378 親子のスキンシップ
誰も、何も言葉を発さないまま、静寂が馬車の中に訪れる。
暫く、沈黙がこの場を支配した後で……。
僅かばかり視線を伏せていたお父様が顔を上げ、私に向かって声を出してくれた。
「まだ、そうだと決まった訳ではないが、もしも、仮にそうだった場合。
どこまでの範囲で関わって、何をしているのかにもよるが。
今までの状況全てを鑑みれば、仮に皇后という立場であろうとも例外には出来ないし、きちんとした刑罰は免れないだろうな」
重々しく、渋い口調で声を出すお父様は……。
続けて、今回の一連の事件について、改めて詳しく掘り下げて時系列順に犯人が関わったとされる罪状について列挙してくれた。
まず、高い名声を得ている医者にしても、宮廷伯にしても、それから皇后であろうとも。
一連の黒幕は恐らく、その立場を利用して、検閲係だったあの三人の弱みを握り……。
仮面の男を介して、宝石をくすねることを黙認する代わりに、公爵家の手紙を抜かせていたと考えるのが妥当だ……、と。
だから、私の宝石を抜いていたことでお父様に捕まってしまったあの三人の口から、公爵家の手紙を抜くように指示していた自分たちの存在が表に出るのを嫌って『口封じの為に、あの三人を殺す』という手段に出たであろうということ、と。
それから、この件に関わっているとされる騎士……。
アーサーを黒幕が裏から操っていたのも、アーサーの残した母親への手紙や現場の状況から、決定的な証拠とは言えないものの、殆ど確定的であり。
アーサーが毒を混ぜた食事を、囚人達へと運ぶ係を担っていたことは、まず間違いなく。
また、国の補助金を使い込んでいた医者のマルティスがその件で脅され、毒のことを『食中毒だと誤診した』というのも仮面の男から指示されたのだと自白したことから……。
その流れで、同じようにマルティスを使って、毒の入ったワイングラスで無差別に誰かを傷つけることで、私のデビュタントを失敗させようと画策したのも、裏に、同一犯が関わっていることの何よりの証拠にはなっている。
これだけ見ると、お祖父様の手紙が抜かれていたことと……。
私のデビュタントを失敗に導こうとしていることから考えても、犯人の動機は『皇女である私を貶めたかったから』だと断定しても差し支えないと思う。
それから、動機の面で言えば『私が赤を持つこと』を良く思わない人間なら、誰でも当てはまるものの……。
お父様曰く、医者という立場よりも実際に皇宮の政治などを担っている人間が、私が必要以上に表には出てこないようにと、画策していた方がしっくり来るとのことで。
その上で、ある程度、利益を得ることが出来るのは誰かという事を考えれば……。
単純に私を貶めることで、自分を応援する人間が増えれば、数の暴力で、それだけ国内での発言力も強まってくる訳だから。
『宮廷伯か、皇后という立ち位置にいる人間が候補としては有力だ』
というお父様の意見に関して、その言葉には私自身も、特に異論もなく納得することが出来た。
それから、動機の面では少し弱くなってしまうけれど、宮廷で働く医師達も完全に候補から外れる訳ではなく。
彼等もまた、宮廷内では自分達の派閥があり……。
自分が仕えている人間の発言力などが強まれば、それだけで宮廷医として大成するチャンスを得ることも出来て『美味しい思いをすることが出来るだろう……』という話だった。
それと、もしも仮にテレーゼ様が犯人なのだとしたら、現状、皇太子という立ち位置にいる『ウィリアムお兄様の地位を揺るぎない物にする』ための可能性もあるみたい。
……どの国でも、王位継承権を兄弟間同士で争うのはよくあることだし。
まだ、はっきりとした事は分からないながらも、兄弟の中で唯一血筋が違って……。
なおかつ、公爵家という、あまりにも『強大な後ろ盾』を得ることが出来る可能性のある私のことをよく思っていなかったと言われれば、確かにその通りなのかもしれない。
それにしても……。
狭い車内で、お父様の口から並び立てられる罪状に、今まで分かっていたつもりだったんだけど……。
改めて、一連の犯人に関しては、あまりにも罪を犯しすぎていると私自身も感じてしまう。
検閲係やマルティスみたいな人達と、病気のお母さんの為に動いていたアーサーだと、また状況は変わってくるものの。
弱みにつけ込んで、巧みに人を操って……。
私のデビュタントで人を殺すまでは行かなくても、私利私欲のために、無差別に何の罪もない人を苦しめているのは事実で。
囚人とはいえ、本来なら、きちんと檻の中で罪を償わなければいけない人達まで、複数、殺めてしまってる。
だから、もしも仮にテレーゼ様が犯人なのだとしても、お父様の言うとおり『刑罰は免れない』という言葉には、説得力があった。
