく。
度々、どこか人とは一線を引くというか、境界線を引いて接しているように見える時もある。
今までは、アリスのことを傷つける人間ばかりだったが……。
突然、それがガラっと変わってしまったことで、戸惑いながらも、身の回りにいる大切な人間が『いつか、自分の元から去ってしまうんじゃないか』と恐れている部分も、もしかしたらあるのかもしれない。
思わず、苦い表情を浮かべた私に……。
「姫……、アリス様は、本当に優しいので。
いつも自分のことよりも、従者である俺たちのことを気遣ってばかりで……」
と、眉を寄せたセオドアから……。
まるで『もっと、自分のことを優先して欲しい』と本当に願っているような言葉が返ってきて、私は小さく安堵のため息を溢した。
セオドアは、私から見ても、アリスが本当に心を許せている人間の一人だ。
父親からしてみれば、肉親である自分よりも、セオドアのことを信頼している様子が垣間見えるのは、ほんの少し複雑な気持ちではあるが。
アリスと従者達の距離感が近いのを容認しているのは、他でもない私自身だし……。
従者との距離が、近すぎるのは良くないことだとは思うが。
それでも、アリスが心の底から信頼出来ると思っているであろう今の人間関係について、今までが大変だった分、あまり厳しく言って制限を設けたくはないと思っている。
それから、本来なら上に立つ人間であるから、その振る舞いとしてもあまり良くはないが……。
普段、アリスが他の貴族達に『敬語を使う』ことを、敢えて見ないふりをして許可をしているのも、今までが今までだっただけに、アリス自身が色々と考えて敬語を使っていることは傍から見ても感じ取れるし。
恐らく私が思うに、アリスは幼いながらも、きっと自分への自信の無さから、敬語を使うことで『誰に対しても敵対心は持っていない』と、最大限に周囲へとアピールしているのだろうと思う。
真っ当に真実を話していても、言い方次第では誰も取り合ってくれないどころか……。
自分への攻撃が更に強くなってしまうと『経験』からアリスが感じているのだとしたら、それは今までアリスのことを見てやれなかった私の責任だ。
その状況を分かっていながら、アリスに注意など出来る筈もない。
……だが、これで、また一つ。
セオドアの言葉を聞いて、益々、テレーゼへの疑惑の目が強まってしまった。
今、この場において、セオドアが嘘を言って得をする事など何もないし。
こうして、少し話している私の目から見ても、セオドアは勘が良いだけではなく。
色々と、頭を働かせられるだけの鋭さを持っていると感じるから……。
セオドアの目から見て、テレーゼの推薦した侍女がほんの少しの期間でも怪しい動きをしていたのなら、そこには確実に何かが隠されているのだろう。
【建国祭が終わったら、一度、エリスというあの侍女に事情を聞いてみても良いかもしれないな】
アリスの事を心の底から慕っているのなら、何か話をしてくれるかもしれない。
ひとまず、そこまで考えたところで……。
「……陛下は、一連の事件について、先ほど仰っていた内容のみが同一犯の関わっている事件、だと思っていますか?」
と、私のことを真っ直ぐに見つめてきたセオドアのその真剣な瞳に『どういう意味だ?』と声を出して問いかける。
そうして、他に何か気になることでもあるのか、と続きを促せば……。
「……先ほど、アリス様本人が否定していたので、誘拐事件の方は違うのかもしれませんが。
クッキーに毒が入れられていた件についても、既に首謀者が捕まって断罪されているとはいえ。
裏で、仮面の男が一枚噛んでいる可能性は、あり得ない話ではないのでは、と思っています」
と、私相手にも全く臆することなく、明け透けな態度で物を言ってくるセオドアに……。
実はその可能性については、今までに、私自身も考えなかった訳ではなく。
特に毒の入ったクッキー缶に関しては、検閲係が見過ごしていた内容だったこともあって、ミュラトールを断罪したあと。
公爵の手紙が検閲係によって抜かれていたことが発覚してから、念のため、一連の事件と紐付けて再調査はしていた。
その結果、限りなく、一連の事件の黒幕にいる犯人との関係は薄いだろうという結論に至ったのだが……。
セオドアは私が調査をした内容を知っている訳ではないし。
一年の間に、こうも立て続けにアリスに対して色々な事件が起きれば、全て同一犯が裏にいるのではないか勘ぐっても、何ら可笑しくはないだろう。
ましてや、誘拐事件の時とは違い……。
毒の入ったクッキー缶については、全ての事件の始まりである検閲係も間接的にではあるが関わっているのだから、そこを疑うのは正常な判断とも言える。
だが、クッキーの中に入った毒の件で、もしも裏に仮面の男が関わっていたのなら……。
アリスのデビュタントの時に事件を起こしたマルティスのように、尋問した時に、ミュラトールの口から『仮面の男』という単語が出てきても何ら可笑しくはない。
そもそも、クッキーの入った毒の件と、今回の一連の事件で何が一番大きく違うのかというと……。
事件に関わった人物が『自分の秘密』や、『介護をしなければいけない母のこと』などで情報を握られ、それをネタに脅されたり、裏にいる人物に良いように利用されているかどうか、ということがまず違う。
実際、ミュラトールへの尋問でも……。