「もしも仮に、皇后という立場にいる人間が罪を犯しているのだとしたら……。
刑罰に関しては、より一層、私自身が厳しく公正な目で見て判断しなければいけないだろう。
少しでも判断を見誤ると、宮廷伯のみならず、貴族達から甘いと糾弾される切っ掛けを作ってしまいかねない。
そうでなくとも、私の管理責任の面については問われてしまうだろうし。
皇族の威信に関わると、多少なりとも非難される覚悟はしておかねばならぬだろうな」
あまりにも重く……。
どこまでも慎重に言葉を選びながら、今、この場で、お父様が声を出してくる。
ズーンと、一気に場の空気が……、どんよりと沈んだ物になっていくのを感じながら……。
『確かにお父様の言う通りだ』と、私自身も感じてしまう。
お父様自身が、今までテレーゼ様を信頼して皇后としての仕事を任せていたのは事実だろうし。
もしも仮に、テレーゼ様が一連の犯人だった場合は、今まで常に清廉潔白なイメージであったからこそ。
そこに付随して、世間の反応が『もの凄く大きなもの』になってしまうのは、恐らく避けられない。
これ幸いとばかりにそこを突いて、いやらしくお父様のことを糾弾してくる貴族は絶対に出てきてしまう。
それにそうなったら、世間で未だ声が大きく、根強く支持されている派閥として『魔女狩り信仰派』の貴族達は、大打撃を受けてしまうんじゃないかな……?
テレーゼ様自身は、今まで表向き『魔女狩り信仰』を推進している訳ではないとされてきたけれど。
赤持ちだったお母様が皇后の地位に就いていたことを許せない人達が、テレーゼ様こそ『真の皇后』であるべきだと言って、積極的に力を貸したり後ろ盾になっていたというのは有名な話だし。
世間で流れているテレーゼ様の噂としては……。
【どなたであろうとも、力を貸して頂けるのは有り難い話ですが。
貧乏伯爵の家に生まれた私が第二妃という立場になれただけでも、あまりにも過ぎたことのように思いますゆえ……】
と、どこまでも控えめで、常日頃から困った様子だったらしいという事は、私も知っているものの。
もしも今回、テレーゼ様がどんな理由があれ、一連の事件の犯人であり。
『私を貶めよう』と動いていたのだとしたら……。
前皇后が産んだ赤髪を持つ私を、テレーゼ様自身がよく思っていなかったと世間から見られて……。
彼等に対しても恐らく裏で何か『……私を貶める為』に、テレーゼ様に力を貸していたのではないか、という疑惑の目は常に、つきまとってしまうはず。
今後、同様の意見を持つ人達が動きにくくなってしまうのは確かだろうし。
そうなれば、一気に国内の勢力図が変わってしまう恐れもある。
【この件で、声を大きくしてくる人間がもしもいるのなら、元々お母様に付いていた派閥の人達だろうか……?】
そこまで考えて、私は『うわぁ……』と思いながら、内心でため息を吐き出した。
……私のデビュタントの時にも感じたことだったけど、彼等はあまりにも失礼な人達の集まりだったし。
――決して、良い派閥だとは言い難い。
ただ、それだけあの方が捕まってしまうということは、世論や世相自体を変えてしまい兼ねない危険も孕んでいるということだし。
今この場で、何を発言すれば良いのか。
お父様と同様に、出来る限り慎重にならなければいけないと考えあぐねていると……。
「陛下……、アリス様との、お話中、申し訳ありません。
もしも仮に、現皇后……、様が犯人なのだとしたら……。
その……っ、アリス様もいる場で、事件を思い出してしまうようなことを、あまり言いたくなかったのですが。
今回の一連の事件の発端は、検閲係が宝石を盗んだ所からではなく。
……アリス様の、誘拐事件から、とは考えられないでしょうか?」
と、私のことを気遣うような視線で見てくれながら、セオドアにそう言われて……。
「ううん、それは、絶対にあり得ないよ……っ!」
と、私は思わず、がたりと立ち上がって、馬車の中で大きな声をあげてしまった。
普段、あまり大声を出さないからか……。
突然の私の声に、びっくりした様子で、今この場にいる全員の視線が一斉に私の方を向く。
驚いたり、気遣ったりするニュアンスが混じった、突き刺さるようなみんなからの視線に……。
ちょっとだけ、気まずくなってしまった私は『あ、えっと、大声を出してごめんなさい』と、眉を寄せて困り顔をしたあと、声を出して、そのまま、おとなしくそっと椅子に座り直した。
「確か、あの事件の犯人は、偶然起きた馬車の事故で、騎士達が対処に追われている間に……。
お前達を拉致して、犯行に及んだ……、んだったな?」
再び静かになった車内で、そっと私の様子を慮るように目線を向けてくれたあと、お父様が私に声をかけてくれる。
「アリス、お前にとっては、どこまでも酷な話をしてしまうかもしれないが。
すまない、気分が悪くなったら、いつでも言ってくれ……」
そうしてお父様に、そう、前置きをして貰った後で……。
この事件のあらましが、お父様の口から静かに語られていくのを、私はジッと聞いていた。
「……犯人は、何人かの市民の共謀で。
皇后を殺害したあと、逃げている所を騎士達に捕まり、問答無用でその場で斬り殺されたことから、どうして、事件を起こしたのかまでの詳しい内容は語られなかったものの。
馬車が事故に遭った際に、差別的な発言を繰り返して、扇動したリーダー格の存在がいて。
あまりにも、お粗末で杜撰な犯行から……。
計画的な物では無く、突発的な犯行だったということで終息したはずだが。
……確かに、セオドア、お前の言う通り。
仮面の男が関わっているのだとしたら、馬車の事故も、一般市民の犯行も、誰かが黒幕として裏で糸を引いていたということは、あり得ぬ話では無いと思う」
お父様の言葉を聞いて(ジャンは特に初めて知ることが多くて驚いた様子だったけど)、その可能性はあり得ない話ではないという雰囲気が辺りに充満していくのを感じながら……。
私は、その中で一人、ふるふると、力なく首を横に振って、そのことを否定していた。
確かにあの日のことを考えれば、こうも頻繁に私に対して色々なことが起きすぎていると、あの事件さえも裏に誰かいるんじゃないかと思われても仕方がないと言えるかもしれない。
でも、テレーゼ様はあの事件には絶対に関わっていない。
――その可能性は、万が一にもあり得ない、と……。
そう言い切れるだけの、説得材料は一応、あるんだけど。
それを伝えるには、あまりにも、あの時のことをきちんと今ここで、思い出しながら順を追って話さなければいけなくなってしまう……。
少しでも意識すれば、あまり出てこないようにと、蓋をして厳重にしまっていた記憶の欠片が一気にあふれ出しそうになってしまって。
途端、冷や汗と共に、ふるふると自分の身体が僅かに震えていくのを『情けないな……』と思いながらも……。
「アリス、お前がどうしてそう思うのかが、分からないのだが。
何かあの時の事件で、重要な鍵となるピースを握っているのか……?
一体、何が起きて、どうして、そう言い切れるんだ……?」
と、お父様から話を振られた私は、びくりと、思わず肩を思いっきり震わせてしまった。
急に強ばってしまった私の身体に、みんなの視線が集中するのを感じながらも……。
私は震える身体をぎゅっと自分の手で握りしめ、何とか、必死で抑えながらも……。
ぽつり、ぽつり、と慎重に言葉を紡いでいく。
「……その……っ、あの時の、犯人達には、統率の取れた動きはありませんでした。
……その思想も、意見に関しても、バラバラで。
お昼から、お酒を飲んでいた集団の酔っ払い達の犯行で、計画性に乏しく……。
私たちを縛るためのロープを用意するのも手間取って、何もかも、突然思いついたからこそ、犯行に及んだというのが私の目から見ても明らかでしたし。
お父様の言う通り、彼等の犯行は、あまりにもお粗末で杜撰なもの、だったので……。
馬車の事件は本当に偶然で、なおかつ、あの場にいた犯人達の動きで、裏に誰かが絡んでいるとは、到底思えない、んです……」
あの日のことを思い出そうとすると、それだけで『はぁ、はぁ……』とほんの少し息が乱れ、苦しくなってきてしまう。
特に帝国の騎士達が私達を助けに来るまでの時間、お母様がナイフで刺されて殺されてしまったあの時のことを思い出すだけで、古傷が疼いてジクジクと痛むような気持ちさえしてくるのを私自身が感じていた。
今、この場にお父様がいるということも……。
あの日の事件を一から全て、正直に伝えるにはまだ、私自身の覚悟が足りないと思ってしまうから。
この場で出した私の言葉は、お父様の問いかけに対して、きちんと応えられているとは、到底言い難い物だったかもしれない。
「……彼等の言動から考えても、テレーゼ様は、恐らくあの事件には関わっていないと思います」
それでも、何とか辛うじて出した私の言葉に……。
お父様もセオドアも、ジャンも、その場で息を呑んだのが見えた。
そうして……。
「……っ、陛下。……これ以上は……っ、」
――聞かないで欲しい
と……。
隣に座る私の震える手をぎゅっと『……大丈夫だ』という風に握ってくれて、お父様に向けて真っ直ぐに声を出してくれたのはセオドアで……。
そのどこまでも優しい配慮に、私自身、小さく『……っ、』という、ため息にも似たような安堵の声が溢れ落ちる。