最初のうちは『皇女様に、プレゼントを贈ったのは自分ではない』と見苦しくも容疑を否定していたが。
最終的にあくまでも自分の意思で動いていたと見るのが妥当だと、誰の目にも明らかな判決が下っている。
遅効性の毒を使用していたことから、万が一にも、自分の贈ったクッキーに毒が入っていたことなど、絶対に誰にもバレないと高をくくっていたのだろう。
だからこそ、自分の名前が入っているメッセージカード付きのプレゼントをお粗末にもアリスに贈ることが出来たのだ。
……そもそもミュラトール自身が、日頃から従者達をこき下ろし。
裏であくどいことを平気でするような人間であったことから、従者達には全く好かれていなかったため。
ミュラトール本人が『自分の用意したプレゼントをアリスに贈るように』と、館の人間に指示を出したという事実は、誰も庇い立てをする人間もおらず、直ぐに露呈した。
取り調べれば“直ぐに分かるような嘘”をつく所を見るに、本当に短絡的な思考で何も考えられない人間なのだろう。
それから一時、社交界でアリスの噂について……。
【母親が亡くなったばかりで、精神的に傷ついている状態でいるから……。
このような状態の時に、甘く優しい言葉でもかける人間がいれば、アリスが手を差し伸べた人間に、縋ってしまうかもしれない】
というような、話が流れていたことがあるらしい。
その話を聞いた『皇后派の一人』であるミュラトールが、絶好の好機とみて、アリスを敢えて不幸のどん底に突き落とし。
更に、傷つけた上で、適切なタイミングを見計らい……。
まるで、天の助けかのように『力を貸すと言って名乗り出る』のを目論んでいたということは既に分かっている。
だから、実際には『少し苦しめるだけで、殺す気はなかったのだ』と……。
だが、その生死に関わらず。
社交界で流れている話を真に受けて、実行する人間ほど愚かなものはない。
私に対して疑問を呈してきたセオドアに、アーサーや検閲係などは確かに仮面の男や黒幕などが絡んでいる事は確かだったが。
『きちんと調べた上で、ミュラトールの裏には誰もいなかった』ということを正しく伝えれば……。
私の話に、セオドアは少しだけ考えるように目線を伏せながらも。
「……なるほど。話は分かりました。
陛下の調べが既についているのでしたら、その件に関してはミュラトール伯爵が単独で起こした事件、なんでしょうね」
と、納得した様子だった。
「だとしたら、前皇后様が亡くなったことで、かなり影響が出てるっていうか……。
姫さ……、アリス様が色々な所から狙われてることの何よりの証になるってこと、か……」
そうして、ぽつりと私に聞かせる訳ではなく。
まるで、自分に言い聞かせるように声を出してくるセオドアに私も険しい表情を浮かべたまま頷き返す。
その上で……。
『アリスの護衛について、しっかりと頼んだぞ』という視線を向ければ、直ぐに任せて欲しいというような表情が返ってきた。
「……陛下が今日、行きの馬車で俺に教えて下さったことも、ほんの少し分かるような気がします。
今までは、自分が本当に仕えている人間以外には、正直言って敬いたくもないし、敬語を使うのすら嫌だったけど。
でも、俺は社交の場においても、きちんとマナーが出来ていないといけない。
……自分の主人を、何よりも護るために」
そうして……。
その後で言われた言葉に。
『娘を護る者としては及第点だな』と思いながらも、口元を緩めながら目の前の騎士を真っ直ぐに見つめれば……。
『珍しく、陛下が満足そうな表情を浮かべている……っ』と言わんばかりに驚いた様子のジャンが目に入ってきた。
まぁ、そもそも私自身、人を褒めること自体がそんなに無いからびっくりしたのだろう。
私が目の前の騎士を気に入っている様子なのが、ジャンの目から見ても明らかなくらい機嫌がよくなってしまっていたのか。
――それにしても、ジャンに対しては本当に酷なことをしてしまったな。
何も言わなくても私の近衛騎士ならば、例えどのような場所にいようと、伝達として頼んだ物でなければ私の口から出た言葉は全て機密事項として扱われるのが基本だが……。
流石に、今日の私の護衛騎士の担当をジャンにしたことは、その立場から考えても『少し申し訳なかった』という気持ちは湧いてくる。
私に長く仕えている騎士だと歴戦の猛者といった感じで顔に傷があるような者もいるし。
怖がられるかもしれないと思い、極力アリスと接する時は一番若いジャンを連れて歩くことが多いのだが……。
まだまだ新米の近衛騎士に聞かせるには、どれも胃もたれしそうなくらいに重たい話ばかりだっただろう。
さりげなく目配せしても……。
今この場には私の一挙一動に関して、どちらの騎士も『即座に、対応出来るくらいの優秀さ』を兼ね揃えている。
私の目配せに直ぐに気付いたジャンが、私の意図を正確に察して『私は今、陛下の話は何も聞いておりません』というキリッとした視線を向けてくるのを見ながら、小さく笑みを溢した。
……ブライスの邸宅から出発した時間を考えれば、もうそろそろ、皇宮にも着くだろう。
折角だから、父親としてアリスをベッドに運ぶ所まではしようと思いながら……。
再び静かになった車内で、暫くの間アリスが私の腕の中で眠っているという『貴重な時間』を楽しむことにした。