ホッと安心する事の出来る、その大きな手のひらに励まされていると……。
セオドアの視線も、お父様の視線も、私に向けて、どこまでも申し訳なさそうな物に変化していくのが見えた。
「……っ、申し訳ありません。
アリス様に嫌なことを思い出させてしまったのは、自分です」
「いや、私の配慮不足でもあった、な……。
……あの事件のことを、問いかけるべきではなかった」
そうして、二人から謝られて、私はふるふると首を横に振って、慌てて二人の言葉を否定した。
誰の所為でもなく、これは私の心の弱さの所為だと、自分自身が一番分かってる。
いい加減、あのときのトラウマを克服しなければいけないとは思うんだけど、どうしても思い出すだけで、胃から食べたものがせり上がってくるような気持ちの悪さを感じながら……。
まだ、あの日のことをきちんと話すことが出来ない自分に強い失望感を感じてしまう。
その後、セオドアが。
「……っ、姫さん、もしも、辛いようなら俺に遠慮無く寄りかかってくれていい」
と、咄嗟に言葉遣いを取り繕えないくらいに心配してくれた様子で、そう言ってくれて……。
何故かお父様が、セオドアのその言葉に対して『自分も……』というように名乗りをあげて。
「……アリス、遠慮はいらない。辛いなら、私の膝の上に来なさい」
と、言ってくれたことで、途端にさっきまで重苦しかった馬車の空気が一掃されてしまった。
【……えっと、……もしかして、これは。
この場を和ませようとしてくれた、お父様の渾身の冗談……、か、何か、なのかな……?】
普段、絶対にそんなことは言わないお父様に戸惑いつつ。
もしも、この場を和ませるためのジョークなら笑った方が良いのかな、と思ったんだけど。
どう見ても、正面に座るお父様の表情は普段と同じようにキリッとしていて、真面目にそう言っている感じがしてオロオロしてしまう。
あまりにも珍しいその姿に『へ、陛下……っ』とジャンが思わず、といった感じで、動揺しながら驚いたような表情を浮かべたのと……。
セオドアが『……父親としての、スキンシップ下手くそかよ……っ』と、取り繕うことも忘れて素の状態で小さく突っ込みを入れるように声を出したのが聞こえてきて……。
私はそこで初めて、今、この場において、お父様が真剣に『身体が辛いなら私の膝の上に来なさい』と伝えてくれていることに気付いた。
まだ、完全にムカムカと痛む胃の気持ち悪さがなくなった訳ではないんだけど。
お父様に、そんな風に接して貰えることが今までに無かったから、どうしていいのか分からず困惑してしまう。
「……あ、あの……?」
――本当に、お父様の膝の上に座らせて貰っても良いのかな……?
私が、一人戸惑っていると。
例え馬車の中であろうと、いつもと変わらずピシッと背筋を伸ばしていたお父様が、少しだけ背もたれに寄りかかったあと……。
「……これなら、お前も安心して私の膝の上で寄りかかれるだろう。
何なら、ジャンと場所を交代して、皇宮に着くまで私の膝の上に頭を乗せて、椅子の上に寝転んでいてもいいぞ」
と声をかけてくれる。
その言葉に、パチパチと目を瞬かせたあと……。
私は、お父様の方だけではなく、思わず、どうすれば良いのかと問いかけるようにセオドアとジャンの様子も窺ってしまう。
ジャンからは『……皇女様、どうか、宜しければ陛下の提案を受け入れてあげて下さい』という言葉が込められたような瞳で見られて。
セオドアからは『姫さんが、それで楽になるのなら……』という視線を送られてしまった。
「あの、では……っ、そうさせて貰いますね。……ありがとう、ございます」
お父様からの言葉に甘えて、おずおずと、遠慮がちに立ち上がれば……。
コホンと一度咳払いをした、お父様から抱き上げられたあと……。
あっという間に膝の上に乗せられて、私はどこか満足そうな雰囲気のお父様にポンポンと頭を撫でられてしまった。
「……???」
「考えなければならない事が多くて、難しい話ばかりしてしまっていたからな。
そうでなくとも昼の茶会に、夜の夜会と、気を遣わなければいけない行事が立て続けにあったんだ。
疲れているだろう? このまま、少し休むといい」
そうして、優しく声をかけてくれたお父様の言葉に、混乱しながらも。
初めてのお父様の膝の上という状況で緊張していた身体は……。
――疲れが溜まっていたのか……。
それとも、あの事件のことを思い出してしまったからなのかは分からないけど。
規則正しく、ゆっくりと進んで行く馬車の揺れに抗えなかったみたいで。
ムカムカしていた胃の気持ち悪さが落ち着いていくのと同時に、気付いたら、自然と眠りにつくように瞼が落ちていってしまっていた。










